忍者ブログ
ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1
9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
フリーエリア
最新CM
最新TB
プロフィール
HN:
o-zone
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
P R
カウンター
[8]  [9]  [10]  [11]  [12]  [13]  [14]  [15
私が欧米人の習慣の中でもっとも異様に思うのが、赤の他人と平気で挨拶のキスをする、という習慣である。しかも、同性とでも、口にキスしたりする。これほどおぞましい習慣は無い。握手も不潔さという点ではキスに劣るものではない。医者はなぜ手術前に念入りに手を洗うか。それは、手がバイキンまみれであるからだ、ということを知らないことも無いだろうに、なぜ赤の他人と平気で握手できるのか。まして、それが連続握手となれば、ウィルスの大量伝播である。これは明らかに保健所マターだろう。むしろ、無差別テロの一種として警察マターではないか。



(以下引用)



PR
ついでに「いつか聞いた歌」も調べてみたら、ハリ-・ジェームズ楽団で、歌手はヘレン・フォレストだとすぐに分かった。いやあ、ネットの威力はすごい。動画もあるが、なぜか動画のコピーができないので、アドレス(?)だけメモしておく。

なお、「いつか聴いた歌」は和田誠の本の題名にもなっている。


http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=RC-a9Xl37QQ#t=0s




私は古いジャズが好きなのだが、その中でも好きなのが「九月の雨(雨の中の九月)」と「いつか聞いた歌」である。だが、どの演奏(歌手)でもいいというわけにはいかない。それこそ、ラジオなどでいつか聞いた、名前の知らない誰かの歌でないとダメなのだ。後者は今でも誰が歌っていたかわからないのだが、前者はやっとそれが「ガイ・ロンバードと彼のオーケストラ」であることが分かった。それをユーチューブで発見したので、コピーしておく。動画自体のコピーができるかどうかは分からない。

(以下引用)のつもりが、文章より上の方にコピーされたようだ。しかし、動画がコピーできたのは嬉しい。下がそのアドレス(?)。


http://www.youtube.com/watch?v=PLqODPIkWo4&feature=player_detailpage#t=0s






「きっこのツィッター」経由での記事である。
紗栄子と鈴木奈々という芸能人は知らない。後は、まあ妥当か。剛力彩芽は、私も苦手だが、男女ともに嫌われているのはやや意外。電通利用の露出過多が嫌われているのだろうか。あのわざとらしい元気さは、まあキャラ作りであるだろうし、それも本人の努力であるとは思うが、やはり「実力以上の地位」を得た人間に世間の目は厳しいようだ。しかし、谷亮子なんてのが今でもベスト5入りする、というのも異常だし、また圧倒的ベスト1の和田アキ子が芸能界をいつまでも牛耳っているのも異常である。後者は、まあ背後のヤクザのお陰だろうが。
要するに、芸能界なんてロクなものじゃない、ということ。


(以下引用)




「同僚だったら苦手に思う女性芸能人」ランキング

元記事を見る - woman.mynavi.jp



回答者が女性の場合と男性の場合とで少し違いますね。

​「回答者が女性の場合」
​1位 和田アキ子 22.7%
​2位 紗栄子 6.7%
​3位 沢尻エリカ 4.7%
​4位 剛力彩芽 4.0%
​5位 鈴木奈々 3.3%

​「回答者が男性の場合」
​1位 和田アキ子 24.7%
​2位 沢尻エリカ 6.7%
​    久本雅美  6.7%
​4位 谷亮子   4.3%
​5位 剛力彩芽  3.3%

​男女ともに「苦手」と思われているのは、和田アキ子さん、沢尻エリカさん、剛力彩芽さんなのですね。

「あじゃじゃしたー」というサイトから転載。
いや、勉強になる。蛇と兎が転化できるとはしらなかった。「二兎を」が「二頭」ねえ。しかも、「三頭も得る」。これくらいでないと芸能界でやっていけないのだろう。まあ、頑張れ。


(以下引用)


大島優子10:43 - Mobile - 一般公開
あけましておめでとう(^ー^)ノ
昨日のほこたてでやっと仕事納めとなりましたが、見てくれました☆??

元日公演では書き初めをしました!
「二頭追う者 三頭も得る」
普通は兎なのですが、今年は巳年なので
頭という数え方にしました!
そして、貪欲に。。。笑

良い年になりますようにo(^▽^)o

http://plus.google.com/105229500895781124316/posts

某ブログからの転載だが、今のテレビなどまったく見る気もしない私だが、『今夜は最高!』のような番組があれば、深夜でも我慢して起きて見るだろう。
特に、下記記事にある「オペラ昭和任侠伝」は、テレビバラエティショー歴史上の最高傑作として、もう一度見たい回なのだが、ユー・チューブを探しても見当たらない。
二度と見られないと思っていたビング・クロスビーとデビッド・ボウイのクリスマスソング二重唱さえ外国では残っているのに、日本のテレビ会社は、これほどの「文化遺産」を保存してもいなかったのだろうか。
私は和田アキ子が大嫌いなのだが、この傑作の「ヒロイン」であっただけでも、その存在価値は認めるのである。
ぜひ正月特番ででも、このフィルムを発掘紹介してくれないだろうか。もちろん、それ以外の回も含めて、「正月特番 今夜は最高!」とするのである。




(以下引用)




『今夜は最高!』は、1981年4月~1989年10月まで続いたパイオニア一社提供による30分のバラエティショー。ステレオ放送が珍しい時代でもあり、いかにもオーディオビジュアルメーカーがスポンサーらしい番組であった。
内容はタモリが番組ホストとなって、女性ゲストと男性ゲストが毎週一人ずつ呼ばれ、コント、トーク、ミュージカル、歌などを織りまぜた豪華なバラエティショーだった(1回の収録に3日もかけていたという)。この番組のために、大学時代からしばらく遠ざかっていたトランペットを吹くことになる。
昭和60年度民間放送連盟のテレビ娯楽番組部門最優秀賞を受賞した「オペラ昭和任侠伝」の回はいまでも語りぐさになっている(下の写真はフィナーレ部分だ)。和田アキ子と斎藤晴彦がゲストで、コント、トーク、芝居、歌とすべてがバチッと決まったスゴイ回だった。これがきっかけとなって、アングラ俳優の斎藤晴彦はKDDのCMが決まったほど。




「オコジョのブログ」から転載。
普段は真面目な政治論の多いブログだが、たまにはこういうのも書くようだ。
ここに書かれた感覚はなかなか鋭いと思う。特に、女声コーラスにはソウルが無い、というのはまさしくその通りだと思う。これは、女性は集団になるととたんに他者に合わせることを優先させるから、あるいは他者の目を意識しすぎるから、どうしても優等生的な歌い方になるのではないか。
もっとも、男声コーラスが「魂を揺さぶる」のは、男声コーラスにはバスやバリトンが入ってくるから、というだけの単純な理由だろう。現代のソロの男性歌手はだいたいがテノールであり、テノールの歌というのはまさしく「遊び人、ワル、スケコマシ」の歌い方なのである。オコジョさんには、ぜひその「遊び人、ワル、スケコマシ」の代表であるフランク・シナトラの「オールマン・リヴァー」を聞いてみてもらいたいものだ。魂を揺さぶる歌というのは、歌い手の品性の問題ではなく、声の質の問題だと分かるはずである。
女性でもジュリエット・グレコやエディット・ピアフなどの低音歌手、しゃがれ声歌手の方がソウルフルに聞こえるものであり、高音の歌手は「可愛い」「きれい」の印象になるのである。


(以下引用)


男性(男声?)ヴォーカルというのは、なんか魂に直かにつながっていないみたい――そんな偏見が私にはあります。
 遊び人、ワル、スケコマシ、といったイメージが、どうしても拭いきれない。
 男性歌手はいくらうまくても、魂の底からの歌という感じがしません。これは、伊藤多喜雄みたいな人を持ってきても、完全には否定できない。
 そこへいくと、女性歌手は巫女さんになり得るわけです。

 これが、不思議なことに合唱となると、反対になってしまいます。
 男声コーラスには、魂を揺さぶるものがありますが、女声コーラスにはそういう感じがしません。


タモリの「今夜は最高」と「ボキャブラ天国」はテレビの歴史に残る名番組だったが、「2ちゃんねる」にその動画があったので、転載しておく。
今の若い人にはわからないネタもあるだろうが、我々の世代の人間には今でもやはり面白いはずだ。とは言っても、山上たつひこあたりのギャグが苦手な人にはあまり向いていない笑いかもしれない。
「人としてぇ~」なんてのは、一拍遅れで理解できた。これはその一つ前のネタから続いているから、一層面白い。視覚的にインパクトのあるのは「大盤振る舞い」の熟女軍団である。悪夢に出てきそうだ。
総じて、役者がみな上手い。味がある。演出の良さは言うまでもない。
こういう番組は、しかしタモリの司会だから面白かったという面もあるから、別の司会者で似た番組を作ってもあまり期待できないように思う。







ちょっと面白い対比的思想なので、備忘的に保存しておく。
私はもちろんスタニスラフスキーシステムの支持者である。あれほどの成功を収めてきた方法に対し、反対側は平田オリザという、一部にしか評価者のいない演劇者では、勝負にならない。
しかし、平田オリザの考え方は演出者としては珍しくないものである。確か小津安二郎の演出も基本はそうだったと聞いた気がする。あるいは、有名な例だと、「カサブランカ」のイングリッド・バーグマンが、完成した映画を見て、自分がどういう役をやっていたのか、初めて分かった、と語ったのは、平田式の「役者は何も分からなくていい。演出者の言う通りの動きをするだけでいい」という演出方式であったことを示している。
後者の最大の欠陥は、そういう奴隷扱いに耐えきれる役者は少ない、ということである。『影武者』でのカツシンと黒澤の衝突、カツシンの降板も、そこに原因があったらしい。
もっとも、実際には、このどちらも純粋形で行われることはなく、折衷的に行われるのが普通だろうと想像はできる。権力的な演出家ほど後者の思想を振りかざすのだろうが、その演出家を神のごとく「信仰」している役者以外にはその演出を受けたいという役者はいないだろう。



(以下「内田樹の研究室」から引用)


想田監督のこの映画を見て、「平田オリザの笑顔」の深みが少し分ったような気になった。
それは平田さんがスタニスラフスキー・システムをきびしい口調で批判するときの、抑制の外れ方が私のセンサーに「ヒット」したからである。この映画の中で、平田さんがこれほど否定的感情を剥き出しにした場面は他にない。
スタニスラフスキー・システムはいわゆる「新劇的」演技の基本をなす演劇理論である。自分が演じる役柄について徹底的なリサーチを行い、その役柄を俳優が生身に引き受け、舞台上では、その人物がその劇的状況に投じられた場合に、どのようにふるまうか、それを擬似的に再現しようとするのである。「役になりきる」演技術である。古くはマーロン・ブランド、ジェームス・ディーン、ポール・ニューマン、近くはロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノら、ハリウッドきっての「名優」たちがこのメソッドの信奉者だった。
平田さんはそのメソッドをあっさりと退ける。俳優の内側に「自然にわき上がる感情」などはとりあえずどうでもよろしい。俳優に要求されるのは、演出家の指示通り、目線を何センチずらす、ある単語と次の単語の間をコンマ何秒縮めるといった純粋に技術的なことに限定される。俳優は演出家の意のままに口を開き、閉じ、手を上げ下ろしする「ロボット」でいい。現に、その平田さんの過激なアイディアは「ロボット演劇」というかたちで実現してしまう。

忍者ブログ [PR]