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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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このブログを読んでいる学生がいたら、「暗記のための知恵」のひとつとして提示しておく。スポーツ選手がなぜスポーツに上達するかと言えば、練習で「体の動き」を体に、正確には「筋肉や神経の記憶」を脳に刻み付けるからである。大袈裟に言えば、筋肉や神経そのものに記憶がある、とも言える。それが「指で文字を書く」意味である。鉛筆やボールペンで書く、数倍の速さで書け、失敗もない。効果は、おそらくノートに書くのとほぼ同じであり、そのスピードアップによって教師の話を聞き、教科書を見る余裕も出る。

(以下引用)下の文で「無駄」を「ムダ」と書いているのも効率的である。しかも読みやすいし誤解されることもない。ノートに書く場合、漢字は効率が悪い。ただし、非常に読みやすく、高速で理解できる。速読なら、漢字部分だけを拾い読みすれば大意は分かる。単なるメモなら、画数の多い漢字はカタカナ書きでいい。(ただし、同音異義の漢字には注意)

習いたてで暗記するなら(ノートに書くのも)ありやろ
書く時間ムダだから指文字で高速で書くけど
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一応、これでこのシリーズは終わりである。だったと思う。

これからの商売を考える その10 ものの価格と脳の「物語作成システム」 2016/05/21 (Sat)

どういうものが「要らない」とされ、「捨てられる」か、あるいはどういう人が捨てるのか、どういう場所で「実際は有益なもの」が「不要」とされて捨てられているか、などと考えを「ずらして」見ていけばいいだろう。


と前回書いた、その続きを考えてみる。まあ、何であれ、とっかかりが無いと、物事を始めるのは難しいわけだ。

何が「要らないもの」となるか。
1)使えないもの
2)趣味に合わなくなったもの、好かれなくなったもの、古くなったもの
の2点に大きく分かれそうだ。つまり、「使えるが要らない」か、「使えないから要らない」のどちらかで、後者は本物のゴミである。回収業者は、ゴミを集めているわけではなく、「使えるが要らないもの、不要品」を回収し、それを再利用することで商売にする。
書籍などは「文化の塊」のようなもので、その中身である「情報」にはもの凄い価値があるものもあるがたいていの場合は古い書籍は不要品となり、ゴミとされる。情報などはパソコンやスマホでネットを通じて入手すればいいから、無駄に空間を占領する「物」は不要、という時代だ。
回収業者も古本などは古書店に売るか、再生紙の原料にするだろう。

どうも、この「不要品」をテーマで考えると、いいアイデアが出ない。
儲けにつなげるには逆方向から考えたほうがよさそうだ。つまり、「何を世間は必要と思うのか」である。
その対象には、食品や医薬品のように「生存のために切実に必要なもの」と、衣料品や化粧品などのように「生命維持には関係はない(切実さはあまりない)が、社会生活に参加する上では是非必要」というもの、趣味や娯楽関係のように「余裕があれば欲しいし、生活を健全に楽しむためにはあることが望ましい」ものなどがある。

ここで、価格というものについて 簡単に言ってしまえば、「生存に直結する物質の価格は安く抑えられている」「生存に直結しない、物質的精神的装飾は価格が青天井である」と言えるのではないか。そして、後者の価格つり上げには、社会的洗脳が必須であるわけだ。誰もが、そのべらぼうな価格を不審に思いながら、それがそういう価格で取引されているという事実が、その価格の正当性を裏付けている、つまり、高価格のものは実際に価値があるのだと自分自身を説得させてしまうのである。

これは人間の脳の「物語作成システム」である、勝手につじつまあわせを脳が作るのである。そうでないとつじつまの合わないことばかりで、先に進めないから、無意識のうちに自分で「合理化された物語」を作る、ということだ。

価格と価値の相違を簡単な例で言おう。朝鮮の民家に転がっていたほとんど無価値な便器を千利休が「これは素晴らしい価値のある茶器だ」とお墨付きを与えれば、その便器は一つの領国に等しい価格となる。これが「価格」というものである。ネットに転がっている素材を名のあるデザイナーが少し加工したら何千万の価格で売れる、という例を我々は最近見ている。つまり、価値のつり上げは社会的地位と関連するわけである。だから詐欺師は例外なくいい身なりをする。社会的地位の高さを偽装するのである。詐欺師は仲間を増やすことで価格のつり上げや利益の独占や保全もできる。これが「上級国民」である。で、価格にだまされているのが下級国民である。



これからの商売を考える(9)視点の細かい移動のこと 2016/05/20 (Fri)

元手がいらない商売というと、「クズ拾い」というものなどをすぐ想像するのは私が古い人間のせいだろうか。
実際、ゴミ捨て場に行けば、まだ使用可能な品物がごろごろ転がっているのではないか。それを見て、もったいない、と思うような人間は今の消費社会では化石の類いかもしれない。
だが、元手無しで商売をするとすれば、「捨てられているもの」を利用するか、「知恵や知識を売る」くらいだろう。もちろん、「技術を売る」というのもあるが、そこに「苦労や努力なしで」という要素を入れるとなると、「技術を売る」はダメで、「知識を売る」もダメかもしれない。
やはり「クズ拾い」が一番目の候補になる。現代では「いらないものを捨てる」のにも苦労するから、「回収業者」は案外社会に役立ってもいるのである。
だが、回収業者のような「すでにある商売」「競争のある商売」は今は考えない。

「フリーマーケット」というのがあって、「自由(free)市場」ではなく「ノミ(flea)の市」のことだが、要らない品を集めて(持ち寄って)売るという市場だ。
ロンドンでは、これを「店舗」でやっている商売がある。まあ、慈善目的だろうから「商売」ではないかもしれないが、広場や空き地や駐車場ではなく、固定店舗でやる、というところがまだ日本では珍しいのではないか。仕入れ費用はタダだから、店舗家賃と店員の日当が出るだけの売り上げがあればいいわけである。その店員もボランティアという手もあるが、それは売上を慈善に使うという前提の話になるだろう。ここは、そういう「商売」もある、と紹介だけしておく。

さて、「捨てられているもの」から「要らないもの」へと話が変化した。こういうように視点を変えていく(ずらしてみる)のが考察する場合有益だ、というのに今気がついた。。
「捨てられているもの」とだけ考えていては見えないものが、「要らないもの」と言葉を変えることで見えてくるわけだ。
次は、どういうものが「要らない」とされ、「捨てられる」か、あるいはどういう人が捨てるのか、どういう場所で「実際は有益なもの」が「不要」とされて捨てられているか、などと考えを「ずらして」見ていけばいいだろう。


これからの商売を考える(8)「出会いの場」商売 2016/05/19 (Thu)

前回書いたことにつながるが、塾や予備校の「見えない機能」が「男女の出会いの場」である、という視点を広げたら、ほかにもそういうものがたくさんありそうだ。
たとえば、「カルチャースクール」は中高年男女の出会いの場かもしれない。
「海外ツァー」もそうである。
「テニススクール」や「スキースクール」や「ゴルフスクール」は金持ちの奥さんの浮気のための出会いの場。それらのインストラクターは、スポーツのできるホストやジゴロ、というわけだ。
「PTA」すら、ハンサムな教師や美人教師と出会える場であったりする。
「ロックコンサート会場」は同じ嗜好を持つ異性との出会いの場でもある。
場所そのものが出会いの場でもあったりする。夏の浜辺など。

ということは、そういう仕事や職場を少し変えるだけで、「出会いの場」機能を強化し、その企業(は大げさだが)が発展する可能性もあるのではないか。
しかし、そうした「見えない機能」は見えないからこそ有意義だということもある。最初からテニススクールが「浮気便宜所」だと銘打ったなら、旦那が女房を行かせるわけがない。
「養老院」も、それを学校兼寄宿舎だと考えたら、中高生に戻ったような甘酸っぱい気分になるのではないだろうか。実際養老院での色恋沙汰は珍しくないという。アホである。人間は幾つになっても成長などしない。シモの世話の必要な老人の色恋沙汰とは、なかなか不気味だ。だが、それほど性欲は人間を支配する、ということだろう。
で、この発想を養老院経営に生かすなら、老人に「お遊戯」などさせず、「社交ダンス」でもさせるのがいい、という考えになるだろう。性欲の回復は生命の回復につながり、異性にいいところを見せようという意欲が、その生活態度全般を向上させる。
まあ、私自身は養老院経営などする気はないから、これはただのアドバイスだ。
しかし、こういう「出会いの場」機能を考慮すること、「職場にピンク色を増す」ことは大事なポイントだと思う。具体策は、勝手にめいめいが考えればいい。ただし、これは職場の壁にヌードカレンダーを貼る、といったセクハラ親父的行為を推奨しているのではないのはもちろんだ。


これからの商売を考える(7)中仕切り2 2016/05/19 (Thu)

いやまあ、のんびりと浮遊思考を書いているだけのシリーズだから、カテゴリーも「生きるヒント」のはずが「雑記」になっていたりする。変えるのも面倒だから、今はそのままで書き進める。

さて、ほかに「これから有望かもしれない商売」は何か無いだろうか。
いわゆる「士業」(国家資格を要する仕事)は考慮のほかである。若者向けの仕事も対象外。無能無芸虚弱な老人でもできるような仕事を探求しているわけだ。
前に書いた「占い師」などというものは、それに当てはまる。「詐欺師」は、頭が良く、度胸が無いと無理である。占い師は詐欺師とは別だ。詐欺師には需要は無いが、占い師にはちゃんと需要もあるのである。
家作のある人なら貸家貸し間業がいいと思うが、それにもさまざまな新しい業態が考えられるだろう。前に書いた、「レンタル勉強室」と名乗りながら、実質的には「中高生向けラブホテル」というのもその一つだ。実際、これは巨大な潜在的需要があるに決まっているのだから、今後は流行るのではないか。予備校や塾の機能の一つも、「異性との出会いの場」である、というような、常識に囚われない視点を持つことが、新商売の発見につながるだろう。
要するに、「欲望はどこの誰にあるのか、その欲望は何か」ということだ。食欲と性欲こそが生きる欲望の大きな柱であることは言うまでもない。虚栄心なども大きな欲望だからこそ服飾業界や化粧品業界の需要もあるのだ。
実際のところ、私は欲望の欠如した人間だから、他人の欲望なども下劣だとついつい思ってしまうのだが、苦手でもここを追及しないと商売の手がかりは得られないだろう。
私は男(それも精神年齢の低い男)だから、はっきり言って、ファッションや化粧など「アホか」と思うわけだ。大の大人がセックスしたさにどたばたするのも「アホか」と思う。しかし、それらが巨大産業の基盤であることは重々承知している。男も女も異性とのセックスよりオナニーがマシと思うようになれば、世間の産業と文化の3分の2は消滅し、ついでに戦争もなくなるだろう。異性獲得という目的が無くなれば、他人を蹴落とす闘争の意味もなくなるのだから。

まあ、こんな「子供哲学」はどうでもいい。今は金儲けの考察をしているのだ。それも、「できるだけ苦労や努力は無しで、誰でもできる」商売は無いか、という考察だ。これは難問だが、答えの無い問題だとは思わない。

たとえば、農業は苦労に満ちた仕事だという先入観があるが、はたしてそうか。大地に種をまいて放っておいたら芽が出て葉が出て花が咲き実が生った、というのがもともとの農業の姿だったのではないか。それを除草したり肥料をまいたり農薬を撒いたりして勝手に自分で自分の苦労を増やしているのではないか。そういう視点でいろいろな仕事を再考察してみるのもいいのではないだろうか。



「中仕切り」は「一休み」「間奏曲」みたいなものと思えばいい。


これからの商売を考える(6)中仕切り 2016/05/18 (Wed)


「衣食住」が生活の柱であり、それに加えて「教育、娯楽、医療」などが生活の必須項目である。
娯楽など、なぜ人々は、ありきたりの、お仕着せの娯楽に満足し、あるいはそれが得られないと不満を持つのか、私は疑問に思うのだが、まあ、それはいい。
「衣」も、昔に比べたら丈夫になり、一度買ったら何年も持つから、流行を追わなければ買う必要もない。住居は、借家だと経常支出というか、毎月必ず出ていく支出だが、買えば一生ものだ。食費は毎日の出費で、高くも安くもできる。つまり、これが一番商売にはしやすいが、競争者も多いというのは前に書いた。医療は特別な資格を持つ人たちだけに許された商売だ。
さて、ほかにはないか。

たとえば、「占い師」なんていうのもある。これは衣食住にも教育娯楽医療にも属さないが、ある種の人々の切実な需要に応える商売だ。その手のものも、「詐欺商売だ」と片づけず、考察したい。占い師が学者や評論家より下らないかどうかは分かったものではない。

学者や評論家には確かに需要はあるが、その需要はマスコミの存在が前提で、御用学者や御用評論家以外はあまりカネにはならないだろう。マスコミというよりは政治との癒着か。

毎日の生活で不便や不満を感じる事柄があれば、それが「金儲け」につながる鍵だ。

たとえば、モームの短編小説「会堂守り」では、長い道を歩いてタバコを吸いたくなったが、煙草屋が見つかるまでさらに長い道を歩かねばならなくなった主人公が、そこの通りに煙草屋を作ることを思いつき、それが巨万の財産を作る足掛かりとなる。これは寓話的だが、「金儲け」の秘鑰であることは確かだ。
前回書いた、中高生の男女がセックスする場所に不自由している、というのは、自分をその立場に置いてみればすぐに想像できることである。ただ、それを商売に結び付けるかどうかは慎重に思案する必要はあるが、少なくとも、ここには巨大な需要があるのは確かだ。

価値があるのに、ただみたいな値段やただで手に入るもの。

太陽の光、風、雨、清潔な空気、自然の風景、自分の体、著作権の切れた名作芸術、などなど

シベリアに住む人から見れば、温暖な気候はそれだけで財産に等しいだろう。つまり、たとえば沖縄などに生まれた人は、最初から「財産」を持って生まれてきたのと同然である。これは平均所得が日本最下位であろうと、他県には無く、奪われることはない財産である。反対に、現在の福島で生まれた人は、最初からマイナスの財産を背負って生まれてきたようなものだ。親の因果である。





これからの商売を考える(5)貸家・宿泊業など 2016/05/18 (Wed)

貸家や宿泊業というのも、新商売の余地があるのではないか。
まあ、この方面での新商売というと、貸す相手を限定して

1)老人相手に貸す
2)学生相手に貸す
3)外国人相手に貸す
4)低収入者に貸す

などがあるが、もちろん、それぞれ、「短期に貸す」のと「長期に貸す」のがある。短期に貸すのがホテルや旅館やホステルなどだ。で、実は「ラブホテル」も、特定目的特定相手に特化した宿泊業だ。しかも、宿泊どころか時間単位での貸し間だ。
で、私がこれらの中で需要があり、成功可能性が高いと思うのが、そのラブホテルなのである。老人とか外国人相手の貸家や宿泊業も需要はあるが、成功可能性は疑問だ。

さて、実は、ラブホテルは業界全体としては凋落しつつあると思う。何しろ、今どき、恋人のいない若者が多いのだから、客は減少している。
ところが、潜在的需要は膨大にあるのである。
それは、冗談抜きで言うが、「中高生」である。
これほど「性交する場所」を切実に必要としている連中はいない。にもかかわらず、「親に隠れて性交ができる場所」はほとんど無いのである。自分の部屋など、いつ親兄弟が入ってくるか分からない。休日などで、他の家族が確実に家にいないときしかチャンスは無いのである。
まあ、未成年は性交禁止という法律を作るのに私自身は賛成だが、現実には未成年の性交は容認されているのが日本であり、先進国のほとんどだ。だが、性交する機会や場所はほとんど無い。中高生は蛇の生殺し状態である。
彼らはカネは案外ある。しかし、ラブホテルなどに入る勇気は、まずないだろう。だから、カラオケ喫茶などでやって、店員につるし上げられたりするわけだ。あるいは、学校の体育具倉庫とか、トイレとかでやる。ロマンチックさのかけらもない。
そこで、たとえば、一人住まいをしている級友のアパートなどがあれば、当然、そこが友人一同のセックス天国となるわけだが、そんな都合のいい級友もいない、というのがほとんどだ。

そこで、空き部屋のある一軒家を持っている人には、商売のチャンスである。中高生向けに、「そういう場」を提供して、1時間2000円くらい取ればいいのである。まあ、無許可の宿泊業は法律違反だろうが、「レンタル勉強室」という名目にでもすれば、可能ではないか。
2000円出せば、1時間は完全な密室が得られる、となれば、そこを「そういう目的」で借りる中高生が続々と出てくるのは自然の勢いだ。
これを不道徳と言うなら、中高生は性交禁止、というのを厳密に取り締まればいいのである。
大人が未成年を相手に性交してはいけないが、中学生どうしはいい、とかいう理屈は成り立たないだろう。中学生だろうが、未成年相手の性行為は「傷害罪」適用でいい。

ということで、以上が、需要は膨大にあるが、商売としては可能かどうかは分からんよ、という新商売の話である。

真面目な話をすれば、外国人相手の低料金宿泊所なども需要はあると思う。だが、認可を得るのが面倒そうだ。オリンピックに向けてこれを簡便化するという考えが政府にはあるようだが。



(追記)参考までに


民泊 管理者置けば届け出で営業可能に
5月13日 4時06分

住宅の空き部屋などを有料で貸し出す「民泊」について厚生労働省と観光庁は家主が同居していなくても管理者を置くことを条件に都道府県への届け出を行えば営業を認める方針を決めました。

住宅やマンションの空き部屋を有料で貸し出す「民泊」を巡っては、外国人観光客の増加で宿泊施設の不足が深刻となる中厚生労働省と観光庁がルール作りを進めています。先月からは「民泊」をカプセルホテルなどと同様に旅館業法で「簡易宿所」と位置づけ、貸主が都道府県から許可を得れば営業が認められるようになりました。

このうち、一般の家庭で受け入れる「ホームステイ型」については家主がいるため宿泊者の安全管理がしやすいなどとして、今後、許可制ではなく都道府県への届け出だけで認める方針です。

さらに「民泊」を広げるため厚生労働省などは家主が同居していない場合でも管理者を置くことを条件に、旅館などと競合しないよう営業日数の制限を設けたうえで、「ホームステイ型」と同様に都道府県への届け出を行えば営業を認める方針を決めました。管理者は近隣とのトラブルの対応や宿泊者の名簿の作成などが義務づけられるということです。

厚生労働省と観光庁は今後、インターネットなどで仲介を行う業者への規制について検討することにしています。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160513/k10010518831000.html


これからの商売を考える (4)「娯楽商売」続き 2016/05/16 (Mon)

娯楽の要素を「ギャンブル・スポーツ・鑑賞」と規定してみたが、これからの娯楽商売を考える上で一番大事なのは、「庶民にはカネが無い」ということだろう。
ここから出てくる帰結は

1)安い大衆娯楽を発明する
2)金持ち用の新しい娯楽を考える

の二つとなるが、後者には当然高額の資本金が必要になるから、考えるまでもない。ゴルフ場などが廃れているのを見ても、今の金持ち相手の娯楽商売は困難だ。だから、闇カジノなどに手を出す金持ちが出てくるのである。金持ちにふさわしい娯楽が無い。流行っていないゴルフなどをしても空しく思うのだろう。
庶民相手の安価な娯楽について考えてみよう。
「ボーリング」や「麻雀」はなぜすたれ、「カラオケ」や「パチンコ」はなぜすたれないのか。
いや、ボーリングなどはまだすたれてはいないだろう。若者だけの場になってしまっただけだと思う。かつてのように老いも若きもという娯楽ではなくなり、「大人」は行きにくいものとなった。それは「流行りではない」からだ。ゴルフと同様である。ディズニーランドも「流行り」ならば大人も行くが、流行りでなくなったら、大人は恥ずかしくて遊園地など行かない。
「麻雀」は、時間拘束が長すぎる。一晩ぶっ続けでやらないと麻雀は面白くないし、今どき、そんな時間の余裕のある庶民はいない。面子を4人探す苦労が大変だ。他者とのつきあいで毎日気苦労があるのに、個人的な時間まで他人とつきあいたくない、という若者も多いだろう。恋人やセフレとのつきあいは、性欲というエンジンがあるから別である。
「カラオケ」がすたれないのも、そこには「男女関係のいい機会」という要素があるからだろう。しかも、「密室」だ。男女の絶好の発展場である。
「パチンコ」は言うまでもなく、カネが儲かるかもしれない、という射幸心がエンジンである。
つまり、これから儲かる娯楽関係の新商売には「性欲の満足につながる」か「射幸心を刺激する」かのどちらかの要素があれば、かなり成功確率は高い、と言えそうである。
前者は法に触れる可能性があるし、後者も法律すれすれだ。抜け道は、「甘納豆くじ」のような子供相手の「ギャンブル」だろうか。もちろん、単純な運任せだけのゲームではなく、そこに「頭脳と経験で勝率が上がるシステムを組み込む」などのバリエーションも考えられる。
ネットを使って、壮大な「仮想野球世界」を作る、(小説「ユニバーサル野球協会」のネット版)というのも面白いのではないか、と思うが、これは構築したり商売化したりするのにカネがかかりそうな案だからここでは考察しない。
実は、「鑑賞」というのが現代のもっともポピュラーな娯楽である。つまり、「スポーツ観戦」だ。野球やサッカーをテレビで見ることだ。相撲やボクシングなどもある。これらは、一番安価で楽な娯楽だが、これを使って金儲けをするのは大資本にしかできない。
ただし、「便乗商売」はできる。ダフ屋や飲み屋(酒を飲むのではなく、ギャンブルのノミ屋である。)などだ。もちろん、これは違法行為だから、お勧めはできない。鑑賞することだけが庶民にできることだ。あるいは、自分自身がそのスポーツをやればいい。草野球などだ。
結局、手軽に始められる娯楽商売というのは

1)たいして儲からない(相手が子供だったりする)
2)法律に触れる

のどちらかになるだけ、かと思われる。


これからの商売を考える(3)娯楽とギャンブル 2016/05/15 (Sun)

馬鹿馬鹿しい値段で売られているものの例として医薬品と食品を挙げたが、特にコンビニの弁当など、あの値段で買う人がいるのが驚異である。つまり、家で料理をするのが少数派であるような時代になっている、ということだろう。英国(ロンドン)での見聞では、表通りの店の3軒に1軒くらいはファストフードの店か食堂であり、スーパーなどで買われている食品は生鮮食品ではなく冷凍食品のほうが多いようだ。日本もそれに近づいているのだろう。デフレ社会、低給与社会では外食産業が衰退する、と私は考えていたが、それは逆で、「家庭」を持たない「孤立(個立)社会」では、自分で料理する余裕すらなくなるようである。多少安いかどうかより、「買い弁」「宅配」「ファストフード」のほうが時間の節約になる、ということだろう。それが病的状態であることは言うまでもないが、この趨勢はなおも続くか、より悪化する、と見るのがいいだろう。
さて、我々の生活の中で、食と健康に関する商売はまだたくさんあるだろうが、見落としは後で補足することにする。次は「教育」と「娯楽」だ。

塾などの「教育商売」も、カネがさほど無くても始めることができる商売だが、これも今後は難しいのではないか。いや、やりようによってはいくらでも稼げるとは思うが、私は「教育で稼いではいけない」という考えなので、考察対象にはしない。「儲かる教育商売」とは詐欺の一種に近くなると私は見ている。

では、娯楽はどうか。これは、人間が生きている以上、絶対的に必要なものだし、「恋愛」や「セックス」を娯楽の一種と見てもいいだろう。もちろん、倫理意識の強い人間には我慢がならない考えだろうが。
現在の状況は、ゴルフやスキーに代表される「カネのかかる娯楽」が衰退していて、ネットゲームなどで遊ぶという「カネのかからない娯楽」に駆逐されつつある、と大きく言えそうだ。つまり、庶民にカネが無いのだから、庶民はゴルフやスキーには行けない。庶民が来ないと「絶対数」が足りないからそうした娯楽産業は衰退する。世の中に「超金持ち」が少数いても、彼らの数だけではゴルフ場やスキー場は維持できないのだ。払う料金は金持ちも庶民も同じだから、庶民が一人も来ない娯楽施設は倒産するしかない。
まあ、私にはそうした衰退産業(特にゴルフ場)を改革するアイデアも少しはあるが、これらはもともと大きな資本金を必要とする商売だから、ここに書いても無意味だろう。

娯楽というのは面白いもので、何でも娯楽になる。つまり、カネが無いから娯楽が無い、というのは想像力の欠如した人間の言うことだ。ただ、それを「商売」にするとなると、カネが必要となってくるわけである。しかもたいていは大資本が必要だ。だが、そうでない例もある。
簡単な例を言えば、昔は「駄菓子屋」というのがあって、そこに「くじ引き」付きの甘納豆などが売っていた。当たりが出たら、子供だましの景品がもらえるのだ。子供のころの私はこれに夢中だった。いつか一等を当てるのが夢だったわけだ。
これは大人がパチンコをやり、競馬をやり、宝くじを買うのと何も変わらない。「合法的ギャンブル」なのである。違いは、大人は子供だましの景品など欲しくはないから、「甘納豆くじ」は買わない、ということだ。だが、原理は同じである。しかも、小資本でできる。
たとえば、ゴルフなど、ゲームの実体は「子供の遊び」である。地面に掘った穴に小さなボールを入れるだけのことだ。それにいい大人が夢中になり、高いクラブを買い、高い料金を払ってプレーをする。
素人からプロまで、スポーツにおいて自分の技術を磨き、それをプレーで確認する喜びは共通だ。そこがギャンブルとスポーツの違いでもある。ギャンブルは運任せである。
スポーツ性とギャンブル性が娯楽の柱だろう。
もちろん、単なる「鑑賞」という娯楽もある。ストリップを見るのは、あれは鑑賞なのか? それとも別の意図があるのか、私には分からない。ああいうのを見たがる男どもの気が知れない。だが、絵画鑑賞は高級な趣味で、ストリップ鑑賞は低劣な趣味だ、という区別も、我々を自由な考察から疎外する障害としての「常識」だろう、ということを指摘しておきたい。ついでに言えば、「自分の体に自信のある女は裸を見せたがる」ものだし、そういう女性の中で、性的アピールでカネを稼ぐことへのためらいを持つ女は少数派だろう。体でカネを稼ぐというのは女の武器だし、男でもそういう「色を売る」男も珍しくない。ただ、これらは犯罪や犯罪組織、人生の破滅と常に隣り合わせの商売である。ギャンブルのほうが、まだ健全な娯楽だと言えるだろう。

以上、(ギャンブル、スポーツ、鑑賞)という娯楽の3要素を考察してみたが、もちろん、「商売」としての考察はまだである。それを次回にやってみたい。




これからの「商売」を考える(2)輸入販売業 2016/05/14 (Sat)

さて、私が「成功可能性があるのではないか」と思う仕事(主に自営業)を、思いつくだけ並べてみる。

1)医薬品輸入業(これに認可が要るかどうかは知らない)

これを成功可能性が高いと見るのは、日本の医薬品が暴利をむさぼっているからだ。欧米の医薬品のすべてが安いわけではないが、日用品的医薬品は非常に安い、という印象である。咳止めなど、日本製品はほとんど効かない(注:これは2016年当時の印象)が、英国製の某薬品(これは名前を秘しておくが、1ポンドショップで売っているから、現地で調べればすぐに分かる。)など、一発で咳が止まり、値段は170円(1ポンド)だった。アルカセルツァーという痛み止めも有名だが、安い。同じく1ポンドだった。(ただし、10錠入りの小箱)私が薬局でも経営しているなら、こういう「欧米の格安医薬品」を仕入れて売る。欧米の医療(病院)が高い、というのは、日常的な病気などは病院などに行かず、売薬で済まし、その薬は安い、という事実とセットになっていて、後者を日本のマスコミやネットでは言わないからだろう。

ここで一つ指針ができる。それは、日本と外国の物品を比べ、日本では異常に高いが海外では安いという物品を見つけて売ればいい、ということである。輸入にかかる費用を考慮しても十分に利益が出るだろう。それほど日本では無意味に高額化している物品が多々ありそうな気がする

*上に書いたアルカセルツァーの箱書きにはさまざまな痛みの痛み止めだけでなく、風邪やインフルエンザにも効く、と書いてある。日本で、170円で買える風邪薬があるか? もちろん、風邪やインフルエンザそのものを治癒する薬など存在しない。症状を緩和するだけだが、それは日本の薬品も同様である。

2)果物や野菜の輸入販売業

上と同様の発想だが、日本には無いか、日本では異常に高価な果物や野菜で、海外では安いものを探して売る。一例を挙げれば、ブドウの一品種で、皮のまま食べられ、しかも味が非常にさっぱりとした甘味であるものがある。見かけはマスカットに似ているが、あんなに酸っぱくない。これはこの前イオンでも売っていたが、残念ながら品質管理が悪く、カビが生えていた。きちんと品質管理して売れば、ファンが増え大需要が生まれるはずの品種である。他にも、西洋野菜などの中には日本人の知らない味を持ったものがあるだろう。まあ、農家と契約して、日本で育てて売るのが一番成功可能性は高いのではないか


他にも、輸入販売業は考えられると思うが、この方面はひとまずこれだけにしておく。ワインなども、安くて美味いのがあったのだが、これは個人的な主観かもしれない。まあ、私が美味いと思った安酒は、その後たいてい売れているから、間違いは無いとは思っているのだが。スーパーなどに並んでいるワインで美味いのにはほとんど出会ったことがない。これはバイヤーが酒の味を知らないからだと思う。また、酒通でも、通になりすぎると安酒を認めなくなる。甘口などは最初から考慮の外になる。だが、大衆はやはりその語源どおり「甘い」が「美味い」なのである。馬鹿なバイヤーが「ワイン通は辛口を好む」という一つ覚えで買い付けるからスーパーのワインは売れないのである。
英国のスーパーで棚に大きくスペースを占めているワインは一番の安酒だが、それでも結構美味いのがある。やはり、ワインは欧米人の文化の一部である。


思考メモとはいいながら、一応はブログ風の文章になっているところが我ながら面白い。そのうちただの箇条書きだけになるかもしれない。
なお、英国の加工肉はひどい味だった。英国人が味覚音痴だからというよりも、世界的に加工肉を排斥する風潮があり、加工肉をまともに作っていないのではないかと思う。ただし、安物の加工肉しか食っていないので、これが全体に言えるかどうかは分からない。



(追記)英国の食料品が安いのは、英国では食料品には消費税がかからないからである。つまり、庶民保護思想が根付いているからだ。さすがに社会福祉制度法制化の先駆けの国である。で、これを利用して、英国から食料品を輸入して日本で売るというのは有効性が高い、となるかと思う。
「たった」10%の消費税でも、流通の各段階で税がかかる結果、日本では店舗に並ぶ商品は異常な高額になるのである。そしてその消費税額を政府はさらに上げようと画策している。まあ、消費税は庶民(特に貧困世帯)殺しの税金である。
なお、上に書いた「皮ごと食べられるブドウ」は2025年現在、既にかなり流通しているが、価格が異常に高い。もちろん、生鮮食品の輸入や輸送はロスも大きいだろうが、もっと値段を下げられそうなものである。
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