忍者ブログ
ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
カレンダー
09 2024/10 11
S M T W T F S
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
フリーエリア
最新CM
最新TB
プロフィール
HN:
o-zone
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
P R
カウンター



 四

 あれは藤吉郎がまだ寺にいた頃の話であるから、今からもう十年以上も前の事になるが、寺の小僧仲間の一人に貴族の息子だとかいう男がいた。名前ももう忘れてしまったが、その男が何かの機会にしてくれた二つの話を藤吉郎は今でも覚えている。その話がどうしようもなく気に入ってしまったのである。
 二つとも史記の中の話で、一つは、項羽が若い頃、学問をしても剣を学んでも続かないことを人から説教されて、
「字は名前さえ書ければそれでいい。剣は一人を相手にするのみ。俺は万人を相手にする方法を学びたい」
と言ったという話。その「我は万人の敵を学ばん」という言葉の威勢の良さに、当時の日吉丸はすっかり参ったものである。
 もう一つは劉邦の話で、彼が部下の韓信に、自分はどれくらいの兵を率いる才能があるかと尋ね、
「陛下はせいぜい十万人程度です」と言われて憮然とし、「ではお前は」と聞くと、
「私は多ければ多いほどいい。(多々益々弁ず)」
との答えに、
「ではなぜお前はかつて私の虜となったのだ」
と聞くと、
「陛下は兵に将たる才能は無い。しかし、将に将たる才をお持ちだからである」
と答えたという話である。
「将に将たる器」、この言葉に日吉丸は陶酔した。それが具体的にどんな能力を指すものかはわからない。しかし、男として生まれた以上、目指してよいものがそこにはあるような気がしたのであった。
 今でも藤吉郎は何かにつけその二つの言葉を思い出す。「万人の敵」と「将に将たる器」。それを思うたびに、今の自分のままではいけないという気になる。だから、彼は人一倍働いた。他人が見ていない時でも、怠けたりすることはけっしてなかった。そしてその事が苦痛ではなかった。
 彼の背後には極貧の暗黒の日々があったからである。
 それを思えば、何でも耐えられない事はなかった。そして、彼の前には昇る朝日しかなかった。
「わしが生まれる時に、お袋様は朝日を呑み込む夢を見たんだそうじゃ」
 彼はよくねねにそんな事を言った。それは罪の無い嘘に決まっているが、彼は自分でも知らぬ間にその嘘によってある幻術を用いていたのである。
 すなわち、彼が何か思いがけない離れ業をした時に、その日輪の話が人々の頭に思い浮かぶという幻術である。
 ねねからその日輪の話を聞いていた者たちは、その話を一笑に付したものの、その事を忘れる事はなかった。それが後に藤吉郎の栄光に幻の輝きをも加えることになった。いや、その幻も藤吉郎の栄光作りに一役買っていたと言うべきだろう。
 相変わらず藤吉郎を毛嫌いする者は多かったが、彼は平気だった。自分を笑う者に対しては一緒になって笑い、自分を笑わぬ者には感謝して、常に真心を尽くした。自然と彼を好む者、彼に味方する者が増えていったのであった。



PR



   参

 藤吉郎に縁談が持ち込まれたのも、彼の名が売れ始めたことの証明だろう。相手は、大した家柄ではないが一応は武士であり、素性不明の藤吉郎から見れば破格の出世とも言うべき相手である。藤吉郎はその縁談を承知した。相手の娘の器量は十人並み以下といったところであり、美女好みの藤吉郎の好みに合うはずはなかったが、この結婚によって彼は正式な武士となり、一応の確固とした格式が得られるのである。
 相手の娘から見ればこの結婚はとんだ災難とでもいうべきだろう。世の中に男は数あれど、よりによってこんな猿みたいな男と結婚しなくてはならないのだから。
 しかし、親の言いつけに逆らうほどの気持ちも無く、結局は結婚することになった。その事を後では満足に思いもしたはずだ。すなわち、後の北の政所こと、ねねである。
 相手の男、藤吉郎は、実際会ってみると、案外優しく、また、他の男にはない何かを持っていそうでもあった。
「わしみたいな男と一緒になって、残念だと思っているだろうな。いや、隠さんでも良い。わしが女なら、わしだってそう思う。しかし、わしが他の男に及ばんのは、この見かけだけだ。中味は誰にも負けん。頭は負けんし、度胸だってある。望みも高い。わしと一緒になったことを、けっして後悔はさせんからな」
 そう言って、藤吉郎はねねを抱いた。ねねは男のその言葉に何とも言えない思いやりを感じて、初めてこの結婚を良しとした。




昇る太陽 2
     弐

 彼が織田家の末端の家来となったのも、お市の事が動機の一つだった。何となく、そこにいれば彼女との縁がありそうな気がしたのである。彼が信長の将来性を高く買っていたわけではない。人の評判では、若い頃はどうしようもない阿呆であったが、斎藤道三の娘を嫁に貰ってからは、人が変わったようになったという。と言っても、部下に対してえらく厳しい主人であるらしく、あまり良い評判は聞かない。どうしようもない癇癪持ちで、近臣の者を斬ったことも二、三度では済まないらしい。その一方では能力のある人間は下の者でも家柄に関係無しにどんどん取り立てるという話もある。長所短所それぞれといった所だろう。
 信長の家来になったのを機に藤吉郎と名前を変えた彼は、仕事を真面目にした。陰日向なく仕事をするという、それだけでも、この時代、人の目につくには十分である。やがて彼は上役の重宝な助手役として使われるようになった。その仕事というのは、台所の賄いである。つまり、食材やら燃料やらの仕入れと管理の仕事だ。
 藤吉郎は、ここで抜群の取り計らいの才能を見せた。彼がその役につく前よりも、費用を二割以上も節約したのである。と言っても食事の内容を貧弱にしたわけではない。前任者のように無駄な金を使わず、また費用の一部を懐に入れることをしなかっただけである。
 彼のそんな行為を周りの連中はあざ笑った。
「そんな事をしたって誰が見ているものかよ。自分一人できれいぶったって何にもなりゃしねえよ」
 聞こえよがしのそんな声にも藤吉郎はただ笑ってみせるだけだった。
「はっはっはっ。わしゃ頭が悪いもんでな。一は一、二は二としか勘定できんのじゃ。一を二に見せたり、三に見せたりするような、そんな器用な真似はよう出来ん」
 このような当意即妙の言葉に返答できる者は無く、相手は黙り込むのが常だった。
 以前の陰鬱な日吉丸を知っている人間には、今の藤吉郎は、驚くほど人が変わったと思っただろう。
 何より、明るくなった。もともと声は大きい方だったが、最近ではその大きな声があたりに響いていないことがない。大声で指示し、軽口を叩き、大声で笑う。その声がしないと、周りの人間は物足りない気にすら、最近ではなってきていた。
 すなわち、藤吉郎ここにあり、と織田家中の人間は誰でも知るようになってきていたのである。


これも私の別ブログに載せてある小説で、全7回くらいの短編だ。
読めば分かるように、意識的に「司馬遼太郎」風の文体をしているところもある。まあ、内容的に私自身はお気に入りである。この小説が豊臣秀吉の本質を示しているとは思わないが、「意思が人間の人生を決める」というテーマは、「風の中の鳥」と同じで、私の基本哲学である。そして私は人生の早い時期に「立身出世は不幸の元」という哲学を自分の生き方の方針とした人間であり、自分の書く小説の主人公たちは、妄想の中で私自身の分身が、私自身のやるはずがない人生を生きているわけである。

(以下自己引用)

 昇る太陽

         壱

 日吉丸、後の木下藤吉郎、いや、豊臣秀吉が、自分は何者かであるとの確信を抱いたのは、そう早い時期ではない。成人するまでの彼は、自分はとうてい二十歳過ぎるまで生きることはあるまいと考えていた。人より自分が勝れているという自惚れなどは、なおさらなかったのである。それも当然で、尾張の水呑百姓の子で、幼時に寺の小僧に遣られ、そこを数年で飛び出して後は、乞食同然で各地を放浪してきた人間に、自分をひとかどの人間であるなどという自信がある筈はない。寺の小僧だった時、同輩より多少は機転が利くという気持ちを持ったこともあったが、それもかえって同輩との折り合いを悪くする役にしか立たなかった。その後は乞食や物売りをしながら、あるいは野盗の下働きさえしながら、何とか食いつないできたのだが、そのような生き方にもこの頃では嫌気がさしてきて、いっその事、死んでしまおうかと思うことさえあったのである。
 その理由の一つは、生まれつきの醜さだった。背が人並みはずれて小さく、四尺三寸ほどしかない。子供の十二、三歳並みの大きさだった。その上、顔ときたら、猿そっくりである。それも萎びた老人に近く、愛嬌に乏しい。むっつり黙り込むと異様な凄みがあるのも、人に嫌われる理由の一つだ。反面、それを憐れんでもらえることもある。しかし、女にもてたことは生まれてから一度もない。母親だけはこの醜い息子を愛しんで何かと面倒を見てくれたが、養父などは彼をひどく嫌っていたものである。
 彼の不幸は、その容貌の醜さとはうらはらに性欲の強かったことである。それも美しい女が好きでたまらない。美しい女に好かれることは一度も無かったのだから、これは地獄と言うべきだろう。
 彼が織田信長の妹、お市の方を見たのは、彼女が他国に輿入れする日だった。館から輿に乗る、その僅かな間に見たのである。その時、この世にこれほど美しい女がいるということに、彼は目もくらむような思いがした。そして、その女を抱く男がいるということに、腹の中が黒くなるような煮える思いを感じたのである。
 このわずかに数秒の出会いが彼の運命を変えた。
 この空の下のどこかにあの女がいる。いや、あの女でなくとも良い。ともかく、あのような女が世の中にはいるのだ。それを抱くまでは俺は死ねない、と日吉丸は心に決めたのだった。


忍者ブログ [PR]