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まあ、父親が梨園の御曹司というわけではないだろう。
さて、量子とは、私の持っている辞書ではこう説明されている。
連続的でなく、ある単位量の整数倍に限られる値で表される、物理量の最小単位。1900年にプランクが量子仮説を提唱し、量子論の端緒となった。
つまり、量子論は仮説でしかないのである。それについて、私が先ほど寝床で拾い読みしていた「奇妙な論理」(原題は「科学の名の下に」:「in the name of science」)という文庫本の中にこういう記述がある。
量子力学では、古典物理学の根底にある厳密な因果関係はもはや成立せず、すべてが確率・統計的に解釈される。ある事象を観測するとき、これこれの結果がこれこれの確率で起こりそうだと予言することしかできない。だから量子力学者は、競馬の予想屋にいくらか似ている。アインシュタインはこのような事情を量子力学の「不完全さ」だと考え、「神は世界を使ってさいころばくちをしない」といって、最後まで納得しなかった。
これが、有名な「神はさいころを振らない」という言葉の所以だが、多くの人は、この言葉が「量子力学」について言われたことを知らないと思う。少なくとも私は知らなかった。
そして私は量子論は少なくとも現段階では信じるに値しないと思っている。発見されていないのだから信じようがない。まあ、存在しないとは言わないが、それを基にした言説は意味がないだろうと思っている。特に「量子コンピューター」など愚の骨頂だろう。存在しないものを土台にして、合理的な「計算」ができるか。単に統計的推定なら「量子」とは無関係だろう。
ついでに言えば、私はアインシュタインの相対性理論もただの仮説にすぎないと思っている。
ところで、「バームクーヘンエンド」って何だ? 気になる。
(以下引用)
ここで話は全く変わるのですが、私は女児歴30年以上の大ベテランでありながら「セーラームーン」を全く通っていません。
最近ネットで「美少女戦士セーラームーン『月野うさぎは人生の同志』」という見出しを見て「なんて激シブな劇場版タイトルなんだ、俺もセーラームーンの事を『月野同志!』と呼べるならセーラームーンを履修しておけば良かった」と激しく後悔しました。
その後、そういうタイトルではなく、声優さんがインタビューで答えたコメントの引用ということが判明したのですが、それにしても強い文字列なので、ぜひ次のタイトル候補にしてもらいたいです。
私の記憶では「推しに重い設定をつけたり生と死の境を彷徨わせたり、果てはバームクーヘンエンドを食らわせてしまう創作オタ」に向けて発せられた言葉だった気がします。
推しや推しカプのことが好きなはずなのに、気づいたら推しカプに死体を埋めさせ、何だったら推しを埋めてしまう。何故好きな相手にこんなことをしてしまうのか、と悩む創作オタに対し、セーラーメリバが「だきしめてキスをするだけが愛してる証拠じゃないわ、せっかく平和なギャグ時空に生まれた推しにバトロワパロ(アラフォーオタが即死)をさせて、カップリング相手に撃ち殺させる愛のかたちもあるの」と、言ったような幻覚をいま見ました。
実際、推しに対する愛情表現というのは人それぞれであり、エグすぎるR-18G二次創作を描く人に「そのキャラが嫌いだからそんなヒドいことをするのか」と聞いたところ「嫌いな相手の内臓なんか描きたいわけないだろう」という言葉が返って来たそうです。
あなたも「好きでも嫌いでもないキャラに重い設定を見いだし生死の境を彷徨わせろ」と言われても「桃に入れられて川に流された」とか、どこかで聞いたような設定しか思いつかないと思います。
先ほど、「まったくもってホタテ貝」という言葉がどのようにして生まれたか、心理分析をするつもりで、かなり考えて、
まったく→ほっとく
→ほったて→掘っ立て小屋→ホタテ貝
という、無意識の連想の結果だろうという結論になったが、一応確認すると
「まったくもって」ではなく「ますますもって」が原語のようだ。
つまり、私は山本直樹と同じ覚え間違いをしたのだが、そこには「ますます」より「まったく」のほうが音韻的に「ホタテ貝」につながるという無意識の計算があったのではないか。
まあ、ナンセンスとしては、「つながらないからナンセンスになる」わけだが、こういう絶妙な造語には、何となく心理分析をしたくなるのである。で、分析の常として「理に落ちる」という失敗になりがちなわけだ。私には分析が趣味なのだから、広い意味では「失敗も成功のうち」。
なお、この言葉は天才的な造語として当時のSF作家たちの流行語となったらしいが、その際に「まったくもって」に変形したのではないか、という推測もできる。その理由は「ますますもって」よりも「まったくもって」のほうが、促音(っ)の押韻になるからだ。リズムが良くなる。
(以下引用)
山本直樹『明日また電話するよ』
comics
明日また電話するよ
明日また電話するよ
作者: 山本直樹
出版社/メーカー: イースト・プレス
発売日: 2008/07/17
メディア: コミック
ほとんど既読だが、それは織り込み済み。
しかし作者がセレクトした短編集というだけあって、さすがに粒ぞろい。また、各作品に作者のコメントがつけられているのもよい。
巻末には「山本直樹の歴代ハマリモノ集成」という付録がある。世代がほぼ同じなので活字や漫画の傾向は似ているが、音楽の好みは全く異なる。
「まったくもってホタテガイ」というのは間違いで「ますますもって」が正しいはず、と思って調べたが、やはり正しくは「ますますもって帆たて貝」だった。
で、手元になかったので筒井康隆の「カメロイド文部省」が収録されている本を本屋で探したわけだが、『農協月へ行く』も『日本列島七曲がり』も置いてない。これじゃあいくら大御所でもラノベやケータイ小説でも書こうかという気にはなるわな。
そのアイデアとは
1:高価な品物(たとえば真珠)の盗難が、実はそれよりはるかに高価な別の品物の盗難を偽装するためのおとりであること。後者は、美術品の類など、素人にはその価値が分からないのがミソ。これは殺人にも応用可能かもしれない。つまり、Aという人物の遭遇した犯罪が、Bという人物の殺人を偽装するためのもの、など。
2:輸出入を利用した犯罪。『鏡の中の顔』では、フランスからアメリカに輸出した帽子に、フランスで盗んだ高価な宝石を飾りとしてつけ、アメリカ到着後に、その宝石を模造宝石と付け替える、みたいなもの。これは、服飾品、あるいは宝石の場合、税関では物品の細部まで丁寧に鑑定することは不可能、ということを利用したもの。上記1も、「Aと思っていたのがBだった」という、性質的には同じトリックである。
3つめは、……忘れたwww
「演技で一番大事なのは誠実さだ。誠意のあるふりができれば成功疑いなしだ」
最初の発言で、多くの人は、演技と誠実さがどう結びつくのか、首をひねるだろうが、たいていの人は「まあ、人間誰でも誠実さは大事だし、それは俳優でも同じなのだろうな」くらいに思ってそれを受け入れるだろう。しかし、次の言葉で、それは「誠意のあるふり」だということで、成る程演技論だ、と分かり、その皮肉に笑うわけである。ジョージ・バーンズは確かコメディアンだったと思う。
英語原文は次のとおり。
The most important thing in acting is honesty. If you can fake that ,you've got it made.
you've got it madeを「成功疑いなしだ」としたのは、この「名言集」の訳者の訳をそのまま借りたが、その訳でいいのか、少し疑わしい。
まあ、実人生でも「誠意のあるふり」ができれば、詐欺師になれるだろう。つまり、人生で成功すること疑いなしだ。
で、これから連想したのが、日本の映画やテレビドラマで脇役で使われることが多い、ある俳優である。確か「間宮兄弟」とかいう映画で、弟の方の役をした俳優だ。名前は覚えていない。
その俳優が、「2nd street」という中古品店(正確には未使用不人気商品安売り店)の写真看板で笑顔で突っ立っているが、その笑顔が、まさに「誠意がまったく無さそうな印象の笑顔」でそういう笑顔ができる人間も珍しいな、と私はその店の前を通るたびに感じるのである。ああいう笑顔ができるのも才能だろう。普通なら、作り笑いをしても、その人間の地が出るものではないだろうか。
何の悪気も罪悪感も無しに、人を殺したりしそうな笑顔であった。
店で売っている商品が価値があるのか無いのか曖昧であるのとぴったりな笑顔かもしれない。
要するに、wishは「~だったらいいなあ」と神に祈る気持ちというか、まず実現可能性が無さそうな事例に使うということだろう。I wish if I were a bird.みたいな仮定法と言えば分かりやすいか。下のコメントの例文でも仮定法過去になっているようだ。
hopeは、自分の希望を述べるだけで、その実現性は特に問題の焦点ではない、というイメージではないか。
タイラー|日本大好き
@English__Tyler
"wish" と "hope" を間違えると、恐ろしいことになるから本当に気をつけて
"I wish you passed the exam." だと「君の合格を願ってるよ(まあ無理だろうけど)」って、とんでもない嫌味になっちゃう... "I hope you pass the exam." だとちゃんと応援してる表現。試験がある友達には hope 使ってこう!
諸君の中には私同様、ボディビルを馬鹿にし、特にそのポージングを馬鹿にしている人も多いだろう。あれほどナルシズムの塊のような見ものはないからだ。
だが、ボディビルそのものがナルシズム(厳密にはナルシシズム)であるのは言うまでもないが、自己愛というのは人間の、いや動物すべての基本的本能で、馬鹿にするようなものではない。問題は、文明人はそれを隠すのが「他人に嫌われない」ために必要なだけである。なぜなら「自分大好き人間」なら、最後の瞬間には他人より自分を選ぶに決まっているからである。そういう人間を愛することは難しい。まあ、オカマなどもナルシズムの権化だが、あれは「見世物」だから許容されているのである。
で、本題に戻るが、ボディビルのポージングは、その名称で損しており、あれは「ポーズする」こと自体に意味があるのではなく、「体各部の筋肉を最大限に収縮させた(見かけ上は「膨らませた」)状態を数秒間、最低でも6秒間続ける」ことに意味があるのである。それによって、該当部分の筋肉は、組織の一部が破壊される。そして、その修復の段階で、体は「現状の筋肉では不十分だった」として、筋肉を少し増強するのである。これは三石巌博士の「医学常識はウソだらけ」という本の中に書いてある。筋肉は、常に「最大出力より少し余裕をもっている」のだが、それの「余裕分」の持続時間が5秒間なので、それを1秒でも過ぎると筋肉組織が破壊される。それが6秒間の持続の意味で、その破壊の後の増強によって筋肉は太くなるわけだ。
それが「ポージング」の真の意味である。
それを知れば、若いうちから「6秒間収縮」の生活習慣をつけることで、身体に「ファッションとしての筋肉」をつけることができる。これは回数には関わらないから、腕立て伏せなど回数をこなすような運動で筋肉をつけるのは無駄が多い行為であるわけだ。実際、喧嘩などにしても、勝負は一瞬でつくことも多いのだから「回数に頼る」動きはさほど実用性はないと思う。もちろん、持久力が必要なスポーツも多いが、ここでは実用性の話ではなく「ファッションとしての筋肉」の話が中心だ。
Zコメントを見ると、女房に嫌われて厭世的になっている雰囲気らしいが、それはつまり女房を愛しているということだろう。しかし、愛し返されない人格の持ち主だろうと想像できる。まあ、女房がどういう理由で彼と結婚したのか分からないが、女に嫌われたくらいで人生を「生きていても楽しくない」と思うのは、根本的な錯覚がありそうな気がする。恋愛というのは相手への幻想だというのは昔から言われていることだ。まあ、失恋が苦しいというのは分かる。
この作家が才能のある人物かどうかは知らないが、才能のある人で、精神的に「暗いもの」へのめり込むタイプの作家、クリエイターは結構いそうである。
(以下引用)
大人気作品を書いたラノベ作家さん、ガチでやばすぎる発言を投稿「新刊書いても金にならないからやらない。完結?知るかよ」「生きてて楽しいこともうないな」
follow us in feedly2024年09月10日11:30|コメント( 286 )|炎上 |漫画・アニメ等 |
インフィニット・ストラトス IS 作者 13巻 新刊 完結 弓弦イズル ラノベ 作家 鬱 妻 金に関連した画像-01
■ツイッターより
なにしに生きてるんだろ。よくわかんないな
お金にならない原稿なんか書くなってことか。じゃあもう何書いても無駄だ。
新作もあきらめよう。どうせお金にならないよ。
生きてて楽しいことなんかもうないな。しぬ勇気もないから困ったものだ。
金金金金、うるさいなあ。
IS13巻って義務感と責任感でずっと頭にあるけど、
じゃあ話は簡単だ。金にならないからやらない。おわり。
完結?しるかよ。金を産まないといけないんだから、
こっちは忙しくてそれどころじゃない。
つまんないなあ、生きててつまんないよ。
IS外伝も金を産まないのでもう書かないです。
生きてても金にならないのでしょうがない。遺産で妻が好きに生きたらいいよ。
なんなら再婚して幸せな家庭を持ってほしい。俺と関わったばっかりに
時間の無駄しただろう。それは本当に申し訳なく思う。
<このツイートへの反応>
またなんかやったのか
↑むしろ業界から干されてる事が確定した感じ
末路って感じだ!
バカなこと言ってないで普通の仕事で働け
もっと早くもっと誠実に仕事してれば金になったんじゃないですかね?
イラストガチャのおかげで一度分不相応な成功体験しちゃったからもう普通に活動するの耐えられないのかな
キャラデのおかげで成功したのを自分の手柄と勘違いした人の末路か
やっぱり小説家は書かないとな
おもしろけりゃ金になるよ
ISの原作を買ったのは人生の中の失敗上位だ
なんだあの駄作は
せっかく書けば書くだけ大金が入る環境にいたのに
なんで自分からそれを手放しちゃったんだろうなぁ
ISで金にならんのなら何やったって無理だろ
一度栄誉を掴んだら何やっても一生チヤホヤされるとでも思っていたのだろうか
何も書かない物書きとかなんの価値も無いのに
完結しるかよってのは既刊出してるとこも相手してくれないってことか
↑もう最終巻出さなくていいよって言われたっぽいからなよっぽどな事したんだろうな
↑もう原稿イラネって言われたからね
復活の可能性なしの打ち切りってことよ
小説書かない豚はただの豚だ
本当に性格と頭の悪い人なんだなあ…って印象しかない
こんな付き合いにくそうな人とよく結婚できたなと思っちゃう
やっぱ金目当てとかなんかな
昔やらかした奴の末路が気軽に観察できるのはいい環境だな
お仕事募集中ってのがまた笑える
ここまで悪評ついて誰か依頼してくるとでも思ってるのか
ゲーム配信してるしまだ余裕ありそうだが
末路って言っても一生豪遊しても余るくらい稼いだんだし
↑調子乗るタイプだしこの状態だともう使い切ったんじゃね?
↑金の底が見えてるからこうなってるのだろう
↑余ってないからこんなイライラしてるんだと思う
一番の稼ぎ時に働く気ゼロだった奴がお仕事募集とか言ってるんだ
もう余裕ねえんだろ
誰かと思えばISの人か
自分の手柄じゃないヒットを自分の手で叩き壊した男
完結してないどころか打ち切りどころか
もうお前の本を出したくないですって出版社から言われた
死刑宣告みたいなもんよ
ヒット当てた時調子乗らずに真面目にやってれば
大金持ちでいられただろうに勿体無い
調べてみたらシリーズ累計200万部ちょいくらいの感じか
豪遊は多分無理だな…
デスノートの作者も言ってたぜ
何か仕事しないと5年後には飢えて死にますって
未だに自分の価値と立場を勘違いしてるみたいだしもう治らないだろうな
もっと謙虚な性格だったら今頃は一切執筆しなくても
劇場アニメやらパチンコ版権やらでめっちゃいい人生送れただろうな
ハーレムアニメでこれより成功した作品なんてここ20年でも探すほうが難しいのに
働かないのを誰かのせいにする人って最低だよ単純に
裏で遊んでるとかじゃなくて毎日ゲーム配信してるのに何様だこいつ
作家は調子に乗るタイプでもいいけど働かない方向に調子に乗られたら迷惑なだけだからなあ
好き勝手やった結果が今じゃん
インフィニット・ストラトスといえば、一時代を築いた超絶大人気作品だぞ・・・
それを書いた作者が今やこれって・・・一体何があったんだよ・・・
aadogenaki
人気がある時に、コツコツ真面目に執筆し続けれていれば
今でも人気作品を生み出す名作家になれたんじゃないか・・・?
97b4526c
なお、私が吹奏楽に興味が無い理由は、彼らがやる曲がすべてつまらないからである。前にも書いたが、吹奏楽的なクラシックの名曲は膨大にあるはずで、なぜ、ど素人に毛の生えたレベルの、才能の無い音楽家の新曲をやらされるのか。滝のようなアホ顧問のせいか。
たとえば、ブリテンの「青少年のための管弦楽組曲」など、出だしからドラマチックであり、あるいはホルストの「惑星」なども、吹奏楽に編曲できる名曲だろう。何なら、前にも書いたが、軍歌や行進曲にも吹奏楽的な名曲はたくさんある。「軍艦マーチ」など、世界3大マーチのひとつと言われている名曲である。パチンコ屋専用の曲ではない。右翼専用でもない。
(以下引用)
2024-09-04
■吹奏楽部員のほとんどが高校限りで楽器辞める本当の理由
朝日新聞が記事出してはてブでトレンドになってたが、記事もコメントも的外れなので、卒業後大学→一般吹奏楽団複数を渡り歩いた増田が「大半が高校卒業後に辞めちゃう本当の理由」を解説しておくよ。
1.まず、「続けられる環境」はある
ほとんどの大学には吹奏楽部やオーケストラがあるし、大学の数以上に一般吹奏楽団があちこちにある。首都圏(東京、神奈川県、千葉、埼玉)には300以上の一般吹奏楽団が活動している。
これらの一般吹奏楽団は初心者お断りが殆どだが、逆に言えば「元吹奏楽部で楽器保有」なら引く手数多なのだ。楽器保有は若干ハードルがあるように見えるが、高卒まで続けるような管楽器部員は殆どクリアしてる。(クリア出来ない部員は途中でいなくなる)
また一般吹奏楽団で吹奏楽コンクールに出るのは全体の3割くらいしかなく、7割はコンクールに出ずに年1の定期演奏会と数回の地元イベントに出る程度の団体が大半なので、「コンクールのスポ根みたいなのが嫌だ」という人でも受け入れられる土壌はある。中には「地元強豪校の1軍OBOGまたは音大芸大在学または卒業」という厳しい入団条件があるところもあるが、レアな部類だ。
だから「環境がない」は誤りなのだ。
2.高校で辞めちゃう真の理由
2つある。
①高校生活の中で成功体験が得られず続ける意欲が無くなった
技術面で上達出来ず、吹奏楽コンクールのメンバー(最大55名)に最後まで選ばれなかったとか、ずっと三軍メンバーで本番は野球応援と定期演奏会のアンコール曲しか吹かせてもらえなかったとか、トランペットだったけど3年間メロディは吹かせてもらえず、ずっとサポートパート(万年3rdというスラングがある)だった…などというような人。
一見酷い扱いに見えるが、野球部に入ったけどずっと球拾いで試合は客席から応援団として参加、というのと同じと思えばよい。
(余談だが、甲子園のアルプス席は「野球部の2軍以下」て「吹奏楽部の2軍以下」の集まりというケースが多い。それと「コンクールよりも甲子園優先はけしからん」という指摘は的外れ。何故なら彼女らはコンクールメンバー落選組だから。もちろん例外はある)
そういう部員は、高校卒業とともに部活のジャンルから離れる。吹奏楽でも野球でも。成功体験が得られずトラウマにしかならなかった環境を忘れるために。
②嫌な人間関係をゼロクリアする
先述の一般吹奏楽団は、実は「何処かの学校のOBOGバンドが母体orOBOGが多い」という特徴を有するところが大半だ。場合によっては指導者がその学校と掛け持ち指導のケースもある。
つまり、一般吹奏楽団に行くと、吹奏楽部時代に会った嫌な先輩、同期、指導者と再会どころか、一緒になってしまう可能性が高いのだ。
幸い「嫌な相手」がその楽団にいなくても、「嫌な相手」とつながりのある人が楽団に居る可能性が極めて高いし、コンクールや吹奏楽連盟主催の合同演奏会などでその「嫌な相手」とばったり再会してしまう可能性も高い。相手は別に嫌な思いはあまりないので気軽に「今度飲みに行こう」とか言ってくるし誘っても来るが、こちらとしては吐き気しかしない。
なら高校在学中に辞めれば良かったのでは?と思うかもしれないが、学校という集団生活の中で途中退部してしまうと「負け犬」として学校カーストの下に追いやられるので、相当な覚悟が要る。
しかし卒業してしまえば「もう楽器辞めました」となっても誰からも笑われないしカーストの下にも追いやられない。だから高校卒業と共にゼロクリアしてしまうのだ。
増田が言いたいのは「環境が無いから辞める、というのはただの建前」という1点だ。理由の建前と本音が根本的に違うという意味では転職活動と似ていると思う。