ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「播州武侯偏照院」というブログから転載。
乾物屋の美人の一人娘は、ジョーが好きだったんだよな。まあ、そりゃあ、見かけだけで言えばジョーはカッコいいハンサム、マンモス西はゴリラめいた風貌のブ男なのだから、若い娘としては当然だ。だが、彼女は結局、ジョーをあきらめ、西を選んだ。子供のころは、私は彼女のその選択に不満を持ったものだが(当然、主人公のジョーの方に肩入れしていたからだ)、今の私は彼女の選択はまったく正しいと思う。ロマン主義は常に悲劇であり、リアリズムこそが現実での成功をもたらす、ということだ。
(以下引用)
乾物屋の美人の一人娘は、ジョーが好きだったんだよな。まあ、そりゃあ、見かけだけで言えばジョーはカッコいいハンサム、マンモス西はゴリラめいた風貌のブ男なのだから、若い娘としては当然だ。だが、彼女は結局、ジョーをあきらめ、西を選んだ。子供のころは、私は彼女のその選択に不満を持ったものだが(当然、主人公のジョーの方に肩入れしていたからだ)、今の私は彼女の選択はまったく正しいと思う。ロマン主義は常に悲劇であり、リアリズムこそが現実での成功をもたらす、ということだ。
(以下引用)
ジョーは、ボクシングを応用できなかった。俺はマンモス西が良い。 混沌堂
カテゴリ:週刊?日本、民主主義国家への道。
チンパンのブログ より
上記文抜粋
・・・・・・・・・・・
「若い頃はミュージシャン志望のフリーターでしたが、才能が無かったので、諦めてサラリーマンになりました。
しかし、サラリーマンとしても、あまり出世できず、ここ数年はリストラの不安に悩む毎日です。
古久澤先生の著書『しあわせを引き寄せるカラダ』には、『自分の得意分野で勝負することが、成功のコツ』という意味のことが書いてあります(54~55P)。
でも、私みたいに何の取り柄も無い人間は、どうすればいいんでしょう?
マンモス西にさえ、なれなかったよ」
「マンモス西って、ボクシングマンガ『あしたのジョー』の脇役のリングネームだよね。
ジョーと同じジムに所属していたプロボクサーだったけど、才能と根性の限界を感じて、物語半ばで、引退しちゃうよね、確か」
「しかし、西はバイト先の乾物屋の店員としては優秀だった(ちなみに、ジョーはからっきし無能な店員だった)。
引退後、正規従業員となってからは、ますます商才を発揮し、店を大きくした」
「しまいには、乾物屋の美人の一人娘を嫁さんにもらい、若主人におさまるんだよね。
『あしたのジョー』だと、西はボクシングという『男の世界』から逃げ出した、半端者みたいに見られているけど、現実的に考えたら、立派な成功者じゃん」
「そのとおり。『ジョーみたいにカッコよく生きたい・なりたい』と憧れる人は多い。
しかし、実際にはジョーどころか、相談者さんが自嘲するように、マンモス西にさえなれない場合も少なからずある」
「若い頃の夢が破れ、諦めて転身した道でさえ、成功できなかったってことだね」
「『しあわせを引き寄せるカラダ』には、確かに相談者さんが指摘することが書かれている」
「『カメがウサギに勝つ方法』のところでしょ?」
「教訓としては、ウサギは力があったけど、油断していたからカメに負けた。
つまり素質で劣るものも、コツコツ努力すれば逆転できる という教え。
でも、大抵はウサギがカメに勝つのが現実。スポーツが残酷なほど分かりやすい。
100メート走などでは、ウサギ=俊足 が転んででもくれない限り、カメ=鈍足 は勝てない」
「それに足が速いのって、素質がすごくモノを言うもんね。速い人は、小さいときから運動会のスター。努力する以前にもう速い(笑)」
「素質に優れた者同士が、その才能に磨きをかけながら、シノギを削り合っているのが陸上競技の世界。
そういう意味では、アスリートは全部同じ。あるバレーボール選手が、『私は努力でここまで来ました』とインタビューに答えていた。
もちろん努力はしたんだろうけど、その選手はすごく背が高かった。背が高いのはバレーにおいて超有利。
つまり、彼はバレー選手としては、財産を持って生まれてきたようなもの」
「努力しても、身長は伸びないもんね(笑)。そういう意味では、人生は決して平等じゃないよ。
そうした現実を踏まえて、『しあわせを引き寄せるカラダ』では、『ウサギがカメに勝つ方法』を提唱しているよね。
それは海で競争することだ って。
陸の上のかけっこじゃ、ウサギが絶対有利だけど、海で泳げば、カメの独壇場だもんね」
「自分の土俵=得意分野・ふさわしい場所、自分だからできること、自分にしかできないこと を追及することが、成功への近道だと、『しあわせを引き寄せるカラダ』には書かれている」
「自分らしく生きることが、最高の強みであり、そうやって生きている時に、人は最高のしあわせを感じるんだもんね。
マンモス西は、この生き方を見事に実践しているよね。『自分はボクシングよりも、商売が向いている』って選択して、ちゃんと結果を出してるもん」
「マンモス西は、『あしたのジョー』の主要登場人物の中で、ほとんど唯一しあわせになれた男。
作者のちばてつやも、
『ぼくは、ジョーや力石みたいに、自分が決めた道を破滅するまでやり抜く人間も好きだけど、西みたいに、「俺、もうここまででいいや。別の道を歩くよ」ってヤツも好きなんですよね~(笑)』
と語っている」
「そうしたちば先生の懐の深さが、『あしたのジョー』を名作にしているんだろうね~。
ジョーや力石がファンタジーなら、マンモス西はリアルの部分を体現するキャラクター。
陰陽そろってるよね」
・・・・・中略・・
実は為末選手も、『成功・評価』というものについて、現役時代からかなり客観的な視点を持っていた。
メダルを目指して、毎日ハードなトレーニングを積む一方で、
『そもそも人より速く走ることに、何の意味があるんだろう?』
という想いを、常に持っていたとのこと」
「そんなことを考えるアスリートは、普通いないよね(笑)」
「もともとそういう氣質・性格だとしか言いようがない。
為末選手のお母さんは、趣味で登山をしている。
『母親が楽しみとしてその辺の山に登ることと、自分が多くの人の期待を背負って、コンマ何秒速く走ることの本質的な違いってなんだろう?』
とよく考えたが、答えは出なかったという。
お母さんも、『たかが陸上なんだから、いつやめてもいいんだよ』と、よく為末選手に言っていたそうだ」
「ずいぶんクールなお母さんだね」
「でも、母親がいつもそう言ってくれたおかげで、ずいぶん楽になれたと為末選手は語っている。
『速く走ることに何の意味があるんだろう?』という哲学的な想いを抱える一方で、現役選手としては、結果を出さないといけないという悩みもあった。
スランプで精神的に押しつぶされそうなときは、母親の『たかが陸上』という言葉によって、自分を客観視出来たという。
自分をつきはなして観る習慣があったから、選手として年齢的な限界を感じた時も、しがみつかずに引退を決意できたそうだ」
「ある分野でがんばっている人って、『この世界での自分の評価が、自分の値打ちの全てだ』って思い込み勝ちだもんね。
しがみついて、ますます精神的にきつくなっちゃうんだよね=固い」
「どっぷり一つの価値観にのめり込んで、他が観えなくなるのは、不幸への道。
ある分野で成功して、天狗になっちゃう人も同じ」
「その世界じゃ、みんなが持ち上げてくれるから、『自分は特別なんだ』って思いこんじゃうんだよね。
人格破産はそうした部分から始まっていくんだね」
「『OL進化論』というマンガに、面白いエピソードがある。
始業時間直前、ある会社のロビーに、すっぴんのOLが駆け込んできた。
それを見た会社の偉いさんが、
『なんだ、あのだらしないOLは。バタバタ走って見苦しい』
と聞えよがしにののしった。
するとそのOLは、
『遅刻しそうなんだから、走るのは当たり前でしょ!?
偉そうに言ってんじゃないわよ、バカ!』
と怒鳴りつけて、ロビーを駆け抜けて行った。
偉いさんは呆氣にとられて、目を白黒させて立ち尽くした。
『次期社長と目されている、出世頭を罵倒した彼女は何者だ?』
という戦慄が、会社のロビーを走り抜けた」
「彼女は何者だったの?」
「よその会社のOLだった(笑)。
その会社のロビーを突っ切ると、自分の会社への近道なので、利用していただけだった」
「なるほど~。
その会社の中ではどんなに偉くても、権力関係の圏外に居る人間から観たら、『ただの威張ったオッサン』だもんね(笑)。
ある意味成功とか、偉さっていうのは幻想=空だから、こだわりすぎちゃダメだよね。
相談者さんみたいに、成功できないと落ち込むのも、鼻高々で傲慢になっちゃうのも、どっちもよろしくないよね」
「為末選手流に言えば、『たかが成功・たかが人生』くらいの視点を持つのがいい。
そのうえで、成功できたら、もっといい」
「相談者さん、柔軟に考えてくださいね~。
アタシも、為末選手の本、読んでみるよ」
・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
抜粋終わり
ボクシングではたとえば、「敵の強いところにあたって砕ける」とは教えないと思う。
また「自分の弱いところで戦え」など教えない。
そういうところを、マンモス西は、素直に実践した。
ボクシングにある「普遍的なモノ」と用いて、リング以外の戦いに勝利したとも言い得る。
ジョーや力石は、リングの上の勝者だったが、リングを降りると、ただの敗残者に終わった。
元ヤクルトの名投手の高野氏が、自殺されたときに、「スポーツ」の限界を心底思い知った。
優しく・やわらかくないから。
再見!
上記文抜粋
・・・・・・・・・・・
「若い頃はミュージシャン志望のフリーターでしたが、才能が無かったので、諦めてサラリーマンになりました。
しかし、サラリーマンとしても、あまり出世できず、ここ数年はリストラの不安に悩む毎日です。
古久澤先生の著書『しあわせを引き寄せるカラダ』には、『自分の得意分野で勝負することが、成功のコツ』という意味のことが書いてあります(54~55P)。
でも、私みたいに何の取り柄も無い人間は、どうすればいいんでしょう?
マンモス西にさえ、なれなかったよ」
「マンモス西って、ボクシングマンガ『あしたのジョー』の脇役のリングネームだよね。
ジョーと同じジムに所属していたプロボクサーだったけど、才能と根性の限界を感じて、物語半ばで、引退しちゃうよね、確か」
「しかし、西はバイト先の乾物屋の店員としては優秀だった(ちなみに、ジョーはからっきし無能な店員だった)。
引退後、正規従業員となってからは、ますます商才を発揮し、店を大きくした」
「しまいには、乾物屋の美人の一人娘を嫁さんにもらい、若主人におさまるんだよね。
『あしたのジョー』だと、西はボクシングという『男の世界』から逃げ出した、半端者みたいに見られているけど、現実的に考えたら、立派な成功者じゃん」
「そのとおり。『ジョーみたいにカッコよく生きたい・なりたい』と憧れる人は多い。
しかし、実際にはジョーどころか、相談者さんが自嘲するように、マンモス西にさえなれない場合も少なからずある」
「若い頃の夢が破れ、諦めて転身した道でさえ、成功できなかったってことだね」
「『しあわせを引き寄せるカラダ』には、確かに相談者さんが指摘することが書かれている」
「『カメがウサギに勝つ方法』のところでしょ?」
「教訓としては、ウサギは力があったけど、油断していたからカメに負けた。
つまり素質で劣るものも、コツコツ努力すれば逆転できる という教え。
でも、大抵はウサギがカメに勝つのが現実。スポーツが残酷なほど分かりやすい。
100メート走などでは、ウサギ=俊足 が転んででもくれない限り、カメ=鈍足 は勝てない」
「それに足が速いのって、素質がすごくモノを言うもんね。速い人は、小さいときから運動会のスター。努力する以前にもう速い(笑)」
「素質に優れた者同士が、その才能に磨きをかけながら、シノギを削り合っているのが陸上競技の世界。
そういう意味では、アスリートは全部同じ。あるバレーボール選手が、『私は努力でここまで来ました』とインタビューに答えていた。
もちろん努力はしたんだろうけど、その選手はすごく背が高かった。背が高いのはバレーにおいて超有利。
つまり、彼はバレー選手としては、財産を持って生まれてきたようなもの」
「努力しても、身長は伸びないもんね(笑)。そういう意味では、人生は決して平等じゃないよ。
そうした現実を踏まえて、『しあわせを引き寄せるカラダ』では、『ウサギがカメに勝つ方法』を提唱しているよね。
それは海で競争することだ って。
陸の上のかけっこじゃ、ウサギが絶対有利だけど、海で泳げば、カメの独壇場だもんね」
「自分の土俵=得意分野・ふさわしい場所、自分だからできること、自分にしかできないこと を追及することが、成功への近道だと、『しあわせを引き寄せるカラダ』には書かれている」
「自分らしく生きることが、最高の強みであり、そうやって生きている時に、人は最高のしあわせを感じるんだもんね。
マンモス西は、この生き方を見事に実践しているよね。『自分はボクシングよりも、商売が向いている』って選択して、ちゃんと結果を出してるもん」
「マンモス西は、『あしたのジョー』の主要登場人物の中で、ほとんど唯一しあわせになれた男。
作者のちばてつやも、
『ぼくは、ジョーや力石みたいに、自分が決めた道を破滅するまでやり抜く人間も好きだけど、西みたいに、「俺、もうここまででいいや。別の道を歩くよ」ってヤツも好きなんですよね~(笑)』
と語っている」
「そうしたちば先生の懐の深さが、『あしたのジョー』を名作にしているんだろうね~。
ジョーや力石がファンタジーなら、マンモス西はリアルの部分を体現するキャラクター。
陰陽そろってるよね」
・・・・・中略・・
実は為末選手も、『成功・評価』というものについて、現役時代からかなり客観的な視点を持っていた。
メダルを目指して、毎日ハードなトレーニングを積む一方で、
『そもそも人より速く走ることに、何の意味があるんだろう?』
という想いを、常に持っていたとのこと」
「そんなことを考えるアスリートは、普通いないよね(笑)」
「もともとそういう氣質・性格だとしか言いようがない。
為末選手のお母さんは、趣味で登山をしている。
『母親が楽しみとしてその辺の山に登ることと、自分が多くの人の期待を背負って、コンマ何秒速く走ることの本質的な違いってなんだろう?』
とよく考えたが、答えは出なかったという。
お母さんも、『たかが陸上なんだから、いつやめてもいいんだよ』と、よく為末選手に言っていたそうだ」
「ずいぶんクールなお母さんだね」
「でも、母親がいつもそう言ってくれたおかげで、ずいぶん楽になれたと為末選手は語っている。
『速く走ることに何の意味があるんだろう?』という哲学的な想いを抱える一方で、現役選手としては、結果を出さないといけないという悩みもあった。
スランプで精神的に押しつぶされそうなときは、母親の『たかが陸上』という言葉によって、自分を客観視出来たという。
自分をつきはなして観る習慣があったから、選手として年齢的な限界を感じた時も、しがみつかずに引退を決意できたそうだ」
「ある分野でがんばっている人って、『この世界での自分の評価が、自分の値打ちの全てだ』って思い込み勝ちだもんね。
しがみついて、ますます精神的にきつくなっちゃうんだよね=固い」
「どっぷり一つの価値観にのめり込んで、他が観えなくなるのは、不幸への道。
ある分野で成功して、天狗になっちゃう人も同じ」
「その世界じゃ、みんなが持ち上げてくれるから、『自分は特別なんだ』って思いこんじゃうんだよね。
人格破産はそうした部分から始まっていくんだね」
「『OL進化論』というマンガに、面白いエピソードがある。
始業時間直前、ある会社のロビーに、すっぴんのOLが駆け込んできた。
それを見た会社の偉いさんが、
『なんだ、あのだらしないOLは。バタバタ走って見苦しい』
と聞えよがしにののしった。
するとそのOLは、
『遅刻しそうなんだから、走るのは当たり前でしょ!?
偉そうに言ってんじゃないわよ、バカ!』
と怒鳴りつけて、ロビーを駆け抜けて行った。
偉いさんは呆氣にとられて、目を白黒させて立ち尽くした。
『次期社長と目されている、出世頭を罵倒した彼女は何者だ?』
という戦慄が、会社のロビーを走り抜けた」
「彼女は何者だったの?」
「よその会社のOLだった(笑)。
その会社のロビーを突っ切ると、自分の会社への近道なので、利用していただけだった」
「なるほど~。
その会社の中ではどんなに偉くても、権力関係の圏外に居る人間から観たら、『ただの威張ったオッサン』だもんね(笑)。
ある意味成功とか、偉さっていうのは幻想=空だから、こだわりすぎちゃダメだよね。
相談者さんみたいに、成功できないと落ち込むのも、鼻高々で傲慢になっちゃうのも、どっちもよろしくないよね」
「為末選手流に言えば、『たかが成功・たかが人生』くらいの視点を持つのがいい。
そのうえで、成功できたら、もっといい」
「相談者さん、柔軟に考えてくださいね~。
アタシも、為末選手の本、読んでみるよ」
・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
抜粋終わり
ボクシングではたとえば、「敵の強いところにあたって砕ける」とは教えないと思う。
また「自分の弱いところで戦え」など教えない。
そういうところを、マンモス西は、素直に実践した。
ボクシングにある「普遍的なモノ」と用いて、リング以外の戦いに勝利したとも言い得る。
ジョーや力石は、リングの上の勝者だったが、リングを降りると、ただの敗残者に終わった。
元ヤクルトの名投手の高野氏が、自殺されたときに、「スポーツ」の限界を心底思い知った。
優しく・やわらかくないから。
再見!
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アニメの方は見ていないが、原作の漫画は傑作です。男はほとんど出ないが、百合でもない。「恋愛妄想コメディ」であり、ギャグセンスが素晴らしい。宮原るりは、もっと売れていい漫画家だ。
↓のコラージュは、しかし凄い。
(以下引用)
↓のコラージュは、しかし凄い。
(以下引用)
246:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/10(水) 13:02:16.76 ID:adGgFggx0
260:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/10(水) 13:06:05.90 ID:V2a+Xz8A0
>>246
こういう渋い漫画コラはどうして出来がいいのか
こういう渋い漫画コラはどうして出来がいいのか
266:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/10(水) 13:09:04.11 ID:8kRnIulX0
>>246
最後燃やすしてるオッサンが百合厨だよな?
最後燃やすしてるオッサンが百合厨だよな?
315:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/10(水) 13:26:10.99 ID:ze+JyJlR0
193:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/10(水) 12:40:28.32 ID:9YisPXhA0
まだ一話だけの段階なのに
ここまで騒ぎになるってのも凄い
ここまで騒ぎになるってのも凄い
すでに他のブログやサイトに出ているのをなぜわざわざ転載するのか疑問に思われるかもしれないが、名言や金言は収集しとくものである。それは人生の精神的財産になる。
とは言っても、下の名言はあまり人生の役には立たないが、面白いだけでも価値はある。それに対する2ちゃんねる住民の反応も面白い(素直に面白がる者半分、つまらない、滑っていると見下す者半分)が、概して、他人を否定すれば自分が偉いように思えるというだけで他人を否定する馬鹿が2ちゃんねるには多い気がする。
(以下「ネットゲリラ」から転載)
オタクの歴史は長い
野次馬 (2012年12月31日 00:27) | コメント(0)
おいら、最近のコミケットはまったく行ってないので知らないんだが、おいらが初めて覗いた30年前にも既に、コスプレしている連中がいました。萩尾望都とか竹宮恵子の出てきた頃で、今で言うところのロリータ。エプロンドレスでウロウロしている娘っ子らがいた。つうか、米沢未亡人の「ベルさん」もソレで、アレはティンカーベルだか何だかだったらしい。もっとも周囲からは「ジングルベルだ」(オメデタイという意)と揶揄されていたんだが。オタクの歴史は長いです。そんな集団に、おいらがエロ劇画をひっさげて乗り込んだ時に言われた言葉。「少女漫画を読む前には、手を洗おう。劇画を読んだら、手を洗おう」
コミケのスタッフ名言集最新バージョン 「フジテレビに映されたくなかったら前に進んで!」
1 バーミーズ(愛知県) 2012/12/30(日) 17:21:33.65 ID:HA2cuE300
ガジェット通信が過去に取り上げ話題となった『コミックマーケット(以下、コミケ)』のスタッフ参加者の名言集。
その最新版とも言える2012年冬コミ83の名言集が早速まとめられている。
・右側に寄ってくださーい 皆さんの政治思想と同じでーす 右側に寄ってくださーい
・フジテレビに映されたくなかったら、前に進んでください!
・雨なんか降ってないから傘閉じてーー!!
・傘をさしてる人は隣の人も入れてあげて下さい。フラグが立つかもしれませんよー。そういう薄い本下さい。
・男性の皆さん!トイレ内では戦利品を用いての『抜刀!』は絶対にしないでください!
あなたが抜いていいものは、本物の刀でもあなたの刀でもありません!
・ゴミ落ちてませんかー、冷たくなった人落ちてませんかー
・カタログまだ買ってない方!今ならマックより早い20秒でお買い求めいただけます!!
・カタログ約2kgで二千円とお安くなっておりまーす
・今日はスロープで転ぶとシャレになりませーん!
・あと列とか関係ないけど僕は六花ちゃんが好きです!
・走らないで下さい、走らないで下さい、普段はそんな早く走れないでしょう
・ただいまトイレの待ち時間は男女ともに0分です。トイレは冬コミの生命線ですよ
以上のようにコミケスタッフの名言も最新の物に入れ替わっているようだ。またこの名言がやぐら橋に吊されているという報告も。
(>>2以降に続く)
2 バーミーズ(愛知県) 2012/12/30(日) 17:22:14.40 ID:HA2cuE300 >>1の続き
また過去の名言集は次のようになっている。
<2010年バージョン>
・館内では、お・か・ゆを守ってください!おさない!かけない!夢をあきらめない!
・恥ずかしいもの入れる前に手荷物検査しまーす!ご協力お願いしまーす!
・辛い事があっても立ち止まらないでください!
・倒れないようにお願いします!こんなとこで倒れても、二次元には到達できません!
<2011年バージョン>
・危ないので狩りをしながら歩かないで下さい
・コスプレをしたまま会場の外には出られません!嫁が画面から出て来られないのと同じです!
・前の人の耳に息がかかるくらい詰めてください
とは言っても、下の名言はあまり人生の役には立たないが、面白いだけでも価値はある。それに対する2ちゃんねる住民の反応も面白い(素直に面白がる者半分、つまらない、滑っていると見下す者半分)が、概して、他人を否定すれば自分が偉いように思えるというだけで他人を否定する馬鹿が2ちゃんねるには多い気がする。
(以下「ネットゲリラ」から転載)
オタクの歴史は長い
野次馬 (2012年12月31日 00:27) | コメント(0)
おいら、最近のコミケットはまったく行ってないので知らないんだが、おいらが初めて覗いた30年前にも既に、コスプレしている連中がいました。萩尾望都とか竹宮恵子の出てきた頃で、今で言うところのロリータ。エプロンドレスでウロウロしている娘っ子らがいた。つうか、米沢未亡人の「ベルさん」もソレで、アレはティンカーベルだか何だかだったらしい。もっとも周囲からは「ジングルベルだ」(オメデタイという意)と揶揄されていたんだが。オタクの歴史は長いです。そんな集団に、おいらがエロ劇画をひっさげて乗り込んだ時に言われた言葉。「少女漫画を読む前には、手を洗おう。劇画を読んだら、手を洗おう」
コミケのスタッフ名言集最新バージョン 「フジテレビに映されたくなかったら前に進んで!」
1 バーミーズ(愛知県) 2012/12/30(日) 17:21:33.65 ID:HA2cuE300
ガジェット通信が過去に取り上げ話題となった『コミックマーケット(以下、コミケ)』のスタッフ参加者の名言集。
その最新版とも言える2012年冬コミ83の名言集が早速まとめられている。
・右側に寄ってくださーい 皆さんの政治思想と同じでーす 右側に寄ってくださーい
・フジテレビに映されたくなかったら、前に進んでください!
・雨なんか降ってないから傘閉じてーー!!
・傘をさしてる人は隣の人も入れてあげて下さい。フラグが立つかもしれませんよー。そういう薄い本下さい。
・男性の皆さん!トイレ内では戦利品を用いての『抜刀!』は絶対にしないでください!
あなたが抜いていいものは、本物の刀でもあなたの刀でもありません!
・ゴミ落ちてませんかー、冷たくなった人落ちてませんかー
・カタログまだ買ってない方!今ならマックより早い20秒でお買い求めいただけます!!
・カタログ約2kgで二千円とお安くなっておりまーす
・今日はスロープで転ぶとシャレになりませーん!
・あと列とか関係ないけど僕は六花ちゃんが好きです!
・走らないで下さい、走らないで下さい、普段はそんな早く走れないでしょう
・ただいまトイレの待ち時間は男女ともに0分です。トイレは冬コミの生命線ですよ
以上のようにコミケスタッフの名言も最新の物に入れ替わっているようだ。またこの名言がやぐら橋に吊されているという報告も。
(>>2以降に続く)
2 バーミーズ(愛知県) 2012/12/30(日) 17:22:14.40 ID:HA2cuE300 >>1の続き
また過去の名言集は次のようになっている。
<2010年バージョン>
・館内では、お・か・ゆを守ってください!おさない!かけない!夢をあきらめない!
・恥ずかしいもの入れる前に手荷物検査しまーす!ご協力お願いしまーす!
・辛い事があっても立ち止まらないでください!
・倒れないようにお願いします!こんなとこで倒れても、二次元には到達できません!
<2011年バージョン>
・危ないので狩りをしながら歩かないで下さい
・コスプレをしたまま会場の外には出られません!嫁が画面から出て来られないのと同じです!
・前の人の耳に息がかかるくらい詰めてください
「竹熊健太郎ツィッター」から転載。
天才は「努力」はしない、というところが面白い。
ただし、藤原カムイについて言えば、話を作る才能はゼロに近いのではないか、と思う。最初に登場したころの印象での話だが、まったく面白くない漫画であった。彼は「絵師」として生きるべき漫画家だったと思う。
(以下引用)
竹熊健太郎(京都)@kentaro666
右手で鉛筆、の間違いでした。RT @kentaro666 3. カムイと俺は20歳の時に某編集部でバイトしていましたが、彼は起きている時間のほぼ全てを使って絵を描いていたのではないでしょうか。電話中も左手で鉛筆を持って何かを描いているのです。
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11月24日竹熊健太郎(京都)@kentaro666
6. 天才とは意識的な努力や練習とは最初から別次元にいるから天才なのです。これは努力や練習をしないのではなく、「無意識に」努力や練習をしているから天才なのだと思います。そう考えると、同人王13話は示唆に富んだエピソードだと思います。http://bit.ly/TmkUWW
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11月24日竹熊健太郎(京都)@kentaro666
5. カムイは全てこの調子で、毎日寝ている時以外は何かしら描いていたのですが、私にはあれが「練習」のようにはとても思えません。意識してやるのが練習というもので、無意識にやるそれは習性というか性癖というか、または「病気」の可能性もあります。努力とか、そういうものではないのです。
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11月24日竹熊健太郎(京都)@kentaro666
4. ある時、電話で雑談しながらメモ用紙に一筆書きで完璧な明朝体・袋文字で「愛」という漢字を描いた時は人間ワザとは思えませんでした。書けますか? 下描きもなく、定規も使わない一発勝負の一筆書きですよ。それをカムイは無意識に手を遊ばせながら描いていたのです。
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11月24日竹熊健太郎(京都)@kentaro666
3. カムイと俺は20歳の時に某編集部でバイトしていましたが、彼は起きている時間のほぼ全てを使って絵を描いていたのではないでしょうか。電話中も左手で鉛筆を持って何かを描いているのです。
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11月24日竹熊健太郎(京都)@kentaro666
2. 私が過去に会った上手い奴は、毎日大量の絵を描いていましたが、描かずにはいられない病気というか、気がつくと無意識に絵を描いているような奴ばかりでした。私が最初に出会ったうまい奴はデビュー前の藤原カムイでしたが、この世にこれ程絵の上手い奴がいるのか、と思うくらい上手かったです。
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11月24日竹熊健太郎(京都)@kentaro666
1. 『同人王』13話「画力と練習に因果関係はない」というウサミの台詞が、12話のタケオの「上手いやつらは信じられないほど描いてるんだね」という台詞と矛盾するのではないか、という意見があります。私は矛盾しないと思います。なぜなら、
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天才は「努力」はしない、というところが面白い。
ただし、藤原カムイについて言えば、話を作る才能はゼロに近いのではないか、と思う。最初に登場したころの印象での話だが、まったく面白くない漫画であった。彼は「絵師」として生きるべき漫画家だったと思う。
(以下引用)
竹熊健太郎(京都)@kentaro666
右手で鉛筆、の間違いでした。RT @kentaro666 3. カムイと俺は20歳の時に某編集部でバイトしていましたが、彼は起きている時間のほぼ全てを使って絵を描いていたのではないでしょうか。電話中も左手で鉛筆を持って何かを描いているのです。
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11月24日竹熊健太郎(京都)@kentaro666
6. 天才とは意識的な努力や練習とは最初から別次元にいるから天才なのです。これは努力や練習をしないのではなく、「無意識に」努力や練習をしているから天才なのだと思います。そう考えると、同人王13話は示唆に富んだエピソードだと思います。http://bit.ly/TmkUWW
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11月24日竹熊健太郎(京都)@kentaro666
5. カムイは全てこの調子で、毎日寝ている時以外は何かしら描いていたのですが、私にはあれが「練習」のようにはとても思えません。意識してやるのが練習というもので、無意識にやるそれは習性というか性癖というか、または「病気」の可能性もあります。努力とか、そういうものではないのです。
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11月24日竹熊健太郎(京都)@kentaro666
4. ある時、電話で雑談しながらメモ用紙に一筆書きで完璧な明朝体・袋文字で「愛」という漢字を描いた時は人間ワザとは思えませんでした。書けますか? 下描きもなく、定規も使わない一発勝負の一筆書きですよ。それをカムイは無意識に手を遊ばせながら描いていたのです。
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11月24日竹熊健太郎(京都)@kentaro666
3. カムイと俺は20歳の時に某編集部でバイトしていましたが、彼は起きている時間のほぼ全てを使って絵を描いていたのではないでしょうか。電話中も左手で鉛筆を持って何かを描いているのです。
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11月24日竹熊健太郎(京都)@kentaro666
2. 私が過去に会った上手い奴は、毎日大量の絵を描いていましたが、描かずにはいられない病気というか、気がつくと無意識に絵を描いているような奴ばかりでした。私が最初に出会ったうまい奴はデビュー前の藤原カムイでしたが、この世にこれ程絵の上手い奴がいるのか、と思うくらい上手かったです。
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11月24日竹熊健太郎(京都)@kentaro666
1. 『同人王』13話「画力と練習に因果関係はない」というウサミの台詞が、12話のタケオの「上手いやつらは信じられないほど描いてるんだね」という台詞と矛盾するのではないか、という意見があります。私は矛盾しないと思います。なぜなら、
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私はよく仕事の能力と出世の能力はまったく別だ、と言っているのだが、物作りの才能と、作ったものを金に換える才能もまた別で、あまりに内気な人間は、その才能を金に換えるための交渉そのものができない。それが、漫画界、小説界で、原稿依頼の際に値段の話がまったく行われない、という悪習慣の原因にもなっている。
(以下引用)
竹熊健太郎(京都)@kentaro666
私が今の新人漫画賞の賞金が高額している事に批判的なのは、経験上「本物の才能」は金に釣られない事を知っているからだ。彼・彼女らの望みは自分の才能に対する「納得のいく評価」なのであって、金ではない。賞金を釣り上げても、それで集まるのは「お金が欲しい人」だけだ。
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11月7日竹熊健太郎(京都)@kentaro666
編集者の口から「いい新人がいない」という言葉を聞くが、才能が来るのを「待っている」から気がつかないのだ。彼らは「才能が漫画から逃げている」事に気がついてない。 #電脳マヴォ 作家の8割はアマチュアだが、多くは投稿もしないし同人誌すら作ってない。誰も知らない場所に才能は眠っている。
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11月7日竹熊健太郎(京都)@kentaro666
私が美術大学という場所で多くの学生を見て痛感した事は「才能は存在する」という事であり、「才能の9割は水子になって消えて行く」という恐ろしい事実である。
(以下引用)
竹熊健太郎(京都)@kentaro666
私が今の新人漫画賞の賞金が高額している事に批判的なのは、経験上「本物の才能」は金に釣られない事を知っているからだ。彼・彼女らの望みは自分の才能に対する「納得のいく評価」なのであって、金ではない。賞金を釣り上げても、それで集まるのは「お金が欲しい人」だけだ。
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11月7日竹熊健太郎(京都)@kentaro666
編集者の口から「いい新人がいない」という言葉を聞くが、才能が来るのを「待っている」から気がつかないのだ。彼らは「才能が漫画から逃げている」事に気がついてない。 #電脳マヴォ 作家の8割はアマチュアだが、多くは投稿もしないし同人誌すら作ってない。誰も知らない場所に才能は眠っている。
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11月7日竹熊健太郎(京都)@kentaro666
私が美術大学という場所で多くの学生を見て痛感した事は「才能は存在する」という事であり、「才能の9割は水子になって消えて行く」という恐ろしい事実である。
「電脳マヴォ」の「同人王」の最新版に肉便器先生の漫画講座があるのだが、その言葉に感心した。
1、絵を描く能力は才能ではなく努力の結果である。
2、絵を描く能力を身につけるには模写をすることである。
ここまでは良く言われることだが、その理由説明までやっているのは初めて見た。
なぜ、模写をすれば絵が描けるようになるのか、というと
3、3000枚も模写をすればイメージ力という「自力」が身に付く。
4、それによってどんな複雑なポーズでも書けるようになる。
というわけである。
これを当たり前だ、とか平凡だ、とか言う人間は、「絵の技能とは、実はイメージ力だ」、という決定的な部分が分かっていない。
肉便器先生の教えは、まさにその「なぜ人は絵をかけるのか」、という本質を説明した、おそらくほとんど最初の言葉なのである。
この言葉はある程度までは多分あらゆる技術にも通用するし、なぜ修練が有効なのか、という事を説明している。たいていの人は、何かを修練すればそれだけで技術が身に付くと思っているが、それは「他人の持つ技術が自分に転移される」という部分への意識が無い。そういう修練では、あまり有効なものにはならないだろう。
自分が今やっている修練は、自分に欠如している「この部分」を学んで「自力」にするためのものだ、という意識が高い人ほど、その修練も早く、高度に身に付くのではないだろうか。
特に、漫画や絵画では、「イメージ力」が「自力」なのである、という指摘は素晴らしい。自分の中に具体的なイメージが無いのに、それを絵画化できるはずはない。そのイメージ力を修練で身につけるメカニズムと、その方法を明快に説明した肉便器先生は最高に素晴らしい。名前はひどいけど。
1、絵を描く能力は才能ではなく努力の結果である。
2、絵を描く能力を身につけるには模写をすることである。
ここまでは良く言われることだが、その理由説明までやっているのは初めて見た。
なぜ、模写をすれば絵が描けるようになるのか、というと
3、3000枚も模写をすればイメージ力という「自力」が身に付く。
4、それによってどんな複雑なポーズでも書けるようになる。
というわけである。
これを当たり前だ、とか平凡だ、とか言う人間は、「絵の技能とは、実はイメージ力だ」、という決定的な部分が分かっていない。
肉便器先生の教えは、まさにその「なぜ人は絵をかけるのか」、という本質を説明した、おそらくほとんど最初の言葉なのである。
この言葉はある程度までは多分あらゆる技術にも通用するし、なぜ修練が有効なのか、という事を説明している。たいていの人は、何かを修練すればそれだけで技術が身に付くと思っているが、それは「他人の持つ技術が自分に転移される」という部分への意識が無い。そういう修練では、あまり有効なものにはならないだろう。
自分が今やっている修練は、自分に欠如している「この部分」を学んで「自力」にするためのものだ、という意識が高い人ほど、その修練も早く、高度に身に付くのではないだろうか。
特に、漫画や絵画では、「イメージ力」が「自力」なのである、という指摘は素晴らしい。自分の中に具体的なイメージが無いのに、それを絵画化できるはずはない。そのイメージ力を修練で身につけるメカニズムと、その方法を明快に説明した肉便器先生は最高に素晴らしい。名前はひどいけど。
佐藤秀峰という漫画家は「ブラックジャックによろしく」しか読んだことがないので、「海猿」はもちろん見ていない。漫画だけでなく、映画もである。しかし、下記文章に書かれた漫画家と編集者の確執は、すごい。漫画雑誌編集者の横暴ぶりというのはいろいろなところで聞くが、編集者という連中にはクリエイターへの尊敬心よりも嫉妬心と、それの反動としての「上から目線」というのがあるようだ。つまり、「俺、買い手、お前売り手、だから俺が偉い」という意識だ。べつに編集者が金を出すわけではないが、「金を出す側」の一員であるというだけで、相手より偉いような気分になるわけだ。
(以下佐藤秀峰のブログ、あるいはウェブ日記より引用)
さて、今回の映画のエピソードの原作該当部分は、原作の最後のエピソードでもある飛行機事故を扱ったものとなっています。
当時、作品を連載していたヤングサンデーは編集長が交替し、元少年サンデーの編集長がその座に納まると、雑誌の編集方針が少年誌的な健全路線に切り替わり、それまで雑誌を支えてきた人気作や青年誌らしいダークな雰囲気の作品が次々と打ち切りになり、代わりに良くも悪くも毒のない作品ばかりが連載開始になるという時期でした。
僕はヤングサンデーの前衛的で尖った部分が好きだったので、編集部への不信が少しずつ募っていました。
度胸星を打ち切りにするとか「アホか!」と。
その後は結果を見るまでもなく、次々と優秀な作家を他社に引き抜かれ、ヤングサンデーは空洞化し休刊となってしまいました。
ヤングサンデーの人気作だけを引き継ぎ、良い所取りをしたはずのスピリッツも順調に発行部数を下げ、小学館随一の赤字雑誌のようです。
…って、蛇足でしたね。
「海猿」連載時の作品制作環境について言うと、そんな編集方針を反映してか、雑誌掲載時に台詞は勝手に替えられるし、人が死ぬシーンは描いてはいけないだとか、いろいろありました。
物語は展開上、夜間、飛行機が海上に着水することになっていたのですが、ある時、打ち合わせの席で担当編集者に「暗い海上に飛行機を誘導するために、近くの漁港から漁船が集結して海上を光で照らし出すシーンを描け」と言われました。
僕は「リアリティ的に考えて、何千、何万トンという鉄のかたまりが空から落ちてくる真下で漁船が待機するという状況は、二次災害を引き起こす可能性があるのであり得ないし、海上保安庁が避難命令を出している海域に漁船が立ち入ること自体、迷惑でしかない」ということを蕩々と説明したのですが、「いや、その危険を返り見ず、”それでも!!”と漁師たちが集結するシーンが読者の感動を呼ぶのだ」とゴリ押しされまして、「いや、今の説明を聞いたら分かるでしょ…?現実的に無理なんですってば。着水地点なんてちょっとの操作で何十メートルかずれてしまうんですから…」と言い返しました。
そうすると今度は「これは漫画だ!リアリティなど関係ない!それ以外描かせない!!」と居直られてしまい、「それって自分の意見じゃないですよね?これだけ論理的に説明してあり得ないということが分かったのに折れないって、編集長のアイデアでしょ?上から命令されて言わされてませんか?」と聞き返しても、「自分の考えだ」と曲げず、「じゃあ、今の話聞いたらわかるでしょ?自分の頭で考えて無理ですよね?」「それでも~~!!」「だから…」「それでもぉぉぉ〜〜〜!!!!」と無意味な押し問答を何時間もしたことがあります。
結局、僕はそのようなアイデアは採用せず、海上に漁船は集結させませんでしたが、出来上がった原稿を見て、当の編集者が「すごい迫力ですね~、ここに漁船を並べるのは無理ですね~…」とつぶやいたので、呆気にとられて「いや、だから最初から言ってたじゃないですか…」と言った所、「あれは編集長のアイデアなんで」とあっさりとネタばらし(?)責任転嫁(?)をするではありませんか。
「じゃあ、編集長と最初から話させてくださいよ、あなたと話しても無駄じゃないですか」とさすがに言ったのですが、「自分がネームにOKを出さなければ、佐藤さんの原稿は雑誌に載らないんですよ。それじゃ困るでしょ?」と「何それ脅迫?」みたいなことがありまして、しかも、「あの打ち合わせでの議論があったからこそ、この迫力のあるシーンが生まれたのだ」と自分のおかげ的なことまで言い出します。
僕は「だから全部無駄なんですよ…。無駄な議論に付き合わされてるだけなんですってば…」と怒鳴りたいのを我慢して無理に押し殺した声で言い返しましたよ。
無理に押し殺すから呼吸も変になって、プルプルしちゃったなぁ…。
すると「佐藤さん、あなたは作品のことを考えてるんですか?作品に向き合えないならあなたと話しても無駄ですね」と返してきます。
「それはこっちが言いたい台詞だよ!」と拳を握りしめながら、「そっちこそ編集長にかわいがられたいだけで、作品のために仕事してないじゃないでですか…」とさらにプルプルして吐き捨てるのですが、相手は言い返す言葉がなくなると、今度はなんと睨みつけてきます。
「睨まないでくださいよ…」と言うと、急にガラが悪くなって「お前何歳だよ?年上に人間に向かってなんだ、その態度」とべらんめえ調で話にならないので、「もう帰ります」とファミレスの席を立つと、「帰りたいなら帰れよ。その代わり二度とウチの雑誌に載せないからな」とかなんとか。
小学生かよ、と。
かと思えば、物語中で飛行機が海上着水して機体が真っ二つに裂けている画を描いているのに、「乗客を一人も死なせず、全員を救出する展開を描いてください」と言ってきたりもしました。
当然、無理ですし、全員生還する話を描くのであれば機体は絶対に真っ二つにしてはいけません。
冒頭の映画のポスターを見ても分かるように、あの状態で一人も犠牲になっていないという状況は荒唐無稽にも程があるってものです。
「無理です」「それでも!!」「いや、無理ですってば…」「それでもぉぉぉ〜〜〜!!!」とまたコントのようなやり取りに突入です。
それが何度も何度も続くので、編集方針もなんだかおかしいし「やってられっか!」ということで連載終了を申し出たのですが、「海猿」は健全路線に軌道修正して引き延ばすのが編集部の方針であったらしく、申し出は当然のごとく無視されまして、仕方がないのでストライキを決行した所、その編集者が仕事場のマンションの前で見張っているようになり、一日に何十回も電話をかけてきたり、「一生どこでも漫画を描けないようになりますよ」と留守電にメッセージを残されたり、家から外に出ることもできないような状況が何日も続き、まぁ、それはその編集者の暴走であったりもしたのですが、すっかり漫画を描くことに嫌気がさしてしまいました。
という訳で、「漫画家なんてクソだ!こんなのクリエイティブでも何でもねぇ!出版社の奴隷だ!豚のほうがよっぽど純粋だぜ!ゴキブリのほうが人生に真実な気がするぜ!もう漫画家なんてやめてやる!だけどその前に雑誌に載せられないようなどす黒い物を叩き付けてやる!載せれるもんなら載せてみやがれ!!漫画家をなめんなよ!!殺せよ!!オラァ!!」と破壊衝動を叩き付けたのが、今回の映画のエピソード部分です。
えーと…、「という感じで描いてたので、映画にもそれを反映させてください」と僕が映画のプロデューサーさんにお願いしても困りますよね。
僕は映画の成功を眺めながら、こっそり周囲に自慢するくらいが身の丈にあっている気がします。
(以下佐藤秀峰のブログ、あるいはウェブ日記より引用)
さて、今回の映画のエピソードの原作該当部分は、原作の最後のエピソードでもある飛行機事故を扱ったものとなっています。
当時、作品を連載していたヤングサンデーは編集長が交替し、元少年サンデーの編集長がその座に納まると、雑誌の編集方針が少年誌的な健全路線に切り替わり、それまで雑誌を支えてきた人気作や青年誌らしいダークな雰囲気の作品が次々と打ち切りになり、代わりに良くも悪くも毒のない作品ばかりが連載開始になるという時期でした。
僕はヤングサンデーの前衛的で尖った部分が好きだったので、編集部への不信が少しずつ募っていました。
度胸星を打ち切りにするとか「アホか!」と。
その後は結果を見るまでもなく、次々と優秀な作家を他社に引き抜かれ、ヤングサンデーは空洞化し休刊となってしまいました。
ヤングサンデーの人気作だけを引き継ぎ、良い所取りをしたはずのスピリッツも順調に発行部数を下げ、小学館随一の赤字雑誌のようです。
…って、蛇足でしたね。
「海猿」連載時の作品制作環境について言うと、そんな編集方針を反映してか、雑誌掲載時に台詞は勝手に替えられるし、人が死ぬシーンは描いてはいけないだとか、いろいろありました。
物語は展開上、夜間、飛行機が海上に着水することになっていたのですが、ある時、打ち合わせの席で担当編集者に「暗い海上に飛行機を誘導するために、近くの漁港から漁船が集結して海上を光で照らし出すシーンを描け」と言われました。
僕は「リアリティ的に考えて、何千、何万トンという鉄のかたまりが空から落ちてくる真下で漁船が待機するという状況は、二次災害を引き起こす可能性があるのであり得ないし、海上保安庁が避難命令を出している海域に漁船が立ち入ること自体、迷惑でしかない」ということを蕩々と説明したのですが、「いや、その危険を返り見ず、”それでも!!”と漁師たちが集結するシーンが読者の感動を呼ぶのだ」とゴリ押しされまして、「いや、今の説明を聞いたら分かるでしょ…?現実的に無理なんですってば。着水地点なんてちょっとの操作で何十メートルかずれてしまうんですから…」と言い返しました。
そうすると今度は「これは漫画だ!リアリティなど関係ない!それ以外描かせない!!」と居直られてしまい、「それって自分の意見じゃないですよね?これだけ論理的に説明してあり得ないということが分かったのに折れないって、編集長のアイデアでしょ?上から命令されて言わされてませんか?」と聞き返しても、「自分の考えだ」と曲げず、「じゃあ、今の話聞いたらわかるでしょ?自分の頭で考えて無理ですよね?」「それでも~~!!」「だから…」「それでもぉぉぉ〜〜〜!!!!」と無意味な押し問答を何時間もしたことがあります。
結局、僕はそのようなアイデアは採用せず、海上に漁船は集結させませんでしたが、出来上がった原稿を見て、当の編集者が「すごい迫力ですね~、ここに漁船を並べるのは無理ですね~…」とつぶやいたので、呆気にとられて「いや、だから最初から言ってたじゃないですか…」と言った所、「あれは編集長のアイデアなんで」とあっさりとネタばらし(?)責任転嫁(?)をするではありませんか。
「じゃあ、編集長と最初から話させてくださいよ、あなたと話しても無駄じゃないですか」とさすがに言ったのですが、「自分がネームにOKを出さなければ、佐藤さんの原稿は雑誌に載らないんですよ。それじゃ困るでしょ?」と「何それ脅迫?」みたいなことがありまして、しかも、「あの打ち合わせでの議論があったからこそ、この迫力のあるシーンが生まれたのだ」と自分のおかげ的なことまで言い出します。
僕は「だから全部無駄なんですよ…。無駄な議論に付き合わされてるだけなんですってば…」と怒鳴りたいのを我慢して無理に押し殺した声で言い返しましたよ。
無理に押し殺すから呼吸も変になって、プルプルしちゃったなぁ…。
すると「佐藤さん、あなたは作品のことを考えてるんですか?作品に向き合えないならあなたと話しても無駄ですね」と返してきます。
「それはこっちが言いたい台詞だよ!」と拳を握りしめながら、「そっちこそ編集長にかわいがられたいだけで、作品のために仕事してないじゃないでですか…」とさらにプルプルして吐き捨てるのですが、相手は言い返す言葉がなくなると、今度はなんと睨みつけてきます。
「睨まないでくださいよ…」と言うと、急にガラが悪くなって「お前何歳だよ?年上に人間に向かってなんだ、その態度」とべらんめえ調で話にならないので、「もう帰ります」とファミレスの席を立つと、「帰りたいなら帰れよ。その代わり二度とウチの雑誌に載せないからな」とかなんとか。
小学生かよ、と。
かと思えば、物語中で飛行機が海上着水して機体が真っ二つに裂けている画を描いているのに、「乗客を一人も死なせず、全員を救出する展開を描いてください」と言ってきたりもしました。
当然、無理ですし、全員生還する話を描くのであれば機体は絶対に真っ二つにしてはいけません。
冒頭の映画のポスターを見ても分かるように、あの状態で一人も犠牲になっていないという状況は荒唐無稽にも程があるってものです。
「無理です」「それでも!!」「いや、無理ですってば…」「それでもぉぉぉ〜〜〜!!!」とまたコントのようなやり取りに突入です。
それが何度も何度も続くので、編集方針もなんだかおかしいし「やってられっか!」ということで連載終了を申し出たのですが、「海猿」は健全路線に軌道修正して引き延ばすのが編集部の方針であったらしく、申し出は当然のごとく無視されまして、仕方がないのでストライキを決行した所、その編集者が仕事場のマンションの前で見張っているようになり、一日に何十回も電話をかけてきたり、「一生どこでも漫画を描けないようになりますよ」と留守電にメッセージを残されたり、家から外に出ることもできないような状況が何日も続き、まぁ、それはその編集者の暴走であったりもしたのですが、すっかり漫画を描くことに嫌気がさしてしまいました。
という訳で、「漫画家なんてクソだ!こんなのクリエイティブでも何でもねぇ!出版社の奴隷だ!豚のほうがよっぽど純粋だぜ!ゴキブリのほうが人生に真実な気がするぜ!もう漫画家なんてやめてやる!だけどその前に雑誌に載せられないようなどす黒い物を叩き付けてやる!載せれるもんなら載せてみやがれ!!漫画家をなめんなよ!!殺せよ!!オラァ!!」と破壊衝動を叩き付けたのが、今回の映画のエピソード部分です。
えーと…、「という感じで描いてたので、映画にもそれを反映させてください」と僕が映画のプロデューサーさんにお願いしても困りますよね。
僕は映画の成功を眺めながら、こっそり周囲に自慢するくらいが身の丈にあっている気がします。
「Adminではないけれど」というブログの過去ログから転載。
このブログは、特に漫画についての見解が面白く、時々見に行く一つである。なぜ毎日行かないかというと、更新があんまり頻繁ではないからである。そこが残念だ。しかし、過去ログがけっこう多いから、しばらくはそれでも読んで楽しむことにする。これがネットのいいところだ。
下記記事に書かれた「食パン少女」が「猿マン」が最初に提示したネタなのかどうかは、これからまだ検証されるべきであるが、それを実際に検証しようとした田幸さんの姿勢は素晴らしい。もちろん、「猿マン」の偉大さについては言うまでもない。
(以下引用)
このブログは、特に漫画についての見解が面白く、時々見に行く一つである。なぜ毎日行かないかというと、更新があんまり頻繁ではないからである。そこが残念だ。しかし、過去ログがけっこう多いから、しばらくはそれでも読んで楽しむことにする。これがネットのいいところだ。
下記記事に書かれた「食パン少女」が「猿マン」が最初に提示したネタなのかどうかは、これからまだ検証されるべきであるが、それを実際に検証しようとした田幸さんの姿勢は素晴らしい。もちろん、「猿マン」の偉大さについては言うまでもない。
(以下引用)
■[漫画] 出会いの秘密
- 「遅刻する“食パン少女”」は少女マンガに実在するか(エキサイトニュース、1998/12/22)
主人公の女の子が、食パンをくわえて『ちこく、ちこく~!』と言いながら走り、角で転校生と衝突する、というのが少女マンガの典型的な出会いのシーンだとよく言われるが、本当にそういう漫画があるのか、と調べたが見つからなかった……という検証報告。
「典型的な出会いのシーンだとよく言われる」というが、誰が言っているかというと、今から20年近く前に、相原コージ・竹熊健太郎が『サルでも描けるまんが教室』で喝破したのである。『サルでも描けるまんが教室』は、「実際にはないけれど、言われてみれば確かにありがち」とみんなが思えるようなエッセンスを抽出し、提示し続けたところが偉大であり、先見の明があったのである。
女の子が食パンを咥えて走るなんて、いかにもありそうじゃないか。そう『サルでも描けるまんが教室』が述べたら、以来20年近く、それが少女マンガの出会いシーンだと信じられ続けたのである。今回酔狂な人が調べてみたら、そういうシーンは実在しなかったことがわかって、ますます『サルでも描けるまんが教室』の偉大さが証明されたのである、と言いたいが、この調査はかなりいい加減なもののようで、本当は何も結論は出せない。
調査をするなら(サルまん以前の)昭和期の作品を調べなければ意味がない。調査子の田幸和歌子はそのあたりを全く考慮していない。いくつか名前の出ているものについては平成時代の作品のようだから、サルまん以降である。サルまんの提案をそのまま真似るのはいくらなんでも避けた、ということかも知れない。それならそれで、別な意味でサルまんの偉大さを示すものでもあるのだが。
「天地明察」は映画にもなっているが、漫画が面白い。キャラクターの性格が可愛いし、絵もいいセンスである。キャラクターの現代風ですっきりとスマートな描線と背景の日本画のスケッチのような味わいのある描線が良くマッチしていて、絵を見るのが楽しい漫画だ。
内容は安井算哲(渋川春海)という和算の実在人物を描いた話だが、要するに、江戸時代の数学オタクの話である。この数学オタクのキャラが可愛い。他のキャラクターもそれぞれに楽しいキャラ、面白いキャラがいて、話自体には別にドラマチックなところは無いのだが、その世界に遊ぶのを楽しむ漫画と言えるだろう。まあ、「よつばと!」や「とめはね!」のようなものだ。こういうのを「空気感を楽しむ漫画」とも言う。(蛇足だが、「よつばと!」と「とめはね!」の「!」は用法が違う。前者の「!」はよつばという女の子が出会うこの世界の様々な「驚き」のことである、だから英語タイトルは「Yotsuba and !」なのである。後者はもちろん、文の強意のための「!」だ。ついでに漫画に無知な人のために言うと、後者は「トメさん」という古風な名前の女性が「私はねえ!」と力んで言っているのではなく、書道の「止め」と「撥ね」である。すなわち漫画の歴史の中でも数少ない…多分2例しかない…書道漫画だが、こちらも面白いので、お勧めする。)
「天地明察」の原作は言うまでもなく冲方丁(「うぶかたとう」と読むようだが、こんなの初見で読める人間はいないだろう。最初から、売れるのを拒否しているような筆名だ。本名なら凄い。)で、作画が槇えびしという、こちらも覚えにくい名前の漫画家だ。
で、この前第二巻が出たので買ったのだが、やはり面白い。
しかし、一つ納得がいかないのは、作中の和算の設問である。まあ、中学数学レベルの図形問題なのだが、要するに「答えを出すことが不可能な問題」なのである。これを作中では「病問」と言っている。で、まあ私は以前に中学入試や高校入試の算数・数学を教えていたもので、これが「解答不能」であることは即座に分かった。関孝和ほどの天才でなくとも、大円(日円という名称だ)の直径(半径)がこれでは一つに決まらないというのは、完成形の問題を一目見れば分かる。問題なのは、関孝和がこの問題を「これまで見た中で一番好きだな」と言ったというところだ。中学生に問題を作らせてできた失敗作のようなこの問題のどこを関孝和は面白いと思ったのか。作中の娘の言葉じゃないが、その意図を「本人に聞」きたくなるような発言だ。
もちろん、これはドラマ展開のために作った問題だろうから、本物の和算の高等な問題のレベルではないのは当然だし、実は「病問」と見えないような病問を作るのは案外難しいのだろうと推測できる。そもそも、作中の問題を本当に解いてみようというモノ好きも「2ちゃんねる」住人以外にはあまりいないだろうとは思うのだが。
それにしても、漫画ならまだ分かるが、こういう小説をどんな映画にしたのだろう。まさか、和算の問題を画面に広げて観客に10分ほども考えさせたとか?
内容は安井算哲(渋川春海)という和算の実在人物を描いた話だが、要するに、江戸時代の数学オタクの話である。この数学オタクのキャラが可愛い。他のキャラクターもそれぞれに楽しいキャラ、面白いキャラがいて、話自体には別にドラマチックなところは無いのだが、その世界に遊ぶのを楽しむ漫画と言えるだろう。まあ、「よつばと!」や「とめはね!」のようなものだ。こういうのを「空気感を楽しむ漫画」とも言う。(蛇足だが、「よつばと!」と「とめはね!」の「!」は用法が違う。前者の「!」はよつばという女の子が出会うこの世界の様々な「驚き」のことである、だから英語タイトルは「Yotsuba and !」なのである。後者はもちろん、文の強意のための「!」だ。ついでに漫画に無知な人のために言うと、後者は「トメさん」という古風な名前の女性が「私はねえ!」と力んで言っているのではなく、書道の「止め」と「撥ね」である。すなわち漫画の歴史の中でも数少ない…多分2例しかない…書道漫画だが、こちらも面白いので、お勧めする。)
「天地明察」の原作は言うまでもなく冲方丁(「うぶかたとう」と読むようだが、こんなの初見で読める人間はいないだろう。最初から、売れるのを拒否しているような筆名だ。本名なら凄い。)で、作画が槇えびしという、こちらも覚えにくい名前の漫画家だ。
で、この前第二巻が出たので買ったのだが、やはり面白い。
しかし、一つ納得がいかないのは、作中の和算の設問である。まあ、中学数学レベルの図形問題なのだが、要するに「答えを出すことが不可能な問題」なのである。これを作中では「病問」と言っている。で、まあ私は以前に中学入試や高校入試の算数・数学を教えていたもので、これが「解答不能」であることは即座に分かった。関孝和ほどの天才でなくとも、大円(日円という名称だ)の直径(半径)がこれでは一つに決まらないというのは、完成形の問題を一目見れば分かる。問題なのは、関孝和がこの問題を「これまで見た中で一番好きだな」と言ったというところだ。中学生に問題を作らせてできた失敗作のようなこの問題のどこを関孝和は面白いと思ったのか。作中の娘の言葉じゃないが、その意図を「本人に聞」きたくなるような発言だ。
もちろん、これはドラマ展開のために作った問題だろうから、本物の和算の高等な問題のレベルではないのは当然だし、実は「病問」と見えないような病問を作るのは案外難しいのだろうと推測できる。そもそも、作中の問題を本当に解いてみようというモノ好きも「2ちゃんねる」住人以外にはあまりいないだろうとは思うのだが。
それにしても、漫画ならまだ分かるが、こういう小説をどんな映画にしたのだろう。まさか、和算の問題を画面に広げて観客に10分ほども考えさせたとか?
一つ気がついた。風浦可符香の認識記号である前髪の髪留は、あれは「十字架」を表していたのである。つまり、最初から彼女は天使として設定されていたということである。
なんと、それを300話に至るまで隠していたとは!
疑う人は、199話かどこかで、彼女が0.001秒の天使として出現した時の髪留を見るがよい。はっきりとした十字架である。(このブログの数回前に転載した画像があるはずだ)
なんと、それを300話に至るまで隠していたとは!
疑う人は、199話かどこかで、彼女が0.001秒の天使として出現した時の髪留を見るがよい。はっきりとした十字架である。(このブログの数回前に転載した画像があるはずだ)