(以下引用)
椎名高志 @Takashi_Shiina ·
「どうでもいい」と違って、「嫌い」の土地は視野が開けてそこに住む方法を発見した瞬間、広大なフロンティアになる可能性を秘めているのよ。「やなやつやなやつ!」って思ってたのが恋人になっちゃう的な。
自分の城がまだ小さいときはそれを守るために必死なんで、「ああいうことはやるまい」「許せない」が多かったりもするんだけど、城を大きくするためにはそこも領土にしていく必要もあったりするんだよねー。
正反対には意外と惹かれることが多いかも。自分が無意識に我慢・抑圧してることを、他人がしれっとやってると嫌悪感は強くなるね、一般的には。 RT @Dybastal 秋元康さんが言うには、嫌いなのは似てるか正反対か、どちらかしかない、らしいです
単に「嫌い」とか「<なぜつまらないのか>を長文で語れる」ってだけじゃ負けた気がするんだよね。「それを拒絶してしまう自分の構造・限界」みたいなものを知りたい。
そうかみんなにもあるか、そういう作品ww。いくつか具体名を言われた作品はいま私が見てるものとは違うけど、それも今度見てみよう。そして可能なら「いや俺は面白かったよ? 面白さわかるよ?」と、なんだか得意そうに言いたい(笑)。
大人気作なのだけど私とは相性が悪いらしく、見れば見るほど登場人物や世界観にイライラするアニメを必死で見ている。じゃあやめろよと思うかもしれないが、大勢が楽しんでいるのに自分はイライラするということは、その付近に重要な何かがあるのだ。もはや娯楽ではなく戦いだ。
冨樫流 キャラクターの作り方
冨樫 教えられるのはキャラの人柄を読者にうまく伝えられる手練手管まででね、キャラの人柄自体は大抵作者の人柄を反映したものになりますから、それは教わってどうにか出来るものではないですし。
その伝え方を以下のように語る。
冨樫 あ、基本的には漫才ですよ。大好きなんです漫才。
冨樫 基本的にはこう・・・ネームにする前に紙にキャラ達のセリフのかけ合いを書き出すんですよ、ザーっとね。その中でキャラ同士がそいつらしさを守った上での最良の一手をボケツッコミみたいな感じでバンバンかぶせていくんです。そんで論理展開させてってー最後は主人公がそのずっと上をゆく解(オチ)を打ち出す!そんな感じです。これならそれぞれのキャラも引き立つし主人公も立てられるでしょ。ハンターの序盤は特に意識してそういう作り方をしてましたね。
キャラの行動を検証する
冨樫 例えばキャラが二人いて片方が『俺はこっちに行って戦う』もう一方は『俺はこっち』と別行動する展開にしたいとしますね。作中では省略されていてもそういう展開になるまでの経緯をセリフのかけ合いとして紙に書き出してみるんです。ホントにそんな結論になるのか?という検証作業みたいなもんですね。その過程で『あ、こいつの性格だとこっちに行きたいとは言わないな』となったらその展開はボツにします。
冨樫 ていうか僕自身そういう事やっとかないと不安なんですよ。そいつがちゃんと生きてて自分で判断してる様に思えないと・・・
理不尽さを無くし、キャラが戦いに死力を尽くせるようにする
冨樫 で、そういう判断ってギリギリの死線をくぐらせた方が際立つじゃないですか、そういうとこにチャレンジしたいなっていうのは常々思ってたんですよ。というのもね、ヒーロー戦隊ものってあるでしょ?あれ子供の頃始めて観た時にポーズ決めてる主人公に一切手を出さない敵に納得がいかなかったんですよ。逃げもしないし、敵が自分の能力や弱点を大事なとこでペラペラ喋っちゃったりとかね。子供ながら理不尽すぎるだろって思ってたんです。だからなるべくそうしたくはないんですよ、全員が死力を尽くしてる感じを大事にしたいというか・・・
(以下引用)
週刊少年ジャンプ3月1日号ヘタッピマンガ研究所R・STEP16「冨樫先生に突撃取材!」にて上記のように評されている冨樫義博の漫画の作り方とは?
冨樫流 漫画技法の理論化
冨樫 映画の脚本家の入門書なんかも読んで、そこにある技術を自分の中で消化したら自分なりの名前をつけたりしてね。いかにも私が考案しました!みたいにね。小説なんかだと時間がないから30ページくらいの短編をいっぱい読みました。筒井康隆さんとか最近だと平山夢明さんとか。
冨樫 忙しいと長編小説ってちょっとわずらわしくて、中断すると内容忘れちゃったりするから、次読むとき結局最初っから読むハメになっちゃう。どんどん短編中心になって、しまいにはホント2,3ページで終わるような短編に移ってったんですよ。むしろ自分の中でそれを長く伸ばすんだったらどう膨らますかとか、そんな事を考えながら楽しんでました。
映画の演出の技術からストーリの盛り上げ方を学び、短編小説を自分だったらどうおもしろくするか試行錯誤しながら読む。それを繰り返すことで【冨樫流】漫画技法の理論は完成した。
面白くない映画を見ろ!
冨樫 僕は最初担当さんに面白くない映画を沢山観ろって言われましたね。短編小説読むのと同じで自分ならこうする、こうすれば面白くなるっていうのを観ながら考えてメモっていくんですよ。それはもう今後一切物語に没入して楽しむことはできないぞっていう覚悟の元にね。今では面白い映画もそういう観方しかできなくなったのは寂しいですけど。
冨樫 まぁ色んなモノを分析したり分類するのは大好きですけどね、たまにその分類に当てはまんないヤツをどーすればいいんだ!とかね。でもね、今言った訓練もあくまで僕はこうして来たってだけの話であって結局他の人には当てはまらなかったりするんですよ。自分なりの漫画作りのマニュアルを作った時にもそれは感じました。説明してもピンとこないって感想のアシさんもいましたからね。
冨樫 基本的にウソが好きなんですよね。そこにどれだけ説得力を持たせるかって所に力を注ぐ方で。その辺については僕なりのコツというか・・・遊びがあるんです。
冨樫 たとえばどこかで聞きかじったその世界の用語とか隠語とか、作中で使いたいな!と思ったときはなるべく自分で作った造語に置きかえたりして使うんです。そうして設定を組み上げていくと大ウソがポンとまぎれてももっともらしく思えたりするんですよ。
冨樫は取材を積極的には行わないらしい。それはウソが好きだからだ。本当の事よりもウソに説得力を持たすことに尽力する。冨樫はそれを遊びと表現する。
(続く)
荒川弘と田中芳樹とは思いがけない組み合わせだが、案外いいかもしれない。荒川弘のときどきみせるとぼけたユーモアは、田中芳樹流の「いかにも」なぬるいユーモアに近い。そして、絵柄の端正さは、流血の多い原作を見やすくするだろう。これがたとえば「ベルセルク」の作者(三浦健太郎)などだと、あまりにどぎつい絵で、田中芳樹の原作をそれこそ血まみれにしそうである。となれば、当然、原作の重要な要素であるユーモアも場違いなものにしかならないはずだ。
でも、アルスラーン戦記は未完のはずだが、田中芳樹は完成させる気はあるのかね。
(以下引用)
「アルスラーン戦記」、器はその人間が進んで受ける責任の重さによって測ることができる
国が燃えている…
すげぇっ面白かった。
架空戦記もので原作未読なんですけどグイグイ物語に引き込まれますね。ページをめくるのが止められない止まらないのかっぱえびせん状態。まさに俺が読みたかったものです。荒川弘先生のこういうのが読みたかったんだよというね。もちろん「百姓貴族」も「銀の匙」も好きで荒川先生の実体験を基したネタは最高であるが、私は「鋼の錬金術師」が大好きだったので、またこういうの描いてくれないかなーと思ってたら「アルスラーン戦記」がまさにという感じです。
世界はどれだけ広いのか?大陸公路の強国「パルス」の王子・アルスラーンはいまだ何者でもなく、ただ好奇心あふれていた。「頼りない」「気弱」「器量不足」と言われたアルスラーンが14歳になった時、遠国の異教徒たちがパルスへ侵攻。王子・アルスラーンは初陣の時を迎える。パルス軍の強さは古今無双。パルスと敵では大人と子供、象と蟻。この戦もパルスの圧勝に終わると誰もが信じていた…。
奈落へ落ちたアルスラーンの運命!
激動の英雄譚、ここの開幕!
1巻裏表紙より。
原作未読だからでしょうか。ドキドキワクワク感が半端ないよ。今ならマガメガで1話を無料でカラーつきで読めますのでとりあえず読んでみてください。
<まずは1話を読むべし>
・マガメガ「アルスラーン戦記」
ね。圧倒的に面白い1話である。
おそらくアルスラーン王子がパルスの王となり成長していく物語なのでしょうけど、ここまで1話でテーマのようなものを見せてくれるとはね。理想的な1話、序章とはこのことではないでしょうか。私が1話を読んで感じた大きなテーマのようなものはズバリ2つである。
1、奴隷制度
2、王の資質
この2点が今後、アルスラーンが即位して王としてのテーマになってくのかな?(違うかもしらんけど)パルスは強国で豊かな国ではあるけど、奴隷制度が当然のようにある。1話ではルシタニアの子供が奴隷として捕えられたが、逃げ出しアルスラーン王子を人質にして王都エクバターナをかけずり回るのですけど、そこでの2人のやり取りが深いっすわ。
深いっすわ
ルシタニア人の少年は王都エクバターナでは物と人が溢れかえっている事に驚き、王子もパルス人は飢えを知らず文化的に豊かである言うが、少年は街中に奴隷が多い事に疑問を呈する。そこでのアルスラーン王子の台詞が世間知らずというかまさにボンボンならではなのである。
アルスラーン王子
「財を沢山持つ者は奴隷も沢山持つことができる。奴隷の多さは、この国の豊かな証拠だ。なぜ、おぬしは逃げるのだ!?大人しく奴隷になれば食べるには困らぬぞ!」
なんという発言!すさまじい暴論きました。
いかにも身分の高い者の言葉という感じです。もし、自分が奴隷となってコキ使われたらどういう気分になるのかとかそういう想像力が絶無である。これぞ、ボンボン王子、これぞ高貴な身分のいかにもな発言である。王子の発言にルシタニア人の少年はズバリ答えるのだ。
ルシタニア人の少年
「我らがイアルダボート神は人を平等に扱う!だが貴様らはどうだ!?人の下に人を置くあの制度はなんだ!?イアルダボート神はそのようなことは許さない!」
この2人のやり取りだけ見れば悪・パルス、善・ルシタニアとも見えるが、決してそんな事がないのもなかなかどうしてよ。作中、少なくともアルスラーン王子のパルス人から見たらイアルダボート教は神のために戦い、異教徒は赤子まで皆殺しにする野蛮な集団として語られている。事実、少年も支離滅裂な発言を述べるのである。
言ってる事がめちゃくちゃだー!
「よって、我らが神の教えに従わぬ貴様ら異教徒は差別し殺してもいい!!」
なんという発言。すさまじい暴論きました。
つまりパルスもルシタニアもどっちもどっちなのである。単純な善悪二元論ではない。1巻2話からはパルスとルシタニアの戦争が描かれるんですけど、どっちが正義か分からんね。僕はこういうの大好物である。また、個人的に引っ掛かったのは王子の「言ってることが支離滅裂だ!」の心の声であろう。あえて声に出して突っ込まないのは、そこから論争したとして、この「奴隷制度はなんだ?」というものに明確に反論できないからであろうか。1話ラストの王子の呟きはすさまじい深さがあるね。
私には解らぬよ
「…なぜ。素直に奴隷になっておれば命を落とさなかったものを…。なぜなのだ…。私には解らぬよ、ダリューン」
1話で捕えられたルシタニア人は奴隷になるのを拒み暴れて全員殺されたのを見た王子の呟き。奴隷になれば食うに困らず命も落とさなかったのに「なぜなのだ…」と。答えは得られるんだろうか?私、気になります。
2話から戦争が始まり、これが息をつかせない緊迫感で最高なのである。めちゃくちゃ面白かったのである。続きどうなるねんというね。そこでちょろっと出てくるんですけど、どうやらアルスラーン王子には出生に何かあるようなのだ。
出生に秘密があるようだ
すげぇ意味深なヴァフリーフの爺さん。
「なるほど国王陛下には似ておられぬか」ってどういうことやねん。さらに、ある者(こいつの2話ラストの表情は鳥肌ものだ)も「…哀しくあわれな王子」と述べていた。おそらく家臣の一部の者だけは王子の出生に何かあると知っているのだろう。
何度も言うけど、私は原作未読なので、あくまで漫画版のみを読んだ印象であるが。おそらく主人公アルスラーンは現パルスを治める父・アンドラゴラス陛下の血の繋がった本当の子供ではないくさいのである。正当な王位継承者ではないように見える。
だがしかーし!
アンドラゴラ陛下の本当の息子でなかったとして、アルスラーン王子は王になれないかといえばNOだろう。そも、本人も知らないくさいし。この出生の秘密が今後に繋がるのであろうが。で、アルスラーン王子は「王の資質」として考えれば相当なタマである片鱗を見せているのだ。
アルスラーン王子は1話の冒頭で悩める少年であった。
悩める王子
「…立派な王とはなんだろうな」
世間的評価では、アンドラゴスラは勇猛果敢な立派な王である。対して自分は「頼りない、気弱、器量不足」という三冠王のダメダメっぷり。街の人々の印象も頼りにならん、アホ王子と言われている始末である。
確かに、頼りないし、視野も狭い、剣技も未熟である。自分がダメだと理解している。その上で「…立派な王とはなんだろうな」とレイプ目で呟いたのだ。凄まじい違和感を覚えたのは俺だけではないはずだ。私はこの台詞に鳥肌が立ったのである。だって、王子は自分がダメだと理解してて1ページ前にはこう言ってるのである。
1ページ前
「父上のような立派な王になるために励んでいるんですが、なかなか上達いたしません」
剣の稽古を母に報告する中で「父上のような立派な王」と言っている。自分は剣技、戦闘能力はアンドラゴラスにはとても及ばない未熟者である、と。アンドラゴラのような立派な王と述べて、その1ページ後に「…立派な王とはなんだろうな」という疑問である。普通、そこの台詞は「…父上のようにはなれんな」「…父上に比べて私は駄目だな」とかそういうものだろう。それが立派な王とは何かって。お前、アンドラゴラスを立派な王とか言いながら立派な王の定義を問うって、そいつはアンドラゴラスは立派な王じゃないって分かっているだろ!
確かに、1巻の印象ですがアンドラゴラはただの脳筋野郎にしか見えないのである。血が繋がってるかどうかは知らんが、父親を立派な王と言いながら立派な王とは何なのかという疑問。凄いねコレ。鳥肌ものです。
アルスラーンは「頼りない、気弱、器量不足」という三冠王ではあるが、アンドラゴラスにはないものがある。それが人徳ってやつである。優しい王になれるんじゃないかな、愛される王になれるんじゃないかな、というね。例えアンドラゴラスの本当の息子でなかったとしても、器有りで候。
人徳
パワプロ風にいえば「人徳、○」です。
これは相当な「器」であろう。無闇な殺生を良しとしない性格であり、頼りなさは逆に守ってあげなきゃと思わせる程であり、めがっさ中身も優しさ全開である。こいつは相当なタマだろう。もし、俺の上司がアルスラーンのような人ならばこの人ダメダメだけど仕方ない俺がいっちょやってやるかとなるね。つまり、部下の士気も上がるんじゃないかな。戦争においてはプラスとなろう。
さらにいえば王子の好奇心旺盛っぷりね。
知識欲がある感じで描かれている。1話で奴隷制度のなんたるかを知らん無知っぷりを晒す中でも、世間知らずのボンボンが落下す中で、世界は広いというのを魅せる描写にワクワク感は最高潮に達したのだ。
世界は広い
素晴らしい。実に素晴らしいです。
無知な王子が世界の広さを知る様子が素晴らしいとしか言いようないね。この時、見た景色をどう思ったんだろうね。「鋼の錬金術師」や「銀の匙」でも分かる通り、荒川先生は少年の成長を描くのが上手いのだ。アルスラーン王子は今度、どう成長していくのかね。楽しみすぎるね。
何度も何度でも言うけど私は原作未読である。
だからこそ先が気になるワクワク感が半端ない。アルスラーン王子の成長を新鮮な気持ちで読めるのである。アマゾンの批評見ると賛否両論ですけど、原作未読の私は最高に楽しめました。超面白い。超お勧め。2巻読みたい欲求が半端ないでしょう。嬉しいことに2巻は来月発売だ!
・【Amazon】アルスラーン戦記(2) (少年マガジンコミックス)
アルスラーン戦記(1) アルスラーン戦記(2) Kindle版:アルスラーン戦記(1) 著書:荒川弘 強国「パルス」の王子・アルスラーンは、いまだ何者でもなく、ただ好奇心にあふれていた。「頼りない」「気弱」「器量不足」と言われたアルスラーンが14歳になった時、遠国の異教徒がパルスへ侵攻。アルスラーンは初陣の時を迎える。パルス軍の強さは古今無双。この戦もパルスの圧勝に終わると誰もが信じていた…。奈落へと落ちたアルスラーンの運命! 激動の英雄譚、開幕!! |
(以下引用)
吾妻ひでお @azuma_hideo
いいね、十点。 RT @Charlie_Poker: @azuma_hideo 4.鮎からスイカの匂いがしたので夏が恋しくなった。
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5時間
吾妻ひでお @azuma_hideo
惜しい。 RT @kai1300: @azuma_hideo 食べようとしたら、鮎の中に小さな鮎がいて、中には更に小さな鮎もいて、どんどん小さな鮎まで食べていったので、結局5匹食べた。
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5時間
吾妻ひでお @azuma_hideo
十点、続きが気になるね。 RT @tack223: @azuma_hideo 4.あゆみという名で18で。
6時間
吾妻ひでお @azuma_hideo
十点、 RT @tack223: @azuma_hideo 4.鮎川こずえのアタックが決まった。
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吾妻ひでお @azuma_hideo
十点、ほのぼのした。 RT @TVbancyo: @azuma_hideo 4、鮎がご飯をよそってくれた。
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吾妻ひでお @azuma_hideo
言えてる。 RT @mike_tera: @azuma_hideo なんやかんやでおいしかった
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吾妻ひでお @azuma_hideo
わははは。 RT @norapod: @azuma_hideo 実は、川崎ゆきおがくわえてにげた。
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吾妻ひでお @azuma_hideo
十点、哀愁があるね。 RT @hiroshikgw: @azuma_hideo 4、鮎を食べたのは昨日のことであった
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吾妻ひでお @azuma_hideo
いいね。 RT @maryvvaky: @azuma_hideo 4.鮎のはずが粥をすすっていた
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吾妻ひでお @azuma_hideo
十点!! RT @tsujimoto_: @azuma_hideo 鮎だと思ったら何だかわからないものだった。
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吾妻ひでお @azuma_hideo
八点。 RT @DatsuMania: @azuma_hideo 結局、夢落ちだった。
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吾妻ひでお @azuma_hideo
十点! RT @matsunatsu: @azuma_hideo 2.ひとりで4匹食べて龍になった。目玉ください。
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吾妻ひでお @azuma_hideo
九点。 RT @tabidori: @azuma_hideo つ4.鮎だと思ったら(今時浜崎)あゆなJKだった
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吾妻ひでお @azuma_hideo
十点。 RT @k2y: @azuma_hideo まだたべていない。
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吾妻ひでお @azuma_hideo
九点。 RT @nido0826: @azuma_hideo 4 笹かまぼこ
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吾妻ひでお @azuma_hideo
確かに視力は落ちてるが・・・。 RT @bang94530699: @azuma_hideo 単に視力が落ちていたに一票。
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吾妻ひでお @azuma_hideo
これも惜しい七点。 RT @bisuco55: @azuma_hideo ( ・ω・)ノシ凸 2番! 一尾じゃたりないもん
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吾妻ひでお @azuma_hideo
惜しい七点。 RT @rioruri: @azuma_hideo 4.鮎だと思ったらししゃも4匹
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吾妻ひでお @azuma_hideo
2点。 RT @cliohonda: @azuma_hideo 4、実はマグロだった。
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吾妻ひでお @azuma_hideo
5点。 RT @hypertarou: @azuma_hideo 4、サバの塩焼き
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吾妻ひでお @azuma_hideo
今日の夕食は鮎を食べた、何匹食べたでしよう1、一匹。2、四匹、3、鮎だと思ったら秋刀魚だった。
この記事に引用されている「matogrosso」というサイトに吾妻ひでおととり・みきの同本についての面白い対談がある。興味のある方はそちらへどうぞ。
(以下引用)
2013-10-14
■[オタク]『アル中病棟』読了 00:35 『アル中病棟』読了を含むブックマーク 『アル中病棟』読了のブックマークコメントCommentsAdd StarBUNTEN
『アル中病棟』読了。とり・みきが背景を描いたhttp://matogrosso.jp/aruchu/aruchu-01.htmlのは124pから127pだと思うけど、これで正解だろうか。
冨樫義博は、漫画のネーム(原作というよりはスクリプトみたいなもの)作りという点では天才的な漫画家だと私は思っている。そのネーム作りの秘訣や才能の伸ばし方を彼自身が語っている、貴重な記事である。前後篇があるが、前篇はたいした内容ではないので、後篇だけ転載しておく。
(以下引用)
2010年03月15日
漫画家冨樫義博の作劇術その2
ヘタッピマンガ研究所Rの冨樫義博インタビューその2
インタビューその1「天才冨樫義博の作劇メソッド」はここ
ネームの真理に最も近い男と呼ばれる「HUNTERxHUNTER」の冨樫義博先生に直撃インタビュー
編集者サイトウ「先生!ストレートにお聞きしたいんですけど!」
冨樫義博「ハイ何でしょう」
編集「新人の頃これはやっといた方がいい!って事何かありますか!?」
冨樫「そーですね、僕は最初担当さんに面白くない映画を沢山観ろって言われましたね。短編小説読むのと同じで自分ならこうする、こうすれば面白くなるっていうのを観ながら考えてメモっていくんですよ。それはもう今後一切物語に没入して楽しむことはできないぞっていう覚悟の元にね。今では面白い映画もそういう観方しかできなくなったのは寂しいですけど」
編集「先生的にありもののストーリーを自分なりにアレンジするって訓練はオススメなんですね!」
冨樫「あーいやオススメというか、まぁ色んなモノを分析したり分類するのは大好きですけどね、たまにその分類に当てはまんないヤツをどーすればいいんだ!とかね。でもね、今言った訓練もあくまで僕はこうして来たってだけの話であって結局他の人には当てはまらなかったりするんですよ。自分なりの漫画作りのマニュアルを作った時にもそれは感じました。説明してもピンとこないって感想のアシさんもいましたからね」
漫画家村田「でもどの先生にも共通する漫画の秘訣として『キャラクターが重要』っていうのがありますよね。キャラクター作りについてなら誰にでも共通する理論とかあったりするんじゃないですか?」
冨樫「いやーそれこそまちまちだと思いますよ。教えられるのはキャラの人柄を読者にうまく伝えられる手練手管まででね、キャラの人柄自体は大抵作者の人柄を反映したものになりますから、それは教わってどうにか出来るものではないですし」
村田「あ、あのじゃあ先生の手練手管は例えばどんなものが・・・」
冨樫「あ、基本的には漫才ですよ。大好きなんです漫才」
編集「えっ、ハンターってめちゃシリアスじゃないすか!?」
冨樫「基本的にはこう・・・ネームにする前に紙にキャラ達のセリフのかけ合いを書き出すんですよ、ザーっとね。その中でキャラ同士がそいつらしさを守った上での最良の一手をボケツッコミみたいな感じでバンバンかぶせていくんです。そんで論理展開させてってー最後は主人公がそのずっと上をゆく解(オチ)を打ち出す!そんな感じです。これならそれぞれのキャラも引き立つし主人公も立てられるでしょ。ハンターの序盤は特に意識してそういう作り方をしてましたね」
編集「おおおお、レオリオとクラピカが登場する回とか『ドキドキ二択クイズ』の回ですね、たっ確かにそんな構成になってますよ・・・!うおーっハンターの面白さの秘密をちょっとだけ知ってしまった!!」
村田「・・・でも相当な切れ者を描ける人じゃないとこの手法って使えませんよね・・・アホ同士の心理戦なんて見たって・・・ねぇ」
冨樫「いや、あの、論理展開だの堅っ苦しい言い方しましたけど、基本はキャラ達と相談する感じでやってますよ」
編集「相談・・・?」
冨樫「ええ、例えばキャラが二人いて片方が『俺はこっちに行って戦う』もう一方は『俺はこっち』と別行動する展開にしたいとしますね。作中では省略されていてもそういう展開になるまでの経緯をセリフのかけ合いとして紙に書き出してみるんです。ホントにそんな結論になるのか?という検証作業みたいなもんですね。その過程で『あ、こいつの性格だとこっちに行きたいとは言わないな』となったらその展開はボツにします」
編集「こだわりですね~」
冨樫「ていうか僕自身そういう事やっとかないと不安なんですよ。そいつがちゃんと生きてて自分で判断してる様に思えないと・・・」
編集「いや~も~生きてるも何も・・・むしろ尊敬しちゃうくらいの奴がいっぱいいますよねハンターって」
冨樫「で、そういう判断ってギリギリの死線をくぐらせた方が際立つじゃないですか、そういうとこにチャレンジしたいなっていうのは常々思ってたんですよ。というのもね、ヒーロー戦隊ものってあるでしょ?あれ子供の頃始めて観た時にポーズ決めてる主人公に一切手を出さない敵に納得がいかなかったんですよ。逃げもしないし、敵が自分の能力や弱点を大事なとこでペラペラ喋っちゃったりとかね。子供ながら理不尽すぎるだろって思ってたんです。だからなるべくそうしたくはないんですよ、全員が死力を尽くしてる感じを大事にしたいというか・・・」
編集(う~ん確かにハンターのキャラは全員智将の風格だもんなー敵も味方も。キャラの人柄は作者の人柄か・・・)
村田・サイトウ「どうもありがとうございました」
ゆうきまさみはあまりに過小評価されている漫画家である。
彼は長編タイプの作家(=クリエイター・漫画家)なので、雑誌連載中に人気が出ることはない。また、ギャグやネタが渋いので、頭の単純な子供(精神年齢の低い「子供大人」も含める)層には内容の高さが理解できない。彼の「じゃじゃ馬☆グルーミングUP!」は、日本の長編漫画のベスト10に入るべき作品だと私は思っている。一般には「パトレイバー」だけの漫画家だと思われているようだが、「銀の匙」などは、「じゃじゃ馬グルーミングUp」の影響がかなりある、と私は見ている。主人公の八軒のキャラは特に。
「あまちゃん」で有名になった「その火を飛び越えて来い!」は、山口百恵主演映画よりも、同じく「じゃじゃ馬」で知った人が多いのではないか。
(以下引用)
当然、こういう作画はアメリカのCG映画にも影響を与える訳で、ザック・スナイダー監督の話題作『マン オブ スティール』(スーパーマンの最新作)はストレートに作品に取り入れています。
主演の俳優が次の様に語っています。
「『鉄腕バーディー』という漫画があるんだけど、主人公の女の子が怪力を持っているという設定なんだ。スーパーマンの市街戦は、漫画の中で描かれている戦いからインスパイアされたものなんだよ」と日本の漫画から着想を得たことを明かした。
「鉄腕バーディー」は、1985年にオリジナル版が連載された、ゆうきまさみによるSF漫画作品。「『テツワン』というと、みんながアトム? って聞くんだけど、僕はこっちにインスパイアされたんだよ」と話したスナイダー監督は
「めちゃくちゃ面白くて、一話丸ごとアイデアの基にしたくらいだった」と絶賛する。
私もトラックバックコメントと同様、これは「天才」の定義がおかしいのではないか、と思う。少なくとも、「商業的に成功している」は天才の定義としては不可だろう。同時代に理解されないことこそ、真の天才だ、という考えもあるくらいで、手塚治虫のように、この1~5の要件をすべて満たす天才は稀である。つまり、下に名前の挙がっている中で、この定義に合う天才は手塚治虫しかいない。鳥山明は技法上の革新性のみ、尾田栄一郎は商業的成功のみで、あえて言えば電通的なバックアップがあってのものだろう。手塚に近いレベルが石森章太郎、萩尾望都くらいか。それも、競馬で言えば20馬身くらいの差がある。(当人たちもそれは分かっているだろうし、分かっていただろう。)
まあ、「天才」のレベルを下げれば5人だろうが100人だろうが、挙げられる、というだけの話である。
なお、天才、手塚治虫は、漫画が人生そのものだったような人物であったと思う。
(以下引用)
■5大天才漫画家
五大天才漫画家「手塚治虫」「尾田栄一郎」「鳥山明」あと二人は?
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4323316.html
天才の定義が曖昧だけど、
1.質が高い作品を複数、残している。
2.商業的に成功している。
3.エピゴーネンを多数派生させている。
4.表現技法上の革新を成している。
5.ジャンル・フォーマット上の革新を成している。
を条件とした場合、
手塚が入るのは当然として、赤塚は作品自体のクオリティはともかくとして革新性が弱い。
尾田は商業的にはひょっとしたら鳥山よりも成功した漫画家かも知れないが、やはり革新性に劣る。尾田はたとえるなら少年漫画界のマーガレット・ミッチェルみたいなもの。作品の訴求力と当人のクリエイターとしての革新性とは別。
鳥山は天才に当てはまると思う。ギミックを詰め込んだデフォルメされながらもリアリティを持つ画風自体が衝撃的であったのと、アメコミの影響を受けて租借したうえで、日本の漫画の原稿に和風化して落とし込むという表現技法上の革新もあった。「Dr.スランプ」は大友克洋の「AKIRA」よりも早い。言うまでもなくメガヒットを複数出している。大友をして大友的な革新性の代表として天才扱いするならば、大友的な革新性は鳥山の中に抱合することが出来、時系列的にもそれが妥当だと思う。
水木しげるは天才と言うよりはアルチザン。緻密に粘着的に徹底するという程度が他者を凌駕しているのであって、漫画史全体で見れば、それほど重きを置かれるわけではない。これは水木を軽視しているのではない。作品への評価で言えば、私はむしろ水木を手塚を凌駕して評価している。ただ、漫画史的な視点での評価はおのずと作品評価とは異なると言うことだ。田山花袋や横光利一が作品単体では大した作品は残していないにも関わらず、文学史的な革新性において評価されるように、ここで言う天才とは、作品自体の質はもとより、その数、社会的影響力、そして革新性を備えている必要があるということだ。
そういう意味では石ノ森章太郎は、天才何人か分の重要、かつ致命的な影響を漫画史に残している。フォーマットの創始者という点においても、集団ヒーローの群像劇、そのキャラクターの性格づけはもとより、マーチャンダイジングの手法においてもパイオニアと呼ぶべきである。更に重要なのは、いわゆる「オタク的」な要素の萌芽がすべて石ノ森作品の中に顕著にみられることであって、少年サンデー的な、中産階級的な趣味的なマンガすべてが石ノ森マンガに端を発しているという点である。意外と重要なのは、「日本経済入門」のような、それまで非マンガ的な要素とされていたものについてもマンガに取り込んだことで、手塚や水木の中に見られるマンガというイデオロギーを脱して、徹底的に表現手段として分解してみせるという、作家性とは別の次元の理数系的な分析をマンガに持ち込んだのも石ノ森である。
漫画表現の飛躍的な革新を成したという点では24年組(竹宮恵子、萩尾望都、大島弓子、山岸涼子)を挙げなければならないが、その集大成的な立場としては萩尾を挙げるべきだろう。手塚が基本フォーマットを作ったと言われる戦後マンガの基本は、映画表現をいかにして紙の上に再現するかと言う視点から成り立っていた。萩尾らによってマンガは初めて独立した表現手段になったと言ってよい。マンガは文字と絵が同じ一つのコマの中にあり、吹き出しのセリフ、吹き出し抜きの内面のセリフ、そして絵とそれぞれ矛盾した内容を同時に表現できる唯一の表現手段である。たとえばぶっきらぼうな少年が少女に向かって毒づきながら、なおかつ画面上では頬を染めるなどをして、明らかに少女への好意を示しているような表現は文学では難しい。描写ではなく説明になってしまう。更に実はそれも演技だとして、内面は実はこうすれば少女は自分に対してぶっきらぼうな少年に対する好意を増すであろうとの計算があるとすれば、その内心を同時に表現するのはこれは映画等でも不可能なのである。こうしたマンガ独自の表現方法の確立は萩尾望都を代表とするのであり、その表現手段の派生が致命的過ぎてもはやエピゴーネンとも意識されないほどの重大な影響を及ぼしていることを踏まえれば、彼女の存在は、二十年、三十年のスパンではなく、百年、二百年のスパンで見るならば、手塚をもはるかに凌駕する重大かつ致命的な転換点となったのであった。
手塚治虫
鳥山明
石ノ森章太郎
萩尾望都
と5人のうち4人までが選ばれたが、ここは議論の余地がないところである。つまり個々のこのみや評価の違いはあっても、漫画史の視点から言えば、偏見なく選べばこの4人は欠かせないということである。残りの一人は評価と好みの違いになるだろう。私は、
藤子・F・不二雄を挙げる。
[補足]
まあ、みなさんいろいろご意見はおありでしょうが、そもそも5人に絞るのが無理っちゃあ無理とちゃぶ台をひっくり返してみる。
「てめー、あれ読んでねえだろ」「俺はビートルズの武道館ライヴ見に行ったんだぜ」「江夏の21球も実際に見てない奴が投球論を語るな」的な反応はプロレス論の醍醐味で正しいレスポンス。
レスが挙げているような御大たち、高橋留美子、大友克洋、白土三平、水木しげる、赤塚不二夫、永井豪、いしいひさいち、つげ義春、大島弓子、大和和紀、三原順、梶原一騎、吉田秋生あたりは誰が入ってもおかしくない。個人的にはいくえみ綾とかも入れたい気もするが、個人的過ぎるので止めた。
あと、尾田先生が入っているのはつりですか、みたいなことを言う人には、何といっていいものやら。
[補足の補足]
ekken さんがブコメで尾田は外せよみたいなこと言ってたんですが、私もそれはリンクを張っている元記事について言っているんだろうなって思いました。そうじゃなくてもっと直接に私に向かって「尾田先生が入っているのはつりですか」と言っている人がいたんで(消されたみたいですわ。こわっ)、書いたことで批判されるならともかくさすがに言ってもないことで揶揄されるのはやだなあと思って補足しました。ekkenさん、ご迷惑おかけしてごめんなさいね。この点をブコメで指摘してくださった方も、言ってもいないことで私が批判されるみたいな流れになるのをくぎをさしてくださったんだと思います。ありがとうね。
ONE PIECE, 私も好きだけど、正直、尾田先生をもし入れるぐらいなら富樫先生を推したいの。
枠が5つしかないんだから、候補で名前が挙がるってだけでそれだけでもう本当は天才なんだけどね。
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議論はとてもいいと思うし定義も明示されてるけど それ「天才」って言葉のチョイスだけがなんか違うと思う。
漫画家の物の考え方自体が面白い。
(以下引用)
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イラスト
ヤマザキマリさん インタビュー!(2013年)
今回は、ウォルター・アイザックソンの世界的ベストセラーをコミカライズして、
超話題の『スティーブ・ジョブズ』第1巻が発売されたばかりの漫画家・ヤマザキマリさん。
世界を駆け巡る漫画家だけあって、一瞬の日本滞在時に、お話をうかがいました!
まずは、スティーブ・ジョブスの自伝を漫画化することになった経緯を教えてください。
【ヤマザキさん】(以下Y) :
ジョブズが亡くなって本が出版されると決まった時に、『Kiss』の担当さんから依頼がきたんです。
その時の私は忙しくて、ジョブズに対してもそこまでシンパシーがなかったので、ちょっと考えさせてください、と返事をしました。
そこから、描くことを決めた理由はなんだったんでしょうか?
【Y】:
息子に返事を保留したことを話したら「本当にすごい人だから、もう一度自伝を読み直して、ジョブズという人物を認識し直してほしい」と頼まれてしまって。
息子は毎日アップルストアに通うほどのMacファンだったんですよね。
旦那とエンジニアをやっている舅からも「やるしかないだろ!」とかいろいろ言われまして(笑)。
身近な人間からそんなに強く言われると、とりあえず自伝をもう一度読むしかないじゃないですか。
改めて自伝を読み返して、先生の中で何か変化はありましたか?
【Y】:
ありましたね。改めて読むと、ジョブズの偏屈っぷりが、私の周りにいる人たちと似ていたんですよね。
それで、あぁ、こういう人なら描けるわ、と(笑)。
私は、素敵な社内恋愛や学園恋愛モノを描けって言われても無理だと思うのですけど、変人なら描けるので(笑)。
あともうひとつ。ジョブズを描きたいと思った理由に、彼が“テクノロジーと人文科学的なものの間に立っていた”という部分があります。
インド瞑想に走っても、一方でテクノロジーにずっとハマったままだった。
どちらかひとつに傾いてしまう人がほとんどの中で、彼は希有な人物だと思いますね。
そもそも、ジョブズに対して、先生はどんなイメージを抱いていましたか?
【Y】:
威圧的でイヤな奴という印象でしょうか(笑)。
自分のやり方に従わない奴は容赦なく排除していく、独裁的で超資本主義的ですよね。
私が漫画化する過程で感じたのは、彼はもともと特異な人ではあったけど、出生のねじれによって、人一倍の孤独感とコンプレックスが彼の中で形成されたのかなということです。
孤独だからこそ、一番頼らなきゃいけないのは自分。裏切ることがないのも自分自身。それぐらい彼の中で自分という存在は揺るぎないポジションにいて、鬱屈したものを排除するためにも、気持ちと格闘していたのかもしれないですね。
ジョブズは寂しい人でもあり、例えるなら……鋭利でトゲトゲなクリスタルという感じの、とにかく繊細な男性ですかね。
そんなジョブズみたいな男性は、先生的にいかがですか?
【Y】:
いやぁ〜、私は絶対に彼には惚れないですね!
お嫁さんにも絶対になりたくないし、一緒に働くのも無理(笑)。
そもそもジョブズ自身に帰属性がないのに、よく会社を経営していたなって思いますよ。
でも、彼が周りを馬鹿者扱いしても、みんな許しちゃうんですよね。
彼の持つカリスマ性って、唯一無二なんですよ。
あんなにイヤな奴なのに、一緒にいたいとみんなが思うっていうのはあり得ないですよね。
つくづく不思議な人物だなと思います。
『Kiss』はオトナ女性コミックなので、ジョブズの素敵なところもぜひ教えてほしいのですが……(笑)
【Y】:
う〜ん……嫌味なところですかね!(笑)。彼の嫌味な部分が出始めたころから、ジャンジャン筆がノってきたんですよね。
今、日本では、なかなか彼氏が見つからない、結婚できないっていう女性が増えていると聞いたんですけど、それはみんなが絞りすぎだから!
ステレオタイプな素敵男子がウケている世の中ですが、彼氏がちょっと変人でもいいんじゃないかな。
だから、変人に対する寛容性を広めるべく、こういう男も大変だけど魅力はあるんだから、と描いてます。
だって彼がいなかったら、今みんなが使っているiPhoneやiPodも生まれなかったわけですからね。
色々大変だけど、結果としてこの世に残り続けるすばらしいものを生み出したのがジョブズですから、彼のような男を許すという。
先生自体、もともと変わった人にかなり寛容ですよね。もしかして、変わった男性フェチですか!
【Y】:
フェチっていうわけじゃないけど、おもしろいことを生み出したり話したりしてくれる、変わった人を好きになる性質はあります。
あれ、そういうのをフェチっていうのか!(笑)。
うちの家族やその周りは、ジョブズとは系統がちょっと違うけど変人だし、旦那も息子も舅も変。
仲良くしてくれる漫画家さんも変人だし……まぁ、私も子供の頃からおかしなコって思われてきたから変人ですかね。
うん、変人フェチで間違いないですね(笑)
先ほど、ジャンジャン筆がノってきたとおっしゃっていましたが、彼の内面を描く以外に、おもしろい! と感じるのはどんな時ですか?
【Y】:
原作で『彼は悩んだ。そして次の日〜』とサラリと書かれていることを解体していく時ですね。
私は漫画家だし想像力の旺盛な人間なので、悩んだジョブズを1コマで描いて終わらせることはできないんですよ。
悩んだっていっても、悩みながらずっと部屋にいたのか、外に飛び出していったのか、人に八つ当たりしたのか、いろんなパターンがあるじゃないですか。
だから、その辺はすごく自由に想像して描いています。
原作者のアイザックソンもそこは言及してない部分なので、それはやっぱり絵を描く人間の役割だと思って、ノリノリで描いています。
では最後に、読者にメッセージをお願いします!
【Y】:
この作品を作る時に意識したのは、ジョブズが気に入ってくれるような漫画を描くこと。
だから、なるべく余計なものを削ぎ落として、筆ペンで陰影を省いたタッチにしています。
なんとなく変なものを描くとあの世に行って怒られそうで(笑)。
ジョブズは嫌な奴であり、天才であり。被写体としては最高です!
本当は良い奴なんだと思った瞬間、次のページで裏切られる。それっておもしろいじゃないですか!
この作品を読めば、ジョブズみたいな男を許す人間としての振り幅の広さが身につくかもしれませんへん