うわーどうしようかな、一回くらい見たいけど、それよりも優先度の高い重要なことがいくらもあるしなあ。耳掃除とか爪切りとか。 RT @milgami29先生、今夜の深夜映画はあのハリウッド版ドラゴンボールですよ\(^o^)/ww
あちこちでこの怒涛の最終シリーズへの感動が語られている。
まるで「まどか☆マギカ」のようだ。
まだ最後の最後は分からないが、ここまで来て、過去をふりかえると、すべてが違った風景として見えてくる、というのも「まどか☆マギカ」を思わせる。
だが、とりあえず、素晴らしい感想を紹介しよう。ほかにも素晴らしい感想はあるが、まずはこれ。
(以下引用)
「さよなら絶望先生」ゾクゾクゾク!衝撃展開すぎる件
・「さよなら絶望先生」イヤッホオオオウ!衝撃展開すぎる件
「さよなら絶望先生」泣いても笑っても後2話である。
今週のタイトル、300話「私達の知ってる可符香ちゃんは天使みたいないい子でした」。ついに風浦可符香の深層に迫るのである。
風浦可符香
…オーケー、いったん情報を整理しよう。
・風浦可符香はP.N(ペンネーム)である。
・超ポジティブ少女である
・卒業写真では可符香だけ写っていなかった
・あびるの眼帯が取れたらクラスメイトが可符香に見えた
・鏡には慈愛溢れる表情
・以降は本編から姿を消した
・死んで成仏してない証(羽根)をまとう
・クラナドは風子が可符香に見える(駄目絶対音感)
情報整理おしまい。
むむむむ、なかなか意味深ですね。
一体何者なんですか可符香ちゃんは。
さあ、可符香の正体を知ろうではないか。
以下、ネタバレ全開ですので知りたくない人はディスプレイの変わりに来世でも見てて下さい。
風浦可符香とは何者だったのか?
風浦可符香とは?
「風浦可符香という人物は存在しません」
/' ! ━━┓┃┃
-‐'―ニ二二二二ニ>ヽ、 ┃ ━━━━
ァ /,,ィ=-;;,,, , ,,_ ト-、 ) ┃ ┃┃┃
' Y ー==j 〈,,二,゙ ! ) 。 ┛
ゝ. {、 - ,. ヾ "^ } } ゚ 。
) ,. ‘-,,' ≦ 三
ゞ, ∧ヾ ゝ'゚ ≦ 三 ゚。 ゚
'=-/ ヽ゚ 。≧ 三 ==-
/ |ヽ \-ァ, ≧=- 。
! \ イレ,、 >三 。゚ ・ ゚
| >≦`Vヾ ヾ ≧
〉 ,く 。゚ /。・イハ 、、 `ミ 。 ゚ 。 ・
ちょ、ちょっと待って下さい!
風浦可符香なんて存在しないって…!?
確かに
「幻想…共同幻想の一種じゃないんですか」
「閉ざされたコミュニティーで起こりうる、集団催眠のようなもの…」
「伝承や宗教を信じ込むことで脳が見せてしまう天使や妖精や河童といったような幻影。そう、天使のような」
天使といえば絶望先生は確かに見た。
可符香が目の前に存在するのに絶望先生にしか見えなかった天使がいた。「0.001秒の悪魔」(199話)である。
天使
可符香が目の前にいるのに、絶望先生にだけはもう一人の可符香が見えていた。絶望先生の深層心理に潜む0.001秒の天使である。ただのギャグでネタだったのか、何で可符香とまったく同じ姿だったのか。風浦可符香は天使…?
話を本編に戻そう。
刑事は可符香は共同幻想で天使って事でいいじゃないですかという回答に「ふざけるな」と一括。当たり前である。「何の共通の伝承も宗教もない所で何故クラス全員が同じ人物を、同じ幻を見ていたと言えるのか」と読者と同じ疑問を投げかける。
絶命先生は人間の記憶は脳だけでなくあらゆる臓器、血液にまで記憶があるとか不可解な事を。そして新井智恵先生は「記憶転移」というものを説明する。臓器移植に伴いドナーの記憶の一部が受容者に移る事があるんだとか。以前あびるが角膜移植を受けた左目は、前の持ち主をひいた車のナンバーがフラッシュバックすると述べていました。
絶望少女は全員何らかの移植を受けた受容者。
2-への生徒は受容者
「2ーへだった生徒達は一つ共通点があります」
「彼女達は全員が何らかの移植を受けた受容者であり」
「たった一人のドナーから提供を受けているという点です」
ある者(小節あびる)は角膜を、あるもの(何で木津千里だけ「もの」と平仮名?)は心臓を、ある者(小森霧)は肺をドナーから提供されたなんだって。まあこの辺りはあびるの角膜移植である程度は予想できました。
命を引き継いだ絶望少女達にとっては、ドナー提供者は母のような存在なのです。なるほど、あびるが鏡で見た可符香の眼差しはこれか!
そして可符香の実体も判明。
最初に絶命先生の元に訪れた風浦可符香は常月まとい、別の日に訪れた風浦可符香は木津千里…。どういう事かといえば、受容者たちが代わる代わる交代で風浦可符香を演じていた、もとい出現していたのである。
可符香の正体
「受容者達は他の受容者の中に出現した彼女を風浦可符香と認識していた。一人の人間が複数の人格を有する多重人格とは逆に、一人の人格が複数の人間の中に存在していたんです」
な、なんだってー!
風浦可符香は正確には存在しないけど、1人の少女が絶望少女達に臓器移植した事によって、記憶の共有など一種の共同幻想が起こり受容者の中に風浦可符香が出現し、他の受容者は彼女を風浦可符香と認識する。1人の人格が複数の人間の中に存在している。
しかし凄い。今読み返すと色々と気付かされる。
めるめるが初登場した時(7話)の可符香は上記の絶命先生の説明の通り、確かに腕に包帯を巻いていました。
7話の可符香
つまり、7話「アンテナ立ちぬ、いざ生きめやも」の時はあびるが可符香だったという。凄い…ビックリ仰天です。2-への絶望少女が1人登場しない時に、その娘が可符香をやっているというのである。
これは…出番が少なく毎週のように加賀愛が登場しなくて絶望していた俺の目からウロコである。つまり、加賀愛が可符香をやっていた可能性もあり、実は登場していたんじゃないかと思うわけである。
そして、核心に迫る。
風浦可符香というものは共有人格である、と。
可符香の正体
共有人格者
PN(パーソナリティー)シェアリング
これが可符香の「P.N」である。
ゾクゾクしました。鳥肌立てながら読んでました。
しかし、改めてアニメのOP見るとビビッとくるね。
原作にポロロッカしたのか、最初からそういう構想でアニメのOP作っていたのか知りませんが。1期OP「人として軸がぶれている(AA)」では、カオスな動画だなぁという印象しかなかったんですけど、最後に可符香が妊娠してるんですよね。
可符香妊娠
これは母のようという意味があったのかは分からないんですけど、この時の歌詞が可符香の台詞で「アタシがいるよ気付いて」なんですよね。なんて意味深なんですか!
2期(俗・)OP「空想ルンバ(AA)」は臓器臓器臓器臓器臓器…というグロテスクな作画が途中で挟まっていました。なんだこの気味の悪いのは、全然ルンバじゃないよ!と、思ったものです。
ルンバルンバルンバ
臓器臓器臓器のサブミナル効果。
もうどう考えても可符香の臓器にしか見えませんよ!
受容者である絶望少女達がOPでカオスな中にいるのに、可符香だけは入っておらず最後に寂しそうに立っていたのが印象的です。
そしてOVAシリーズ(獄・)2.5期
絶望少女達が可符香に変わる演出がありました。
絶望少女が可符香に
また「嘘」の顔文字の可符香、いつも首吊ってるのは絶望先生なのに逆に首吊り落下する可符香と助けようとする(?)絶望先生、絶望少女の残骸の上で踊り狂う可符香…と今見ると意味深すぎて唸る。
最高にカッコイイ、最凶にカオスだった3期(懺・)「林檎もぎれビーム!(AA)」では、可符香は地球の上に立ってたり宇宙空間を笑顔で漂っていた。何よりも落下する可符香とそれを助ける絶望先生が印象的でした。
空から落下する可符香を助ける
どういう意味だろうか。
まあ、アニメは別物であまりアニメを意識するなという気もするけど、落下する可符香を助ける絶望先生というのは何か引っ掛かりますよね。
話を本編に戻そう。
風浦可符香の本名は百閒様なら余裕で予想できたものである。
可符香の本名はドナーカードや図書カードで確認できます。
可符香の本名
赤木杏である。
今の可符香は実在しないかもしれない。
しかし、絶望少女達の過去回想では可符香にソックリな娘が同級生だったり、トラウマを植え付けていたりした。これも共同幻想なのかといえば、否である。だって名前呼ばれてるもん。
杏ちゃん
「あらー杏ちゃん、よかったねー」
オーケー!もう一度整理しよう。
・赤木杏は実在していた
・高校入学前に交通事故で他界したのだろう。
・絶望少女達にドナー提供をした
・風浦可符香として絶望少女が演じる
・まだ未練(羽根)があって成仏していない
赤木杏は確かにいた。いや、本当にいるんですよ!オヤシロ様が『い』るように、赤木杏も2-へに『い』るんだよ。けけけけけ。
赤木杏は実在する!
絶望少女達が代わる代わるでなる風浦可符香ではなく赤木杏としているのである。誰かが風浦可符香役をやってるんじゃありません。「風浦さん」とか「可符香ちゃん」と呼ばれるのでなく、赤木と呼ばれているのである。
絶望少女達が代わる代わりに風浦可符香になる。
「2-へ」に赤木杏がいる。可符香でなく赤木杏。なんという矛盾!
生きる事って最初からクイズ
あなたがこうして現世に存在する理由は
可符香でなく赤木杏がいる条件…
「今週の絶望先生は取材のためお休みです」
糸色望不在時である。
ある朝目覚めると風浦カフカは小節あびるになっていた
ある朝目覚めると風浦カフカは木津千里になっていた
ある朝目覚めると風浦カフカは(常月まといになっていた)
ある朝目覚めると風浦カフカは(小森霧になっていた)
ある朝目覚めると風浦カフカは
なっていた。
さよなら風浦カフカ
「出会ってはいけない二人が出会ってしまった」
「出会ってはいけない二つの魂が出会ってしまった」
依り代として首を鍛えている絶望先生
まだ羽根(未練)があって卒業(成仏)していない赤木杏
…もう何も言うまい。
赤木杏に幸あれ!次回最終回!
多分、すぐに画像が消されると思うが、こんなのを見つけた読者もすごい。
「どうな」「っちゃうんでしょうね」を言うときの可符香(字はこんなか? もう今なら「可腑化」としてもいいくらいだ。もちろん「腑」って内臓ね)の顔がすごい。「どうな」つまり「ドナー」ですよ?
しかし、最初から結末がああなることを隠して、よく今まで描いてきたものだ。やはり、これは天才の作品だ。
ついでに言うと、例の押尾事件のずっと前から、「絶望先生」の中では押尾学がいかに人格低劣な人間であるかがほのめかされていた。私は「絶望先生」解析サイトを読んで、押尾学という芸能人が存在することを知っていたので、あの押尾事件が起こって、本当に驚いたものである。
(以下引用)
当たり前に接してる先生が怖い
他にもありそう…
(以下引用)
椎名高志
まー見れば勉強にはなると思う。漫画の面白さを理解できる新しい世代とできない層の温度差とか、マーケティングというのがどんだけ独自性を破壊するのかとか。
(以下引用)
椎名高志
マガジン読んだ。『絶望先生』で鳥肌立った・・いやいい意味で。こういうことやれちゃう天才なのだと実感。
なぜだか、ナウシカってのはパロディにされやすいんだよね。澤穂希もワールドカップでナウシカ状態になってたし(写真がまだこのブログの過去ログの中にあるかもしれない)。
(以下引用)
41:名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/08/20(土) 07:42:01.59ID:MZ3NgMhG0
何度見てもいいな
同人はエロじゃなくパロが主流になってほしい
もういっこあったべこれ
二個目がきたw
まあ「さよなら絶望先生」ほど深遠な哲学に満ちた漫画はないのだが、マガジン読者の大半は読むのが面倒だから飛ばし読みをしているであろう。投入された努力がこれほど膨大で、これほど役に立つ知識に満ちた作品もない。池上彰のニュース解説よりずっと役に立つ。それなのに読者が(多分)少ないのは、世の中の人間の8割は阿呆であるから、こんな難しい漫画は読まないのである。パターン的展開の安易な漫画の代表である「ワンピース」が何百万部か売れるのはその8割が買うわけだ。久米田康司(康二?)は売れないのを誇りにするべきだろうが、多分ずっと売れないだろうし、高額所得者には永遠になれないだろう。「絶望だ!」
でも、わずかな、熱烈な理解者もいる、ということで、作者もって瞑すべし、である。
下記記事の中で、岩瀬の介護士をしている浅尾、という言葉は、実にうがった言い方だ。
(以下「2ちゃんねる」から転載)
というわけで275話「一割の労苦」。
今回のネタは「90対90の法則」。9割方終わってるようで残り1割に結局、9割と同じ位の時間がかかるという皮肉。分かります。分かりますよー。私も先日の台風で、電車が止まりまくって会社から自宅まで帰るのに、9割方は帰っていたんですけど地元の路線が止まっていて動くまで待ち続け、結局9割と同じくらい残り1割帰るのに時間食いました。
9割終わってるのに、残り1割がやたら長いんですよ!
90対90の法則に絶望ですよ。久々に糸色先生が絶望し、久々に羅列ネタとか何だか昔懐かしですよね!
久々の羅列ネタ
個人的に気になったのは最後のやつ。
どうせ1~2年で消えると思われ早20年。
それが人生として良かったのか悪かったのかわかりません。ただいろんなものを犠牲にして参りました。親にも周りにも多大な迷惑をかけました。本当にごめんなさい。
一体何のことなのでしょうか。訳が分かりません。
ちなみに、久米田康治先生は今年で画業20年です。
あと面白かったのは「岩瀬投入から(心理的に)長い中日のゲーム」でしょうか。中日の岩瀬選手といえば、ストッパーとして歴代1位のセーブ記録保持者。しかし、去年から投球に安定感を欠いてセーブ失敗が増えていきました。
そのため、セットアッパーを務める浅尾介護士が8回だけでなく回またぎどころか、9回2アウトまで取ってから、岩瀬選手が1アウトだけ取ってセーブという起用が目立ちました。それを見た中日ファンは「まるで老人の介護をしている介護士のようだ」と思ったとか思わなかったとか。
「岩瀬さん、バトンタッチです」ですよ!
で、謎のカウントダウンに入った「さよなら絶望先生」。
卒業まで後半年って、卒業したらどうなるのって感じでしたけど、6年以上も連載している今までを9割だとしたら、残り半年くらいっていう1割は…。終わりが見えてからが長いのですよ!
残り1割は…
「漫画とかも終わりが見えたなってところからが長いのかもしれません。例えば、あくまでたとえですよ。単行本27巻まで出ている漫画が、ああ30巻くらいで終わるなと思っていても、実際は27×2で54巻まで出てしまうかもしれないのです」
あくまで例えって、一体何の事を言っているのでしょうか。
ちなみに、「さよなら絶望先生」27集は10月17日発売です。
まどかは私の… |
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奇跡のデザート |
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魔法のiらんど |
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こだわりの設定 |
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そして決裂へ… |
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放浪娘 |
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お嬢様の憂鬱 |
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勘違いの要因 |
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人を呪わば |
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情熱の旋律 |
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少女の奇妙な冒険 |
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ここは私が喰い止める |
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私としては、この記事を知った直接のブログ「adminではないけれど」の筆者が言うように、「吾妻ひでおの名が挙がっていない時点で、どちらのランキングもダメだ」という意見に賛成だが、どちらかと言えば、後者のランキングがましではある。ただし、ランキング内部の順位には大きな疑問がある、そもそも、第一位の桂正和など、作品を読んだこともない。その程度の一般的知名度の漫画家が第一位なのか? まあ、そういうことを言えば、山本直樹など、ただのエロ漫画家というのが世間の相場だろうが、彼の書くキャラクターのエロチシズムは、確かにすごいとは思う。だが、それもまた「可愛い」という基準になるのか。いやいや、あずまきよひこと山本直樹が共にランクインするという、この企画の無茶さがすごいというべきか。
(以下引用)
真の漫画好きによる女の子を描くのが本当にウマイ男性漫画家ベスト10
『江口寿史のお蔵出し 夜用スーパー』著:江口寿史 より
リサーチアンケートやアクセス数により、さまざまなジャンルのランキングを提供しているgooランキングだが、先日発表された「かわいい女の子を描かせたらピカ一だと思う男性漫画家ランキング」には今年一番の注目が集まったといってもいいだろう。特に男性にとっては、「登場する女の子の魅力」はその漫画自体の好き嫌いをジャッジするうえでも重要なポイント。当然このランキング結果には多くの漫画好きを自認する人々から賛否入り交じったさまざまな意見が寄せられた。以下がgooランキングによる「かわいい女の子を描かせたらピカ一だと思う男性漫画家」ベスト10だ!! アナタの好きな漫画家は入っているだろうか。
1位 あだち充
2位 北条司
3位 桂正和
4位 江川達也
5位 かきふらい
6位 尾田栄一郎
7位 矢吹健太朗
8位 藤島康介
9位 鳥山明
10位 小畑健
栄えある1位に選ばれたのは、『タッチ』、『H2』でお馴染みのあだち充氏だが、この結果に納得しなかったのが、12位にランクインした江口寿史氏だ。江口氏といえば『ストップ!! ひばりくん!』で一躍有名になったこともあり、美少女(少年?)を描くことには定評がある。江口氏はこのランキングを見てTwitterでこう絶叫した。
「あの男も女もみんな同じ顔しか描けないあだち充が1位だというのか!!」
このツイートには多数のリツイートがあったらしく、その後すぐに「いや、あだち充さんの漫画は好きですよw(絵はどうでもいい)」とフォローし、「だいたいオレより上の10人の中で自分で負けてると思うのは鳥山明と小畑健だけだ。よってオレは3位!!」「手塚治虫のエロさはすごい」「ちばてつやの描く女の良さもすごいよ」などと独自の考察を繰り広げている。江口氏ではなくとも、このランキング結果に憤る漫画ファンは多い。
「ふざけているのではないか。あだち充が1位というのは、みんな(『タッチ』の)南ちゃんが好きなだけであって、その漫画家が描く女の子の特徴というものを真剣に考えていない。カワイイ漫画の女の子=南ちゃんという短絡的な思考で票を入れているとしか思えませんよ」(蔵書1500冊を誇る漫画通男性)
たしかに、彼の言う通り、インターネット上の投票では漫画に対しての思い入れの有無に関わらず投票に参加できるため、結局有名な漫画家、一つ有名な女キャラがいる漫画家がランキングしてしまうという歪みが生じてしまうのかもしれない。そこで今回、我々は「漫画が好きで出版業界に入った!!」という精鋭20人に接触し、厳正なる投票を行なった。ついに完成した「真の漫画好きによる女の子を描くのが本当にウマイ男性漫画家ベスト10」がこれだ!!
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
10位 大暮維人
「とにかく絵がキレイです。『エアギア』、『天上天下』などでは女の子のアクションシーンが多いんですが、体のラインが本当にキレイで肉感に溢れてます。躍動感のある女体を描かせたら右に出るものはいないでしょう。ストーリーという面では特筆すべきものはないんですが」(I井氏)
『エア・ギア 27』より
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
9位 貞本義行
「エヴァやナディアのキャラクターデザインが有名ですが、漫画版の『新世紀エヴァンゲリオン』も彼の作品。顔の描き分けは少し物足りないといえばそうなんですが、少年、少女たちのあの中性的な雰囲気は彼にしか出せないのではないでしょうか。全体的に細身の女の子が多く、表情やストーリーもあいまってはかなさを感じますね」(N田氏)
『貞本義行画集 CARMINE(通常版)』より
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
8位 江川達也
「20代後半から30代前半の人なら、みんな一度は『まじかる☆タルるーとくん』や『東京大学物語』を読んでドキドキしているはず。エロティックな描写に、妙に緊張感があるんですよね。彼が高学歴なのが関係あるのかはわかりませんが、台詞を重ねれば重ねるほど背徳感が増していくような...。個人的には女の子がみんなタレ目なのがツボです」(J崎氏)
『東京大学物語 32』より
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
7位 奥浩哉
「やっぱり奥浩哉といえば巨乳でしょ。『GANTZ』にはレイカといい岸本恵といい巨乳キャラが多いし、後は『HEN』で描かれた中性的なキャラも捨てがたい。キャラの内面の書き分けがうまい作家だね」(I坂氏)
『め~てるの気持ち 3』より
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
6位 真島ヒロ
「『RAVE』、『FAIRY TAIL』など少年マンガの王道的なストーリーと絵柄が特徴なんですが、女の子キャラもほどよいデフォルメ感とリアル感があってカワイイです。もちろんものすごくスタイルがよくて活発で顔立ちもかわいらしいんですが、どこか庶民っぽさがあるというか、その辺にいそうな"ナマ感"があるんですよね~不思議です」(M野氏)
『FAIRY TAIL 9』より
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
5位 鳥山明
「漫画もそうだが、キャラクターデザインという点でも高い評価を受けていることはいうまでもない。『ドラゴンクエスト』シリーズのキャラクターデザインが世に与えた影響は計り知れない。ほかの漫画家に比べて、アラレちゃん、ブルマ、ランチさん......それぞれの女の子が放つ個性が圧倒的だ」(U川氏)
『DRAGON BALL 2』より
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
4位 鳴子ハナハル
「成人向けのエッチな作品が多いんですが、『かみちゅ!』の漫画版でご存知の方も多いはず。とにかくエロ漫画では滅多に見ないほどの絵柄のキレイさで、女の子に透明感があるんです。逆に透明感がありすぎて、女の子たちがどんなに過激でいやらしいことをしてても、『実用』はできないというか......(笑)。芸術的すぎて(笑)」(S野氏)
『少女マテリアル』より
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3位 山本直樹
「とにかくエロイです。哲学っぽかったり、ぶっとんでたり、青春の一コマだったり、さまざまなシーンが描かれているんですが、人間というものへの視点が非常に鋭いというか、容赦ないというか。華奢でかわいい女の子と、むさくるしくていかにもモテない男との絡みなんて本当に興奮します」(Y澤氏)
『世界最後の日々』より
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
2位 あずまきよひこ
「『あずまんが大王』、『よつばと!』などアニメ風の女の子たちのほのぼのとした日常のドラマを描いていますが、作品を見てると女性のという"在り方"自体に、憧れを抱いてしまいます。強烈な「萌え」とは違うんですが、見ていると心がほっこりと暖まるような。キャラクターの感情の動きが適度にリアルで、造形とのバランスもいいです」(N田氏)
『よつばと! 10』より
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
1位 桂正和
「『電影少女』に夢中でした!! ボクは桂正和の描く女の子のお尻で性に目覚めました。日本で、いや世界で一番魅力的な女の子のお尻を描く漫画家です。あの肉感とパンツのしわなどのディティールには驚嘆します。女の子の絵柄がもう群を抜いて魅力的です。それに彼女たちの性格や行動に含まれる不可解さとピュア加減が絶妙。男の理想を描ききっています」(K田氏)
『ZETMAN 11』より
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
もちろん、世代の異なるすべての人が納得するランキングというのは存在し得ないが、漫画好きを自認する大きな男の子たちが頭をひねって絞り出したこの結果、かなり妥当な順位になったのではないだろうか。最近トキメキを感じないという読者は、思春期に読んで夢中になった漫画をもう一度開いてみれば、心だけでも青春に立ち返れるかもしれない。漫画のなかの女の子たちよ、ずっと好きでした。そして、お世話になりました。
(文=ヨーコ)
野球の戦略性ということでは、川原泉の「甲子園の空に笑え」などが先駆的な作品ではなかったかと思う。野球はまず守備であるという基本を抑え、弱小チームが強豪チームに勝つための戦術を、無理なく作り出していた。あのとぼけた絵柄から想像されるよりも、はるかに知的な野球漫画なのである。その続編とも言える「メイプル戦記」も非常に面白い作品なので、一読をお勧めする。
男というものの大半は頭を使うのが嫌いなのか、「アストロ球団」のような馬鹿漫画を好む傾向があるようだ。そして、その馬鹿さ加減を笑いながら見る態度こそが知的なのだという斜に構えた人間も多い。しかし、一部の漫画のそういう変な持ち上げ方のために、本当に知的な漫画が正しく評価されないという結果になってはいないだろうか。車田正美の馬鹿漫画なども同様だ。
まあ、今更そんな過去の話をしてもしょうがないが、現在でもそうした批評性の貧困さのために一部の漫画がやたらにもてはやされて、その他の漫画の評価が相対的に低くなっている。「ワンピース」が好きな人が何百万いてもいいが、他の漫画(特に過去の漫画)はそれよりはるかに知的で面白いということを知ってほしいものである。
その一方で、野球漫画で野球の持つ戦略的面がクローズアップされてきたのは、人間の思考自体が戦略的になってきた現代という時代を反映しているかもしれない。今どき、努力と根性で勝利を勝ち取るというスポーツ漫画など見たいという人間は多くはないだろう。
昔のスポーツ漫画は、才能に秀でた人間が主人公であるというのが当然の前提であり、だからこそ、凡人たちを主人公にしたちば・あきおの「キャプテン」などが新鮮だったのである。それ以前の「ストップ!兄ちゃん」などは、中学生のくせにプロのナンバーワン投手(金田がモデル)の球を平気でホームランするような怪物であり、ちば・てつやの「ハリスの旋風」の主人公にしてもおっちょこちょいな性格だがスポーツは万能であった。かなり時代は下るが、あだち充の「タッチ」その他の主人公たちにしても、実は才能に恵まれた者たちであって、スポーツ漫画の主人公が運動の才能に恵まれていることは当たり前の話であったのだ。
であるから、「おおきく振りかぶって」という漫画が、いかに革命的な漫画であったかがわかるのである。100キロそこそこのボールしか投げられない投手が、コントロールだけを頼りに、いかにして勝つか、というこの前提だけで、野球好きな人間なら、胸をわくわくさせるはずである。この漫画が成功したのは当然であった。