ありがたい・・・
Aliaume BEUTLER @Meteora_7b
#LittleWitchAcademia #eizouken_anime pic.twitter.com/logWgH1Rdt
ただ、演出的にどうかと思ったのは、年少の視聴者(むしろこちらの方が大事なお客さんだと思う。アニメを家族で見るレベルの、程度の高い親は子供の意見を結構尊重するものだからだ。)が理解困難と思われる個所が何か所かあったことで、そのひとつ、百目鬼氏がなぜ吐いたのか、分からなかった子供はかなり多かったと思う。
もちろん、アニメに関心の高い視聴者なら、浅草氏が演じた様々な状況での足音が、すべて同じ音であることに、SE命の百目鬼氏が吐くほどの嫌悪感を感じたことが分かる。しかし、このアニメは「全年齢向け」という評価を作りつつあると私は思っているので、小学低学年程度の視聴者でもほぼ理解できるような演出が必要だと思う。つまり、「説明抜き」の描写は、通には高く評価され、「それを説明抜きで理解できる俺(私)ってカッケー」となるだろうが、それでは社会全体を巻き込むビッグウェーブにはならないのである。単純な話、あそこで、「みんな同じ音かよ!」と百目鬼氏が一言言ってから吐けば、百目鬼氏が「SE命」の人間であることが万人にはっきり理解されただろう。
まあ、カッコよい演出を取るか、大衆的理解を優先するかは難しい問題だが、NHKは後者をこそ優先させる使命を持った放送局だと思う。
もうひとつは、鴨川、じゃない、水崎ツバメ嬢が、或る種のアニメの絵を短時間で描く困難さを説明する長ゼリフが早口で言われるだけであったことだ。聞き取れなかった視聴者も多かっただろう。しかも、その説明は比喩を使った説明なのであり、せっかくのアニメなのに、なぜ「絵で」見せないのか。比喩のとおり、鎧兜を着た絵描きが壁か何かに絵を描く映像を見せるだけで、その困難さは一発で視聴者に伝わり、腑に落ちただろう。つまり、絵で見せないで何のためのアニメなのか、ということだ。そもそも、アニメに限らず、映画では「説明セリフ」は避けろ、というのは基本常識のはずである。何のための映像なのか。今時の演出家の中には、そういう基本すらロクに学ばず、自分の見知っている出来合いの知識の範囲内だけで物事を処理しようとしていないか。
そんな百目鬼も加わってますます目が離せない映像研、BDBOX絶賛予約受付中です!
金森「予約するかどうか、決めるのはあなた方視聴者なんだッ!!」
eizouken-anime.com/bluray/
#映像研 つるP
ただ、私の目からは、アニメは第四話以降、その部分が薄れている感じも無いではない。魅力の大きな要素を捨ててしまってはマズイのではないだろうか。
いずれにしても、原作漫画に「物語性」の弱さがある以上、アニメならではの「視覚的魅力」をより深く表現するところに、このアニメの生命線はあると思う。
下の記事で赤字にした部分は、原作漫画には無く、アニメ班が独自に付け加えたシーンだが、こういう部分が原作に大きな付加価値をつけている。そこにアニメ化の意義もあるわけだ。
大童:グッとくるシーンでしたね。メカなどの一定の構造を持ったものが近づいたり、離れたりするシーンを描くには、ブースターの間隔など様々なものの比率をしっかりコントロールしないといけません。それを1枚1枚の絵で描いているんだからすごいですよね。
宇宙船の船外ポッドが飛び出る瞬間、絶妙のタイミングでカットを変えて金森氏が壁から飛び出してくるところとか、その緩急のつけ方も素晴らしいですし、飛び出した勢いそのままに金森氏がハシゴをかけるところのスピード感もすごいと思います。
――これまでの放送(取材時は3話まで)で、いちばんグッときた動きはどこですか。
大童:3話で、金森氏が部室内で机を組み立てているシーンで、浅草氏と水崎氏が外から助けを呼んで、金森氏が面倒くさそうに立ち上がる動きです。
あとは、1話「最強の世界!」でコインランドリーに向かう3人のシーンもグッときました。
原作では俯瞰で描いたシーンですが、アニメでは階段を降りる時に水崎氏が手すりに触れるなど、細かい芝居が追加されているんです。その後に続くカットも3人の歩き方にそれぞれ特徴が出ていて、それもグッときました。語り始めるときりがないくらい、グッとくるシーンだらけです(笑)。
映像研の世界に悪の存在はまったく似合わないので、物語性の弱さは、映像研の長所と二律背反的なのかもしれない。(まあ、「のんのんびより」や「サザエさん」のように悪人が存在しないアニメもあるにはあるが、そこにはトラブルメーカーの存在が不可欠なのである。浅草氏がここまではその「お調子者」ぶりでその役割を担っていたわけである。)
なお、私は原作漫画の第四巻を読んで、電撃三人娘の作るアニメの物語性の弱さ(魅力の無さ)を指摘したが、「創作の脚本の弱さが原作第四巻のテーマ」だとは、それが事実なら意外(作者自身がそれを意識していたことが意外)な指摘であり、すると第五巻でこの問題の解決への道が示されるのだろうか。それなら素晴らしいことだ。
なお、伊藤氏の言う「キャラの特性で今後ドラマが生まれない訳なく」には同意しない。キャラの特性(個性のぶつかり合い)から生まれるのは漫才であってドラマではない。まあ、せいぜいが、第三話でのアニメ職人(水崎ツバサ)とプロデューサー(金森さやか)の意見の衝突程度のドラマだろう。
「SHIROBAKO」では、「無数の障害の中で期日内に満足の行く作品を完成させられるか」というサスペンスが「物語」を作っていたが(気づきにくいが、このアニメでは「悪役」もけっこういるのである。)、アマチュアの創作では、そういうドラマも無いわけで、実は「映像研という部をいかにして周囲に認めさせるか」というのが、ここまでの最大のドラマであるわけだ。さて、今後、どんなドラマが可能だろうか。
- 大童 澄瞳 SumitoOwaraさんがリツイート
#映像研 の今のところの弱点は物語が大して動いていないところなのだが、キャラの特性で今後ドラマが生まれない訳なく物語の進展を、焦る事無く見守っている感じ。
余談ながら創作の脚本の弱さが原作4巻のテーマになっているとの噂を目にして、ますます原作の信頼度が高まった。
あまり面白くもなさそうだが、実体験型(VR型)RPGという異世界の中に入って、「防御力に全振り(極振り)する」という、無理めのアイデアをどう処理するのかな、と思って一話めを見たが、まあ、下の文章にもあるようにご都合主義が凄い。フィクションの中のご都合主義を私は全否定する者ではないが、この作品の骨子は、「防御力に全振り(極振り)するとどうなるか」という問題をいかに誠実に考えるかというところにあるのではないか。そこをご都合主義にすると、作品の存在意義も無くなると思う。まあ、一話だけでは確認が不十分かと思って、二話まで見たが、時間を無駄にしただけだったwww
なお、原作は未読で、この種の作品の先行作のひとつである「盾の勇者の成り上がり」も私はあまり好きではないが、あちらのほうが防御力に特化することの問題点を(攻撃タイプの奴隷を育てるなど)一応は論理的に処理していた。
なお、下の評論サイトは、クールに構えすぎていて、「アニメを見る楽しさや喜び」が伝わらないという欠点があると思う。素人のくせに評論家を気取るのは私も同じだがwww
(以下引用)
なろう設定である意味は?
それアリなのッて感じだなー。
そういうものだと割り切って見るしかない。
初期ステータスの割り振りで防御に特化したら攻撃全くが効かなくなったり、
攻撃力がゼロなのに盾で押し潰して敵を倒せたりと、
突っ込みどころが満載です。
防御力の高さを活かしてレアスキルを沢山ゲットできるというのも、
ご都合主義以外の何物でもないですし。
その為ストーリーもこれといって見所が無く、平坦です。
ただ、こうした問題点は多くの「なろう系」に共通するものなので、
いちいち細かく批判していても仕方がありません。
今作に対して感じる疑問は、
なろう設定にしたことによって、何か良いことあるのかという点。
そもそもこうしたご都合主義な設定が多くの批判を受けつつも「なろう系」の人気があるのは、「周りから称賛されたい!」とか、「可愛い女の子にモテたい」とか、そういった欲望や妄想を主人公に自身を投影することで擬似的に満たせるからなのではないでしょうか。
ですが、今作のメイプルはリアルでもゲーム世界でも女の子です。
これでは、自身を投影して楽しむのは難しいと思います。
防御力の高さが注目されて、イケメンプレイヤーからアプローチを受けまくる逆ハーレム物として描くなら分かります。
まあ、キャラ紹介からそんな展開にはならないことは分かっていますけど。
そのため、何のためのなろう設定なのかが良く分かりません。
純粋になろう設定が好きな人向け?
【終わりに】
というわけで、「痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。」第1話の感想でした。
まだ初回なので何とも言えない部分はありますが、内容面にこれといった魅力を感じられませんでした。
防御力特化は1話を見る限り、デメリットにしかなっていなかったように思います。
「可愛い女の子を見ているだけで幸せになれる」というような感性の方なら楽しめるかもしれませんが、そうじゃない人は面白さを見出しづらいのではないでしょうか。
「キャラにはあまり魅力は感じなかったけど、ここが良かった!」という人がいれば、参考までに何が面白かったのが教えて欲しいですね。
シンプルに面白くない。4点。
何を楽しめばよいのか分からんな。
3点か4点だけど、まあ作画は悪くなかったし4点かな。
評価:★★★★☆☆☆☆☆☆(4点)
(以下引用)
マチェット所持、法律は?
y.h_marubatsuさんの投稿
皆さんから、素朴な疑問として、良くマチェット所持は日本では銃刀法違反にあたるのでは!?と、質問を受けたりしますが、、、、安心して下さい、大丈夫ですよ!日本の法律的にはマチェットくんは斧や鉈や、農作業の鎌、台所の包丁と同じ扱いの物なんです。(マチェットは、生活刃物と呼ばれる刃物に分類にされています。)かと言って、むき出しでマチェットを振り回しながら歩いていたら、即御用になってしまいますので、ご用心を。
xixrxaxmxdxさんの投稿
写真のような、切れ味するどい日本刀は、持ち歩くのに許可が必要です。ですが、マチェットの様に生活刃物と分類されている刃物類は、倫理や常識の範囲で、正当な理由で所持する、または使用する分には法律には触れませんので、ご安心ください。日本のアウトドアシーンでは、まだまだあまり一般的には馴染みがないかも知れませんし、マチェットをご購入される前に法律的に大丈夫かと不安に思うかも知れませんが、大丈夫です。しっかりした知識を持ちながら、楽しく安全に、カッコ良くマチェットを使いたいですね。
なお、前出の漫画家氏は、「キャラの顔が毎回違う」とも言っていたが、これも実作者らしい鋭い指摘である。ただし、それが悪いというのではなく、「アニメーター(あるいは原画マン)」によって顔が少しづつ違うということも、鑑賞のポイントと見るべきアニメだと思う。
浅草氏が延々と同じ麺を啜り込んでいる場面も、それを「アニメ制作における省略の技法をメタ表現している」と書いてあるファンのツィートもあり、多面的に見ることが可能なアニメのようだ。
ちなみに、その漫画家のツィートは下のようなもので、これは批判の言葉ではないと思う。また、「毎回キャラが違う」を私はキャラの顔が違うと捉えたが、個性の変化があるという意味にもとれる。特に水崎氏が浅草氏に感化されたような言動を前半でしていたのは、原作漫画には無い表現だったと思う。(それはそれで面白いわけだが。)
映像研ファンが、こうした発言を「悪意のもの」と受け取らないように願いたい。こうした指摘は、むしろ鑑賞の良い参考になるのである。
浅草氏を「可愛い」と言っているのは、可愛いの概念が美人より普遍性があるからだろう。つまり、年齢にも社会にもあまり関係なく、清少納言の言う「何も何も、小さきものはみなうつくし(これは「可愛い」の意味。おそらく「慈しむ」と同根で、「慈しみたい気持ちになる」のが「可愛い」の基本にある。)」なのである。これは少産系の動物の本能にインプットされていると思う。だから親が子供を可愛がり、育てるのである。
金森氏が子供にとって「怖い」のは当然であり、その脅迫的・圧迫的な言動は、子供からみたら怖い存在そのものだろう。しかし、その「非妥協的態度」「明確さ」が欧米人からはまさに欧米的精神と見られるのではないか、とは以前に書いたとおりである。
と言うのは、実は彼女のヘアスタイルは、「水崎つばめ」という名前に由来する、ツバメの尻尾風ヘアスタイルだ、と私は見ており、うなじ部分を刈り上げにすることで、燕尾部分が強調されていると思われるのだが、外国人には「水崎つばめ」の下の名前が鳥の燕を意味していると気づかれないからだろう。
具体的な絵は省略する。
リトルウィッチアカデミアは子供のためにNHK教育放送で日曜朝に放映すべきアニメである。「映像研」と「未来少年コナン」と「リトルウィッチアカデミア」を3本立て続けに放送したら、日曜朝はNHKの視聴率独占状態になるのは保証していい。子供だけでなく、大きなお友達もテレビの前に集まるだろう。NHKの視聴料金を喜んで払うだろう。コナンを見て、彼の騎士道精神を学んだ子供は、なぜ善が守るべきもので悪が拒否すべきものか心に刻まれるだろう。つまり、この3作品で、男女の愛、同性同士の友情、同じ目標を持つ仲間意識、という重要な感情やモラルを子供たちは楽しみながら理解するのであり、それは一生の財産となる。
「面白い」という評価は、陰惨な、あるいは不道徳なアニメにも与えられるが、「楽しい」という評価は健全な作品でしか経験できない、より貴重なものだ。上記の3作品は、すべて「楽しい」アニメである。