2: 風吹けば名無し 2022/03/13(日) 11:27:35.35 ID:gWcofAVS0
生きづらそう
コメント 4魔人
確かに、今回も彼のツイートを支持している人は実際にSHIROBAKOを見ていない人がほとんどだったね……。
このように、一見もっともらしいが、有名な固有名詞をいくつか配置しただけで、さしたる分析もおこなわず、情報の参照元も示さずに、そもそも情報にきちんと当たらないまま、ボンヤリと全体を俯瞰したようなふりをするというのが、小野寺系の典型的な手口なのである。言葉を変えれば、これは「博識な俺」を演出する以上の意味を読み取る必要のない文章である。
『バットマン』のときもそうだったが、ひょっとすると、小野寺系の知識は1990年代以降ろくに更新されておらず、ここ10年くらいのジャッキー・チェンの国際的な活動について、何も把握していないのかもしれない。まあ、知識がないだけなら、恥ではあっても罪ではない。問題は以下のような、差別意識丸出しの文章をあっけらかんと書いてしまうことだ。
要するに、小野寺系という人は――彼個人には何ら興味も関心もないので、あくまで文章上からうかがえる姿であるが――「知ったかぶり」の典型であり、聞きかじっただけの知識を適当により合わせて、そこに凡庸な感想を付け足すだけの、適当極まりない文章を、ひたすら量産しているだけの存在だといえる。
(中略)
彼の頭の中では、アニメ史も、現代アート史も、アジア映画史も、アメコミ史も、全ては、ほんの一部の著名な固有名詞が、ポツポツと置かれているのに過ぎない。そういう空虚な人間が、何か気の利いたことをひねり出そうと悪戦苦闘した挙げ句に、東洋は古くて西洋は新しいといった名誉白人的な差別的言辞が飛び出したりする
小野寺系という人は、映画から意味を読み取るということが不得手な人なのだろう。結果として、他人の作った映画をダシに自分の言いたいことをただ叫んでいるだけというオチで締める雑文が珍しくない。
小野寺系はなぜ映画評論家と呼ぶに値しないのか――アメコミ、アート、アニメ、そして映画 - skyfall 映画の記録 cinemania.hatenadiary.jp/entry/2020/02/… 日本の映画評論家はウィキペディアが読めれば務まる仕事だったの?
引用元:
『天気の子』や『君の名は。』など、社会現象クラスのヒット作を生み出してきたアニメ監督・新海誠。12月15日、ついに待望の最新作『すずめの戸締まり』の情報を解禁したのだが、ネット上では微妙な反応を示す人々も少なくない。
「すずめの戸締まり」は、鈴芽(すずめ)という少女を主人公とした物語。日本各地に開いてしまう「災いの扉」を閉めるために、彼女がさまざまな冒険を繰り広げていくというあらすじだ。
まだ公開されている情報は多くはないが、ポスタービジュアルでは廃墟のような世界と、青い海と空に挟まれた1つの扉が描かれている。過去の作品と同様に、視聴者を虜にするような美しい風景がスクリーンに広がるのかもしれない。
とはいえ、すでにこの時点で新海作品にお馴染みの要素がいくつも出揃っているのは気になるところ。「天気の子」や「君の名は。」でも描かれた“災害”というテーマ、“空と水”という意匠、そして思春期の少年少女…。
繰り返されるパターンに、手厳しいアニメファンからは《新海誠の新作また特殊能力系女子高生かよ》《毎回似たような奴やってんな》《もはや設定からセカイ系くさい》《また空と水と少女と少年かよ》といった声があがっている。
「すずめの戸締まり」でとくに揶揄されているのは、少女が物語のカギを握っているという点。もともと新海作品では10代の少年少女を主役に据え、その葛藤を描き出すことが多かった。
とはいえ、これは新海だけの問題ではなく、他の人気アニメ監督にも共通している。たとえば『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明や、『スタジオジブリ』の巨匠・宮崎駿がその典型例だろう。
庵野は現在61歳で、宮崎は80歳。そして新海も48歳と50代手前に差し掛かっている。すでに少年少女とはかけ離れた年齢となっており、その心情を理解できるのが不思議なくらいなのだが、いつまでもジュブナイル作品から卒業する気配はないように見える。
これは日本のアニメが「ロリコン文化」だとか、そんな単純な話ではない。おそらくアニメ監督の趣味などとは別として、これまでの日本アニメの土壌では少年少女を軸とした想像力しか育まれていないのだ。そのため、「大人が大人に向けた作品」を作りにくくなっているのではないだろうか。
もちろんそれが悪いわけではないが、アニメ監督に“成熟”を求める声が上がるのも当然。可能性は低いだろうが、「すずめの戸締まり」が新たなヴィジョンをもたらしてくれることに期待したい。
文=「まいじつエンタ」編集部