ついでに、悠木碧がまどかだったことを確認するために調べた「まどマギ」ウィキ記事の一部を転載。
私は、この各回のタイトルが大好きで、それ自体がひとつの作品になっていると思っている。
話数 サブタイトル
第1話 夢の中で逢った、ような
第2話 それはとっても嬉しいなって
第3話 もう何も怖くない
第4話 奇跡も、魔法も、あるんだよ
第5話 後悔なんて、あるわけない
第6話 こんなの絶対おかしいよ
第7話 本当の気持ちと向き合えますか?
第8話 あたしって、ほんとバカ
第9話 そんなの、あたしが許さない
第10話 もう誰にも頼らない
第11話 最後に残った道しるべ
最終話 わたしの、最高の友達
新海と同様に、細田も「在庫(引き出し)が少ない」から、作品が「無理やり作った」感じになる。特に細田は物語作家としての自分のキャパの小ささを自覚していないから、次々に「自信を持って」変な作品を作るのだろう。自己の客観視ができていれば、脚本は他の人に任せるはずである。変にテーマなど凝らずに、「娯楽性」だけを重視して作れば、話もまた違ってくるだろうが、「映像で観客を驚かせてやろう」「人間理解の深いところを見せてやろう」という山っ気があるから、娯楽性が変な方向に行く。それとは少し違って、新海はユーモア感覚がゼロだから、娯楽作品はあまり得意ではない。
(以下引用)
■細田作品はずっと難しい
なんか登場人物に「え?お前の感覚どっかおかしくね?」ってなる場面がめっちゃ多い
もろちん、感覚がおかしいキャラが出てくること自体は悪くないんだけど
普通はそういうのってやっぱ感覚おかしかったよねっていう展開が作品内であったり
感覚がおかしいことが作品内で重要な意味を持っていたりするもんだけど
細田守作品だとどっか感覚おかしいですか?みたいな顔で感覚おかしい行為が繰り広げられるので
見ていてめちゃくちゃ混乱する
俺が「なんか細田ダメかも」と一番最初に思ったのはサマーウォーズで
特に親しくもない後輩である主人公に「バイトで田舎に一緒に来てくれ」と持ち掛けて大家族の待つクソ田舎まで引っ張っていった挙句、現地についてから「婚約者連れていくって言っちゃったから彼氏のふりをしてくれ」と言い出した上に勝手に「実はスーパーエリート」と勝手に属性まで盛っておいて、自分は久々に会う親戚や小さい時に憧れていたイケメンおじさんとイチャイチャしまくって大団円を堪能、急に誰一人知り合いもいない大家族の中に「可愛い娘のスーパーエリート彼氏」として放置された後輩がひたすら居心地悪い思いをするというシーン
控えめに言ってもこのヒロイン、クソイカレてるとしか思えないんだけどこの展開は後々別に拾われることがない
つまりヒロインはこの自分勝手極まりない行為に対して主人公に謝罪や対価を与えるシーンもなければ、しっぺ返しを食らうシーンもない、ただただヒロインがこいつイカレてるのでは?と観客に思われるだけのシーン
でもたぶん細田さん的には「年下男の子を弄ぶ先輩女子」という範疇に収まってるんだと思う
こういう視聴者の感覚と細田さんの感覚のズレが一番大きく出たのが竜そばの最後の展開だと思う
一般の感覚からすれば「そうはならんやろ、どういう感覚やねん」となるんだけど、細田さんは本当に純粋に「この展開が正しい」と思って描いていそうで本当に怖くなる
脚本書いてる人に、何か自分の能力では対応できない大きな問題が起きたときの解決のためのエスカレーションの実体験が欠落してるように思う
まずは身近な人(家族や知人友人)に相談する、それが無理ならより大きな組織(役所や警察や自衛隊など)に動いてもらう、といった経験がないんじゃないかな
だから「竜そば」では「さっさと警察に通報しろや!」「周りのいい歳したオトナが何ボケッとしとんねん主人公助けろや!」という突っ込みが入ってしまう
脚本書いた人にとって、警察や年上の大人は何もしてくれない無能な傍観者という固定観念があるように思う
サマーウォーズはそれが逆の意味で作用してるようで、身内に相談さえすれば自衛隊も動いてくれるし総理大臣にだって直接電話して掛け合ってくれる、という描写に現れてるように思う
まあ、監督は「プロジェクト代表者」で、演出は「現場監督」みたいなものか。で、表現の最終的な決定権は監督にある、と。
(以下引用)
ある大学で非常勤講師として半期一コマだけ授業を担当している。
授業の主題は「アニメをいかに見て、いかに語るか」。前半は「自覚をもって映像を見ること」を意識してもらうことを目的に授業を行っている。
そこで扱う話題のひとつが「演出とは何を指しているのか」。
作品の感想を語り合っていて、なんとなく「演出がよかった/わるかった」などと口にしてしまうことも多いが、なんとなく口にしてしまいがちな、演出について、もうちょっと理解を深めてもらおうというわけだ。
少し前に「アニメの演出」がネット上で話題になっていた。
そこから派生したいろいろな意見を見るにつけ、授業で行っている学生向けの説明をベースにして、一般のファン向けに、簡単に解説をまとめるのも意味があるのではないかと考えて、この原稿を書いている。
アニメの「演出」について話をしようとすると、微妙に混乱が生じるのにはいくつかの理由がある。
そのひとつは、そもそも「演出」という言葉は、演出を担う役職の仕事範囲よりも広い範囲を指している、ということが忘れられがちだからだ。
さらにアニメの場合、演出に携わるポジションが複数あるということも影響している。
TVシリーズで考えるなら、「監督」を筆頭に、各話の「絵コンテ」と「演出」が挙げられる。さらに作品や制作会社によっては、「副監督」「助監督」「監督助手」「演出助手(演助)」といったクレジットがある場合もある。
もちろんこれらは、ワークフローの中にその居場所がしっかり位置づけられてはいるが、それぞれの領域は重なり合う部分もあり、完成映像を見ても、誰が手を動かした結果なのかは、想像はついても特定は難しい。
演出という言葉をデジタル大辞泉で引くとふたつの語釈が出てくる。
ひとつは「演劇・映画・テレビなどで、台本をもとに、演技・装置・照明・音響などの表現に統一と調和を与える作業」。
もうひとつは「効果をねらって物事の運営・進行に工夫をめぐらすこと。『結婚式の演出』『演出された首班交代劇』」とある。
この語釈からもわかるとおり、ふたつ目の意味合いででなら、脚本の段階で既に「演出」というものが存在していることになる。
たとえば、緊張感を保つためにカットバック(ふたつの場面を切り替えながら見せていく語り方)を行わず、視点を片方のキャラクターにだけ固定して脚本で書かれていたとすれば、当然ながらこれは「演出効果を狙って脚本が書かれている」ということができる。
さらにいうなら、脚本において、どのように出来事を並べていくかという語り方そのものに、自然と「演出」というものが入り込んでいるのである。
もちろんこれは「演出」の指す範囲を最大限に広く採った場合のことだ。こうした脚本上の演出は、普通は「構成」であったり、「語り口」といった言い回しで語られることが多い。
しかし、そこにあるのもまた「演出」であるということは覚えておいたほうがいい。
そして、アニメの「監督」「絵コンテ」「演出」が担っている「演出」は、ひとつめの語釈である「表現に統一と調和を与える作業」ということになる。
まず「監督」だが、監督の一番の仕事はディレクション(作品の方向付け)である。
ある監督は「スタッフが目指すべき場所に旗印を立てる役割」とその役割を説明してくれた。
語釈を踏まえて書くと「この作品における統一、調和とはどういう状態なのか」を決める役割ともいう言い方もできる。
それは「どんな画調(ルック)を目指すのか」といったビジュアル面から始まり、「コメディタッチになった時、キャラの顔はどこまで崩していいか」といった作品の雰囲気を伝えるためのルール作りもあり、最終的には「何を描くのか」というテーマとそれを支えるエピソードの取捨選択まで含まれる。
TVアニメの第1話を監督が絵コンテ(さらには演出まで)を手がけることが多いのは、こうした全体的な方向性を最初に示すことで、そのほかのスタッフはそれを参考に作業を進めることができるからだ。
一方、各話の「絵コンテ」は演出のどのような部分を担っているのか。
絵コンテは、脚本をもとに、カットを割り、そこにどんな画面を提示するかが描かれたものだ。
これによって作品の全体像を俯瞰できる完成予想図を示すという役割も担っている。
この時に重要なのは、どのような絵を繋げていくのかというコンティニュイティ(連続性)である。絵コンテのコンテとは、このコンティニュイティの頭3文字をとったものにほかならない。
朝日カルチャーセンター新宿教室で毎月「アニメを読む」という講座を行っているが、年に1回、京田知己監督を講師に招いて「絵コンテ講座」を行っている。
これはプロ志望者向けというより、実際に絵コンテを描いてみることで、映像のリテラシーを高めていこうという趣旨で行っているものだ。
この絵コンテ講座で繰り返し指摘されているポイントは「前の画面からカットを割って次の画面を見せることそのものに視覚的刺激がある」「その刺激をどうコントロールすれば、飽きずに見せたいもの、伝えたいものをちゃんと見てもらえるか」ということだ。
キャラクターの大きさ(背景との面積の比率)や、キャラクターの画面上の位置、移動する方向性といった視覚的刺激を使い分けながら、映像の流れ(コンティニュイティ)を作っていくのが絵コンテの役割なのである。
富野由悠季監督に、絵コンテチェックをどのようにするかを聞いた時も、一コマ一コマ追うのではなく、映像がちゃんと流れているかを、コンテ用紙をパッパとめくりながらまず確認するという返事だった。
こうした「流れ」は、キャラクターの移動方向に注目するとわかりやすい。
たとえば『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の冒頭では、敵側のネオ・ジオン軍は画面左から右に向かって攻撃し、主人公サイドの連邦軍は逆に右から左に向かってこれを迎え撃っている。
また本作のヒロイン、クェスは地球から宇宙へ向かっていく過程は、一貫して右移動で描かれている。あるいは『アナと雪の女王』のエルサは、城から逃げ出す時に画面左方向に向かって走り出し、やがてクライマックスでは画面左から右側へと向かって戻ってくる。
この映画は左側へ去り、右側へ戻ってくるとい運動をベースに描かれているのである。
こうした絵コンテをもとに具体的に画面づくりを行うのが「演出」である。
「演出」の呼称だけだとわかりにくいため、「演出処理(あるいは処理演出)」、略して「処理」とも呼ばれている。
具体的に画面づくりをするわけだから、その仕事は多岐にわたる。アニメーター、美術、色指定、撮影などさまざまなスタッフと打合せ、成果物をチェック・修正指示を出し、監督によって示された作品の全体方向を意識したうえで、映像を完成せていく。
複雑な内容――たとえば背景動画を使わずに長回しのでキャラクターを追いかけるといったようなカットがあるとすれば――になればなるほど、どういう素材がどのように必要かなど、演出にきっちりとした設計(プラニンニング)が求められることになる。
だから演出次第で画面の雰囲気は大きく変わる。
たとえば劇場版『機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者』では、後半に登場する空中戦のあるカットが、普通に1枚の背景をスライドさせるだけの予定だったという。
それをスタジオ演出としてクレジットされていた松尾衡が、デジタル上で背景を幾枚かに切り分けて、それを順番に奥へ送るような処理に変えたという。これによってこのカットの存在感がぐっと増したという。
以上、アニメにおける「演出」なるものはどんなものか簡単に整理してみた。
大事なのは、こうしたそれぞれのポジションで行われている「演出」は、他部署も含めて相互に影響しあい、融合しているので、映像を見ただけでは簡単に、どこの役職がどういう働きをしたのかは、容易には切り分けられないと認識することだ。
もちろん経験則から想像することはできるけれど、それは想像の範囲だ。
視聴者は映像として表現された演出効果を体験することはできるが、それを作り手の固有名詞に還元していくのは原則として難しい。
それは、取材をしない限りわからないし、取材をしてもわからないこともある。
アニメには集団制作だからこそ起こる化学反応があり、それは各現場、関係者の顔ぶれ次第でいかようにも変化する。
指定された部品を用意してアッセンブルするとか、あるテーゼをブレイクダウンしていって細部を形作るといった一方通行の関係ではなく、もっと混沌とした影響関係の中で作品は形作られているのだ。
[藤津 亮太(ふじつ・りょうた)]
1968年生まれ。静岡県出身。アニメ評論家。主な著書に『「アニメ評論家」宣言』、『チャンネルはいつもアニメ ゼロ年代アニメ時評』、『声優語 ~アニメに命を吹き込むプロフェッショナル~ 』がある。各種カルチャーセンターでアニメの講座を担当するほか、毎月第一金曜に「アニメの門チャンネル」(http://ch.nicovideo.jp/animenomon)で生配信を行っている。
(以下引用)
どうもチープなファンタジー感が拭えない
相変わらずJKと青空と精緻な街描写をゴリ押ししてるし
こいつも細田と変わらんやん
女子生徒
なんだかよくわからない危機
毎回これがセットになってて
ワンパターンすぎるだろ
世界を破滅から救う女子高生
声優は俳優
変わり映えしない新海( ´Д`)y━・~~
毎回黒髪ロングくくってるJKばっかで同一人物にしか見えん
(以下引用)
アニメ『リコリス・リコイル』6話まで観る。ウーン、まだ見ているぼくの腰が定まらない。大嘘をシャーシャーとしてつく『スパイ×ファミリー』に比べ、現実からどう距離を置いた設定なのか目配りが曖昧で、美少女戦闘軍団でとりあえず纏めてみました、ではノリにくいぼくって贅沢な視聴者でしょうか。
それ以外で唯一見たのはORIGINだけで、これは名作である。
下の評で「名作」というのは普通、あるいはやや下という意味だろうが、ORIGINは人物像が見事に描かれているし、アニメで政治を描いて面白いという貴重な作品だ。つまり本当の名作。
まあ、ガンダムファンによるガンダム評は3割引きくらいで読むべきだろう。書いたエネルギーと苦労は評価する。
(以下引用)
■全ガンダム一言作品評
昨日某所に投稿した物の再掲
機動戦士ガンダム
作画は良いとは言えないが万人に薦められる名作
劇場版機動戦士ガンダム
機動戦士Zガンダム
万人向けとは言い難く人を選ぶが名作
機動戦士ガンダムZZ
機動戦士ガンダム 逆襲のシャア
ガンダム最高傑作と言っても過言ではない宇宙戦闘が描かれる名作
機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争
とりあえずガンダムを見た事無い人にはこれか初代を薦めれば無難な不朽の名作
機動戦士ガンダムF91
二時間足らずの尺に時代を一新した新たなガンダム世界と二人の主人公の対になる家族像の映像を詰め込んだ意欲作
機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY
初代からZへの空白期間の戦いが超クオリティの作画で描かれる良作
機動戦士Vガンダム
宇宙世紀の大トリを飾る最終回を見た後爽やかな気持ちになれる名作
機動武闘伝Gガンダム
少年漫画のような熱い戦いに友情・師弟愛・家族愛・恋愛など心を震わせる人間ドラマが描かれる名作
新機動戦記ガンダムW
濃いキャラクターが繰り広げる強烈な人間劇が見ていてまず飽きないだろう名作
機動戦士ガンダム 第08MS小隊
華々しい戦果を挙げるヒーローでは無い歩兵としてのガンダムと敵味方の恋愛が描かれるミリタリー色濃い名作
機動新世紀ガンダムX
戦後の時代を舞台にした新世代の少年が世界を見て回る隠れた名作
新機動戦記ガンダムW Endless Waltz
前作で描き切れなかった後片付けの戦いが超クオリティの作画で描かれる傑作
∀ガンダム
ガンダムらしからぬ牧歌的な雰囲気の全てのガンダムを過去にした名作
機動戦士ガンダムSEED
少年・おじさん・女性層とありとあらゆる層を引き付けた屈指の話題作
機動戦士ガンダム MS IGLOO
全編CG作画で描かれる戦場で消えていった兵器とそれに乗る男達が主役の良作
劇場版機動戦士Zガンダム
TV版よりは万人向けになった良作
機動戦士ガンダム00
デジタル制作によるTVアニメとは思えないハイクオリティな戦闘描写が素晴らしい名作
機動戦士ガンダム MS IGLOO2 重力戦線
機動戦士ガンダムUC
とりあえずガンダムを見た事無いけど興味ある人にはこれを薦めておくと無難な良作
劇場版機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-
今見ても異常な超高速戦闘が繰り広げられる作画クオリティは恐らくシリーズ一の名作
ガンダムビルドファイターズ
あらゆるガンダムファンへのサービスとホビー漫画のお約束を踏まえた熱い展開が魅力の名作
機動戦士ガンダム THE ORIGIN
機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ
金属が擦れ合い火花散る戦闘とアウトロー達が主役の作風が人を選ぶ異色作
機動戦士ガンダム サンダーボルト
初代とは僅かに異なる世界異なる戦域ではぐれ者達の死闘が描かれる良作
ガンダムビルドダイバーズ
舞台を一新し新たなガンプラバトルとボーイミーツガールが描かれる良作
機動戦士ガンダムNT
UCの続編でありCG作品を除き初めてインコムを映像化した記念すべき良作
ガンダムビルドダイバーズRe:RISE
一度挫折を経験した者達が寄り添いもう一度立ち上がるまでの戦いを描いた名作
GUNDAM EVOLVE
CGには拙い部分があるが各ガンダムの後日談・前日譚・IF・幕間の戦いが描かれる楽しい名作
SDガンダムワールド 三国創傑伝
尺の短さ故駆け足ではあるが主役側のキャラはよく立っている良作
以上
SEED DESTINY、AGE、ビルドファイターズトライ、閃光のハサウェイ、Gのレコンギスタ、その他SDガンダムはまだ観てないor全話見てないので作品評を書けない
sangping 本当にSEED DESTINYは見ていないから書けないのか? 本当にSEED DESTINYは見ていないから書けないのか?
私がリコリコを切った最大の理由は、たぶん、「着物を着た黒人の大男で喫茶店の主人で暗殺組織支部のボス」という気色悪い設定にうんざりしたのだと思う。いかにも電通的な、「ウケるパターンをひとひねりしました」感じのドヤ顔にうんざりした、と言うべきだろうか。
「リコリス」が何を指すのかもその時も今も知らないが、少年少女で構成された暗殺集団と思っていいのだろうか。
(以下引用)
■リコリスを処分する前に
なんでここで良いオバサン的持ち上げ展開になっているのだ?
楠木とDAの組織的無能ぶりを徹底的に晒し、ヘイトを高める展開だった11話はマジなんだったの
前半のシリアスと打って変わって、後半は軽〜いノリなのも気色悪く
千束は救世主面したがるくせに、同じく不幸な境遇から闘うことを強いられている
なぜ、主人公(ヒロイン)がデブであるというだけで、見る気が失せるのか、大衆心理学の問題にしても良さそうである。主題自体はフェリーニの傑作で代表作の「道」と同じなのだが、あちらは永遠の名画とされ、こちらはまったく一般人からは見向きもされない。これは一般人の罪ではないだろう。ドストエフスキーの「白痴」やトルストイの「イワンの馬鹿」に言及するまでもなく、精神薄弱は社会知に汚染されておらず、天使に近い。しかし、デブが天使に近いと思うのは、原作者の西加奈子だけだろう。
漁港の肉子ちゃん
漁港の肉子ちゃん | |
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小説 | |
著者 | 西加奈子 |
出版社 | 幻冬舎 |
発売日 | 2011年8月31日 |
漫画 | |
原作・原案など | 西加奈子 |
作画 | 杉作 |
出版社 | 幻冬舎コミックス |
掲載サイト | comicブースト |
レーベル | バーズコミックススペシャル |
発表期間 | 2021年1月29日 - 2022年3月11日 |
巻数 | 全2巻 |
映画 | |
原作 | 西加奈子 |
監督 | 渡辺歩 |
脚本 | 大島里美 |
キャラクターデザイン | 小西賢一 |
音楽 | 村松崇継 |
制作 | STUDIO 4℃ |
製作 | 吉本興業 |
配給 | アスミック・エース |
封切日 | 2021年6月11日 |
上映時間 | 不明 |
テンプレート - ノート | |
プロジェクト | アニメ |
ポータル | 文学・アニメ |
『漁港の肉子ちゃん』(ぎょこうのにくこちゃん、Fortune Favors Lady Nikuko)は、西加奈子による日本の小説[1]。2011年8月31日に幻冬舎より発売された[2]。
概要[編集]
北陸の漁港で船に住む二人きりの母娘、よくいえば天真爛漫でいじらしい、悪くいえばだらしなくてダサくて能天気という肉子ちゃんと、美しく知的な少女キクりんの半年間の日常が描かれた作品[3][4]。
表紙イラストは著者の西加奈子自身によるもので、裸の女性が身を丸めているクリムトの「ダナエ」を、独特のタッチで再現している[4]。
2021年1月時点で累計発行部数は35万部を突破している[3][5]。
主人公の肉子が、太っていてダサくて、男性に関して奔放で騙されやすい人物として描かれているのは、天使のような真っ白な気持ちのキラキラした人を書きたいと思った著者が、「それはやはり処女ではなくこういう人だろう」と思ったから[4]。また、物語を肉子本人ではなく、子供でも大人の女性でもない微妙な年頃である小学5年生の娘のキクコの視点で描いたのは、一人称や三人称で書くと本人がどれだけ魅力的でも男性にだらしない女性の話となればどうしても直接的で生臭くなってしまうからである[4]。
本作は、次回作の舞台は猫が生魚を食べているような場所がいいと思った著者が、担当編集者とその出身地である宮城県石巻市と女川町を東日本大震災前に旅したことをきっかけに書かれた[6]。結果として、物語の設定上の都合で舞台は日本海に面した架空の町にすることに決めたが、当初予定していた舞台が執筆後に被災したことに関して、「もし書いている最中に震災が起こっていたら内容は書き直していたと思う。それも自意識にとらわれて"私は被災した人々と土地に対してこんなに心を砕いてます"というアピールのための直しになっていたのではないか。そうした善意の取り合い合戦にのることなく、素直にキラキラしていた石巻の思い出だけをもとにして書けてよかった」と述懐している[4]。
あらすじ[編集]
太っていて不細工だが、とても明るい肉子ちゃんは、男にだまされフラれるたびに住む場所を転々と変えながらもひたむきに生き抜いてきた[2][7][8]。書き置きを残して蒸発した男を追いかけて、瘦せっぽっちの幼い娘キクりんと北の小さな漁港にたどり着いた肉子ちゃんは、そこで焼き肉屋「うをがし」の店主サッサンと出会った。妻に先立たれ、子供もおらず、孤独に絶望して店を畳もうとしていたサッサンは、キクりんを連れて現れた肉子ちゃんを見て「肉の神様が現れた」と思い込み、「うをがし」に雇い入れて"お腹を壊さないこと"を条件に、所有する小さな漁船に安く住まわせることにした[7]。こうして始まったこの小さな町での母娘二人の暮らしは、当初は大変なこともあったものの、3年経った今では毎日賑やかに楽しく暮らしていた[7][8]。しかし、11歳となって思春期を迎えたキクりんは、友人たちとの関係や肉子ちゃんとの不安定な暮らしに頭を悩ませるようになっていた[7][8]。
登場人物[編集]
- 肉子ちゃん
- 声 - 大竹しのぶ[9]
- 本作の主人公[10]。関西の下町で生まれ育ち、関西弁を話す[7][8]。
- 太っていて不細工で、恋愛では失敗だらけだが、生まれつきのポジティブな性格で周囲をハッピーにする才能に溢れた豪快な女性[2][9]。
- 男に騙されてたどり着いた北の町の「うをがし」と呼ばれる焼肉屋で働いている[2]。
- キクコ
- 声 - Cocomi[11]
- クールで賢い、肉子ちゃんの娘[2]。肉子ちゃんとは似ても似つかない、細身で読書をこよなく愛する利発な少女[7][12]。
- 天真爛漫な肉子ちゃんとは対照的に、いつも冷静で周囲に気をつかって生活をしている[4]。
- 二宮
- 声 - 花江夏樹[11]
- キクコの同級生[11]。
- みう
- 声 - 吉岡里帆[13][14]
- 若かりし頃の肉子の親友。
- ダリシア
- 声 - マツコ・デラックス[13][14]
- 霊媒師。
- マリア
- 声 - 石井いづみ[13][14]
- キクコの友達。
- サッサン
- 声 - 中村育二[13][14]
- 肉子が働く焼肉屋の大将。
- ヤモリ
- 声 - 下野紘[15]
- トカゲ
- 声 - 下野紘[15]
それが、現在駄作だという評価に落ち着いたらしいのは、まあ、いい事だと思う。視聴者を嘲笑しているアニメが覇権を取ったのでは、たとえば「けものフレンズ」のような誠実さの塊のような傑作は生まれなくなる。
おそらく、このコメントがすべてを言いつくしていると思う。
キャラ全員おっさんにしたら誰も見ないくらい中身がない
(以下引用)
今期アニメ「リコリス・リコイル」完全に駄作という評価で落ち着いてしまう 1話は覇権だったのに…
コメント 174魔人
商業的に成功したかどうかで作品を評価していいのは出資してて損益ある立場の人間やぞ
最近の感想ツイート義務すぎて可哀想
なんか「ああやっぱ褒めるように言われてるんだな」って悟らされて辛いわ
良いものは褒めてそれ以外は黙るスタイルやから最近は内容に触れないぞ
てっぺんの監督有能やからね
ここ10年では最悪の失速
ダリフラとかも1クール目は結構盛り上がってたやろ
えんどろ~!ですら内容スッカスカでも叩くかれはしなかったし
キャラデザした人に土下座するレベルの脚本の酷さ
1位 ジョジョ6期
2位 異世界おじさん
3位 はたらく魔王様2期
4位 サマレン
5位 リコリス
ストーリーちゃんと練らないのは勿体ない気がするけど
炎上レベルのクソ展開すると思ってたのに
それで没入感もクソもない
よく考察なんてできるなってレベル
最初からおもんねえんだから
私は、この漫画(アニメ)のタイトルだけで中身が想像でき、漫画もアニメも見たことがない。ただし、同じ作者が原作の「くノ一つばき」のアニメは結構面白かった。
(以下引用)
あれはかなり偏った男性向けAVみたいなものなので女性には向かない