新海と同様に、細田も「在庫(引き出し)が少ない」から、作品が「無理やり作った」感じになる。特に細田は物語作家としての自分のキャパの小ささを自覚していないから、次々に「自信を持って」変な作品を作るのだろう。自己の客観視ができていれば、脚本は他の人に任せるはずである。変にテーマなど凝らずに、「娯楽性」だけを重視して作れば、話もまた違ってくるだろうが、「映像で観客を驚かせてやろう」「人間理解の深いところを見せてやろう」という山っ気があるから、娯楽性が変な方向に行く。それとは少し違って、新海はユーモア感覚がゼロだから、娯楽作品はあまり得意ではない。
(以下引用)
■細田作品はずっと難しい
なんか登場人物に「え?お前の感覚どっかおかしくね?」ってなる場面がめっちゃ多い
もろちん、感覚がおかしいキャラが出てくること自体は悪くないんだけど
普通はそういうのってやっぱ感覚おかしかったよねっていう展開が作品内であったり
感覚がおかしいことが作品内で重要な意味を持っていたりするもんだけど
細田守作品だとどっか感覚おかしいですか?みたいな顔で感覚おかしい行為が繰り広げられるので
見ていてめちゃくちゃ混乱する
俺が「なんか細田ダメかも」と一番最初に思ったのはサマーウォーズで
特に親しくもない後輩である主人公に「バイトで田舎に一緒に来てくれ」と持ち掛けて大家族の待つクソ田舎まで引っ張っていった挙句、現地についてから「婚約者連れていくって言っちゃったから彼氏のふりをしてくれ」と言い出した上に勝手に「実はスーパーエリート」と勝手に属性まで盛っておいて、自分は久々に会う親戚や小さい時に憧れていたイケメンおじさんとイチャイチャしまくって大団円を堪能、急に誰一人知り合いもいない大家族の中に「可愛い娘のスーパーエリート彼氏」として放置された後輩がひたすら居心地悪い思いをするというシーン
控えめに言ってもこのヒロイン、クソイカレてるとしか思えないんだけどこの展開は後々別に拾われることがない
つまりヒロインはこの自分勝手極まりない行為に対して主人公に謝罪や対価を与えるシーンもなければ、しっぺ返しを食らうシーンもない、ただただヒロインがこいつイカレてるのでは?と観客に思われるだけのシーン
でもたぶん細田さん的には「年下男の子を弄ぶ先輩女子」という範疇に収まってるんだと思う
こういう視聴者の感覚と細田さんの感覚のズレが一番大きく出たのが竜そばの最後の展開だと思う
一般の感覚からすれば「そうはならんやろ、どういう感覚やねん」となるんだけど、細田さんは本当に純粋に「この展開が正しい」と思って描いていそうで本当に怖くなる
脚本書いてる人に、何か自分の能力では対応できない大きな問題が起きたときの解決のためのエスカレーションの実体験が欠落してるように思う
まずは身近な人(家族や知人友人)に相談する、それが無理ならより大きな組織(役所や警察や自衛隊など)に動いてもらう、といった経験がないんじゃないかな
だから「竜そば」では「さっさと警察に通報しろや!」「周りのいい歳したオトナが何ボケッとしとんねん主人公助けろや!」という突っ込みが入ってしまう
脚本書いた人にとって、警察や年上の大人は何もしてくれない無能な傍観者という固定観念があるように思う
サマーウォーズはそれが逆の意味で作用してるようで、身内に相談さえすれば自衛隊も動いてくれるし総理大臣にだって直接電話して掛け合ってくれる、という描写に現れてるように思う