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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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いや、「ガンダム」と言うと、富野由悠季ばかりが原作者扱いされて、「矢立肇」氏にはまったく触れられないし、「カウボーイ・ビバップ天国の扉」も矢立肇が原作だか原案だかに挙げられていたので、「才能があるのにいつも他人に手柄を横取りされている気の毒な人」としか思わなかったwww







概要[編集]


1978年から放送されたサンライズ自社制作の第2弾『無敵鋼人ダイターン3』から同社のオリジナル作品に原作者・原案者として名前を列ねる。実在の特定の個人ではなく、基本的には主にサンライズの企画スタッフの共用ペンネームである[1][2]。ただし、1980年代前半までは、当時の取締役企画部長で1987年からは社長を務めた山浦栄二の事実上のペンネームでもあった(後述)。松尾芭蕉の『おくのほそ道』に使われた「矢立の初め」が名前の由来である。[要出典]


出撃!マシンロボレスキュー』や『アイドルマスター XENOGLOSSIA』のようにバンダイナムコグループ内の別会社がキャラクターデザインに関する権利を所有する場合でも、企画やプリプロダクションを全てサンライズが取り仕切る場合はサンライズオリジナル作品=矢立肇原作という扱いになることがある。


ただし、全てのサンライズオリジナル作で矢立名義が用いられる訳ではない。例えばガンダムシリーズでは富野由悠季が矢立との連名での原作者となっているほか、『装甲騎兵ボトムズ』などでは高橋良輔が原作者である。 『DTエイトロン』や『コードギアス 反逆のルルーシュ』など、権利関係上矢立肇のクレジットがない作品や、『TIGER & BUNNY』や『アイカツ!』のように「原作 サンライズ」とクレジットされる作品もある。


2015年4月1日付でサンライズのキッズ・ファミリー向け部門が分社化しバンダイナムコピクチャーズが設立され、「原作 サンライズ」の名義も「原作 BN Pictures」に変更されたが、『バトルスピリッツ 烈火魂』については引き続き原作を矢立肇名義としている。

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動画そのものはコピーできなかったが、是非見てほしい。控え目に言って、並みのプロのレベルをはるかに超えた凄い才能である。動画の質も凄いし、ギャグのレベルも凄い。「野に遺賢あり」とはよく言ったものである。この作者とたつきのコンビで2期けものフレンズを最初から作り直してほしい。




【MMD】魔法少女かばん☆マギカ 第1話「夢の中で、叩いたような」


美輪明宏の言葉だが、同感である。ただし、風刺的内容のアニメには、アメリカ的なグロテスクな造形のキャラの方が合っていて、日本にはその種のアニメはほとんど無い。現在のディズニーアニメは基本的に児童向けだのにキャラがまったく可愛くないので、私は大嫌いである。アナ雪も、途中で投げ出した。
ディズニー本人が生きていたころのアニメは別である。「ピノキオ」などは、絵も話もすべて完璧な作品だろう。手塚治虫はディズニー作品(特に「バンビ」)を何度も見て、あの絵柄を作り、その手塚治虫の絵が後の漫画家たち(藤子不二雄なども含め)に大きな影響を与えているのだから、ディズニーの初期作品は日本漫画の「先祖」のひとりなのである。





1: 2019/03/17(日) 08:45:01.00 ID:bbL/4iwl0
「私は外国のアニメ大っ嫌いなんですよ。顔がみんなグロテスクで可愛くない
 セサミストリートとかみんな禍々しくて醜いのばっかりでしょ
 アナと雪の女王の主人公も気持ち悪い顔してる。どこがいいのか分からない
 アラレちゃんやポケモンのが可愛い。可愛いデッサンは向こうの人には思いつかないのね」
https://youtu.be/VYZxNWAm8dY


私は絵の汚い漫画やアニメが嫌いだが、萌え絵系アニメ(男も女も全員同じような顔、特に男はホスト顔、ジャニタレ顔)も嫌いなので、見られるアニメが少ない。当然、食わず嫌いで観ていないアニメが多いわけだ。
で、本などを読みながら、BGM代わりに「たぶん嫌いなタイプ」のアニメを第一話だけ見て、「おっ、そう悪くないぞ」というアニメを最近は探したりしている。
その中では、日常アニメとして「未確認で進行形」などは良かった。話自体は「フルーツバスケット」に近いが、「ワーキング」とか「恋愛(ラブ)ラボ」に近い味わいがある。居候兄妹の性格が好ましい。ただ、最終回が「少女漫画的なダメさ」がある。つまりギャグ性が無くなって、恋愛が突出してきて興ざめにさせるのが残念だった。これもフルーツバスケットに似ている。
絵柄が嫌いで見なかった「ワールドトリガー」が、見てみると、主人公ふたりのキャラが良くて、これも視聴継続している。原作漫画はジャンプ掲載らしく、ジャンプ流の絵の汚さがあるが、監督がクレしんの本郷みつるだけに、視聴者に不快感を与えないコツを本能的に分かっている。
また、これも絵柄が嫌いで見ていなかった「サイ木楠男のサイ難」(サイの記号が出せない)も、ギャグが想像以上にレベルが高いので驚いた。漫画の約束事の馬鹿馬鹿しさを皮肉ったところとか、美少女の内面のエグさだとか、実に鋭い批評性、笑いの才能がある。
食わず嫌いはダメだなあ、と反省した。
なお、少し前まで見ていたのが「アカメが斬る!」で、内容の細部は、漫画やアニメのテンプレを集めたようなもので、話の筋は山田風太郎の忍者小説をSF萌え絵アニメにしたような感じだが、本など読みながらちらちら見るには最適ではあった。敵も味方も死んでいき、誰が生き残るのか、予測を裏切るところがいい。最終回は、特に良かった。敵の大将的存在の「Sです。」将軍の死に方が、実にいい。役柄に実に似合った最高の死に方だった。この回の脚本は上江洲誠だったが、彼は時々いい脚本を書く。なお、男キャラは誰もまったく魅力が無いが、女の子はすべてかわいい。
アニメ作品はあまりに数が多く、その大半は「見ると不快になる」類の、オッパイが無意味に大きい女や裸の幼女がやたらと出てくる作品なので、未知の作品を見るのに勇気が要る。
で、ネットの評判を読んで、自分に合いそうな作品を試しに見てみて、「当たり」である確率は5分の1くらいだろうか。わりと高名なアニメ監督や好みの脚本家の作品でも、当たりは半分くらいだろうか。
そうした、試しに見てみた作品の中で、最近の当たりのひとつが「ねじ巻き精霊戦記何とかかんとか(今思い出した。「何とかかんとか」は「天鏡のアルデラミン」である)」である。題名の意味がそもそも理解不能だし、最初に見た時は絵柄が嫌いなので最初の数シーンで視聴を止めて長い間ホッタラカシにしていた。まるで奈良のゆるキャラで私の大嫌いなせんとくんみたいな精霊が出てきた時点でアウトだったのだ。しかし、昨日、気まぐれにその第一話を最後まで見ると、なかなか面白い。で、数話見ると、内容が私の大好きな「戦略もの」であり、しかも主人公が、これも私の大好きなヤン・ウェンリーによく似た、好ましい人物なのである。おそらく、原作者も「銀河英雄伝説」のファンだと思う。作中の戦略や個々の戦い方もよく考えられている。で、最後まで見たが、13話で終わりながら、まだ長編作品の導入部のようだ。これが第一シーズンで、第二シーズン以降も作られる予定なら、楽しみである。
ところで、「ねじ巻き精霊戦記」の「ねじ巻き」は話と何の関係があるのだろうか。まあ、村上春樹の「ねじ巻き鳥クロニクル」から「ねじ巻き」だけ借りたタイトルに思えるが、いずれにしても、これは「視聴意欲」を減退させる、悪タイトルだと思う。
なお、ほかにも最近見て良かった作品があったが、もうタイトルを忘れてしまったwww だいたい、アニメ作品でタイトルの付け方が上手いのは少ない。
「ファーストガンダム」(一番最初のテレビシリーズ)を全話見終わったが、後半がばたばたして雑なアニメだな、という印象だった。で、ウィキペディアを見ると、全52話の予定が、視聴率低迷により43話に短縮されたためらしい。
ララァという娘が、ララァが戦場に出る前には一度しか出ないのに、再会したアムロが彼女に深く恋しているかのような描写になり、その回でララァが死ぬ(アムロに誤射される)や、アムロが、まるで最愛の人に死なれたような悲嘆ぶりを見せるのを見て、「おいおい、何だ、これは」と思った視聴者は多かったのではないか。まあ、打ち切りの裏事情を知っていた層は制作陣に同情したかもしれないが、一般視聴者は置いてけぼりである。短縮するならするで、もっといいやり方もあっただろう。
なお、最終回でアムロが死ぬのがもともとの筋だったらしいが、私はその方が「作品として」良かったと思う。敵方キャラは全員死ぬのに(あの描写なら、シャアも死んでいるのが当然である。)味方キャラは最初のあたりのリュウしか死なない、というのは片手落ちで現実味が無いし、主人公のヒロイックさも、戦争の残酷さも伝わらないだろう。アムロというヒステリーの幼児精神のアホが嫌いだからというわけではない。なお、「機動戦士Zガンダム」の第一話も見たが、主人公のカミーユがアムロそっくりのヒステリー我儘無考え坊やであるのにはうんざりした。たぶん、二話以降は見ないと思う。
なお、「ニュータイプ」というネタ(ギミックと言うべきか)は、私が前に嘲笑した、「相手が撃った弾丸やビームを、『撃った後に』避ける」ことが馬鹿馬鹿しいという批判に弁明するために後から付け加えた「言い訳」だったと私は思っている。制作陣が何と言おうとだ。だが、その「後付け設定」が、ガンダムのトレードマークになったのだから皮肉である。


反響・評価

初回放映時の評価と後の社会現象


初回放送時の視聴率は名古屋地区で平均9.1%、関東地区で5.3%[7]と振るわなかった。


視聴率低迷のため、スポンサーの要望によって量産型の他にいわゆる「やられメカ」を毎回出すことになり、試作機が投入されたという設定で グフドムなどの新MSやモビルアーマーが登場したが視聴率は好転しなかった[3][註 6]


視聴率低迷は関連商品の不振につながり[8]、スポンサーから「シャアという陰気なキャラクターがいけない」と指摘され作中でシャアを左遷したが、今度は「何でシャアが出ないのだ」という抗議の手紙が殺到した[9]。こうした手紙は中高生のファンからであり、サンライズ側の当初の狙い通り、本作には中学生以上のファンがついていた[8]名古屋テレビの関岡渉によると左遷どころか殺す予定だったのをスタッフを説得して取りやめになったとある[10]


その後もテコ入れが試みられたが(後述)、視聴率も売り上げも挽回できず全52話の予定が全43話に短縮される形の打ち切りとなった[註 7]


ところが打ち切りが決まった直後から人気が上昇。最終回でアムロは死ぬ予定だったが、関岡が人気の盛り上がりから再放送や続編制作が期待できるため反対して取りやめになった[10]。また、放送当時からアニメ雑誌がたびたび熱意ある特集記事を組むなど、中高生、特に女子を中心に口コミで徐々に評判が高まった[註 8]。放送回数は打ち切り決定当時の43話のままで終了したが、本放送終了後もアニメファンによる再放送要請嘆願署名が行われるなど熱意が衰えず、これらを受けてクローバーは再放送を決定した[11]。こうして再放送、再々放送が重ねられ、世間一般へ本作が浸透していった。再放送では平均視聴率も10%を超え、1981年における関東地区で17.9%、1982年における名古屋地区で25.7%(最高視聴率29.1%)を記録した。

「アイカツ!」というのは知らないというか、山本寛系統の作品だと思われ、まったく興味も無いが、木村隆一という監督も、山本寛によく似たタイプの「芸能界などによくいる下種創作者」ではないかと思われる。「期日内に仕上げればいいだろ」と、あちこち適当に誤魔化して作っていきそうな感じだ。「娯楽なんだから、監督なんて誰でもいいんですよ」という、「娯楽」を舐め切ったセリフには虫唾が走る。前作品をリスペクトしている、とも言っているのだが、まったくうわべだけの科白、お上手を言っているだけにすぎないのは、「けもフレ2」での前作下げ工作の数々を見ても分かる。まあ、いい加減な性格でも、多少の創作才能と世渡りの才能があれが便利屋として使われるだろうが、ロクな作品にならないのは目に見えている。




――Twitterでも「皆んなで楽しみましょう~!」と言っていましたからね。



 



木村 娯楽なので、ぶっちゃけ監督なんて誰でもいいんですよ(笑)。誰が作っているか考えずに面白い作品をみんなで楽しむのが娯楽の基本といいますか、そのほうがみんな幸せだと思います。僕はいつでも、面白い作品を作りたいと思っているので。



  



――現状の手応えはいかがですか?



 



木村 面白いものはできていると思います。基本的に、作る時は「面白いぞ」と思って作っているので(笑)。お客さんが見た時にどう思われるかはわからないですけど。



  



――放送を楽しみにしている方たちへ、メッセージをお願いします。



 



木村 僕自身、前のシリーズにリスペクトを捧げて作っていますので、「けものフレンズ」が好きだった人は面白いと感じてくれると思っています。いいところは引き継いでやっていますので、安心して見ていただけたら嬉しいです。



 



(取材・文・撮影/千葉研一)

これ(引用図)が正しいことは、まさに「けものフレンド」と「けものフレンド2」の違いによって明確に証明されたと思う。
ただし、同じ人物が、過去のヒット作品の自己コピーをして失敗する例もある。つまり、そのヒット作は、作り手が全力を出して作り終えたのだから、それに注ぎ込む熱意はもはや無いにも関わらず、スポンサーなどの圧力で二番煎じを作ってしまう場合である。

厖大な「ガンダム群」の中で、見るに値する作品がどれくらいあるか、実は私は疑っている。
大御所になって、前より、「好き勝手に作れる」から、さらにいい作品になるかどうか、私はあまり信じていないのである。
「ガンダムオリジン」は、富野由悠季監督(総監督)の下でガンダム作りをして、いろいろと不満があった安彦良和が、自分が監督としてその不満をすべて解消する内容にしたから傑作になったのではないだろうか。その証拠のひとつが、「オリジン」では、アムロ・レイが実に阿呆な、魅力の無いキャラクターとして描かれていることであるwww まあ、最初のガンダムでもアムロはアホで魅力の無い性格だったが、安彦良和はこの少年が主人公であることにつくづくうんざりしていたのだと思う。







この前からネットテレビで見ていた「ガンダムORIGIN」が非常に面白かったので、一番最初のガンダムのテレビシリーズを見てみたが、まあ、子供向けである割には人がよく死ぬ、年齢対象が不詳のアニメである。オリジンにくらべて、はっきり言って雑な作品だ。まあ、ロボットプロレスが好きな層には大うけしたのは分かる。まさにプロレスであり、刀や斧も使うから、時代劇、チャンバラアニメでもある。中でも傑作なのは、砲弾やレーザービームらしきものを、それが発射された後に「避(よ)ける」場面があきれるほど多いことであり、ガンダムファンはそれにいったい、どういう理屈をつけていたのだろうか。レーザービームなら光速であり、それを避けるのも光速以上の速さでないといけないわけである。
それに、登場人物たちに魅力がまったく無いというか、不快な人物が多いのも困ったところで、いったい、この番組を楽しんで見ていた層は、ロボットプロレス以外のどこが良かったのだろうか。私の感じでは、登場人物の3割がキチガイ、3割が馬鹿、3割が下司外道(キチガイでかつ下種外道とか、馬鹿でかつ下種外道とかいうのも含む)であり、まともな人間は女性陣くらいで、後は、途中で死亡する「リュウ」くらいがまともだろうか。女性陣も馬鹿なところが多く、あまり魅力は無い。セーラなど、賢そうな描かれ方をしているが、戦いの最中に勝手な行動を取って味方全員を危険にさらすというアホなところを見せている。まあ、勝手な行動で味方を危険にさらすのは、アムロを始め、この物語では多いパターンである。当初は、正式な軍隊ではなく、中学生程度の連中だから、ということで許容されても、これだけ戦の経験を積めば、命令違反が味方全員の死につながりかねないことくらい学習しそうなものである。
ただ、物語全体の骨格が、二次創作を作りやすいものであることは確かで、それに影響された人々が、プロでありながらこの作品の二次創作作りに協力したのが、膨大なガンダム作品群になったのだろうな、というのは良く分かる。
話の構造を論じるネット民というのは珍しいな、と思っていたら、話の構造と言うよりは、単なるストーリー展開であった。まあ、周囲の知的レベルを下げて主人公を賢げにみせるという部分は構造と言ってもいいか。
私は基本的に「剣と魔法の物語」が好きだから、見てみたが、出だしはそう悪くもなく、中世的世界の描写(絵による描写)もさほど違和感もなかったので、数回見てみて、下のスレ主が言う「鳥が(裸の)幼女になる」というところで、気持ち悪くなって、これ以上は見ないことにした。
いや、奴隷の女を買う、くらいは、私的にはまだいいのである。子供向けの話ならともかく、あのような世界に行って、奴隷売買がある世界で、所持金で可愛い娘(まあ獣人だが)を買えるなら、買わない男がいるか、とすら思う。単に性欲の対象としてでも買うだろう。しかも、主人公は「攻撃力がほとんどゼロ」で、守備力しか無い勇者なのだから、攻撃力アップのために攻撃能力のある奴隷(必ず自分の命令に従う存在)を手に入れるのも当然だ。その奴隷が可愛い娘だのに、性欲の対象にはしないのも妙だが、獣人はやはりケモノとしか見られない性格なのだろうか。アニメの主人公は女性にウブか、童貞でなければならないというのが決まりなのか。
奴隷娘の件は、まだ、アニメヒーローのパターンだとしてもいいが、鳥を買って、それがデブ鳥になった後、朝起きると裸の幼女になっていた、となると、明らかにロリコン受けを狙った話の作りで、気持ち悪い。
いや、ロリコン自体も別に悪いとは言わない。妄想の中でなら、いくらでもロリコンであっていいが、「話として必然性の無いところに美幼女を出す」のが気持ち悪いのである。つまり、作者たちの心根が気持ち悪い。
まあ、話の中で「盾の勇者」だけがやたらに貶められるというのも変と言えば変で、その貶め方が異常すぎて、そこも視聴者に居心地悪く感じさせる部分だが、そのあたりは最近よく言われる「物語のトンネル」と見ることもできる。で、盾の勇者である主人公が貶められることで、「そこからどのようにして成り上がっていくか」という興味を視聴者に持たせる機能もあるわけだから、そういう「物語エンジン」(これは私の造語で、物語の先を読みたい気持ちにさせる存在を言う。いわゆるサスペンスや謎なども物語エンジンである。)としては新機軸だな、と評価できる。また、同時に召喚された他の3人の勇者たちが、全然主人公を評価せず、仲間扱いしない、というのも新機軸である。
だが、そうしたもろもろを帳消しにするくらい気持ち悪いのが、「出てくる必然性のまったく無い、裸の幼女」である。これは、作り手側の、視聴者への「どうせお前らが見たいのはコレだろ」という嘲笑だ、と私は思っている。「りゅうおうのお仕事」と同じである。
その逆が、この前書いた「ヒナまつり」で、あのアニメには13歳くらいの少女の全裸が数回出てくるが、すべて必然性があり、またエロさを出さないように極力注意した(胸や性器が見えない)画面作りをしていた。もともと、あの漫画の少女たちは、エロからは程遠いキャラばかりなのである。「それ町」の歩鳥がパンツが見えても裸になってもまったくエロくないのと同じだ。




盾の勇者の成り上がりの構造が気持ち悪い・・・



1マンガ大好き読者さん ID:chomanga
周りを徹底的に愚か者にして主人公をあげたり奴隷の女の子を奴隷として扱わないで感謝されたり鳥が幼女になったりとにかく気持ち悪い
2マンガ大好き読者さん ID:chomanga
じゃあ見なけりゃいいやん
4マンガ大好き読者さん ID:chomanga
なろう小説の王道じゃん
5マンガ大好き読者さん ID:chomanga
それを気持ち悪いと感じるなら何故このタイトルを見ようと思ったのか
7マンガ大好き読者さん ID:chomanga
タイトルで即選別できるのに
>>1は相当の愚か者だ
8マンガ大好き読者さん ID:chomanga
王と王女をクズとビッチに改名したのは幼稚すぎて引いたわ

14マンガ大好き読者さん ID:chomanga
>>8
なんか復讐心で凝り固まった主人公がそういうことするのを、
奴隷の女の子がすがりついて止めたりするのがいいとおもうんだがな
12マンガ大好き読者さん ID:chomanga
愚かっていうか盾だけ異常にディスる王族が意味分からんわ
理由はあとで出てくるけど伏線も何もあったもんじゃねえ



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