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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「デスパレートな妻たち」(「デスペレート」ではなく、「デスパレート」という表記。)のある回が、生まれた子供にどういう名前をつけるか、という話だったが、それで知ったのが、「メイナード」という男名前が嫌われる、ということである。
どうやら、「ナード」というのが阿呆の意味らしく、「メイナード」は「五月馬鹿」になるようだ。まあ、日本なら「三太郎」とか「与太郎」みたいな、阿呆名前になるわけだろう。同ドラマによれば、メイナードはドイツ系の名前らしいから、それが英語世界で「五月馬鹿」になったのは偶然の不幸だが、英語社会で暮らすとなると、無視はできないわけである。
もちろん、ジョン・メイナード・ケインズという偉人もいるわけだが、彼の場合はメイナードがミドルネームだから、おそらく普段は「ジョン・M・ケインズ」と表記され、呼び名も「ジョン」で済んだのだろう。


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我々は、名前は知っているが、実態(実体)は知らない、という無数の知識を頭の中に持っている。特に植物の名前はそうである。和名と洋名が頭の中で一致しないものも無数にある。

「コクリコ」がヒナゲシのフランス名であることを知っている人すらあまりいないかもしれないが、その色が血のように赤い色であることはなおさら想像できないだろう。さらに、「虞美人草」がケシのことであること、それは虞美人が殺された時の血をケシの花が連想させるからだ、という話はどうだろうか。ついでに言えば、「ポピー」もケシであり、「オズの魔法使い」でドロシーがポピーの群落の中で眠り込むのは、ケシの持つモルフィンのためだろう。(すべてのケシ類にモルフィンが含まれているわけではないらしいが、少なくともこの映画ではポピーにはモルフィンが含まれている、という前提で描かれているように見える。)
こうしてみると、「コクリコ坂から」というタイトルは、爽やかな青春をあまり連想させなくなりそうである。

以上書いたのは、うろ覚えで書いたものであり、鵜呑みにして引用などしないほうがいい。
「小田嶋隆ツィッター」から二つの話題を転載。
1)沖縄が台風の渦中に(まさしく渦中。w)にある時に、テレビでほとんど台風情報が無い、というのは沖縄で暮らした人間が誰でも不満に思うことだろう。つまり、地方テレビ局が自前のニュース番組を作るにはカネが掛かりすぎるから、ニュースなどはほとんど中央任せになっている、ということだ。せいぜいが定時のニュース番組の最後に5分程度。これでは中央による地方の情報支配が全国に行き渡るのは当然だろう。
2)古市憲寿は売り出し中の若手社会学者だと記憶しているが、このツィートで、完全な阿呆だと私の中で認定。顔の造作がありありとわかって辛い?意味不明。日本の(子供の)素顔はみな不細工すぎるからメイクをし、髪を染めて誤魔化せ、ということか?これほどの日本人侮辱は無い。まあ、古市本人の顔を見れば、彼自身の自己嫌悪の反映かもしれない。この写真で見ると、本人自身メイクをしているようである。


(以下引用)


     小田嶋隆さんがリツイート

ちょっと何言ってんのか分かんない。

 
ライブドアニュースから転載。
鎖をつけられ換金されていたって、奴隷売買かね。(笑)




(以下引用)




鎖をつけられ換金されていた小学2年の長男 1.5mしか動くことができず

ざっくり言うと
  • 滋賀県長浜市で、小2の長男が鎖で柱につながれ自宅で監禁されていた事件
  • 長男は自宅で、半径約1.5mの範囲でしか動けなかった
  • 逮捕された母親は、長男が足を怪我しているとして学校を休ませていた

学校に「けがで休ませる」と母親 長男に鎖、1・5mしか動けず



 滋賀県長浜市の自宅で小学2年の長男(8)が鎖で柱につながれ監禁されていた事件で、母親の宮島茜容疑者(27)が当日の8日午前、学校に電話し長男について「足のけがが治っていないので休ませる」と伝えていたことが9日、市教育委員会への取材で分かった。茜容疑者と夫の保名容疑者(32)は8日午前8時ごろから監禁していたとして逮捕された。


 捜査関係者によると、保名容疑者は「しつけのつもりだった」と供述していることも判明。長男は自宅で半径約1・5メートルの範囲しか動けなかった。長浜署は、日常的に虐待があった可能性もあるとみて傷害容疑も視野に調べる。



ちと私の教養不足ですぐには理解できなかったのだが、「右翼の山谷えりこはヘイトスピーチやヘイトデモを支持している」、という意味の歌だろうか。もちろん、エリコは旧約聖書に出てくるジェリコ(エリコ)のことだろう。「逆茂木」はそのまま「逆茂木」の意味なのか、そこにも何かの言葉が掛けられているのか分からない。エリコの壁にも逆茂木はあったのかもしれないから、そのまま逆茂木の意味でもいいわけだ。で、エリコの壁はラッパの音で崩れた(のか、ラッパの音と共に崩れたのか、よく知らないが)とかいう話だから、日本のエリコはマスコミのラッパで崩れることになるのかもしれない。


(以下引用)


小田嶋隆 @tako_ashi  ·  9月28日

山谷の右のエリコの壁の内 塀と逆茂木険しくそびゆ













(補足)小田嶋師の高尚な歌と並べては小田嶋師には迷惑かもしれないが、「東海アマ」ツィッターから転載。本人自身ヘイトスピーチの多い東海アマだが、ここで言っていることは多分正しい。


アマちゃんだ @tokaiama  ·  10 時間


反韓ヘイト活動の在特会だが、彼らの資金が日本会議から出ていることは100%確実 在特会のスポークスマン、山谷えり子は明らかに統一教会員 日本会議は前身が国際勝共連合、これは岸信介・笹川良一・文鮮明らが野合して作った反共組織であると明らかにされている つまり在特会は韓国系なのだ



(追記2)「晴耕雨読」にこのような記事もあった。


2014/9/30

「殺人をほのめかすヘイトデモを「政府が承認」する時代に移行した:山崎 雅弘氏」  憲法・軍備・安全保障
https://twitter.com/mas__yamazaki

> 石田昌隆 英『The Economist』紙。 http://econ.st/1rdG4JI 鶴橋の14歳の少女による差別発言→レイシストのヘイト・スピーチの実態→関東大震災に遡って歴史解説→安倍政権の女性閣僚3人の在特会、ネオナチとの関係。という展開および写真選びのセンス、さすがです。

この「鶴橋の14歳の少女」とは、以前のツイート(http://bit.ly/1wNB9hT )で触れた、2013年2月14日の鶴橋で叫んでいた中学生のことだろう。

「大虐殺します!」「大虐殺しましょう!」と街頭で叫んでも、周囲の警官は殺人教唆の現行犯で逮捕しない。

法が適用されない。




ヘイト団体側から見れば、彼らの人種差別的な恫喝的活動を取り締まる警察のトップである国家公安委員長に誰が就任するかは重大な関心事。

そこに首相が、有力ヘイト団体と幾本もの線で繋がりのある山谷えり子議員を任命したことは、ヘイト団体にとって実質的に「満額回答」だろう。

安心して活動できる。

今までは、警察/国家公安委員会が殺人をほのめかすヘイトデモを「内容については聞かぬふり」「暴力も見て見ぬふり」をしながら実質的に護衛してきたが、有力ヘイト団体と繋がりのある議員の国家公安委員長への就任は、殺人をほのめかすヘイトデモを「政府が承認」する時代に移行したことを意味する。

日本国の現在の国家公安委員長も法務大臣も、漠然とした一般論でヘイトスピーチを非難はするが、それをなくすための具体的な行動や計画については全く消極的で、有力ヘイト団体の主張を名指しで非難することもない。

形式的に否定するそぶりだけは見せるが、実質的には人種差別的な恫喝を容認している。

> 中野晃一 この英文記事は在特会と住吉会系暴力団の密接な関係にも言及。元在特会幹部との長い交際が昨日も特派員協会で厳しく追求された山谷公安委員長、いよいよ辞任やむなしか。http://t.co/uLudYpdyTf @jakeadelstein, @thedailybeastさんから 


(以下省略)










「日経ビジネス」の表紙にいつも載っている「経営者の名言」の一つで、いつも私は読み飛ばしているのだが、下の「名言」は、つい読んでしまい、その後で「?」となってしまった。いったい、この日本語はどういう意味か。主語や目的語がさっぱり分からない。

1)社長は結果を出すということで(その社長を)評価するとしたら、(評価する人間は)(評論者として)落第でしょう。
2)社長は結果を出すということで(その社長を)評価するとしたら、(この私、武藤光一は)(社長として)落第でしょう。
3)社長は結果を出すということで(自社の社員を)評価するとしたら、(その社長は)(社長として)落第でしょう。


のどれなのだろうか。私としては、こういう言葉を「名言」として載せた日経ビジネス編集員が、編集員として落第だ、と思うのだが。


(以下引用)


社長は結果を出すということで評価するとしたら落第でしょう。


武藤 光一 商船三井社長

話の内容も面白いが、文章力がすごい。ユーモアもあるし、描写が迫真的だ。「おにぎりを救出」は笑ってしまった。
実際、斜面の細道での方向転換は、危険である。この話と反対に、わずかな高さからの転落で大怪我をする場合もあるから、山道での運転にはご注意を。


(以下引用)




姉の絶叫とガシャンガシャンという音。叔母の運転する車が山奥の崖から落ちた

2014年04月27日 16:05


http://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1397802500/
今まで生きてきて凄く衝撃的だった体験1
25 :名無しさん : 2014/04/27(日)10:39:02
叔母が崖から車ごと落ちたけど、無傷で帰還したこと

15年前、叔母と姉と私の3人でミカン狩りに行った。
叔母の運転で山奥の曲がりくねった細い道を上って駐車場を探していたのだが、
道を間違ったらしく上りきっても行き止まりだった。道路は途切れて、
その先は10メートルほどの崖だった。
私は来る途中にあった事務所で道を聞いてくると言って車を降り、坂を下った。
助手席に乗っていた姉は車酔いが酷く、私が戻るまで外に出ていることになった。
私が歩き出して数十秒後、姉の絶叫とガシャンガシャンという聞こえた。
驚いて車のあった場所へ戻ると、車はなかった。そして姉は崖に飛び降りた。
私は数秒間固まっていたが、全速力で坂を下り事務所へ向かった。
事務所にいた職員に事情を話し、救急車を呼んでもらい、崖の下まで連れてもらった。
グ□い想像をしながら山道を歩き、崖の下に着くと大破した車があった。
大きな岩に突っ込んでいて、運転席と助手席はひしゃげていた。
騒いでいる職員の隣で私は冷静に「あ、これアカンやつや」と思い
家族にどう説明するか考えていると、車の後ろから叔母と姉が出てきた。無傷で。
叔母は「お父さんに怒られるわ」と壊れた車の心配をしていて、
姉は「電波届けへんなー」と言いながら携帯を振り回していた。


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事務所に戻り話を聞くと、崖の上で方向転換しようとしてハンドル操作を誤ったらしい。
4~5回転しながら崖から落ちたらしいが、一回転目で運転席の窓ガラスが割れ、
二回転目で叔母が窓から投げ出され草むらに落ちたらしい。
そして無人の車だけが数回転して岩に突っ込んだ。
運がいいとか言うレベルじゃない。叔母はかなり細身だが、シートベルトをすり抜けて
都合よく割れた窓から投げ出されるとか有り得るのか。
そしてたまたま草むらに着地するとか主人公補正でもかかっているのか。
実際壊れた車の運転席はシートベルトがセットされたままだったし、叔母はかすり傷も負っていなかった。
姉は車が落ちたとき、叔母が死んだー!!と思い咄嗟に飛び降りたらしい。
崖から所々に突き出した岩を足場にして、高速で降りたらしい。
かなり運動神経は良い方だったけど、女子高生が崖から飛び降りて無傷で着地するのもなかなか凄い。
姉が車に到着したとき、叔母は後部座席に置いていたコンビニのお握りを救出していたらしい。

あれから毎年のように叔母と姉はミカンやらブドウやら狩に山奥に車を走らせている。
私は絶対に同行しないけど。
叔母は相変わらず元気だ。姉は自転車走行中に車に撥ね飛ばされた時も無傷だった。
私もバイク走行中に車と接触事故を起こして道路に顔面着地したけど、メイクが崩れただけだった。

少しだけフェイク入れてますが、実話です。皆さんも事故にはくれぐれも気をつけてください

26 :名無しさん : 2014/04/27(日)15:14:56
君の一家は全員主人公かインクレディブル並みなわけね。そりゃ怖いわ。

27 :名無しさん : 2014/04/27(日)15:49:47
姉がかっこいいwww
みんな無事で良かった

中二でこれというのはまあ、可愛いんだが、「募金」しているのはあなた自身でしょう。「募金してください」ではなく、「募金に協力してください」というのが正しい日本語。
だが、「まんがをかいます」と正直に書いているところが実に可愛い。




(以下引用)

1 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/09/23(火) 22:00:15.18 ID:p2t0wTma0.net
中身空っぽwwwwwwwwwwwwwwwwww

j7rBJ9D.jpg

4 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/09/23(火) 22:00:49.35 ID:ccIK0fEki.net
8歳までならかわいい


13 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/09/23(火) 22:01:44.25 ID:p2t0wTma0.net
>>4
中2wwwwwwwwwwwwwwwwwww


15 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/09/23(火) 22:02:03.74 ID:N4gQujzS0.net
>>13
ありやな
たぶん実話だと思うのだが、思わず涙が出るような話だ。昔の大島弓子の漫画のようだ。大島弓子ではないが、最近でも、似たような話に、「うさぎドロップ」というヒット漫画があったが、あれは話の締めくくりが気持ちが悪かった。こちらは最後まで爽やかな話である。



(以下引用)



00:13

【涙】私は9歳で親を失った!叔父『俺が育てる!』親戚「男手だけでは」「下品」→そこから修羅場だらけの生活が始まった・・・・

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Comment( 61 )

引用元: 今までにあった最大の修羅場 £84


938: 名無しさん@HOME 2013/06/10(月) 19:12:31.12 0
両親が事故で亡くなったこと。
もう9歳だったのに、ぼんやりとしか覚えていません。
泣いていた記憶はあります。

あずけられた先で黙殺されたこと。
話しかけてもらえない。笑ってももらえませんでした。



優しく構ってもらえるのが普通だと思っていたので、
どうしたらいいか分かりませんでした。 
こっちはよく覚えています。 

これがわたしの最大の修羅場です。 
次は同時に周囲でおこった修羅場?です。 
親戚「私子どうする」「イラネ」「困る」「迷惑」
「なら叔父にまかせたら?」 

叔父は実父の弟で、当時24歳会社員独身。
家によくやって来ては私子とも遊んでくれていました。 
「無理に決まってます」と様子見に来た叔父に
「おにーちゃん(そう呼んでた)」と私子がすがりつき 
叔父「わたしが育てます」


938: 名無しさん@HOME 2013/06/10(月) 19:12:31.12 0
親戚「若過ぎね?」「男手だけでは」「いやらしいよね」「無理かも」
叔父「おまえら人に押し付けて梯子外すのはやめろ」
親戚「なら任すか」「でも男手だけじゃ」(無限ループで揉める)

叔父彼女は当時21歳。他県の大学で4年生でした。
彼女「事情は聞かせてもらった。
内定蹴ってそっち行って結婚するわ。これで解決でしょ」
叔父「それは無謀で短慮だ。22歳でいきなり10歳の子持ちとか正気じゃない。
絶対だめ、無理。むしろ別れてくれ」
彼女「25歳で10歳の子持ちもないわよ。
まず私子ちゃんが大事でしょ。誰かがやらなきゃ」
彼女両親「絶対に許しません。将来を捨てるんじゃない。
叔父くんと別れなさい」
親戚「これはいい人身御供」「とおといぎせいはわすれない(棒)」
「応援します(他人事)」
939: 名無しさん@HOME 2013/06/10(月) 19:13:20.47 0
叔父&彼女両親「わざわざ不幸になるな。
そもそも私子知らんだろ。諦めてくれ」
彼女「不幸になるって決めつけるな! あなたの娘なら関係ある!
・・・ねえ、3人で幸せめざそう。ね(女の涙作戦)」
叔父「もう、そこまでいうならついてこいや。3人で行くとこまで行っちゃるわ」
彼女両親「おまえなんかもう娘じゃない。
困っても、す、少ししか助けないんだからね!」


両親の修羅場はずっと続いたようです。
まず親が若すぎて好奇の視線や心無い中傷に苦しみます。
「育児完全素人」でなにをやっていいかさえ分かりません。
不安定な私子に張りつくため母は専業主婦(在宅パートも少し)。
当時の父の給料では火の車大行進でした。
結納も新婚旅行もなしです。
式だけは父の会社の人や友人がパーティを開いてくれて人前式だったそうです。

父が苦い顔で振り返ります。
「正直に言うと、皆の心遣いより貰った祝儀の額が嬉しかった。
貧乏すぎるとそういう間違いをおこす。
今でも恥ずかしくてしょうがない。
二度とあんなさもしい気持ちになりたくない」

わたしに残された遺産は(たいした金額ではありません)
手つかずのままでした。
「それに手を付けるようでは、どっちみち長くはもたなかった」
だそうです。

母も育児や家事で実家を毎日質問攻めにしていても、
金銭の援助はなかなか受け取らずに祖父母を困らせました。
「意地だったわ。若かったなあ(遠い目)」だそうです。

わたしが中学にあがり家事をするようになると、
母はフルタイムで働きました。
父もそのころ昇進し家計は改善されたと思います。
「あれ? うちって思ったよりお金ある?」と何度か思いましたから。

高校は私立の進学校と公立を併願しました。
親戚「私立はもったいない」「お人よし」「働かせろ」
両親「うがー」(追い払ってる)
940: 名無しさん@HOME 2013/06/10(月) 19:14:05.72 0
私立を受けたのは「諸費用全部タダ!」の「特待」を狙っていたからです。
その高校のOBで1年と3年で「特待」2年は「準特」だった優等生の父は、
すぐにわたしの意図を察しました。

「私子には勧めたくないな。成績順だけの生活は思う以上に苦しいぞ。
将来のためじゃない勉強のための勉強だ。
好きじゃなくても金のために勉強、プロみたいに・・・」
「勉強のプロ?なにそれかっこいい」
「ちょっと、嫁子きてくれ」
「あなたが兄さん(私子の実父)に迷惑かけたくないって
特待狙ったのと同じじゃない。私子の気持ち分かるでしょ」
「分かるしありがたいからそこまでさせたくないだろう」
「過保護乙。あなたができたなら私子もできるよ。
発想似てきたもの。親子よねえ」

「特待」も「準特」もだめでしたが、
その下の「奨学生」(授業料7割引き)に引っかかることができました。
高校では両親が変な陰口を叩かれることは、
少なくとも表立ってはありませんでした。
「さすが、我が校史に残る優等生(笑)やることが違う。
そこにシビry」という応対だったそうです。
(馬鹿にされてるんじゃなくて、好意的だったということです)

少しは役に立てた気がしました。


最後の修羅場は高校2年の時です。
たぶんわたしのせいで明るい家族計画状態だった我が家に妹が誕生しました。
ひそかに気にしていたので大喜びでした。
「赤ちゃんかわいいー」と無邪気にはしゃいでいました。
941: 名無しさん@HOME 2013/06/10(月) 19:14:34.29 0
親戚「やっと本当の子か」「私子、お役御免だな」
「妹に悪さするんじゃないか」
私子「え?え? 悪さしないよ、妹かわいいよ。
え? まだ私子はいらない子?」
父が人に殴りかかるのを初めて見ました。

それまでも疎遠だった親戚と、これで完全に絶縁することになりました。

考えすぎて心因性ナントカで倒れて入院しました。私子、打たれ弱い。
父は繰り返し「お父さんが甘かった。私子、すまなかった」といってました。

父は毎日産院と私の入院先を往復して、
親戚と喧嘩もしていて、疲れたところを祖父に捕まって
「なぜ相談にこない? あれ(母)もきみも一人で抱え込むのはどうなんだ」
と怒られていました。
父の泣いているところも初めて目にしました。
一人で抱え込むと父でも怒られるのかと安心しました。

妹と私子の関係は全然大丈夫でした。
むしろ可愛すぎました。どっちが大事とか関係ないから。


もう修羅場はないと信じたいです。

先日、私子の誕生日を父、母、妹、その他揃って祝ってもらい、
昔話をしました。

○○歳の記念にカキコ。
本当は修羅場より両親自慢をしたくて、投下先がわからずこういう形で。
お許しくだされば幸いです。

943: 名無しさん@HOME 2013/06/10(月) 19:23:01.92 0
>>938
泣いた
944: 名無しさん@HOME 2013/06/10(月) 19:29:39.44 0
>>938-941

不幸だけどほんとに本質的な不幸には落ちない
守られてる感じがするのはなんでなんだろう
という感想でした乙
945: 名無しさん@HOME 2013/06/10(月) 19:31:40.16 0
おおおおおお
両親に守られてるね
文章も上手い
貴方家族に幸あれ
947: 名無しさん@HOME 2013/06/10(月) 19:35:49.62 P
余計なクチバシだけ挟んで全く助けにならなかった「親戚」ってのは
実両親の兄弟(育ての父除く)とかかな?

無事に育って本当に良かった!
948: 名無しさん@HOME 2013/06/10(月) 20:37:45.01 0
>>938
読んでてじわじわ涙出た
文章うまいね
ほんとにいいご両親だね
これからもうんと幸せに
950: 名無しさん@HOME 2013/06/10(月) 20:40:39.97 0
久々に良い話を読んだ。
泣いたわ。
心が洗われるよ、ありがとう。
951: 名無しさん@HOME 2013/06/10(月) 20:41:09.83 P
>>938
いいご両親だね。
苦労も多かったろうね。そそして書き方もうまいw
一家に幸あれ!
955: 名無しさん@HOME 2013/06/10(月) 21:13:24.38 0
養子の話弱いんだよー泣かすなよー
938とご両親、妹さんが永遠に幸せでありますように
「BLOGOS」から転載。
ブロゴスは政治的にははっきり右寄りで、駄目記事が大半なのだが、下の記事は芸術専攻の女性がクリスチャン・ラッセンの絵の気持ち悪さの理由を真剣に考察したもので、なかなかその気持ち悪さの本質に迫っている。もう一歩の掘り下げがほしいと思うが、大健闘だ。
ここでの「ヤンキー的なもの」とは、要するに趣味の低俗さ、と言えるかと思うが、ではなぜこういう趣味が低俗かと言えば、それは低俗な人間が持つ趣味だから、としか言えないという堂々巡りになってしまう。低俗とは何か、と言えば単純に一般人の大半の趣味やセンスがそうだから、それを「ヤンキー的なるもの」とレッテル貼りをしただけだ。
絵画的に言えば、モチーフが低俗、画面にやたらと物象を詰め込む、そのセンスが低俗、やたらとキラキラさせた画面が低俗、見る者に媚びるような姿勢が低俗、などいろいろありそうだが、それが本人が本当に描きたかったものなら仕方がない。ただ、それを新興宗教や詐欺商法めいた販売方法と結びつけたところがどうしようもない気持ち悪さの最大のものだろう。




(以下引用)



記事

美術史、ヤンキー絵画を語る『ラッセンとは何だったのか?』


イルカの絵、といえばだれでも真っ先に、クリスチャン・ラッセンの絵画を思い浮かべるのではないでしょうか。目に鮮やかなその作風は、一度見たら忘れられない鮮烈な印象を、私たちにあたえます。


パズルの超達人EX(ラッセン) デイ オブ ザ ドルフィンズ
めざせ!パズルの達人 1000ピース ラッセン プレシャス ラブ 12-031
※ラッセンのジグソーパズル


このクリスチャン・ラッセンという人の作品は、日本では80年代後半〜90年代前半に、ブームの全盛期を迎えました。今では少々影が薄くなった気もしますが、一時期はおもちゃ屋さんのジグソーパズルコーナーへ行けば、ハワイのお土産屋さんに行けば、水族館へ行けば、カラオケに行けば、パチンコに行けばーー必ずラッセンの絵か、あるいは「ラッセン的なイメージ」が溢れていたような記憶が、確かにあります。


私は1987年の生まれなので、その全盛期の頃の「ラッセン」を、ぼや〜っとした印象でしか知りません。でも、ジグソーパズルとか水族館とか、自分を取り囲む環境のなかで「ラッセン」あるいは「ラッセン的なるもの」を見た覚えはしっかりとあって、私にとってのラッセンは、そんな幼少時代の記憶とセットになっています。


ただ私の場合、ラッセンの絵を見て「わぁー、懐かしいな」と手放しに喜べるかというとそうではなくて、どちらかというと「うわ、思い出したくないものを思い出してしまった」という感覚に陥ります。このあたりの感覚にはもちろん個人差があると思うのですが、私がラッセンを見て「うわ〜」と思ってしまうのは、学生時代に美術の勉強をしてきてしまったことと、少なからず関係があるかもしれません。もちろん、あるいはまったく関係ないかもしれません。


しかしとにかく、この「うわ〜」はどこから来るんだろう、というのを考えるのが今回のエントリの主旨です。

ラッセンの再評価

2013年、このクリスチャン・ラッセンの作品は、巷でちょっとしたブームになっていたようです。日本で初となる本格的なラッセン論、『ラッセンとは何だったのか?』も刊行され、私もちょっと遅れることになりましたが、これはかなり面白く読みました。というわけでこのエントリは、こちらの本の感想文でもあります。


ラッセンとは何だったのか? ─消費とアートを越えた「先」ラッセンとは何だったのか? ─消費とアートを越えた「先」
  • 作者: 原田裕規,斎藤環,千葉雅也,大山エンリコイサム,上田和彦,星野太,中ザワヒデキ,北澤憲昭,暮沢剛巳,土屋誠一,河原啓子,加島卓,櫻井拓,石岡良治,大野左紀子
  • 出版社/メーカー: フィルムアート社
  • 発売日: 2013/06/26
  • メディア: 単行本
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バブル期以後、日本人の間で絶大な人気を誇ってきたラッセンですが、美術に関わる人々の間では長らくその存在は無視、あるいは嫌われてきました。なぜかというと、1つにはラッセンの作品の「売られ方」に、問題があったからです。キレイなお姉さんに画廊に連れて行かれ、そこで口車にのせられて強引に絵の購入を契約させられてしまうーーというのは、確かに健全なやり方とはいえません。


しかし恥ずかしながら世情に疎い私は、ラッセンの作品がそういった強引な方法で売られてきたという背景を、最近までよく知らなかったんですよね。前述したように私はラッセンの絵があまり好きではないというか、見ると「うわ〜」という気持ちになってしまうのですが、それは売られ方や消費のされ方とはあまり関係なく、純粋に「表現」が気に入らないのです。ラッセンがなぜ現代アート業界の人間から無視されてきたのかという話になると、この絵の「売られ方」に問題があったからだという言説はよく耳にするし、それはそれで1つ正しくはあると思うのですが、もし健全なかたちで流通していたとしても、この絵の「表現」、それだけで美術に関わる人々に嫌われてしまう素養は充分にあります。ついでにいうと、金髪でサーファー、成金で美女をまわりにはべらせている、そんな「画家」のイメージからラッセン本人がかけ離れていることも、理由の1つではあるけれど決定打ではない。やっぱり純粋に、この絵画の「表現」が、アート業界の人間に嫌われる要素を充分すぎるくらい持っていると私は思うんですよね。


では私は、そんなラッセンのどこが気に入らないかというと、これは大野左紀子氏の『ラッセンとは何の恥部だったのか - Ohnoblog 2』で語られている内容を使って説明するのが、自分のなかでいちばんしっくりきます。つまり、「ラッセン=ヤンキーの絵画」であり、「自分のヤンキー心に訴えてくるところが気に入らない」のです。


ここでいう「ヤンキー」とは、不良の少年少女のことではなくて、広義のヤンキー、大野氏はそれを「どんなに頑張っても今いち垢抜けず安っぽい趣味に染まりやすい田舎者」と定義しています。ちょっと物議をかもしそうな定義ではありますが、ここで注意しておきたいのは、「(広義の)ヤンキーに属す人と、属さない人がいる」ということではなくて、日本人のだれしもが心のなかに、「(広義の)ヤンキー的な部分と、そうでない部分をもっている」ということです。そこにあるのはヤンキー成分の濃度のちがいだけで、当然濃い人もいるし薄い人もいるのですが、「ヤンキーorヤンキーでない」という、明確な区分を設けることはできません。

「何でヤンキーだとダメなの?」

ラッセンの絵のどこらへんがどう「ヤンキー」なのかというと、これはいろいろ本も読んだのですが、言葉にするのがけっこう難しいです。あえていうなら「露骨」「わかりやすすぎる」「意外に保守的である(体制をひっくり返そうなどとは考えない)」あたりの言葉で括るのがいいのかなと思うのですが、具体例をあげて、そのなかに混ぜてしまったほうが早いかもしれません。


たとえば、精神科医の斎藤環氏は著書『世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析』のなかで、酒井順子氏との対談のなかから導かれたヤンキー文化のサンプルとして、以下のようなものをあげています。(一部抜粋です)

●羽根付きのセダン、デコトラ、デコチャリ
●ダッシュボードのムートン、ヌイグルミ
●車のナンバーへのこだわり(ゾロ目、左右対称、一桁、連番)
●ヴィトンのバッグ、ピーチ・ジョンの下着
●ギャル雑誌「小悪魔ageha」
●サンリオ、ミキハウス、ディズニーランド
●ドン・キホーテ、パチンコ屋、競馬場、地方の街道沿いのスーパー、ショッピングモール
●EXILE、KAT-TUN、ジャニーズ、ビジュアル系

このラインナップを見ると私は思わず「おお!」と声をあげてしまうのですが、要するにこのなかにラッセンを入れてもおかしくないよね、むしろぴったりハマるよねという意味で、ラッセンはヤンキー文化的であるといえます。そしてこのヤンキー文化、これも『世界が土曜の夜の夢〜』にあった話なのですが、ナンシー関がかつてコラムで「老若男女の区別なく人口の約5割」の日本人が、こういったヤンキー文化的なものを求めていると語ったことがあるそうです。確かにこういった文化は、外国に向かって正面切って発信していきたくはないけれど、日本人のメンタリティの深い部分に根ざしているような気がします。


対して、アート業界周辺にいる人間は、そういったヤンキー文化を、なぜかひどく嫌う傾向があります。


アート業界周辺は、もともとヤンキー濃度が低い。若い層もどっちかというとオタク、サブカル系が多く、ヤンキー的なものとはソリが合わない。だが、ヤンキー・メンタリティは日本人の中に薄く広く浸透している。それがボリュームゾーンなのである。


誰も自分がそこに属しているとは思っていない。だって、ヤンキー的なものは洗練されてなくてダサいし、ヤンキーな奴は横着で頭悪いということになっているから。やるとしたら確信犯であって、素でヤンキーはちょっと恥ずかしい。
ラッセンとは何の恥部だったのか - Ohnoblog 2

★★★


ラッセンの絵の「売られ方」やラッセン本人のイメージを抜きにしても、「露骨」「わかりやすすぎる」「意外に保守的である(体制をひっくり返そうなどとは考えない)」、その表現が美術に関わる人々の感性に受け入れられなかった、だからラッセンは嫌われた。


ここまでは話の流れとしてすっきりいくのですが、何かモヤモヤしてしまうのは、ヤンキー文化的ともいえるこれらの表現が、なぜ美術史においてダメなのか、という問いに、私がまったくもって答えられないからです。日本人の多くがそれを「素敵だ」と考えるならば、それは素敵なものにちがいありません。なのに、なぜダメなのか。

2056年、ラッセンは現代美術界の巨匠になる!?

ラッセンの再評価が始まっているといっても、美術に関わる人々の間ではまだ、「むしろ1周まわって面白いよね」という形でしか、評価は行なわれていません。しかし今後の流れで、それが「1周まわって」じゃなく正当に評価され、美術界の正史になることはあるのでしょうか。


ラッセンとは何だったのか? ─消費とアートを越えた「先」』では、大山エンリコイサム氏が『日本とラッセンをめぐる時空を超えた制度批判の(ドメスティックな)覚書』として、2056年、世界中でラッセンの大回顧展が開催され、その作品が現代美術の正史に大きな一石を投じているというトンデモ(?)な未来を予測しています。冗談とも本気ともとれないこの予測、しかしなかなか真に迫るものがある気もします。


このように、ラッセンが現代美術の正史になる日がやって来るのか来ないかというと、現段階ではまだ、「たぶんないと思うけど、100%ありえないとは言い切れない」としか、私にはいえません。しかし、なぜ私の意見が「ない」というほうに傾いているのかというと、それはその作品の価値を審議する過程において、作家であるラッセン本人の意思が欠けているからです。同じく本のなかで、『ラッセンの(事情)聴取』を書いている星野太氏の言葉を借りるならば、ラッセン本人が「欠席裁判」になっている状態で、作品の価値が問われているからです。


美術の概念を大きくひっくり返してしまった作家・作品の例として、現代美術ではマルセル・デュシャンの『泉』をあげることができると思いますが、

マルセル・デュシャンの便器が変えたもの - (チェコ好き)の日記

この『泉』をまだ安心して見ていられるのは、作家のデュシャンの「芸術の概念を変えてやる!」という意図が、そこにはっきりと読み取れるからです。


しかし、『泉』と比較して「ラッセン本人の意思が見えない(本人による意図的な制度批判ではない)からダメ」といってしまうと、今度は「欠席裁判であることの何がダメなのか」、という問いかけが襲ってきます。このように、ラッセンの絵に「◯◯だからダメ」という理由をつければつけるほど、それは「何でダメなの?」という問いかけの応酬として、そのまま返ってきてしまうのです。


だから私は、ラッセンの絵を評価しようとするとき、ぐるぐるぐるぐる同じところを回り続けてなかなか中心にたどり着けないような、そんな不安な気持ちに陥ります。そういう意味ではまだ、「美術史」という文脈のなかで語ることができる村上隆や会田誠、さらにいえばChim↑Pomのほうが、何十倍も安心して見ていられるのです。


ラッセンを否定することは、常に「何でダメなの?」という質問と隣り合わせです。しかしラッセンの絵を見つめることによって「正史とは何か」を考えることができるならば、それこそがラッセンの作品の価値であるといえるかもしれないし、でもやっぱりそんなのは反則だよ、とも思うのでした。


とりあえず、次にどこかでクリスチャン・ラッセン展が開催されることになったら、私は間違いなく足を運ぶことになると思います。


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