イルカの絵、といえばだれでも真っ先に、クリスチャン・ラッセンの絵画を思い浮かべるのではないでしょうか。目に鮮やかなその作風は、一度見たら忘れられない鮮烈な印象を、私たちにあたえます。
このクリスチャン・ラッセンという人の作品は、日本では80年代後半〜90年代前半に、ブームの全盛期を迎えました。今では少々影が薄くなった気もしますが、一時期はおもちゃ屋さんのジグソーパズルコーナーへ行けば、ハワイのお土産屋さんに行けば、水族館へ行けば、カラオケに行けば、パチンコに行けばーー必ずラッセンの絵か、あるいは「ラッセン的なイメージ」が溢れていたような記憶が、確かにあります。
私は1987年の生まれなので、その全盛期の頃の「ラッセン」を、ぼや〜っとした印象でしか知りません。でも、ジグソーパズルとか水族館とか、自分を取り囲む環境のなかで「ラッセン」あるいは「ラッセン的なるもの」を見た覚えはしっかりとあって、私にとってのラッセンは、そんな幼少時代の記憶とセットになっています。
ただ私の場合、ラッセンの絵を見て「わぁー、懐かしいな」と手放しに喜べるかというとそうではなくて、どちらかというと「うわ、思い出したくないものを思い出してしまった」という感覚に陥ります。このあたりの感覚にはもちろん個人差があると思うのですが、私がラッセンを見て「うわ〜」と思ってしまうのは、学生時代に美術の勉強をしてきてしまったことと、少なからず関係があるかもしれません。もちろん、あるいはまったく関係ないかもしれません。
しかしとにかく、この「うわ〜」はどこから来るんだろう、というのを考えるのが今回のエントリの主旨です。
ラッセンの再評価
2013年、このクリスチャン・ラッセンの作品は、巷でちょっとしたブームになっていたようです。日本で初となる本格的なラッセン論、『ラッセンとは何だったのか?』も刊行され、私もちょっと遅れることになりましたが、これはかなり面白く読みました。というわけでこのエントリは、こちらの本の感想文でもあります。
ラッセンとは何だったのか? ─消費とアートを越えた「先」
- 作者: 原田裕規,斎藤環,千葉雅也,大山エンリコイサム,上田和彦,星野太,中ザワヒデキ,北澤憲昭,暮沢剛巳,土屋誠一,河原啓子,加島卓,櫻井拓,石岡良治,大野左紀子
- 出版社/メーカー: フィルムアート社
- 発売日: 2013/06/26
- メディア: 単行本
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バブル期以後、日本人の間で絶大な人気を誇ってきたラッセンですが、美術に関わる人々の間では長らくその存在は無視、あるいは嫌われてきました。なぜかというと、1つにはラッセンの作品の「売られ方」に、問題があったからです。キレイなお姉さんに画廊に連れて行かれ、そこで口車にのせられて強引に絵の購入を契約させられてしまうーーというのは、確かに健全なやり方とはいえません。
しかし恥ずかしながら世情に疎い私は、ラッセンの作品がそういった強引な方法で売られてきたという背景を、最近までよく知らなかったんですよね。前述したように私はラッセンの絵があまり好きではないというか、見ると「うわ〜」という気持ちになってしまうのですが、それは売られ方や消費のされ方とはあまり関係なく、純粋に「表現」が気に入らないのです。ラッセンがなぜ現代アート業界の人間から無視されてきたのかという話になると、この絵の「売られ方」に問題があったからだという言説はよく耳にするし、それはそれで1つ正しくはあると思うのですが、もし健全なかたちで流通していたとしても、この絵の「表現」、それだけで美術に関わる人々に嫌われてしまう素養は充分にあります。ついでにいうと、金髪でサーファー、成金で美女をまわりにはべらせている、そんな「画家」のイメージからラッセン本人がかけ離れていることも、理由の1つではあるけれど決定打ではない。やっぱり純粋に、この絵画の「表現」が、アート業界の人間に嫌われる要素を充分すぎるくらい持っていると私は思うんですよね。
では私は、そんなラッセンのどこが気に入らないかというと、これは大野左紀子氏の『ラッセンとは何の恥部だったのか - Ohnoblog 2』で語られている内容を使って説明するのが、自分のなかでいちばんしっくりきます。つまり、「ラッセン=ヤンキーの絵画」であり、「自分のヤンキー心に訴えてくるところが気に入らない」のです。
ここでいう「ヤンキー」とは、不良の少年少女のことではなくて、広義のヤンキー、大野氏はそれを「どんなに頑張っても今いち垢抜けず安っぽい趣味に染まりやすい田舎者」と定義しています。ちょっと物議をかもしそうな定義ではありますが、ここで注意しておきたいのは、「(広義の)ヤンキーに属す人と、属さない人がいる」ということではなくて、日本人のだれしもが心のなかに、「(広義の)ヤンキー的な部分と、そうでない部分をもっている」ということです。そこにあるのはヤンキー成分の濃度のちがいだけで、当然濃い人もいるし薄い人もいるのですが、「ヤンキーorヤンキーでない」という、明確な区分を設けることはできません。
「何でヤンキーだとダメなの?」
ラッセンの絵のどこらへんがどう「ヤンキー」なのかというと、これはいろいろ本も読んだのですが、言葉にするのがけっこう難しいです。あえていうなら「露骨」「わかりやすすぎる」「意外に保守的である(体制をひっくり返そうなどとは考えない)」あたりの言葉で括るのがいいのかなと思うのですが、具体例をあげて、そのなかに混ぜてしまったほうが早いかもしれません。
たとえば、精神科医の斎藤環氏は著書『世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析』のなかで、酒井順子氏との対談のなかから導かれたヤンキー文化のサンプルとして、以下のようなものをあげています。(一部抜粋です)
●羽根付きのセダン、デコトラ、デコチャリ
●ダッシュボードのムートン、ヌイグルミ
●車のナンバーへのこだわり(ゾロ目、左右対称、一桁、連番)
●ヴィトンのバッグ、ピーチ・ジョンの下着
●ギャル雑誌「小悪魔ageha」
●サンリオ、ミキハウス、ディズニーランド
●ドン・キホーテ、パチンコ屋、競馬場、地方の街道沿いのスーパー、ショッピングモール
●EXILE、KAT-TUN、ジャニーズ、ビジュアル系
このラインナップを見ると私は思わず「おお!」と声をあげてしまうのですが、要するにこのなかにラッセンを入れてもおかしくないよね、むしろぴったりハマるよねという意味で、ラッセンはヤンキー文化的であるといえます。そしてこのヤンキー文化、これも『世界が土曜の夜の夢〜』にあった話なのですが、ナンシー関がかつてコラムで「老若男女の区別なく人口の約5割」の日本人が、こういったヤンキー文化的なものを求めていると語ったことがあるそうです。確かにこういった文化は、外国に向かって正面切って発信していきたくはないけれど、日本人のメンタリティの深い部分に根ざしているような気がします。
対して、アート業界周辺にいる人間は、そういったヤンキー文化を、なぜかひどく嫌う傾向があります。
アート業界周辺は、もともとヤンキー濃度が低い。若い層もどっちかというとオタク、サブカル系が多く、ヤンキー的なものとはソリが合わない。だが、ヤンキー・メンタリティは日本人の中に薄く広く浸透している。それがボリュームゾーンなのである。
誰も自分がそこに属しているとは思っていない。だって、ヤンキー的なものは洗練されてなくてダサいし、ヤンキーな奴は横着で頭悪いということになっているから。やるとしたら確信犯であって、素でヤンキーはちょっと恥ずかしい。
『ラッセンとは何の恥部だったのか - Ohnoblog 2』
★★★
ラッセンの絵の「売られ方」やラッセン本人のイメージを抜きにしても、「露骨」「わかりやすすぎる」「意外に保守的である(体制をひっくり返そうなどとは考えない)」、その表現が美術に関わる人々の感性に受け入れられなかった、だからラッセンは嫌われた。
ここまでは話の流れとしてすっきりいくのですが、何かモヤモヤしてしまうのは、ヤンキー文化的ともいえるこれらの表現が、なぜ美術史においてダメなのか、という問いに、私がまったくもって答えられないからです。日本人の多くがそれを「素敵だ」と考えるならば、それは素敵なものにちがいありません。なのに、なぜダメなのか。
2056年、ラッセンは現代美術界の巨匠になる!?
ラッセンの再評価が始まっているといっても、美術に関わる人々の間ではまだ、「むしろ1周まわって面白いよね」という形でしか、評価は行なわれていません。しかし今後の流れで、それが「1周まわって」じゃなく正当に評価され、美術界の正史になることはあるのでしょうか。
『ラッセンとは何だったのか? ─消費とアートを越えた「先」』では、大山エンリコイサム氏が『日本とラッセンをめぐる時空を超えた制度批判の(ドメスティックな)覚書』として、2056年、世界中でラッセンの大回顧展が開催され、その作品が現代美術の正史に大きな一石を投じているというトンデモ(?)な未来を予測しています。冗談とも本気ともとれないこの予測、しかしなかなか真に迫るものがある気もします。
このように、ラッセンが現代美術の正史になる日がやって来るのか来ないかというと、現段階ではまだ、「たぶんないと思うけど、100%ありえないとは言い切れない」としか、私にはいえません。しかし、なぜ私の意見が「ない」というほうに傾いているのかというと、それはその作品の価値を審議する過程において、作家であるラッセン本人の意思が欠けているからです。同じく本のなかで、『ラッセンの(事情)聴取』を書いている星野太氏の言葉を借りるならば、ラッセン本人が「欠席裁判」になっている状態で、作品の価値が問われているからです。
美術の概念を大きくひっくり返してしまった作家・作品の例として、現代美術ではマルセル・デュシャンの『泉』をあげることができると思いますが、
マルセル・デュシャンの便器が変えたもの - (チェコ好き)の日記
この『泉』をまだ安心して見ていられるのは、作家のデュシャンの「芸術の概念を変えてやる!」という意図が、そこにはっきりと読み取れるからです。
しかし、『泉』と比較して「ラッセン本人の意思が見えない(本人による意図的な制度批判ではない)からダメ」といってしまうと、今度は「欠席裁判であることの何がダメなのか」、という問いかけが襲ってきます。このように、ラッセンの絵に「◯◯だからダメ」という理由をつければつけるほど、それは「何でダメなの?」という問いかけの応酬として、そのまま返ってきてしまうのです。
だから私は、ラッセンの絵を評価しようとするとき、ぐるぐるぐるぐる同じところを回り続けてなかなか中心にたどり着けないような、そんな不安な気持ちに陥ります。そういう意味ではまだ、「美術史」という文脈のなかで語ることができる村上隆や会田誠、さらにいえばChim↑Pomのほうが、何十倍も安心して見ていられるのです。
ラッセンを否定することは、常に「何でダメなの?」という質問と隣り合わせです。しかしラッセンの絵を見つめることによって「正史とは何か」を考えることができるならば、それこそがラッセンの作品の価値であるといえるかもしれないし、でもやっぱりそんなのは反則だよ、とも思うのでした。
とりあえず、次にどこかでクリスチャン・ラッセン展が開催されることになったら、私は間違いなく足を運ぶことになると思います。