ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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元コメント(ツィートか)もそれに対するコメント(青字にしておく)も、どちらもかなり問題のある発言だと思うが、現在の日本のアモラル(無道徳)な一面の指摘になっているかと思うので転載する。
まあ、他人にあれこれ言うより、個々人が考えるべき問題だ。
私としては、元コメントのパートナーを非常に立派な人間だと思う。そして、投稿者を下種っぽいと思う。それをやわらげて言えば、男らしい男と女らしい女の「モラル」に関する生物的相違だろうか。女性は、「まず生存(現実)が第一」であり、男は「理念先行」なのである。理念は無謀さにもつながる。けっして後者(男らしさ)だけを肯定するわけではない。そして女性にも理想主義的行動をとった英傑はたくさんいる。
(以下引用)
anond:20250201051214言及先エントリを閉じる
■正義感と息苦しさ
パートナーは見た目もタイプで優しくて思いやりがあって、一緒にいるといつでも楽しい。3年一緒にいて、喧嘩したことはない。
けど、正義感が息苦しい。
店で大声で店員に文句を言っている場面を見かけると必ず仲裁をしにいくし、信号が赤だとどんな場合でも渡らない(夜中の全く車が通らない所でも)、ゴミ捨ての分別はプラスチックゴミをわざわざ保管してまでやる、おそらくポイ捨てしたであろう人にわざわざ落としましたよとゴミを渡しに行くとか、見ていたテレビで容姿についていじられている芸人を見ると不愉快だとチャンネルを変える、とか。
他にも、確かに人としては正しい寄りだとは思うけどそこまでやる?みたいなことが多々ある。
こうしろ、ああしろと言ってくることはないけど、こうしないとなのかなと思うと息苦しい。
一度だけ、文句を言っている客と店員の仲裁に行った後に危ないからやめてほしいと伝えたことがある。
危ないかもしれないけど、あれを見るのが不快だし、関係のない第三者だから仲裁できるんだよと言っていた。
(正直これは正しいというより気持ち良くなってないか?とも思う、仲裁に行っている間は自分は遠くから眺めているだけ)
ポイ捨てする人にゴミを渡しに行くのを見た時、そんなことしなくていいよと言うと、やりたいからやってると笑ってた。
少し行き過ぎな気もするけど、パートナーの何かが悪いと思うことでもないから自分の中での消化が難しい。
今後耐えられなくなったりするんかな
あなたの考えはいわゆる「弱者を見殺しにして権力にばかり媚びへつらう意地悪で幼稚な国民性」「怠惰でおとなしい愚民」と呼ばれるものだと思う。
日本人はとにかく意地悪で不親切で、幼稚で愚か。
店で大声を言う人間に必ず仲裁をしにいく人が少なく全員が店員を見殺しにするからカスハラ世界一のスゴイ国になったし、
国民のゴミ捨ての分別などの環境保護意識が後進国レベルの低さだからSDGEs達成度は他国にめちゃくちゃ遅れをとっている。
ポイ捨てしたであろう人に落としましたよとゴミを渡しに行く人もいない、見て見ぬ振りで何もしない事を賢いと誇るバカばかりだから他国と比べてもずば抜けて民度が低い
容姿いじりをキャンセルするような高い精神性を国民どもが持たないから、いつまで経っても市場に自浄作用がなく、何十年も永遠に課題が解決されない。
全てはこの人のような「何もしないのが1番いい、賢く安全」と思い込んでる奴が多いから。
自分たちの手で作った人権後進国である
まあ、他人にあれこれ言うより、個々人が考えるべき問題だ。
私としては、元コメントのパートナーを非常に立派な人間だと思う。そして、投稿者を下種っぽいと思う。それをやわらげて言えば、男らしい男と女らしい女の「モラル」に関する生物的相違だろうか。女性は、「まず生存(現実)が第一」であり、男は「理念先行」なのである。理念は無謀さにもつながる。けっして後者(男らしさ)だけを肯定するわけではない。そして女性にも理想主義的行動をとった英傑はたくさんいる。
(以下引用)
anond:20250201051214言及先エントリを閉じる
■正義感と息苦しさ
パートナーは見た目もタイプで優しくて思いやりがあって、一緒にいるといつでも楽しい。3年一緒にいて、喧嘩したことはない。
けど、正義感が息苦しい。
店で大声で店員に文句を言っている場面を見かけると必ず仲裁をしにいくし、信号が赤だとどんな場合でも渡らない(夜中の全く車が通らない所でも)、ゴミ捨ての分別はプラスチックゴミをわざわざ保管してまでやる、おそらくポイ捨てしたであろう人にわざわざ落としましたよとゴミを渡しに行くとか、見ていたテレビで容姿についていじられている芸人を見ると不愉快だとチャンネルを変える、とか。
他にも、確かに人としては正しい寄りだとは思うけどそこまでやる?みたいなことが多々ある。
こうしろ、ああしろと言ってくることはないけど、こうしないとなのかなと思うと息苦しい。
一度だけ、文句を言っている客と店員の仲裁に行った後に危ないからやめてほしいと伝えたことがある。
危ないかもしれないけど、あれを見るのが不快だし、関係のない第三者だから仲裁できるんだよと言っていた。
(正直これは正しいというより気持ち良くなってないか?とも思う、仲裁に行っている間は自分は遠くから眺めているだけ)
ポイ捨てする人にゴミを渡しに行くのを見た時、そんなことしなくていいよと言うと、やりたいからやってると笑ってた。
少し行き過ぎな気もするけど、パートナーの何かが悪いと思うことでもないから自分の中での消化が難しい。
今後耐えられなくなったりするんかな
あなたの考えはいわゆる「弱者を見殺しにして権力にばかり媚びへつらう意地悪で幼稚な国民性」「怠惰でおとなしい愚民」と呼ばれるものだと思う。
日本人はとにかく意地悪で不親切で、幼稚で愚か。
店で大声を言う人間に必ず仲裁をしにいく人が少なく全員が店員を見殺しにするからカスハラ世界一のスゴイ国になったし、
国民のゴミ捨ての分別などの環境保護意識が後進国レベルの低さだからSDGEs達成度は他国にめちゃくちゃ遅れをとっている。
ポイ捨てしたであろう人に落としましたよとゴミを渡しに行く人もいない、見て見ぬ振りで何もしない事を賢いと誇るバカばかりだから他国と比べてもずば抜けて民度が低い
容姿いじりをキャンセルするような高い精神性を国民どもが持たないから、いつまで経っても市場に自浄作用がなく、何十年も永遠に課題が解決されない。
全てはこの人のような「何もしないのが1番いい、賢く安全」と思い込んでる奴が多いから。
自分たちの手で作った人権後進国である
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このブログの「人生論」的なシリーズの中でも書いたが、社会に生きていく上では嘘と演技の能力はほぼ必須であり、その能力が無いと、社会の落伍者になるわけだ。私などは嘘も演技も苦手で、その能力を身につけるのも面倒くさいので、一生(精神的には子供のまま)、社会の底辺で生きていく決心を20代で決めている。正確には、大学を中退した時点で決めている。それが「子どもの精神のまま生きていくことだ」と気づいたのは、たぶん、このブログを書き始めたころだろう。つまり、開き直りである。
社会というのは他者との関係が必須なので、他者の機嫌を取り、他者を自分の都合のいいように動かすのに正直一方では無理なのである。嘘をつくとは、ある面では「相手に合わせる」ことで、努力が必要なのだ。まあ、それが生まれつき容易にできるサイコパスもいるが、だからといって、正直な自分が偉いということにはならない。単に怠惰であることが多いわけだ。そもそも、嘘をつくには、いろいろと記憶し、嘘の整合性をつける知力が必要なのである。頭の悪い人間の嘘は、ついたそばからぼろぼろバレていく。
昔、予備校で教師をしていたころ、生徒のひとりが、全国模試でちょっと信じがたい成績を取ったことがある、と私との雑談で言ったのだが、それに感心して、後で同僚との雑談の中でその話をすると、その同僚は(非常に頭のいい人だったが)「フカシだよ、フカシ」と笑いながら、即座に言ったので、驚いたことがある。そういう無意味な嘘を生徒が教師に言うことも、その同僚が即座にそれを嘘だと見抜いたことも、私には信じがたいことだったのである。そこが、私が「子ども頭脳」であるゆえんだ。世間では、嘘というのがごく日常的であり、周囲もそれを見抜いているわけだ。たぶん、私に嘘をついた生徒は、私がその嘘を見抜けない馬鹿だと分かっていたのだろう。
まあ、そういう物事に慣れるのが「世慣れる」ということである。世渡りの上手い人は、それ自体、つまり世渡り行為自体を楽しんでいるのだろう。そして、自分が騙した相手を、「こいつ、馬鹿だな」と考えて楽しむわけだ。まあ、正直さは馬鹿と紙一重であり、それはトルストイの「イワンの馬鹿」という童話(民話)で描かれているが、長年生きてきて、自分が馬鹿だと分かったのは、私はごく最近なのである。「汝自身を知れ」というのは、なかなか困難なようだ。
社会というのは他者との関係が必須なので、他者の機嫌を取り、他者を自分の都合のいいように動かすのに正直一方では無理なのである。嘘をつくとは、ある面では「相手に合わせる」ことで、努力が必要なのだ。まあ、それが生まれつき容易にできるサイコパスもいるが、だからといって、正直な自分が偉いということにはならない。単に怠惰であることが多いわけだ。そもそも、嘘をつくには、いろいろと記憶し、嘘の整合性をつける知力が必要なのである。頭の悪い人間の嘘は、ついたそばからぼろぼろバレていく。
昔、予備校で教師をしていたころ、生徒のひとりが、全国模試でちょっと信じがたい成績を取ったことがある、と私との雑談で言ったのだが、それに感心して、後で同僚との雑談の中でその話をすると、その同僚は(非常に頭のいい人だったが)「フカシだよ、フカシ」と笑いながら、即座に言ったので、驚いたことがある。そういう無意味な嘘を生徒が教師に言うことも、その同僚が即座にそれを嘘だと見抜いたことも、私には信じがたいことだったのである。そこが、私が「子ども頭脳」であるゆえんだ。世間では、嘘というのがごく日常的であり、周囲もそれを見抜いているわけだ。たぶん、私に嘘をついた生徒は、私がその嘘を見抜けない馬鹿だと分かっていたのだろう。
まあ、そういう物事に慣れるのが「世慣れる」ということである。世渡りの上手い人は、それ自体、つまり世渡り行為自体を楽しんでいるのだろう。そして、自分が騙した相手を、「こいつ、馬鹿だな」と考えて楽しむわけだ。まあ、正直さは馬鹿と紙一重であり、それはトルストイの「イワンの馬鹿」という童話(民話)で描かれているが、長年生きてきて、自分が馬鹿だと分かったのは、私はごく最近なのである。「汝自身を知れ」というのは、なかなか困難なようだ。
「富とは自由に処分できる時間のことなのであって、それ以外のなにものでもない」
これはマルクスの言葉らしいが、私もこれに賛成である。しかし、これには大前提があって、「生きるのに必要な金銭が保証されている」ことだ。
つまり、生活保護を受けている者や年金老人こそが、この世で一番豊かな人間だということだ。ただしこれはあくまで「生きるのに必要なカネが」保証されているという話であり、「贅沢するのに必要なカネ」の話ではない。
モームの「世界の十大小説」の中の、大小説家たちの伝記部分を読むと、バルザックもドストエフスキーもカネが入るようになると、まったく無駄で無意味なカネの使い方をして大散財するのである。それが癖になるのか、借金してまで浪費するのである。
もともとの貴族であり、カネに不自由はしなかったトルストイも、カネのロクな使い方はしなかった。彼らには「カネを持つ意味」は無かったのである。なぜなら、彼らは素晴らしい「脳内世界」を持っていて、それを小説として書くだけで十分であり、実はカネを持つ必要性など無かったからである。
高橋留美子などは「漫画を描くより楽しいことってあります?」と言ったそうである。賢者の言である。この言葉は、清少納言が「一番の幸福は白い紙を得た時だ」と言っているのと同じである。つまり、この紙に何を書こうかと考えるのが一番の幸福だったわけだ。
「内田樹の研究室」所載の「知性について(仮題)」の後書きの一部だが、私は内田樹という人物を今ひとつ信頼できないような印象を持っているが、まあ、それは現代のあらゆる「知識人」に対する私の偏見だろう。
で、この引用文に書かれた思想は、私も100%同意する。そもそも、人類の文化はすべて先人の文化を土台として生まれたもので、知識には所有権も、そして本当は「著作権」もありえない、というのが私の思想である。模倣者が出ても、それによって「オリジナル」の受ける迷惑は知れたものだ。で、原理的にはその「オリジナル」も、その土台になる先人の創作物があるわけだ。
(以下引用)
21世紀に入って日本が知的生産において著しく劣化した最大の理由は、みんなが「自分はどれくらいものを知っているか」「自分はどれくらい賢いか」を誇示し、他人をおしのけて権力や財貨の「割り前」に与ろうと競争しているからです。そんなこと、すればするほど集団的な知性は衰えてゆく。どうしてそれに気がつかないんでしょう。
自分がどれくらいものを知っているかとか、自分がどれくらい賢いかなんて、どうだっていいじゃないですか。自分の所有する知的な財があったら、それは共有地に供託して、みんなに使ってもらう。自分もみんなが供託してくれたものを使わせてもらう。それが知的に豊かな社会だと僕は思います。
同意してくれる人はまだまだ少数ですけれども、これからも僕はそう訴え続けるつもりです。みなさんもそういうふうに考えて下さるとうれしいです。
2025年1月
内田樹
で、この引用文に書かれた思想は、私も100%同意する。そもそも、人類の文化はすべて先人の文化を土台として生まれたもので、知識には所有権も、そして本当は「著作権」もありえない、というのが私の思想である。模倣者が出ても、それによって「オリジナル」の受ける迷惑は知れたものだ。で、原理的にはその「オリジナル」も、その土台になる先人の創作物があるわけだ。
(以下引用)
21世紀に入って日本が知的生産において著しく劣化した最大の理由は、みんなが「自分はどれくらいものを知っているか」「自分はどれくらい賢いか」を誇示し、他人をおしのけて権力や財貨の「割り前」に与ろうと競争しているからです。そんなこと、すればするほど集団的な知性は衰えてゆく。どうしてそれに気がつかないんでしょう。
自分がどれくらいものを知っているかとか、自分がどれくらい賢いかなんて、どうだっていいじゃないですか。自分の所有する知的な財があったら、それは共有地に供託して、みんなに使ってもらう。自分もみんなが供託してくれたものを使わせてもらう。それが知的に豊かな社会だと僕は思います。
同意してくれる人はまだまだ少数ですけれども、これからも僕はそう訴え続けるつもりです。みなさんもそういうふうに考えて下さるとうれしいです。
2025年1月
内田樹
北野武(ビートたけし)のインタビュー記事の一部である。インタビュアーは渋谷陽一。
ーーそれはやっぱり、たけしさん的な恋愛観というか、人生観が色濃く反映されてますよね。
「うん。なまじね、過去を悔いてね、いい人になろうなんて思った奴はたいてい癌かなんかになって死ぬんだよ」
ーーははははは!
「大体、『仏心』なんだから、仏になっちゃうんだから(笑)。それは駄目だろうっていうかさ、だからもう、いいことあると警戒する。イヤなことは意外にサウナ入ってるようなもんでさ」
ーーははははは。
「耐え忍んだら気持ちいいっていう。要するに、酷い目に遭って解放されたときがいいわけじゃん? すっと人間が生きてて解放されるって、くたばるときなんだから」
ーーそれはやっぱり、たけしさん的な恋愛観というか、人生観が色濃く反映されてますよね。
「うん。なまじね、過去を悔いてね、いい人になろうなんて思った奴はたいてい癌かなんかになって死ぬんだよ」
ーーははははは!
「大体、『仏心』なんだから、仏になっちゃうんだから(笑)。それは駄目だろうっていうかさ、だからもう、いいことあると警戒する。イヤなことは意外にサウナ入ってるようなもんでさ」
ーーははははは。
「耐え忍んだら気持ちいいっていう。要するに、酷い目に遭って解放されたときがいいわけじゃん? すっと人間が生きてて解放されるって、くたばるときなんだから」
私は「義務」と「責任」という言葉が大嫌いで、したがって、仕事も常に嫌いだった。学校時代は学校に行くのも嫌いだったから、この年まで生きられたのは奇跡のようなものだが、10代くらいのころは、自分は20歳まで生きられそうな気もしなかった。
大学に入ることは入ったが、そこもつまらなかったし、また学業をさぼることに罪の意識が常にあったので、いつも鬱屈した気分だった。大学を中退して常にその場しのぎの仕事をしているうちに今の年になって、今は「したくないことはしないですむ」から人生最高の時である。カネはあまり無いから贅沢はできないが、もともとそういう欲望はゼロであるから問題はない。性欲も無いからその方面の焦燥感もない。貧しいながら日々を生きるだけの生活費は一応あるので、それ以上は欲しいものは無い。
本題に戻る。私の前半生の問題は、常に「したくないことをする義務がある」ことだったわけだ。学生時代は勉強、社会人になってからは仕事である。この両者の中では後者のほうがややマシだろうか。というのは、仕事は生命維持に直結するので、とにかくやるしかないからだ。仕事自体が面白いとかやりがいがあると思ったことは一度もないが、そういう仕事への夢想を捨てれば、我慢することはだいたいできると思う。仕事とはそれが当たり前ではないか? ビジネス書が教える「仕事のやりがい」というのは、経営者を儲けさせるだけのことだろう。つまり、低賃金で馬車馬的に働く労働者を大量に生産するのだから。
まあ、資本主義社会というのは文字どおり、「資本」が生命のようなもので、最初から資本を持って生まれた層しか上級国民にはなれないわけだ。戦後日本の、貧困から立身出世した偉人たちというのは、時代の産物で、階級が固定した後には、最初から資本が無い人間が上に行く機会は、ゼロではないが、ごく少数だろう。それも、数知れない競争に勝った場合のことだ。中にはライバルを蹴落とすために悪辣な手段を取る者もいるだろう。つまり、下層社会は「蟲毒」であり、その中で勝ち残った最強の毒虫が上に上がる、ということだろうか。欧米資本主義国家がすべて無残な状態になっているのは資本主義の必然かもしれない。日本も当然、そうなりつつある。
まあ、個人の問題と社会の問題をごっちゃにした話になってしまったが、本題に戻るなら、私があれほど「義務」と「責任」が嫌いだったのに対して、世間の人の多くはあまりそういう気持ちを持たないように見えるのが不思議なのだが、それはおそらく私が異常に生真面目で、「義務」と「責任」を過大に考える性質だったからだと思う。
つまり、世間の人間の大半はそういうプレッシャーがさほどなく、失敗しても「笑って済ます」連中が普通だったのではないだろうか。もちろん、重大な仕事での失敗は笑いごとではないが、それでも命までは取られない。首になるだけだ。で、私のように何度も転職した人間が、義務と責任を重大視するのは、かなり頭が悪かったと言えそうだ。とは言っても、傍から見たら私は無責任極まる人間に見えた可能性は大であるwww
人間の自己評価と他者による評価は大きく違うのが普通で、だいたいは後者のほうが客観的なのであるからwww
大学に入ることは入ったが、そこもつまらなかったし、また学業をさぼることに罪の意識が常にあったので、いつも鬱屈した気分だった。大学を中退して常にその場しのぎの仕事をしているうちに今の年になって、今は「したくないことはしないですむ」から人生最高の時である。カネはあまり無いから贅沢はできないが、もともとそういう欲望はゼロであるから問題はない。性欲も無いからその方面の焦燥感もない。貧しいながら日々を生きるだけの生活費は一応あるので、それ以上は欲しいものは無い。
本題に戻る。私の前半生の問題は、常に「したくないことをする義務がある」ことだったわけだ。学生時代は勉強、社会人になってからは仕事である。この両者の中では後者のほうがややマシだろうか。というのは、仕事は生命維持に直結するので、とにかくやるしかないからだ。仕事自体が面白いとかやりがいがあると思ったことは一度もないが、そういう仕事への夢想を捨てれば、我慢することはだいたいできると思う。仕事とはそれが当たり前ではないか? ビジネス書が教える「仕事のやりがい」というのは、経営者を儲けさせるだけのことだろう。つまり、低賃金で馬車馬的に働く労働者を大量に生産するのだから。
まあ、資本主義社会というのは文字どおり、「資本」が生命のようなもので、最初から資本を持って生まれた層しか上級国民にはなれないわけだ。戦後日本の、貧困から立身出世した偉人たちというのは、時代の産物で、階級が固定した後には、最初から資本が無い人間が上に行く機会は、ゼロではないが、ごく少数だろう。それも、数知れない競争に勝った場合のことだ。中にはライバルを蹴落とすために悪辣な手段を取る者もいるだろう。つまり、下層社会は「蟲毒」であり、その中で勝ち残った最強の毒虫が上に上がる、ということだろうか。欧米資本主義国家がすべて無残な状態になっているのは資本主義の必然かもしれない。日本も当然、そうなりつつある。
まあ、個人の問題と社会の問題をごっちゃにした話になってしまったが、本題に戻るなら、私があれほど「義務」と「責任」が嫌いだったのに対して、世間の人の多くはあまりそういう気持ちを持たないように見えるのが不思議なのだが、それはおそらく私が異常に生真面目で、「義務」と「責任」を過大に考える性質だったからだと思う。
つまり、世間の人間の大半はそういうプレッシャーがさほどなく、失敗しても「笑って済ます」連中が普通だったのではないだろうか。もちろん、重大な仕事での失敗は笑いごとではないが、それでも命までは取られない。首になるだけだ。で、私のように何度も転職した人間が、義務と責任を重大視するのは、かなり頭が悪かったと言えそうだ。とは言っても、傍から見たら私は無責任極まる人間に見えた可能性は大であるwww
人間の自己評価と他者による評価は大きく違うのが普通で、だいたいは後者のほうが客観的なのであるからwww
「感動ポルノ」という言葉は秀逸な言葉だと思うし、私もしばしば使うが、何が「感動ポルノ」に当たるのかという定義は見たことがないので、私が定義する。
それは「視聴者や読者を感動させる狙い」が最初からあざとく見え透いているドラマである。「JIN」の演出、具体的には背景となる風景の使い方や「感動シーン」での音楽の使い方にそれは明白だろう。俳優の大袈裟な表情、演技は言うまでもない。
一方、「感動的な作品」、あるいは「心から感動するドラマ」には、そういう「あざとさ」や「いやらしさ」が無いし、そもそもで言えば、作り手や書き手自身がそのドラマに感動しているからそれを作り、書いた、という作品だ。
「ハンター×ハンター」のキメラアントの王の死と、それを看取るコムギのシーンは、作者の富樫自身が感動して泣きながら描いたと思う。そうでないなら、彼は「芸術の悪魔」だ。
もちろん、その中間の作品も無数にあり、「感動ポルノ」と「感動作」を分類するのは容易ではなく、見る人の感性次第である。
ついでに言えば、私は「芸術の悪魔」を否定しているわけではない。芸術の天才はしばしば芸術の悪魔でもある。悪魔とは科学者的な冷徹さの謂である。人間を「高みから見下ろしている」わけだ。また、天才でなくても、映画やテレビドラマのような総合芸術だと、集まった才能の化合で傑作が生まれることもある。映画「第三の男」などがそれである。
それは「視聴者や読者を感動させる狙い」が最初からあざとく見え透いているドラマである。「JIN」の演出、具体的には背景となる風景の使い方や「感動シーン」での音楽の使い方にそれは明白だろう。俳優の大袈裟な表情、演技は言うまでもない。
一方、「感動的な作品」、あるいは「心から感動するドラマ」には、そういう「あざとさ」や「いやらしさ」が無いし、そもそもで言えば、作り手や書き手自身がそのドラマに感動しているからそれを作り、書いた、という作品だ。
「ハンター×ハンター」のキメラアントの王の死と、それを看取るコムギのシーンは、作者の富樫自身が感動して泣きながら描いたと思う。そうでないなら、彼は「芸術の悪魔」だ。
もちろん、その中間の作品も無数にあり、「感動ポルノ」と「感動作」を分類するのは容易ではなく、見る人の感性次第である。
ついでに言えば、私は「芸術の悪魔」を否定しているわけではない。芸術の天才はしばしば芸術の悪魔でもある。悪魔とは科学者的な冷徹さの謂である。人間を「高みから見下ろしている」わけだ。また、天才でなくても、映画やテレビドラマのような総合芸術だと、集まった才能の化合で傑作が生まれることもある。映画「第三の男」などがそれである。
私の別ブログから転載。
私はよく自分のブログの過去記事を読むのだが、「実にいいことを言っているなあ」と我ながら感心することがしばしばであるwww
ここに書いていることは、「徒然草」の中で吉田兼好も似たことを言っている。
「人に向かって話す時、我々はそれを相手がどう聞くかを考えて、言葉が自分の思いそのままではない」ということだ。我々が「本当の自分」であるのは孤独な時だけである。
(以下引用)
孤独であることの意義
思想、思想の断片、考えるヒント 2024年07月04日
市民図書館から借りる本の中で、私は子供向けの本を借りることがよくある。ここで紹介するのは「学研まんがNEW世界の歴史」の「6 ルネサンスと大航海時代」である。特に、この巻のまんがを描いた「城爪草」という人の絵が素晴らしい。かなりリアリズム寄りの漫画で、劇画に近いが、劇画のような「線の乱暴さ」は無い。端正である。中でも、「ルネサンスと三大巨匠」の回は、漫画の中でダビンチ(本の中ではレオナルド。まあ、ダ・ヴィンチとは、「ヴィンチ村の」の意味だろうが、「ダビンチ」としておく)、ミケランジェロ、ラファエロの作品を描いていて、それが素晴らしい画力である。もちろん、漫画の一部としての絵画や彫刻なのだが、実物の印象を見事に表現しているのである。この巻を子供のころに見ることができた人は幸せだ。
なお、この本の中に、ダビンチの言葉が書かれていて、それは
「家は孤独でなければならない。なぜなら、ひとりなら完全に自分自身になることができるからだ。たったひとりの道づれでもいれば、半分しか自分ではなくなる」
というもので、これは芸術家を志す者、芸術的完成を生涯の目標とする者にとっての金言であるだけでなく、ごく普通の「結婚できない人間」への金言でもある。つまり、孤独であることは不幸でも何でもない、むしろ、「常に自分自身でいられる」恵まれた状態だ、ということだ。
念のために言えば、私は結婚していて、それを後悔したことはない。しかし、孤独も愛している。
私はよく自分のブログの過去記事を読むのだが、「実にいいことを言っているなあ」と我ながら感心することがしばしばであるwww
ここに書いていることは、「徒然草」の中で吉田兼好も似たことを言っている。
「人に向かって話す時、我々はそれを相手がどう聞くかを考えて、言葉が自分の思いそのままではない」ということだ。我々が「本当の自分」であるのは孤独な時だけである。
(以下引用)
孤独であることの意義
思想、思想の断片、考えるヒント 2024年07月04日
市民図書館から借りる本の中で、私は子供向けの本を借りることがよくある。ここで紹介するのは「学研まんがNEW世界の歴史」の「6 ルネサンスと大航海時代」である。特に、この巻のまんがを描いた「城爪草」という人の絵が素晴らしい。かなりリアリズム寄りの漫画で、劇画に近いが、劇画のような「線の乱暴さ」は無い。端正である。中でも、「ルネサンスと三大巨匠」の回は、漫画の中でダビンチ(本の中ではレオナルド。まあ、ダ・ヴィンチとは、「ヴィンチ村の」の意味だろうが、「ダビンチ」としておく)、ミケランジェロ、ラファエロの作品を描いていて、それが素晴らしい画力である。もちろん、漫画の一部としての絵画や彫刻なのだが、実物の印象を見事に表現しているのである。この巻を子供のころに見ることができた人は幸せだ。
なお、この本の中に、ダビンチの言葉が書かれていて、それは
「家は孤独でなければならない。なぜなら、ひとりなら完全に自分自身になることができるからだ。たったひとりの道づれでもいれば、半分しか自分ではなくなる」
というもので、これは芸術家を志す者、芸術的完成を生涯の目標とする者にとっての金言であるだけでなく、ごく普通の「結婚できない人間」への金言でもある。つまり、孤独であることは不幸でも何でもない、むしろ、「常に自分自身でいられる」恵まれた状態だ、ということだ。
念のために言えば、私は結婚していて、それを後悔したことはない。しかし、孤独も愛している。
坂口安吾が小林秀雄との対談で、万葉集を引き合いに出して、「芸術は時代的に(その時代の正道に従うことで)完成することで、他の時代にも通用する価値を持つ」ということを言っていて、卓見だな、と思う。なるほど、それが古典がいつの時代にも高い価値があるという秘密か、という気づきである。その反対の例が「梅原龍三郎」で、坂口は彼の絵を邪道だと言っているが、実際、今ではもはや梅原龍三郎の絵に高い芸術的価値があると思うのは田舎の時代遅れの成金だけだろう。
つまり、「ゴッホの物まねで富士山を描く」というお手軽な話題性を作り、一世を風靡したが、あっと言う間に価値を失ったわけだ。これは梅原龍三郎がもてはやされていた頃の対談だけに、坂口の目は小林秀雄(「梅原は天才だ」と擁護発言をしている)よりはるかに透徹している。小林は文学鑑識眼はあっても、美術の鑑識眼は貧弱だったようだ。彼が骨董に凝って集めた骨董品のほとんどが偽物だったという話がある。
ただし、現代のように「何でもあり」の時代だと、「芸術の正道」は無く、「時代的完成」は存在しない、とも言えそうである。つまり、現代の芸術品は「永遠の古典」にはならないわけだ。
つまり、「ゴッホの物まねで富士山を描く」というお手軽な話題性を作り、一世を風靡したが、あっと言う間に価値を失ったわけだ。これは梅原龍三郎がもてはやされていた頃の対談だけに、坂口の目は小林秀雄(「梅原は天才だ」と擁護発言をしている)よりはるかに透徹している。小林は文学鑑識眼はあっても、美術の鑑識眼は貧弱だったようだ。彼が骨董に凝って集めた骨董品のほとんどが偽物だったという話がある。
ただし、現代のように「何でもあり」の時代だと、「芸術の正道」は無く、「時代的完成」は存在しない、とも言えそうである。つまり、現代の芸術品は「永遠の古典」にはならないわけだ。
別ブログに書いた記事だが、ここにも載せておく。
(以下自己引用)
女の男性経験
現代倫理学概論 2023年11月25日
これ(下記記事の問題)は単純な話で、性交において男は(精液を)「出す」女は「受ける」からである。つまり、男は出して終わりだが、女は受けた精子・精液の影響が残るわけだ。
同様に、人間関係においても、男性経験のある女は相手の男の影響が残る。男はそこまで相手の女の影響が残ることはあまりない。まあ、「思い出」として残るだろうが、それで人間性、特に品性に影響があるわけではない。女の場合は相手次第で人格も変わる(特に、下種な男と一緒になると確実に下種になる。逆に、品性の高い男と一緒になっても、その品性が高くなることはあまり無い。むしろ相手を「つまらない男だ」と思う。基本的に女は快楽主義、享楽主義的な存在だ。動物的と言ってもいい。これは男の方が「動物的本能が壊れている」と言ってもいい。)
別の言い方をすれば、「愛する能力」において、女は特級であり、男は三流である。どちらも幻想が半分くらい入るが、その幻想を全身で信じるのが女である。女にとってエロス(性愛)は生命や人生と等価であるが、男には単なる射精意欲の充足対象であるところのエロであり、片手間仕事である。もちろん、これは一般論だ。例外も多いだろう。
(以下引用)
Home > 女さん > 女さん「男性経験多い女性を汚いとか言うのって何故なの?」 男「完全論破します」→
女さん「男性経験多い女性を汚いとか言うのって何故なの?」 男「完全論破します」→
2023/11/24 22:40 2 category - 女さん
1: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:04:45.33 ID:YpzuSVvE0
男「男の清潔感 = 女の処女性 清楚性なのだよ」
2: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:05:13.70 ID:DNtJNmoX0
上手いこと言うわね
3: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:05:37.82 ID:1lmqXM6x0
論破完了
7: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:07:14.74 ID:kJe1RJso0
ただの思い込みやん
男は理論的に考える生き物ちゃうんか?
9: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:08:11.84 ID:MjGWSGMl0
清潔感 本当に清潔かどうかじゃなくてその感じ
清楚感 本当に清楚かどうかじゃなくてその感じ
これも一緒やな
清楚系アイドルなんだかんだ言って最強だし
13: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:10:00.40 ID:HLQNLU7Bd
男と触れたら汚くなるって男が汚いってことじゃんw
22: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:13:35.37 ID:Sffxa9i60
童Tに不潔感なんてあるのか?
コミケにいるオタクの不潔感ならわかるけど
30: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:20:49.27 ID:J0zXltiP0
やるやん
34: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:25:34.52 ID:7tPeDJ/1M
女が言う清潔感へのカウンターということだね
それが嫌なら女も清潔感とか言うのを具体的に言語化しなくちゃね
47: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:36:15.32 ID:comozj2OM
いわゆる清潔感も物理的にきれいにしてればいいわけじゃなくて容姿が整ってるかの話だからあっとるな
49: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:37:11.68 ID:J0zXltiP0
ペーパードライバーよりベテランドライバー
中古車より新車
51: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:38:53.74 ID:IoSu1n4qr
まぁまぁスタンダード
60: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:41:11.54 ID:wctypEbe0
まあチー牛が汚い 清潔感ないって言われるのと同じやな
実際に清潔かどうかは問題ではないという
67: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:49:07.07 ID:ETckG/ZZM
感情論や言われても嫌なものは嫌なんやからしゃーないやろ
69: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:51:28.42 ID:RAe07e9F0
これ本能的な嫌悪感なのに女が感情論に仕向けてるからごちゃごちゃするんだよな
71: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:53:08.57 ID:zSMcJ6Lw0
実際に清潔かどうかは関係ないっていうのはしっくりくるな
チー牛がなにやろうが叩かれるのと同じ
74: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:54:38.44 ID:N2xOeMoW0
ワイにはどうせ手に入らないので関係ない
掴もうとしても雲のように消えていく幻なのだよ所詮は
77: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:57:11.48 ID:FkRdT9+u0
身体の汚れじゃなくて心の汚れなんよな
113: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 12:08:44.43 ID:rDAVPSAS0
これは納得間あるわ
女の清潔感と同じで本能的なもんやから批判されたところで矯正無理なんよな
114: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 12:12:02.29 ID:pgvbSYo50
そんな男らって女々しいねw
56: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:40:15.18 ID:gmKBIPiT0
ワイ「若くてかわいければなんでもいいぞ」
(以下自己引用)
女の男性経験
現代倫理学概論 2023年11月25日
これ(下記記事の問題)は単純な話で、性交において男は(精液を)「出す」女は「受ける」からである。つまり、男は出して終わりだが、女は受けた精子・精液の影響が残るわけだ。
同様に、人間関係においても、男性経験のある女は相手の男の影響が残る。男はそこまで相手の女の影響が残ることはあまりない。まあ、「思い出」として残るだろうが、それで人間性、特に品性に影響があるわけではない。女の場合は相手次第で人格も変わる(特に、下種な男と一緒になると確実に下種になる。逆に、品性の高い男と一緒になっても、その品性が高くなることはあまり無い。むしろ相手を「つまらない男だ」と思う。基本的に女は快楽主義、享楽主義的な存在だ。動物的と言ってもいい。これは男の方が「動物的本能が壊れている」と言ってもいい。)
別の言い方をすれば、「愛する能力」において、女は特級であり、男は三流である。どちらも幻想が半分くらい入るが、その幻想を全身で信じるのが女である。女にとってエロス(性愛)は生命や人生と等価であるが、男には単なる射精意欲の充足対象であるところのエロであり、片手間仕事である。もちろん、これは一般論だ。例外も多いだろう。
(以下引用)
Home > 女さん > 女さん「男性経験多い女性を汚いとか言うのって何故なの?」 男「完全論破します」→
女さん「男性経験多い女性を汚いとか言うのって何故なの?」 男「完全論破します」→
2023/11/24 22:40 2 category - 女さん
1: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:04:45.33 ID:YpzuSVvE0
男「男の清潔感 = 女の処女性 清楚性なのだよ」
2: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:05:13.70 ID:DNtJNmoX0
上手いこと言うわね
3: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:05:37.82 ID:1lmqXM6x0
論破完了
7: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:07:14.74 ID:kJe1RJso0
ただの思い込みやん
男は理論的に考える生き物ちゃうんか?
9: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:08:11.84 ID:MjGWSGMl0
清潔感 本当に清潔かどうかじゃなくてその感じ
清楚感 本当に清楚かどうかじゃなくてその感じ
これも一緒やな
清楚系アイドルなんだかんだ言って最強だし
13: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:10:00.40 ID:HLQNLU7Bd
男と触れたら汚くなるって男が汚いってことじゃんw
22: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:13:35.37 ID:Sffxa9i60
童Tに不潔感なんてあるのか?
コミケにいるオタクの不潔感ならわかるけど
30: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:20:49.27 ID:J0zXltiP0
やるやん
34: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:25:34.52 ID:7tPeDJ/1M
女が言う清潔感へのカウンターということだね
それが嫌なら女も清潔感とか言うのを具体的に言語化しなくちゃね
47: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:36:15.32 ID:comozj2OM
いわゆる清潔感も物理的にきれいにしてればいいわけじゃなくて容姿が整ってるかの話だからあっとるな
49: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:37:11.68 ID:J0zXltiP0
ペーパードライバーよりベテランドライバー
中古車より新車
51: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:38:53.74 ID:IoSu1n4qr
まぁまぁスタンダード
60: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:41:11.54 ID:wctypEbe0
まあチー牛が汚い 清潔感ないって言われるのと同じやな
実際に清潔かどうかは問題ではないという
67: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:49:07.07 ID:ETckG/ZZM
感情論や言われても嫌なものは嫌なんやからしゃーないやろ
69: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:51:28.42 ID:RAe07e9F0
これ本能的な嫌悪感なのに女が感情論に仕向けてるからごちゃごちゃするんだよな
71: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:53:08.57 ID:zSMcJ6Lw0
実際に清潔かどうかは関係ないっていうのはしっくりくるな
チー牛がなにやろうが叩かれるのと同じ
74: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:54:38.44 ID:N2xOeMoW0
ワイにはどうせ手に入らないので関係ない
掴もうとしても雲のように消えていく幻なのだよ所詮は
77: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:57:11.48 ID:FkRdT9+u0
身体の汚れじゃなくて心の汚れなんよな
113: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 12:08:44.43 ID:rDAVPSAS0
これは納得間あるわ
女の清潔感と同じで本能的なもんやから批判されたところで矯正無理なんよな
114: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 12:12:02.29 ID:pgvbSYo50
そんな男らって女々しいねw
56: 風吹けば名無し 2023/11/24(金) 10:40:15.18 ID:gmKBIPiT0
ワイ「若くてかわいければなんでもいいぞ」