ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「はてな匿名ダイアリー」記事だが、正直な告白だと思う。
私は片思い以外恋愛経験はないが、頭だけで考えても、恋愛が楽しいとは思えない。セックスは楽しい(性欲充足の満足はある)かもしれないが、性病や妊娠や「妻(夫)向きでない相手」との結婚も義務となる可能性がある。
結局、お見合い結婚をしたが、それで満足している。今の若者には「お見合い結婚」の機会(契機)が無くて気の毒である。私自身は子育てにあまり参加した意識は無いが、子供を持ち、それが育っていくのを眺めるのも楽しいのである。
枯堂夏子の歌詞の思想ではないが、恋愛に関しては「片思いが一番楽しい」というのが真実ではないか、と思う。まあ、自分自身を鍛える試練だという考えもある。女性に言っておくが、男性の3割くらいは、女とつきあう目的は相手の体しかない。性欲猿である。
(以下引用)
恋愛で楽しい瞬間っていつなの?
今まで色んな人と付き合ったり、デートしたりしたんだけど、恋愛で楽しい瞬間がいつなのかよくわからない。
好きな人と付き合った時も「あーこれからこの人と毎日LINEしなきゃいけないのか」「デートの時は女っぽく振るわまなきゃいけないのか」って思ってずっとしんどかった。
恋人っぽいスキンシップとかされると、鳥肌立っちゃってしんどい。
相手のこと好きだと思ってたんだけど、深いところまで好きになれてないのかな?
もうすぐ30になるのにこんな感じでしんどい。
どうにかして恋愛楽しみたいのに、相手の一挙手一投足を疑って「今のってどういうこと?」って思って疲れるのやめたい。
周りは結婚してるのに、自分だけずっと恋愛しんどいまま。
結婚するまでに恋人期間を経ないといけないのしんどい。
家族は欲しいけど恋人はほしくない。
私は片思い以外恋愛経験はないが、頭だけで考えても、恋愛が楽しいとは思えない。セックスは楽しい(性欲充足の満足はある)かもしれないが、性病や妊娠や「妻(夫)向きでない相手」との結婚も義務となる可能性がある。
結局、お見合い結婚をしたが、それで満足している。今の若者には「お見合い結婚」の機会(契機)が無くて気の毒である。私自身は子育てにあまり参加した意識は無いが、子供を持ち、それが育っていくのを眺めるのも楽しいのである。
枯堂夏子の歌詞の思想ではないが、恋愛に関しては「片思いが一番楽しい」というのが真実ではないか、と思う。まあ、自分自身を鍛える試練だという考えもある。女性に言っておくが、男性の3割くらいは、女とつきあう目的は相手の体しかない。性欲猿である。
(以下引用)
恋愛で楽しい瞬間っていつなの?
今まで色んな人と付き合ったり、デートしたりしたんだけど、恋愛で楽しい瞬間がいつなのかよくわからない。
好きな人と付き合った時も「あーこれからこの人と毎日LINEしなきゃいけないのか」「デートの時は女っぽく振るわまなきゃいけないのか」って思ってずっとしんどかった。
恋人っぽいスキンシップとかされると、鳥肌立っちゃってしんどい。
相手のこと好きだと思ってたんだけど、深いところまで好きになれてないのかな?
もうすぐ30になるのにこんな感じでしんどい。
どうにかして恋愛楽しみたいのに、相手の一挙手一投足を疑って「今のってどういうこと?」って思って疲れるのやめたい。
周りは結婚してるのに、自分だけずっと恋愛しんどいまま。
結婚するまでに恋人期間を経ないといけないのしんどい。
家族は欲しいけど恋人はほしくない。
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「ずっと前に何かで『ニジンスキーは道路を歩いている時のほうが苦しそうに見えた』という言葉を読んだ。そういうものなのであろう。私は、道路を歩くことは苦しくない。しかし、舞台で踊れなどといわれれば走って逃げ出す。天才はこれが逆になっている人たちである。従って、労働の選択権はない。」
「われわれ凡人は、自らの労働を自ら選択できるという特権をもっている。大変な特権だ。大学を選ぶ、職業を選ぶ、さらに第一の目標に失敗したら第二の目標に向かえる。何という特権であろうか。だが、天才にはこの特権はない。その意味では生得の特権を剥奪されている人間である。いわば強制労働収容所に入れられた人間のようなものである。」
( 山本七平の本に引用されている言葉だが、小林秀雄の言葉のようだ。)
「われわれ凡人は、自らの労働を自ら選択できるという特権をもっている。大変な特権だ。大学を選ぶ、職業を選ぶ、さらに第一の目標に失敗したら第二の目標に向かえる。何という特権であろうか。だが、天才にはこの特権はない。その意味では生得の特権を剥奪されている人間である。いわば強制労働収容所に入れられた人間のようなものである。」
( 山本七平の本に引用されている言葉だが、小林秀雄の言葉のようだ。)
これ(引用文)は「蚊居肢」というブログに引用されていた言葉だが、「疎外」ということについての一種の定義だろう。いや、「一種の」ではなく、もしもその言葉の大本がフロイトなら、正式な定義になる。
動詞「entfremden」は「或る人の気持ちを或る事(人)から遠ざける」が主な意味である。つまり、これまで親しく見知っていた存在が遠い存在のように感じられることだろう。これはまさしく「疎外」が意味する精神現象で、「異化」も同じだろう。ある意味「おなじみの」現象で、単に「疎外」という固い言葉が我々にはそれこそ「疎外感」を感じさせるだけだ。
これは、「夢の中の現実」の持つ、「非現実感」であり、その非現実感を見事に描写したのが「超現実主義」の芸術であり、漫画の「ねじ式」など、つげ義春の幾つかの作品にも見られる特徴だ。そもそも「ねじ式」とは何か、そこで既に我々は超現実感覚を与えられるのである。そして、優れた超現実主義作品では、その「非現実感」が、「実在感」を持って我々の前に立ち現れるのである。ごく当たり前の日常が非現実感をもって現れる、と言ってもいい。
要するに、精神において我々の現実は非現実と隣り合わせである、ということであり、その感覚は、「存在しなかった想い出の持つ郷愁」の感覚とも言える。たとえば、キリコの「憂愁と神秘の通り」の絵などの与える印象である。あの、輪回しをする少女のシルエット、通りの端から見える「誰か」の巨大な影、そして遠近法の消失点や光源がはっきりしない建物と道路の構図や明暗、全体の色調。謎と不安。
(以下引用)
疎外(異者分離[Entfremdungen])は注目すべき現象です。〔・・・〕この現象は二つの形式で観察されます。現実の断片がわれわれにとって異者のように現れるか、あるいはわれわれの自己自身が異者のように現れるかです。Diese Entfremdungen sind sehr merkwürdige, … Man beobachtet sie in zweierlei Formen; entweder erscheint uns ein Stück der Realität als fremd oder ein Stück des eigenen Ichs.
(フロイト書簡、ロマン・ロラン宛、Brief an Romain Rolland ( Eine erinnerungsstörung auf der akropolis) 1936年)
動詞「entfremden」は「或る人の気持ちを或る事(人)から遠ざける」が主な意味である。つまり、これまで親しく見知っていた存在が遠い存在のように感じられることだろう。これはまさしく「疎外」が意味する精神現象で、「異化」も同じだろう。ある意味「おなじみの」現象で、単に「疎外」という固い言葉が我々にはそれこそ「疎外感」を感じさせるだけだ。
これは、「夢の中の現実」の持つ、「非現実感」であり、その非現実感を見事に描写したのが「超現実主義」の芸術であり、漫画の「ねじ式」など、つげ義春の幾つかの作品にも見られる特徴だ。そもそも「ねじ式」とは何か、そこで既に我々は超現実感覚を与えられるのである。そして、優れた超現実主義作品では、その「非現実感」が、「実在感」を持って我々の前に立ち現れるのである。ごく当たり前の日常が非現実感をもって現れる、と言ってもいい。
要するに、精神において我々の現実は非現実と隣り合わせである、ということであり、その感覚は、「存在しなかった想い出の持つ郷愁」の感覚とも言える。たとえば、キリコの「憂愁と神秘の通り」の絵などの与える印象である。あの、輪回しをする少女のシルエット、通りの端から見える「誰か」の巨大な影、そして遠近法の消失点や光源がはっきりしない建物と道路の構図や明暗、全体の色調。謎と不安。
(以下引用)
疎外(異者分離[Entfremdungen])は注目すべき現象です。〔・・・〕この現象は二つの形式で観察されます。現実の断片がわれわれにとって異者のように現れるか、あるいはわれわれの自己自身が異者のように現れるかです。Diese Entfremdungen sind sehr merkwürdige, … Man beobachtet sie in zweierlei Formen; entweder erscheint uns ein Stück der Realität als fremd oder ein Stück des eigenen Ichs.
(フロイト書簡、ロマン・ロラン宛、Brief an Romain Rolland ( Eine erinnerungsstörung auf der akropolis) 1936年)
私は、他人が読む可能性のある文章を書くときには、いつも「面白く読んでもらう」ことを意識している。べつに職業作家でなくても、他人に「読んでもらう」のだから、それは当然だということだ。その結果、冗談が滑ったり、ユーモアのつもりが不快感を催させたりするのは仕方がない。
などと書いたのは、昨日はそういう気になれなかったからだ。
一生の友人が亡くなったという知らせを受けたからである。ここ数年は、こちらの貧乏暮らしや「会っても特に話すことがない」ということで直接に会うことはなかったが、生涯の恩人であり、いざとなれば、身命を捧げて恩に報いたい気持ちもあったのである。
まあ、昨日は一日、ほとんど外にも出ずぼんやり過ごしたが、或る種の服喪の気分もあったようだ。
思えば、私自身この年齢まで生きてこられたこと自体が「個人的奇跡」のようなもので、平々凡々とした人生でも「生きること自体が成功だ」と言える。まあ、明石家さんまが同じようなことを言っている。かと言って、特に生にしがみつくつもりはない。もちろん、いざとなれば「死にたくない」とわめいて見苦しいふるまいをするだろうが、それは単なるヒステリーだ。
で、そういう意味では「毎日の生活自体が奇跡の顕現だ」とも言える。何も起こらなくても、日の光を見、風を感じ、木々の葉が揺れるのを眺めるだけで幸福である。
先ほど思い出したのが、そういう幸福感を描いたのが「ヨコハマ買い出し紀行」という漫画(あるいはアニメ)だったと思う。あの漫画、あるいはアニメはもっと高く評価されていい。
あるいは、漫画(アニメ)における小津安二郎的作品とも言える。
「生きる」とは、黒澤明の同名映画のように「社会に有益なことをする」だけでなく、毎日の幸福感こそがひとりひとりの生きる意味だろう。
なお、この文章は「悼辞」ではなく、「悼詩」としての散文詩のつもりである。友よ、別天地で安らかなれ。
などと書いたのは、昨日はそういう気になれなかったからだ。
一生の友人が亡くなったという知らせを受けたからである。ここ数年は、こちらの貧乏暮らしや「会っても特に話すことがない」ということで直接に会うことはなかったが、生涯の恩人であり、いざとなれば、身命を捧げて恩に報いたい気持ちもあったのである。
まあ、昨日は一日、ほとんど外にも出ずぼんやり過ごしたが、或る種の服喪の気分もあったようだ。
思えば、私自身この年齢まで生きてこられたこと自体が「個人的奇跡」のようなもので、平々凡々とした人生でも「生きること自体が成功だ」と言える。まあ、明石家さんまが同じようなことを言っている。かと言って、特に生にしがみつくつもりはない。もちろん、いざとなれば「死にたくない」とわめいて見苦しいふるまいをするだろうが、それは単なるヒステリーだ。
で、そういう意味では「毎日の生活自体が奇跡の顕現だ」とも言える。何も起こらなくても、日の光を見、風を感じ、木々の葉が揺れるのを眺めるだけで幸福である。
先ほど思い出したのが、そういう幸福感を描いたのが「ヨコハマ買い出し紀行」という漫画(あるいはアニメ)だったと思う。あの漫画、あるいはアニメはもっと高く評価されていい。
あるいは、漫画(アニメ)における小津安二郎的作品とも言える。
「生きる」とは、黒澤明の同名映画のように「社会に有益なことをする」だけでなく、毎日の幸福感こそがひとりひとりの生きる意味だろう。
なお、この文章は「悼辞」ではなく、「悼詩」としての散文詩のつもりである。友よ、別天地で安らかなれ。
AIによる要約から、私から見て不要な「装飾的部分」を線で見え消しにする。「同情や哀れみといった感情に屈しない」とは、人間が人間であるゆえんを排除した「非倫理性」を意味する。これが、西洋が「キリスト教的規範」を捨てた後に残る、おそるべきエゴイズムの世界である。
(念のために言えば、私は西洋の伝統である「偽キリスト教(教会キリスト教)」にも批判的であるが、それがその社会を「野獣性」「万人の万人に対する闘争」から救ってもいた。ただし、異民族や異宗教の徒は人間扱いする必要はない、というのが、その隠れた教義だった。)
(以下引用)
AI による概要
詳細
ニーチェの「超人」は、自身の運命を愛し、新しい価値を創造できる存在であり、永遠回帰の思想を肯定的に受け入れる強靭な精神を持つ人物です。具体的な特徴としては、強さ、能動性、肯定的な姿勢、そして「利己的」な自己肯定などが挙げられます。また、同情や哀れみといった感情に屈しない強い意志も特徴です。
(念のために言えば、私は西洋の伝統である「偽キリスト教(教会キリスト教)」にも批判的であるが、それがその社会を「野獣性」「万人の万人に対する闘争」から救ってもいた。ただし、異民族や異宗教の徒は人間扱いする必要はない、というのが、その隠れた教義だった。)
(以下引用)
AI による概要
詳細
ニーチェの「超人」は、自身の運命を愛し、新しい価値を創造できる存在であり、永遠回帰の思想を肯定的に受け入れる強靭な精神を持つ人物です。具体的な特徴としては、強さ、能動性、肯定的な姿勢、そして「利己的」な自己肯定などが挙げられます。また、同情や哀れみといった感情に屈しない強い意志も特徴です。
記事が一日にふたつだけだと寂しいので、私の別ブログの過去記事を転載する。
(以下自己引用)
「戦争は文明を発展させる」論の批判
思想、思想の断片、考えるヒント 2022年07月09日
「まおゆう」だったと思うが、戦争、あるいは闘争が文明を発展させてきたという、ネトウヨ的な経済思想が話の柱になっていたと思う。まあ、第一話しか見ていないので、確かではない。私はネトウヨ、あるいはネトウヨ的性格の人間が嫌いなので、後は見ていないのである。
で、この「戦争が文明を発達させた」という思想は案外多くの人が同意しているので、平和主義者の私としては腹が立つわけだ。で、これを論破できないか、という意図で考察してみる。
あらゆる戦争道具・戦争機械が戦争を機に発明され工夫して向上し実際に使われるようになるのは明らかである。で、根本的問題は、これは「文明の発展」なのか、ということである。こうした戦争道具や戦争機械の利用によって戦力を増した国が戦争に勝ち、負けた国を支配する。これははたして文明の発達なのだろうか。もしそうなら、人類の文明はその精神性において、馬や豚よりも下のレベルなのではないか。戦争に勝った国は負けた国より文明が上だ、とするなら、文明の評価とは何と野蛮なものだろうか。
もちろん、戦争をきっかけに発明された物が平時の社会生活を向上させる、ということもあるにしても、それは別に人類には戦争が必要だという理由にはならないわけである。戦時に作れるものなら平時にでも作れるに決まっている。単に、戦争の時には膨大な国家予算が軍事費(研究費)に使われるだけの話だ。それを平時に使えば、もっと有意義な発明も出てくるだろう。何も、相手を殺し、破壊する道具や機械だけが有益なわけがない。
現実の問題点は、戦争は一部の人間の大儲けの最高の機会だ、ということである。だから戦争は地上から無くならないのである。戦争が文明を発展させる、というのはそういうサイコパスたちの自己弁護の詐欺論法にすぎない。
(以下自己引用)
「戦争は文明を発展させる」論の批判
思想、思想の断片、考えるヒント 2022年07月09日
「まおゆう」だったと思うが、戦争、あるいは闘争が文明を発展させてきたという、ネトウヨ的な経済思想が話の柱になっていたと思う。まあ、第一話しか見ていないので、確かではない。私はネトウヨ、あるいはネトウヨ的性格の人間が嫌いなので、後は見ていないのである。
で、この「戦争が文明を発達させた」という思想は案外多くの人が同意しているので、平和主義者の私としては腹が立つわけだ。で、これを論破できないか、という意図で考察してみる。
あらゆる戦争道具・戦争機械が戦争を機に発明され工夫して向上し実際に使われるようになるのは明らかである。で、根本的問題は、これは「文明の発展」なのか、ということである。こうした戦争道具や戦争機械の利用によって戦力を増した国が戦争に勝ち、負けた国を支配する。これははたして文明の発達なのだろうか。もしそうなら、人類の文明はその精神性において、馬や豚よりも下のレベルなのではないか。戦争に勝った国は負けた国より文明が上だ、とするなら、文明の評価とは何と野蛮なものだろうか。
もちろん、戦争をきっかけに発明された物が平時の社会生活を向上させる、ということもあるにしても、それは別に人類には戦争が必要だという理由にはならないわけである。戦時に作れるものなら平時にでも作れるに決まっている。単に、戦争の時には膨大な国家予算が軍事費(研究費)に使われるだけの話だ。それを平時に使えば、もっと有意義な発明も出てくるだろう。何も、相手を殺し、破壊する道具や機械だけが有益なわけがない。
現実の問題点は、戦争は一部の人間の大儲けの最高の機会だ、ということである。だから戦争は地上から無くならないのである。戦争が文明を発展させる、というのはそういうサイコパスたちの自己弁護の詐欺論法にすぎない。
SF的な「if」の話になるが、仮に日米が今戦争をしたら、どうなるか、ということを考えてみる。もちろん、たいていの人は、それこそ鎧袖一触で日本は叩き潰される、と考えるだろう。
私はそうは思わない。現在の米国は軍需産業が劣化し、また軍隊も劣悪になっている。だから、初期の局地戦では日本軍、つまり自衛隊(その時ははっきりと軍隊になっている)が多くの場面で勝つ可能性は高いと思う。
しかし、この場合の局地戦はあくまで局地戦であり、それをいくつ重ねても「戦局」全体を決定的にすることは無いのである。それが、ミッドウェーでの敗北が戦局を決定的にした日本と、広大な土地を持ち、人口が分散され、各州に自治的地方政府がある米国との決定的な違いだ。そして、米国人は個人が銃を所持することができ、膨大な銃が全人口にばらまかれている。つまり、いざ米国本土での戦闘になった場合、米国を占領できる国はほとんど存在しないのである。
基本的にはこれと同様の原理がナポレオンのロシア侵攻とヒトラーのロシア侵攻でも起こっている。どちらも、あの大国に侵攻した側が敗北しているのである。
戦争とは、実は「国土の広さ」の問題でもあるのである。
この考えを敷衍すると、あの日中戦争が日本と中国だけの戦争だったら日本は勝てたか、というと、それも本当は危うかった可能性は大だと思われる。つまり、中国側の政権が倒れても、抗日軍が中国に分散してゲリラ戦になった場合、日本軍が勝てたかどうかは分からない、ということだ。ベトナム戦争における米国と同じことである。他国を戦場にして勝利するには原爆か何かですべてを消し去る以外に無いし、そうすると、戦争の目的が何なのか、意味不明になるわけだ。ついでに言うと、ベトナム戦争はベトナムが勝ったわけでもない。アメリカが嫌になって戦争を放棄しただけである。
私はそうは思わない。現在の米国は軍需産業が劣化し、また軍隊も劣悪になっている。だから、初期の局地戦では日本軍、つまり自衛隊(その時ははっきりと軍隊になっている)が多くの場面で勝つ可能性は高いと思う。
しかし、この場合の局地戦はあくまで局地戦であり、それをいくつ重ねても「戦局」全体を決定的にすることは無いのである。それが、ミッドウェーでの敗北が戦局を決定的にした日本と、広大な土地を持ち、人口が分散され、各州に自治的地方政府がある米国との決定的な違いだ。そして、米国人は個人が銃を所持することができ、膨大な銃が全人口にばらまかれている。つまり、いざ米国本土での戦闘になった場合、米国を占領できる国はほとんど存在しないのである。
基本的にはこれと同様の原理がナポレオンのロシア侵攻とヒトラーのロシア侵攻でも起こっている。どちらも、あの大国に侵攻した側が敗北しているのである。
戦争とは、実は「国土の広さ」の問題でもあるのである。
この考えを敷衍すると、あの日中戦争が日本と中国だけの戦争だったら日本は勝てたか、というと、それも本当は危うかった可能性は大だと思われる。つまり、中国側の政権が倒れても、抗日軍が中国に分散してゲリラ戦になった場合、日本軍が勝てたかどうかは分からない、ということだ。ベトナム戦争における米国と同じことである。他国を戦場にして勝利するには原爆か何かですべてを消し去る以外に無いし、そうすると、戦争の目的が何なのか、意味不明になるわけだ。ついでに言うと、ベトナム戦争はベトナムが勝ったわけでもない。アメリカが嫌になって戦争を放棄しただけである。
私の別ブログの過去記事を転載。なかなか有益な知識だと思う。
「職務とか」というのは、たとえば警察官が職務に熱心なあまり、容疑者を非人道的に扱うような事例である。
(以下自己引用)
サイコパスの多い職業
思想、思想の断片、考えるヒント 2021年07月23日
カネとか法とか職務とか神とか、つまりモラル(他者の人格への敬意と尊重)とは別の何かがその人の第一義になっている人種がサイコパスなのだろう。「聖職者」がサイコパスと聞くと意外に思うだろうが、商売としての新興宗教の教祖はたいていサイコパスだと思う。
シェフにサイコパスが多いというのも意外である。まあ、これも一種の「求道者」が多いからではないか。
(以下引用)
サイコパス度が高いほうはどうかと聞かれたので、
十位が公務員、
九位がシェフ、
八位が聖職者、
七位が警察官、
六位がジャーナリスト、
五位が外科医、
四位がセールスマン、
三位が報道関係(テレビ/ラジオ)、
二位が弁護士、
一位が企業の最高責任者(CEO)となっています。
「職務とか」というのは、たとえば警察官が職務に熱心なあまり、容疑者を非人道的に扱うような事例である。
(以下自己引用)
サイコパスの多い職業
思想、思想の断片、考えるヒント 2021年07月23日
カネとか法とか職務とか神とか、つまりモラル(他者の人格への敬意と尊重)とは別の何かがその人の第一義になっている人種がサイコパスなのだろう。「聖職者」がサイコパスと聞くと意外に思うだろうが、商売としての新興宗教の教祖はたいていサイコパスだと思う。
シェフにサイコパスが多いというのも意外である。まあ、これも一種の「求道者」が多いからではないか。
(以下引用)
サイコパス度が高いほうはどうかと聞かれたので、
十位が公務員、
九位がシェフ、
八位が聖職者、
七位が警察官、
六位がジャーナリスト、
五位が外科医、
四位がセールスマン、
三位が報道関係(テレビ/ラジオ)、
二位が弁護士、
一位が企業の最高責任者(CEO)となっています。
これも私の別ブログから転載。
(以下自己引用)
創造も思考も「一歩ずつ進め」が原則 2018/12/16 (Sun)
創作に限らず、私の場合は思考そのものが、前の思考に引きずられて後の思考が出てくる。
頭の中だけで考えると、必ず堂々巡りになるので、文章化すると前に進める。
つまり、文章化すると、思考の現在の立地点が視覚化され、その部分を見直すことで思考の先、あるいは別の進路の可能性が頭の中に浮かんでくる。
(以下自己引用)
創造も思考も「一歩ずつ進め」が原則 2018/12/16 (Sun)
創作に限らず、私の場合は思考そのものが、前の思考に引きずられて後の思考が出てくる。
頭の中だけで考えると、必ず堂々巡りになるので、文章化すると前に進める。
つまり、文章化すると、思考の現在の立地点が視覚化され、その部分を見直すことで思考の先、あるいは別の進路の可能性が頭の中に浮かんでくる。
私の別ブログから転載。
(以下自己引用)
女性曰く「秒速5センチメートルの遅さで恋愛などできるか!!」 www 2022/11/28 (Mon)
このスレッドは恋愛についての男と女の違いが良く出ていると思う。男は「純愛主義」であり、女は「現実主義」だということである。これは「恋愛賞味期限の違い」から来ている。女は自分の賞味期限が短いことを熟知しているから、男がうじうじしているのが我慢できないわけだ。男はそれについての想像力が無いから、うじうじしながら恋愛感情を自分の中で転がし続ける。それ自体が趣味的なものですらある。女が陽キャラが好きだというのは、話が早いからだろう。試しに寝てみて、駄目なら別れて次を探す。そうでないと、あっという間に賞味期限切れになる。そうなると、「女は処女でないといけない。恋愛に純粋でないといけない」などと言う男は興味の対象外になるわけだ。
2021年11月29日15:39
彼「秒速5センチメートルというアニメ作品を見て欲しい」→見たあとに「主人公に共感できなかった」と感想を言ったら「女ってそうだよね」とため息つかれた
カテゴリ愚痴
コメント(4)
pose_yareyare_man
561: 恋人は名無しさん 2018/12/23(日) 14:48:53.86 ID:g5wqcJTD0.net
秒速5センチメートルというアニメ作品を見て欲しいと言われたから見たんだけど
主人公に共感できなかったと言ったらら女ってそうだよねとため息つかれた
クリスマス前にこんなことで険悪になるの本当に馬鹿らしいから頼まれても見なきゃ良かった
(以下自己引用)
女性曰く「秒速5センチメートルの遅さで恋愛などできるか!!」 www 2022/11/28 (Mon)
このスレッドは恋愛についての男と女の違いが良く出ていると思う。男は「純愛主義」であり、女は「現実主義」だということである。これは「恋愛賞味期限の違い」から来ている。女は自分の賞味期限が短いことを熟知しているから、男がうじうじしているのが我慢できないわけだ。男はそれについての想像力が無いから、うじうじしながら恋愛感情を自分の中で転がし続ける。それ自体が趣味的なものですらある。女が陽キャラが好きだというのは、話が早いからだろう。試しに寝てみて、駄目なら別れて次を探す。そうでないと、あっという間に賞味期限切れになる。そうなると、「女は処女でないといけない。恋愛に純粋でないといけない」などと言う男は興味の対象外になるわけだ。
2021年11月29日15:39
彼「秒速5センチメートルというアニメ作品を見て欲しい」→見たあとに「主人公に共感できなかった」と感想を言ったら「女ってそうだよね」とため息つかれた
カテゴリ愚痴
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561: 恋人は名無しさん 2018/12/23(日) 14:48:53.86 ID:g5wqcJTD0.net
秒速5センチメートルというアニメ作品を見て欲しいと言われたから見たんだけど
主人公に共感できなかったと言ったらら女ってそうだよねとため息つかれた
クリスマス前にこんなことで険悪になるの本当に馬鹿らしいから頼まれても見なきゃ良かった