ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
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これ(引用文)は「蚊居肢」というブログに引用されていた言葉だが、「疎外」ということについての一種の定義だろう。いや、「一種の」ではなく、もしもその言葉の大本がフロイトなら、正式な定義になる。
動詞「entfremden」は「或る人の気持ちを或る事(人)から遠ざける」が主な意味である。つまり、これまで親しく見知っていた存在が遠い存在のように感じられることだろう。これはまさしく「疎外」が意味する精神現象で、「異化」も同じだろう。ある意味「おなじみの」現象で、単に「疎外」という固い言葉が我々にはそれこそ「疎外感」を感じさせるだけだ。
これは、「夢の中の現実」の持つ、「非現実感」であり、その非現実感を見事に描写したのが「超現実主義」の芸術であり、漫画の「ねじ式」など、つげ義春の幾つかの作品にも見られる特徴だ。そもそも「ねじ式」とは何か、そこで既に我々は超現実感覚を与えられるのである。そして、優れた超現実主義作品では、その「非現実感」が、「実在感」を持って我々の前に立ち現れるのである。ごく当たり前の日常が非現実感をもって現れる、と言ってもいい。
要するに、精神において我々の現実は非現実と隣り合わせである、ということであり、その感覚は、「存在しなかった想い出の持つ郷愁」の感覚とも言える。たとえば、キリコの「憂愁と神秘の通り」の絵などの与える印象である。あの、輪回しをする少女のシルエット、通りの端から見える「誰か」の巨大な影、そして遠近法の消失点や光源がはっきりしない建物と道路の構図や明暗、全体の色調。謎と不安。
(以下引用)
疎外(異者分離[Entfremdungen])は注目すべき現象です。〔・・・〕この現象は二つの形式で観察されます。現実の断片がわれわれにとって異者のように現れるか、あるいはわれわれの自己自身が異者のように現れるかです。Diese Entfremdungen sind sehr merkwürdige, … Man beobachtet sie in zweierlei Formen; entweder erscheint uns ein Stück der Realität als fremd oder ein Stück des eigenen Ichs.
(フロイト書簡、ロマン・ロラン宛、Brief an Romain Rolland ( Eine erinnerungsstörung auf der akropolis) 1936年)
動詞「entfremden」は「或る人の気持ちを或る事(人)から遠ざける」が主な意味である。つまり、これまで親しく見知っていた存在が遠い存在のように感じられることだろう。これはまさしく「疎外」が意味する精神現象で、「異化」も同じだろう。ある意味「おなじみの」現象で、単に「疎外」という固い言葉が我々にはそれこそ「疎外感」を感じさせるだけだ。
これは、「夢の中の現実」の持つ、「非現実感」であり、その非現実感を見事に描写したのが「超現実主義」の芸術であり、漫画の「ねじ式」など、つげ義春の幾つかの作品にも見られる特徴だ。そもそも「ねじ式」とは何か、そこで既に我々は超現実感覚を与えられるのである。そして、優れた超現実主義作品では、その「非現実感」が、「実在感」を持って我々の前に立ち現れるのである。ごく当たり前の日常が非現実感をもって現れる、と言ってもいい。
要するに、精神において我々の現実は非現実と隣り合わせである、ということであり、その感覚は、「存在しなかった想い出の持つ郷愁」の感覚とも言える。たとえば、キリコの「憂愁と神秘の通り」の絵などの与える印象である。あの、輪回しをする少女のシルエット、通りの端から見える「誰か」の巨大な影、そして遠近法の消失点や光源がはっきりしない建物と道路の構図や明暗、全体の色調。謎と不安。
(以下引用)
疎外(異者分離[Entfremdungen])は注目すべき現象です。〔・・・〕この現象は二つの形式で観察されます。現実の断片がわれわれにとって異者のように現れるか、あるいはわれわれの自己自身が異者のように現れるかです。Diese Entfremdungen sind sehr merkwürdige, … Man beobachtet sie in zweierlei Formen; entweder erscheint uns ein Stück der Realität als fremd oder ein Stück des eigenen Ichs.
(フロイト書簡、ロマン・ロラン宛、Brief an Romain Rolland ( Eine erinnerungsstörung auf der akropolis) 1936年)
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