ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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その五十一 謎は解けた?
「ダマスコ薔薇とは淡紅色、アマランスは紫赤色、そして紫の愛の花とはもちろんヴァイオレット、紫色だ。見えない黄金の流れとは太陽の光線のこと、百合は分光されるまえの太陽光線の白色だ。このようなプリズムで、太陽光線を分光し、そのうちの三つの光、淡紅色、紫赤色、紫色の三つを再度集める。そのときにはサファイアを使ったレンズを用いる。すると、その焦点の結ばれたところに一つの印が現れると、こういうわけだ」
アンドレの説明にハンスたちは聞き入りました。
「つまり、サファイアの菫とはサファイアそのものだというわけですね。だから、光の方の紫には菫と言わずに、紫の愛の花と言ったのですか」
「そういうことだ。最初からサファイアと言えば、謎が簡単だからね。ただし、これは一つの仮説だし、光を分光したり集めたりする時の角度がまちがうと、像はできないかもしれない。それが、百合とアマランスは細心の世話を要するということの意味だろう」
「アマランスってなんのこと? 花の名前?」
アリーナが聞きました。
「そうだ。伝説の花だ。不死の花とも常世の花とも言われてる」
ハンスは、ふと思いついてアンドレに聞いてみました。
「この腕輪で太陽の光を分光することはできませんか」
それは、ブッダルタから貰った水晶の腕輪です。
アンドレはハンスからそれを受け取って、太陽にかざしました。すると、それでもやはり虹ができます。しかも、先ほどの三角形のプリズムの場合とは違った感じで分光されました。
「この方がいいかもしれないな」
アンドレは腕輪をハンスに返しました。
「これ以外の詩は、ほとんど解釈の必要なものはない。ソクラトンの詩は、天国の鍵のある国を示すものだし、ロンコンの詩は、その国の中のどこにあるかを示すものだ。つまり、君たちが考えたとおり、ロータシアのどこかに黄金の戸口から入る庭があり、そこには七つの噴水があるのだ。あとは詩の指示どおりにすればいい。ロレンゾの詩には疑問が残るが、これもその通りに解釈すればいいだろう。つまり、どこかの湖に投網を打って一匹の魚を得るのだ。その魚が、天国の鍵につながる印を持っているか、何かを飲み込んでいるということだろう。その湖には、水晶の湖という名前があるはずだ。ただし、古名、つまり昔の名前かもしれないから、湖には注意しておくことだ」
「魚の数を一千としているのは?」
チャックが、今一つ納得できないような顔で聞きました。
「多いというだけの意味だろう。つまり、輝く魚、本物のてがかりが得られるのは千に一つの可能性だ、ということを警告しているのだ」
その五十二 ソクラトン
アンドレにお礼を言ってスオミラを後にし、ハンスたち四人はソクラトンの住む森に向かいました。
深い雪に埋もれた森の中にソクラトンの家はありました。チャックが言っていたとおり、黒い松の木がまわりに何本か生えている小さな家です。
ハンスがドアをノックすると、中から「お入り」という声がしました。
ドアを開けると、暖炉で暖めた部屋の奥に、長椅子に横になっている老人がいます。老人といっても、まだ五十歳くらいでしょうか、頭ははげて、獅子っ鼻で赤ら顔の、非常にたくましい男です。顔はかなり不細工ですが、風格があり、目に強い光があります。
男はハンスたちに、さっさと戸をしめて中に入るように言いました。
「寒さは嫌いじゃないが、風邪はひきたくないからな。君たちも暖炉のそばにすわりなさい」
ハンスたちは言われたとおりにしました。
「チャックもいっしょか。一体何の用かな」
「ソクラトンさん。天国の鍵がもう少しで見つかりそうなんです。あなたのところにサファイアはありますか?」
チャックが代表でソクラトンに言いました。
「サファイア? そんなものは持っとらんよ」
アンドレの推理はいきなりおおはずれです。もっとも、アンドレはヘルメスの出没するところが必ずしもソクラトンのところだとは言っていませんでしたが。
「では、このへんに薔薇や百合や菫は生えてますか?」
「さあな、百合はあったが、薔薇はどうだったか。菫など気にとめたこともない。それに、今は冬で花などない」
ハンスはソクラトンに、これまでのいきさつを話しました。もちろん、四つの詩もです。
ソクラトンは面白そうにその話を聞いていましたが、ハンスの話が終わると、首を横に振りました。
「そのアンドレという男は、賢いが哲学者ではないな。物事を物質的にとらえすぎとる。
ダマスコ薔薇は知恵の象徴、百合は道徳の象徴、紫の愛の花はそのまま愛の象徴であろう。
叡智の森とは、我々の頭の中、心の中のことだ。そしてそこは常に無知の影がおおっている。赤い太陽が真理を表し、その真理に照らされて我々の生は黄金の流れとなるのだ。そして、真理に生きるものの生命は永遠だが、純潔貞潔な心を保ちつづけることは容易ではない、ということだ」
ソクラトンはあっさりと詩の謎解きをしました。
「では、竜のいる七つの噴水のある庭とは何のことです?」
チャックが聞きました。
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その四十九 アンドレ
「すみません、この町にアンドレという人はいますか」
ハンスが町の人に聞くと、その人はハンスを胡散臭そう(うさんくさそう、疑わしそう)に見ました。
「最高参事のアンドレ様かね? 何の用だ?」
「昔の知り合いからの言伝(ことづて)を持ってきたんです」
ハンスはうそをつきました。だって、ふつうの人に、天国の鍵をさがしているなんて言っても気がおかしいとしか思われませんからね。
男はそれを聞いて、アンドレの家を教えてくれました。
教えられた家は、なかなか立派な二階建てに石造りの家です。窓にはガラスまではまっています。ガラスは非常に高級なもので、ふつうの家の窓はただの穴に、開閉のできる木のおおいをしているだけなのです。
ドアのノッカーをたたくと、執事らしい人がドアをあけました。
「アンドレさんにお会いしたいのですが」
その人は不思議そうにハンスを見ました。こんな子供が何の用だろう、という顔です。
「アスカルファンのマルスとマチルダからの伝言を持ってきたのです」
「アスカルファン! マルスさん、マチルダ様! なつかしい名前だなあ」
顔が細長く、鼻の長いその執事らしい人は声をあげました。どうやら、この人もマルスやマチルダを知っているようです。
応接間で四人がしばらく待っていると、やがて部屋のドアが開いて、若い男と女が入ってきました。
ハンスはこれまでこんなに美しい若夫婦を見たことがありません。二人とも、まるで宗教画の天使のようです。どうも、出てくる人間がどれもこれも美しいばかりで、もうしわけないのですが、作者はもちろん、人間は内面のほうが大事だということは知ってます。しかし、人間、内面はわかりませんが、外面の美しい醜いは一目でわかりますからね。外面の美しいことは、それだけでもやはり大きな価値なのです。でも、自分の外面の美しさに自己満足して、内面を磨かないと、つまらない人間になりますから、顔のきれいな男の子、女の子は注意してください。
「マルスとマチルダの知り合いだって?」
「まあ、みなさんお元気かしら」
二人は口々に言いながら、ハンスと握手(あくしゅ)をしました。
ハンスは、実はそれほど深い知り合いではないことを白状し、本当の用件をつげました。
「いやいや、ピエールやヤクシーと何ヶ月もいっしょに旅したのなら、昔からの知り合いも同じだ。で、その詩とは?」
ハンスとチャックは四つの詩をそれぞれ暗誦しました。
その五十 太陽の虹
アンドレは近くの机の上の紙に、四つの詩を書きとめました。
「面白い詩だな。しかし、考えるには少し時間がかかる。詩の謎が解けるまで、君たちはここに滞在しなさい」
ハンスたちはその申し出を感謝して受け入れました。
それからアンドレは数日間、その紙をながめて考え込んでいました。その間、ハンスたちはすることもないので、町の子供たちといっしょに近くの凍った川でスケートをしたり、雪のつもった丘でソリ滑りをしたりして遊んでました。こういう遊びになると、アリーナはなんでも一番です。セイルンはあまり子供っぽい遊びは好きではないらしく、暖炉のそばで居眠りしている事が多く、チャックはアンドレの奥さんのトリスターナとおしゃべりばかりしてます。どういうわけか、昔から女の人は悪魔が好きなのですね。トリスターナはもともと修道女で、信心深い人なのですけど、チャックが悪魔とは知らず、つまらないおしゃべりをして喜んでます。チャックも女の人と話すのは大好きです。それが美しい女の人ならなおさらです。たいていの悪魔は、人間とは逆に醜いものを好むのですが、チャックの趣味はちがうようです。だいたい、トリスターナの夫のアンドレという人は顔に似合わず知性のお化けみたいな人間で、女性相手のおしゃべりは苦手なのです。これは女性が非論理的だということではなく、おしゃべりの意味のちがいです。ある種の人間にとって、厳密でない議論や会話ほど我慢のならないものはないのですが、逆に、会話というものに軽い機知や軽快な楽しさしか求めていない人間には、会話にいちいち論理性を求められるのは不愉快なものなのです。そういう意味では、女性は女性とおしゃべりする時が一番楽しく、男性は男性と会話や議論をする時が一番楽しいはずなのです。これは、作者の私の偏見かもしれませんけどね。最近の男性の会話は女性の会話と似ているようですから、こんな考え方はきっと古い人間にだけ通用することなのでしょう。
ある日、アンドレがハンスたちを集めて言いました。
「ルメトトの詩について、一つ仮説ができたから聞いてくれ」
仮説というのは、ある問題についての一つの考え方です。
「まず、ヘルメスが出没する場所とは、これはチャックの予想どおり魔法使いの部屋だろう。ヘルメスとはヘルメス・トリスメギストスとも言って、神秘学や魔術の祖とされている神だからだ。ただし、その魔法使いがソクラトンかどうかはわからない。もし、ソクラトンの部屋のそばに黒い松が生えているなら、そこが一番可能性は高いな。
次に、ダマスコ薔薇とアマランスと紫の愛の花は、光の色だ。見たまえ」
アンドレは部屋の窓のカーテンを閉め、その隙間からもれてくる太陽の細い光線に、小さな三角柱のガラスをかざしました。
すると、部屋の壁に美しい虹が現れたではありませんか。
ハンス、アリーナ、チャック、セイルンの四人はおどろいて太陽の光の虹を見ました。
その四十七 マルスの家
雲に乗って空から下界を見ると、不思議な感じです。すべてが小さく遠くなり、その中にいると果ての見えない大きな砂漠の果てもちゃんと見えます。すべて、全体を知るためには遠くにはなれる必要があるのでしょう。近くで見ないと見えないものもあるし、遠くにいないと見えないものもあるのです。
目の下を流れる雲に一部はかくれていますが、後方にはルメトトと出会った神殿が、ずっと遠くを見ると、砂漠のはずれのほうにはアズマハルの町も見えます。そして、雲が進んでいく方向には、地平の果てに青い線が見えます。あれがボワロンの海岸でしょう。
やがてハンスたちの乗った雲は海の上に出ました。アスカルファンとボワロンをへだてる内海はそれほど大きいものではありません。それでも船なら四、五日はかかる距離ですが、そこをおよそ三時間ほどで渡り終え、雲に乗ってからおよそ半日後にハンスたちはアスカルファンに着きました。
「ひええ、もう着いちゃった」
アリーナが嘆声(たんせい)をあげました。
アスカルファンの東の山脈のふもとにあるカザフの村に雲は下りていきます。その村はずれのマルスとマチルダの家にロレンゾはいます。
グリセリードからパーリにかけて、南国を通ってきたので、あまり気づきませんでしたが、季節はすっかり冬になっています。山の近くはもう雪がつもっています。
「ううっ、寒い」
アリーナがぶるっとふるえました。この仲間の中では、ふつうの人間であるハンスとアリーナが、やはり暑さや寒さに弱いようです。
ハンスたちはマルスの家まで歩いていきました。
マルスの家の煙突からは、あたたかそうな煙が出ています。
「あら、ハンスじゃない。アスカルファンにもどったのね。無事でよかったわ」
ハンスの顔を見て、マチルダは声をあげました。
「この子たちは?」
「みんなぼくの旅の仲間です。アリーナにセイルンに、そしてチャックです」
マチルダはハンスたちを歓迎するためにごちそうを作ります。
ハンスからピエールたちの話を聞いて、みんな無事であると知ってマチルダは安心したようです。
ロレンゾも久し振りにハンスの顔を見てうれしそうですが、マルスの方は、この四人の子供が何者なのかわからず、とまどっているようです。精一杯あいそ良くふるまっていますが、ぎこちない感じがするのは、正直な人間は元来、社交的な演技がへただからです。つまり、うそとほんとの使い分けができないのですね。女の人の場合は、だいたい演技がうまいものですが、男にはこういう正直な不器用者が昔は多かったのです。
その四十八 四つめの詩
「天国の鍵か? さあなあ。昔、わしの師匠からこういう詩を聞いたことがあるが、それかな」
ハンスから話を聞いて、ロレンゾは言いました。
「どんな詩です?」
チャックが待ちきれないように言いました。
ロレンゾは目をつぶって、詩を思い出し、やがて暗誦(あんしょう)しました。
「水晶の湖の中、
薔薇色の明け方の光のごとく
金剛石の瞳を輝かせ
一千の魚が遊ぶ。
水に網を、
風の矛がきらめく場に
黄金の網を打てば、
輝く魚が一尾得られよう」
ハンスはその詩を暗記しました。
ハンスとチャックは、これまでに聞いた三つの詩をロレンゾに聞かせて、その意味がわかるかどうか聞いてみましたが、ロレンゾは首を横に振りました。
「こういうものは、わしは苦手じゃ」
話を聞いていたマチルダが、口をはさみました。
「アンドレに考えてもらったらどうかしら」
「そうじゃ、アンドレがいた。しかし、アルカードは遠いからなあ」
それを聞いて、セイルンが言います。
「そのアンドレという人はアルカードにいるんですか? 大丈夫です。アルカードくらい、半日もあれば行けます」
ほう、とロレンゾはおどろいてセイルンを見ました。
マルスたちの家で一晩泊めてもらった後、ハンスたちは翌日アルカードに出発しました。
出発といっても、セイルンの呼び寄せた雲に乗るだけですから気楽なものです。ただし、アルカードはアスカルファンよりもずっと寒いので、ハンスとアリーナは厚着をし、今回は、動物たちはマルスの家であずかってもらうことにしました。マルスの子供のオズモンドは、ジルバやピントと遊べるので大喜びです。
半日どころか、雲に乗っておよそ三時間でアルカードに着きました。
アルカードのスオミラという町にアンドレという人はいると聞いたので、チャックに上空から教えてもらって、四人はスオミラの町の近くに降りました。
スオミラはまわりを城壁にかこまれた城塞(じょうさい)都市でした。
雲に乗って空から下界を見ると、不思議な感じです。すべてが小さく遠くなり、その中にいると果ての見えない大きな砂漠の果てもちゃんと見えます。すべて、全体を知るためには遠くにはなれる必要があるのでしょう。近くで見ないと見えないものもあるし、遠くにいないと見えないものもあるのです。
目の下を流れる雲に一部はかくれていますが、後方にはルメトトと出会った神殿が、ずっと遠くを見ると、砂漠のはずれのほうにはアズマハルの町も見えます。そして、雲が進んでいく方向には、地平の果てに青い線が見えます。あれがボワロンの海岸でしょう。
やがてハンスたちの乗った雲は海の上に出ました。アスカルファンとボワロンをへだてる内海はそれほど大きいものではありません。それでも船なら四、五日はかかる距離ですが、そこをおよそ三時間ほどで渡り終え、雲に乗ってからおよそ半日後にハンスたちはアスカルファンに着きました。
「ひええ、もう着いちゃった」
アリーナが嘆声(たんせい)をあげました。
アスカルファンの東の山脈のふもとにあるカザフの村に雲は下りていきます。その村はずれのマルスとマチルダの家にロレンゾはいます。
グリセリードからパーリにかけて、南国を通ってきたので、あまり気づきませんでしたが、季節はすっかり冬になっています。山の近くはもう雪がつもっています。
「ううっ、寒い」
アリーナがぶるっとふるえました。この仲間の中では、ふつうの人間であるハンスとアリーナが、やはり暑さや寒さに弱いようです。
ハンスたちはマルスの家まで歩いていきました。
マルスの家の煙突からは、あたたかそうな煙が出ています。
「あら、ハンスじゃない。アスカルファンにもどったのね。無事でよかったわ」
ハンスの顔を見て、マチルダは声をあげました。
「この子たちは?」
「みんなぼくの旅の仲間です。アリーナにセイルンに、そしてチャックです」
マチルダはハンスたちを歓迎するためにごちそうを作ります。
ハンスからピエールたちの話を聞いて、みんな無事であると知ってマチルダは安心したようです。
ロレンゾも久し振りにハンスの顔を見てうれしそうですが、マルスの方は、この四人の子供が何者なのかわからず、とまどっているようです。精一杯あいそ良くふるまっていますが、ぎこちない感じがするのは、正直な人間は元来、社交的な演技がへただからです。つまり、うそとほんとの使い分けができないのですね。女の人の場合は、だいたい演技がうまいものですが、男にはこういう正直な不器用者が昔は多かったのです。
その四十八 四つめの詩
「天国の鍵か? さあなあ。昔、わしの師匠からこういう詩を聞いたことがあるが、それかな」
ハンスから話を聞いて、ロレンゾは言いました。
「どんな詩です?」
チャックが待ちきれないように言いました。
ロレンゾは目をつぶって、詩を思い出し、やがて暗誦(あんしょう)しました。
「水晶の湖の中、
薔薇色の明け方の光のごとく
金剛石の瞳を輝かせ
一千の魚が遊ぶ。
水に網を、
風の矛がきらめく場に
黄金の網を打てば、
輝く魚が一尾得られよう」
ハンスはその詩を暗記しました。
ハンスとチャックは、これまでに聞いた三つの詩をロレンゾに聞かせて、その意味がわかるかどうか聞いてみましたが、ロレンゾは首を横に振りました。
「こういうものは、わしは苦手じゃ」
話を聞いていたマチルダが、口をはさみました。
「アンドレに考えてもらったらどうかしら」
「そうじゃ、アンドレがいた。しかし、アルカードは遠いからなあ」
それを聞いて、セイルンが言います。
「そのアンドレという人はアルカードにいるんですか? 大丈夫です。アルカードくらい、半日もあれば行けます」
ほう、とロレンゾはおどろいてセイルンを見ました。
マルスたちの家で一晩泊めてもらった後、ハンスたちは翌日アルカードに出発しました。
出発といっても、セイルンの呼び寄せた雲に乗るだけですから気楽なものです。ただし、アルカードはアスカルファンよりもずっと寒いので、ハンスとアリーナは厚着をし、今回は、動物たちはマルスの家であずかってもらうことにしました。マルスの子供のオズモンドは、ジルバやピントと遊べるので大喜びです。
半日どころか、雲に乗っておよそ三時間でアルカードに着きました。
アルカードのスオミラという町にアンドレという人はいると聞いたので、チャックに上空から教えてもらって、四人はスオミラの町の近くに降りました。
スオミラはまわりを城壁にかこまれた城塞(じょうさい)都市でした。
その四十五 善と悪の議論
セイルンは、生意気な口調でハンスたちに言いました。
「老師が、お前もハンスたちといっしょに天国の鍵をさがせと言ったんだ。おれはべつに天国なんか興味(きょうみ)ないけどね」
そして、セイルンは、ハンスたちのそばにいるチャックを見ていいました。
「なんで小悪魔がおまえたちといっしょにいるんだ」
チャックはむっとした顔で言いました。
「お前こそ、竜の子供だろう。なんで人間のふりをしている」
ハンスたちはあきれて二人の言い合いを見ていました。
チャックはアリーナに向かって弁解(べんかい、いいわけのこと)するように言いました。
「こいつの言うとおり、ぼくは実は悪魔なんだ。でも、悪魔の中でも人間に近い種類でね。まあ、悪魔というよりは妖精と言ったほうがいいくらいで、確かに人間の道徳にはまったくしばられないから、人間から見たら悪いこともするが、それはぼくらにとっては悪でもなんでもないんだ。悪という観念がぼくらにはまったくないんだよ」
「ようするに、大人なみの知能を持った赤ちゃんなんだ」
セイルンがあざ笑うように言いました。こっちのほうは、見かけは七、八歳くらいなのに、言うことは大人びています。
「なんで悪魔が天国の鍵をさがすんだ?」
ハンスが聞くと、チャックは笑って言いました。
「おもしろそうだからさ」
「しかし、地上が天国になったら、君たちは消えてしまうかもしれないぜ」
「それもいいさ。ぼくには自己保身の欲望なんかない。その点、人間なんかよりずっと天上的な生き物さ」
「悪魔が天上的とはお笑いだな」
セイルンが言うと、チャックも言い返します。
「お前の師匠のロンコンも、ブッダルタとやらもわかっていない。この世になぜ悪があるのかということをな。その点、ルメトトはさすがだ。ちゃんと悪の存在意義を知っていた」
「悪魔の自己弁護を聞いていると、まるで悪が善よりも善みたいな気がしてくるぜ」
「まあ、考えてみるがいい。この世の人間がみんなロンコンやブッダルタみたいになったとしたらどうだ。地上がそのまま天国になるとはそういうことだ。そんな世界の何が面白い。我々がいるからこそ、この世はこんなにも面白い世界になっているのではないか」
「悪の存在意義とは、この世を面白くすることか。では、その悪のために悲しみ、嘆く被害者たちはどうなる」
「そんなのは俺たちの知ったことじゃない」
その四十六 四人と四匹
セイルンは、ハンスたちの方を向いて言いました。
「こいつの言うことを聞いちゃあいけないぜ。悪魔というやつは、口からでまかせが得意なんだ。こいつは、最初は自分には悪の観念は無い、なんて言っていて、いつのまにか悪の弁護をしている。つまり、ちゃんと悪が悪いという自覚はあるんだ。悪魔と議論したって意味がないんだ。なぜって、悪魔には、論理に従おうという気持ちはまったくないからな。わがままな赤ん坊と議論をするようなものさ」
それにしても、チャックが悪魔だというのにはおどろきました。しかも、その悪魔が天国の鍵をさがしているなんて、どうなっているんでしょう。ハンスとアリーナは、このままチャックを仲間にしていていいのかどうか、まよいました。
「チャック、もし君が仲間になりたいなら、ぼくたちには危害を加えないと約束してくれ」
ハンスの言葉に、チャックはうなずきました。
「ベルゼブルの名にかけて誓おう。君たちには危害は加えない」
ハンスはセイルンを見ました。セイルンは肩をすくめて、まあいいだろうという顔をしました。
「おれたちは、このままパーリにとどまるから、これでお前たちとはお別れだ。元気でな」
ピエールが言うと、ヴァルミラが
「パーリでの仕事が終わったら、またアスカルファンで会いましょう」
と言いました。
「お父さんの敵討ちは終わったのですか?」
ハンスが聞くと、ヴァルミラは少しさびしそうな笑顔でうなずきました。
「ええ。これでもう私には何もすることがないわ。復讐という血生臭い仕事ですら、何も生き甲斐がないよりはましね」
「何を言うの。あなたほどすべての能力に恵まれた人はいないのに」
ヤクシーがヴァルミラをはげまします。ハンスたちにはよくわからない話ですが、父親の敵討ちは、ヴァルミラには満足よりも空しさを感じさせるものであったようです。
ハンスたちはピエールたちに別れをつげて、ボワロンに向かって出発しました。これからは子供だけ四人です。しかも、そのうち二人は人間ではありません。いったい、これからどうなることでしょう。
「めんどうだから、おれがみんなを雲に乗せてやろう」
セイルンが言いました。なるほど、竜と雲はつきものです。
セイルンが空を向いて、口笛のような鋭い声をあげると、たちまち空中に雲があらわれました。
人間だけでなく、猿のジルバ、犬のピント、驢馬のグスタフまでみんな雲に乗ります。オウムのパロは最初自分で飛ぼうとしましたが、雲の方が速いので、これも乗りました。
その四十三 旅の行く先
「どうだい、これからしばらくいっしょに旅をしようじゃないか。そうすれば、きっと天国の鍵をさがす仕事もやりやすいだろうし」
チャックがハンスたちに言いました。
「それがいいわ。ねえ、ハンス?」
アリーナがうれしそうにハンスに言います。
ハンスは本当はチャックを仲間に入れたくなかったのですが、しぶしぶうなずきました。
「これで、三つのてがかりがわかった。あとは、この詩の意味をゆっくり考えて、ほかにてがかりがないか探しながら旅を続けよう」
チャックが言いました。すっかり三人の中のリーダー気取りです。
「さっきのルメトトの言葉は覚えたかい?」
チャックはハンスに言いました。アリーナはびっくりしてチャックに聞きました。
「あの影みたいな男と何か話したの? ただ黙って見つめあっていただけかと思った」
「心で話したのさ。一度に二人の人間の心に語りかけるなんて、さすがは三千年も生きているだけある」
チャックの言葉にアリーナはもう一度びっくりします。
「しかし、サファイアの菫とは何だろうな。本当にサファイアで作った飾り物なのか、それともただの菫のことなのか」
ハンスがつぶやくように言うと、チャックが笑って言いました。
「菫のことは知らないが、ヘルメスが出没する小部屋はたぶん、ソクラトンの部屋のことだ。ソクラトンの住むところは、まさしく、叡智の森の中だし、実際にその家のそばには黒い松が生えているんだ。ぼくはもう一度ソクラトンのところに行くはめになりそうだ。こんなことがあるから、今まで多くの者が天国の鍵を探すのをあきらめたのさ」
「しかし、ソクラトンのことが何で三千年前の詩によまれているんだよ。ソクラトンはふつうの人間だろう。まさかルメトトみたいに三千年も生きているわけじゃあるまい?」
「いつも同じ詩だとはかぎらないさ。ルメトトほどの大魔術師なら、世界のすべてをわかっていてもおかしくはない。その時その時で天国の鍵となる言葉も変わるのかもしれない」
チャックの言葉に、またアリーナが口をはさみました。
「なんだ、天国の鍵って、ただの言葉なの? つまんない」
それはハンスも同じ気持ちでしたが、しかし、それが一つの言葉だったとしても、本当にそれで地上が天国に変わるのなら、探す価値はあるという気もします。考えれば、大昔からあらゆる賢者や宗教家、哲学者がさがしてきたのもそれなのではないでしょうか。
「これからどうする? ぼくはアスカルファンのロレンゾに会いに行くつもりだが」
チャックの言葉に、ハンスはおどろきました。やはり、七人の大魔法使いの一人はロレンゾだったのです。
その四十四 再会
「ぼくたちもアスカルファンに行こう。ロータシアに行く前に天国の鍵のてがかりはすべて集めておきたいし、どうせアルカードに行くとちゅうなんだから」
ハンスの言葉にチャックはうなずきました。
「それでいいかい、アリーナ?」
ハンスはアリーナに聞きました。アリーナにとっては、完全にグリセリードの外に出ることになりますから、心細いでしょう。
「もちろんいいわよ。アスカルファンやアルカードを見るのは楽しみだわ」
ハンスだけを相手にしている時とちがって、なんだか上品な口ぶりでアリーナは答えました。
「さて、アスカルファンに行くとなれば、ここから砂漠を横切って西に行き、ボワロンの北の海岸から船に乗ることになるな」
チャックが言うと、アリーナが聞きました。
「あんたたち、空を飛べるんじゃないの?」
「浮かぶのはできるが、飛ぶのはむずかしいな。精神の集中は、限度がある。あまり長い時間はできないんだ。高いところから落ちるとあぶないし、精神も疲れるからね」
チャックが答えます。
「そうか」
とアリーナは納得(なっとく)しました。
その晩は、砂漠の星空を見ながら眠り、翌日、三人は砂漠の北西のボワロンに向かって出発しました。
三人が歩き出して数時間たった頃、上空を飛んでいたパロが何かを見つけて下りてきました。そして、言いました。
「東のほうから、ピエールたちが来る」
ハンスとアリーナは大喜びしました。もしかしたら、ピエールたちはグリセリードで捕らえられて、殺されたのではないかと心配していたのです。
砂漠の彼方から、ラクダに乗って駈(か)けて来るのは、本当にピエールとヤクシーとヴァルミラです。ヤクシーのラクダには、もう一人乗ってますが、だれなのでしょう。
「やあ、ハンス、シルベラ、元気そうだな」
ピエールは、ひらりとラクダから飛び下りて、ハンスとアリーナを抱きしめました。続いて、ヤクシーとヴァルミラも下ります。ヤクシーといっしょに乗っていた子供も下りました。見ると、ロンコンのところにいたセイルンではありませんか。どうしてこの子がピエールたちといるのだろう、というハンスの疑問に答えるようにピエールが言いました。
「この子はセイルンだ。おれたちとアズマハルで遭(あ)って、ハンスたちの後を追っているというんで連れてきたんだ」
「どうだい、これからしばらくいっしょに旅をしようじゃないか。そうすれば、きっと天国の鍵をさがす仕事もやりやすいだろうし」
チャックがハンスたちに言いました。
「それがいいわ。ねえ、ハンス?」
アリーナがうれしそうにハンスに言います。
ハンスは本当はチャックを仲間に入れたくなかったのですが、しぶしぶうなずきました。
「これで、三つのてがかりがわかった。あとは、この詩の意味をゆっくり考えて、ほかにてがかりがないか探しながら旅を続けよう」
チャックが言いました。すっかり三人の中のリーダー気取りです。
「さっきのルメトトの言葉は覚えたかい?」
チャックはハンスに言いました。アリーナはびっくりしてチャックに聞きました。
「あの影みたいな男と何か話したの? ただ黙って見つめあっていただけかと思った」
「心で話したのさ。一度に二人の人間の心に語りかけるなんて、さすがは三千年も生きているだけある」
チャックの言葉にアリーナはもう一度びっくりします。
「しかし、サファイアの菫とは何だろうな。本当にサファイアで作った飾り物なのか、それともただの菫のことなのか」
ハンスがつぶやくように言うと、チャックが笑って言いました。
「菫のことは知らないが、ヘルメスが出没する小部屋はたぶん、ソクラトンの部屋のことだ。ソクラトンの住むところは、まさしく、叡智の森の中だし、実際にその家のそばには黒い松が生えているんだ。ぼくはもう一度ソクラトンのところに行くはめになりそうだ。こんなことがあるから、今まで多くの者が天国の鍵を探すのをあきらめたのさ」
「しかし、ソクラトンのことが何で三千年前の詩によまれているんだよ。ソクラトンはふつうの人間だろう。まさかルメトトみたいに三千年も生きているわけじゃあるまい?」
「いつも同じ詩だとはかぎらないさ。ルメトトほどの大魔術師なら、世界のすべてをわかっていてもおかしくはない。その時その時で天国の鍵となる言葉も変わるのかもしれない」
チャックの言葉に、またアリーナが口をはさみました。
「なんだ、天国の鍵って、ただの言葉なの? つまんない」
それはハンスも同じ気持ちでしたが、しかし、それが一つの言葉だったとしても、本当にそれで地上が天国に変わるのなら、探す価値はあるという気もします。考えれば、大昔からあらゆる賢者や宗教家、哲学者がさがしてきたのもそれなのではないでしょうか。
「これからどうする? ぼくはアスカルファンのロレンゾに会いに行くつもりだが」
チャックの言葉に、ハンスはおどろきました。やはり、七人の大魔法使いの一人はロレンゾだったのです。
その四十四 再会
「ぼくたちもアスカルファンに行こう。ロータシアに行く前に天国の鍵のてがかりはすべて集めておきたいし、どうせアルカードに行くとちゅうなんだから」
ハンスの言葉にチャックはうなずきました。
「それでいいかい、アリーナ?」
ハンスはアリーナに聞きました。アリーナにとっては、完全にグリセリードの外に出ることになりますから、心細いでしょう。
「もちろんいいわよ。アスカルファンやアルカードを見るのは楽しみだわ」
ハンスだけを相手にしている時とちがって、なんだか上品な口ぶりでアリーナは答えました。
「さて、アスカルファンに行くとなれば、ここから砂漠を横切って西に行き、ボワロンの北の海岸から船に乗ることになるな」
チャックが言うと、アリーナが聞きました。
「あんたたち、空を飛べるんじゃないの?」
「浮かぶのはできるが、飛ぶのはむずかしいな。精神の集中は、限度がある。あまり長い時間はできないんだ。高いところから落ちるとあぶないし、精神も疲れるからね」
チャックが答えます。
「そうか」
とアリーナは納得(なっとく)しました。
その晩は、砂漠の星空を見ながら眠り、翌日、三人は砂漠の北西のボワロンに向かって出発しました。
三人が歩き出して数時間たった頃、上空を飛んでいたパロが何かを見つけて下りてきました。そして、言いました。
「東のほうから、ピエールたちが来る」
ハンスとアリーナは大喜びしました。もしかしたら、ピエールたちはグリセリードで捕らえられて、殺されたのではないかと心配していたのです。
砂漠の彼方から、ラクダに乗って駈(か)けて来るのは、本当にピエールとヤクシーとヴァルミラです。ヤクシーのラクダには、もう一人乗ってますが、だれなのでしょう。
「やあ、ハンス、シルベラ、元気そうだな」
ピエールは、ひらりとラクダから飛び下りて、ハンスとアリーナを抱きしめました。続いて、ヤクシーとヴァルミラも下ります。ヤクシーといっしょに乗っていた子供も下りました。見ると、ロンコンのところにいたセイルンではありませんか。どうしてこの子がピエールたちといるのだろう、というハンスの疑問に答えるようにピエールが言いました。
「この子はセイルンだ。おれたちとアズマハルで遭(あ)って、ハンスたちの後を追っているというんで連れてきたんだ」
その四十一 二つめの詩
おたがいの知っていることを教えあおうという少年チャックの申し出を、ハンスは承知する(OKする)ことにしました。アルカードもいずれ行ってみたいと思ってはいますが、これからアルカードまで旅しても、ソクラトンに会えるかどうかわからないのですから。
「わかった、じゃあぼくから言おう。これは、グリセリードのロンコンからもらった巻物だ」
ハンスは巻物を広げて、それをながめながら、パロに何度も言ってもらって暗記している詩を読みました。
「賢者の庭、黄金の戸口の中、
七つの噴水のそば、見張るはヘスペリアの竜。
聖なる見者の夢の中、
永遠に燃える枝のように、アジアの教会の印のように、
あの栄光の噴出が現れる。
魔法の水を三度、
翼竜は飲み干さねばならない。
その時、うろこははじけとび、心臓は二つに裂けるだろう。
放たれた流れに聖なる形が現れ、
太陽と月に助けられ、
魔法の鍵はお前のものになるだろう」
聞き終わって、チャックはむずかしい顔で考えこみました。
ハンスが、チャックに知っていることを言うようにさいそくすると、彼は自分の巻物を広げて読み上げました。
「古き山々のあいだ、頂きは太陽に近く
久遠の流れは黄金の河となり
地の王侯の無数の宝を流す。
されど、驚異の石輝く古き山々を求めんとすれば、
遥かまで、彼方まで
未知の国を越え、海を越え
人は彷徨を余儀なくされん」
ハンスは、肩にとまっているパロにその詩を覚えてもらいました。
「この詩はわかりやすいな。ようするに、天国の鍵があるのは、未知の大陸、つまりロータシアだということだろう」
ハンスが言うと、チャックは答えました。
「たぶんそうだろうが、ぼくの勘では、ただそこに行くだけでは天国の鍵は得られない気がする。つまり、むだな彷徨(ほうこう、さすらうこと)をしてしまうんだ」
その四十二 三つめの詩
砂漠の彼方に日がしずみかかっています。
神殿の奥のほうで、火がつくような物音がして、三人が振り返ると、祭壇(さいだん)に灯がともり、そこに人影がありました。いつの間にそこにいたのでしょう。
「*******、******!」
ハンスたちにはわからない言葉でその男が言いました。ハンスは心で相手に伝えました。
(あなたはもしかしたらルメトトですか? ぼくらは賢者ルメトトを探しているのです)
(私がルメトトだ。で、私に何の用だ)
(私たちは天国の鍵をさがしているのです)
(むだなことだ。この世に善が必要なように、悪も必要なのだ。悪のない世界など、人間の世界ではない。天国など、死んでから行けばいいのだ)
(では、何も教えていただけないのですか)
(教えてやろう。行為の空しさを知るために行なう行為は空しい行為ではない。賢者アロンゾのすべての栄光はただ「空」の一語を知るためにあったのだ。聞け、そして覚えよ。この詩が天国への鍵の一つなのだ)
ハンスはあっと思いました。天国への鍵とは、物ではなく、言葉だったのでしょうか。
(荘厳な叡智の森の中、黒い松が影を投げる場所、
ヘルメスが出没する小部屋の近く、
三つの素晴らしい小花が咲く。
あらゆる花の香りに優るダマスコ薔薇
乳白の純潔の百合
紫の愛の花。
赤い太陽は汝にしるしを与えるであろう。
その場はサファイアの菫が輝くところ
見えない黄金の流れに潤うところ
汝、一本の菫を求めよ。
されど、嗚呼、気をつけよ、
百合とアマランスは細心の世話を要する)
ハンスはその言葉を必死で覚えました。なにしろ、これは心に語りかけられた言葉ですから、パロをたよりにするわけにはいきません。ふだん物を覚えることをさぼっていると、こういう時には大変です。
(私がお前に教えるのはこれだけだ。さあ、もう行け。私はもう三千年も生きて、お前たちのような者に会うのにはあきあきしておるのだ)
ルメトトは、その影のような姿の手を振って、ハンスたちを追い払うようなしぐさをしました。ハンスたちはしかたなくその神殿から出て行きました。
おたがいの知っていることを教えあおうという少年チャックの申し出を、ハンスは承知する(OKする)ことにしました。アルカードもいずれ行ってみたいと思ってはいますが、これからアルカードまで旅しても、ソクラトンに会えるかどうかわからないのですから。
「わかった、じゃあぼくから言おう。これは、グリセリードのロンコンからもらった巻物だ」
ハンスは巻物を広げて、それをながめながら、パロに何度も言ってもらって暗記している詩を読みました。
「賢者の庭、黄金の戸口の中、
七つの噴水のそば、見張るはヘスペリアの竜。
聖なる見者の夢の中、
永遠に燃える枝のように、アジアの教会の印のように、
あの栄光の噴出が現れる。
魔法の水を三度、
翼竜は飲み干さねばならない。
その時、うろこははじけとび、心臓は二つに裂けるだろう。
放たれた流れに聖なる形が現れ、
太陽と月に助けられ、
魔法の鍵はお前のものになるだろう」
聞き終わって、チャックはむずかしい顔で考えこみました。
ハンスが、チャックに知っていることを言うようにさいそくすると、彼は自分の巻物を広げて読み上げました。
「古き山々のあいだ、頂きは太陽に近く
久遠の流れは黄金の河となり
地の王侯の無数の宝を流す。
されど、驚異の石輝く古き山々を求めんとすれば、
遥かまで、彼方まで
未知の国を越え、海を越え
人は彷徨を余儀なくされん」
ハンスは、肩にとまっているパロにその詩を覚えてもらいました。
「この詩はわかりやすいな。ようするに、天国の鍵があるのは、未知の大陸、つまりロータシアだということだろう」
ハンスが言うと、チャックは答えました。
「たぶんそうだろうが、ぼくの勘では、ただそこに行くだけでは天国の鍵は得られない気がする。つまり、むだな彷徨(ほうこう、さすらうこと)をしてしまうんだ」
その四十二 三つめの詩
砂漠の彼方に日がしずみかかっています。
神殿の奥のほうで、火がつくような物音がして、三人が振り返ると、祭壇(さいだん)に灯がともり、そこに人影がありました。いつの間にそこにいたのでしょう。
「*******、******!」
ハンスたちにはわからない言葉でその男が言いました。ハンスは心で相手に伝えました。
(あなたはもしかしたらルメトトですか? ぼくらは賢者ルメトトを探しているのです)
(私がルメトトだ。で、私に何の用だ)
(私たちは天国の鍵をさがしているのです)
(むだなことだ。この世に善が必要なように、悪も必要なのだ。悪のない世界など、人間の世界ではない。天国など、死んでから行けばいいのだ)
(では、何も教えていただけないのですか)
(教えてやろう。行為の空しさを知るために行なう行為は空しい行為ではない。賢者アロンゾのすべての栄光はただ「空」の一語を知るためにあったのだ。聞け、そして覚えよ。この詩が天国への鍵の一つなのだ)
ハンスはあっと思いました。天国への鍵とは、物ではなく、言葉だったのでしょうか。
(荘厳な叡智の森の中、黒い松が影を投げる場所、
ヘルメスが出没する小部屋の近く、
三つの素晴らしい小花が咲く。
あらゆる花の香りに優るダマスコ薔薇
乳白の純潔の百合
紫の愛の花。
赤い太陽は汝にしるしを与えるであろう。
その場はサファイアの菫が輝くところ
見えない黄金の流れに潤うところ
汝、一本の菫を求めよ。
されど、嗚呼、気をつけよ、
百合とアマランスは細心の世話を要する)
ハンスはその言葉を必死で覚えました。なにしろ、これは心に語りかけられた言葉ですから、パロをたよりにするわけにはいきません。ふだん物を覚えることをさぼっていると、こういう時には大変です。
(私がお前に教えるのはこれだけだ。さあ、もう行け。私はもう三千年も生きて、お前たちのような者に会うのにはあきあきしておるのだ)
ルメトトは、その影のような姿の手を振って、ハンスたちを追い払うようなしぐさをしました。ハンスたちはしかたなくその神殿から出て行きました。
その三十九 独立の戦いについて
パーリの国は、お隣のボワロンという国に侵略(しんりゃく、攻められること)されて、国民はみなボワロンの人たちに仕えていますが、ボワロンはもともとグリセリードに仕えている国なので、パーリも今はグリセリードの一部みたいなものです。でも、パーリの人々はなんとかしてボワロンやグリセリードの支配(しはい、治めること)からぬけだしたいと思っているのです。
こんなのは昔の話だと思っている人がいたら、それは大間違いです。今でも、世界中のあちこちの国で、国の一部が独立しようとして大騒ぎを起こすのは、もともとそれらの国が別の国だったからです。日本だって、沖縄なんかは明治時代になって、強引に日本の一部にされた国です。すっかりその国の一部になった後では、今さら独立してもしょうがない、という考えもありますけど、吸収された国がその国の中で差別的な扱いを受けていたら、独立運動を起こすのも当然でしょう。だから、たとえば、アイルランドのように独立のために暴力的な事件があったとしても、事件を起こす側だけを一方的に責めるわけにはいかないのです。平和的に解決できれば、それが一番なんですけどね。残念ながら、平和的な話し合いでは、ちっとも相手の言い分に耳を貸さない人たちが多すぎるのです。なぜかというと、それらの地方を独立させないことが、その国全体の利益、あるいはその国を支配する人たちや階級の利益だからです。もちろん、その地方の人たちの大部分は不利益を受けているわけですが、現実の世界は、道理(どうり、正しいこと)ではなく力によって動くものです。
数の多さも力です。たとえば、多数決(たすうけつ)が常に正しいなら、三百円を三人で分けるのに、A君とB君の二人が、C君をのけものにして、二人で百五十円ずつ分けようと決めれば、これも多数決にしたがった決定だということになります。これって変ですよね? 君がC君なら、どうします? だから、大事なのは、それが道義(どうぎ、人間として本当に正しいこと)に合っているかどうかであって、形式的(けいしきてき、うわべや形)に正しいかどうかではないのです。
まあ、これはただのお話だから、現実はまた別さ、と思う人には、こう言っておきましょう。お話が面白いのは、それがうそだから、というのも正しいのですが、それが本当だから、という点もあるのです。むしろ、すべてうそで物語を作るほうがむずかしいことでしょう。もちろん、それらの「本当」は、作者の目から見ての本当なのであって、他人から見たらゆがんだ見方ということになります。しかし、人それぞれの見方はすべてゆがんでいるのです。自分の見方はゆがんでいないと言い張る人(特に、特定の宗教を信じる人に多いのですが)ほどこわいものはありません。自分は間違っているかもしれないという謙虚(けんきょ、ひかえめなこと)な人間のほうが、間違うことは少ないのです。
作者のおしゃべりが多くて、ずいぶん変なお話だなあ、とお思いでしょうが、これはそういうお話なのです。脱線のところこそ、いずれあなたたちの役にたちます。
その四十 魔法使いチャック
パーリに入って十日ほど歩くと、前方に岩山が見えました。そして、ハンスが目をこらして見ると、そのふもとには神殿らしいものが見えます。
ハンスたちはその神殿に向かって進んでいきました。
神殿のまわりには、町も村もありません。砂漠の中に、神殿だけがあるのです。
神殿に近づくと、どうやら廃墟のようで、人のいる気配(けはい)はありません。とにかく、ハンスとアリーナは、ここで一休みすることにしました。
少し昼寝をして、ハンスが目をさますと、ピントがううっと低くうなりました。ピントがうなった方角を見ると、砂漠の向こうに、小さな人影が見えます。こちらに近づいてくるようです。
(あやしい奴が近づいてきますよ)
とピントの心はハンスに言っています。
やがてその人影は完全に人のすがたになりました。十二、三歳くらいの少年です。アスカルファン風の身なりをした、金髪の少年です。
その少年は笑顔を浮かべて、ハンスとアリーナに近づきます。なんとハンサムな少年でしょう。アリーナが一目でぽーっとなったのが、ハンスにはわかりました。
「やあ、君たちも天国の鍵を探しているのかい」
金髪の少年は、アリーナに目を向けて言いました。ハンスのほうは無視しているようで、ハンスはおもしろくありません。
「あなたもなの? じゃあ、あなたも魔法使い?」
少年はうなずいて、右手をぱっと一振りしました。すると、その手には、一輪の真っ赤なバラの花が現れました。少年は、軽くおじぎをしてそのバラをアリーナにささげました。アリーナは大喜びです。女の人がおくりものに弱いのは、いつの世もかわりません。
(ちえっ、あんなの、魔法じゃなくて手品だ)とハンスは心の中で考えましたが、口には出せません。男のヤキモチはみっともないですからね。
「ぼくの名前はチャック。君たちは?」
「私はアリーナ、この子はハンス」
(この子、なんて言い方はないだろう)とまたしてもハンスは心で考えます。たしかに、なにか、よそよそしい言い方です。
「ぼくは、アルカードから来たんだ。そこで、ソクラトンという賢者に会って、天国の鍵のてがかりとなる巻物をもらった。でも、それだけではよくわからないから、もしも君たちが知っているてがかりがあったら、教えてくれないか。ぼくのてがかりも教えるから」
アリーナはハンスの顔を見ました。
ハンスは少しまよいました。せっかく苦労して手に入れた巻物を、こんな正体不明の少年に見せていいものでしょうか。
パーリの国は、お隣のボワロンという国に侵略(しんりゃく、攻められること)されて、国民はみなボワロンの人たちに仕えていますが、ボワロンはもともとグリセリードに仕えている国なので、パーリも今はグリセリードの一部みたいなものです。でも、パーリの人々はなんとかしてボワロンやグリセリードの支配(しはい、治めること)からぬけだしたいと思っているのです。
こんなのは昔の話だと思っている人がいたら、それは大間違いです。今でも、世界中のあちこちの国で、国の一部が独立しようとして大騒ぎを起こすのは、もともとそれらの国が別の国だったからです。日本だって、沖縄なんかは明治時代になって、強引に日本の一部にされた国です。すっかりその国の一部になった後では、今さら独立してもしょうがない、という考えもありますけど、吸収された国がその国の中で差別的な扱いを受けていたら、独立運動を起こすのも当然でしょう。だから、たとえば、アイルランドのように独立のために暴力的な事件があったとしても、事件を起こす側だけを一方的に責めるわけにはいかないのです。平和的に解決できれば、それが一番なんですけどね。残念ながら、平和的な話し合いでは、ちっとも相手の言い分に耳を貸さない人たちが多すぎるのです。なぜかというと、それらの地方を独立させないことが、その国全体の利益、あるいはその国を支配する人たちや階級の利益だからです。もちろん、その地方の人たちの大部分は不利益を受けているわけですが、現実の世界は、道理(どうり、正しいこと)ではなく力によって動くものです。
数の多さも力です。たとえば、多数決(たすうけつ)が常に正しいなら、三百円を三人で分けるのに、A君とB君の二人が、C君をのけものにして、二人で百五十円ずつ分けようと決めれば、これも多数決にしたがった決定だということになります。これって変ですよね? 君がC君なら、どうします? だから、大事なのは、それが道義(どうぎ、人間として本当に正しいこと)に合っているかどうかであって、形式的(けいしきてき、うわべや形)に正しいかどうかではないのです。
まあ、これはただのお話だから、現実はまた別さ、と思う人には、こう言っておきましょう。お話が面白いのは、それがうそだから、というのも正しいのですが、それが本当だから、という点もあるのです。むしろ、すべてうそで物語を作るほうがむずかしいことでしょう。もちろん、それらの「本当」は、作者の目から見ての本当なのであって、他人から見たらゆがんだ見方ということになります。しかし、人それぞれの見方はすべてゆがんでいるのです。自分の見方はゆがんでいないと言い張る人(特に、特定の宗教を信じる人に多いのですが)ほどこわいものはありません。自分は間違っているかもしれないという謙虚(けんきょ、ひかえめなこと)な人間のほうが、間違うことは少ないのです。
作者のおしゃべりが多くて、ずいぶん変なお話だなあ、とお思いでしょうが、これはそういうお話なのです。脱線のところこそ、いずれあなたたちの役にたちます。
その四十 魔法使いチャック
パーリに入って十日ほど歩くと、前方に岩山が見えました。そして、ハンスが目をこらして見ると、そのふもとには神殿らしいものが見えます。
ハンスたちはその神殿に向かって進んでいきました。
神殿のまわりには、町も村もありません。砂漠の中に、神殿だけがあるのです。
神殿に近づくと、どうやら廃墟のようで、人のいる気配(けはい)はありません。とにかく、ハンスとアリーナは、ここで一休みすることにしました。
少し昼寝をして、ハンスが目をさますと、ピントがううっと低くうなりました。ピントがうなった方角を見ると、砂漠の向こうに、小さな人影が見えます。こちらに近づいてくるようです。
(あやしい奴が近づいてきますよ)
とピントの心はハンスに言っています。
やがてその人影は完全に人のすがたになりました。十二、三歳くらいの少年です。アスカルファン風の身なりをした、金髪の少年です。
その少年は笑顔を浮かべて、ハンスとアリーナに近づきます。なんとハンサムな少年でしょう。アリーナが一目でぽーっとなったのが、ハンスにはわかりました。
「やあ、君たちも天国の鍵を探しているのかい」
金髪の少年は、アリーナに目を向けて言いました。ハンスのほうは無視しているようで、ハンスはおもしろくありません。
「あなたもなの? じゃあ、あなたも魔法使い?」
少年はうなずいて、右手をぱっと一振りしました。すると、その手には、一輪の真っ赤なバラの花が現れました。少年は、軽くおじぎをしてそのバラをアリーナにささげました。アリーナは大喜びです。女の人がおくりものに弱いのは、いつの世もかわりません。
(ちえっ、あんなの、魔法じゃなくて手品だ)とハンスは心の中で考えましたが、口には出せません。男のヤキモチはみっともないですからね。
「ぼくの名前はチャック。君たちは?」
「私はアリーナ、この子はハンス」
(この子、なんて言い方はないだろう)とまたしてもハンスは心で考えます。たしかに、なにか、よそよそしい言い方です。
「ぼくは、アルカードから来たんだ。そこで、ソクラトンという賢者に会って、天国の鍵のてがかりとなる巻物をもらった。でも、それだけではよくわからないから、もしも君たちが知っているてがかりがあったら、教えてくれないか。ぼくのてがかりも教えるから」
アリーナはハンスの顔を見ました。
ハンスは少しまよいました。せっかく苦労して手に入れた巻物を、こんな正体不明の少年に見せていいものでしょうか。
その三十七 女性についての真理など
「なんか、すてきな人だったわね、ブッダルタって」
アリーナがつぶやくように言いました。
「うん」
と短くハンスは答えます。
魔法使いになってから、ハンスはどうも無口になったようです。頭の中ではいろいろなことを考えているのですが、それを言葉で他人に説明するのがめんどうに感じられるのです。だから、アリーナはハンスのことを軽く見ているところがあります。女の人にとって、おしゃべりのできない相手なんて、まったく存在価値はないんですからね。でも、ハンスには二度も命を救われているので、それに感謝はしています。だからといってそれでハンスを好きになるとはかぎりません。嫌いではないが、どうも物足りないなあ、というのが正直なところです。まったく、主人公だのに、女にももてない人間なんて、ちょっとつまらないですね。でも、世の中、いい人というのはだいたい女の人にはもてないものなのです。なぜなんですかね。念のために言っておきますが、それだからといって、女にもてない人はいい人だ、ということにはなりません。これは、逆は必ずしも真ならず、という数学的真理です。
さて、ブッダルタに会う用は済(す)んだので、ハンスたちは西に進んで、グリセリードの南西部にあるアズマハルという町に向かうことにしました。思ったより簡単にブッダルタが探せたので、ピエールたちよりはだいぶ先にアズマハルに着きそうです。
アズマハルまで行けば、パーリはすぐです。そこにルメトトという賢者がいるそうですから、その人を見つければ、七人の大魔法使いのうちザラスト、ロンコン、ブッダルタ、ルメトトの四人には会ったことになります。のこりはアルカードのソクラトンと、名前のわからない二人ですが、ハンスは、もしかしたらロレンゾがそのうちの一人ではないかと思いました。じっさい、ロレンゾから教えてもらった魔法で何度も助かっているのですから、彼と出会った事が一番大きな出来事でした。そして、ピエールやヤクシーに出会わなければ、ロレンゾと会うこともなかったのですから、ハンスはまったく幸運だったと言っていいでしょう。皮肉な読者なら、これを単なる作者のご都合主義と言うかもしれません。
ギオン寺からアズマハルまではけっこうかかりましたが、例によって、とちゅうは省略します。ここがお話の便利なところで、人生の大部分をしめる日常的な作業や、あまり大きな出来事のないところは書かなくてもよいのです。だって、物語の主人公だって、本当はトイレにもいくし、顔を洗ったりおふろに入ったり、いろんな事をしているのですが、主人公やその他の人物がトイレに行く場面なんて読みたくないですよね。こっそり教えますけど、あのかわいいアリーナだって、本当はトイレに行ったりするのです。もっとも、旅のとちゅうですから運良くトイレがあるとはかぎりませんし、……まあ、そんなことはどうでもいいか。とにかく、ハンスとアリーナはアズマハルに着きました。
その三十八 海
グリセリードの西の端にあるアズマハルは、大きな河のそばにできた町です。昔はこのあたりに古代文明のひとつがあったということですが、いまはごくふつうの田舎町です。かつての宮殿は、今は廃墟(はいきょ)しかのこっていません。
ハンスとアリーナは旅籠(はたご、昔の旅館のこと)に泊まって、数日をのんびりとすごしました。
二人は町のあちこちを見てまわりましたが、たいして見るものはありません。町の大通りにも山羊や羊がうろうろと歩きまわり、ニワトリがけたたましい声で鳴いたりします。
砂漠に近い南の町ですが、もう冬になっているので、空は曇り気味で、雨の多い日が続きました。
雨のふる日は、旅籠にとじこめられて、たいくつです。雨の日にゆっくり読めるような本なんか持ってませんからね。そこで、ハンスはロンコンからもらった巻物を広げて、パロに詩を読み上げてもらいながら、その巻物をながめました。もとの言葉の発音がわからないので、実際にどんな音かはわからないのですが、これがこの単語かな、というくらいは見当がつきます。
詩の意味はよくわかりませんが、とにかく七つの噴水のある庭をさがせばいいようです。
約束の日にちになっても、ピエールたちは姿をあらわしません。それから一週間ほど待ちましたが、それでもピエールたちは来ないので、ハンスたちはしかたなくここを去ることにしました。
次の目的地はパーリです。アズマハルからは、砂漠を越えて行くことになりますが、海ぞいに行けば、わりと湿地帯も多く、木や草も生えています。
グリセリード生まれのアリーナは、海を見るのは初めてですから、大喜びです。
「これが海か。すげえでっかいなあ」
男の子の言葉でアリーナは言いました。
ハンスにしても、初めての海です。でも、遠目を覚えてからは、すでに何度か遠目では見ていますから、それほど感激はしません。ちょうど、みなさんが、いろんなものをテレビで見て育ったために、本物を見ても何の感激もないようなものです。みなさんは、ハンスの持つ超能力を、科学の力で、みんなが持っているわけです。でも、それが必ずしも幸福につながるとはかぎりませんけどね。
海づたいに南へ進んで、少し内陸部に入ると、そこがパーリの国です。
ここからは完全に砂漠になります。驢馬のグスタフも初めての砂地にとまどって、歩きにくそうです。
子犬のピントは、このころになるとすっかり大人の犬になってました。犬の成長は早いですからね。大人になったピントは、大きくてたくましく、なかなか強そうです。虎やライオンは無理(むり)でも、狼くらいとならケンカもできそうで、たのもしい仲間です。
「なんか、すてきな人だったわね、ブッダルタって」
アリーナがつぶやくように言いました。
「うん」
と短くハンスは答えます。
魔法使いになってから、ハンスはどうも無口になったようです。頭の中ではいろいろなことを考えているのですが、それを言葉で他人に説明するのがめんどうに感じられるのです。だから、アリーナはハンスのことを軽く見ているところがあります。女の人にとって、おしゃべりのできない相手なんて、まったく存在価値はないんですからね。でも、ハンスには二度も命を救われているので、それに感謝はしています。だからといってそれでハンスを好きになるとはかぎりません。嫌いではないが、どうも物足りないなあ、というのが正直なところです。まったく、主人公だのに、女にももてない人間なんて、ちょっとつまらないですね。でも、世の中、いい人というのはだいたい女の人にはもてないものなのです。なぜなんですかね。念のために言っておきますが、それだからといって、女にもてない人はいい人だ、ということにはなりません。これは、逆は必ずしも真ならず、という数学的真理です。
さて、ブッダルタに会う用は済(す)んだので、ハンスたちは西に進んで、グリセリードの南西部にあるアズマハルという町に向かうことにしました。思ったより簡単にブッダルタが探せたので、ピエールたちよりはだいぶ先にアズマハルに着きそうです。
アズマハルまで行けば、パーリはすぐです。そこにルメトトという賢者がいるそうですから、その人を見つければ、七人の大魔法使いのうちザラスト、ロンコン、ブッダルタ、ルメトトの四人には会ったことになります。のこりはアルカードのソクラトンと、名前のわからない二人ですが、ハンスは、もしかしたらロレンゾがそのうちの一人ではないかと思いました。じっさい、ロレンゾから教えてもらった魔法で何度も助かっているのですから、彼と出会った事が一番大きな出来事でした。そして、ピエールやヤクシーに出会わなければ、ロレンゾと会うこともなかったのですから、ハンスはまったく幸運だったと言っていいでしょう。皮肉な読者なら、これを単なる作者のご都合主義と言うかもしれません。
ギオン寺からアズマハルまではけっこうかかりましたが、例によって、とちゅうは省略します。ここがお話の便利なところで、人生の大部分をしめる日常的な作業や、あまり大きな出来事のないところは書かなくてもよいのです。だって、物語の主人公だって、本当はトイレにもいくし、顔を洗ったりおふろに入ったり、いろんな事をしているのですが、主人公やその他の人物がトイレに行く場面なんて読みたくないですよね。こっそり教えますけど、あのかわいいアリーナだって、本当はトイレに行ったりするのです。もっとも、旅のとちゅうですから運良くトイレがあるとはかぎりませんし、……まあ、そんなことはどうでもいいか。とにかく、ハンスとアリーナはアズマハルに着きました。
その三十八 海
グリセリードの西の端にあるアズマハルは、大きな河のそばにできた町です。昔はこのあたりに古代文明のひとつがあったということですが、いまはごくふつうの田舎町です。かつての宮殿は、今は廃墟(はいきょ)しかのこっていません。
ハンスとアリーナは旅籠(はたご、昔の旅館のこと)に泊まって、数日をのんびりとすごしました。
二人は町のあちこちを見てまわりましたが、たいして見るものはありません。町の大通りにも山羊や羊がうろうろと歩きまわり、ニワトリがけたたましい声で鳴いたりします。
砂漠に近い南の町ですが、もう冬になっているので、空は曇り気味で、雨の多い日が続きました。
雨のふる日は、旅籠にとじこめられて、たいくつです。雨の日にゆっくり読めるような本なんか持ってませんからね。そこで、ハンスはロンコンからもらった巻物を広げて、パロに詩を読み上げてもらいながら、その巻物をながめました。もとの言葉の発音がわからないので、実際にどんな音かはわからないのですが、これがこの単語かな、というくらいは見当がつきます。
詩の意味はよくわかりませんが、とにかく七つの噴水のある庭をさがせばいいようです。
約束の日にちになっても、ピエールたちは姿をあらわしません。それから一週間ほど待ちましたが、それでもピエールたちは来ないので、ハンスたちはしかたなくここを去ることにしました。
次の目的地はパーリです。アズマハルからは、砂漠を越えて行くことになりますが、海ぞいに行けば、わりと湿地帯も多く、木や草も生えています。
グリセリード生まれのアリーナは、海を見るのは初めてですから、大喜びです。
「これが海か。すげえでっかいなあ」
男の子の言葉でアリーナは言いました。
ハンスにしても、初めての海です。でも、遠目を覚えてからは、すでに何度か遠目では見ていますから、それほど感激はしません。ちょうど、みなさんが、いろんなものをテレビで見て育ったために、本物を見ても何の感激もないようなものです。みなさんは、ハンスの持つ超能力を、科学の力で、みんなが持っているわけです。でも、それが必ずしも幸福につながるとはかぎりませんけどね。
海づたいに南へ進んで、少し内陸部に入ると、そこがパーリの国です。
ここからは完全に砂漠になります。驢馬のグスタフも初めての砂地にとまどって、歩きにくそうです。
子犬のピントは、このころになるとすっかり大人の犬になってました。犬の成長は早いですからね。大人になったピントは、大きくてたくましく、なかなか強そうです。虎やライオンは無理(むり)でも、狼くらいとならケンカもできそうで、たのもしい仲間です。
その三十五 ギオン寺
ギオン寺は、広い敷地(しきち)の中にいくつかのたてものがあるお寺です。どちらかというと、お寺というよりは学校みたいです。あちこちのたてものは生徒の寄宿舎みたいです。オレンジ色の長い服をだらりと肩からかけるように着たお坊さんたちがあちこちにいます。話をしたり、木の下で考えこんでいたりしていますが、とても静かで平和なふんいきです。
「あのう、ブッダルタという人に会いたいんですけど」
ハンスが一人のお坊さんに言うと、そのお坊さんはおどろいた顔をしました。
「なに、ブッダルタ様にお会いしたいだと? お前のような子供がブッダルタ様になんの用だ」
なれないグリセリード語ですが、相手がなにを言っているのかはけんとうがつきます。でも、自分の用件をグリセリード語でなんと言えばいいのでしょう。
「ぼくはブッダルタと話したいのです」
「ブッダルタ様はおいそがしいのだ。お前のような子供とは会わん。話が聞きたかったら、午後の説法(せっぽう)を待て」
アリーナに通訳してもらって、相手の言っていることはわかりました。しかたなく、ハンスは午後の説法があるまで、そのへんで待つことにしました。
お寺の中心部には、草の生(は)えた大きな広場があります。あちこちには木が生えていて、いい木陰もあります。たくさんの人がそこに集まってなにかを待っているようすなので、きっとここでブッダルタの説教が行なわれるのだな、とハンスは思い、アリーナといっしょに草の上に腰をおろしました。
日ざしがあたたかく、草のいい匂いに包(つつ)まれているうちに、ハンスは少し眠気がさしてきました。
気がつくと、しんと静まり返った広場に、ただ一人多くの人々にむかって語りかける男の声がします。
ハンスは、今いっしゅん眠り込んだあいだに、なにか大切な夢を見ていたような気がしましたが、それがどんな夢だったのかもう忘れてしまいました。大空に吹き上がる噴水に太陽の光があたり、虹ができて、それからどうなったのでしょう?……思い出せません。
ハンスは夢を思い出すことはあきらめて、広場の前で人々に語りかける男を見ました。まだ三十歳くらいの、品のいい中肉中背の男です。頭はきれいにそって、身なりは他のお坊さんとかわりません。これがブッダルタなのでしょう。
男はグリセリード語ではなく、この土地の言葉で語っているようです。人々は一心にそれを聞いていますが、ハンスにはわかりません。しかたなく、ハンスは直接(ちょくせつ)男の心を読み取ろうとしました。すると、男はおどろいたように話をやめ、ハンスの方に顔を向けました。しまった、とハンスは思いました。
その三十六 ブッダルタ
ブッダルタはハンスを見てほほえみましたが、何も言わず、また話を続け出しました。ハンスは怒られずにすんだので、ほっとしました。
人々もブッダルタの弟子たちも、ブッダルタがいっしゅん説法をやめたことを不思議に思いましたが、それがハンスのせいであることには気づきません。
説法が終わると、ブッダルタはハンスのところに歩み寄りました。ハンスはどきどきしました。みかけはやさしげな人なのに、なんともいえない威厳(いげん、おごそかな感じ)があって、ハンスはきんちょうしてしまうのです。
(さっき私の心を読もうとしたね)
ブッダルタは心でハンスに語りかけました。
(はい、すみません。ぼくはここの言葉がわからないのです)
(そうか、少し、君の阿頼耶識を読ませてもらうよ)
阿頼耶識(アラヤしき)とは、人間の心の奥底の記憶です。本人も気づかないすべての出来事の記憶ばかりでなく、その先祖からの永遠の記憶が阿頼耶識の中にはあるのです。人間が思い出せるものは、その中の本当にごく一部で、大海の上をただよう一滴の油くらいのものです。……これはお話ですから、本気にしないでくださいよ。まあ、そういう説もあるのです。面白い説でしょう?
(そうか、君は天国の鍵をさがしているのだね。残念ながら、私には手助けできないよ。私の教えは、天国も地獄も人の心の中にあるというものだからね。多くの人はそれに気づかず、自分で地獄を作り出している。それを私は救おうとしているのだ。もしも私にとっての天国の鍵があるとしたら、それは言葉だね)
(言葉、ですか?)
(そうだ、ただし、言葉は地獄への鍵でもある。人は言葉によって自分自身を作っていくものなのだ。ある言葉を信じれば、それがその人の生き方を決めていく。まさしく、天国や地獄への鍵だろう?)
(はあ。なんとなくわかりますけど)
でも、ハンスは、やはりこの世をそのままで天国に変えるほうがいいと思いました。だって、こうしている間にも、多くの人々が飢えや寒さで死に、暴力や悪事がおこなわれているのですから。
ブッダルタはハンスの心を読み取って、笑いました。
(君の考えはとうとい。君は菩薩行を行なっているのだ。私と方向はちがうが、同じことをしているのだよ。では、もう行きたまえ。私の記念にこれをあげよう)
ブッダルタは腕にまいていた水晶の腕輪をハンスにくれました。
(ありがとうございます。さよなら)
ハンスはブッダルタの優しい顔に別れがたいものを感じながら、ギオン寺を去りました。
その三十三 魔法のヒョウタン
ハンスはロンコンに礼を言ってシュナン山を下りました。
しばらく行くと、後ろから声が聞こえます。
ふりかえると、セイルンが雲に乗って飛んできたのでした。
「これもお前にやると老師が言っていた」
セイルンはハンスの手に何かをにぎらせて、また飛び去りました。
見ると、それほど大きくないヒョウタンですが、一体何に使うものなのでしょう。
ハンスはそれをひもで腰に結びつけて、山を下り、仲間のところへ向かいました。
オウムのパロが上空から仲間をさがします。ハンスの遠目も、視界(しかい)がさえぎられていては使えませんから、パロがいると便利です。
やがてパロはピエールたちを空の上から見つけ出して、ハンスは彼らのもとにもどることができました。
ピエールらに、うまくロンコンに会うことができたことを伝えると、彼らも喜んでくれました。
「天国の鍵か。そいつがあれば、すべての争いごともなくなり、地上の天国があらわれるというのなら、ハンスの旅は世界中の人のためになるな」
ピエールは、ハンスの旅の目的を聞いて、感心して言いました。
「でも、そのためには世界中をさがさないといけないんでしょう? 大変な仕事だわ」
ヤクシーは言います。
「私は天国など信じないな。天国があったとしても、私などはそこには行けない。私は何百人もの人間を戦で殺してきた人間だ」
ヴァルミラはつぶやくように言いました。
ハンスは、近くの川で、セイルンから渡されたヒョウタンに水を入れてみました。すると、入れても入れてもいっぱいにならないのです。入ってないのかな、と思ってさかさにすると水は出てきます。べつに底に穴があいていて、水がもれているわけでもありません。
「こいつはすげえや。これさえあれば、旅のあいだ、水の心配はせずにすむ」
ピエールは大喜びしました。なんといっても、旅をするとき一番こまるのは、水のないことですから。しかも、どんなに水を入れても、ヒョウタンの重さはかわらないのです。こんな便利なものはありません。
アリーナは意識(いしき)はとりもどしましたが、体が弱っていて、起き上がる力はないようです。
「アリーナ、ぼくが話したとおりだろう? 君をかんだ毒ヘビは、ロドリーゴの手下なんだ。君のお母さんの女王も、君を殺すようにと命じたんだよ」
ハンスの言葉に、アリーナ、いや、シルベラ姫の目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ、彼女は荷車の上の干草にうつぶせになって泣きじゃくりました。
その三十四 南グリセリード
数日後、ハンスたちは南グリセリードに入りました。
ここは川の多いところで、川の上には小さな漁船がいくつか浮かんで、思い思いに魚をとっています。そして、川のそばには岩の多い山々が立ちならび、山の緑と川の碧(みどり)が美しく調和(ちょうわ)しています。
季節は秋の終わりですが、昼間は、南国のこのあたりはまだまだあたたかく、風の中にわずかに秋を感じるていどです。
ここで、ハンスとアリーナは、ピエールたちといったん別れることにしました。ピエールとヤクシーは、ヴァルミラが父の仇を討つ手助けをするということで、子供たちはそれにまきこみたくないからです。アリーナはハンスといっしょなら大丈夫(だいじょうぶ)だろう、というわけです。
ピエールはハンスの持っていた地図を広げて、一月後にグリセリードの南西の砂漠の手前にあるアズマハルという町でおちあおうと言いました。
「もしも、約束の日までにおれたちがあらわれなかったら、お前たちは自分たちの好きなようにすればよい。旅を続けるのもいいし、アスカルファンに帰るのもいい」
ピエールたちとわかれるのはさびしいのですが、父の敵討ちはヴァルミラの命をかけた願いですから、やめさせることはできません。
ピエールたちに別れをつげると、ハンスはアリーナと二人きりになりました。アリーナも体はすっかり元気になって、自分で歩けるようになってますが、彼女はグスタフに乗せ、ハンスは歩きます。
なんだか、二人きりになると調子がくるい、ハンスはだまりこみがちになります。
「ねえ、これからどこへ行くの?」
アリーナが聞きました。
「うん……。南アルカードのどこかのブダオ教のお寺にブッダルタという偉いお坊さんがいるらしいんだ。その人に会おうと思ってる」
「じゃあ、そのへんの人に聞いてみなさいよ」
アリーナの言葉にしたがって、川のそばにいた漁師に聞くと、ブッダルタという坊さんはギオン寺というお寺にいるそうです。そこは、ここから三日ほど南に歩いたところらしいです。
南に進むにつれて、川よりも森が多くなってきました。
森の中にはいろいろな動物がいますが、あまり人を見てもにげません。
「ブダオ教は生き物を殺さないんだ。だから、このへんの生き物は人間をこわがらないのさ」
アリーナの言葉はまだ、男言葉と女言葉がまざってます。
やがて、前方に大きな寺院が見えてきました。
ハンスはロンコンに礼を言ってシュナン山を下りました。
しばらく行くと、後ろから声が聞こえます。
ふりかえると、セイルンが雲に乗って飛んできたのでした。
「これもお前にやると老師が言っていた」
セイルンはハンスの手に何かをにぎらせて、また飛び去りました。
見ると、それほど大きくないヒョウタンですが、一体何に使うものなのでしょう。
ハンスはそれをひもで腰に結びつけて、山を下り、仲間のところへ向かいました。
オウムのパロが上空から仲間をさがします。ハンスの遠目も、視界(しかい)がさえぎられていては使えませんから、パロがいると便利です。
やがてパロはピエールたちを空の上から見つけ出して、ハンスは彼らのもとにもどることができました。
ピエールらに、うまくロンコンに会うことができたことを伝えると、彼らも喜んでくれました。
「天国の鍵か。そいつがあれば、すべての争いごともなくなり、地上の天国があらわれるというのなら、ハンスの旅は世界中の人のためになるな」
ピエールは、ハンスの旅の目的を聞いて、感心して言いました。
「でも、そのためには世界中をさがさないといけないんでしょう? 大変な仕事だわ」
ヤクシーは言います。
「私は天国など信じないな。天国があったとしても、私などはそこには行けない。私は何百人もの人間を戦で殺してきた人間だ」
ヴァルミラはつぶやくように言いました。
ハンスは、近くの川で、セイルンから渡されたヒョウタンに水を入れてみました。すると、入れても入れてもいっぱいにならないのです。入ってないのかな、と思ってさかさにすると水は出てきます。べつに底に穴があいていて、水がもれているわけでもありません。
「こいつはすげえや。これさえあれば、旅のあいだ、水の心配はせずにすむ」
ピエールは大喜びしました。なんといっても、旅をするとき一番こまるのは、水のないことですから。しかも、どんなに水を入れても、ヒョウタンの重さはかわらないのです。こんな便利なものはありません。
アリーナは意識(いしき)はとりもどしましたが、体が弱っていて、起き上がる力はないようです。
「アリーナ、ぼくが話したとおりだろう? 君をかんだ毒ヘビは、ロドリーゴの手下なんだ。君のお母さんの女王も、君を殺すようにと命じたんだよ」
ハンスの言葉に、アリーナ、いや、シルベラ姫の目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ、彼女は荷車の上の干草にうつぶせになって泣きじゃくりました。
その三十四 南グリセリード
数日後、ハンスたちは南グリセリードに入りました。
ここは川の多いところで、川の上には小さな漁船がいくつか浮かんで、思い思いに魚をとっています。そして、川のそばには岩の多い山々が立ちならび、山の緑と川の碧(みどり)が美しく調和(ちょうわ)しています。
季節は秋の終わりですが、昼間は、南国のこのあたりはまだまだあたたかく、風の中にわずかに秋を感じるていどです。
ここで、ハンスとアリーナは、ピエールたちといったん別れることにしました。ピエールとヤクシーは、ヴァルミラが父の仇を討つ手助けをするということで、子供たちはそれにまきこみたくないからです。アリーナはハンスといっしょなら大丈夫(だいじょうぶ)だろう、というわけです。
ピエールはハンスの持っていた地図を広げて、一月後にグリセリードの南西の砂漠の手前にあるアズマハルという町でおちあおうと言いました。
「もしも、約束の日までにおれたちがあらわれなかったら、お前たちは自分たちの好きなようにすればよい。旅を続けるのもいいし、アスカルファンに帰るのもいい」
ピエールたちとわかれるのはさびしいのですが、父の敵討ちはヴァルミラの命をかけた願いですから、やめさせることはできません。
ピエールたちに別れをつげると、ハンスはアリーナと二人きりになりました。アリーナも体はすっかり元気になって、自分で歩けるようになってますが、彼女はグスタフに乗せ、ハンスは歩きます。
なんだか、二人きりになると調子がくるい、ハンスはだまりこみがちになります。
「ねえ、これからどこへ行くの?」
アリーナが聞きました。
「うん……。南アルカードのどこかのブダオ教のお寺にブッダルタという偉いお坊さんがいるらしいんだ。その人に会おうと思ってる」
「じゃあ、そのへんの人に聞いてみなさいよ」
アリーナの言葉にしたがって、川のそばにいた漁師に聞くと、ブッダルタという坊さんはギオン寺というお寺にいるそうです。そこは、ここから三日ほど南に歩いたところらしいです。
南に進むにつれて、川よりも森が多くなってきました。
森の中にはいろいろな動物がいますが、あまり人を見てもにげません。
「ブダオ教は生き物を殺さないんだ。だから、このへんの生き物は人間をこわがらないのさ」
アリーナの言葉はまだ、男言葉と女言葉がまざってます。
やがて、前方に大きな寺院が見えてきました。