ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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その七十一 話は終わるが、問題は終わらない
「そうよ。だからうちの子供の名前はそれにあやかってオズモンドなの」
マチルダの言葉に、ハンスとアリーナは顔を見合わせました。いったいどうして、国を救った英雄と、国王の妹が、こんな片田舎で、だれからも知られず暮らしているのでしょうか。ロレンゾのさっきの話だけではまだまだよくわかりません。
「いずれその話は、『軍神マルス』という本になるから、それまで待ちなさい。お説教の多い『魔法使いハンス』とはちがって、血湧き肉踊る冒険の本じゃよ」
ロレンゾはみょうな事を言ってます。なにかの宣伝でしょうか。
「それで、ハンス、この旅はお前の役に立ったかな」
ザラストがハンスに言いました。
「はい、とても勉強になりました。でも、正直言って、善と悪の意味についてはまだよくわかりません」
「それでいい。大事なのは、自分が正しいと思う事を行い、まちがったらすぐに改めて、二度と同じあやまちをしないことだ。そして、先人たちの言葉から多くを学ぶことだ。そうすれば、魔法など使わなくても、人間は自分を幸福にできるのだ。お前は、これからはふつうの人間として生きるがいい」
ハンスはちょっと考えてしまいました。だって、苦労して身に付けた魔法を捨てるなんてもったいないですからね。
「魔法の力を捨てろとは言っていない。なるべく使うな、ということだ。魔法使いよりも賢者になるがよい。しかし、頭脳を過信して、自然をわすれてはならんぞ。昔、ファウストという博士がいて、あらゆるものを知り尽くして、それでも少しも幸福にはなれなかったと嘆いたことがある。真の賢者は、知識ではなく、知恵を求めるものだ。お前はすでに賢者の見習いにはなった。いまさら、自らの欲望だけのために魔力を求める愚かな魔法使いになってはならん」
「ザラストにしてはいい説教だ。わしも、魔法などほとんど忘れてしまった」
とロレンゾが口をはさみました。だから自分は真の賢者だ、と言いたいのでしょうか。
さて、これで魔法使いハンスの話はおしまいです。アリーナはマルスの家で好きな動物たちと遊んだり、子供の子守りをしたりしながら楽しく暮らしています。ハンスもマルスの家で農作業の手伝いをしていますが、そのうちまたソクラトンやブッダルタのところに行って、七つの噴水のある賢者の庭をさがそうと思っています。
もうすぐグリセリードの戦争も終わるでしょう。ピエールやヤクシーやヴァルミラが無事でいればいいのですが、たとえ戦争が終わっても、人間が自分たちのちっぽけな欲望でこの世を動かそうとするかぎり、地上の天国が現れるのは、まだまだ先のことになりそうです。でも、それを作るのは、もしかしたらあなたかもしれません。
(「天国の鍵」終わり)
「そうよ。だからうちの子供の名前はそれにあやかってオズモンドなの」
マチルダの言葉に、ハンスとアリーナは顔を見合わせました。いったいどうして、国を救った英雄と、国王の妹が、こんな片田舎で、だれからも知られず暮らしているのでしょうか。ロレンゾのさっきの話だけではまだまだよくわかりません。
「いずれその話は、『軍神マルス』という本になるから、それまで待ちなさい。お説教の多い『魔法使いハンス』とはちがって、血湧き肉踊る冒険の本じゃよ」
ロレンゾはみょうな事を言ってます。なにかの宣伝でしょうか。
「それで、ハンス、この旅はお前の役に立ったかな」
ザラストがハンスに言いました。
「はい、とても勉強になりました。でも、正直言って、善と悪の意味についてはまだよくわかりません」
「それでいい。大事なのは、自分が正しいと思う事を行い、まちがったらすぐに改めて、二度と同じあやまちをしないことだ。そして、先人たちの言葉から多くを学ぶことだ。そうすれば、魔法など使わなくても、人間は自分を幸福にできるのだ。お前は、これからはふつうの人間として生きるがいい」
ハンスはちょっと考えてしまいました。だって、苦労して身に付けた魔法を捨てるなんてもったいないですからね。
「魔法の力を捨てろとは言っていない。なるべく使うな、ということだ。魔法使いよりも賢者になるがよい。しかし、頭脳を過信して、自然をわすれてはならんぞ。昔、ファウストという博士がいて、あらゆるものを知り尽くして、それでも少しも幸福にはなれなかったと嘆いたことがある。真の賢者は、知識ではなく、知恵を求めるものだ。お前はすでに賢者の見習いにはなった。いまさら、自らの欲望だけのために魔力を求める愚かな魔法使いになってはならん」
「ザラストにしてはいい説教だ。わしも、魔法などほとんど忘れてしまった」
とロレンゾが口をはさみました。だから自分は真の賢者だ、と言いたいのでしょうか。
さて、これで魔法使いハンスの話はおしまいです。アリーナはマルスの家で好きな動物たちと遊んだり、子供の子守りをしたりしながら楽しく暮らしています。ハンスもマルスの家で農作業の手伝いをしていますが、そのうちまたソクラトンやブッダルタのところに行って、七つの噴水のある賢者の庭をさがそうと思っています。
もうすぐグリセリードの戦争も終わるでしょう。ピエールやヤクシーやヴァルミラが無事でいればいいのですが、たとえ戦争が終わっても、人間が自分たちのちっぽけな欲望でこの世を動かそうとするかぎり、地上の天国が現れるのは、まだまだ先のことになりそうです。でも、それを作るのは、もしかしたらあなたかもしれません。
(「天国の鍵」終わり)
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その六十九 二万メートルのダイビング
ハンスとチャックは、空中浮遊の術を使って、山頂から飛び下りました。ハンスはアリーナを、チャックはセイルンを抱えています。(ここは、あまりに高すぎて、雲すら存在しないのです。空気はわずかにあります。科学的に言えばまちがいかもしれませんけどね)
空中浮遊と言っても、しばらくはただ落ちているだけですから、いわばスカイダイビングですね。高度二万メートルからのスカイダイビングです。やってみたいですか? 平均時速百キロでも十二分かかりますから、たっぷり楽しめそうです。でも、本当にやったら、重力加速度のために途中から大変なスピードになって、ロケットの地上突入みたいに、空気摩擦で燃えてしまうでしょうね。
ハンスとチャックは科学など知りませんから(実は作者もですけど)加速度も空気摩擦も関係ありません。なにしろ魔法の世界ですからね。途中からは空中浮遊の術で、落ちるスピードをゆるめて、のんびりと下降していきます。そして、雲のあるところまで来たら、セイルンは口笛を吹いて雲を呼びました。
「ちぇっ、悪魔なんかの助けを借りてしまった」
雲に四人が乗った後で、セイルンはいまいましそうに言います。
「結局、天国の中には入れなかったわね」
アリーナが言いました。
「うん、でも、いろんなことを知ったから、ここまで来てよかったよ」
ハンスは答えました。じっさい、この旅のあいだにハンスが得た物は、魔法だけではありません。アリーナやピエールたちとの出会い、五人の賢者や魔法使いとの出会い、そして、自分の中に生まれた知恵や勇気、それこそがこの旅で得た本当の宝でしょう。
「じゃあ、ぼくはここでお別れするよ。いつか人間が本当の善に目覚めるまでは、ぼくはこの世の大きな一要素でいられるわけだ」
チャックが三人からはなれて、ふわりと浮かび上がりました。
「あまり悪い事はするなよ。君とは敵になりたくないからな」
ハンスが言うと、チャックはにやっと笑って、すばやく体をアリーナに近づけ、そのほほにキスしました。アリーナはびっくりして顔を赤くしました。
「いずれまた会おう」
そう言ってチャックは手を振り、そのまま飛んで行きました。
「もうすぐカザフだ。君たちを下ろしたら、ぼくもグリセリードに帰ろう」
セイルンが言いました。アトラスト山からはアスカルファン側に飛び下りたのです。
カザフの村が見えます。いつの間にか世の中はすっかり春になっていたらしく、ぽかぽかと暖かく、山村のカザフののどかで美しい風景が、なんだかひじょうに懐かしいものに思えます。セイルンは、ハンスとアリーナをマルスの家の前に下ろしました。
「じゃあな。戦が終わったら、そのうちまたグリセリードに遊びに来な」
その七十 王族がいっぱい
セイルンに手を振って別れを告げ、ハンスとアリーナはマルスの家に入りました。
すると、そこにはマチルダとロレンゾだけではなく、ハンスのお師匠のザラストまでいるではありませんか。
「おお、ハンス、無事にもどったか」
ザラストはうれしそうに言いました。
「ただいま。でも、天国の鍵は見つかりませんでした」
「いや、それでよい。ロレンゾから話は聞いた。お前は三人もの賢者に会ったというではないか。それだけでもたいしたものだ」
「その三人の中にわしは入れたかの?」
ロレンゾが疑わしげに言いました。
「いや、四人じゃった」
「ここで二度目にロレンゾさんにお会いした後、ソクラトンという人にも会いました」
「では、五人じゃな。それはすごい」
「天国の鍵は手に入りませんでしたが、天国のそばまでは行きました」
ハンスは三人に、これまでの旅の話をしました。
本当は長い話ですが、なんと言っても十歳、いや、この時はもう十一歳になってましたが、そのていどの子供ですから、ごく簡単にしか話せません。子供のこまるのは、こういう時、表現力のないことです。作者の私も、子供のころ一番苦手だったのは作文でした。
それでも、アリーナの助けを借りながらこれまでの出来事をすべて話し終えると、マチルダがアリーナに向かって、おどろいたように言いました。
「まあ、あなたはマルスの妹だったの?」
「ええ、母親はちがいますけど」
心の中には、自分の母親はグリセリードの女王なのよ、とちょっと自慢したい気持ちもありますが、もちろん口には出しません。
「でも、お願い。マルスには父親のことは言わないで。そうすると、あなたが妹だってことも秘密にしなければならないから、あなたにはかわいそうだけど」
マチルダの奇妙な言葉に、ハンスとアリーナはびっくりしました。
「こういうことじゃよ」
ロレンゾが、マチルダに代わって説明しましたが、それはおどろくべき話でした。なんと、あの平凡な若者にしか見えないマルスが、このアスカルファンを救った英雄だという話です。でも、それは別のお話ですから、今はこれ以上は言えません。
「では、あなたは国王オズモンドの妹さんなのですか?」
ハンスはびっくりして、マチルダに聞きました。
マチルダはにっこり笑ってうなずきました。
その六十七 アリーナの秘密
天使がハンスたちを連れて行った場所には、一つの鏡のようなものがありました。
「アリーナ、いや、シルベラ、お前には父親の顔を見せてやろう」
アリーナは、おどろいて天使を見ました。自分の父親がだれであるか、実はアリーナは知らなかったのです。そして、なぜ女王シルヴィアナが、その男のことを秘密にしているのかも。
鏡に映っているのは、栗色の髪をした、魅力的ないい顔をした中年の男です。どこかで見たような顔ですが、思い出せません。
「これだけではわかるまいな。では、これを見るがいい。これがお前の兄だ」
鏡に映った顔を見て、四人はびっくりしてしまいました。なんと、そこに映っていたのは、マルスだったのです。読んでいる人たちも、びっくりでしょう。インチキだ、という人もいるでしょうね。推理小説なら、まったくの脇役として描かれていた人間が真犯人だと言われるみたいなものですからね。
鏡は、もとの栗色の髪の男の像を映しています。
「この男の名はマルシアス。アスカルファンからグリセリードに来て、そこの宮廷で仕えた人間だ。そして、女王シルヴィアナが夫を失った後、彼と恋に落ち、お前をひそかに生んだのだ。グリセリードに仕えているとはいっても、単なる家臣で、しかも外国の人間と結婚することはできなかったから、お前のことも、マルシアスのことも隠されていた。だが、いずれは公表するつもりもあったのだが、そこにロドリーゴという男が現れた。ロドリーゴは魔法の力でお前の母をたぶらかし、自分を愛するようにさせた。そして、マルシアスを憎ませたのだ。マルシアスの心も、お前の母親からは離れた」
マルシアスという名前には聞き覚えがあります。そう思ったハンスの心に答えるように天使が言いました。
「そうだ、ヴァルミラが愛していた男だ。マルシアスも、ヴァルミラを妹か娘のように可愛がっていた。だが、マルシアスはアスカルファンとの戦争で死んでしまったのだ。だから、アリーナよ、お前はアスカルファンに行き、マルスに会うがよい。グリセリードは今や戦いの中にある。お前の住むべきところは、平和なアスカルファンだ」
「グリセリードの戦いをやめさせることはできないのですか」
「われわれが手を下せば、簡単なことだ。だが、神は地上のことには関与しないのだ。それは神が地上を人間に任せたからなのだよ。善も悪も、人間の自由にまかされている。そこにこそ人間の存在の意味があるのだ」
なんだか、ソクラトンと同じようなことを言っています。
「この戦いはどうなるのかな」
セイルンが聞きました。すると、天使は、意外な事に「それは私にはわからない」と言いました。
その六十八 神さまの夢
「神ならもちろん知っている。だが、私は神と人間の間にいる者だ。未来を知る力はない。そして、神でさえも、起こったことを変えることはできないのだ。それができるのは、クロキアスというもう一人の神だけだが、クロキアスがその力を使ったことはない」
「では、神は何人もいるのですね」
ハンスが聞くと、天使はにっこりと笑いました。
「いるよ。すべての民族はそれぞれの神がいる。信ずる者のいるところに神は存在するのだ」
「では、神が人間を作ったのではなく、人間が神を作ったのか?」
セイルンが言いました。
「そうとも言えるが、宇宙全体が一つの神でもあるのだ。だから、人間は神によって作られたのだ」
「むずかしくて、よくわからないわ」
アリーナが言うと、天使はこう説明しました。
「まあ、こう考えてごらん。君たちは夢を見ることがあるだろう。その夢を見ているあいだは、それは現実だとしか思っていない。そして、夢からさめれば、それは夢であって、現実とはまったくちがうと思い込む。しかし、夢を見ている間は、それはたしかに一つの現実なのだ。君たちのこの生自体が、神の夢だと考えてもいいのだ。あるいは、夢の結果と言ってもいい」
「見者とは神そのものですか?」
ハンスはたずねました。
「そうとはかぎらない。人間でも、夢に見たことを実現するという意味では、神と同等なのだ。だが、人間は自らを信ずる力に欠けている。そのために、その力はいちじるしく制限されているのだ。さあ、もう行くがいい。お前たち人間の中から、いずれ七つの噴水のある賢者の庭に行き着ける者が現れるだろう。だが、それには長い時間がかかる。人間がみずからの心を探求し、善こそが人間全体の真の利益であり、悪などはその本人にとってすらなんの利益にもならないことを理解したら、そこに地上の天国は現れるのだ。ハンスよ、お前ももう富や魔法のむなしさはわかっただろう。富も魔法も、自分の望むものを容易に手に入れさせるものだ。だが、その容易さこそが人間を堕落(だらく)させるのだ。力をつくして手に入れたものでなければ、本当の価値はわからないものなのだ」
天使はひときわ輝きを増しました。
そのまぶしさに、思わずハンスたちが目を閉じて、もう一度目を開くと、そこは目もくらむようなアトラスト山の山頂でした。つまり、世界のてっぺんです。
目を上げると、一つの光が、あまりに青すぎて暗く感じられるほどの青空の中を遠ざかっていきます。きっと、あれがさきほどの天使でしょう。
天使がハンスたちを連れて行った場所には、一つの鏡のようなものがありました。
「アリーナ、いや、シルベラ、お前には父親の顔を見せてやろう」
アリーナは、おどろいて天使を見ました。自分の父親がだれであるか、実はアリーナは知らなかったのです。そして、なぜ女王シルヴィアナが、その男のことを秘密にしているのかも。
鏡に映っているのは、栗色の髪をした、魅力的ないい顔をした中年の男です。どこかで見たような顔ですが、思い出せません。
「これだけではわかるまいな。では、これを見るがいい。これがお前の兄だ」
鏡に映った顔を見て、四人はびっくりしてしまいました。なんと、そこに映っていたのは、マルスだったのです。読んでいる人たちも、びっくりでしょう。インチキだ、という人もいるでしょうね。推理小説なら、まったくの脇役として描かれていた人間が真犯人だと言われるみたいなものですからね。
鏡は、もとの栗色の髪の男の像を映しています。
「この男の名はマルシアス。アスカルファンからグリセリードに来て、そこの宮廷で仕えた人間だ。そして、女王シルヴィアナが夫を失った後、彼と恋に落ち、お前をひそかに生んだのだ。グリセリードに仕えているとはいっても、単なる家臣で、しかも外国の人間と結婚することはできなかったから、お前のことも、マルシアスのことも隠されていた。だが、いずれは公表するつもりもあったのだが、そこにロドリーゴという男が現れた。ロドリーゴは魔法の力でお前の母をたぶらかし、自分を愛するようにさせた。そして、マルシアスを憎ませたのだ。マルシアスの心も、お前の母親からは離れた」
マルシアスという名前には聞き覚えがあります。そう思ったハンスの心に答えるように天使が言いました。
「そうだ、ヴァルミラが愛していた男だ。マルシアスも、ヴァルミラを妹か娘のように可愛がっていた。だが、マルシアスはアスカルファンとの戦争で死んでしまったのだ。だから、アリーナよ、お前はアスカルファンに行き、マルスに会うがよい。グリセリードは今や戦いの中にある。お前の住むべきところは、平和なアスカルファンだ」
「グリセリードの戦いをやめさせることはできないのですか」
「われわれが手を下せば、簡単なことだ。だが、神は地上のことには関与しないのだ。それは神が地上を人間に任せたからなのだよ。善も悪も、人間の自由にまかされている。そこにこそ人間の存在の意味があるのだ」
なんだか、ソクラトンと同じようなことを言っています。
「この戦いはどうなるのかな」
セイルンが聞きました。すると、天使は、意外な事に「それは私にはわからない」と言いました。
その六十八 神さまの夢
「神ならもちろん知っている。だが、私は神と人間の間にいる者だ。未来を知る力はない。そして、神でさえも、起こったことを変えることはできないのだ。それができるのは、クロキアスというもう一人の神だけだが、クロキアスがその力を使ったことはない」
「では、神は何人もいるのですね」
ハンスが聞くと、天使はにっこりと笑いました。
「いるよ。すべての民族はそれぞれの神がいる。信ずる者のいるところに神は存在するのだ」
「では、神が人間を作ったのではなく、人間が神を作ったのか?」
セイルンが言いました。
「そうとも言えるが、宇宙全体が一つの神でもあるのだ。だから、人間は神によって作られたのだ」
「むずかしくて、よくわからないわ」
アリーナが言うと、天使はこう説明しました。
「まあ、こう考えてごらん。君たちは夢を見ることがあるだろう。その夢を見ているあいだは、それは現実だとしか思っていない。そして、夢からさめれば、それは夢であって、現実とはまったくちがうと思い込む。しかし、夢を見ている間は、それはたしかに一つの現実なのだ。君たちのこの生自体が、神の夢だと考えてもいいのだ。あるいは、夢の結果と言ってもいい」
「見者とは神そのものですか?」
ハンスはたずねました。
「そうとはかぎらない。人間でも、夢に見たことを実現するという意味では、神と同等なのだ。だが、人間は自らを信ずる力に欠けている。そのために、その力はいちじるしく制限されているのだ。さあ、もう行くがいい。お前たち人間の中から、いずれ七つの噴水のある賢者の庭に行き着ける者が現れるだろう。だが、それには長い時間がかかる。人間がみずからの心を探求し、善こそが人間全体の真の利益であり、悪などはその本人にとってすらなんの利益にもならないことを理解したら、そこに地上の天国は現れるのだ。ハンスよ、お前ももう富や魔法のむなしさはわかっただろう。富も魔法も、自分の望むものを容易に手に入れさせるものだ。だが、その容易さこそが人間を堕落(だらく)させるのだ。力をつくして手に入れたものでなければ、本当の価値はわからないものなのだ」
天使はひときわ輝きを増しました。
そのまぶしさに、思わずハンスたちが目を閉じて、もう一度目を開くと、そこは目もくらむようなアトラスト山の山頂でした。つまり、世界のてっぺんです。
目を上げると、一つの光が、あまりに青すぎて暗く感じられるほどの青空の中を遠ざかっていきます。きっと、あれがさきほどの天使でしょう。
その六十五 セラフィム
ハンスは、天国の鍵をさがすために、もう一つの道に行く決心をしました。たった一人で、この世界に別れを告げて。
「みんな、ぼくは洞窟にもどるよ。でも、さっきの左の道にはぼく一人で行く」
ハンスが言うと、アリーナが不思議そうに「どうして?」と言いました。
「あの道を行くと、二度とこの世界にもどれないらしいんだ」
他の三人は、ハンスの言葉に、ちょっと考えこみました。
「ぼくはいっしょに行くよ。ここまで来て、最後をたしかめないんじゃあ、来たかいがない」
チャックが言うとセイルンも
「おれもそうだ。なあに、どこの世界で生きるのも同じさ」
と言いました。
「セイルン、君はだめだ。君がいないとアリーナは地上に帰れない」
ハンスは言いました。
「あら、私も行くわよ。仲間はずれなんていやよ」
アリーナは怒ったような声をあげました。
しかたなく、ハンスは他の三人とともに洞窟にもどりました。
洞窟の薄暗がりの中を歩いて、歩いて、……。
やっとさっきの分かれ道のところに来ました。
こんどは左の道に行きます。
そしてまた薄暗がりの中を歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、……。
いったいどのくらい歩いたのでしょうか。
なんのまえぶれもなく、あたりは突然、白い光に満たされました。
そして、ハンスたちの目の前に一人の男が現れたのです。白いローブを着たその人は、体全体から白い光を放っています。
天使かな、とハンスは思いましたが、背中には羽根ははえていないようです。
顔は非常に美しく、どことなくアンドレにもトリスターナにも似ています。
「お前たちは天国に行く気か。生きた人間のままで天国に入ることはゆるされぬことだ」
男はおだやかですが、威厳のある態度でハンスたちに言いました。思わず、このままここから帰ってしまおうかとハンスは思ったくらいです。
「わたしたちは天国の鍵を持っています」
ハンスは勇気をふりしぼって言いました。
「天国の鍵? 見せてみなさい」
男の前にハンスは水晶の湖の魚が吐き出した指輪を差し出しました。すると、男は首を横に振り、「これは天国の鍵ではない」と言いました。
その六十六 天使のテスト
「天国の鍵とは、見者の夢の中にしか存在しないものなのだ。お前の持っているこの指輪は、太古の神々を呼び出す力を持つ不思議な指輪だが、天国の鍵ではない。それに、お前の持っているもう一つの指輪は、悪魔をも従わせる恐ろしい力を持った、ダイモンの指輪だ。そのどちらか一つでも持っていたら、お前は地上すべてを支配する大王になれる。もしもお前が地上をそのまま天国にしたいのであれば、この二つの指輪で地上をお前の好きなように作り変えればよいではないか」
天使の言葉に、ハンスは考えこんでしまいました。その時、ハンスの心に浮かんでいたのは、ソクラトンの部屋で見た、あの印です。あの印は、永遠の未完成としての人間を表していたはずです。ハンスは自分自身をふりかえってみました。そして、これを読んでいるみなさんなら、思わずハンスに向かって、「この間抜け!」と言いたくなるような返事をしました。
「この指輪は二つともお返しします。一人の、ふつうの人間がそんな力を持てば、その人自身が大魔王になってしまうでしょう。この指輪は、人間が持つべきものではありません」
天使は、その返事を聞いて、にっこり笑いました。
「お前は正しい答えをした。たいていの人間なら、この誘惑(ゆうわく)に負けて、私の提案を受け入れただろう。その場合、その者は、永遠に地獄に落とされることになっていたのだ。お前は、自分自身を知るという、最高の課題を克服したのだ」
この言葉に、思わずチャックが、問い詰めるように口を出しました。
「天使のくせに、嘘をついたのか?」
「おや、お前は悪魔の一族ではないか。嘘ではない。私の言った事をたしかめるがよい。私は、この指輪の力を話し、ハンスに、この指輪を使ってみろとすすめただけだ。そうすればどうなるとは言わなかったはずだ」
「ちえっ。天使ってのがソフィストだとは知らなかったぜ」
と言ったのはセイルンです。ソフィストとは、哲学者の一派で、口先たくみに相手をだますような議論をする人たちです。
「お前も、竜のくせに人間の世界で暮らして、人間のような考え方をするようになったようだな、セイルン」
天使はセイルンを見て、にっこり笑いました。
「では、天国には入れてもらえないのですか」
ハンスはがっかりして言いました。
「そうだ。だが、ここまでやってきたお前たちの努力には報いてやろう。こちらにきなさい」
天使は後ろを向いて歩き出しました。
ハンスたちは、その後をついて行きました。
その六十三 二つの道
ハンスたちは洞窟の中を進んでいきました。洞窟の中は薄暗いのですが、まったくの暗闇でもありません。壁自体が、燐光(りんこう)のようなかすかな光を放ってます。
やがて、洞窟は二つの道に分かれました。
「どこに行こう」
チャックが言いました。
「どこでもいいさ。まちがえたら、ここにもどればいい」
セイルンの言葉に、ハンスたちもうなずきました。ハンスは右の道を選びました。
どんどん進んで行くと、なんだかまわりが暖かくなってきました。
「暖かくなってきたわね」
アリーナが、ほっとしたように言いました。
「でも、この道は、下に下りているみたいな気がするわ」
「そういえば、そうだな」
ハンスはちょっと不安な気になりました。せっかくここまで上って来たのに、また下がるのはなんだか面白くありません。
どれほど歩いたでしょうか。やがて前方に明かりが見えました。それも、かなりな明るさです。
四人は喜んで、足を速めました。
外に出ました。
そこは、なんと、明るい緑の平野です。まわりは高い山々にかこまれており、平野の真ん中にはきらきらと輝く美しい河が流れています。でも、どうして、アトラスト山の八合目から、こんなところに出たのでしょう。
ハンスたちは、地上に出られたうれしさで、野原を走って、河のそばに行きました。日ざしは暖かな春の日差しで、草木のいい匂いがあたりにはただよっています。
ハンスたちは河岸から河の流れをのぞきこみました。なんと透明で美しい流れでしょう。でも、それだけではありません。河の底はすべてダイヤモンドやサファイアやルビー、エメラルド、水晶などの宝石と黄金なのです。
ハンスたちがおどろいていると、その時どこからともなく一つの声がハンスの耳に聞こえました。
「ハンスよ。よくここまで来た。だが、この先は人間には許されぬ世界だ。お前がここで引き返すなら、お前には、ここにある宝を欲しいだけやろう。何度でもここに来て、好きなだけ持っていくがいい。だが、お前が洞窟に戻って、左の道を選ぶなら、お前は人間の世界とは永遠に別れねばならない」
ハンスは周りを見回しました。でも、他の人には、今の声は聞こえていないようです。
ハンスはアリーナの顔を見つめて、じっと考えました。
その六十四 善への意思
ここから帰れば、すべての宝が自分のものになる、帰らなければ、永遠に地上にもどれない、という二つの道の一つをえらばねばならないのです。たしかに、もう一つの道をえらべば、あるいは、地上に住むすべての人に天国への道が開かれるのかもしれませんが、そこにはハンスはいないのです。むずかしい言葉で言えば、自己犠牲(じこぎせい)というやつです。他人のために、自分の大切な物、時には命をも失うことです。
ハンスはアリーナが好きでしたから、何よりも、アリーナと二度と会えなくなることはつらいことです。しかし、アリーナが自分の母親に見捨てられ、命さえもねらわれたというのは、この世に悪があるからです。ソクラトンの言ったように、本当に悪にも存在意義があるのでしょうか。たとえ、後でつぐなわれたとしても、罪のない人間の流す一滴の涙は、本当につぐなうことができるのでしょうか。善しか存在しない世の中というものは、退屈で無意味な世界になるのでしょうか。
ハンスはこの世の悪というものをそれほど見てきたわけではありません。しかし、たとえば、貧しさのために飢え、苦しむ人々の姿は、あってはならないものであり、戦で親や家族を失った人々の悲しみも、あってはならないことだと思えます。じっさい、このお話には書かれていませんが、ハンスたちが歩いてきた道にも、そうした苦しみや悲しみの姿は本当はあったのです。お話というものは、楽しさが大事ですから、そうした悲しい姿は、作者の私はあまり書きたくないのです。自分の生活を考えてみてもそうでしょう? いつでも楽しい事ばかりの生活をしている人間なんて、そんなにいません。いたとしても、一家の働き手が仕事を失えば、あるいは、家族の一人が重い病気にでもなれば、その楽しさもいっぺんでおしまいです。明日からは、生きていくことは苦しみ以外の何物でもなくなるでしょう。中には、そうした中でも自分は明るく生きられるという自信のある人間もいるかもしれませんが、たいていの人間は、そうではありません。自分では気づいていなくても、常に、この世の悪におびやかされているのです。
ハンスが生まれてすぐ捨てられたというのも、親からすれば自分が生きるために自分の子供を犠牲にしたのでしょう。自己犠牲の反対ですね。これも一つの悪です。ハンスが教会のお坊さんに拾われたのは幸運なことでした。でなければ、ハンスは生まれてすぐに死んでしまい、マザーグースのゴタムの賢人みたいに、この話はそこでおしまい、ということになったわけです。つまり、ハンスにとってこの世界が存在するのは、教会のお坊さんの一つの善行によってです。たとえ、それがいやいやながらした、義務的な善行だったとしても(実際、そうだったのです)、それはハンスにあらゆるものをもたらしたのです。
そうしてみると、一つの善によって生かされたハンスは、自分では意識していなくても、その瞬間に心の底に善への強い意志が生まれたとしてもおかしくはないのです。例の、阿頼耶識ですね。現代風に、潜在意識(せんざいいしき)と言ってもいいですけど。これが、天国の鍵という言葉が、なぜハンスをここまで引っ張ってきたかという理由です。
その六十一 戦争
グリセリードの上空からグリセリードをながめると、奇妙な感じです。とくに、自分たちが通った後を上から見ると、まったく変な気持ちがします。あの時、あそこの木陰で休んだな、とか、あそこでアリーナが川に落ちたな、とか。
「どうする? 家にもどるかい?」
ハンスはアリーナに聞きました。アリーナは首を横に振りました。
「家なんてないわ。もどったら殺されちゃうわよ」
たぶん、そうだろうなあ、とハンスも思いました。アリーナを育てた人も、アリーナを殺せという女王の命令にはさからえないだろうし。
ふと下を見ると、何やら異様な気配がしています。南西から北東に向かって、何万人もの人や馬の群れが移動しているのですが、それは軍隊のようなのです。でも、グリセリード軍ではなさそうです。
「戦争だ。グリセリードで戦争がおこっている」
ハンスは遠視の力を使って、軍隊の様子をながめました。すると、軍隊の先頭にいるのは、ヴァルミラではありませんか。そのとなりには、鎧(よろい)を着たピエールもヤクシーもいます。
セイルンにたのんで雲の高度を下げてもらい、ハンスはヴァルミラのそばに近づきました。
「これはこれは。ハンスとシルベラではないか。セイルンもいるな」
ヴァルミラは、にっこりと笑いました。相変わらずりりしい美しさです。
「この軍隊は何です?」
ハンスは聞きました。すると、ピエールがヴァルミラに代わって答えました。
「グリセリードとの戦争だよ。パーリのボワロン軍とグリセリード軍は追い払ったが、どうせまた新手が来るだろうから、こちらからグリセリードに攻め込むことにしたんだ。どうせ、今、グリセリードの内部はがたがただ。ろくな武将はいないし、みんなシルヴィアナとロドリーゴを嫌っている。あちこちで内乱が起こっているんだ。今のグリセリードは、図体はでかいが、張子の虎だ。ヴァルミラは、グリセリードの名将デロスの娘で、人々の信望を得ている。この戦、こっちが勝つよ」
ヴァルミラは、アリーナを見て、すまなそうな顔をしました。
「シルベラ、すまない。お前の母の女王と私は敵になってしまった。もしも相手が降伏すれば、おだやかにすませたいと思っているが、戦のことだから、場合によっては、お前の母を殺すことになるかもしれん。聞きにくい願いだろうが、私たちの軍の神輿(みこし、事業の飾りや象徴となるもの)になってくれないか。そうすれば、全軍の士気が上がるんだ。お前を次の女王にしてもいいと私は思っているのだよ」
ヴァルミラの言葉に、シルベラは首を横に振りました。
その六十二 アトラスト山
「自分の母親を相手に戦うなんて、そんな事、できません」
アリーナの言葉に、ヴァルミラもうなずきました。
「そうだろうな。これは無理な願いだった。なんとか、おだやかに女王を退位させるだけでこの戦を終わらせようと思うが、先のことはわからないからな。いずれまた会おう」
ヴァルミラやピエールに別れを告げ、ハンスたちはまた上空に上がりました。
「さて、どこへ行こうか」
セイルンの言葉に、アリーナが言いました。
「頂きが天に届くほど高い山なら、アトラスト山じゃないかしら」
アトラスト山とは、グリセリードとアスカルファンの境い目の大山脈の中の最高峰です。もちろん、まだ人間が登ったことはありません。
ハンスたちも、うなずきました。
「アトラスト山に登ってみよう」
西へ西へと進んで、やがて大山脈が見えてきました。
地面から数十メートルの高度を保ったまま、山の斜面にそって進みます。あっという間に、ふもとははるか彼方になりますが、山頂はまだまだ上です。なにしろ、エベレストの二倍、富士山の四、五倍ほどもある山なのです。当然、その山頂は雲の上にあり、下界からはほとんど見えないのです。
高度が上がるにつれ、どんどん寒くなります。ふるえているアリーナに、ハンスは自分の上着をかけてやりました。
「だめだ。これ以上、俺の雲では上れない」
セイルンがくやしそうに言いました。山の、およそ八合目、つまり全体の十分の八くらいの高さです。
「どうする。おりるか?」
チャックがハンスに言いました。
「いや、横に飛んでみてくれ」
ハンスはセイルンにたのみました。きっと、どこかに、天国への入り口があるはずだ、という確信のようなものがハンスの心にありました。
山の横肌をながめながら、ずっと飛んでいくと、アリーナが声を上げました。
「あっ、洞窟があるわ!」
なるほど、アリーナが指差したところには、ほとんど垂直に切り立った岩壁に、ぽっかりと洞窟らしい穴が開いています。
ハンスたちは、雲をその穴に近づけて洞窟の中に下りました。あらためて下を見ると、何という高さでしょう。下界は、ほとんど雲にかくれていて、雲の切れ目からわずかに見える部分も、藍色のもやのようにしか見えません。下を見るのも恐ろしいほどです。
その五十九 水晶の湖
北の大陸から南の大陸に入ると、下は一面のジャングルです。先ほどのジャングルとはくらべものにならないくらい、木の密集したジャングルで、その東側を大きな河が流れています。この河の先に、水晶の湖はあるのでしょうか。
「あそこかしら」
アリーナが指差した河の上流に、滝のようなものが確かに見えます。
近づいてみると、これは、何と大きな滝でしょう。本当に、天から落ちてくるかのように見えます。しかも、滝は一本ではなくて、高くそびえたつ台地全体から水のカーテンのように落ちてくるのです。これでは、その上に人間が登るのもむずかしいでしょう。もし、人間界と天上界の境い目があるとしたら、ここはいかにもぴったりです。
「いよいよだな」
チャックがうれしそうに言います。
セイルンは、雲の高度を上げ、滝の上方に浮かび上がりました。
そこは、巨大な、透き通った湖でした。午後の日ざしを浴びてきらきらと輝く湖は、まさしく水晶の湖の名にふさわしい美しさです。
「すてきなところねえ」
さすがに、アリーナも女の子らしい感嘆の声を上げました。
「ところで、黄金の網はどうする? ふつうの網さえも持っていないのに」
チャックが言うと、セイルンが、ハンスが腰につけていたヒョウタンを指差しました。
「そいつで湖の水を全部吸い込んじまえ」
「そんな乱暴な。日本の公共工事じゃあるまいし」
ハンスは言って、湖の岸辺に飛び下りました。そこに生えていた草を編んで網の形にし、チャックに言います。
「黄金は、悪魔の領分だ。こいつを黄金の網に変えてくれ」
チャックは苦笑いしてうなずきます。
チャックが手を一振りすると、小さな草の網は、大きな黄金の網に変わりました。
その網を手にして、ハンスが空中浮遊の術を使って湖の上に行きます。
(『風の矛のきらめく場』はどこだ?)
風が吹いてきました。湖にさざなみが立ちます。その中に、ひときわ輝く波があります。まるで、一千のダイヤモンドが輝いているように。その下には金の魚の群れがいるのでしょうか。
ハンスは、その場にぱっと網を打ちました。引き上げると、そこにはたった一匹の、金色の魚がかかっています。
ハンスは、その魚を手の上にのせて仲間のところに戻りました。
さて、ところで、この魚をどうすればいいのでしょう。
その六十 謎の指輪
ハンスは透視の術を使って金の魚の体を透かして見ました。中に、何かの影が見えます。
ハンスは、魚の尻尾を持ってさかさにしました。
魚は、ばたばたとあばれましたが、そのうち、口から物を吐き出しました。
空中でそれをつかんだチャックが、それをみんなに見せました。
それは、不思議な輝きを持つ指輪でした。
あっと思って、ハンスは、自分の指にはめていた指輪を見ました。その指輪は、旅の初めにロレンゾからお守りにもらった指輪でしたが、今、魚の口から出てきた指輪は、色や輝きは全然ちがいますが、形はそれにそっくりです。
「なんだ、その指輪とそっくりじゃないか。……もしかして、その指輪」
チャックはハンスの指輪を見て青ざめました。
「どうしたの?」
アリーナが聞くと、チャックは、作り笑いを浮かべて、「なんでもない」と言いました。
「しかし、これで、てがかりはおしまいだぜ。賢者の庭をさがすにはどうすればいいんだい」
セイルンが言うと、他の三人は考え込んでしまいました。
「もう一度、詩の中の言葉を考えてみよう」
ハンスは言いました。
「たしか、賢者の庭で見張っているのは、ヘスペリアの竜だ。ヘスペリアは、西を表すとソクラトンは言っていたから、もしかしたら、ロータシアより西にまだ知らない土地があるのかもしれない。それに、チャックの言っていた詩では、未知の国を越え、海を越えて、頂きが太陽に近い、古い山々をさがせと書いてあった。つまり、ロータシアからまだ海を越えた西に、天に近い頂きを持つ山々のある古い国があるんだ」
四人は再び、雲に乗りました。まったく、セイルンがいなければ、こんな旅はとっくにあきらめていたでしょう。でも、雲に乗っての旅なんて、ただの移動でしかありませんけどね。たとえ不便でも、のんびりとまわりの景色を見ながら旅するほうがずっといいと作者の私は思います。
ロータシアを横切って西に進み、また海に出ました。
ハンスは遠視の術を使って、四方を見渡しますが、海があまりに広すぎて、ほとんど何も見えません。小さな島は無数にありますが、天に届きそうな高山を持つ山なんて見つかりません。
およそ一週間も飛んだでしょうか。前方に、大陸が見えてきました。しかし、おどろいたことに、それはグリセリードの大陸でした。
「ええっ。西に進んでいたのに、東に来ちゃったの?」
アリーナはあきれたように声をあげました。
その五十七 あいかわらずの作者の長口上
美意識(びいしき)なんてむずかしい言葉ですが、ようするに、きれいと汚いを見分けて、汚いものを避(さ)け、きれいなものを選ぶ気持ちです。単に外面だけでなく、考え方や行動においても、きれいなものと汚いものがあります。卑怯、卑劣などは汚いものです。たとえば、多くの子供が一人の子供をいじめるなんて、卑劣以外のなにものでもありません。それを汚い行為だと思いもしないところがいじめ問題の最大の問題なのです。
そんなふうに物事を考え、判断する力は、残念ながら学校では教えてくれません。哲学は、教わるものではなく、自分で考えるものなのです。そして、自分で考えることほど楽しく有益(ゆうえき)なことはありません。もちろん、自分に無い知識は謙虚(けんきょ)な気持ちで学ばねばなりません。しかし、考えること自体は、他人ではなく自分がやるものなのです。自分で考える人間は、すべて哲学者であり、他人に考えてもらっている人間は、大学の先生でも偉い人でも哲学者ではありません。
ふつうの人間が、満足のいく人生をおくろうと思うなら、物事を良く考えることが一番だと私は思います。考えることだけでなく、考えるための材料として、知識を得ること、物事を知ることも大事です。みなさんの中で、勉強が好きな人間は少ないと思いますが、ものを知ることは大きな喜びを与えるものです。勉強がつまらないのは、勉強のせいではありません。その勉強が、みなさんの好奇心の対象になっていないからなのです。もしも、数の不思議にとりつかれたら、算数は魔法となり、世の中の仕組みに興味を持ったら、政治経済の知識は君たちの剣となり、盾となるでしょう。そうして、人生は剣と魔法の騎士物語になるのです。中でも、何よりも、未知の世界への鍵となるのは、語学です。魔法でよその国に行くまでもなく、英語やフランス語、ドイツ語の本をひらけば、そこに一つの世界があらわれます。いや、外国語にかぎりません。科学も数学も、本はすべて一つの世界なのです。しかし、みなさんが言葉を知らなければ、それらの世界は永遠にみなさんには閉ざされたままなのです。もちろん、本だけでなく、他の人間も、一つの世界です。
私たちは、毎日顔を会わせている人間のことすらほとんど知りません。人間は自分の内面をなかなか外に表そうとしないものなのです。人間という奴は本とはちがって、扱いがむずかしいものですから、他人を知るというのは大変な仕事です。でも、それが好きな人なら、その大変さも苦痛ではなく、喜びでしょう。
天国の鍵、それは「指向性(しこうせい、志向性でもいい)」、つまりその人が何を求めるかということです。人間は自分の求めるものを自分で知っているとは限りません。自分に合わないものを求めて自分を苦しめていることが多いのです。また、その苦痛は自ら作り出した幻想であることが多いものです。たとえば恋愛の苦痛なんて、妄想的苦痛がほとんどです。だって、相手は、あなたの内面をどうすることも本当はできないのですから。
この話も、むずかしい言葉がどんどん出てきて子供が読むのは大変ですが、わからない言葉は前後関係から考えてみてください。できれば、辞書などひいてくれたら確実です。
その五十八 二つの大陸
さて、ハンスたちはそのままロータシアに飛ぶことにしました。
西に向かって海の上を飛ぶ事三日。太陽は三度、前方の海にしずみました。
そして、四日目の朝、とうとう前方に大きな陸地が現れました。
ハンスは、雲の上から遠視の魔法を使って、その大陸全体をながめました。
北半分は密林や草原がほとんどですが、内陸部は、砂漠に近い赤土の大地です。そして、南の方を見ると、はるかかなたの方に、海に向かって突き出した半島のジャングルの中に、人間の住む都市のようなものが見えます。
「あそこに行ってみよう」
ハンスが指差した方に、セイルンは雲の方向を変えました。
そのジャングルの中の都市は、これまでハンスが見たどの都市よりもりっぱでした。中心部には寺院らしい大きな建物が、広大な敷地の中に立ち並び、王宮らしい壮麗な建物もそのそばにあります。中でも目に付くのは、独特な形の大きなピラミッドです。四方に階段を持ち、てっぺんには小さな家があります。きっと、その家からピラミッドの中に入れるのでしょう。
セイルンは、雲を寺院の中庭に下ろしました。すると、セイルンの雲が下りてくるのを見ていたのか、数人の男たちが寺院から出てきました。
「**********」
その中の、一番えらそうな人が、ハンスたちにはわからない言葉で言いました。頭に大きな羽飾りのついた冠をかぶり、服は、上は裸で、下はふんどしだけです。
「ぼくたちは、七つの噴水のある賢者の庭をさがしてます。どなたか知りませんか」
ハンスが心で呼びかけると、男はおどろいたように言いました。
「あなたがたは神の使いか」
「いいえ、天国の鍵を探す者です」
「七つの噴水のある庭など、ここには無い」
「では、水晶の湖は知りませんか」
「水晶の湖? 確か、天上の湖は、水晶の湖とも呼ばれている。だが、それは、ここからはずっと遠いところにある」
「どこですか?」
「ずっと南だ。ジャングルの中を歩けば、半年はかかる。大きな河の上流に、天から落ちてくるような滝がある。その上が天上の湖、そして水晶の湖だ」
ハンスは、その神官らしい男に礼を言って、雲に乗りました。
「やっと水晶の湖は見つかりそうね」
アリーナがうれしそうに言いました。
雲は、細長い土地で北の大陸とつながった、南の方の大陸にさしかかっています。
美意識(びいしき)なんてむずかしい言葉ですが、ようするに、きれいと汚いを見分けて、汚いものを避(さ)け、きれいなものを選ぶ気持ちです。単に外面だけでなく、考え方や行動においても、きれいなものと汚いものがあります。卑怯、卑劣などは汚いものです。たとえば、多くの子供が一人の子供をいじめるなんて、卑劣以外のなにものでもありません。それを汚い行為だと思いもしないところがいじめ問題の最大の問題なのです。
そんなふうに物事を考え、判断する力は、残念ながら学校では教えてくれません。哲学は、教わるものではなく、自分で考えるものなのです。そして、自分で考えることほど楽しく有益(ゆうえき)なことはありません。もちろん、自分に無い知識は謙虚(けんきょ)な気持ちで学ばねばなりません。しかし、考えること自体は、他人ではなく自分がやるものなのです。自分で考える人間は、すべて哲学者であり、他人に考えてもらっている人間は、大学の先生でも偉い人でも哲学者ではありません。
ふつうの人間が、満足のいく人生をおくろうと思うなら、物事を良く考えることが一番だと私は思います。考えることだけでなく、考えるための材料として、知識を得ること、物事を知ることも大事です。みなさんの中で、勉強が好きな人間は少ないと思いますが、ものを知ることは大きな喜びを与えるものです。勉強がつまらないのは、勉強のせいではありません。その勉強が、みなさんの好奇心の対象になっていないからなのです。もしも、数の不思議にとりつかれたら、算数は魔法となり、世の中の仕組みに興味を持ったら、政治経済の知識は君たちの剣となり、盾となるでしょう。そうして、人生は剣と魔法の騎士物語になるのです。中でも、何よりも、未知の世界への鍵となるのは、語学です。魔法でよその国に行くまでもなく、英語やフランス語、ドイツ語の本をひらけば、そこに一つの世界があらわれます。いや、外国語にかぎりません。科学も数学も、本はすべて一つの世界なのです。しかし、みなさんが言葉を知らなければ、それらの世界は永遠にみなさんには閉ざされたままなのです。もちろん、本だけでなく、他の人間も、一つの世界です。
私たちは、毎日顔を会わせている人間のことすらほとんど知りません。人間は自分の内面をなかなか外に表そうとしないものなのです。人間という奴は本とはちがって、扱いがむずかしいものですから、他人を知るというのは大変な仕事です。でも、それが好きな人なら、その大変さも苦痛ではなく、喜びでしょう。
天国の鍵、それは「指向性(しこうせい、志向性でもいい)」、つまりその人が何を求めるかということです。人間は自分の求めるものを自分で知っているとは限りません。自分に合わないものを求めて自分を苦しめていることが多いのです。また、その苦痛は自ら作り出した幻想であることが多いものです。たとえば恋愛の苦痛なんて、妄想的苦痛がほとんどです。だって、相手は、あなたの内面をどうすることも本当はできないのですから。
この話も、むずかしい言葉がどんどん出てきて子供が読むのは大変ですが、わからない言葉は前後関係から考えてみてください。できれば、辞書などひいてくれたら確実です。
その五十八 二つの大陸
さて、ハンスたちはそのままロータシアに飛ぶことにしました。
西に向かって海の上を飛ぶ事三日。太陽は三度、前方の海にしずみました。
そして、四日目の朝、とうとう前方に大きな陸地が現れました。
ハンスは、雲の上から遠視の魔法を使って、その大陸全体をながめました。
北半分は密林や草原がほとんどですが、内陸部は、砂漠に近い赤土の大地です。そして、南の方を見ると、はるかかなたの方に、海に向かって突き出した半島のジャングルの中に、人間の住む都市のようなものが見えます。
「あそこに行ってみよう」
ハンスが指差した方に、セイルンは雲の方向を変えました。
そのジャングルの中の都市は、これまでハンスが見たどの都市よりもりっぱでした。中心部には寺院らしい大きな建物が、広大な敷地の中に立ち並び、王宮らしい壮麗な建物もそのそばにあります。中でも目に付くのは、独特な形の大きなピラミッドです。四方に階段を持ち、てっぺんには小さな家があります。きっと、その家からピラミッドの中に入れるのでしょう。
セイルンは、雲を寺院の中庭に下ろしました。すると、セイルンの雲が下りてくるのを見ていたのか、数人の男たちが寺院から出てきました。
「**********」
その中の、一番えらそうな人が、ハンスたちにはわからない言葉で言いました。頭に大きな羽飾りのついた冠をかぶり、服は、上は裸で、下はふんどしだけです。
「ぼくたちは、七つの噴水のある賢者の庭をさがしてます。どなたか知りませんか」
ハンスが心で呼びかけると、男はおどろいたように言いました。
「あなたがたは神の使いか」
「いいえ、天国の鍵を探す者です」
「七つの噴水のある庭など、ここには無い」
「では、水晶の湖は知りませんか」
「水晶の湖? 確か、天上の湖は、水晶の湖とも呼ばれている。だが、それは、ここからはずっと遠いところにある」
「どこですか?」
「ずっと南だ。ジャングルの中を歩けば、半年はかかる。大きな河の上流に、天から落ちてくるような滝がある。その上が天上の湖、そして水晶の湖だ」
ハンスは、その神官らしい男に礼を言って、雲に乗りました。
「やっと水晶の湖は見つかりそうね」
アリーナがうれしそうに言いました。
雲は、細長い土地で北の大陸とつながった、南の方の大陸にさしかかっています。
その五十五 アンドレの家で
ハンスたちはソクラトンに別れをつげて、雲に乗りました。
「結局、あの印はソクラトンの家に行かなくても、どこでも出たんじゃないの?」
空を飛びながら、アリーナが他の三人に言いました。
「でも、ソクラトンがいたから、あの印の説明が聞けたんだろう?」
ハンスはソクラトンを弁護しました。なんとなくあのおじいさんが好きだったからです。
「そうかな。あのソクラトンって人は説明はうまいけど、どうも今一つ信じられないな」
と言ったのはセイルンです。やはり自分の師匠のロンコンには及ばないと言いたげです。
「彼は、魔法使いというよりは哲学者だからな。知性を信じすぎるのさ」
と言ったのは小悪魔のチャックです。以前にある哲学者に、論理的に言って悪魔は存在しないと目の前で言われて以来、哲学者はあまり好きではないのです。その時は、では悪魔の存在することを証明してやろうと言って、その哲学者を豚に変えてやったのですが、それでもその哲学者は、無知な人間でいるよりは賢明な豚でいたほうが良いと負け惜しみを言ってました。その後その哲学者がどうなったかはわかりません。
アスカルファンにもどる前に、四人はアンドレの家に立ち寄って、ソクラトンの部屋で現れた印のことを報告することにしました。
「ほう、そんな印が出たのか」
アンドレはハンスの話を興味深そうに聞きました。
「さすがにソクラトンだな。その印の解釈は見事だ。たしかに、完成の後には退屈しかない。常に完成されたものを打ち壊して、新たな完成に向かって進むのが人間であり、最終的な完成、つまり永遠の安定とは死者の世界だけのことだという意味だろう」
「では、天国の鍵はこれ以上さがすな、ということですか?」
「いや、これは一つの仮説だ。探すという行為こそが完成を目指す人間の姿である以上、探求をあきらめることは低次元の安定でしかない。それを虚無主義というのだ」
ハンスはロンコンやブッダルタを思い浮かべました。彼らは虚無主義(きょむしゅぎ)とはちがいますが、世界の単なる進歩や改善に対して懐疑的(かいぎてき、うたがうこと)ではあったようです。
「ところで、アンドレさんは水晶の湖については何も知りませんか?」
ハンスが聞くと、アンドレは首を横に振りました。
「少なくとも、アルカードにはないと思う。いろいろ本や古文書を調べてみたが、古名も含めてそんな名前の湖はなかった。アスカルファンやレントにもないようだ」
「グリセリードには?」
「文献が無いな。セイルンが知ってるんじゃないか?」
アンドレがセイルンを見ると、セイルンは、自分は知らないというように肩をすくめました。
その五十六 ストーリー性の欠如に対する作者の言いわけと開き直り
「こうなると、やはりロータシアに行くしかなさそうだな」
チャックが言いました。
「なんだか、あっちに行ったりこっちに行ったりしてばかりだな」
セイルンが言います。
「子供向けの話だから、悪い事が書けないから、きっと作者も困ってるのよ」
と言ったのはアリーナ。
実はそのとおりなんです。ふつうの子供向けの話によくある「夢のある話」や「かわいい話」が作者はあまり好きではないのです。世の中の現実はもっとずっと恐ろしいもので、だからこそスリルや面白さもあるのですが、子供の話に「悪」は書けないことになっているのです。なぜでしょうね。悪役がいてこそ、スリルのある話ができるのですが、子供の本の悪役なんて、せいぜいいじめっ子くらいですからね。もちろん、現実のいじめっ子というものは、恐ろしいものです。そのために自殺する子供もいるくらいですからね。しかし、いじめっ子の話は、書いても楽しくなさそうです。
というわけで、この話には、旅の話のほかは、架空の地理と架空の歴史と哲学のおしゃべりが多いのです。小学生に哲学なんて、と思う人がいるかもしれませんね。でも、哲学なんて、言葉はおおげさですけど、物事の意味を知りたいと思う人間は子供でも哲学者ですし、大人でも物質的な欲望にしか興味のない人間は、大きな赤ちゃんでしかありません。 哲学というのは、たとえばこういうことです。大人にも子供にも、自分のしている悪い事が悪いという自覚がまったくない人間がたくさんいます。そういう人間が世の中で成功して、善良な人間がみじめな人生をおくることも世の中には多いのですが、それでも善を選ばねばならない、というのはなぜなのでしょう。それを子供に説明できる大人がいったいどれだけいるでしょうか。哲学というのは、人間として生きるとはどういうことかを考えることであり、それには大人も子供も関係ありません。確かに、子供は注意深く悪から守られていることが多いのですが、子供の世界にも大人の世界と同じく、小さなスケールではあっても、裏切り、憎しみ、嫉妬(しっと)、嫌悪(けんお)、卑怯(ひきょう)、卑劣(ひれつ)、羨望(せんぼう)、暴力があり、子供なりのかけひきや政治があるのです。子供が大人の支配に従うのも、必ずしも愛情や尊敬のためだけではなく、ある意味では彼らなりの弱者としての無意識の打算の結果でしょう。もちろん、また、子供には大人以上の行動上の美意識や正義感があり、大人の善も悪も、その種子はすでに子供の中にあるのです。もしも、悪こそが利益だと彼らが感じるなら、この世は悪で満たされるでしょう。現代は、すでにそれに近いのです。はたして、これは幸せな世界でしょうか。
なぜ、現代にこのように悪がはびこるようになったかというと、金がすべてという人間が世の中の大半を占めるようになり、自分が損をしても「汚い行為」はしないという人間が少なくなったからです。言葉を変えれば、人々が生き方の美意識を失ったからなのです。
その五十三 神の顕現とは……
「これは難しいな。まず、ヘスペリアとは西のことだ。だから、グリセリードから見て西、つまりアスカルファンか、それよりもずっと西、ロータシアのことだろう。わしにはこれは予言のように思えるな。七つの噴水とは、世界の、または西側の七つの国だろう。聖なる見者がいつかこの世に現れ、東と西の世界を結び付け、この世に地上の天国をもたらすということだ。翼竜が三度魔法の水を飲み干し、自らの体を裂くとは、東と西の大戦争だろう。その三度の戦争の後で、太陽と月の助けによって、つまり時間が流れ、あるいは力と知恵によって、この世を地上の天国にする魔法の鍵が手に入る。その魔法の鍵とは、あるいはこの世の全員を飢えや貧困から解放する大発明かもしれん」
ソクラトンはこのように言いました。チャックがさらに追求します。
「永遠に燃える枝とか、アジアの教会の印の意味は?」
「永遠に燃える枝とは、西の世界の宗教の象徴だ。したがって、栄光の噴出とは、東にも西にもともに受け入れられる人類の最後の絆だろうな。宗教に代わる知恵かもしれん。もしかしたら、それを知れば人々がもはや争いや欲望の空しさを知り、互いに手をとって生きるようになる、あらゆる宗教の精髄を表したたった一言の真理かもしれん」
「魔法の鍵が本物の、物体としての鍵だとは思いませんか?」
「それはわしには信じられないな。もちろん、単なる黄金のたぐいの宝を隠した場所のてがかりだということなら、おおいにありうることだ。つまり、凡人にとっての地上の天国とは、無限の富を手に入れることだろうからな。そうなると、地上のすべての人間にとってこの世に天国が出現するというのは、伝説でしかないということだ」
その後で、ソクラトンはしばらく黙って考えていましたが、やがて重い口を開きました。
「今の話をしているうちに、わしには一つの想像が生まれた。これは恐るべき想像だ。人類全体の存在意義に関わるものだ。
魔法の鍵、天国の鍵で天国が開けられるというのはどういうことかとわしは考えた。天国の門が開いて、そしてこの世に神が現れるのだ。
これがどういうことかわかるか?
もはや神を信じるも信じないもないのだ。神はそこに現前しているのだからな。神はもはや事実なのだ。ということは、神が明らかに存在する以上、神の教えに反することは何一つ不可能になるのだ。これは信仰ではない。善行はもはや単に機械的な行為でしかないのだ。それ以外にどんな道がある? これは悪よりもなお悪い状態だとわしには思える。悪をなしても人間はなお人間だが、善行以外に行動の選択ができない人間とは、自由意志のない存在、神の操り人形でしかないのだ」
「つまり、神が現前してしまった世の中では、もはや人間には存在価値はないと?」
セイルンが言いました。
「その通りだ。人間が人間であるためには、神は隠れた神でなければならないのだ」
その五十四 聖なる印
「では、あなたはこの世の悪にも存在意義があると思うのですね」
チャックが勝ち誇ったように言いました。
「そうとも言えるし、そうでないとも言える。わしは、これまで人々に善をすすめてきた。それは、善こそが人間に真の利益、幸福をもたらすからだ。だが、悪の無い世界を望むかといえば、そうだとは言い切れん。悪が存在しなければ善もまた存在しない。悪を選びうるという前提でこそ、善を選ぶことの意味はあるのだ。結果だけで言えばどちらでも同じだろうが、そこに、単なる自動機械とは異なる人間が存在するのだ。悪の存在意義とは、存在を否定されるべきものとして存在することにあるのだ」
「難しい議論ですね」
ハンスはため息をつきました。ハンスにとっては、善は善、悪は悪で、この世からすべての悪が消滅すれば人々はみんな幸福になるだろう、というくらいの考えしかなかったのですが、どうもそれではすまないようです。
ともかく、ソクラトンのところにはサファイアは無い、ということですが、太陽の光の実験は翌日することにし、今晩はここで泊めてもらうことにしました。
翌日ソクラトンの部屋の窓から、外の黒い松の木の葉ごしにもれてくる太陽の光にハンスの水晶の腕輪をかざしてみると、太陽の光は虹のようにきれいに分光されました。
水晶の腕輪は、透明な四つの三角柱の水晶の間に三つの青、赤紫、碧の透明な宝石の丸い珠がありましたので、腕輪をつらぬいている紐をはずして、その七つの宝石をならべました。
最初は一本の水晶柱を窓のそばに置き、太陽光を分光します。次に、その光の中の淡紅色、紫赤色、紫色の三つを三つの水晶柱で再度集め、その焦点のところに碧色の宝石を置きました。でも、何も現れません。赤紫色の宝石でもだめです。しかし、青い宝石を置くと、そこに一つの印が現れました。それは、英語の小文字のxの筆記体、つまりcを背中合わせにくっつけたような印でした。
ソクラトンを除いた四人は歓声をあげました。ソクラトンも、ほほうというような顔をしています。
「これはわしの負けだな。これが天国への入り口を示す印か」
「どういう意味ですかね」
ハンスが言うと、ソクラトンは少し考えて、言いました
「始原、もしくは再生の意味だろうな。おそらくは後者だ。閉じられた輪、円形は完成を表し、完成とは物事の死でもある。この形は、二つに割れた輪が背中合わせに結びつき、新たに出発するということだろう。そして、この記号がもう一つくっつけば、そこに一つの輪ができる。そうして無数の輪が永遠につながっていくのだ。つまりは、死と結びつく事のない完成という奇跡を意味しているのではないかな」