ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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カウンター
その五十五 アンドレの家で
ハンスたちはソクラトンに別れをつげて、雲に乗りました。
「結局、あの印はソクラトンの家に行かなくても、どこでも出たんじゃないの?」
空を飛びながら、アリーナが他の三人に言いました。
「でも、ソクラトンがいたから、あの印の説明が聞けたんだろう?」
ハンスはソクラトンを弁護しました。なんとなくあのおじいさんが好きだったからです。
「そうかな。あのソクラトンって人は説明はうまいけど、どうも今一つ信じられないな」
と言ったのはセイルンです。やはり自分の師匠のロンコンには及ばないと言いたげです。
「彼は、魔法使いというよりは哲学者だからな。知性を信じすぎるのさ」
と言ったのは小悪魔のチャックです。以前にある哲学者に、論理的に言って悪魔は存在しないと目の前で言われて以来、哲学者はあまり好きではないのです。その時は、では悪魔の存在することを証明してやろうと言って、その哲学者を豚に変えてやったのですが、それでもその哲学者は、無知な人間でいるよりは賢明な豚でいたほうが良いと負け惜しみを言ってました。その後その哲学者がどうなったかはわかりません。
アスカルファンにもどる前に、四人はアンドレの家に立ち寄って、ソクラトンの部屋で現れた印のことを報告することにしました。
「ほう、そんな印が出たのか」
アンドレはハンスの話を興味深そうに聞きました。
「さすがにソクラトンだな。その印の解釈は見事だ。たしかに、完成の後には退屈しかない。常に完成されたものを打ち壊して、新たな完成に向かって進むのが人間であり、最終的な完成、つまり永遠の安定とは死者の世界だけのことだという意味だろう」
「では、天国の鍵はこれ以上さがすな、ということですか?」
「いや、これは一つの仮説だ。探すという行為こそが完成を目指す人間の姿である以上、探求をあきらめることは低次元の安定でしかない。それを虚無主義というのだ」
ハンスはロンコンやブッダルタを思い浮かべました。彼らは虚無主義(きょむしゅぎ)とはちがいますが、世界の単なる進歩や改善に対して懐疑的(かいぎてき、うたがうこと)ではあったようです。
「ところで、アンドレさんは水晶の湖については何も知りませんか?」
ハンスが聞くと、アンドレは首を横に振りました。
「少なくとも、アルカードにはないと思う。いろいろ本や古文書を調べてみたが、古名も含めてそんな名前の湖はなかった。アスカルファンやレントにもないようだ」
「グリセリードには?」
「文献が無いな。セイルンが知ってるんじゃないか?」
アンドレがセイルンを見ると、セイルンは、自分は知らないというように肩をすくめました。
その五十六 ストーリー性の欠如に対する作者の言いわけと開き直り
「こうなると、やはりロータシアに行くしかなさそうだな」
チャックが言いました。
「なんだか、あっちに行ったりこっちに行ったりしてばかりだな」
セイルンが言います。
「子供向けの話だから、悪い事が書けないから、きっと作者も困ってるのよ」
と言ったのはアリーナ。
実はそのとおりなんです。ふつうの子供向けの話によくある「夢のある話」や「かわいい話」が作者はあまり好きではないのです。世の中の現実はもっとずっと恐ろしいもので、だからこそスリルや面白さもあるのですが、子供の話に「悪」は書けないことになっているのです。なぜでしょうね。悪役がいてこそ、スリルのある話ができるのですが、子供の本の悪役なんて、せいぜいいじめっ子くらいですからね。もちろん、現実のいじめっ子というものは、恐ろしいものです。そのために自殺する子供もいるくらいですからね。しかし、いじめっ子の話は、書いても楽しくなさそうです。
というわけで、この話には、旅の話のほかは、架空の地理と架空の歴史と哲学のおしゃべりが多いのです。小学生に哲学なんて、と思う人がいるかもしれませんね。でも、哲学なんて、言葉はおおげさですけど、物事の意味を知りたいと思う人間は子供でも哲学者ですし、大人でも物質的な欲望にしか興味のない人間は、大きな赤ちゃんでしかありません。 哲学というのは、たとえばこういうことです。大人にも子供にも、自分のしている悪い事が悪いという自覚がまったくない人間がたくさんいます。そういう人間が世の中で成功して、善良な人間がみじめな人生をおくることも世の中には多いのですが、それでも善を選ばねばならない、というのはなぜなのでしょう。それを子供に説明できる大人がいったいどれだけいるでしょうか。哲学というのは、人間として生きるとはどういうことかを考えることであり、それには大人も子供も関係ありません。確かに、子供は注意深く悪から守られていることが多いのですが、子供の世界にも大人の世界と同じく、小さなスケールではあっても、裏切り、憎しみ、嫉妬(しっと)、嫌悪(けんお)、卑怯(ひきょう)、卑劣(ひれつ)、羨望(せんぼう)、暴力があり、子供なりのかけひきや政治があるのです。子供が大人の支配に従うのも、必ずしも愛情や尊敬のためだけではなく、ある意味では彼らなりの弱者としての無意識の打算の結果でしょう。もちろん、また、子供には大人以上の行動上の美意識や正義感があり、大人の善も悪も、その種子はすでに子供の中にあるのです。もしも、悪こそが利益だと彼らが感じるなら、この世は悪で満たされるでしょう。現代は、すでにそれに近いのです。はたして、これは幸せな世界でしょうか。
なぜ、現代にこのように悪がはびこるようになったかというと、金がすべてという人間が世の中の大半を占めるようになり、自分が損をしても「汚い行為」はしないという人間が少なくなったからです。言葉を変えれば、人々が生き方の美意識を失ったからなのです。
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