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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「魔法高校の劣等生」(「魔法科高校の…」だったか)のアニメは、主人公キャラのスカシっぷりや兄妹相姦的描写など、視聴感が良くないアニメで、中国を仮想敵国としているネトウヨ的スタンス(これはマスコミ的にはむしろ売るのに有利。「マスコミ=電通=アメリカ」が後押しする。)も嫌いだが、第三期の監督のジミーストーンというのが気になってネットで調べてもあまり情報が出て来ない。
一応、本人らしき人物がXでこう言っている。日本国籍のハーフらしい。
よほど見たいアニメが無い時でないと、「大人の視聴」には耐えられない内容である。もっとも、子供向けアニメでも大人の視聴にも耐えられるアニメは多い。まあ、原作者やスタッフの品性の問題だ。

(以下引用)


ジミー ストーン Jimmy Stone
@jsq1988211robo
一応、本名です。ハーフなんです(生まれも育ちも国籍も日本ですが)
英語は聞き取るのは大体できますが流…
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ネットフリックスで「君に届け」の3rdシーズンを見ているが、正直言って、「終わった話」を無理に続けている印象である。前のシーズンまでは爽子が話の中心で、他キャラは完全に脇役だったが、だからこそ脇役として輝いていた。ところが、爽子の話が一段落ついたので、話を続けるために、他キャラの比重を大きくし、その結果、キャラの性格まで変わった印象になっている。まあ、いわば「作者自身による二次創作」といった感じだwww
だが、吉田と龍の話もまとまりそうだし、千鶴と軽薄男(実は誠実だったとされている)の話もクリスマス回でほとんど完結し、これから先を続けるのが難しそうである。ピンなど、無理やりに「実は立派な先生でした」となっており、いったい、どうする気かww

ついでに言えば、クリスマス回の脚本が横手美智子で、少し仕事をし過ぎではないか。「来るもの(仕事)は拒まず」主義なのだろうか。

(追記)先ほど「はてな匿名ダイアリー」に「君に届け」についてのスレッドがあり、その中のコメントで納得した。まあ、「推しの子」で言っていた「編集の仕事はヒットした作品をやめさせないことです」のあれだろう。とすると、「付け足し」部分をわざわざアニメ化したネットフリックスが馬鹿みたいである。なお、彼らにアニメを見る目が無いのではなく、「ロマンチックキラー」のような、珍種の、いい作品も作っている。ただ、日本の漫画界のこうした悪習(ヒット作の引き延ばし)に無知だっただけだろう。

両思い以降は編集部というか出版社の意向による引き伸ばしだったんだろうなと思ってる(主人公カップルに関してはテーマ的にも付き合ったところで書くことなくなっちゃった感。→...
見られそうなというか、見る価値がありそうなアニメが無さそうなので、試しに「天穂(てんすい)のサクナヒメ」とやらいうアニメを見てみると、脚本が、私が嫌いな花田十輝なので、見るのをやめようかと思ったが、日本神話をネタにしたアニメに思えるので、とにかく見てみた。
まあ、案の定、さほど面白くはないし、糞たれガキ(サクナではなく人間のほう)が悪態をつくのが不快なのだが、話をどう動かすつもりなのか、研究目的で二話まで見た。相変わらず面白くはないが、農業が話の柱になるというのは、少し興味深い。
しかし、畑(苗代か)作りをするのに、荒廃した石だらけの畑の無数の大石を除去しないままで土を掘り返すのは、順序が違うだろう。原作が小説か漫画か知らないが、農業についての想像力が欠如していないか? 絵面重視での、意図的なものか?
で、豚鬼とかいうのが出てくるが、頭は豚だが体は人体で、それを狩りの獲物として、その肉を食べるのはどうなのだろうか。さすがに「ダンジョン飯」でも、人型魔物の肉は食べなかったようだが。まあ、人間の死体でも食べる対象だというのは、古代には珍しくないことではあるが、子供がこれをどう見るか、娯楽とは別の意味で興味深い。

(追記)飯のついでに第三回まで見たが、花田十輝の作劇法は「問題と解決」、よりドラマ的に言えば「対立と和解」が基本であるようだ。第三回は田植えの話だが、全体の3分の2くらいまで、島で農業を始めたサクナ姫と人間たちの対立の描写である。その有様が実に不快で、視聴をやめたくなるくらいだった。とにかく人間たちが我儘で無理解で、サクナにすべての責任を押し付けるのである。あまりにも不合理で不人情な話である。で、最後に解決するのだが、その解決した理由もまさにご都合主義であり、前の対立の意味は、要するに脚本家、あるいは原作者の勝手な作劇思想にあるようだ。つまり、繰り返すが「対立と和解」がドラマを作るという思想だろう。で、和解があれば「感動」があるはずだという、ゲスい思想だと思われる。
確か、「響けユーフォニアム」第三期は、花田十輝脚本で、原作者の了解のもとに原作改変をしていたと聞いているが、それも、三期の終わり近くまで部内の対立の話だった。つまり、それが花田十輝の作劇の好みなのだろう。
大半の視聴者にとっては無意味な「長所」を挙げれば、手植え時代の稲作の基本をよく調査しているようだ。
気まぐれで、「夢見る男子高校生は現実主義者」(タイトルは正確かどうか知らない)という、いかにもダメアニメ臭をぷんぷんさせているアニメを見始めたら、脚本構成が横手美智子で、あのベテランが参加しているとは、思いがけない拾い物かもしれないと身を入れて見ていると、回が進むに従って段々面白くなってくる。
まあ、もともと青春アニメ、学園アニメが好きなのだが、案外これは「負けヒロインが多すぎる」レベルの優良作品ではないか。後者が、今後の展開が難しそうなのに比べて、こちらのほうがこれから面白さが増す雰囲気もある。難はキャラの絵柄が少しダサいことか。それだけで一話切りしたアニメオタクも多そうだ。それと、タイトルがどうしようもなく、「見る気を無くす」ダメタイトルである。これは原作の失策だろう。よく、こういうタイトルの作品をアニメ化しようと思ったものだ。
なお、数回見ているうちに、私のごひいき声優のひとりである花守ゆみりが脇役で出ているのに気づいて、これもある意味、私にはボーナスだ。聞いていると、やはり彼女の声で、なかなか楽しい。キャラとしてはヒロインの親友でおせっかい焼きの陽気な劣等生という、ありがちキャラであるが、今後、実は彼女が主人公に本当は惚れている、という展開もありそうである。
話としては、「これまでキャラを作ってきた」主人公の男子高校生が、突然醒めた気持ちになって、そのキャラをやめて本来の性格を素直に出すようになり、周囲を動揺させるという、逆「弱キャラ友崎くん」である。これは無数の「自分のキャラを演じている」高校生たちには突き刺さるテーマだと思う。
そういう「自己表現演技」がテーマだとすると、「夢見る」云々というタイトルは作品テーマに即していると言えないこともないが、あまりに「意図的に矛盾したタイトルにして売れ線を狙っている」臭さが漂うから、ダメタイトルだと私は言っているわけだ。しかし、売れたら、これも良タイトルだとして広まるかもしれない。
なお、「青春物」がなぜある種の人に刺さるのかについての心理分析(というほど大げさではないが)も書くつもりだったが、長くなったので、またの機会にする。まあ、簡単に言えば「心理(心的)補償」であり、それだけで即座に分かる人もいるだろう。

私は嫌いなアニメを見るのは当然嫌いだが、そのアニメについてのコメントを読むのは嫌いではない。的確な批判をしている妥当なコメントがあると気分がいい。まあ、私もシャイデンフロイデ(と言ったか?)の持ち主だということだ。
なお、荻生徂徠が、世の中で一番楽しいのは、干し豆(か何か)を齧りながら世間の有名人の悪口を言うことだ、みたいなことを言っているらしい。

以下は「小市民」最新回(私は見ていないが、その前の回は見たので、コメントの主旨は大体わかる)のコメントの一部である。
コメント60はコメント19が無いと意味不明だが、何となく推測できるのでそのまま載せる。

なお、私は「小市民」という言葉も、市井の普通人への侮辱を感じて嫌いである。その「小市民」を目指すというところにも、作中人物の自惚れと思い上がりを感じる。つまり、キャラ(作中人物)のキャラ(性格)が嫌いである。

(以下引用)

48. アニメ好き名無しさん 2024年08月05日 19:49 ID:yH830lGA0 >>返信コメ

作画はきれいだけど肝心の謎解きが面白くないなあ
氷菓は面白かったから期待しすぎたのかな
15返信:>>51

50. アニメ好き名無しさん 2024年08月05日 19:50 ID:8Ti..6.a0 >>返信コメ

あんなしょうもない不良グループが小遣い稼ぎの為にこんな手の込んだ準備するか?
あと住民票って発行に本人確認が必要だったと思うけどどうやって用意したんだ?
住民票って必要になった時に発行するのが普通じゃないの?普段家に置いておくものじゃないから、空き巣で手に入れるのは無理がありすぎでは?
14返信:>>65返信:>>82

51. アニメ好き名無しさん 2024年08月05日 19:51 ID:RkeC.d.40 >>返信コメ
>>48

冷静になって考え直してみて?
氷菓も肝心のとかいう謎解き部分はかなりくだらんかったぞ
違いは制作会社とキャラの魅力だよ
6返信:>>75

52. アニメ好き名無しさん 2024年08月05日 19:57 ID:0yijE.iI0 >>返信コメ

俺はなんか勘違いしてた
「サカガミ」って名前を知ってるから「中学の時に知り合いだったのか?」って思ってた
サカガミの名前を突き止めるシーンあったっけ…
あと健吾が「小山内?これが?」って、こないだココア飲みに来てなかったか?このリアクションは何だ?
2返信:>>59

54. アニメ好き名無しさん 2024年08月05日 19:59 ID:8Ti..6.a0 >>返信コメ

自転車盗まれた時に盗難届出しておけば、空き巣時にサカガミ補導されて、ここまで面倒な事態になってなかってのでは?
3返信:>>73返信:>>80返信:>>96返信:>>103

55. アニメ好き名無しさん 2024年08月05日 20:01 ID:aFdZbzx80 >>返信コメ

見せ方の問題なのか知らんが、何回も小佐内なのか?って聞くほどいつもと違ったか?
30

56. アニメ好き名無しさん 2024年08月05日 20:02 ID:8Ti..6.a0 >>返信コメ

健吾が「小佐内?これが?」って言うシーン、何言ってるんだお前は?と思ったけど、もしかしてスタッフが小佐内の変装描き分けが出来ていないのか?

ココア回の時も、小鳩が変装している小佐内さんとか言うシーンも意味不明だったけど、変装の描き分けが出来ていないのなら納得。
25返信:>>139返信:>>164


58. アニメ好き名無しさん 2024年08月05日 20:11 ID:Ipp1o4RQ0 >>返信コメ

見た目的に全然変わらない幼いさんを見て「お前幼いか?」は無理がある
23返信:>>124

59. アニメ好き名無しさん 2024年08月05日 20:23 ID:a2WtTv190 >>返信コメ
>>52

コンビニで先輩にサカガミって呼ばれているのを小鳩が聞いてたから教えたんじゃねぇのかな。でも名前教えたら報復するに決まってるから教えるのもおかしいし自分で調べたんじゃねぇかな。
健吾のやつは小山内の素晴らしい変装で誰だかわからなかった的なシーンだと思う。どっからどうみても小山内だけど劇中の人物にはそうには見えないんのかもしれん
1返信:>>70

60. アニメ好き名無しさん 2024年08月05日 20:38 ID:zBsKnrTS0 >>返信コメ
>>19

原作の米澤氏がそういう人やったんやろ(適当)。
2

61. アニメ好き名無しさん 2024年08月05日 20:41 ID:w2JL9Vz.0 >>返信コメ

見せ方の問題なのか2人とも小市民を目指さなければいけない程の異常者に見えないのがネックだな
そういう遊びをしているならまだわかるけどそうじゃなくて本気でその小市民とやらを目指しているんだよね?



「推しの子」を再視聴していて、現在、アビ子先生と脚本家氏が話し合いをしながら脚本再構成をしているうちにどんどん意気投合して、脚本中の台詞をどんどん削っていく話まで来て、その時に削られたのが無数の「説明ゼリフ」であることから、そう言えば、少し前に、私は「説明ゼリフ」がダメであることをこのブログに書いたなあ、と思い出して、少し過去記事を遡り、7月10日の記事がそれだったと確認したので、再掲載する。これは、脚本家志望者や漫画家(漫画原作者)志望の人は覚えておくといい基礎知識である。
なお、なぜ説明ゼリフがダメかと言うと、それは「視聴者の参加」を失わせるからである。視聴者自身も考えることで、ドラマ(物語)への参加が生じるのだが、説明ゼリフは、考える必要もなくなるので、視聴者は「見ているだけ」で、「頭が参加しない」わけだ。
「推しの子」は、そういう「視聴者が参加すればするほど面白い」作品(時々、前に戻って見ると、意味がよくわかる作品)なので、第二期が面白くない、というのは思考の習慣が無い、頭脳が怠惰な連中だと思う。
私は昔、ダメ教師だったが、優れた教師は「生徒を授業に参加させる」教師だろう。ダメ教師は「すべて説明する」だけで、子供に頭を使わせない。つまり「生徒が置いてけぼり」の教師だ。

(以下引用)

「戦国妖狐」がダメな理由
「戦国妖狐」、昔、第一回を見て視聴放棄していたアニメだが、先ほど第一回から見直して、なぜダメだったか分かった。大筋は高橋留美子の「犬夜叉」のパチモンだが、アニメとしてのダメさは、脚本の花田十輝のダメさが、かなり大きな要素であるようだ。
つまり、ダメ脚本の特徴である、「説明ゼリフ」だらけなのである。第一回の台詞の8割くらいが説明台詞である。見ている視聴者は「ああ、そうですか」としか言いようがない。小学校の教師の説明を聞いている児童状態だ。もちろん、面白くも何ともない。
花田十輝は親の七光りで脚本家としての地位を得たので、脚本の基本の勉強をしていないのではないか。説明ゼリフがダメ脚本の特徴だということも知らないのだから。
「推しの子」の二期が面白いので、一期の最初から見直しているが、色々と面白い。自分の好きなアイドルの腹の中の胎児として転生するという設定のグロテスクさに最初は反発だけ感じていたが、真面目に見ると、赤坂アカの作劇能力の高さに感心する。(もちろん、アニメ制作陣の能力も高い。特に、毎回の終わりのシーンの次回への「引き」の強さに感心する。)声優の演技も面白い。特に有馬かなの潘めぐみは、素晴らしい。ギャグ的演技が多いが、実にはまり役である。

どうでもいい作品だと細部の疑問など理解できなくても気にならないが、少し前に見た部分で有馬かなが「シャーデンフロイデ」という言葉を使い、その意味が分からなかったので、たぶんドイツ語だろうと思って、手持ちの独日辞書で調べると、「他人の不幸を喜ぶ気持ち」らしい。世界共通の心理だろうが、日本語では適当な言葉を思いつかない。SNSコメントではゴミの山のように溢れかえっている感情だ。
なお、ドイツ語の綴りはSchaden-freudeで、schadenは「或る人(物)を損なう、害する」意味である。freudeは「喜ぶ」意味。ベートーベンの第九の「歓喜の歌」の中に何度も出て来る言葉だ。
「リズと青い鳥」は、ネットフリックスの「お気に入り」(だったか「マイリスト」だったか、「見る予定の作品」リストだ。)に入れてあるが、なかなか見る元気が出ないのは、何かの予感が働いたのだろう。下の記事で監督が山田尚子だと聞いて、見なくていいかな、と思えたので、流刑囚氏のこのコラムは役に立つ。
たしか「平家物語」も山田尚子監督作品ではなかったか。あれは、おそらく原作や現代語訳の「平家物語」をロクに読んだこともない人間が脚本を書き、監督をした作品である。
山田氏についての私の感想は今回の記事タイトルである。

(以下引用)

流刑囚の映画百物語~第66回『リズと青い鳥』(’18日)

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流刑囚
流刑囚
2023年5月27日 05:38





画像
 私流刑囚がその時々で見た映画を紹介するコーナー。第66回は『リズと青い鳥』。


本作の5点満点評価は…

コンセプト…1点
カメラワーク…2.5点
ビジュアル…1.5点
脚本…1点
総合評価…1.5点


 リズとTwitter、なんちゃって。

 うーん、なんだろう、この終わりの見えない90分間。こと「退屈さ」という一点においてなら本作は筆者がこれまでの人生で見てきた映画の中でもトップ「クラス」という表現ですら生ぬるいかもしれない。

 まず「みぞれ」。なんかリアルな人物の心理描写を売りにしている作品らしいがその割には主人公のキャラからして綾波レイとか長門有希みたいな「マンガ的な無口キャラ」の焼き直しですよね。そこに乖離がある。

 また「吹奏楽部」とは団結力や統制力を要求される集団だ。果たしてそういうところに「みぞれ」のような人間の居場所があるだろうか?おそらく部員はもちろん、顧問からすらいじめ抜かれて退部するのがオチだろう。

 リアリティの欠如は主人公のキャラだけの問題ではない。この舞台となっている高校。男子生徒がちらりとも映らないのだが女子校なのだろうか?自分は女子校に知り合いが結構いたので分かるのだが基本的に女子校というのはいろんな意味で汚らしい、不潔な場所だ。本作に描かれるような清潔な環境ではない。もしそんな環境が実在するとすればそれは相当なお嬢様校だろう。

 しかしこの「お嬢様校」という仮定をした場合、ある意味で色々と合点がつき、見えてくるものもある。まず教員が向こうから音大進学を勧めてくるケースなど普通の高校ではなかなかなく、お嬢様校のように「芸術系」の進路に進むことがそれほど問題視されない場所を舞台とすることはそれなりに整合性が取れている。

 そしてもっと言えばアニメ業界という場所にはこうしたお嬢様校の出身者が少なからずいるのではないか、という見方も成り立つ。アニメ業界は低賃金で知られているが、それでも末端のスタッフが食えていけるのは彼ら彼女らが一人前の職人に成長するまで親が援助をするからだという。その援助を受けられない人間はひっそりと消えていく、そういう世界なのだ。恐らくこの映画を作った人たちはそこで生き残ってこれた人々であり、そんな彼らが学生時代に見てきた景色が本作に投影されている、というのは想像が過ぎるだろうか?

 劇中劇である『リズと青い鳥』の世界観にもそうした浮世離れした感覚はついて回る。おそらく作り手たちはジブリ、とくに『魔女の宅急便』のああいう感じを目指したかったのだろう。しかし東映労組出身の宮崎駿の作風から見て取れる「労働」のリアリズムがこの世界には根本的に欠如している。そしてなおのこと悲惨なのは、この作り手たちはその「欠如」を恐らく自覚すらしておらず、それ故にリアリティを事後的に付与するための「取材」を行うという発想にも至れなかったという点だろう。どこまでも作り手の貧弱な頭の中だけで作られた世界。

 また「進路を決める」ということも言い換えれば「親に学費を出させる」「奨学金=借金を借りる」ということであり、これもまた厳然たる経済社会との兼ね合いの問題となるのだが、本作にはそうした重みも完全に欠如している。だから仲良し同士で進学すればいいという非現実的発想に至るのだろう。いくら女子学生とはいえ、普通はもう少しシリアスに考えるものではないか。こういうことを言うと「(けいおん!とはちがって)最終的に別の進路を選んだだろ!」という反論が来るかもしれないが、それはゴールの問題である。本作は根本的にスタートラインの発想からして間違っている、というか浮世離れしすぎなのだ。

 この進路選択の描写のくだりとも関連するのだが「みぞれを振り回す」のがどうのこうのとかいうのも全く意味不明だ。部活辞めようが進路をどうしようがそれって「お友だちの気持ちを考えて」することなの?なんというか高校というよりも幼稚園が舞台の物語に見える。そもそも曲の題材(?)も幼児が読むような絵本だし。「大好きのハグ」とかもなんか幼稚園児がよくやるやつでしょ。そういうものにしか見えなかった。

 あと気になったのは女子高生の体や制服のパーツを凝視するような細かいカット割りだ。これは少女趣味でもあるんだろうがそれ以前に監督はじめとした作り手のナルシシズムの発露であるかのように見えてならない(現に『たまこまーけっと』の主人公は本作含め両作品で監督を務める山田尚子の自己投影だと言われている)。しかしその割にはプールシーンをまるごとカットして「キモオタの俗情には媚びません!」的なポーズを取っているのだが、いや、それが「オスの性欲」だろうが「メスのナルシシズム」だろうがどちらも所詮はジャパニメーションの必須要件である「少女崇拝」でしょと。単に高尚ぶった美少女動物園でしょと。しかもその「まるごとカット」も単にストーリーの運びをガタつかせて分かりにくくしているだけという。

 さらに言うとこれは同じ監督の『たまこラブストーリー』もそうなんだが一々セリフが気取っている。しかもそこで語られる内容はこれまたアニメでありがちな「ヤンデレ」なモノローグでしかない。これもまた「乖離」でありいくらリアリズムを気取ったところで所詮はアニメ(漫画)であり美少女動物園なのだなと。

 全体として言えば、本作におけるこの「リアリズム演出」とリアルの乖離はあの『シン・ゴジラ』にも匹敵していると言えるかもしれない。もちろん悪い意味でだ。なんか色んな賞を獲った作品らしいが、審査員はよほどの節穴揃いだったのだろうか?ちゃんと最初から最後まで見ましたよね?

 なんというか、「映画」にしろ「社会」にしろ「人生」にしろ、色んなものを舐めた作品だなあ。
 
 なおこれは余談であり完全な好き嫌いの問題なのだが、筆者はこの作品のなんか「するりとした感じ」のキャラデザにも、そこはかとない苛つきを覚えるのだ。

「葬送のフリーレン」を見続けていれば良さが分かるかな、と思って再度視聴挑戦しているが、いっこうに好きになれないどころか、ますます嫌いになる。
その理由が何か、考えてみたが、要するに「いかにも電通的アニメ」ということだろうか。要するに、「描きたいもの、表現したいものがある」から作ったのではなく、これまでの漫画やアニメのパターンから「これが売れるパターンだ」というのを集めて作った印象なのである。
特にギャグ面がひどい。娯楽作品を見慣れた人なら「ああ、こうきたらこうなるだろうな」というパターンばかりなのである。フェルンとシュタルクの喧嘩や仲直り、フリーレンの鈍感さやだらしなさの描写など、「主要キャラに小さな欠点を持たせることで愛嬌にする」と言う、鉄則パターンである。
絵が一見きれいなので気づかない人が多いと思うが、人物キャラの表現も下手である。手持ちパターンが少ないから、同じような顔が何度も出て来る。代表的なのは、「断頭台のアウラ」と、「魔術師試験のライバル」の顔の区別がつかないことだ。老人の顔を描くのも下手で、老齢のヒンメルなど、幼児の頭を禿げさせたような不気味さだ。
一番気持ち悪いのは、登場人物にやたらと「人生論」を語らせることである。話の7割くらいがその手の人生論とつながって「深い話だ」という印象を視聴者に与える仕組みである。その人生論の中身も、我々の世代では耳タコの内容だが、読書もせず先行世代から人生論を聞いてこなかったZ世代には耳新しいのだろう。要するに「人生は長いようで短いから一瞬一瞬を大切に」というお説教である。
話もつまらないエピソードが多く、まだ10話も見ていないのに、すでに「誕生日話」が2回も出てきている。あるいは、もっとかもしれないが、忘れた。
だいたいが、(キリストや聖人の誕生日以外に)誕生日を祝うという風習が近代以前の民間にあったかどうかも怪しいし、誕生日プレゼントを選ぶのに、喧嘩したり仲直りをするという話を誰が面白いと思うのか。これも要するに「お説教」である。「人生の節目である誕生日を大切にすることは、人生を大切にしていることを意味するのだ」というお説教だ。
まあ、最後にもうひとつ言えば、「ギャグ顔が面白くもおかしくもない」ことだが、これは私の個人的な感性だろう。
題名を見て、面白そうだなと思って見て、一話切りしたアニメに「史上最強の魔王(大魔王?)村人Aに転生する」というタイトルのものがあるが、タイトルで話の大筋はつかめるから見たわけだ。で、かなりがっかりして一話切りしたと思うが、この設定だけはいいと思う。
問題は村人Aに転生した後の能力をどうするかだ。私なら、「不死」の能力だけで、後は、ごく普通の能力とする。そうでないと、「村人A」となった意味がないからだ。まあ、「過去の記憶」も持っているのは結構だろう。過去の記憶と現在の状態のギャップをギャグにもできる。
で、過去の、全能の魔王としての記憶と、現在の平凡な一般人としての生活のギャップに悩みながらも、その生活を楽しむという作品にしてみたい。当然、領主による搾取とかの理不尽に怒り、戦争の被害に苦しむわけである。たとえば戦争で恋人が殺されるなど。あるいは、恋人が村の暴力青年に強姦されるなど。昔の庶民生活とは、苦難や理不尽との共存でもあるわけで、この大魔王は国家改革、社会改革に乗り出す、というあらすじはどうか。不死だから、それを生かした話にできるだろう。
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