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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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見られそうなというか、見る価値がありそうなアニメが無さそうなので、試しに「天穂(てんすい)のサクナヒメ」とやらいうアニメを見てみると、脚本が、私が嫌いな花田十輝なので、見るのをやめようかと思ったが、日本神話をネタにしたアニメに思えるので、とにかく見てみた。
まあ、案の定、さほど面白くはないし、糞たれガキ(サクナではなく人間のほう)が悪態をつくのが不快なのだが、話をどう動かすつもりなのか、研究目的で二話まで見た。相変わらず面白くはないが、農業が話の柱になるというのは、少し興味深い。
しかし、畑(苗代か)作りをするのに、荒廃した石だらけの畑の無数の大石を除去しないままで土を掘り返すのは、順序が違うだろう。原作が小説か漫画か知らないが、農業についての想像力が欠如していないか? 絵面重視での、意図的なものか?
で、豚鬼とかいうのが出てくるが、頭は豚だが体は人体で、それを狩りの獲物として、その肉を食べるのはどうなのだろうか。さすがに「ダンジョン飯」でも、人型魔物の肉は食べなかったようだが。まあ、人間の死体でも食べる対象だというのは、古代には珍しくないことではあるが、子供がこれをどう見るか、娯楽とは別の意味で興味深い。

(追記)飯のついでに第三回まで見たが、花田十輝の作劇法は「問題と解決」、よりドラマ的に言えば「対立と和解」が基本であるようだ。第三回は田植えの話だが、全体の3分の2くらいまで、島で農業を始めたサクナ姫と人間たちの対立の描写である。その有様が実に不快で、視聴をやめたくなるくらいだった。とにかく人間たちが我儘で無理解で、サクナにすべての責任を押し付けるのである。あまりにも不合理で不人情な話である。で、最後に解決するのだが、その解決した理由もまさにご都合主義であり、前の対立の意味は、要するに脚本家、あるいは原作者の勝手な作劇思想にあるようだ。つまり、繰り返すが「対立と和解」がドラマを作るという思想だろう。で、和解があれば「感動」があるはずだという、ゲスい思想だと思われる。
確か、「響けユーフォニアム」第三期は、花田十輝脚本で、原作者の了解のもとに原作改変をしていたと聞いているが、それも、三期の終わり近くまで部内の対立の話だった。つまり、それが花田十輝の作劇の好みなのだろう。
大半の視聴者にとっては無意味な「長所」を挙げれば、手植え時代の稲作の基本をよく調査しているようだ。
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