ネットではゆりちゃんのその打撃法を「握撃」と呼ぶ人が多いが、それは何かの格闘技にある名前なのだろうか。
ちなみに、「鉄槌」は、拳を握って、それを槌を振り下ろすように振って小指側で打撃を加える方法で、まさにゆりちゃんのそれは空手の鉄槌である。慣用句の「鉄槌を下す」から来た命名かと思う。
なお、黒木は「中身は中学生男子」(某スレにあった二次創作漫画による指摘)であるから、軍隊(銃剣などの武器)や格闘技のマニアであるのは当然である。
たまたま「めぞん一刻」スレに私の大好きなシーンがあったので転載しておく。実に、このシーンは高橋留美子の才能の大きさを見せている。自分の漫画のヒロインをこれほど冷静に批評的に見ることができるのが、彼女の偉大さだろう。しかも、それまでギャグ担当だった朱美がこれほど懐の広い、ある意味管理人さんより器の大きい人物だということを見せるのが凄い。
で、さらに、これほどけなされても、それで管理人さんの魅力は何ひとつ落ちることなく、その可愛さ、そして欠点すら魅力であることがわずか2コマで全部読者に伝わってしまうのである。
何度か書いているが、わたモテの中で一番表情が豊かでその表情がひとつひとつ面白いのはネモなのではないだろうか。
表情の微妙な表現という点で、現在の漫画家の中で一番描写力が高いのは谷川ニコ先生ではないか。
もちろん、話をコマ割りするその構成力も抜群であるのは、短い話に凄い情報量が詰め込まれていることを何度も指摘していた「場末の。」さんの言う通りである。単独回として構成が一番凄かったのは、3年進級時の所属クラス発表掲示を見る回(数コマごとに人が入れ替わって、その心情や事情がそのわずかなコマで完璧に説明される。)だったが、修学旅行回やディズニー回の情報と感情の密度、そしてこれまでのいきさつを見事に回収してその後の展開につなげた手腕も凄かった。
つまり、弓月氏が言うように、「手の癖」に合ったキャラと合わないキャラがあるわけだろう。
- こっちの顔パーツの方が自分の手のクセにあっているので「コナン」のラナよりは楽というわけですね。https://twitter.com/h_yuzuki/status/1053096246695489536 …
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- 以前描いた「乙嫁語り」のアミルの方がよほど楽ですhttps://twitter.com/aima99hide/status/1053088243204284416 …
- 2件の返信 4件のリツイート 15 いいね
- 12時頃まで「未来少年コナン」やってるようなのでちょっとテキトーに描いてみた。ここのキャラって自分の手には難しい。少しでもパーツの位置がずれたら別の絵になるpic.twitter.com/0xB2zfCziS
- 14件の返信 110件のリツイート 328 いいね
だが、この「笑顔」に気づかず、「バカ」という言葉にしか反応しないもこっちもなかなかの鈍感ヒーローぶりである。(異性と言うか、自分を好きな人間の好意に対して鈍感であるのは、ラノベやアニメの主人公にほとんど共通する特性であるのは常識。)
ちなみに、もこっちをヒーローと言ったのは「あえて」である。女性群の好意と好奇心を集めるもこっちはヒロインではなくヒーロー的立場であるのだから。ただ、それを「百合」と言ったらそれも少し違うと思う。性的なニュアンスはほとんどゼロだからだ。二次創作でわたモテを明白にレズとしてセックスシーンを描く漫画があるが、それは根本的に間違いだろう。もこっちは「変な奴」だったのが、「面白い」「興味深いキャラ」「案外、根がハイレベルな人間」「小動物的で可愛い」「でも、どこか危ないところがあるから、守ってあげたい」などの要素が絡み合って周囲の人々を「蠱惑」しているのである。それは性的なものとは違う。
今まで見たことないほど緩んだ口元
絵として面白いのはエロゲをやっている時のネモの顔で、誰かのコメントにもあったが、ネモは実に表情が多彩で面白い。ただし、それを顔芸と呼ぶことには私は反対である。ネモは、自分をコントロールできなかった時に、表情が大きく変化し、しかもそれが読者が見ていて楽しい表情だ。表情が一番面白い点では吉田さんとネモが双璧である。吉田さんはもこっちに変な部分を触られて怒った時の顔が面白い。彼女らの表情は意図的に作る表情ではないから「顔芸」ではない。もちろん、表情筋10グラムのゆりちゃんの微妙な表情も貴重である。下のページの最後のコマはゆりちゃんが見せた最大の表情変化ではないか。一時的に表情筋が200%の性能を発揮したか。
プラトニックなだけ、セクシュアルなだけ、という恋愛は多いが、この両者が両立している例はほとんど無いのではないか。
もっとも、下のような解釈も完全に存在不可能というわけでもない。
大島弓子の「すべて緑になる日まで」だったと思うが、ホモという存在を「生産性が無い」と杉田水脈みたいな理由で嫌っているノーマルな女主人公の親友で(時代的には腐女子という言葉もまだ存在しない頃だったが)BL好きな女の子の夢が、「性転換して男になって男を愛したい」というものであったwww
女として男に愛される(「抱かれる」という受動性が根本にあるわけだ。)より、男になって男を愛する経験をしてみたい、という願望が、いわゆるBL本を好む女性の中にはあるのかもしれない。
- 2018年10月07日 11:39
- ID:6iO5zMVg0
- 海外翻訳の感想みたら「兄になりたい」発言は「男になって智樹のケツを掘りたいのか」と受け止められてたな。あれほんま草やった
わたモテを読んだ時点で、何か言葉にしにくい印象を受けた場面であるが、「場末の。」さんはそれを上手く言語化している。
この場面でのもこっちは、「きーちゃんちょっと元気なかったから」ときーちゃんを駄菓子屋に連れてきた理由を言うのだが、これはまぎれもなく事実であり、大げさに言えばもこっちが「聖人化」しつつあることを示す重要なシーンではないだろうか。
もこっちはもともと偽悪的な人間であり、現実世界ではコミュ障の小心者なのだが、それを心の中では裏返して、「心の中だけの強者」として生きてきたわけである。
ところが、高校生活中盤から、様々な人間との出会いを通して実は大きな「精神的変革」を遂げているのだが、ギャグ漫画的な部分によってその変革は注意深く目立たなくされている。この漫画は御説教的な「人間革命」の話ではないし、ギャグ性を失ったらこの漫画のアイデンティティも失われるだろうと作者たちは賢明にも分かっているからだ。
しかし、もこっちは明らかに精神的に物凄く成長しているし、それは通常の高校生には望めないほどの急激な成長だ。それは、吉田さんや小宮山なども含めた周囲の良い影響の結果だろう。
一番の「理想像」は生徒会長だろうし、ガチレズなどと言葉の上では見下してすらいた真子の存在も大きいし、自分以上にコミュ障なゆりの存在も、「人のふり見て我がふり直せ」の好例になっている。そして、吉田さんやこみなんとかさんの振る舞いやそれへの批判などもいい学習材料になっているわけだ。もちろん、成長の「ライバル」としてのネモもいる。
つまり、もこっちは、ありえないほどの周囲に恵まれて、その影響下に人間的成長を遂げているのだが、先に書いたように、ギャグに騙されて、読者はそれをあまり意識しないようになっている。だからこそ素晴らしい読後感がいつも残るのである。
最初に戻れば、元気の無い従妹を元気づけようとして駄菓子屋に連れてきて、「200円…いや、300円」という「大人」なおごりをし、きーちゃんの質問に対して、よく考えて真摯な答えをする、これのできる若者(大人も含め)がどれだけいるだろうか。
要するに、この時点で、もこっちは「人間力」においてすでに偏差値60くらいまで来ているのである。ただ、もこっちの内面の「毒舌」のために、読者はそれに気づかない。それはわたモテをギャグ漫画として純粋に楽しんでいる読者にとって幸福なことかもしれない。
(以下引用)
かつては一位に降臨したクイーンの文字がない勝敗ランキング。「もうカードゲームやってないの」と問うきーちゃんに「もう大人だしね…」と返すもこっち。
それに落胆を隠せないようで、「カードゲームやってたお姉ちゃん格好良かったのに」とぽつりと零します。(あれを格好良いと本当には思ってないでしょうが…。)
「あの時カードゲームやってた奴らカードも学校も卒業したしね……」と一応当時の子供たちの現状も把握している様子のもこっち。さすがクイーン
それに対し、「新しい友達できたもんね」という事を話に持ち出すきーちゃん。やはり、自分以外にもこっちの魅力に気づいた存在が出てきたことを引きずっているようです。
……そんなきーちゃんの何処か強い言葉に対し、汗を流しながら自分なりに言葉を紡いでいくもこっち。
子供向けゲームの「アイカツ」を知らないであろうきーちゃんにも分かるように言葉を噛み砕いて説明しているのですが、それもなんだか成長を感じます。
……そしてその内容というのは、アイカツで一緒に遊んでいた中学生と小学生のペアを見つけたものの、小学生の方がある日ゲームを卒業したにも関わらず、中学生がずっとアイカツを続けている姿が「無性に悲しかった」と感じたからだったのです。
(一連のシーンでもこっちの服装が変わっているので、季節が一年過ぎ去ってもずっと中学生だけがそれを続けているのが分かります)
……ゲーセンやカードショップ等に通っている方ならひょっとして共感できるのではないでしょうか(私はそうです)。何処か切ないエピソードですね。
そして「駄菓子屋に来ると似たような感じがしてしばらく来なかった」とつぶやくもこっち。
あのランキング表を見れば分かる通り、殆どのメンバーが卒業しているのでやむを得ないことでしょう。(ひょっとしたら残り続けている「せいや」は同じ気持ちを味わっているのかも…)
ではなぜここに連れてきたのか問いかけるきーちゃんですが、「きーちゃんとならそんな寂しくないし」「きーちゃんちょっと元気なかったからお菓子とか食べたら元気出るかなって…」と、きーちゃんを慮る言葉をかけます。
にも関わらず全く喜ばないきーちゃん。
この後のシーンで「お姉ちゃんに嫌がられても」と言っていることから、この言葉にうわべのようなものを感じているのでしょうね……。
しかし、きーちゃんが元気が無かった(友達が居るのを見て様子をおかしくしていた)のは確かですし、サイコ化を食い止める目的以外にも本当にそういう気持ちがあったのではないかと私は思います。