あるバレエダンサーが以前「漫画のように意地悪したりされたりなんてことはない。そんな時間があったらみんな自分の練習をします。誰かを落としても自分が上がるだけの実力がなければ何にもならないから」と言っていたの思い出すな。
ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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漫画は本来デフォルメの世界であり、精密で写実的な絵が見たければファインアートの絵を見ればいいだけだ。まあ、絵の世界でも実はデフォルメがあってこそ写真とは違う存在意義がある。
で、漫画を見慣れた人は、漫画のデフォルメ性は熟知しているが、問題はそのデフォルメ(あるいは漫画家の個性的タッチ)に魅力があるか無いかである。
山本貴嗣の絵のタッチには私はまったく魅力を感じないが、創作者としての姿勢や思想には感心することが多いので、彼のツィートはよく見ている。その絵になぜ私が魅力を感じないのか、と言えば、鑑賞者の主観だとしか言えないが、彼の作品が職業漫画家としてあまり多くのファンを持っていないことは、絵(漫画)の魅力というものには主観性だけではなく、何か客観的なものもあるような気がする。
たとえば手塚治虫のシンプルな絵柄の漫画が、なぜあれほど広汎なファンを持ったか、あるいは彼の師匠のはるき悦巳の「じゃりン子チエ」がなぜあれほどの人気を得たのか、というと、或る種の「作家的教養の深さ」があったからではないか、と思う。絵柄の魅力も実は漫画家的教養(つまり、魅力のある絵や漫画を膨大に見てきたこと)から生まれる(あるいは魅力のある絵柄というものの本質を多くの事例から演繹して身に付けた)のではないか、というのが私の仮説である。たとえば、頭身が小さく、形態が丸に近いほど幼児的で可愛くなる、というのは手塚治虫がその著書の中で書いていることで、これは永遠の真理だろう。
はっきり言って、確かなデッサンに基づいた「凄い技術」の漫画より、丸の中に点を二つ、線をひとつ入れただけの絵文字(顔文字)の方が、私には、たとえば山本氏の漫画より、見ていて楽しくなる、つまり絵柄として魅力を感じるのである。
その一方で、きれいきれいで作画していても、たとえば若い男がみんなジャニーズタレントかホストのような顔である最近のアニメの絵柄にはまったく魅力を感じない。そもそも顔の区別がつかない。「ガンダム00」だったと思うが、地上から戦争を無くすために戦争をする何とかビーイングという組織を描いたガンダムアニメも、テーマは面白いが、若者たち(特にガンダムマイスター)の顔がどれも似た顔で、うんざりする。(主要キャラたちの行動の幼児性やヒステリックさもガンダム物の伝統でうんざりするが、それは別の話。)
下のツィートは、「プロの技術の凄さ」を語っていて、「素人はプロに偉そうな批判をするな」という内心が滲み出ているが、素人に伝わらない(魅力を感じさせないような)技術に何の意味があるのだろうか。
で、漫画を見慣れた人は、漫画のデフォルメ性は熟知しているが、問題はそのデフォルメ(あるいは漫画家の個性的タッチ)に魅力があるか無いかである。
山本貴嗣の絵のタッチには私はまったく魅力を感じないが、創作者としての姿勢や思想には感心することが多いので、彼のツィートはよく見ている。その絵になぜ私が魅力を感じないのか、と言えば、鑑賞者の主観だとしか言えないが、彼の作品が職業漫画家としてあまり多くのファンを持っていないことは、絵(漫画)の魅力というものには主観性だけではなく、何か客観的なものもあるような気がする。
たとえば手塚治虫のシンプルな絵柄の漫画が、なぜあれほど広汎なファンを持ったか、あるいは彼の師匠のはるき悦巳の「じゃりン子チエ」がなぜあれほどの人気を得たのか、というと、或る種の「作家的教養の深さ」があったからではないか、と思う。絵柄の魅力も実は漫画家的教養(つまり、魅力のある絵や漫画を膨大に見てきたこと)から生まれる(あるいは魅力のある絵柄というものの本質を多くの事例から演繹して身に付けた)のではないか、というのが私の仮説である。たとえば、頭身が小さく、形態が丸に近いほど幼児的で可愛くなる、というのは手塚治虫がその著書の中で書いていることで、これは永遠の真理だろう。
はっきり言って、確かなデッサンに基づいた「凄い技術」の漫画より、丸の中に点を二つ、線をひとつ入れただけの絵文字(顔文字)の方が、私には、たとえば山本氏の漫画より、見ていて楽しくなる、つまり絵柄として魅力を感じるのである。
その一方で、きれいきれいで作画していても、たとえば若い男がみんなジャニーズタレントかホストのような顔である最近のアニメの絵柄にはまったく魅力を感じない。そもそも顔の区別がつかない。「ガンダム00」だったと思うが、地上から戦争を無くすために戦争をする何とかビーイングという組織を描いたガンダムアニメも、テーマは面白いが、若者たち(特にガンダムマイスター)の顔がどれも似た顔で、うんざりする。(主要キャラたちの行動の幼児性やヒステリックさもガンダム物の伝統でうんざりするが、それは別の話。)
下のツィートは、「プロの技術の凄さ」を語っていて、「素人はプロに偉そうな批判をするな」という内心が滲み出ているが、素人に伝わらない(魅力を感じさせないような)技術に何の意味があるのだろうか。
山本貴嗣 @atsuji_yamamoto 13時間13時間前
- 制度→精度 変換ミスをおわびします
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- 無論、あくまで原則論であって、プロよりも目の肥えたアマチュアもいる。
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- 続き)今はわかる。プロの目というのはアマチュアとは別のところを見てる。有名だとか世間的にどうとかいうことにはだまされない。だからアマチュアがプロに向かってヘタに「●●先生は」と比較しない方がいい。世間には知られていない触れられたくない弱点を暴くことになるかもしれないから。
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- 続き)を見せられて「君もこういう作品を見てデッサンを学ぶといい」とか言われて閉口されたらしい。ある時、有名な劇画家の作品を見て「このコマとこのコマの牛は何か写真資料を見て描いたんやろな。こっちのコマは形になっとらんもんな」と言われた。まだ20才くらいの私にはわからなかった(続く
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- 素人のかなりな人が絵のうまさは写実的な絵を描けることだと思ってる(無論そうでない人もいる)。『じゃりン子チエ』のはるき先生はああいうラフな絵柄の方だったけど実はすっごいリアルな絵も描ける方で0.×mm単位の制度の建築模型とかも作れる方だった。持ち込み時代に編集からヘタクソな劇画(続く
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私は紙屋高雪氏の知性を非常に高く評価している人間なので、紙屋氏の下の記事を読んで、いささか安心した。「ワンピース」がつまらない、と第一話の途中で判断し、それ以降まったく読まなかったのは大正解であったようだからだ。人生の貴重な時間を無駄にしないでよかったwww
(以下引用)
(以下引用)
2010-06-28 なぜ『ONE PIECE』はつまらないのか?
死ぬほどどうでもいい話なんだが、今時、「バレエ仲間がライバルに意地悪する」という漫画が存在するのだろうか。そもそもバレエ漫画そのものが死滅状態で、山岸凉子の「テレプシコーラ」あたりが最後なのではないか。山岸作品でも「仲間による意地悪」というのはデビュー直後の「アラベスク」に少しあったか無かったか、くらいで、あったとしても、それも主要なエピソードではないと思う。それ以前になると、それこそ終戦後しばらくしてから出た少女漫画の一部にあったくらいだと思う。ところが、なぜか、「トゥシューズに押しピンを入れる」だけが独り歩きして、「バレエ=いじめ」のイメージが出来上がったのだろう。
まあ、ツィートをした人の言う「あるバレエダンサー」が実在しているかどうかも怪しいが、いたとして、その人が「バレエ漫画=いじめ」という既成のイメージで語っているのなら、おそらく60歳以上、いや、70歳以上の女性か、バレエ漫画のパロディを読んだことがあるだけだと思う。
まあ、ツィートをした人の言う「あるバレエダンサー」が実在しているかどうかも怪しいが、いたとして、その人が「バレエ漫画=いじめ」という既成のイメージで語っているのなら、おそらく60歳以上、いや、70歳以上の女性か、バレエ漫画のパロディを読んだことがあるだけだと思う。
山本貴嗣さんがリツイート
私は、連載当時は、手塚作品にしてはちょっとなー、という感じだった。と言うのは、腕が義手(しかも刃を内蔵)なのに、それで何かをつかんだりできる、という設定(だったと思う)があまりにナンセンスで、つまり、今で言えば「名探偵コナン」の、コナンが麻酔銃で毛利小五郎を眠らせる度に小五郎が都合よく椅子に腰かけるように気絶するアホらしさに近いものを感じたわけだ。まあ、変に合理性を重視する嫌な子供だったのだろう。
だが、手が刃になる、というのはネットフリックスアニメの「B the bigining」でも使われていたし、案外、大きな影響を与えた設定かもしれない。フィクションというのは奔放であっていいし、なまじ理屈っぽくする必要はない、ということだろう。
ちなみに、前にも書いたかもしれないが、実写版「どろろ」も案外よくできた映画で、妻夫木聡というのは、手塚絵にぴったりの顔だなあ、と思わせる。まあ、どろろ役を子供ではなく若い娘という設定にしたのはどうかなあ、と思うが、「どろろ」を下敷きにした翻案と見ればいいだけである。SFXも、だいたい良かったし、漫画の実写化、しかもファンタジーの実写化としては成功例の中に入ると思う。
だが、手が刃になる、というのはネットフリックスアニメの「B the bigining」でも使われていたし、案外、大きな影響を与えた設定かもしれない。フィクションというのは奔放であっていいし、なまじ理屈っぽくする必要はない、ということだろう。
ちなみに、前にも書いたかもしれないが、実写版「どろろ」も案外よくできた映画で、妻夫木聡というのは、手塚絵にぴったりの顔だなあ、と思わせる。まあ、どろろ役を子供ではなく若い娘という設定にしたのはどうかなあ、と思うが、「どろろ」を下敷きにした翻案と見ればいいだけである。SFXも、だいたい良かったし、漫画の実写化、しかもファンタジーの実写化としては成功例の中に入ると思う。
山本貴嗣さんがリツイート
『どろろ』は 数ある手塚作品の中でも「発表時の評価がひどかった」と 御本人が述懐されているのだが 当時からそれなりの人気はあったし 何よりアニメ化もされている 何度も映像化され トリビュート作品も多く 歿後三十年に制作されたアニメも高評価 むしろ 最高傑作に近い部類では?
浅利よしとおというのは、根っからのロリコンだなあ、と分かるイラストである。まあ、犯罪者的なロリコンではないが、可愛さというものとエロティシズムが不可分である嗜好の持ち主だということだ。アトムの絵を描いてこれほどエロっぽいのは稀だろう。ウランは言うまでもない。お茶の水博士がやっていることが、何やら怪しげな行為に見える。
浅利与一義遠 @hologon15 2月9日
- 鉄腕アトムと言えば、これ。 アトムの、これを推せないリメイクや二次創作は、いかんのである。pic.twitter.com/a3Io46gOPM
- 5件の返信 69件のリツイート 227 いいね
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- 以前も書いたけど、手塚治虫の模写って、ガキの頃は一切やった事無くて、描くようになったのは、ここ20年くらい。 ガキからすると、線が多かったり、少ないキャラは似ないとかで、苦手だったからかな。(大体、オバQとか描いてた)pic.twitter.com/5lXHzMFvUu
- 2件の返信 117件のリツイート 385 いいね
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超常現象の謎を主人公のコンビが解決する、というのは米テレビドラマの「スーパーナチュラル」と同じだから、手塚プロは、パクられた、と裁判に訴えてもいいのではないかwww
まあ、「スーパーナチュラル」はほとんど見ていないので、想像しただけだが。
で、主人公が「写楽呆介」(字は不確か)と「和登さん」で、言うまでもなく「シャーロック・ホームズ」と「ワトソン」だ。ワトソンを可愛いボーイッシュな女の子にして「和登さん」というのは、キャラ作りとしてまさに神技だ。なお、呆介は、額の三つ目の目に絆創膏を貼ると知恵遅れの子供になる。そこが和登さんの母性愛をくすぐり、また額の目が現れると悪魔的に頭のいい「怪物」になる、というのがまたいい。きっとこちらは「力のある存在に弱い」という、女性の通有性を刺激するだろう。つまり、和登さんはメロメロ。今の時代のほうがウケる漫画かもしれない。「どろろ」が人気のようだし、今度は「三つ目が通る」のアニメ化希望。
まあ、「スーパーナチュラル」はほとんど見ていないので、想像しただけだが。
で、主人公が「写楽呆介」(字は不確か)と「和登さん」で、言うまでもなく「シャーロック・ホームズ」と「ワトソン」だ。ワトソンを可愛いボーイッシュな女の子にして「和登さん」というのは、キャラ作りとしてまさに神技だ。なお、呆介は、額の三つ目の目に絆創膏を貼ると知恵遅れの子供になる。そこが和登さんの母性愛をくすぐり、また額の目が現れると悪魔的に頭のいい「怪物」になる、というのがまたいい。きっとこちらは「力のある存在に弱い」という、女性の通有性を刺激するだろう。つまり、和登さんはメロメロ。今の時代のほうがウケる漫画かもしれない。「どろろ」が人気のようだし、今度は「三つ目が通る」のアニメ化希望。
命日だからじゃなく、偶然今日押し入れ整理中に謎の段ボール箱を掘り当てて、開けて見たら『三つ目がとおる』の切り抜きがごっそり。当時すでに連載と単行本でストーリーが全然違うのはファンの常識になってたので全て切り抜いていたんだね。完全版が出たからもう不要、とは言え処分はできないなー。
わたモテは更新されているているのだが、ひとつ前の回のハイライト。
やはり、美少女のこういう姿を見て男たるもの平静ではいられるはずがないだろう。私が高校生なら、その夜のオカズはこれになるwww
やはり、美少女のこういう姿を見て男たるもの平静ではいられるはずがないだろう。私が高校生なら、その夜のオカズはこれになるwww

こういうことを言い出したら、それこそ手塚治虫、いや、それ以前の漫画に既に「萌え」を感じさせるキャラは常に存在したのである。もっとも、「萌え」とは何か、私は定義を知らないが、たとえば、子供の頃の私は馬場のぼるの絵に不思議な魅力を感じていた。童心というのを漫画の絵柄そのものにしたという感じの絵だ。あれが私にとっての「萌え」の最初かもしれない。
女性キャラなら、関谷ひさしの「ストップ”! 兄ちゃん」のサブキャラで、新聞部の女の子が大好きだったのだが、あれは萌えなのかどうか、よく分からない。
もちろん、手塚治虫の絵も素晴らしい魅力に満ちていたが、手塚の場合は絵よりも物語のパワーと鋭さが凄かった。まさに「センス・オブ・ワンダー」を私は手塚治虫作品で知ったのである。逆に、絵は手塚のアシスタントから漫画家になった小沢さとるとか色々、「手塚のパチモン」がたくさん出てきたのでむしろ手塚絵は早い時期から一般人の目には通俗化してしまい、その後の長期間の人気低下につながったのだと思う。
「亜流が出てくると本家が衰退する」と言われているのは、多くの人が「見飽きる」からである。
あずまきよひこは賢いから、「あずまんが大王」のパチモンが市場に出始めると、「女子学生日常漫画」をすっぱりやめ、絵柄も大きく変えて「よつばと!」という新しいジャンル(日常漫画ではあるが、むしろ「『日常の非日常性』発見漫画」と言うべきだろう。)を開拓したのである。それで「ダンボー」という金脈にぶつかって漫画創作意欲が衰えたらしいのはアクシデント的な出来事と言うべきだろう。
女性キャラなら、関谷ひさしの「ストップ”! 兄ちゃん」のサブキャラで、新聞部の女の子が大好きだったのだが、あれは萌えなのかどうか、よく分からない。
もちろん、手塚治虫の絵も素晴らしい魅力に満ちていたが、手塚の場合は絵よりも物語のパワーと鋭さが凄かった。まさに「センス・オブ・ワンダー」を私は手塚治虫作品で知ったのである。逆に、絵は手塚のアシスタントから漫画家になった小沢さとるとか色々、「手塚のパチモン」がたくさん出てきたのでむしろ手塚絵は早い時期から一般人の目には通俗化してしまい、その後の長期間の人気低下につながったのだと思う。
「亜流が出てくると本家が衰退する」と言われているのは、多くの人が「見飽きる」からである。
あずまきよひこは賢いから、「あずまんが大王」のパチモンが市場に出始めると、「女子学生日常漫画」をすっぱりやめ、絵柄も大きく変えて「よつばと!」という新しいジャンル(日常漫画ではあるが、むしろ「『日常の非日常性』発見漫画」と言うべきだろう。)を開拓したのである。それで「ダンボー」という金脈にぶつかって漫画創作意欲が衰えたらしいのはアクシデント的な出来事と言うべきだろう。
唐沢なをきさんがリツイート
よく漫画史で「萌え」を吾妻ひでおを起点に語ることがあるけど、僕はつげ義春を起点にしても良いと思うんだよねえ。おかっぱ少女に定評があるつげ義春だけど、ボーイッシュな美少女キャラも描くんだね。
不思議なことに日本の萌えの歴史的文脈においては、つげ義春は無視され続けている。
今時の人は知らないかもしれないが、これは黒澤明の「天国と地獄」が公開された時、問題となった部分である。と言うより、一部のアンチ黒澤の批評家が批判した部分と言うべきだろうか。下の漫画を描いたちょぼらうにょぽみ自身はそういう出来事があったとも知らないと思う。

