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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「シロクマの屑籠」記事の一節だが、このような「アニメやライトノベル青春ものでは常識」のようなことを知る、あるいは理解するために、10年以上も「ブルデューを読みこなしたい」とうろうろしていた精神科医というのがアホに思える。なお、ブルデューは意図的に難解に書いていると自認している大俗物である。(フランスの思想界ではそれが常識らしい。)
なお、手持ちの仏語辞典では「ディスタンクシオン」に該当する言葉は見つからないが、おそらく造語で、「距離(ディスタンス)」や演劇用語(ブレヒトの用語らしい)の「distanciation(異化効果)」に近い言葉かと思われる。おそらく、現実の社会制度とは異なる、半自然発生的階層(距離感)ではないか。我々は互いを現実存在とは別の存在として相手の価値を幻想的に定めている、とか。

(以下引用)赤字はこのブログ筆者(自分の名前を書くことはまずないので、何だったか毎度忘れるww 以後は「老幼児」で統一することにする。)による強調。

これらの本をとおして私が強く意識するようになったのは、「ブルデューが言うような文化資本は常時機能していて逃れることができない」点と、「その文化資本を巡る闘争は世代間継承だけが問題なわけでも、階級間格差だけが問題なわけでもない。もっと全領域で現在進行形で起こっていて、誰も逃れることができない」点だった。たぶんブルデューは、もっと逃れ難く・社会の隅々にまで(文化資本に関連した)闘争が存在していて、その影響下から誰も逃れられない前提で『ディスタンクシオン』を書いているはずだ、という予測が私のなかでムクムクと育っていった。そうしたうえでもう一度『NHK 100分de名著に『ディスタンクシオン』』を再読したら、まさにそのようなことが記されていて、以前はそれほど気にならなかった以下のセンテンスが強く響いた。
 
 教室にあるのは、勉強ができるか否かという評価軸だけではありません。そこには横幅がたくさんあり、「勝ち方」がいろいろあるわけです。たとえば、運動神経が良くて生徒会長もやっているという王道の「勝ち方」をする子もいれば、アニメや漫画などサブカルに詳しいというキャラで勝つ子もいます。もちろん、ひたすら勉強の成績で勝とうとする子もいるでしょう。
 これは少し残酷な言い方になるかもしれませんが、学校の教室も象徴闘争の場にほかなりません。いや、界という社会的な空間のなかで行為する以上、そこでは必ず象徴闘争が繰り広げられるのです。
(『NHK 100分de名著 ブルデュー『ディスタンクシオン』』より抜粋)

 
上掲引用文を、私は過去にも読んでいたはずである。でも、この引用文が本当に肚落ちするためには、『反逆の神話』や『STATUS AND CULTURE』などが私には必要だった。そうしてぐるっと巡ってから再読した『100分de名著』は、私にとって『ディスタンクシオン』を読む最後のフラグになった。そして実際、私は『ディスタンクシオン』が読めるようになっていた。今の私は、この獲得された『ディスタンクシオン』の知識を使って世の中の色々なものを叩いてみて、その音色を確かめてみたくてウズウズしている感じだ。



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