それに、洋画パロディとは思わないが、脇役キャラの言動がB級西部劇風で視聴者の多くをホッタラカシという感はあった。今時、西部劇を見た経験のある人間は60歳以上だろう。ターゲット設定が間違っている。
そもそも飛行機が「町を守る」という設定に違和感がありすぎだ。国と国の戦争でもなさそうだのに飛行機同士が戦うということに無理があるし、飛行機同士の戦いなら、敗北は即座に死でないとおかしいわけで、女の子キャラを使ったアニメでそういう殺伐とした世界観は視聴者の拒否反応を生むだろう。
要するに、飛行機プラモを売るための企画に女の子たちを主人公とする「ガルパン路線」を無理に融合させたから大失敗したのである。なお、ガルパンは「学園もの」だったという指摘も大きい。スポーツとしての戦車道だから人は死なないという前提があるから見ている者は安心して穏やかな気持ちでアニメを楽しめたのである。
なお、CGキャラの登場人物たちにも違和感がありすぎである。特に下から煽ったカメラ視点で顎の形が不細工だ。
ガルパンの完全に逆言っとるやん
あっちはキャラ可愛くて会話も萌えアニメテンプレって感じやのに戦闘ド派手やから受けたんやろ
なんでガルパンはあんなにウケたんや
キャラデザ良くて話が王道かつ学園モノだからなんだかんだ成功要素は多い コトブキと真逆まである
目的がはっきりしとるのとしてないのやな
ガルパンは大会優勝
コトブキは羽衣丸の護衛と思いきや空に開く穴の取り合い
力の入れ具合と比べたら空回った感がめちゃくちゃ強いってだけで
「ガルパン売れたしこいつにミリ作らせれば間違いなしや!」って偉いやつがやらせたんちゃう
今になって『レクリエーターズ』を少しずつ観てるんだけど、面白い〜(^_^)
概要[編集]
1978年から放送されたサンライズ自社制作の第2弾『無敵鋼人ダイターン3』から同社のオリジナル作品に原作者・原案者として名前を列ねる。実在の特定の個人ではなく、基本的には主にサンライズの企画スタッフの共用ペンネームである[1][2]。ただし、1980年代前半までは、当時の取締役企画部長で1987年からは社長を務めた山浦栄二の事実上のペンネームでもあった(後述)。松尾芭蕉の『おくのほそ道』に使われた「矢立の初め」が名前の由来である。[要出典]
『出撃!マシンロボレスキュー』や『アイドルマスター XENOGLOSSIA』のようにバンダイナムコグループ内の別会社がキャラクターデザインに関する権利を所有する場合でも、企画やプリプロダクションを全てサンライズが取り仕切る場合はサンライズオリジナル作品=矢立肇原作という扱いになることがある。
ただし、全てのサンライズオリジナル作で矢立名義が用いられる訳ではない。例えばガンダムシリーズでは富野由悠季が矢立との連名での原作者となっているほか、『装甲騎兵ボトムズ』などでは高橋良輔が原作者である。 『DTエイトロン』や『コードギアス 反逆のルルーシュ』など、権利関係上矢立肇のクレジットがない作品や、『TIGER & BUNNY』や『アイカツ!』のように「原作 サンライズ」とクレジットされる作品もある。
2015年4月1日付でサンライズのキッズ・ファミリー向け部門が分社化しバンダイナムコピクチャーズが設立され、「原作 サンライズ」の名義も「原作 BN Pictures」に変更されたが、『バトルスピリッツ 烈火魂』については引き続き原作を矢立肇名義としている。
ディズニー本人が生きていたころのアニメは別である。「ピノキオ」などは、絵も話もすべて完璧な作品だろう。手塚治虫はディズニー作品(特に「バンビ」)を何度も見て、あの絵柄を作り、その手塚治虫の絵が後の漫画家たち(藤子不二雄なども含め)に大きな影響を与えているのだから、ディズニーの初期作品は日本漫画の「先祖」のひとりなのである。
セサミストリートとかみんな禍々しくて醜いのばっかりでしょ
アナと雪の女王の主人公も気持ち悪い顔してる。どこがいいのか分からない
アラレちゃんやポケモンのが可愛い。可愛いデッサンは向こうの人には思いつかないのね」
で、本などを読みながら、BGM代わりに「たぶん嫌いなタイプ」のアニメを第一話だけ見て、「おっ、そう悪くないぞ」というアニメを最近は探したりしている。
その中では、日常アニメとして「未確認で進行形」などは良かった。話自体は「フルーツバスケット」に近いが、「ワーキング」とか「恋愛(ラブ)ラボ」に近い味わいがある。居候兄妹の性格が好ましい。ただ、最終回が「少女漫画的なダメさ」がある。つまりギャグ性が無くなって、恋愛が突出してきて興ざめにさせるのが残念だった。これもフルーツバスケットに似ている。
絵柄が嫌いで見なかった「ワールドトリガー」が、見てみると、主人公ふたりのキャラが良くて、これも視聴継続している。原作漫画はジャンプ掲載らしく、ジャンプ流の絵の汚さがあるが、監督がクレしんの本郷みつるだけに、視聴者に不快感を与えないコツを本能的に分かっている。
また、これも絵柄が嫌いで見ていなかった「サイ木楠男のサイ難」(サイの記号が出せない)も、ギャグが想像以上にレベルが高いので驚いた。漫画の約束事の馬鹿馬鹿しさを皮肉ったところとか、美少女の内面のエグさだとか、実に鋭い批評性、笑いの才能がある。
食わず嫌いはダメだなあ、と反省した。
なお、少し前まで見ていたのが「アカメが斬る!」で、内容の細部は、漫画やアニメのテンプレを集めたようなもので、話の筋は山田風太郎の忍者小説をSF萌え絵アニメにしたような感じだが、本など読みながらちらちら見るには最適ではあった。敵も味方も死んでいき、誰が生き残るのか、予測を裏切るところがいい。最終回は、特に良かった。敵の大将的存在の「Sです。」将軍の死に方が、実にいい。役柄に実に似合った最高の死に方だった。この回の脚本は上江洲誠だったが、彼は時々いい脚本を書く。なお、男キャラは誰もまったく魅力が無いが、女の子はすべてかわいい。
で、ネットの評判を読んで、自分に合いそうな作品を試しに見てみて、「当たり」である確率は5分の1くらいだろうか。わりと高名なアニメ監督や好みの脚本家の作品でも、当たりは半分くらいだろうか。
そうした、試しに見てみた作品の中で、最近の当たりのひとつが「ねじ巻き精霊戦記何とかかんとか(今思い出した。「何とかかんとか」は「天鏡のアルデラミン」である)」である。題名の意味がそもそも理解不能だし、最初に見た時は絵柄が嫌いなので最初の数シーンで視聴を止めて長い間ホッタラカシにしていた。まるで奈良のゆるキャラで私の大嫌いなせんとくんみたいな精霊が出てきた時点でアウトだったのだ。しかし、昨日、気まぐれにその第一話を最後まで見ると、なかなか面白い。で、数話見ると、内容が私の大好きな「戦略もの」であり、しかも主人公が、これも私の大好きなヤン・ウェンリーによく似た、好ましい人物なのである。おそらく、原作者も「銀河英雄伝説」のファンだと思う。作中の戦略や個々の戦い方もよく考えられている。で、最後まで見たが、13話で終わりながら、まだ長編作品の導入部のようだ。これが第一シーズンで、第二シーズン以降も作られる予定なら、楽しみである。
ところで、「ねじ巻き精霊戦記」の「ねじ巻き」は話と何の関係があるのだろうか。まあ、村上春樹の「ねじ巻き鳥クロニクル」から「ねじ巻き」だけ借りたタイトルに思えるが、いずれにしても、これは「視聴意欲」を減退させる、悪タイトルだと思う。
なお、ほかにも最近見て良かった作品があったが、もうタイトルを忘れてしまったwww だいたい、アニメ作品でタイトルの付け方が上手いのは少ない。
ララァという娘が、ララァが戦場に出る前には一度しか出ないのに、再会したアムロが彼女に深く恋しているかのような描写になり、その回でララァが死ぬ(アムロに誤射される)や、アムロが、まるで最愛の人に死なれたような悲嘆ぶりを見せるのを見て、「おいおい、何だ、これは」と思った視聴者は多かったのではないか。まあ、打ち切りの裏事情を知っていた層は制作陣に同情したかもしれないが、一般視聴者は置いてけぼりである。短縮するならするで、もっといいやり方もあっただろう。
なお、最終回でアムロが死ぬのがもともとの筋だったらしいが、私はその方が「作品として」良かったと思う。敵方キャラは全員死ぬのに(あの描写なら、シャアも死んでいるのが当然である。)味方キャラは最初のあたりのリュウしか死なない、というのは片手落ちで現実味が無いし、主人公のヒロイックさも、戦争の残酷さも伝わらないだろう。アムロというヒステリーの幼児精神のアホが嫌いだからというわけではない。なお、「機動戦士Zガンダム」の第一話も見たが、主人公のカミーユがアムロそっくりのヒステリー我儘無考え坊やであるのにはうんざりした。たぶん、二話以降は見ないと思う。
なお、「ニュータイプ」というネタ(ギミックと言うべきか)は、私が前に嘲笑した、「相手が撃った弾丸やビームを、『撃った後に』避ける」ことが馬鹿馬鹿しいという批判に弁明するために後から付け加えた「言い訳」だったと私は思っている。制作陣が何と言おうとだ。だが、その「後付け設定」が、ガンダムのトレードマークになったのだから皮肉である。
反響・評価
初回放映時の評価と後の社会現象
初回放送時の視聴率は名古屋地区で平均9.1%、関東地区で5.3%[7]と振るわなかった。
視聴率低迷のため、スポンサーの要望によって量産型の他にいわゆる「やられメカ」を毎回出すことになり、試作機が投入されたという設定で グフやドムなどの新MSやモビルアーマーが登場したが視聴率は好転しなかった[3][註 6]。
視聴率低迷は関連商品の不振につながり[8]、スポンサーから「シャアという陰気なキャラクターがいけない」と指摘され作中でシャアを左遷したが、今度は「何でシャアが出ないのだ」という抗議の手紙が殺到した[9]。こうした手紙は中高生のファンからであり、サンライズ側の当初の狙い通り、本作には中学生以上のファンがついていた[8]。名古屋テレビの関岡渉によると左遷どころか殺す予定だったのをスタッフを説得して取りやめになったとある[10]。
その後もテコ入れが試みられたが(後述)、視聴率も売り上げも挽回できず全52話の予定が全43話に短縮される形の打ち切りとなった[註 7]。
ところが打ち切りが決まった直後から人気が上昇。最終回でアムロは死ぬ予定だったが、関岡が人気の盛り上がりから再放送や続編制作が期待できるため反対して取りやめになった[10]。また、放送当時からアニメ雑誌がたびたび熱意ある特集記事を組むなど、中高生、特に女子を中心に口コミで徐々に評判が高まった[註 8]。放送回数は打ち切り決定当時の43話のままで終了したが、本放送終了後もアニメファンによる再放送要請嘆願署名が行われるなど熱意が衰えず、これらを受けてクローバーは再放送を決定した[11]。こうして再放送、再々放送が重ねられ、世間一般へ本作が浸透していった。再放送では平均視聴率も10%を超え、1981年における関東地区で17.9%、1982年における名古屋地区で25.7%(最高視聴率29.1%)を記録した。
――Twitterでも「皆んなで楽しみましょう~!」と言っていましたからね。
木村 娯楽なので、ぶっちゃけ監督なんて誰でもいいんですよ(笑)。誰が作っているか考えずに面白い作品をみんなで楽しむのが娯楽の基本といいますか、そのほうがみんな幸せだと思います。僕はいつでも、面白い作品を作りたいと思っているので。
――現状の手応えはいかがですか?
木村 面白いものはできていると思います。基本的に、作る時は「面白いぞ」と思って作っているので(笑)。お客さんが見た時にどう思われるかはわからないですけど。
――放送を楽しみにしている方たちへ、メッセージをお願いします。
木村 僕自身、前のシリーズにリスペクトを捧げて作っていますので、「けものフレンズ」が好きだった人は面白いと感じてくれると思っています。いいところは引き継いでやっていますので、安心して見ていただけたら嬉しいです。
(取材・文・撮影/千葉研一)