ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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その五十一 謎は解けた?
「ダマスコ薔薇とは淡紅色、アマランスは紫赤色、そして紫の愛の花とはもちろんヴァイオレット、紫色だ。見えない黄金の流れとは太陽の光線のこと、百合は分光されるまえの太陽光線の白色だ。このようなプリズムで、太陽光線を分光し、そのうちの三つの光、淡紅色、紫赤色、紫色の三つを再度集める。そのときにはサファイアを使ったレンズを用いる。すると、その焦点の結ばれたところに一つの印が現れると、こういうわけだ」
アンドレの説明にハンスたちは聞き入りました。
「つまり、サファイアの菫とはサファイアそのものだというわけですね。だから、光の方の紫には菫と言わずに、紫の愛の花と言ったのですか」
「そういうことだ。最初からサファイアと言えば、謎が簡単だからね。ただし、これは一つの仮説だし、光を分光したり集めたりする時の角度がまちがうと、像はできないかもしれない。それが、百合とアマランスは細心の世話を要するということの意味だろう」
「アマランスってなんのこと? 花の名前?」
アリーナが聞きました。
「そうだ。伝説の花だ。不死の花とも常世の花とも言われてる」
ハンスは、ふと思いついてアンドレに聞いてみました。
「この腕輪で太陽の光を分光することはできませんか」
それは、ブッダルタから貰った水晶の腕輪です。
アンドレはハンスからそれを受け取って、太陽にかざしました。すると、それでもやはり虹ができます。しかも、先ほどの三角形のプリズムの場合とは違った感じで分光されました。
「この方がいいかもしれないな」
アンドレは腕輪をハンスに返しました。
「これ以外の詩は、ほとんど解釈の必要なものはない。ソクラトンの詩は、天国の鍵のある国を示すものだし、ロンコンの詩は、その国の中のどこにあるかを示すものだ。つまり、君たちが考えたとおり、ロータシアのどこかに黄金の戸口から入る庭があり、そこには七つの噴水があるのだ。あとは詩の指示どおりにすればいい。ロレンゾの詩には疑問が残るが、これもその通りに解釈すればいいだろう。つまり、どこかの湖に投網を打って一匹の魚を得るのだ。その魚が、天国の鍵につながる印を持っているか、何かを飲み込んでいるということだろう。その湖には、水晶の湖という名前があるはずだ。ただし、古名、つまり昔の名前かもしれないから、湖には注意しておくことだ」
「魚の数を一千としているのは?」
チャックが、今一つ納得できないような顔で聞きました。
「多いというだけの意味だろう。つまり、輝く魚、本物のてがかりが得られるのは千に一つの可能性だ、ということを警告しているのだ」
その五十二 ソクラトン
アンドレにお礼を言ってスオミラを後にし、ハンスたち四人はソクラトンの住む森に向かいました。
深い雪に埋もれた森の中にソクラトンの家はありました。チャックが言っていたとおり、黒い松の木がまわりに何本か生えている小さな家です。
ハンスがドアをノックすると、中から「お入り」という声がしました。
ドアを開けると、暖炉で暖めた部屋の奥に、長椅子に横になっている老人がいます。老人といっても、まだ五十歳くらいでしょうか、頭ははげて、獅子っ鼻で赤ら顔の、非常にたくましい男です。顔はかなり不細工ですが、風格があり、目に強い光があります。
男はハンスたちに、さっさと戸をしめて中に入るように言いました。
「寒さは嫌いじゃないが、風邪はひきたくないからな。君たちも暖炉のそばにすわりなさい」
ハンスたちは言われたとおりにしました。
「チャックもいっしょか。一体何の用かな」
「ソクラトンさん。天国の鍵がもう少しで見つかりそうなんです。あなたのところにサファイアはありますか?」
チャックが代表でソクラトンに言いました。
「サファイア? そんなものは持っとらんよ」
アンドレの推理はいきなりおおはずれです。もっとも、アンドレはヘルメスの出没するところが必ずしもソクラトンのところだとは言っていませんでしたが。
「では、このへんに薔薇や百合や菫は生えてますか?」
「さあな、百合はあったが、薔薇はどうだったか。菫など気にとめたこともない。それに、今は冬で花などない」
ハンスはソクラトンに、これまでのいきさつを話しました。もちろん、四つの詩もです。
ソクラトンは面白そうにその話を聞いていましたが、ハンスの話が終わると、首を横に振りました。
「そのアンドレという男は、賢いが哲学者ではないな。物事を物質的にとらえすぎとる。
ダマスコ薔薇は知恵の象徴、百合は道徳の象徴、紫の愛の花はそのまま愛の象徴であろう。
叡智の森とは、我々の頭の中、心の中のことだ。そしてそこは常に無知の影がおおっている。赤い太陽が真理を表し、その真理に照らされて我々の生は黄金の流れとなるのだ。そして、真理に生きるものの生命は永遠だが、純潔貞潔な心を保ちつづけることは容易ではない、ということだ」
ソクラトンはあっさりと詩の謎解きをしました。
「では、竜のいる七つの噴水のある庭とは何のことです?」
チャックが聞きました。
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日産とホンダの合併不成立に関する記事のコメントが案外的を射ているかと思うので、転載する。もっとも、私は日産の車などほとんど見た記憶が無い(それだけ売れていない)ので、このコメントが本当か嘘かはわからない。しかし、合併不成立に関する日産の役員たちのコメントを見たら、事実だろうな、と思う。
ああいう、斜陽企業の役員というのは何が根拠で出世して役員になれたのだろうか。
(以下引用)
近年の日産車を見れば分かるが、センスがなく、なんか芋臭い。と思っていたら、なんと
経営陣達がOK出すのは、ダサい車ばかりで、斬新なデザインは、全てボツになってしまう現実が日産内部にあるらしい。
社員は可哀想。
ああいう、斜陽企業の役員というのは何が根拠で出世して役員になれたのだろうか。
(以下引用)
近年の日産車を見れば分かるが、センスがなく、なんか芋臭い。と思っていたら、なんと
経営陣達がOK出すのは、ダサい車ばかりで、斬新なデザインは、全てボツになってしまう現実が日産内部にあるらしい。
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内田樹の韓国語版「武道的思考」序文の一部だが、武道修行と哲学的探究を同一視して論じるのは欺瞞的ではないか、という気がする。武道における「居着く」というのは、あくまで武道の場においての話であり、精神的に「今の自分のままであり続ける」こと(自我への執着)とはまったく別の話だろう。
内田樹の論説にはこういう「一見もっともらしいが、よく考えると欺瞞的」ということが多い気がする。彼は自分で言っているが、お役所に提出する報告書や請願書を書くのが得意だというのは、そういうところなのではないか。つまり、表面をうまく粉飾するから忙しい役人はその書類を承認するわけだ。
下の文章はレヴィナス(あるいは哲学的問題)にも武道にも不案内な人はうっかり「承認」するだろう。もちろん、レヴィナスを知らなくても(私も読んだことはない)、「問題の建て方」がおかしいのではないか、と気づく人もいるだろうが、多くの人はあまり文章をきちんと読まないのである。まして、武道における「居着く」を知らない人は世間の大多数だろう。
(以下引用)
レヴィナスはこう問いました。人が生きる目的は「真の自分」に出会うことだというのはほんとうだろうか? むしろ人は「自分が自分以外のものになれないこと」「自分が自分自身に釘付けにされていること」に苦しんでいるのではないか?
レヴィナスの本をはじめて読んだ時(僕が30歳を少し過ぎた頃でした)に、「アイデンティティーの探求とは違う旅」というこの哲学的アイディアに僕は強く心を惹かれました。僕はその時にすでに多田宏先生に就いて合気道の修行を始めて数年経っていましたので「メンターに導かれて、修行する」ということがどういうことかは感覚的にはわかっていました。
修行というのは、師の背中を追いながら、無限消失点としての目的(武道の場合なら「天下無敵」)をめざしてひたすら道を歩むことです。自我への執着を武道では「居着き」と言います。道を進もうとする人にとって、一か所に止まりたいという思いは修行の妨げになるだけです。
レヴィナス哲学もまた「自我への執着」は「他者」との出会いを妨げると論じていました。
レヴィナスの他者についての哲学と、多田先生の教えは僕には「同じこと」を言っているように感じられました。
内田樹の論説にはこういう「一見もっともらしいが、よく考えると欺瞞的」ということが多い気がする。彼は自分で言っているが、お役所に提出する報告書や請願書を書くのが得意だというのは、そういうところなのではないか。つまり、表面をうまく粉飾するから忙しい役人はその書類を承認するわけだ。
下の文章はレヴィナス(あるいは哲学的問題)にも武道にも不案内な人はうっかり「承認」するだろう。もちろん、レヴィナスを知らなくても(私も読んだことはない)、「問題の建て方」がおかしいのではないか、と気づく人もいるだろうが、多くの人はあまり文章をきちんと読まないのである。まして、武道における「居着く」を知らない人は世間の大多数だろう。
(以下引用)
レヴィナスはこう問いました。人が生きる目的は「真の自分」に出会うことだというのはほんとうだろうか? むしろ人は「自分が自分以外のものになれないこと」「自分が自分自身に釘付けにされていること」に苦しんでいるのではないか?
レヴィナスの本をはじめて読んだ時(僕が30歳を少し過ぎた頃でした)に、「アイデンティティーの探求とは違う旅」というこの哲学的アイディアに僕は強く心を惹かれました。僕はその時にすでに多田宏先生に就いて合気道の修行を始めて数年経っていましたので「メンターに導かれて、修行する」ということがどういうことかは感覚的にはわかっていました。
修行というのは、師の背中を追いながら、無限消失点としての目的(武道の場合なら「天下無敵」)をめざしてひたすら道を歩むことです。自我への執着を武道では「居着き」と言います。道を進もうとする人にとって、一か所に止まりたいという思いは修行の妨げになるだけです。
レヴィナス哲学もまた「自我への執着」は「他者」との出会いを妨げると論じていました。
レヴィナスの他者についての哲学と、多田先生の教えは僕には「同じこと」を言っているように感じられました。
その四十九 アンドレ
「すみません、この町にアンドレという人はいますか」
ハンスが町の人に聞くと、その人はハンスを胡散臭そう(うさんくさそう、疑わしそう)に見ました。
「最高参事のアンドレ様かね? 何の用だ?」
「昔の知り合いからの言伝(ことづて)を持ってきたんです」
ハンスはうそをつきました。だって、ふつうの人に、天国の鍵をさがしているなんて言っても気がおかしいとしか思われませんからね。
男はそれを聞いて、アンドレの家を教えてくれました。
教えられた家は、なかなか立派な二階建てに石造りの家です。窓にはガラスまではまっています。ガラスは非常に高級なもので、ふつうの家の窓はただの穴に、開閉のできる木のおおいをしているだけなのです。
ドアのノッカーをたたくと、執事らしい人がドアをあけました。
「アンドレさんにお会いしたいのですが」
その人は不思議そうにハンスを見ました。こんな子供が何の用だろう、という顔です。
「アスカルファンのマルスとマチルダからの伝言を持ってきたのです」
「アスカルファン! マルスさん、マチルダ様! なつかしい名前だなあ」
顔が細長く、鼻の長いその執事らしい人は声をあげました。どうやら、この人もマルスやマチルダを知っているようです。
応接間で四人がしばらく待っていると、やがて部屋のドアが開いて、若い男と女が入ってきました。
ハンスはこれまでこんなに美しい若夫婦を見たことがありません。二人とも、まるで宗教画の天使のようです。どうも、出てくる人間がどれもこれも美しいばかりで、もうしわけないのですが、作者はもちろん、人間は内面のほうが大事だということは知ってます。しかし、人間、内面はわかりませんが、外面の美しい醜いは一目でわかりますからね。外面の美しいことは、それだけでもやはり大きな価値なのです。でも、自分の外面の美しさに自己満足して、内面を磨かないと、つまらない人間になりますから、顔のきれいな男の子、女の子は注意してください。
「マルスとマチルダの知り合いだって?」
「まあ、みなさんお元気かしら」
二人は口々に言いながら、ハンスと握手(あくしゅ)をしました。
ハンスは、実はそれほど深い知り合いではないことを白状し、本当の用件をつげました。
「いやいや、ピエールやヤクシーと何ヶ月もいっしょに旅したのなら、昔からの知り合いも同じだ。で、その詩とは?」
ハンスとチャックは四つの詩をそれぞれ暗誦しました。
その五十 太陽の虹
アンドレは近くの机の上の紙に、四つの詩を書きとめました。
「面白い詩だな。しかし、考えるには少し時間がかかる。詩の謎が解けるまで、君たちはここに滞在しなさい」
ハンスたちはその申し出を感謝して受け入れました。
それからアンドレは数日間、その紙をながめて考え込んでいました。その間、ハンスたちはすることもないので、町の子供たちといっしょに近くの凍った川でスケートをしたり、雪のつもった丘でソリ滑りをしたりして遊んでました。こういう遊びになると、アリーナはなんでも一番です。セイルンはあまり子供っぽい遊びは好きではないらしく、暖炉のそばで居眠りしている事が多く、チャックはアンドレの奥さんのトリスターナとおしゃべりばかりしてます。どういうわけか、昔から女の人は悪魔が好きなのですね。トリスターナはもともと修道女で、信心深い人なのですけど、チャックが悪魔とは知らず、つまらないおしゃべりをして喜んでます。チャックも女の人と話すのは大好きです。それが美しい女の人ならなおさらです。たいていの悪魔は、人間とは逆に醜いものを好むのですが、チャックの趣味はちがうようです。だいたい、トリスターナの夫のアンドレという人は顔に似合わず知性のお化けみたいな人間で、女性相手のおしゃべりは苦手なのです。これは女性が非論理的だということではなく、おしゃべりの意味のちがいです。ある種の人間にとって、厳密でない議論や会話ほど我慢のならないものはないのですが、逆に、会話というものに軽い機知や軽快な楽しさしか求めていない人間には、会話にいちいち論理性を求められるのは不愉快なものなのです。そういう意味では、女性は女性とおしゃべりする時が一番楽しく、男性は男性と会話や議論をする時が一番楽しいはずなのです。これは、作者の私の偏見かもしれませんけどね。最近の男性の会話は女性の会話と似ているようですから、こんな考え方はきっと古い人間にだけ通用することなのでしょう。
ある日、アンドレがハンスたちを集めて言いました。
「ルメトトの詩について、一つ仮説ができたから聞いてくれ」
仮説というのは、ある問題についての一つの考え方です。
「まず、ヘルメスが出没する場所とは、これはチャックの予想どおり魔法使いの部屋だろう。ヘルメスとはヘルメス・トリスメギストスとも言って、神秘学や魔術の祖とされている神だからだ。ただし、その魔法使いがソクラトンかどうかはわからない。もし、ソクラトンの部屋のそばに黒い松が生えているなら、そこが一番可能性は高いな。
次に、ダマスコ薔薇とアマランスと紫の愛の花は、光の色だ。見たまえ」
アンドレは部屋の窓のカーテンを閉め、その隙間からもれてくる太陽の細い光線に、小さな三角柱のガラスをかざしました。
すると、部屋の壁に美しい虹が現れたではありませんか。
ハンス、アリーナ、チャック、セイルンの四人はおどろいて太陽の光の虹を見ました。
どうでもいいが、私は間違った日本語が堂々と使われていると腹が立つ人間なので文句を言っておく。
「課金」とは「金を課す」ということで、カネを払わせることであってカネを払うことではない。
企業が消費者にカネを払わせることを「課金」と言うのである。「課題」とは「題を課す」、つまり「この題でやりなさい」と教師が生徒に題を出すことである。
下の事例だとアニメ制作企業がアニメ消費者に「お前ら、俺たちに『カネを支払え』と言え」と言っていることになる。消費者に対する「課金」の強制は言うまでもなく「課金に応じろ」である。
まあ、課金という言葉自体がこういう誤用を生みやすいのだが。
(以下引用)
ハッピーエンドが見たい?
よろしい、課金しろ
#好きなアニメをつまらなさそうに紹介する pic.x.com/IqUlA1KD2K
「課金」とは「金を課す」ということで、カネを払わせることであってカネを払うことではない。
企業が消費者にカネを払わせることを「課金」と言うのである。「課題」とは「題を課す」、つまり「この題でやりなさい」と教師が生徒に題を出すことである。
下の事例だとアニメ制作企業がアニメ消費者に「お前ら、俺たちに『カネを支払え』と言え」と言っていることになる。消費者に対する「課金」の強制は言うまでもなく「課金に応じろ」である。
まあ、課金という言葉自体がこういう誤用を生みやすいのだが。
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「モンキー的映画の勧め」というブログから転載。
私は筒井康隆の大ファンだが「敵」は未読である。吉田大八という監督の映画も見たことがない。まあ、映画館で映画を見るのは、咳が出始めると止まらないので無理だが、小説のほうは、なぜか気が向かずに読んでいなかった。
以下、一部ネタバレだが、特に映画を見るのに邪魔にならない部分まで転載する。
映画後半はまさに筒井康隆的世界になるようだ。つまり、悪夢的ドタバタである。筒井康隆はあの年齢になっても枯れないのが凄い。
(以下引用)誤字や誤文を見え消しや下線で指摘だけしておく。
作品情報
「時をかける少女」「虚人たち」などでも知られる小説家・筒井康隆の同名小説を、「桐島、部活やめるってよ」で日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した吉田大八監督の手によって実写映画化。
妻に先立たれひとり老年を謳歌している元大学教授の主人公のもとに、日常を脅かす「敵」が現れることで、穏やかに過ごそうとしていた人生の最期が一変していく姿を、日常と非日常が交錯しながら「敵」に翻弄される様を全編モノクロ映像で描く。
これまでも「紙の月」や「桐島~」、「騙し絵の牙」など原作小説を大胆な解釈で映像化に取り組んできた監督。
原作の筒井道隆に「映像不可能」としながらも、鮮やかに映像化に成功したその手腕が本作でも冴えわたる。
もう二度とこんな映画は作れないと自ら豪語するその中身や如何に。
キャストには、映画「瀬戸内ムーンライト・セレナーデ」や「ひき逃げファミリー」などで知られ、「ひまわり〜沖縄は忘れない あの日の空を〜」以来約10年ぶりの主演を演じた長塚京三。
人生最期の、いや最期から2番目になるかもしれない主演作品として努めたと語る。
他にも、「冷たい熱帯魚」、「沈黙~サイレンス~」の黒沢あすか、「火口のふたり」、「由宇子の天秤」の瀧内公美、「ナミビアの砂漠」、「あんのこと」の河合優美などが出演する。
果たして主人公にとって「敵」とは、苦しい存在なのか、それとも。
敵(新潮文庫)
敵(新潮文庫)
作者:筒井 康隆
新潮社
Amazon
恋と花火と観覧車
恋と花火と観覧車
長塚京三
Amazon
あらすじ
渡辺儀助(長塚京三)、77歳。
大学教授の職を辞して10年—妻(黒沢あすか)には先立たれ、祖父の代から続く日本家屋に暮らしている。
料理は自分でつくり、晩酌を楽しみ、多くの友人たちとは疎遠になったが、気の置けない僅かな友人と酒を飲み交わし、時には教え子を招いてディナーを振る舞う。
預貯金が後何年持つか、すなわち自身が後何年生きられるかを計算しながら、来るべき日に向かって日常は完璧に平和に過ぎていく。
遺言書も書いてある。
もうやり残したことはない。
だがそんなある日、書斎のiMacの画面に「敵がやって来る」と不穏なメッセージが流れてくる。(公式より抜粋)
私は筒井康隆の大ファンだが「敵」は未読である。吉田大八という監督の映画も見たことがない。まあ、映画館で映画を見るのは、咳が出始めると止まらないので無理だが、小説のほうは、なぜか気が向かずに読んでいなかった。
以下、一部ネタバレだが、特に映画を見るのに邪魔にならない部分まで転載する。
映画後半はまさに筒井康隆的世界になるようだ。つまり、悪夢的ドタバタである。筒井康隆はあの年齢になっても枯れないのが凄い。
(以下引用)誤字や誤文を見え消しや下線で指摘だけしておく。
作品情報
「時をかける少女」「虚人たち」などでも知られる小説家・筒井康隆の同名小説を、「桐島、部活やめるってよ」で日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した吉田大八監督の手によって実写映画化。
妻に先立たれひとり老年を謳歌している元大学教授の主人公のもとに、日常を脅かす「敵」が現れることで、穏やかに過ごそうとしていた人生の最期が一変していく姿を、日常と非日常が交錯しながら「敵」に翻弄される様を全編モノクロ映像で描く。
これまでも「紙の月」や「桐島~」、「騙し絵の牙」など原作小説を大胆な解釈で映像化に取り組んできた監督。
原作の筒井道隆に「映像不可能」としながらも、鮮やかに映像化に成功したその手腕が本作でも冴えわたる。
もう二度とこんな映画は作れないと自ら豪語するその中身や如何に。
キャストには、映画「瀬戸内ムーンライト・セレナーデ」や「ひき逃げファミリー」などで知られ、「ひまわり〜沖縄は忘れない あの日の空を〜」以来約10年ぶりの主演を演じた長塚京三。
人生最期の、いや最期から2番目になるかもしれない主演作品として努めたと語る。
他にも、「冷たい熱帯魚」、「沈黙~サイレンス~」の黒沢あすか、「火口のふたり」、「由宇子の天秤」の瀧内公美、「ナミビアの砂漠」、「あんのこと」の河合優美などが出演する。
果たして主人公にとって「敵」とは、苦しい存在なのか、それとも。
敵(新潮文庫)
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作者:筒井 康隆
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あらすじ
渡辺儀助(長塚京三)、77歳。
大学教授の職を辞して10年—妻(黒沢あすか)には先立たれ、祖父の代から続く日本家屋に暮らしている。
料理は自分でつくり、晩酌を楽しみ、多くの友人たちとは疎遠になったが、気の置けない僅かな友人と酒を飲み交わし、時には教え子を招いてディナーを振る舞う。
預貯金が後何年持つか、すなわち自身が後何年生きられるかを計算しながら、来るべき日に向かって日常は完璧に平和に過ぎていく。
遺言書も書いてある。
もうやり残したことはない。
だがそんなある日、書斎のiMacの画面に「敵がやって来る」と不穏なメッセージが流れてくる。(公式より抜粋)
私好みのアニメがネットフリックスの冬アニメの中に無いので、あまり興味を惹かないタイトルのアニメ(主に異世界冒険もの)も見ているが、ややマシな感じのものが「Sランク娘」だけで、「unnamed memory」など、主人公のキャラが不愉快で、一話切りした。ギャグセンスが無く、話も興味を惹かない。ヒロインの声が種崎敦美で、彼女の無駄遣いである。種崎敦美は幼女キャラの声が抜群なのであり、普通の成人女性の声としては普通の声優だろう。
「Sランク娘」は、それほど面白いわけではないが、嫌みが無いのが取り柄である。そして細部の描写や設定がわりとまともだが、まあ、ありふれたパターンの設定である。
で、今期のアニメが総倒れなのは、監督が新人ばかりで、脚本にロクなのがほとんどいないためだろう。「全修」のうえのきみこと「薬屋」の柿原優子だけがまともである。なぜ、カネをかけたアニメ制作に実績の無い新人を使うのか、謎である。もしかしたらアニメのプロデューサーの間には、「アニメ監督は誰でもできる」という不思議な思想があるのではないか。これは、「ゲド戦記」を宮崎駿が降りた時、鈴木馬鹿プロデューサーが、まったくのアニメ素人の駿の息子(吾郎?)に監督をやらせた事例でも分かる。
ちなみに、前にも書いたかもしれないが、アニメ監督の素質(あるいはセンス)は、登場キャラのギャグ顔の良否でだいたい判別できる。「薬屋」などでBあるいはCレベル。「山田くんとレベル999の恋をする」の監督はAレベルである。後者のアニメのギャグ顔の素晴らしさは、絶賛してよい。現在の冬アニメの中でギャグ顔がちゃんとギャグ顔になっているのはほとんどゼロである。つまり、アニメセンスが無い監督ばかりである。なお、岸誠二などは名監督だがギャグ顔自体をあまり使わない印象である。
「Sランク娘」は、それほど面白いわけではないが、嫌みが無いのが取り柄である。そして細部の描写や設定がわりとまともだが、まあ、ありふれたパターンの設定である。
で、今期のアニメが総倒れなのは、監督が新人ばかりで、脚本にロクなのがほとんどいないためだろう。「全修」のうえのきみこと「薬屋」の柿原優子だけがまともである。なぜ、カネをかけたアニメ制作に実績の無い新人を使うのか、謎である。もしかしたらアニメのプロデューサーの間には、「アニメ監督は誰でもできる」という不思議な思想があるのではないか。これは、「ゲド戦記」を宮崎駿が降りた時、鈴木馬鹿プロデューサーが、まったくのアニメ素人の駿の息子(吾郎?)に監督をやらせた事例でも分かる。
ちなみに、前にも書いたかもしれないが、アニメ監督の素質(あるいはセンス)は、登場キャラのギャグ顔の良否でだいたい判別できる。「薬屋」などでBあるいはCレベル。「山田くんとレベル999の恋をする」の監督はAレベルである。後者のアニメのギャグ顔の素晴らしさは、絶賛してよい。現在の冬アニメの中でギャグ顔がちゃんとギャグ顔になっているのはほとんどゼロである。つまり、アニメセンスが無い監督ばかりである。なお、岸誠二などは名監督だがギャグ顔自体をあまり使わない印象である。
その四十七 マルスの家
雲に乗って空から下界を見ると、不思議な感じです。すべてが小さく遠くなり、その中にいると果ての見えない大きな砂漠の果てもちゃんと見えます。すべて、全体を知るためには遠くにはなれる必要があるのでしょう。近くで見ないと見えないものもあるし、遠くにいないと見えないものもあるのです。
目の下を流れる雲に一部はかくれていますが、後方にはルメトトと出会った神殿が、ずっと遠くを見ると、砂漠のはずれのほうにはアズマハルの町も見えます。そして、雲が進んでいく方向には、地平の果てに青い線が見えます。あれがボワロンの海岸でしょう。
やがてハンスたちの乗った雲は海の上に出ました。アスカルファンとボワロンをへだてる内海はそれほど大きいものではありません。それでも船なら四、五日はかかる距離ですが、そこをおよそ三時間ほどで渡り終え、雲に乗ってからおよそ半日後にハンスたちはアスカルファンに着きました。
「ひええ、もう着いちゃった」
アリーナが嘆声(たんせい)をあげました。
アスカルファンの東の山脈のふもとにあるカザフの村に雲は下りていきます。その村はずれのマルスとマチルダの家にロレンゾはいます。
グリセリードからパーリにかけて、南国を通ってきたので、あまり気づきませんでしたが、季節はすっかり冬になっています。山の近くはもう雪がつもっています。
「ううっ、寒い」
アリーナがぶるっとふるえました。この仲間の中では、ふつうの人間であるハンスとアリーナが、やはり暑さや寒さに弱いようです。
ハンスたちはマルスの家まで歩いていきました。
マルスの家の煙突からは、あたたかそうな煙が出ています。
「あら、ハンスじゃない。アスカルファンにもどったのね。無事でよかったわ」
ハンスの顔を見て、マチルダは声をあげました。
「この子たちは?」
「みんなぼくの旅の仲間です。アリーナにセイルンに、そしてチャックです」
マチルダはハンスたちを歓迎するためにごちそうを作ります。
ハンスからピエールたちの話を聞いて、みんな無事であると知ってマチルダは安心したようです。
ロレンゾも久し振りにハンスの顔を見てうれしそうですが、マルスの方は、この四人の子供が何者なのかわからず、とまどっているようです。精一杯あいそ良くふるまっていますが、ぎこちない感じがするのは、正直な人間は元来、社交的な演技がへただからです。つまり、うそとほんとの使い分けができないのですね。女の人の場合は、だいたい演技がうまいものですが、男にはこういう正直な不器用者が昔は多かったのです。
その四十八 四つめの詩
「天国の鍵か? さあなあ。昔、わしの師匠からこういう詩を聞いたことがあるが、それかな」
ハンスから話を聞いて、ロレンゾは言いました。
「どんな詩です?」
チャックが待ちきれないように言いました。
ロレンゾは目をつぶって、詩を思い出し、やがて暗誦(あんしょう)しました。
「水晶の湖の中、
薔薇色の明け方の光のごとく
金剛石の瞳を輝かせ
一千の魚が遊ぶ。
水に網を、
風の矛がきらめく場に
黄金の網を打てば、
輝く魚が一尾得られよう」
ハンスはその詩を暗記しました。
ハンスとチャックは、これまでに聞いた三つの詩をロレンゾに聞かせて、その意味がわかるかどうか聞いてみましたが、ロレンゾは首を横に振りました。
「こういうものは、わしは苦手じゃ」
話を聞いていたマチルダが、口をはさみました。
「アンドレに考えてもらったらどうかしら」
「そうじゃ、アンドレがいた。しかし、アルカードは遠いからなあ」
それを聞いて、セイルンが言います。
「そのアンドレという人はアルカードにいるんですか? 大丈夫です。アルカードくらい、半日もあれば行けます」
ほう、とロレンゾはおどろいてセイルンを見ました。
マルスたちの家で一晩泊めてもらった後、ハンスたちは翌日アルカードに出発しました。
出発といっても、セイルンの呼び寄せた雲に乗るだけですから気楽なものです。ただし、アルカードはアスカルファンよりもずっと寒いので、ハンスとアリーナは厚着をし、今回は、動物たちはマルスの家であずかってもらうことにしました。マルスの子供のオズモンドは、ジルバやピントと遊べるので大喜びです。
半日どころか、雲に乗っておよそ三時間でアルカードに着きました。
アルカードのスオミラという町にアンドレという人はいると聞いたので、チャックに上空から教えてもらって、四人はスオミラの町の近くに降りました。
スオミラはまわりを城壁にかこまれた城塞(じょうさい)都市でした。
雲に乗って空から下界を見ると、不思議な感じです。すべてが小さく遠くなり、その中にいると果ての見えない大きな砂漠の果てもちゃんと見えます。すべて、全体を知るためには遠くにはなれる必要があるのでしょう。近くで見ないと見えないものもあるし、遠くにいないと見えないものもあるのです。
目の下を流れる雲に一部はかくれていますが、後方にはルメトトと出会った神殿が、ずっと遠くを見ると、砂漠のはずれのほうにはアズマハルの町も見えます。そして、雲が進んでいく方向には、地平の果てに青い線が見えます。あれがボワロンの海岸でしょう。
やがてハンスたちの乗った雲は海の上に出ました。アスカルファンとボワロンをへだてる内海はそれほど大きいものではありません。それでも船なら四、五日はかかる距離ですが、そこをおよそ三時間ほどで渡り終え、雲に乗ってからおよそ半日後にハンスたちはアスカルファンに着きました。
「ひええ、もう着いちゃった」
アリーナが嘆声(たんせい)をあげました。
アスカルファンの東の山脈のふもとにあるカザフの村に雲は下りていきます。その村はずれのマルスとマチルダの家にロレンゾはいます。
グリセリードからパーリにかけて、南国を通ってきたので、あまり気づきませんでしたが、季節はすっかり冬になっています。山の近くはもう雪がつもっています。
「ううっ、寒い」
アリーナがぶるっとふるえました。この仲間の中では、ふつうの人間であるハンスとアリーナが、やはり暑さや寒さに弱いようです。
ハンスたちはマルスの家まで歩いていきました。
マルスの家の煙突からは、あたたかそうな煙が出ています。
「あら、ハンスじゃない。アスカルファンにもどったのね。無事でよかったわ」
ハンスの顔を見て、マチルダは声をあげました。
「この子たちは?」
「みんなぼくの旅の仲間です。アリーナにセイルンに、そしてチャックです」
マチルダはハンスたちを歓迎するためにごちそうを作ります。
ハンスからピエールたちの話を聞いて、みんな無事であると知ってマチルダは安心したようです。
ロレンゾも久し振りにハンスの顔を見てうれしそうですが、マルスの方は、この四人の子供が何者なのかわからず、とまどっているようです。精一杯あいそ良くふるまっていますが、ぎこちない感じがするのは、正直な人間は元来、社交的な演技がへただからです。つまり、うそとほんとの使い分けができないのですね。女の人の場合は、だいたい演技がうまいものですが、男にはこういう正直な不器用者が昔は多かったのです。
その四十八 四つめの詩
「天国の鍵か? さあなあ。昔、わしの師匠からこういう詩を聞いたことがあるが、それかな」
ハンスから話を聞いて、ロレンゾは言いました。
「どんな詩です?」
チャックが待ちきれないように言いました。
ロレンゾは目をつぶって、詩を思い出し、やがて暗誦(あんしょう)しました。
「水晶の湖の中、
薔薇色の明け方の光のごとく
金剛石の瞳を輝かせ
一千の魚が遊ぶ。
水に網を、
風の矛がきらめく場に
黄金の網を打てば、
輝く魚が一尾得られよう」
ハンスはその詩を暗記しました。
ハンスとチャックは、これまでに聞いた三つの詩をロレンゾに聞かせて、その意味がわかるかどうか聞いてみましたが、ロレンゾは首を横に振りました。
「こういうものは、わしは苦手じゃ」
話を聞いていたマチルダが、口をはさみました。
「アンドレに考えてもらったらどうかしら」
「そうじゃ、アンドレがいた。しかし、アルカードは遠いからなあ」
それを聞いて、セイルンが言います。
「そのアンドレという人はアルカードにいるんですか? 大丈夫です。アルカードくらい、半日もあれば行けます」
ほう、とロレンゾはおどろいてセイルンを見ました。
マルスたちの家で一晩泊めてもらった後、ハンスたちは翌日アルカードに出発しました。
出発といっても、セイルンの呼び寄せた雲に乗るだけですから気楽なものです。ただし、アルカードはアスカルファンよりもずっと寒いので、ハンスとアリーナは厚着をし、今回は、動物たちはマルスの家であずかってもらうことにしました。マルスの子供のオズモンドは、ジルバやピントと遊べるので大喜びです。
半日どころか、雲に乗っておよそ三時間でアルカードに着きました。
アルカードのスオミラという町にアンドレという人はいると聞いたので、チャックに上空から教えてもらって、四人はスオミラの町の近くに降りました。
スオミラはまわりを城壁にかこまれた城塞(じょうさい)都市でした。
「天国の鍵」で善と悪の問題の考察をしているが、まあ、子供向けの話である。だが、そこでも善は本当に善か、悪は本当に悪か、くらいの議論はしている。
で、下のコメントはtogetterから拾ったものだが、社会の上級国民には常識だろう。今、読んでいる最中の広瀬隆の「億万長者はハリウッドを殺す」の中には、アメリカの億万長者たちがいかに犯罪的なビジネスをして巨万の財を成したかがかなり詳しく書かれている。
たとえば、会社を興して株を売り出す時、億万長者は自社株を自分で買い、株価を吊り上げて人気株にする。(そのカネは自分に戻るのだから懐は痛まない。)そして株価が十分に上がったところで他者に売れば、会社を作った費用はそれだけで回収できるわけだ。
そして現在でも、株価が本当には誰が決めているのか、証券会社内でどんな操作(談合?)をして株価を決めているのか、外部の人間には分からないのである。単に「人気の変動で決まっている」と言われているのを信じて株を売買するのが一般人だ。
「株には手を出さんよ。あれは仕組まれた芝居だからな」(アル・カポネ)
水原一平などはギャンブルで失敗したから罪になったが、勝って大儲けをして大谷の口座にこっそり返していたら大成功者で巨額の資産を手にしていたわけだ。つまり、そこには「犯罪が割に合う社会制度」が存在する。それが資本主義である。資本主義では経済犯罪は微罪扱いである。4年数か月の懲役刑も軽い処分でしかない。36億円の返済義務も、「破産してカネがないので無理です」で終わりになるだろう。
(以下引用)
こないだ奢りにきた高学歴の前科3犯が「日本に『やってはいけないこと』は一つもない」「ただ罰則があるだけ」「罰則があること、とは『やってはいけないこと』ではなく、『コストを払えばやっていいこと』に過ぎない」「犯罪が割に合う社会設計が悪い」などと言っており、宗教なき世界の限界を見た。
マンチカンのちゃちゃ丸
@Cthulhu015
@philosopium だから人間は法と宗教を作らざるを得なかった
2022-10-30 08:58:13
masaton
@masaton8
@philosopium 人を殺したらこう言う処罰しますねってのが法律で人を殺すのは悪だってのが宗教って事だね。法律に人殺しは悪だとは書かれていない。書いちゃうと死刑出来ないし。
で、下のコメントはtogetterから拾ったものだが、社会の上級国民には常識だろう。今、読んでいる最中の広瀬隆の「億万長者はハリウッドを殺す」の中には、アメリカの億万長者たちがいかに犯罪的なビジネスをして巨万の財を成したかがかなり詳しく書かれている。
たとえば、会社を興して株を売り出す時、億万長者は自社株を自分で買い、株価を吊り上げて人気株にする。(そのカネは自分に戻るのだから懐は痛まない。)そして株価が十分に上がったところで他者に売れば、会社を作った費用はそれだけで回収できるわけだ。
そして現在でも、株価が本当には誰が決めているのか、証券会社内でどんな操作(談合?)をして株価を決めているのか、外部の人間には分からないのである。単に「人気の変動で決まっている」と言われているのを信じて株を売買するのが一般人だ。
「株には手を出さんよ。あれは仕組まれた芝居だからな」(アル・カポネ)
水原一平などはギャンブルで失敗したから罪になったが、勝って大儲けをして大谷の口座にこっそり返していたら大成功者で巨額の資産を手にしていたわけだ。つまり、そこには「犯罪が割に合う社会制度」が存在する。それが資本主義である。資本主義では経済犯罪は微罪扱いである。4年数か月の懲役刑も軽い処分でしかない。36億円の返済義務も、「破産してカネがないので無理です」で終わりになるだろう。
(以下引用)
こないだ奢りにきた高学歴の前科3犯が「日本に『やってはいけないこと』は一つもない」「ただ罰則があるだけ」「罰則があること、とは『やってはいけないこと』ではなく、『コストを払えばやっていいこと』に過ぎない」「犯罪が割に合う社会設計が悪い」などと言っており、宗教なき世界の限界を見た。
マンチカンのちゃちゃ丸
@Cthulhu015
@philosopium だから人間は法と宗教を作らざるを得なかった
2022-10-30 08:58:13
masaton
@masaton8
@philosopium 人を殺したらこう言う処罰しますねってのが法律で人を殺すのは悪だってのが宗教って事だね。法律に人殺しは悪だとは書かれていない。書いちゃうと死刑出来ないし。
その四十五 善と悪の議論
セイルンは、生意気な口調でハンスたちに言いました。
「老師が、お前もハンスたちといっしょに天国の鍵をさがせと言ったんだ。おれはべつに天国なんか興味(きょうみ)ないけどね」
そして、セイルンは、ハンスたちのそばにいるチャックを見ていいました。
「なんで小悪魔がおまえたちといっしょにいるんだ」
チャックはむっとした顔で言いました。
「お前こそ、竜の子供だろう。なんで人間のふりをしている」
ハンスたちはあきれて二人の言い合いを見ていました。
チャックはアリーナに向かって弁解(べんかい、いいわけのこと)するように言いました。
「こいつの言うとおり、ぼくは実は悪魔なんだ。でも、悪魔の中でも人間に近い種類でね。まあ、悪魔というよりは妖精と言ったほうがいいくらいで、確かに人間の道徳にはまったくしばられないから、人間から見たら悪いこともするが、それはぼくらにとっては悪でもなんでもないんだ。悪という観念がぼくらにはまったくないんだよ」
「ようするに、大人なみの知能を持った赤ちゃんなんだ」
セイルンがあざ笑うように言いました。こっちのほうは、見かけは七、八歳くらいなのに、言うことは大人びています。
「なんで悪魔が天国の鍵をさがすんだ?」
ハンスが聞くと、チャックは笑って言いました。
「おもしろそうだからさ」
「しかし、地上が天国になったら、君たちは消えてしまうかもしれないぜ」
「それもいいさ。ぼくには自己保身の欲望なんかない。その点、人間なんかよりずっと天上的な生き物さ」
「悪魔が天上的とはお笑いだな」
セイルンが言うと、チャックも言い返します。
「お前の師匠のロンコンも、ブッダルタとやらもわかっていない。この世になぜ悪があるのかということをな。その点、ルメトトはさすがだ。ちゃんと悪の存在意義を知っていた」
「悪魔の自己弁護を聞いていると、まるで悪が善よりも善みたいな気がしてくるぜ」
「まあ、考えてみるがいい。この世の人間がみんなロンコンやブッダルタみたいになったとしたらどうだ。地上がそのまま天国になるとはそういうことだ。そんな世界の何が面白い。我々がいるからこそ、この世はこんなにも面白い世界になっているのではないか」
「悪の存在意義とは、この世を面白くすることか。では、その悪のために悲しみ、嘆く被害者たちはどうなる」
「そんなのは俺たちの知ったことじゃない」
その四十六 四人と四匹
セイルンは、ハンスたちの方を向いて言いました。
「こいつの言うことを聞いちゃあいけないぜ。悪魔というやつは、口からでまかせが得意なんだ。こいつは、最初は自分には悪の観念は無い、なんて言っていて、いつのまにか悪の弁護をしている。つまり、ちゃんと悪が悪いという自覚はあるんだ。悪魔と議論したって意味がないんだ。なぜって、悪魔には、論理に従おうという気持ちはまったくないからな。わがままな赤ん坊と議論をするようなものさ」
それにしても、チャックが悪魔だというのにはおどろきました。しかも、その悪魔が天国の鍵をさがしているなんて、どうなっているんでしょう。ハンスとアリーナは、このままチャックを仲間にしていていいのかどうか、まよいました。
「チャック、もし君が仲間になりたいなら、ぼくたちには危害を加えないと約束してくれ」
ハンスの言葉に、チャックはうなずきました。
「ベルゼブルの名にかけて誓おう。君たちには危害は加えない」
ハンスはセイルンを見ました。セイルンは肩をすくめて、まあいいだろうという顔をしました。
「おれたちは、このままパーリにとどまるから、これでお前たちとはお別れだ。元気でな」
ピエールが言うと、ヴァルミラが
「パーリでの仕事が終わったら、またアスカルファンで会いましょう」
と言いました。
「お父さんの敵討ちは終わったのですか?」
ハンスが聞くと、ヴァルミラは少しさびしそうな笑顔でうなずきました。
「ええ。これでもう私には何もすることがないわ。復讐という血生臭い仕事ですら、何も生き甲斐がないよりはましね」
「何を言うの。あなたほどすべての能力に恵まれた人はいないのに」
ヤクシーがヴァルミラをはげまします。ハンスたちにはよくわからない話ですが、父親の敵討ちは、ヴァルミラには満足よりも空しさを感じさせるものであったようです。
ハンスたちはピエールたちに別れをつげて、ボワロンに向かって出発しました。これからは子供だけ四人です。しかも、そのうち二人は人間ではありません。いったい、これからどうなることでしょう。
「めんどうだから、おれがみんなを雲に乗せてやろう」
セイルンが言いました。なるほど、竜と雲はつきものです。
セイルンが空を向いて、口笛のような鋭い声をあげると、たちまち空中に雲があらわれました。
人間だけでなく、猿のジルバ、犬のピント、驢馬のグスタフまでみんな雲に乗ります。オウムのパロは最初自分で飛ぼうとしましたが、雲の方が速いので、これも乗りました。