「はじめの一歩」は初期の部分しか読んでいないのだが、作者のセンスや才能はあまり感じないが数少ないボクシング漫画としては及第点は取れるかな、くらいに見ていたから、これほどの人気作品になり長期連載になるとは予想しなかったが、最近は相当に評判が悪いようだ。長期連載の弊害、編集者が引き延ばしをさせたのが悪い、と言われているが、要するに、作者が物語作りの才能が無いだけのことだろう。
同じように編集者や雑誌社から引き延ばしを強要された作品は多いが、これほどの悪評を買っているのはほかには無いのではないか。
それは、ボクシング漫画というジャンル自体が引き延ばしには向かないということもあるのかもしれない。もちろん、「日常回」などをたくさん入れれば、あだち充の野球漫画のようなボクシング漫画というのも作れるだろうが、野球とは違って登場人物の生死すらかかるボクシングでは、あまりユーモアや脇道を入れるのも読者をうんざりさせる可能性は高い。「はじめの一歩」の初期では、そういう日常部分をたくさん入れたのが人気が出た理由ではあるだろうが、真面目な読者は「この話はどういう結末に向かっていくのか」が気になって仕方がなく、最近の展開はそういう読者が望まない方向へ進んでいるのかと思う。
まあ、まともに読んでもいない漫画の話をするのも馬鹿げてはいるが、実は一昨日くらいから、長い間未見であったアニメ「あしたのジョー2」を見続けており、その意外な出来の良さに驚いているから、こんな記事を書いたのである。
もちろん、原作がいい、というのがアニメの良さの理由の半分だが、原作の良さを壊さないアニメというのは貴重なのである。未見の人は、一見することをお勧めする。私は、原作漫画しか知らなかったのだが、原作では蛇足だと思われた力石徹の死後の物語が、これほど内容的に深いものだとはアニメを見て分かった次第だ。主人公のジョーも、子供の私にとっては「嫌な奴」というイメージが強かったのだが、彼という人間を理解すると、その表面的な「嫌な奴」部分にも理由があることが分かり、同情や共感の気持ちも生まれてくる。子供のころに読んだ漫画などを大人になって読み返すと、理解度が大きく違ってくるのだろう。それはアニメも本も同じである。
昭和の頃の、今では「古典的存在」となった漫画を、古いと敬遠せず、今の人間が読めば、案外面白く思うのではないだろうか。
(以下「はじめの一歩」スレの一部)
>>38
綺麗に終わらせるより醜く引き伸ばす方が金になるし事務経営があるから作者に選択権はないんや
>>51
次の連載は100%コケると断言されとるしな
というか一歩が偶然当たるまで打ち切りばっかで、これ当たらんかったら田舎帰る
呼び名からして男の名前だし、男だ男だからからかわれてすぐ怒るのと
暴力癖がついてしまい、同時に女であることを意識するためにかわいいものに執着するようになったと考える