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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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コメントは勝手なことを書いているが、ハルヒの斬新さは画期的だったのではないか。そして、その後の「部活もの」の性質を決めたのではないか。まあ、「僕は友達が少ない」の隣人部などより前か後かは知らないが、知名度ではSOS団のほうがはるかに上だろう。
ただ、話としてのSF的事件やミステリー的事件は、まあ、本物のSFやミステリーのパロディみたいなもので、事件自体が面白いかと言うと、さほどではない気がする。つまり、それがSOS団に起こるから、その語り口で面白いわけである。これは、ライトノベルの作法(作り方)の指針になるかもしれない。つまり、ストーリーよりも語り口が大事だということだ。ハルヒ物は、キョンの独り語りだから面白いのである。(キョンという綽名の由来を最後まで明確にしなかった作者の自制心は凄いと思う。何やら途中でほのめかしていたが、そこから本名を推理するのは不可能な気がした。「自制心」が大事、というのは、要するに作者の物語運営の上での判断において、うっかり書いてしまうことを避けるということだ。あくまで統制の上で書くわけである。一見気ままな書き方に見えて、そういう統制が常に働いていたのがこのシリーズだったのだが、佐々木という「ハルヒ以外の神」を出したのは判断ミスだったように思う。まあ、佐々木さんのキャラ自体は魅力的であり、その登場の仕方が、一種の「叙述トリック」で、男のように思わせて実は女だったというのは読者に驚きを与えている。谷川流の一番の才能は、そうした「描き方」であり、SF的アイデアなどではないと思う。)



ハルヒの作者「こんなにヒットすると思ってなく変な終わり方すると叩かれるのが怖くて書けなくなった」←これ

1名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 21:41:01.28 ID:T09nb7MM0
うーんこの

no title

2名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 21:41:36.75 ID:gD/K7W330
中途半端に中断して叩かれてると思うけど
5名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 21:42:27.35 ID:gD/K7W330
二人がくっついて終わりで問題ないよね?
6名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 21:42:50.90 ID:eKtUTqOr0
>>5
大学一緒なんも確定してるしなぁ
7名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 21:43:28.49 ID:7AnVfcrY0
売れたからもうやる気ないだけやろ
8名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 21:43:29.80 ID:DfDLoVMxd
全部キョンの妄想だったってオチにしようとしてたんかな
9名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 21:43:40.07 ID:LEGUfLtQa
一巻である意味完結してるし別にええやろ
17名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 21:47:25.85 ID:eKtUTqOr0
>>9
一巻で現実もいいぞみたいな終わりやったのに二巻でぶち壊してたよな
78名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 22:04:54.60 ID:LEGUfLtQa
>>17
2巻のハルヒはなんだったんよほんま
ガチガ○ジやろあれ
25名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 21:50:10.75 ID:cQ2wTn6D0
>>9
ある意味というか奇麗に決着してるな
無理やり続けるために風呂敷広げた結果未完や
11名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 21:45:17.82 ID:PnvwKW1p0
ラノベにしては出来いいくらいやろ
12名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 21:45:31.89 ID:8yXI5z/yd
結局どうなったんやっけ
14名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 21:46:54.78 ID:LEGUfLtQa
>>12
なんやかんやあったけどSOS団結成1周年の日にハルヒん家に忍び込んでサプライズプレゼントしました
俺たちのSOS団はこれからだ
18名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 21:48:02.53 ID:6H2tpD6F0
>>12
佐々木っていうキョンの中学時代のハルヒポジの女が出てきてキョンの彼女面しだして鬱勃起して閉鎖空間出したハルヒとバトって終わりや
21名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 21:49:24.89 ID:eKtUTqOr0
>>18
の後にでハルヒの家で目覚めてヤバイヤバイってなったら周りがうまいことやってて
13名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 21:46:46.76 ID:kge3UBS00
消失はほんま面白い
16名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 21:47:22.56 ID:fSEDaCvD0
微笑が完結でええわ
佐々木?しらん
32名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 21:51:39.29 ID:Q5EAUrvNd
>>16
あれのせいで続編書けなくなった説昔あったなw
23名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 21:49:43.27 ID:6H2tpD6F0
佐々木→可愛いです、キョンのこと好きです、ハルヒと同じ能力持って精神安定してます、一緒にいて安心します

ハルヒ→ヒス持ちです、キョンが私のこと好きすぎでしょと思ってます、一緒にいて楽しいけど将来不安です、可愛いです
26名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 21:50:11.90 ID:GqfPzxBl0
適当に付き合わせて終わりでええんやで
28名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 21:51:11.75 ID:GNVztSX+0
明日連休最終日なんやが消失の映画おもろい?見よかな
53名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 21:58:09.99 ID:UpvEoQwA0
>>28
傑作やぞ
56名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 21:58:14.94 ID:UfAA+4O5a
その論理だと学校を出ようエタったのはなんなんですかね
no title
69名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 22:02:34.87 ID:0VNwPwaE0
>>56
谷川の作品ってその二つしか知らんけどどっちも未完なんかよ
うーんこの
79名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 22:04:59.96 ID:IBlpQkEJp
>>56
学校へ行こうが今ひとつだから実験作としてハルヒ書く→
ハルヒが読者のハードルが上がったから学校へ行こうで実験的なことやる→
そういう作風になっちゃったからハルヒでも実験的な話書く→
収拾が付かなくなる
125名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 22:12:55.28 ID:LGk3qkp8M
今出てたらみくるが人気で長門は不人気よな
141名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 22:16:43.88 ID:Ysag9inza
こいつらが出てきた理由誰もわからないw
no title
155名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 22:18:47.63 ID:WVR7n9a3a
>>141
真ん中のやつの髪梳きてえわ
172名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 22:21:43.00 ID:S8ItOzbF0
未完のままが一番モヤモヤする
サクッと終わらせて欲しい
183名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 22:23:00.19 ID:4F648ZfSp
ハルヒは一期の放送順だけが神やったのに
時系列で見てこれ大したことないやんってなるのが辛いわ
まあ時系列で売っとるんやから仕方ないけど
190名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 22:23:48.59 ID:m5HHWyqr0
>>183
あの放送シャッフルは良かったよ
193名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 22:23:59.38 ID:p6ay4JtD0
こんな売れると思ってたかった感じのやつって東リベとかもそうだよな
176名無しのアニゲーさん 2023/01/04(水) 22:22:04.23 ID:4MTsTNw/0
気持ちはわからんでもない
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「涼宮ハルヒ」シリーズの話をしたついでに、別ブログに書いた私自身の記事を引用しておく。ただし、その記事の中の引用は、この「アンファニズム」にかなり前に載せた記事という、ややこしい引用である。
涼宮ハルヒシリーズの本当の特長は、世界観よりも、「語り口」にあると思う。たとえば、地の文と会話文に切れ目(区別)が無いこと。だから時々、地の文がそのまま(カギカッコ無しの)会話文となっていて、会話文の連続という単調性を救っている。つまり、読む側が地の文と会話文の区別を判断するという、「読者の参加」が読む人の無意識のうちに行われていて、それが作品世界への読者の異常な没入を助けているわけだ。これは谷川流の「著作権」が主張できる発明だと言えるのではないか。語彙の「見かけ上の高度さと難解さ」も、実は「読者の思考的参加」を促す手段となっている。

(以下自己引用)

小説の視点と「信頼できない語り手」

今、遅ればせながら、と言うか、10年遅れくらいで「涼宮ハルヒ」シリーズの原作を読んでいるのだが、いろいろと思考ネタを与えてくれる稀有な作品である。ただ、それは「創作技法」についての考察である。特に視点の問題だ。誰の視点で話を語るのかという問題である。
このシリーズの話の語り手はキョンと呼ばれる高1から高2の生徒だが、その語彙が物凄いレベルの語彙で、私は彼が言っている言葉の8割から7割程度しか理解できない。あるいは6割くらいかもしれない。ただし、それは主に「ライトノベル的な語彙」とも言えるもので、SF小説や通俗科学書や高校教科書レベルの歴史や科学の用語が膨大に出て来るのである。私が、「物凄いレベルの語彙」と言ったのは、それを本気で理解しようとしたら、凡人にはほとんど不可能、という意味だ。ただし、それらはいわば「冗談で使われていて、理解の必要性はほとんど無い」のである。何しろ、1行ごとに比喩が出てきて、その比喩は上記の語彙を使った比喩なのである。読んでいる人は、理解できなくても、それらの語彙に接しているだけで、自分の頭が高度になった気がすると思う。
一例を挙げよう。

カノッサ城において神聖ローマ帝国ハインリヒ四世と面会した教皇グレゴリウス七世のような威厳たっぷりな満足笑顔と口調で、

これはハルヒが何かを宣言する前置きだが、これを言っているのは「劣等生」とされているキョンである。もちろん、たいていの高校生は「カノッサの屈辱」という言葉は知っているだろう。だが、それが「ハインリヒ四世」と「グレゴリウス七世」との間の権力闘争だったということまで知っているだろうか。いや、教科書を読んではいても、「四世」とか「七世」まで覚えているだろうか。覚えていないという私が特別に劣等生で、人間ではなくゾウリムシ並みの知能なのだろうか。
ここで、視点の問題が出て来る。この話の語り手であるキョンは、実は作者本人の代理だということだ。キョンの語彙は作者、谷川流の語彙であり、「劣等生」キョンの語彙ではない。しかし、それを読んでいる読者はそれをキョンの言葉として読むのである。そこにはすでに推理小説で言う「信頼できない語り手」という問題が存在しているわけである。

以下は、私の別ブログの旧記事だが、いろいろと間違いや訂正したい部分もある。ただ、小説の「視点の問題」を扱っているので、そのまま載せておく。

小説や映画の事実と真実と語り手の信頼性

映画「羅生門」が欧米映画界に与えた影響は大きなもののようだが、それまで、「複数視点からひとつの事件を見ることで、『真実』に疑義を呈する」という発想は欧米にはほとんど無かったのだろう。「羅生門」が芥川龍之介の「藪の中」を元ネタにし、その「藪の中」は米国のアンブローズ・ピアスの或る作品を下敷きにして書かれたらしいのだが、アンブローズ・ピアスのその作品(私も題名を知らない。あるいは忘れた)を欧米人がほとんど知らないらしいのが不思議である。つまり、そこが「文章表現」と「映像表現」の差だろう。文章は「読解能力」が要求されるが、映像はかなり知的理解力が低くても、かなり理解できるわけだ。逆に、映像は「描かれたものがすべて」になるので、映像で「真実が何かは分からない」ことを描くことはかなり手間がかかることになる。
ちなみに、ディッケンズの「大いなる遺産」は、語り手の一人称で話が進むが、その語り手自身の主観で語られるので、語る内容が真実を伝えているわけではなく、まったく別の解釈もある、ということが、読解力のある読者には分かるように書かれているという、実に極限的技法の作品だが、そのことを指摘した文章を私は知らない。つまり、「一人称視点でありながら、実質的には三人称視点(神の視点)でもある」という作品で、こういう作品は「大いなる遺産」以外に私は知らない。

(以下「竹熊健太郎」のツィートを引用)

リドリー・スコット「最後の決闘裁判」を観た。最近、映画は極力前知識を仕入れないで観るようにしている。この映画もタイトルからスコットの処女作「デュエリスト」みたいな映画かなと思って観たのだが、黒澤明「羅生門」のスコット版みたいな映画だった。
これは私も疑問にも残念にも思っている。まあ、頭のいい人なら真似もできる作風だろうから二次創作で誰かにハルヒシリーズの結末を書かれたということはありえるだろうが、谷川流の才能はかなり凄いもので、ハルヒシリーズの世界観とその構築は偉業だろう。つまり、あのまま作家をやめるには惜しい才能だ。おそらく、谷川自身がハルヒシリーズを書くのに飽きていたというのが一番大きいだろうと思う。では、別の作品を書くかと言えば、ハインラインやアシモフやクラークなどのSFの大作家のように次から次へと新しい作品案が生まれるタイプでもないのかもしれない。その種のアイデアに溢れた作家は必ず、短編集を出しているが、谷川流の短編集はおそらく無いと思う。ハルヒ世界というアイデアで全精力を出し尽くしたのではないか。

私自身の別ブログの記事を先に自己引用しておく。

ここのところずっと「涼宮ハルヒ」シリーズを読み続けていたが、「驚愕(前後編)」で一応終わりのようだ。と言うか、その後は出ていないのではないか。
「驚愕」の後書きに書いてあったが、その執筆段階からかなりスランプ状態だったようだ。
で、「驚愕」の内容も、かなり無理に書いた印象がある。話の中心の出来事がかなり意味不明で、説明も曖昧である。まあ、未来人の藤原が時間改変をしようと企んで、そのためにハルヒの殺害を企図した、みたいな印象だ。問題は、そこにハルヒ自身がほとんど出て来ないことで、結局キョンが完全に主役である。世界を変え得る神にも等しいハルヒの能力が他者によって奪えるとか、ハルヒ自身を簡単に殺せるというのが実に理不尽な印象だ。
まあ、「自分が神であることに無意識な神」というのが「涼宮ハルヒ」物語の最大のキモではあるが、ハルヒを害する計画を立てている連中が、なぜハルヒ自身と接触せずキョンとしつこく交渉したり脅したりするのかが分からない。その説明がほとんど無いのである。明確に、ハルヒの無意識を動かす最大要因がキョンであるから、と説明すればいいのだろうが、そうすると、「キョンの一人語り」という設定ではやりにくかったのだろうか。
まあ、いずれにしても、ハルヒシリーズの中では一番、出来が悪い。個々のキャラの性格もほとんど活かされていないし、国木田など、キャラ自体が「違う」印象だ。ここまで自己言及するキャラではなかったと思う。谷口と九曜がかつて付き合っていた、という設定もあまり生きていない。何より、SOS団のメンバー、特に長門有希がほとんど活躍しない。だから、キョンが駄弁を延々と垂れ流すだけになっている。
まあ、作者自身が、飽きたのだろう。
要するに、同一人物たちの並行世界をふたつに分けて描写して、最後に統一するという「仕掛け」だけが先行して、肝心の「物語」がいい加減になった印象だ。
ついでに言えば、「驚愕」の中でハルヒが驚愕する場面はほとんど無い。驚愕するのはキョンだけだ。むしろ、前作の「分裂」をこちらの作品の題名としたほうが内容には合っている。

以上、ケチばかりつけたが、このシリーズが、ライトノベルの金字塔であるのは疑いがない。大いに楽しく読ませてもらった。





haruhi_R.jpg
2022年12月21日:20時00分

ハルヒの作者ってなんで書かなくなったの?

コメント 76魔人



3: 名無し 2022/12/21(水) 17:34:05.70 ID:MYJxhWjxd
一生遊べるからね
7: 名無し 2022/12/21(水) 17:34:52.31 ID:FH+4Z2tVd
遊んで暮らせる金が入っても描き続けてるワンピ尾田とかが異常なんや
77: 名無し 2022/12/21(水) 18:00:44.67 ID:HK2Uxb2p0
>>7
高橋留美子とかすごいな
9: 名無し 2022/12/21(水) 17:35:05.18 ID:6dpfMk1s0
盟友の武本も亡くなってしまったしな
10: 名無し 2022/12/21(水) 17:35:08.43 ID:XyorkYli0
金あンだわ
11: 名無し 2022/12/21(水) 17:35:17.91 ID:bw3Br6pb0
やる気無いから
12: 名無し 2022/12/21(水) 17:35:54.90 ID:TvAhV/bqa
金持ったから
別にそいつだけじゃない他にもそんなのなんぼでも居る
13: 名無し 2022/12/21(水) 17:36:03.29 ID:fCFC6rTy0
所詮仕事としてやってたからつまり金のためにやってたから
14: 名無し 2022/12/21(水) 17:36:26.27 ID:ZsS5HX940
ほぼ終わったから
15: 名無し 2022/12/21(水) 17:36:26.48 ID:p5QhehaX0
東方のZUNみたいなもんだろ
20: 名無し 2022/12/21(水) 17:38:07.42 ID:o5XfhxtPa
>>15
あれは未だにペースダウンせずに作り続けてるやばいやつだぞ
16: 名無し 2022/12/21(水) 17:37:06.89 ID:o5XfhxtPa
才能が枯れたわけでもなく急に書かなくなったな
17: 名無し 2022/12/21(水) 17:37:07.60 ID:fv7rlEDR0
話の整合がおかしくなって書けなくなったって本当なの?
18: 名無し 2022/12/21(水) 17:37:46.41 ID:eBWRcBId0
他人の二次創作見て満足したから
アンソロジーでも出せばいい気もする
19: 名無し 2022/12/21(水) 17:37:57.83 ID:iYKb46GN0
猟奇的な彼女のフォロワー作品だろ?
22: 名無し 2022/12/21(水) 17:38:12.42 ID:pXp2ZtFk0
金があるのに書く尾田くんや富樫が異常なんだよ
鳥山は趣味でやってるくらい仕事量だからまだ分かる
36: 名無し 2022/12/21(水) 17:41:03.01 ID:OiDLoyUSa
>>22
むしろ金得たから辞める方が珍しい気がするが
作品出して楽しんでもらえることほど承認欲求が満たされることもなかなかないのに
23: 名無し 2022/12/21(水) 17:38:18.43 ID:fSF8WuAn0
コミカライズが原作に追いついてしまったけどあまり面白くない展開
25: 名無し 2022/12/21(水) 17:38:34.86 ID:zcnkd/4n0
結末を先にファンに書かれた
30: 名無し 2022/12/21(水) 17:39:25.25 ID:nFSNkhId0
>>25
これだと思う
37: 名無し 2022/12/21(水) 17:41:03.75 ID:p5QhehaX0
>>25
金もあるだろうけどこれも大きいかもな
SSで先の展開を完全に予想されてて
原作者と遜色なくなるレベルのクオリティのまであったから
昔(中学高校生のころ)はSF大好きだったが、ニューウェーブSF以降はひとつも読んでいないwww
私のSF短編ベスト1は、筒井康隆の「マグロマル」かなあ。海外SF短編なら、作者名は忘れたが「冷たい方程式」か。

(以下引用)

2014-06-03
SFマガジン700号記念オールタイムベストSF2014年版結果を見て その1
読書(SFマガジン) 読書(海外SF) 読書(日本SF)
 

S-Fマガジン 2014年 07月号 [雑誌]
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出版社/メーカー: 早川書房
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 SFマガジン700号記念オールタイムベストSF2014年版、何より国内部門の新しい作家の席巻ぶりがすごいよなー。長篇1位が伊藤計劃『ハーモニー』で短篇1位が津原泰水『五色の舟』ときた。どちらも投票したし納得なんだけど、『五色の舟』の方はここまでいくとは意外だった。漫画化も大きかったのだろう。それに比べるとバチガルピやミエヴィルやワッツら新しい作家が入っているものの海外部門はそれほど劇的な変化はない様だ。注目は『夏への扉』の下降ぶりぐらい?(笑)ただ細かく見るとギブスン『ニューロマンサー』(前回16位→3位)とイーガンでは(他ではなく)『ディアスポラ』(前回37位→2位)の評価の上昇っぷりとかあと地味にクラーク『都市と星』も前回圏外だったが19位に入ったのも面白い(ひょっとして人間を情報化して永遠の命を得るみたいなヴィジョンのものが評価が高まっているのか?)。翻訳を経ない国内の方が当然対象となる作品は多い訳で、今後は順位の変動が大きくなる可能性がある。
 ちなみに読了は国内長篇27/50(シリーズものとかダブりを数えないと25/48かな)、国内短篇40/50。海外長篇41/50(ダブりを数えないと39/48)、海外短篇44/50。割と頑張ってるな。いやーオレってSFファンだな(笑)

 さていろいろ面白いんだがオールドファンとしては昔のオールタイムベストからの変遷、要は評価が下がってしまった作品が気になる。他の雑誌のオールタイムベストと比較をしてしまうと集計法やファン層の多少の違いが出てしまうことを考え、SFマガジン1989年(創刊29周年記念)、1998年(創刊500号記念)、2006年(創刊600号記念)と比較してみることにするか(しまった思ったより大変だ!)。本格的にやるときりが無いので、1989年のベスト10がその後どうなったのかみてみるだけにする。
 まずは国内長篇(カッコ内が左から1998、2006、2014の順位の変遷)。1989年のベスト10.
1.『百億の昼と千億の夜』光瀬龍 (2、1、3)
2.『果てしなき流れの果てに』小松左京 (1、2、2)
3.『グイン・サーガ』栗本薫 (20、34、圏外)
4.『宝石泥棒』山田正紀 (4、5、15)
5.『戦闘妖精・雪風』神林長平 (12、9、10)
6.『消滅の光輪』眉村卓 (17、27、28)
6.『あなたの魂に安らぎあれ』神林長平 (6、27、24)
6.『銀河英雄伝説』田中芳樹 (10、19、17)
10.『銀河乞食軍団』野田昌宏 (24、圏外、圏外)
 『百億~』と『果てしなき~』は強いな。壮大な時間と人間を対比した叙情性というか、この2作は今後も上位に来そうだな。『グイン・サーガ』はヒロイック・ファンタジーとみなされるようになってきたのかなあ。あるいは著者の死がさすがに大きいということか。和風スペースオペラという試みもユニークだったように思われる『銀河乞食軍団』も著者が亡くなって低下したのだろうか。一方シリーズものでも終了して久しい『銀河英雄伝説』の強さは凄いね(すんません読んでいません)。『宝石泥棒』は少し落ちているが、山田正紀は『神狩り』が今回の12位に入るなどこの2作は安定した人気があるとむしろ言えそう。神林長平も『言葉使い師』も短篇部門で19位に入るなど変わらぬ人気の高さを誇っている。
 国内短篇
1.『ゴルディアスの結び目』小松左京 (1、3、4)
2.『太陽風交点』堀晃 (2、4、8)
3.『ネプチューン』新井素子 (6、28、圏外)
4.『銀河ネットワークで歌を歌ったクジラ』大原まり子 (18、29、圏外)
5.『ハイウェイ惑星』石原藤夫 (6、23、45)
6.『ボッコちゃん』星新一 (3、15、20)
6.『美亜へ贈る真珠』梶尾真治 (5、9、16)
6.『神への長い道』小松左京 (8、16、31)
9.『梅田地下オデッセイ』堀晃 (12、13、13)
10.『結晶星団』小松左京 (10、29、39)
 『ゴルディアス~』強い。他に小松左京では『地には平和を』が33、23、35、25位と常に支持を受けている作品もあるし、長篇・短篇とも支持を幅広く集めていてなおも大きな存在であることが分かる。堀晃の2作も長期ランクインしそうで、さらに今回長篇部門で『バビロニア・ウェーブ』が48位に入っている。一方ハードSFの先達石原藤夫『ハイウェイ惑星』の低下は気になる。直球のハードSF路線の作家の系譜は個人的に受け継がれていって欲しい気がするが…。さて意外なのは新井素子『ネプチューン』の低下で、他の作品が目立たず『チグリスとユーフラテス』が長篇部門で46位に入ってるものの、認知度の低さが原因の可能性もあり、そろそろベスト短篇集みたいなもので認知度を高める時期が来ているのかもしれない。『銀河ネットワーク~』の低下した大原まり子作品であるが、『一人で歩いていった猫』なんかは16、19、20、25と安定しており、この二つの差はなかなか興味深い。星新一『ボッコちゃん』やや下がり気味だが、『おーい、でてこーい』が15、9、1、2位と上位を常に占めるようになり次第に代表作の地位を奪いつつある。こういうちょっとした変化も面白いやや下がったとはいえ『美亜~』の強さにも驚かされる。やはり時間ロマンスというかSFの重要な要素だからだろう。

 さて海外部門にまでいける余力があるかどうか…

放克犬博士 (id:funkenstein) 8年前
小説のアニメ化がなぜ少ないのか、という議論のスレッドのコメントのひとつだが、別に「いいコメント」だというわけではなく、よくあるコメントの代表として載せただけである。
小説が原作で最良の結果を出したアニメが高畑勲の「赤毛のアン」だと思うが、これは当時は男女を問わず共通のイメージ把握ができていたことが大きいと思う。アニメをやる者なら児童文学はたいてい読んでいるわけだ。これは、当時はアニメの対象が子供だったからである。
だが、大人向けの小説となると、共通イメージを作るために全員がその本を読むのが大変だから、読めるのはせいぜいが短編小説となる。これが、同じく高畑勲の「火垂るの墓」が成功した理由だろう。
話はアニメには限らない。原作が小説である映画は、ほとんどが失敗しているのである。これはハリウッドの場合、監督自身が「言われて作っている」だけで、その原作小説をたいして好きでもないからだろう。他のスタッフも同じだ。日本も似たようなものだろう。
世界文学の中にはとてつもない傑作がゴロゴロしているが、それをアニメ化して成功することは難しいだろう。ひとつには、傑作文学は文章自体が精緻な芸術品であり、それはアニメ化や映画化は不可能だからだ。
アニメ化や映画化に適しているのは、筋が大きな意味を持っている短編小説だろう。ただ、それも、たとえばサキの小説を映画化したら、何の面白みもないだろうと思う。これは、やはり文章の雰囲気は映像化できないためだと思う。要するに、映像は「すべてを見せてしまう」という欠点があるのである。だから、言葉による魔術とは別だ。
小説のイメージは読者が脳内で作るものなのである。映像は最初からイメージを提供するから「読者の参加」が無い。もちろん、視聴者の参加を要しない「圧倒的な映像の魔力」というものもあるが、それは小説の「言葉の魔力」とは別である。つまり、「映像の魔力」は作り手の才能が圧倒的な場合だけ存在するのであり、稀だ。まあ、才能を云々するなら小説も同じではあるが、映画やアニメは「時間芸術」だから、読者がゆっくり反芻できる小説とは違うのである。


(以下引用)

化物語も響けユーフォニアムも内容はラノベだな
それはさておき理由はだいたいこんなところだな
マンガ原作と違ってアニメ化してもあまり本が売れないから
映像化する時に必要なイメージの共有が小説原作だと困難だから
(メインスタッフ全員が小説を読み込む必要があるので単純に時間がかかる。また絵は描けても文章を理解できない人は意外なほど多い、デザインに金がかかる。)
映像化する時に必要な細部も含めて映像尺の把握が困難でスケジュールコントロールが難しいから
(マンガの場合は単行本のここからここまでの指定で比較的用意伝えられるし再チェックも容易にできる。マンガの単行本を物理的に切って絵コンテ代わりにしたアニメ、便宜上脚本家はいることになっているが実際にはおらずマンガの台詞から台本起こしたアニメもある。小説の場合は心的変化が物語の鍵になっていることも多く、物語をアニメ用にリビルドするのがマンガに比べて困難。また小説では微妙な変化や仕草を物語の鍵にすることも多いが日本のリミテッドアニメは手法的にこれを苦手とする。逆にオーバーリアクションが多いマンガとの相性が良い)
前に「新説三国志」の感想文を引用した「silver fish files(紙魚のファイル)」というブログからの引用だが、恩田陸の発想力の凄さに感嘆する。まあ、「六番目の小夜子」以来の特質かもしれない。つまり「何でもない、あるいは何も起こらない」のに恐怖が感じられるわけだ。この感想文も、その特徴をよく捉えている。
私は現代作家の小説をほとんど読まないのだが、この短編集はちょっと読んでみたい。
ちなみに「dance with me」という名曲があるが、いわゆるモータウンサウンドのひとつだったような記憶がある。誰の、あるいはどのグループの歌だっただろうか。
恩田陸の才能は、あるいは村上春樹に匹敵するのではないか。村上春樹も、「踊る小人」のように、ホラー小説が抜群に上手いのである。ただ、ある種の「臭さ」、ナルシズム臭があるというか、それが作品の表面に出ているのはやはり欠点だろう。そこは、自分のナルシズムを上手く戯画化している太宰治に劣るところだ。

(以下引用)

2015年11月29日 (日)
10月に読んだ本から
 月末ぎりぎりになってしまったが、10月に読んだ本から、短篇集とアンソロジーを各1冊。

私と踊って/恩田陸(新潮文庫,2015)
 2012年に単行本が発行された短篇集。
 内容はミステリあり、ファンタジーあり、ホラーあり、SFあり、スタイルも字組を変えたり、横書きだったりと、実にバラエティに富んでいる。何に分類していいかよくわからない、「変な小説」もある。唯一ないのは、「普通の小説」かもしれない。
 あまり長い作品は入ってなくて、19編を収録。印象に残った作品をいくつか取り上げてみる。

 最初の作品「心変わり」は、突然失踪した同僚の机に、主人公がふと違和感を抱いたところから物語が始まる。何気なく物が置かれたように見えるその現場から、主人公の目には恐るべき真相が徐々に見えてきて、最後には国を揺るがすような陰謀の影までがちらつく。日常的な冒頭の場面からはまったく想像できない展開。
 少し後に出てくる「思い違い」も、同様の趣向の作品で、こちらでは、カフェの中で何気なく交わされる会話の裏に、緊迫感に満ちた追う者と追われる者のドラマが進行していた――というもの。
 これまた日常的な公開生放送の現場を描く「骰子の七の目」。これも実は最後になって予想外の展開、読者は現実世界からディストピアに突き落とされる。
 突然言葉が理解できるようになった犬が、主人に宛てて書いた手紙という設定のショートショート、「忠告」。たどたどしい文章から見える犬の心情の表現が巧み。これと同じ設定で対になる作品が、少し後に出てくる「協力」。こちらは猫の手紙。犬は主人を救おうと必死だったのに、猫はまったく…。なお、この作品も含め、ショートショートはそれ以外の作品とは字組もフォントも変えている。
 音楽ファンタジー「二人でお茶を」。あがり症のピアニストに、夭折した天才ピアニストの魂が突如としてやどる。音楽家として大成功をおさめるも、やがて無理がたたり――という話。このピアニストのモデルは、著者が思い入れの深いディヌ・リパッティだという。
 台湾を舞台にした幻想的な2編、「台北小夜曲(タイペイセレナーデ)」と「火星の運河」。登場人物も重なっている。前者は、「記憶の集積でできた街」台北が舞台。主人公の元に過去からの声が届く。その導く先にあるものは、優しい「死」への誘い。後者は台南が舞台が、全体が白昼夢のような雰囲気の中で、過去と現在が交錯する。
 表題作「私と踊って」は、タイトルだけ見てホラー小説かと思っていたら、全然違った。世界的なダンサーとただ一度だけ踊った少女時代の記憶を辿って、主人公はその思い出の場所を訪ねる。物語としては、何が起きるわけでもない。ダンサーのモデルは、著者自身の解説によるとピナ・バウシュだそうだ。「二人でお茶を」と同じく、天才的芸術家へのオマージュというべき作品。
 この作品の後に、著者自身が収録作を解説するあとがきがあり、その後にさらに2作が収録されている。
 横書き小説「東京の日記」は、静かに全体主義化していく近未来の東京で、外国人が綴った日記。何が起きているか、具体的なことがよくわからないのが不気味。
 最後の「交信」は1ページだけ。著者には珍しい、タイポグラフィ風の作品。何かと思ったら、「はやぶさ」の話だったが、このわずかな字数でそのドラマを描き出す技には感心。

 他には、舞台劇の形を借りて、死んだ娘による、「自分がなぜ死んでしまったか」の弁明が繰り広げられる「弁明」。日常の法則が、物理法則も含めて何もかも通用しなくなった、人も物も場所も動きまわる不確定な世界を描く「少女界曼荼羅」。写真を手掛かりに過去を幻視することのできる、特殊能力を持つ青年を主人公にしたショート・ショート3部作「聖なる氾濫」、「海の泡より生まれて」、「茜さす」など。

 表面的にはバラエティ豊かな作品なのだが、ほとんどの作品に「死」や「過去」が色濃い影を落としている。そのせいか、あからさまな犯罪や事件がほとんど描かれてないにもかかわらず、ちょっとダークな印象の作品が多い。「奇妙な味」の一種なのかもしれない。
 私的ベスト3は、「東京の日記」、「心変わり」、「私と踊って」。

Watashitoodotte
こちらは「真面目な」娯楽大衆小説だが、私は小説を読んだことも映画を見たこともない。しかし、下の解説を読んだだけでも、これはリメイクしたら凄い可能性を持っていると思う。「ゴールデン・カムイ」などより、はるかにパワーを持っているのではないか。
ちなみに、馬賊の持つ拳銃と言えばモーゼルであり、私はこの拳銃が大好きなのである。映画の画面でこの大型拳銃が乱れ撃ちされるシーンを想像するだけで、うっとりとなる。
今の邦画界がダメなのは、こうした過去作品から「今作れば凄いパワーを持つ作品」を探し出そうという意欲も努力も無いことである。

(以下引用)



★ 「夕陽と拳銃」 檀一雄 著


 


夕日と拳銃」の作者は、最後の無頼派と言われた檀一雄。


 


実在の日本人馬賊となった戦国武将伊達政宗の末裔 伊達 順之助をモデルに描いた壮大なスケールの長編小説。


 


父は仙台藩知事・伊達宗敦といい、その六男として生れたのが順之助。


 


華族の子に生まれながらも素行が悪く麻布中学、慶應普通部、立教中学など幾つもの学校を転々。


 


立教中学在学中に東京明石町の路上で縄張り争いから不良学生を射殺するが有能な弁護士により執行猶予を得て釈放され、大陸浪人として活動。


 


北一輝、大川周明、出口王仁三郎などとも親交が深く、1916年に張作霖爆殺計画、1919年に山縣有朋暗殺計画(共に失敗)等、過激な行動を起こしたり、第二次満蒙独立運動にも参加。


 


その後、山東自治聯軍に参加し、1929年に張宗昌(奉天派)とは義兄弟の契りを交わし張宗援と名乗ったが、終戦後、戦犯とされ青島拘留所、上海監獄臨時戦犯拘留所、江湾鎮戦犯収容所に収監され死刑宣告をうけ194861日に上海監獄で銃殺刑に処せられた。


 


小説も実像とほぼ同じ。


 


伊達麟之介は日本の五族協和と王道楽土を信じ、得意の拳銃を持ち、蒙古の独立運動を助けたり、盗賊団(土匪・匪賊)から開拓団を守り、満洲に桃源郷を造る夢を実現するため活躍。


 


義を重んじる麟之介は関東軍とは一線を置き、桃源郷を目指すが、日本の敗戦とともにすべての夢が敗れ、戦犯となり銃殺刑。


 


余談だけど、伊達麟之介(順之助)の傍に何時も控えている愛すべき後見人 逸見六郎爺さんが日本の本格推理小説の草分的存在 島田一男大先生のエッセイに登場したのには驚きました。


 


ご存じのように島田大先生は、満州日報の新聞記者になり敗戦まで従軍記者に。


終戦後は同社の社員たちと「大陸情報通信社」を設立、在満邦人の引揚げ運動に尽力するんだけど、終戦後にまだご存命だった逸見六郎爺さんに会い驚かれたことがことが記載されています。


 


「夕陽と拳銃」は、各方面から大絶賛された名作で映画やテレビドラマにもなりました。


 


血湧き肉踊り、すれ違いにイライラ・ハラハラ・・・・涙涙の長編小説「夕日と拳銃」は最高に面白いですよ!


 


とある読書メモブログの記事だが、私はこの「新説三国志」を小学生(中学生だったかもしれない)のころに読んで、ある種の感銘を受けている。それは、下の記事からも分かる「自由さ」である。つまり、こういう小説の書き方も「あり」なんだ、という印象だ。
何しろ、味方の軍隊が行軍の際に歌う軍歌が「遥かなチッペラリー」なのである。いや、「チッペラリーなど歌いながら」というような描写だったと思うが、三国志の時代の中国の軍隊の行軍で歌う歌がイギリスの軍歌だというそのあまりの自由さ。私が「チッペラリー」という言葉を覚え、はるか後年になってその元歌をネットで調べて大好きになったそもそもがこの作品なのである。

今、私が小説を書くとしたら、こういう作品を書いてみたい。子供のころにこういう作品を読めたのは、かなり幸運だったと思う。

(以下引用)

尾崎士郎の「三国志」


新説三国志/尾崎士郎(河出新書,1955)
 尾崎士郎といえば、戦前・戦中・戦後にわたって活躍した大作家で、『人生劇場』で一世を風靡したことで知られる。東京と愛知県の二箇所に記念館があり、文豪と言ってもいいだろう。
 この本は古本でたまたま見つけて買ったもので、新書版、200ページ程度の薄い本。三国志を語るにしては妙に短い。もともと「三国志」ものに興味があったから買ったので、尾崎士郎の名前で買ったのではない。
 とはいえ、何しろ大作家の書く三国志だから、どんなすごい作品かと思ったら…。
 これがとんでもないシロモノで、怪作としか言いようがない。どこからつっこんでいいのかわからない。


 登場人物のセリフが完全に現代語だとか、地の文に「テーブル」とか「ジャック・ナイフ」とかやたらカタカナ語が出てくるとか、それどころかセリフにまで「オー・ケー」とか「サンキュー・ベリー・マッチ」とか英語が混じる。
 しかしそれはまだいい。基本設定に矛盾があるのは困る。
 例えば、諸葛亮が初登場する時の年齢設定がおかしいとか。「まだ三十には間があると思われる年配であるのに、細長い顔に粗髭をのばし」などと書いてあるが、この時はまだ物語の序盤、何進が暗殺される直前なのである。とすれば189年、孔明はまだ8歳のはず。いくらなんでも年齢が違いすぎ。
 何よりも、ストーリーが何だかおかしい。肝心なところをはしょりまくっていて、話のつながりがめちゃくちゃになっている。黄巾の乱の後、劉備は督郵をぶん殴って行方をくらまし、いつの間にか流浪の軍団の長となって荊州に出現する。その間、呂布も出てこないし官渡の戦いもない。劉備と曹操とのからみも一切なし。
 そして話は、劉備が諸葛亮を軍師に迎え、新野に曹操軍を迎え撃つ直前で唐突に中断する。作者のやる気がなくなったのかと思ってしまうような中途半端な終わり方。
 まったく、なんじゃこれは、と言いたくなる小説だった。ある意味すごい。


 実は尾崎士郎の小説、他には1冊も読んだことがない。まさかこんな変な話ばかり書いていたわけではないだろう、と思いたい。


Shinsetsusangokushi

概要[編集]

現代(出版当時)のアメリカ人技師が、タイム・スリップしてアーサー王時代のイングランドに紛れ込む物語である。トウェインは、理性的・人道的な現代人である主人公の目を通して中世イングランド社会(腐敗した貴族制、キリスト教会の圧制、騎士道の欺瞞、人間の愚昧さ・非道さ・強欲さなど)を描き、それと類似している(と彼が考えた)アメリカ(の南部)社会を風刺した。「ヤンキー (Yankee) 」とは「アメリカ北部人」を意味する語である。


サイエンス・フィクションの分野においては、時間旅行および歴史改変を扱った初期の作品としても有名である。

あらすじ[編集]

原書の挿絵(ダニエル・カーター・ビアド画)

イングランドウォリック城を見物していた「私」は、アーサー王の時代に異常なほど詳しい男と出会う。その男は、展示されている鎧に空いた穴を指して「これは自分が銃であけた穴だ」と言う。不審に思う「私」の元に、その夜、男が現われて自分の体験を書いた手記を見せる。それは以下のような内容であった。


コネチカット州ハートフォード出身のハンク・モーガンは、技師の父親と獣医の叔父に両方の技術を仕込まれた男で、兵器工場の職長である。ある日、モーガンは部下に殴られて気絶する。意識を取り戻すと目の前には騎士がいて、馬上槍試合を申まれる。返事もしないうちに槍で木の上に追いやられたモーガンは、相手を狂人だと思い、大人しく「捕虜」になる。騎士に連れて行かれた先はキャメロットで、モーガンは自分が西暦528年アーサー王宮廷にいることを知る。モーガンは慣例として処刑されそうになるが、日食を利用してそれを逃れる。そしてマーリンとの魔法合戦にも勝利して宮廷での地位を確立する。


以後、ハンク・モーガンは「ボス卿」("The Boss")を名乗り、科学知識を活かして社会改革に取り組む。学校を作って若者を教育・啓蒙する一方、近代的な産業を打ちたて、それによって貴族制と教会の圧制を覆そうと計画する。また、王をお忍びの国内視察に連れ出し、民衆の不幸を教える。枯れた泉を復活させる、500対1の決闘に勝利するなどの行為で、魔術師としての名声もさらに高める。


しかし、彼がフランスへ旅行している間に情勢が変わる。教会の陰謀により内戦が勃発し、王も敵方も死に、ボス卿がイングランドに帰った時には漁夫の利を得る形で教会が国を支配していた。ボス卿とその部下たちは、教会に扇動された軍勢に攻められる。地雷・鉄条網・機関銃といった科学兵器で敵を撃退するが、ボス卿は負傷する。


ボス卿を看病するために一人の老婆が雇われるが、それは変装したマーリンだった。マーリンは主人公を未来に追放するべく魔法をかける。それは効力を発揮し、彼は1300年間(出版当時の「現在」まで)眠り続けることになったのだった。

挿絵について[編集]

初版本はダニエル・カーター・ビアド英語版[1](1850年 - 1941年)による挿絵を222枚収録していた。ビアドは当時ギュスターヴ・ドレにも比されていた画家で、トウェイン自身に指名されて、これらの挿絵を9ヶ月で描き上げた。契約内容は「250枚ないし260枚の挿絵に対し、報酬3000ドル」というものだった。完成した挿絵を、トウェインは非常に高く評価した。後にビアドは「百万ポンド紙幣英語版」、『トム・ソーヤーの空中旅行英語版(1984年)[2]、『赤道に沿って英語版』の挿絵も手がけている。

評価と影響[編集]

ニューディール政策の名は、本作中におけるモーガンの政策の名称にちなんでいる[3]

「異世界転生物」の安易な作風を嘆くスレッドへのコメントのひとつが、なかなか穿っている。

(以下引用)

cinefuk まあ「剣豪小説」の一種だよな。つまり昭和からある「俺ツエーし女にモテモテ」中高年向け読み捨て娯楽小説のジャンルに、ドラクエ3次創作のトッピングがかかっている。大半がゴミだとしても、一部は歴史に残るかも ラノベ, 文学
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