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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「まどか☆マギカ」は、二度とは誰も使えないアイデアを使い、しかもその使い方が完璧だったために傑作になった作品だろう。
つまり、下の比喩で言えば、右翼も左翼も相手を魔女だと思い、それを倒すために戦う。しかし、戦えば戦うほどに自分のソウルジェムは濁っていき、最後は自分こそが魔女化してしまう、ということである。
完璧なアイデアだ。だが、二度は使えない。

あの話では、まどかが一つの概念となることで一つの世界全体を浄化したが、実際、世界の浄化というものは、一つの概念でのみ成し遂げられるのかもしれない。




ありさと@ailsato 4月10日

ある人が「「ソウルジェムが濁る」をまどか以前には、どう普通の言葉で表してたんだろう」ってツイートしてたんだけど、状態としては、これだよね。


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「翠星のガルガンティア」を見て「ばらかもん」を連想するという、その頭に驚嘆する。見かけ上の類似点は、「海」が背景ということだけだろうが、根っこには「文明人が非文明人の間で生活して、カルチャーショックを受けつつ文明の毒を洗い流される」というテーマがある、と見たのだろうか。いやまあ、長崎の離島を「非文明の地」と言うのは失礼だが、まあ、気にするな。
なお、「ガルガンティア」は掘り下げ不足、尺が足りない、というのが私の意見。全体の構想は虚淵玄だろうが、各回の脚本も虚淵に任せるべきだったと思う。ガルガンティア住人の、よそ者への無理解ぶりは「ばらかもん」とはまったく逆で、見ていて不愉快。その点、ひねりの無いアニメではあったが「ばらかもん」は不快感はなかった。主人公が不愉快なキャラだが、それはそうでないと話そのものが成立しないので、仕方がない。

ところで「ガルガンティア」と言えば、ラブレーの「巨人ガルガンチュア」を想起するのだが、「翠星のガルガンティア」では、これは巨大ロボットの名前ではなく(巨大ロボットは出るし、重要な存在なのだが)船団(むしろ船が集合した海上基地と言うべきか)の名称である。なぜ「ガルガンチュア」と紛らわしい名前を付けたのだろうか。



椎名高志@闇の力 @Takashi_Shiina  ·  4月8日

ガルガンティア6話まで見た。だいたい『ばらかもん』と同じ話と解釈してよろしいか。


いやいや、「黒髪は正義ですわ」、じゃなくて、そもそも髪色と髪型以外、今どきのアニメキャラは見分けがつかない、ってのが大問題じゃないですか?
ところで、私は「ごちうさ」と聞くと「ごちそうはうさぎですか?」の略か、とつい思ってしまう。兎を食べるイメージは、どうもね。ちなみに、このアニメは見たことはない。





1: 名無しさん : 2015/03/16(月) 21:18:18.53 ID:bCIoOqh40.net
やっぱ黒髪は正義ですわ

sxup3fyefhez


「ローリング☆ガールズ」のことはそのうち書こうかな、と思っていたが、その代用になる文章があったんで、それを上げておく。
まあ、ストーリーはあって無きがごときだが、絵がとにかくいい。もっとも、ある回から、背景がかなり手抜きになってきた感はあるが、オープニングとエンディングの絵(アニメ)は素晴らしい。また、オープニングで、ガールズ・バンドが歌う歌の歌詞とアニメの口がちゃんと同期しているのも素晴らしい。ドラムのバチの動きも、音に合っているし。エンディングの絵もイラスト的だが、可愛らしい。まあ、そういう「絵本」として見るアニメである。女性監督のようだが、この感性はなかなかのものだと思う。脚本にきちんとした作家を選べば、いい作品が作れるのではないか。正直、今のストーリーは、大学生が仲間内でじゃれあっているような感じである。


ポップでキュートなアトモスフィア。『ローリング☆ガールズ』が楽しい!

2015-03-03 05:11
 


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 ども。最近、わりとアクティヴな海燕です。本も読んでいるし、映画も見ているし、ゲームもやっている。すべて、一般的な社会人にとっては「遊び」でしかないわけですが、ぼくにとっては「仕事」。どうも遊びでメシを食っているようで申し訳ない限りですね。

 しかし、そうはいっても読書や映画にはお金がかかるわけで、今月はテレビアニメを集中的に見ようと決心しました。手初めに敷居さん(@sikii_j)が取り上げていた『ローリング☆ガールズ』を見てみることに。

 タイトル以外一切情報を仕入れていないのでどういう作品なのかさっぱり。とりあえず初回から見てみるか。――えーと、何だこれ(笑)。ちゃんと初めから見ても何が何なのかよくわからん。

 何かの事情で全国の都道府県とか市町村が独立していて、その主権の代理人として「猛者(もさ)」と呼ばれる者たちがバトルを繰り広げている世界、というのはわかる。

 しかし、そのアリスソフトみたいな設定から何が飛び出てくるかといえば、何なのだろう、この気の抜けた世界は。キャラクターデザインから何からポップかつキッチュでとてもぼく好みなのだけれど、初回を見ただけではまだ評価できないかな。

 このだるだるなアトモスフィアを楽しむ作品なのでしょうか。音楽はすべてブルーハーツのカバーらしいけれど、歌っているのが女の子なのでキュートなガールズバンドの曲にきこえます。

 設定だけ取るとニール・スティーヴンソンの『スノウ・クラッシュ』みたいだけれど、どこまでもポップでキュートな路線で行くつもりなのかも。

 このあとのストーリーは特に気になりませんが、双葉杏リスペクト民としてこの種のだるだるな空気は嫌いじゃないので、継続して視聴したいところ。

 ヒロインの女の子たちも可愛く描けているし、こだわりがあるのかないのかよくわからないあたりもGood。録画はしていおいたものの全然見る気がなかった作品なんだけれど、かなり楽しめる予感がします。やっぱり見てみないとわからないものですね。

 何だろうな、よくわからないという意味では『ユリ熊嵐』もそうなのだけれど、あちらはジョークみたいな設定にもかかわらず、中身はほんとうにシリアス。一方、こちらはどう転んでもそこまでシリアスにはならないと思われ、気楽に見られます。

 やっぱり寝ころんで楽しむのに適しているかと。幾度めかのダイエット中なので禁断のポテトチップスには手を出さないものの、本来はジャンクフードでもぱくつきながら楽しむのが似合うような作品ですね。

 こういうお気楽系が一本あるといいよな。って、最近はむしろそういう作品のほうがマジョリティかもしれないけれど。ただ、ぼくはやっぱりどこまでもマジメなひとなので、本質的にはマジメな話が好きなんですよね。

 この場合のマジメとは「思考の硬直」とニアな表現なんだけれど、ようするに融通が効かないということです。気楽な話もそれはそれでいいのだけれど、やっぱりほんとうはどシリアスな話を見たいと思っているのです。いや――この表現だと誤解を招くな。そういうことではない。


野沢雅子の78歳は、さすがに驚いた。思えば、大昔の東映動画あたりからの現役ではないか。しかし、こおろぎさとみ(52歳)がどういう顔で野原ひまわりのアテレコをやっているのか、見てみたいというか、見るのが怖いというか……。


(以下引用)



「実年齢」に驚いた女性声優ランキング



アニメキャラクターの声や映画の吹き替えは、作品のイメージを決定づける重要な要素のひとつですよね。その声を演出しているのが、声優と呼ばれる人たちです。特に女性声優は、少年から大人まで幅広い声色を使い分ける方が多く、年齢も雰囲気も違った2人のキ ... 続きを見る

  1. 1位

    孫悟空・孫悟飯・孫悟天(ドラゴンボール)、ひろし(ど根性ガエル)


  2. 2位

    綾波レイ(新世紀エヴァンゲリオン)、女らんま(らんま1/2)


  3. 3位

    浅倉南(タッチ)、草壁サツキ(となりのトトロ)


  4. 4位

    天道かすみ(らんま1/2)、グレイス・オコナー(マクロスF)


  5. 5位

    野原ひまわり(クレヨンしんちゃん)、ミュウ(ポケットモンスターシリーズ)


  6. 6位

    さくらももこ(ちびまる子ちゃん)、タルるート(まじかる☆タルるートくん)


  7. 7位

    モンキー・D・ルフィ(ONE PIECE)、クリリン(ドラゴンボール)、きり丸(忍たま乱太郎)


  8. 8位

    高町なのは(魔法少女リリカルなのは)、ナビィ(海賊戦隊ゴーカイジャー)


  9. 9位

    加賀香子(ゴールデンタイム)、ミス・モノクローム(ミス・モノクローム -The Animation-)


  10. 10位

    おしりかじり虫18世(おしりかじり虫)、美浜ちよ(あずまんが大王)


少し前の日記から。




1月15日(木)「ファミリー・ガイ」というアメリカのアニメを見ているが、なかなか骨のある作品。ブラック、下ネタの中に、まっとうな政治批判やまっとうな人間描写が時々出てくる。ユダヤをからかった場面で、「ナショナル・ジオグラフィックス」が突然出てきて、少し笑った。「ハートロッカー」はインチキな作品だ、というコメントも出てくるし、イラク戦争自体への批判も出てくる。「サウス・パーク」に近いが、政治的にはあれよりまとも。犬や赤ん坊がしゃべるが、あれは彼らの主観で描かれている、ということだろう。(追記:そうではなく、「この世界」では犬や幼児が明晰に喋っていてもおかしくない、ただし誰も気にとめずまともに受け取らない、ということらしい。ちなみに、ウィキ日本語版の、この作品の解説は的外れな部分が多いと感じるが、それはシーズンによる違いかもしれない。)

すぎやまこういちの言葉に納得。たとえば10歳の子供が人生論を語るのはちゃんちゃらおかしいが、どんなダメ人間でも60歳の人間が語る人生論は、その人間の60年間の裏付けがある、というのとはちょっと違うか。(笑)まあ、何も考えずに生きてきた人間に語るべきものなどあるはずはない。すぎやまこういちの言葉は、ある分野で長年努力して結果を出してきた人間の言葉だから重みがある。
ついでに言うと、「残酷な天使のテーゼ」の歌詞はショタコンがテーマだと思うがどうか。作詞家本人にそのケがあるかどうかは知らない。
さらに言えば、この歌の大ヒットの最大原因は、抒情性を重んじるポップスの歌詞に投げ込まれた「テーゼ」という難しげな、思わせぶりな言葉にある。これを題名に使ったことが成功の第一の理由。もちろん、曲も卓抜。
次に、あのオープニングアニメの卓抜さと歌の見事な一致。
まあ、さまざまな要素が偶然的にうまく働いたと言える。



(以下引用)


エヴァンゲリオン『残酷な天使のテーゼ』作詞家が明かすシンプルすぎる誕生秘話


引用元・【話題】驚愕!作詞家が明かす名曲『残酷な天使のテーゼ』のシンプルすぎる誕生秘話 [1/11]
http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/moeplus/1420963564/
1えりにゃんφ ★ 2015/01/11(日) 17:06:04.96 ID:???.net
 アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の主題歌『残酷な天使のテーゼ』の作詞を手がけた作詞家・
及川眠子さんが自身のTwitterで明かした制作秘話が話題だ。

 及川さんのツイートによると、歌詞自体の制作時間はたったの2時間程度。作詞をすることになった
きっかけも、マネージャーがたまたまもらってきた仕事だったそう。

 さらに、30分ほど「適当に」打ち合わせをした程度だったとか。また作詞にあたっても、
「企画書斜め読み」し作品2話分のビデオを「早送り」で観たうえで、「ええい好きなこと書いちゃえ~!」と
いった心境で書いたと打ち明ける。

 及川さん自身も「みんなの夢を壊してごめんね」とコメントするほど、あまりにもあっさりした制作の裏側が
明らかになった(以上、文中「」は本人ツイートより引用)。

 この驚愕の事実に対し「これがプロの仕事、センスなのだなと思いました」「名曲は時間かければ生まれる訳では
ないのですね」「でもそれがスタンダードになるんですから」など、及川さんを賞賛する声が多数寄せられ、
同ツイートは1800回以上リツイートされるほど拡散されている。

 また同ツイートのリプライやコメントにおいては、『エヴァンゲリオン』関連の楽曲は常に先に曲と仮歌が
できた状態で詞を作っていたこと、仮歌も実際に歌唱を担当した高橋洋子さんが担当していたことなどの
エピソードも明かされている。

 さらに、過去に作詞を担当した横浜ベイスターズ応援歌の制作エピソードについても触れられるなど、
普段あまり耳にすることがない有名作詞家の制作現場が垣間見られるツイートだったといえよう。

http://getnews.jp/archives/764301

 
17チャチャ丸 ◆DQan0pMFeE 2015/01/11(日) 17:30:34.13 ID:ydT6omdz.net
すぎやまこういち 「ドラクエのテーマ曲は5分で作った。だけど54歳の時に作ったから
           54年間の僕の人生が無ければ5分で作れなかったわけです」
番組の最初に「ネタバレしますよ」と断っているのだから、問題なし、だろう。作品解説や作品批評には作品の内容に触れるしかないのだから、ネタバレは必然的に起こる。推理小説以外ではネタバレをそんなに禁じなくてもいいはずだ。
私自身は、「思い出のマーニー」はまったく見る気がしなかったが、この宮台真司の「ネタバレ」でかえって興味が沸いてきた。監督はたしか「アリエッティ」の監督だと思うが、あの監督の個性(自然描写の繊細さ)に合った作品かもしれない。



(以下引用)



宮台真司氏がラジオ番組の「思い出のマーニー」批評でネタバレしてしまう

8日放送の「荒川強啓 デイキャッチ!」(TBSラジオ)で宮台真司氏が、アニメ映画「思い出のマーニー」を批評する中でネタバレしてしまう一幕があった。

「宮台真司が語る夏のアニメ映画」として宮台氏は、コーナー冒頭から「ネタバレ満載なので、嫌な人はボリュームを絞るか、すぐにラジオスイッチをを切ってください」と宣言しつつ、「思い出のマーニー」を「通過儀礼ものです」と位置づけ、作品の批評を始めた。

宮台氏は「少女がある夏のエピソードを機に大人になる。逆に大人になることの中身は、親に対する恨みから、やはり自由になるというお話なんですね。人を恨んでいる時には、依存しているから恨んでいるわけですよね。で、恨みから自由になるということは、自立するということで、やっぱり自立がテーマなんです」と語る。「STAND BY ME ドラえもん」とテーマは同じだという。

続けて宮台氏は「で、あの実は、まあ病気なので療養に、いわばサナトリウムに行くんですね。そうするとそこで、ある少女に会うの主人公のアンナっていうのが、マーニーっていう金髪の少女に会うんです」と、映画のあらすじを語る。

ここから宮台氏は、作品の内容も明らかにしていった。

「とてもお金持ちの少女、マーニー。お母さんたちはいつもパーティーをやっている、みたいなね。で、あなたは幸せだけど、私は不幸せだなっていう風に思っていると、実は私(マーニー)はあなた以上に酷い人生なの、っていうことで、自分の境遇をマーニーが喋るんですね。それで、主人公のアンナは衝撃を受ける。要はですね、ネグレクト(育児放棄)されてきて、なおかつ、お手伝いさんとかお婆ちゃん、いわば婆やに、散々いじめを食らっているのがマーニーっていう存在なんですね。それなのに明るくて、優しく振舞っている」と宮台氏は映画の予告編でも触れられていないマーニーの境遇を語る。

さらに「それを見て、いろんな交流はその後あるんですけども、最終的に、マーニーとの出会いによって、そのマーニーを守るっていう立場に、アンナが転じるんですね。受動性から能動性に転じる」と、劇中で描かれるアンナの変化も明らかにした。

そして宮台氏は「同時に、思い込みによる恨みから自由になって、最後はそのまま母のことを「おばさん」って呼んでいたのを、「お母さん」と呼べるようになる、っていうふうなエンディングなんですね」と、あっさり映画のエンディングも語ってしまった。

原作と映画の違いについて宮台氏は「背後がね、これは原作はもともとイギリスの海辺なんですけども、北海道に設定されている。またロケーションをですね、ものすごく厳密にハンティングしたんだと思うけど、素晴らしい自然の描写で。まさにそういう場で、お婆ちゃんの幻に会う」と、映画の肝でもある、アンナの祖母の幻が登場することも明らかにする。

ここからがまさに真のネタバレなのだが「そう、マーニーっていうのはね、ネタバレですよ? アンナのお婆ちゃんなんです」と宮台氏は放送で語る。

これにはパーソナリティの荒川氏も「あら、言っちゃった。そこまで言わなきゃ良かったのに」 と、ため息を漏らした。

だが宮台氏のネタバレトークはまだ終わらず「何でお婆ちゃんが、アンナの前に現れてきたのかっていうと、アンナが思い込みによって潰れて行ってしまうのが、可哀想でならなかったから出てくるわけね。で、実際そのお婆ちゃんの後の代々の、これは言いませんけど、不幸の連続なんですね。で、不幸を断ち切りたいと思って、お婆ちゃんが出てきて、マーニーとして出てきて、アンナをエンパワーし、首尾よく自立し、前向きに未来に向かって行くというお話でした」とオチをほぼ完全に語ってしまう。

コーナーの最後には荒川氏の「あーあ」という、呆れたかのようなため息が漏れた。
ながたかずひさ「ユルネバ!」から全文転載。
ながた氏は業界の人間だから、同業者に批判的な意見は書けないのだろう、と皮肉な見方もできるが、私は「マーニー」は見ていないので何とも言えない。しかし、下記記事を見ても、平板単調な物語なのだろうな、という想像はつく。やはりこれは脚本の責任が一番なのではないか。もちろん、米本監督の演出力欠如、という可能性もある。
ドラマとは、「ドラマ性」という言葉もある通り、劇的なものがあるからドラマなのであり、たとえば「東京物語」や「野いちご」のように、一見何も事件らしい事件が起こらなくても劇的緊張を保ったドラマというものもある。私は「アリエッティ」にはそれをまったく感じなかったし、「マーニー」もおそらくそうなるだろう、と思っている。これは作劇者の資質によるものだ。だが、風景描写などの叙情性はある監督なので、それを目的とした作品づくりをするというのも一つの方向ではある。しかし、たとえ子供相手がメインの作品と言っても、ドラマ性を欠いたドラマが一般大衆(「面白いもの」に対するその嗅覚は案外鋭いものだ)を引き付けることはないだろう。つまり、ジブリがこういう方向で作品作りを進めるなら、それは企業としては致命傷になるだろう、ということである。
なお、「アニメ」とは「アニマ」つまり「生命」とか「精霊」を語源としていたはずであり、「生命性」の欠如した、動きのないアニメはアニメではない。それはストーリーにも通じることだ。物語としての「動き」が無いアニメが子供を引き付けるはずはない。
要するに、米本監督は「アリエッティ」への反省がまったく無いまま「マーニー」を作ったのだろう、と私は推測している。批判に対して「俺の方向性は間違っていない」と居直っているのかもしれない。(精神構造が、サッカー日本代表の「自分たちのサッカー」論によく似ている。)


(以下引用)


2014年07月22日


映画「思い出のマーニー」監督:米林宏昌


http://marnie.jp/index.html

 とてもいい作品でした。
(以下ネタバレあり)


 便宜的にフィジカル(物理的)な部分とロジカル(論理的)な部分とに分けて考えてみます。

 フィジカルな部分では弱点一つ、
「ちょっと平板ではないかな」
とは思いました。
 脚本が悪いというよりも(むしろこちらは詰め込み気味)やはり監督の抑揚の付け方=演出がちょっと物足りなかったです。絵も動きも効果もタイムスケジュールも。
『アリエッティ』観てましても米林監督は抑制が効いた演出がお好きなのだろうとは思いますが、せっかくのアニメしかもファンタジー、「もったいない」という印象です。

 ただ、傷というわけではなくこのぐらいがお好きな方も多いでしょうし、できもしない無理をして変な味入っちゃう方が問題ではあるので、まあ次回はもう少しはっちゃけていただいても、ぐらいの希望を出しておくことにして。
 もちろん、いい「ハサミ」持ってる人呼んで来る手もあります。自社生産だと描いてる人の顔浮かんで切れない、とかあるでしょうしねぇ。
 あとやっぱり「宮崎の影」は観る方に絶対あって、メシの描写やギュッと抱く描写であのくどくどしい熱さ・執念が無いと、物足りなく感じちゃうのはもうしょうがないです。

 で、ロジックの方ですが、こちらはいいかんじ。

 近現代のコンテンツ(芸術・エンタメ)における大テーマの一つに、
「発狂した世界にどうやって『引っかかり』を見つけて生きてゆくか」
があると思うのですが、この作品ではそれを見失っていた杏奈ちゃんが、無事見つけて日常へ帰っていく、その過程が丁寧に描かれていました。これだけで合格点です。

 皆さんご存知のようにこの世界は(社会は、そこに棲まう人間たちは)
「合理的であるフリをして自分たちでそれを守らない」
「人情を大切にするフリをして『嫌だ』という人間の声を無視する」
という具合に発狂しており、しかもそれを絶対に認めようとしない。
 元来が「まとも」である子どもたちはこの矛盾にブチ当たって困り果てた末、3種(正確には4種)の対応を取らざるを得ません。

 1 杏奈のように 世界はこんなもんで「自分がおかしいんだ」と閉じこもる
「お母さんがお金貰ってた」というのは「不機嫌を表現していいんだ」と自分に許可を与えるトリガーに過ぎず、不機嫌の理由は別(世界の発狂)にある。

 2 ふとっちょぶたさんのように 「どうもおかしいんだけど物事動かさな始まりませんし」と先送る
 杏奈に罵倒されて(母親が動転するほど)号泣したのは、「お前のやってることでは問題は解決しない、むしろ問題の維持に手を貸している」と一番痛い所を突かれたからです。

 3 その他の子どもたちのように 気づいてないフリをしてアホのフリをする
 これが最も短期的に安全な対応策ですが、これで一生過ごしきれるとは限らない。たぶん無理でしかもこの問題は、はしかと同じく遅く発病するほど重くのしかかる。あと、「アホのフリ」と「アホ」は同値by兼好法師。

 4 稀に 「おかしいのは世間や」をずっと持ったまま成長する
 が、それを口に出しても黙殺されるので結局123どれかにスライドするか、変人呼ばわりウエルカムな無縁人生に身を委ねて挙句、世間には無影響。

 で、このすべての子どもが直面する危機に際して、私たちはだいたい大人になる時に何か一つでも
「引っ掛かり」
を世界の中に見つけ、そこを嵐の中のアンカーポイントにしてなんとかかんとか、世界および「生きること」に折り合いをつけます。
「とにかく何かわからないけどこれをやっている間は「生きている」」
という何かを。
 恋でも友情でも趣味でも仕事でもマンガでも温泉でもビールでも讃岐うどんでも、なんでもいいんですそれは。

 マーニーを初めて見た瞬間、杏奈は思わず、身体が勝手に動くようにして、近づこうとします。
 これこそが「見つけた」瞬間であり、それ以降今までの消極性が嘘のように野山を転げまわるようにして彼女を追う。
 しかし「これが無くては生きていけない」とまでいくとこれは悪い意味での依存で、だからマーニーは消える。
 あなたが掴んだものは「世界との繋がり」であって、わたしではない、と教えるように。

 と、そこで終盤の杏奈になりきると、初めて周囲が見えてくる。
 そこに居たのは、それぞれのやり方でこの危機を乗り切ったであろう大人たち(頼子さん、大岩夫妻、久子さん、といちさん)と、彼らが自分を見守ってくれていたという事実。
 マーニーは特に(ヒロインですし)、この子どもと大人の二面を持たされています。子どもの面では杏奈の写し鏡のように「世界から弾き出されている」子で、大人の面で見れば「そういう子どもを見守る」ことにその「引っ掛かり」を(最後の最後にようやくのことで)見出した人、です。
 だからこそそれを、杏奈に早く伝えたかった。呼び寄せたとも言えましょう。

『もののけ』以降のジブリ映画は基本的に、この「世界との繋がりが不安定な人」が、どのようにしてその「繋がり」を再構築・再確認していくか、がメイン・テーマですので、たいへん普遍性があります。その中でも「夢か現かわからないマーニーの存在」以外に特殊舞台装置の無い当作品は、「入り込み易さ」という面で取っ付き易い作品だと思います。
 一見すると
「思春期の不安定な女の子が不思議な体験を通じて一歩成長した」
という「よくあるお話」なのですが、それにとどまらないのはここ、世の理不尽・不条理をきっちり描くことで(無意味な高速道路、押し付けがましい七夕祭りやボランティア、もちろん杏奈やマーニーの子ども時代を巡るトラブル)、
「悪いのは君じゃなくて世界なんだけど、もうしわけないがそれを乗り越えるのは君自身だ」
というメッセージを大人としてちゃんと発している点でしょう。

「生きろ」
「生きねば」
と言われた時に、上述の危機にある子どもは序盤の杏奈のような曇った瞳で
「どうして?」
と問います。その時に我々大人は
「いいことがある」
という答えをひとつと、もうひとつ、
「酷いこともたくさんある。それを招いているのは我々大人だ」
という言いにくいことも伝えねばなりません。そして非常に無責任にも厚顔無恥にも、
「いいことを手がかりに生きて、この世界をちょっとでも良くしてくれ」
と願う。
 だいたいの大人はそれが恥ずかしいし、虫がよすぎるし、もっとシンプルに自分の非を認めたくないので、
「いいことがある」
としか言わない、ので、信じてもらえない。

 米林監督はそこを逃げずに真正面から取り組んだのです。
 夢のような風景・環境に居る、どうしようもなく「普通」=発狂した人々と(言うまでもありませんが、発狂した世界で普通であるということは発狂してるってことです)、そんな「普通」になりたい、つまり狂ってしまいたいとまで自暴自棄を起こした杏奈=わたし。
 目を背けたくなるようなリアルで、実際目を逸らしたほうがエンターテイメントとして一時の「癒やし」になる性能は高まるわけですが、そこを耐えて観客が目を逸らさない範囲ギリギリを狙って粘り強く描く、からこそ、一歩踏み込んだ作品になる。
 見習いたい。

 ということでたいへんいい作品ですので、劇場でぜひ。
 小難しいこと考えなくてもこの季節、北海道の風景観てるだけでホッとできます。ジブリは夢を現実にするのが相変わらず最高に巧い。
 ああ、また行きたいなあ北海道!

 余談ですが(近年の)ジブリ映画に反応しない人が世の中には2種類居て、
・やりたいことやってやりたくないことやらなかっためちゃくちゃ幸せ(&幸運)な人
か、
・これを観てしまうと自分の依って立つ世界が崩壊するのが怖いので目を逸らす人
のどちらかです。
 ウチの母なんか前者でして(笑)それどころかこの作品にも出てますね、さやかちゃん。ジブリ名物女丈夫、いつでも「私は私」と言い放てる、あの歳にして既に危機を乗り切っている、もしくは危機など無い!少女です。
 まあ実際稀に居ますよ特に女の子には。男はだいたい上記4になっていじけるんですけど。
 彼女がマーニーの部屋の住人になる、というのも、穿ち過ぎかもしれませんが未来への希望を暗示させる、いい筋回しだと思いました。
 それはそうと問題は後者で、この方々というのはつまり「宝箱の鍵が宝箱の中」の状態ですので、一筋縄ではいきません。そしておそらく、そういう人は想像するより割と多い。

 次回も米林作品、観に行きますとも。
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