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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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まあ、維新びいきの人以外は興味のない話題だろうから、このブログに「お笑い記事」として載せておく。

(以下引用)

「小中学生を来させて来場者水増し」万博の悪だくみ、打ち砕かれるwwwww
2025年03月04日
エンタメ

1: 名無しさん 2025/03/03(月) 18:32:09.87 ID:Am5Lmv+f00303
関西万博、学校の不参加相次ぐ 大阪は半年で10万人減 不安広がる
https://www.asahi.com/articles/AST3231YCT32OXIE01CM.html

引用元: ・https://nova.5ch.net/test/read.cgi/livegalileo/1740994329/

2: 名無しさん 2025/03/03(月) 18:33:19.30 ID:Am5Lmv+f00303
参加が低調なのは、大阪だけではない。兵庫県や京都府など大阪近郊の自治体も学校単位の無料招待事業をするが、滋賀県では招待した小中高生15万8千人(407校)のうち、参加予定は1万5千人(57校)にとどまる。2023年11月の調査では220校が活用を予定または活用を検討するとしたが、そこから7割以上も減った計算で、担当者は「ここまで少なくなったのは驚きだ」と漏らす。


3: 名無しさん 2025/03/03(月) 18:35:51.99 ID:0WREzP4N00303
コスいことすな

4: 名無しさん 2025/03/03(月) 18:37:58.81 ID:kWgsPtlR00303
券を渡したら動員扱いのやきう路線に決まってるやろ

5: 名無しさん 2025/03/03(月) 18:38:45.82 ID:FxFX27Wb00303
ガスどうなったん?

7: 名無しさん 2025/03/03(月) 18:39:33.64 ID:37dTjcZ/00303
教育委員会とバス運転手は反対するわな

8: 名無しさん 2025/03/03(月) 18:40:48.07 ID:YFix2PaA00303
ネガティブは話題ばっかやな

9: 名無しさん 2025/03/03(月) 18:45:07.70 ID:u3jkSFbq00303
あんな吊り天井みたら大人でも怖ェよ

11: 名無しさん 2025/03/03(月) 18:53:24.78 ID:5g8USZNc00303
協会は意識してるみたいやけど愛・地球博越えられるんやろうか?チケット販売枚数やなくて来場者数で
なんか愛・地球博の時はモノづくりの一軍揃えてワクワクする感じやったけど今回は全くせん

12: 名無しさん 2025/03/03(月) 18:54:38.19 ID:OOt+AIRB00303
正直兵庫県議の事件のせいで取りやめた学校あるやろ

13: 名無しさん 2025/03/03(月) 18:57:46.06 ID:LL0N/Uvy00303
4月に行けるなら暑いことないやろって思ったけど押し付けられてるチケットって真夏なんか

14: 名無しさん 2025/03/03(月) 19:04:40.27 ID:jBfo5Amc00303
テーマからして微妙
ミラノ万博のテーマ「食」みたいなやつなら行ったかも
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「超訳コネクト」から外国人による「東京物語」評をふたつ転載する。


(以下引用)


190208_4.jpg



● 「瞑想的な傑作」
  評価:★★★★★★★★★★

 僕が学校の授業で「東京物語」を観たのはしばらく前のことだった。授業で映画を観たことは何度もあるけれど、あれほど多くのクラスメイトが胸を詰まらせる姿を見たことはない。一番興味深かったのは、なぜそれほど心を揺さぶられたのかについて、クラスメイトのほぼ全員がうまく説明できなかったことだった。

 そして残念ながら、それは僕も同じだ。それにしても、文化や時代の違いといった壁もあるはずなのに、これほどシンプルな映画にこれほど感情をかき立てられるとは、本当に驚きだ。

 小津安二郎は世界で最も優れた映画製作者の一人と考えられていて、「東京物語」は彼の傑作だ。これを否定する理由は見当たらない。小津のカメラは時折議論の対象になる。彼は通常、カメラを床(もしくは畳)の高さにセットする。これによって、観客は登場人物たちと一緒に座っているような感覚になるのだ。カメラはほとんど動かない。パンするのはかなり稀だ。物語の流れは瞑想的と言えるほどゆっくり展開していく。
 
 この「東京物語」には、小津の作品を映画学校の生徒や映画ファンの間で人気にした要素の全てが含まれている。彼のほとんど動かないカメラ、過剰に強調されたところのない現実的な登場人物、細部へのこだわり、ある感情を象徴する「物」の存在、完璧なタイミングの音楽など、小津のとどまることを知らない映画への情熱がスクリーンから溢れてくるようだ。
 
「東京物語」は、誰にでもアピールするタイプの作品じゃない。普通の映画好きなら、「古い」、「白黒である」、「退屈そう」だからという理由で敬遠するだろう。ただし、注意深くて細かいところまで目が行くタイプの映画ファンにとっては、「東京物語」は実に鑑賞し甲斐のある映画だ。

「東京物語」は、他の小津作品同様、アートとしての映画とはどんなものなのかを示す良い例になっている。ストーリーを語り、命の真実とは何かをカメラで描こうとしている映画だ。今の観客が期待するような「エンターテイメント」とはかなり離れた場所にある。爆発もなければ暴力もない、カーチェイスもない。これが小津だ。そして、その小津の最も優れた映画と考えられているのが、この「東京物語」だ。




190208_5.jpg



● 「輝かしい作品。完全無欠。」
  評価:★★★★★★★★★★

 この作品は史上最高の映画というわけではないかもしれないし、私個人にとっても最も好きな映画というわけでもない。しかし、史上最も完璧な映画だ。複雑だがシンプルで、簡単に理解できるのに、見るたびに新たな発見がある。過去に立って未来を見つめる映画でありながら、もしかすると、未来に立って過去を振り返る映画なのかもしれないとも思える。そして、全ての優れた日本映画の中でも最も日本的な映画だ。

 公開されて60年以上が経ったのに記憶されている映画であり、今から60年経ってもまだ記憶されている映画であり続けているだろう。私個人の意見だが、非英語作品の中でもっとも素晴らしい映画だと思う。それが「東京物語」という作品だ。
 
 私としては、映画を観る全ての人々におすすめしたい。ただし、まず先にやってもらいたいことがある。黒沢映画を観てほしい。ジブリ映画を観てほしい。日本文化についての知識を得てほしい。ピロー・ショットとは何かを学んでほしい。その後、この作品を観てもらいたい。確かにこの作品には「英雄の旅」、「英雄と輪廻」のような世代の違いも文化の違いも飛び越えて伝わる要素も含まれている。しかし、日本文化と深く結びつき、日本文化が染み込んでいるような要素もあるのだ。そして、その部分には努力をしても理解すべき価値がある。もちろん、文化的な背景を知らなくても作品を楽しむことはできるのだが、その体験はどうしても薄いものになってしまうだろう。

 例えば、ピロー・ショットについて簡単に説明すると、これは「枕詞」のようなものだ。シーンの変わり目に挿入され、一見、物語とは関係ない背景描写のようなショットのことを指す。小津は観客に息をつく機会を提供し落ち着かせるために、このピロー・ショットを実に効果的に使うのだ。私は、このピロー・ショットを見るのが大好きだ。これを見ながら、次は物語がどう展開するのか楽しみにして鑑賞する。ただし、これは実に日本的なやり方でもある。あまりに日本的で繊細な手法であるため、この映画に興味を持つ人ですら、事前に知らなければ注意を払わずに見過ごしてしまうかもしれない。
 
 この映画のプロットはシンプルなものだ。年配の夫婦が東京に住む子どもたちに会いに行く。しかし、彼らの子どもたちはあまりに忙しすぎるため、自分の親を温泉宿に追い払ってしまうのだ。一見したところ「年長者を敬え」というタイプの物語と解釈してしまうかもしれない。しかし、それだけではこの物語の真価がまるで分からない。ロード・オブ・ザ・リングを「世界征服を企む悪者をやっつけろ」という映画だと解釈してしまうようなものだ。
 
 プロットがシンプルなものであるのに対して、登場人物たちは非常に複雑だ。ただし、その複雑さはこの作品の持つ感情に訴える力を邪魔することはない。映画の最後で登場人物たちが同じ場所に集まる場面があるのだが、薄情だったはずの登場人物も優しさを見せた登場人物も含めて、彼ら全てに共感してしまうだろう。こんなことのできる作り手の手腕は実に印象的だ。
 
 今挙げたのは、この映画が持つ魅力のほんの一部に過ぎない。他にも複雑でありながら愛すべき要素はたくさん登場する。私は、まるで映画の形を借りた詩のように感じた。個人的に感じたことと言えば、私は自分が愛する映画、高く評価している映画を観ている時でも、つい「自分ならもっとうまく撮れただろうな。」と思ってしまうことがある。だが、「東京物語」を観ている時に、同じことは一切思わなかった。
 
 シンプルさと複雑さの同居は、タイトルが映った時から始まっている。「東京物語」というタイトルは、思いつく限り最もシンプルなものだっただろう。まるで歌のタイトルのようだ。しかし、これは同時に深いものでもある。東京は、世界で最も物語に溢れた都市の一つと言ってもいいだろう。さらにこの映画がリリースされたのは、第二次世界大戦末期にアメリカの大規模な爆撃によって破壊された後、復興が始まった頃のことだった。そうした背景まで考えてみると、このタイトルはまるで手の込んだ装飾が施されたドアのように感じられてくる。一見したところは、ただの実用的なドアだ。しかし、じっくり眺めてみるとその装飾は何かを象徴しており、細かい部分にも意味があることが分かる…、そんな印象を与えるタイトルだ。
 
 私は通常、「抑制的な映画だから」という理由で高い評価を与えたりはしない。「抑制的」とは単なる流行語のようなものだと思っている。ただし、この映画については例外だ。この映画はあらゆる面で見事なバランスを保っている。なにか一つの要素が過剰に強調されてこのバランスが崩れてしまえば、この「東京物語」が史上最も素晴らしい映画の一つであると言われることはなかっただろう。そのため、あらゆるシーンで実に見事に抑制が効いている。ここが小津作品の素晴らしさだ。
 
 ただし、この完璧なバランスがあっても、登場人物たちと彼らの発した言葉を好きになれなければ、これほどこの映画を深く愛することは出来なかっただろう。登場人物たちはただ生き生きと描かれているだけではない。実に重要なことを語ってくれるのだ。その一番良い例は主人公とその友人達が、バーで酒を飲みながら三人で自分の子供達について語り合うシーンだ。普通の映画なら、ここは使い捨てのジョークにしかならない。実際、彼らの語る言葉だけを拾っていくと、単なる安っぽいメロドラマのセリフのようにも思える。しかし、それがこの「東京物語」の中で聞くと、どういうわけか極めて深遠で哲学的な議論のように胸に響いてくるのだ。私は畏敬の念に打たれずにはいられなかった。
 
 それでも、これは「東京物語」のベストシーンではない。少なくとも私の意見では、やはりラストがこの映画のベストシーンだろうと思う。具体的に語って台無しにするつもりはない。しかし、このラストシーンを観て胸を打たれない人はまずいないだろう。他のシーンと同様に完璧で、映画全体を見事に象徴するシーンだった。
 
 憂鬱になりすぎることなく悲しみを表現し、説教臭くならずに物事の本質を語り、派手さはないのに実に魅力あふれる作品だった。「東京物語」は、かつて創造された中で最も成熟し、最も思慮深い芸術の一つだ。
毎度だが、「剣と魔法の物語」成分が足りないので、栄養補給にそれらしいアニメを探して見ているが、要するに「中世欧州の風景」自体が私は好きなので、「魔道具師ダリヤはうつむかない」という、あまり食指の動かない作品まで見ている。
まだ2回目だが、かなり低レベルのアニメで、原作も(読んでいないが、大本の内容は推定できる)脚本もキャラ設定もすべてダメダメである。何しろ、異世界に転生したヒロインが作るのが「ヘアードライヤー」や「レインコート」なのである。まあ、それでも異世界でののんびり生活を楽しむならまだしも、話の成り行きから見て、ヒロインは不幸な目に遭いそうな様子だ。だから「うつむかない」なのだろう。つまり、普通ならうつむくような目に遭い続ける話だと予測できる。

最初は原作者が女性なのかな、と思ったが、原作者名は男性名である。まあ、偽装男性かもしれない。話がちまちましていて爽快感が無いのだから、不快になるために視聴するようなものだが、背景画というか、風景描写には時々いいものがある。アニメーターは、こういう作品に使われて気の毒だが、案外生成AIでの作画かもしれない。だが、キャラ絵は小学生女子が描いたレベルであり、生成AIならもっと上手く描くのではないか。とにかく、男性の顔の絵がへたくそである。つまり、中学生の顔にしわやひげを描けば中年男性や老年男性で通ると思っているようなひどさである。昔の少女漫画の低レベル作品にはよくあった現象だ。中年や老年の男の顔など観察したくもないから適当に描くわけだ。
ちなみに、ヒロインは前世の記憶は無いが、なぜか前世でのヘアードライヤーやレインコートの記憶はあるようだ。原作者は、それらが中世世界にあれば素晴らしいと思っているのだろう。大馬鹿である。濡れた髪は自然に乾かせばいいし、雨が降ったら濡れればいい。それが昭和までの日本だったのである。何も、中世的世界に現代の道具を持ち込むことはない。愚劣な「便利さ」だ。

キャバ嬢(失礼!)が、異世界アニメを見ていて、「これならあたいにも書けるわい」と書いたような原作だ。男なら、(オカマ以外は)ヘアードライヤーを異世界に持ち込むことはしない。
「ナーロッパ」は言うまでもなく、「なろう小説」での「異世界転生物」に出てくる疑似ヨーロッパのことで、アニメなどで描かれる中世西洋的社会は「ナーロッパ」である。
だが、いかに調べて書いても、我々日本人の想像力では本物の中世ヨーロッパの細部は分かるはずがないのであり、結局は「話さえ面白ければOK」となる。
そこで、私が考えたのが「ナッポン小説」である。過去の時代の日本の姿など、学者でもすべてを知っているわけがないし、また厳密に調べて書いても話がつまらなければ意味がないので、そこを「いい加減でいい」ことにするわけだ。過去の人間が「OK、OK、からOK」と言おうがかまわない、と最初から適当主義でいくのが「ナッポン小説」である。まあ、高名な作家の時代小説でも、けっこういい加減な描写はあるはずだが、素人作家は最初から図々しくいこうというわけだ。
そのように考えれば、過去の時代の日本は西洋人のみならず現代日本人にも面白い状況があり、たとえば幕藩体制での幕府と各藩の暗闘というのは、吉川英治の「鳴門秘帖」や直木三十五の「南国太平記」だけでなく、幕府の隠密を主人公とする話など、いくつもあるだろう。山手樹一郎の明朗時代劇、あるいは脳天気時代劇小説なども幕府と各藩の関係が話の土台になっていることが多い。
ということで、「ナッポン時代劇小説」を書いてみようかな、と考えているのだが、まあ、大半は書きながら考えるにしても、少しは全体像(見取り図)を考えてみようかな、という、これはメモである。
最初は「忍者学校」と、その卒業生の活躍を考えてみたが、「忍者学校」は、読んだことはないが、あるいは「NARUTO」で描かれたかもしれない。ただ、普通の侍よりは隠密、隠密よりは忍者のほうが面白そうではある。
山手樹一郎の「元若殿で剣豪の浪人」など、まさになろう小説的ではある。しかし、剣豪というのは、描写は基本的につまらない気がする。つまり「剣豪になる過程」というのが退屈だという印象で、「上昇感覚」が無さそうなのである。
以上は、これから小説家や脚本家になろうという人にアイデアはそのまま提供する。私自身がそういうものを見てみたい、読んでみたいからである。
ちなみに、封建時代、主に江戸時代の日本は海外の趣味人にも関心を持たれている。特に忍者は大人気である。おそらく、アクションシーンが、単なる切り合いよりバラエティがあり、知力を使う戦いだからだろう。

結論から言えば、良い点と悪い点があり、悪い点のほうが多いかな、という感じである。
良い点は「エロ要素がゼロである」こと。恋愛要素も無いのは、なかなか偉い。これは異世界冒険ものとしてはほとんど唯一の作品ではないか。エロと恋愛がアニメおたく(アニ豚とも言える)がアニメを見る最大の要素であることを考えれば、これは大胆であり、英断だ。
悪い点は「剣技としての『パリイ』がどんどんインフレ化し、魔法までパリイするという荒唐無稽な話になっていること」「魔法が、現代の兵器と合体して、『剣と魔法の物語』の雰囲気を台無しにしていること」「パリイ君(名前に魅力が無いので、そのままこの名称を使用する)があまりに鈍感で、白痴レベルに見えること」などである。最後のものは、そのために彼の性格的美点まで美点に見えなくなる。
まあ、設定だけが面白く、後はダメダメなアニメであり、おそらくこれは原作による縛りだろう。設定だけ借りて、後は自由に創作するという「瀬戸の花嫁」方式で作れば、いい作品になれた可能性もあったと思う。
しかし、アニメにうるさい私が一応最後まで見たのだから、「主人公が善良である」アニメは不快感が無い、というのはアニメ制作者がよく承知しておくべきだろう。もっとも、話そのものが「発想が素晴らしく、話が緻密に作られている」なら、主人公が「デスノート」の月のように残忍なエゴイストでも、見るに値するのだが。(「デスノート」は、すべてのキャラの個性も素晴らしい。特にコメディエンヌとしてのミサミサについて言及されることが少ないのは、視聴者の「アニメ(漫画)鑑賞力」を疑う。私のごひいきはミサと松田とLである。まあ、Lとは友達にはなりたくないが、ミサミサと松田なら知人として最高だろう。馬鹿っぽさ=無邪気さは人間の愛嬌・魅力でもある。)
いや、「多くの人に見てもらって楽しんでもらう」のがアイススケートだと思うが、こんな悪鬼のような表情で滑ってどうするんだよwww
画像がないと無意味なスレッドになるし、私は原作漫画もアニメも見ていないが、見なくてもこれは判定ができるかと思うので、載せただけである。漫画の場合は主人公キャラに感情移入して読むから、その表情が状況に合うかどうかは考えて読まないと思う。
「巨人の星」で、甲子園のマウンドで星と伴が感動して抱き合い、花形までその感動の輪に加わって涙を流すのは、漫画読者には感動の場面だろうが、もしも甲子園でその場面を見ている観客が本当にいたなら謎のシーンだろう。

(以下引用)

2: 名無し 2025/03/01(土) 21:35:31.54 ID:ZtQCKZmp0 BE:271819932-2BP(1000)
no title

3: 名無し 2025/03/01(土) 21:35:37.40 ID:ZtQCKZmp0 BE:271819932-2BP(1000)
no title

no title

144: 名無し 2025/03/01(土) 22:36:09.20 ID:eGUgldtO0
>>3
漫画が最高だからアニメ見てないがこれはひどい
いのりは発達でスケート以外ゴミだと自覚あるから命かけて滑る
なのになにへらへらしとんねん!ミミズ集めからやりなおせ!

5: 名無し 2025/03/01(土) 21:36:10.66 ID:ZtQCKZmp0 BE:271819932-2BP(1000)
お前らはどっちがいい?

8: 名無し 2025/03/01(土) 21:36:39.28 ID:rzOssHPz0
>>5
どっちでもいい

85: 名無し 2025/03/01(土) 21:58:52.68 ID:xjvCGMvHd
>>5
こんなもん3Dでやってる連中に言ってもどうしようもないわ
諦めろ

94: 名無し 2025/03/01(土) 22:03:30.14 ID:S7Nlg8bI0
>>85
あれを描けってそうとう鬼畜だろ
3Dモーションキャプチャーだからこそキャラクターの個性を意識した演技が出来てるわけだし

121: 名無し 2025/03/01(土) 22:18:44.91 ID:fYJL246t0
>>5
漫画の方が絵がキモいから断然アニメ

9: 名無し 2025/03/01(土) 21:37:06.03 ID:iRrUYedd0
アニメ面白いけど原作派からするとアニメクソらしいな

64: 名無し 2025/03/01(土) 21:53:34.87 ID:hziaSAg40
>>9
原作が良過ぎるだけで、アニメはクソではない
むしろ地獄のような前評判からしたら極上とも言える出来だよ
米津玄師までが加わって全力宣伝してくれて

原作は漫画が白黒表現だということをこれ以上ないくらい上手く使ってるんだよ
端的に言うと夜鷹純や光ちゃんの鬼気迫る感じ
でもアニメはフルカラーだから軽くなるんだよね

10: 名無し 2025/03/01(土) 21:37:07.34 ID:SeemzJ5V0
スケートはアニメ
それ以外は原作

12: 名無し 2025/03/01(土) 21:38:09.83 ID:VAB8ZXkq0
小綺麗だな

13: 名無し 2025/03/01(土) 21:38:13.74 ID:OYD3bmeX0
頭のデカさが違うってこと?

14: 名無し 2025/03/01(土) 21:39:03.37 ID:Uh+QyGnE0
アニメは良い出来だと思うけど
漫画の方はなんか読みづらいんよ

15: 名無し 2025/03/01(土) 21:39:16.83 ID:jGRP4WqN0
原作の絵が上手い漫画を改変すると不評になるな
逆に進撃の巨人みたいなヘタクソだとどうやっても好評になる

16: 名無し 2025/03/01(土) 21:39:17.89 ID:Gs/au/TO0
どっちで良いんじゃね

17: 名無し 2025/03/01(土) 21:39:22.81 ID:luRZfBsj0
ポーズが全然違うやん

18: 名無し 2025/03/01(土) 21:39:38.92 ID:2waqr5jr0
原作持ち上げておけば玄人ぶれるんでしょ?ぼく知ってるよ
見たくなるようなアニメが無いので、「異世界おじさん」と「薬屋」以外は「デスノート」(アニメのほう)を再視聴しているが、アニメ化も実に完璧で、ある部分では原作を超えている。まあ、原作はLの死後は蛇足だったという大きな欠陥がある。その部分は実写化映画のほうが上である。
で、3作品だけではアニメに飢えるので、後は「ダンジョンの中の人」を再々再視聴しているが、それだけだと「剣と魔法の物語」栄養分不足になるので、これまで食わず嫌いしていた「俺はすべてをパリイする」を見てみたら、案外好感の持てる作品である。
何より、主人公の設定、特に性格がいい。謙虚で努力家であるのもいいが、設定としては「何の才能もない」というのが面白い。普通だとこれを「嫌な性格」たとえば「このスバ」の主人公のように他者を利用するだけの図々しい性格にしそうだが、真面目で誠実にしたのがいい。
ただし、監督が未熟なためだと思うが、描写の細部が雑である。剣技の得意技が「パリイ(相手の攻撃を弾くこと)」しかないというのが主人公の特性なのだから、それでいかにして強敵に勝つか、という描写が重要なのは当然なはずだが、一回目からその描写がいい加減なのである。「パリイ」で相手の攻撃を逸らすだけでは相手にダメージは与えられない以上、勝つことは普通なら不可能であるが、第一回目では、パリイした相手の斧の頭部が切断されたのはいいとしても、その斧の頭部がなぜか相手の首に向かって飛んで、その首を切断するのである。物理的運動として不可能だろう。
しかも、主人公(名前を忘れたので「パリイ君」とでもする)は、戦った相手が人間の数倍の体格のミノタウロスだのに、「牛」と呼ぶのである。子供のころから冒険に憧れ、冒険者になる夢を持っていた男がミノタウロスを「牛」と思うはずがないだろう。
パリイ君の子供のころの描写での家の側の家畜飼育所の細部の描写や、彼が正規冒険者になれなくて土方仕事をする描写など、いい描写も多かったのに、残念である。まあ、二回目以降にご期待だ。

なお、私なら、パリイがミノタウロスと戦って守っていた少女が、斧の頭部が飛んだ時に魔法を使って飛ぶ方向をコントロールし、ミノタウロスの首を切断した、とする。そうすればパリイ君も、「勝ったのは自分の力ではない」と考えてその謙虚さを失わないのも自然だろう。
日本を「帝政」呼ばわりする自称サヨクの某ブロガーの記事の一部だが、傾聴に値する内容である。学校行事と部活の廃止には賛成。父兄との面談廃止にも賛成。
ただ、それだけだと、学校で勉強だけをするのか、という問題が出る。文化祭などは体育祭とは異なり、生徒間の優劣比較が曖昧だから、生徒の自主的行事として許可すればいい。
別の個所で下の記事の筆者が書いているが、教師の仕事の多くをAIに代行させるのはいいことだと思う。そもそも、学校の授業で、教師が黒板の前に立つ意味がどれほどあるのか。私は「意義のある授業」を受けた経験の記憶はほとんどない。だいたいは、自分で疑問を持った点を自分で調べただけである。失敗だったのは、学校教科書の内容に面白さをまったく感じられず、国語以外のほとんどの教科書は一度も通読していないことだ。国語教科書は「娯楽」として読んだ。
まあ、それでも一応は国立二期校に合格したが、当時の制度で下駄をはかせてもらっただけだ。

(以下引用)


文科省はなぜあそこまで頑なに教職の労働時間減に抵抗するのだろうか。
今回も財務省の要求によってイヤイヤ働き方改革を受け入れた感じだ。
どう見ても逆である。

何度も言ってきたように教職の労働時間を減らすのは非常に容易だ。
学校行事(始終業式、体育・文化祭、遠足・修学旅行などの廃止)と部活動を廃止すれば、それで労働時間の3割を削減でき、OECD平均並みになるのだから。
さらに校内会議と書類作成も大幅に減らすこともできるだろう。
あとは保護者と教員の個人的接触を禁止するのも手である。

やれることはいくらでもあるのに、文科省は何一つやろうとしないのだから、教職のなり手が激減、いまや応募倍率は1倍台に至っている。
1倍台というのは、実質的に応募すれば合格というレベルであり、しかも数年以内に20~30%あるいはそれ以上のものが辞めてしまうのだから、そもそも労働市場として成り立っていない。教職が再生産できなくなっているのだ。
漫画家で、かつ二児の母である小島アジコ氏の「ドラえもん」映画(「ドラえもんと空の理想郷」)への批評で、その中で映画の梗概や好意的部分は省略して、そのキモであると思われる批判的部分だけ転載する。なお、私はドラえもんのテレビアニメも映画もほとんど見たことがない。いや、ゼロだと思う。そして藤子不二雄は偉大な漫画家として尊敬している。おそらく、テレビアニメや映画の「ドラえもん」は原作者の理念や思想とは別の展開をしていると思う。
そしてそれは「ドラえもん」だけではないだろう。
ただしまた、アニメや漫画を通じて子供に有益な知識や理念を教えることも一種の洗脳なのであり、洗脳のすべてを否定できるものではない、とは思う。
下の記事も記事筆者が二児の母であることが土台にあっての懸念だろう。「宗教映画」の骨格分析は見事である。


(以下引用)

この映画には明確なメッセージがあって、それは「心をなくすのはよくないこと、自分の心に従って生きよう」ということ。そして、それに反することが徹底的に間違ってること、つまり悪、として描かれている。これも、自分にとってはすごく引っかかるところだった。このメッセージが間違っているということではなく、この「メッセージを押しつけて」「この映画を見た後は、そのメッセージが正しいんだ」という思想強化される。これは、後述する宗教映画と非常に似通っている。また、メッセージの伝え方の演出も、非常に宗教映画の演出っぽく(多分誰かに強くメッセージを伝える*7というと似通った演出になるんだと思う)そこもすごい引っかかった。

宗教映画の大体の構成。
人を特定の思想に誘導する宗教映画。そのアニメ、いくつかあるのだけれども大体は似通った構成になっている。

大気汚染や自然破壊をしたり、差別をしたり、他人に無関心であったりする世の中の良くないところが描かれる。
それを推進してる人物がいて、その人物は一般市民を操っている。
主人公がその人物や社会に疑問を持つ。
主人公の前にメンターが現れる。
メンターは超能力を使い、そういう操られた人たちから襲われた主人公を助ける、または操られた人たちをすくう。
主人公は、メンターの師、その現実の社会に対して真の社会を作ろうとするリーダーに会う。
普通社会を操ってる人物が現れ、リーダーに戦いを挑む。
操っている人物は本性を現し、醜い体になり、超能力で襲ってくる。
リーダーも真の姿を現し、怪物を倒す。
リーダーのもとで真のみんなが平和で優しく暮らせる素晴らしい社会を作っていきましょうね。
お終い。
というような構成になっています。
また、時々、リーダーと同じように導く存在が出てくるのですが、それは大体金髪碧眼でギリシャ神話の神様のような御姿をしています。

なんとなく…。今回のドラえもん映画に似てるところがありませんか…。全体の構成は違っても、要所要所で行われる演出、構造がよく似てると自分は感じてしまいました。
私の別ブログから加筆転載する。「吾輩は猫である」の該当箇所を後で追記するかもしれない。今、気が付いたが、「ロマンチックイロニー」の出てくるのは「猫」ではなく「三四郎」だったかもしれない。

(以下自己引用)

ロマンチックイロニー

思想、思想の断片、考えるヒント 2022年09月19日


北林あずみ氏のエッセイの一部である。
部分的に日本語化したら「ロマン主義的反語」精神とでも言えるだろうか。機械的合理性への反逆だ。反語、つまり言葉で表現された裏に真意があるわけである。ロマン主義自体が「損得計算に基づく近代合理性」への反逆であり、イロニー(アイロニー)はその表現的部分だろう。(具体的な表現形態としては「冷笑的」「皮肉」であることが多く、本来は詩情とは無縁だが、それが「ロマン主義」と結びつくことで、「反語的精神」が見えにくくなる。)
この言葉は漱石の「猫」にも出て来る。だが「ロマンチック」の意味を花や夢みたいなものと思うからたいていの人(かつての私含む)は混乱、あるいは誤解しそうである。古い文学観念のように見えるが、実は合理主義で衰弱した人間精神にとって、今こそロマンチックイロニー的なものが社会に必要かもしれない。


(以下引用)

 ドイツロマン派の思想の中心には、ロマンティック・イロニーがある。
 ロマン派とは、西欧近代主義の世界像の土台をなしている機械論と理性(=科学)至上主義への反逆なのだろうが、反逆の仕方が優れて西欧近代主義的なのだ。
 西欧近代主義は個人主義的自我を前提とする。面白いもので、個人主義的自我を前提にしているのに機械論と科学至上主義が土台にあるのだ。ロマン的に自我の絶対的な自由を希求すれば、機械論と科学至上主義とぶつかるだろうことは首肯できる。
 西欧近代主義は資本主義と一心同体だ。社会主義もまた資本主義の亜種でしかない。しかし、西欧近代主義は個人主義的自我なくして成立しない。個人主義的自我の権利と自由と資本主義とは矛盾した関係にある。
 ドイツロマン派は、絶対的自我を希求して、機械論に唾を吐く。絶対的自我を希求する方法がロマンティック・イロニーなのだ。
 要は機械論的な論理の破壊である。論理のしがらみに雁字搦めになれば絶対的自我は望めない。だから脈絡性と整合性の檻を突き破り、Aの地点からまったく無関係なBという地点に、目にはみえない橋を架けてひょいっと乗り移ってしまう。Aの地点にいたときの自分はもう自分ではない。だから責任も発生しない。何ものにも捕らわれることなく、絶対的自我の自由の赴くままにあっちにぶっ飛んだり、こっちにぶっ飛んだりするのだが、そのぶっ飛び方に論理的整合性も脈絡性もなく、責任も蹴飛ばしてしまうのだ。
 ドイツロマン派の悪魔性といわれる所以だが、重要なのは、政治的には機会主義に陥り、現状肯定になるという点だ。
 ドイツロマン派のナチズムへの影響は指摘されているし、ヒトラーも接近した過去を持っているようだ。
 ドイツロマン派を貶してばかりでは申し訳ないので書き添えておくと、芸術的には優れた作品を残した作家や芸術家が多くいる。
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