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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「JBプレス」の中でもよく読まれている記事らしい。その一節を転載。
現役東大教官による東大生(の一部)批判というところがうけたのだろう。この記事の読者が多かったのは、要するに、世間の人間は東大生を批判する記事を望んでいるだけだろうと私は思っている。で、ここで批判された東大生は、実は世間が思う東大生イメージそのままであり、それは官僚イメージでもある。ところが、東大教官である筆者は東大生や東大教育というものをその反対のイメージで捉えているようなのである。そのギャップが面白い。
ここで筆者が批判している受験勉強は、まさしく「和田式学習法」であり、その有効性は実証済みだ。つまり、これしか受験に対応できる学習法は無いのである。簡単に言えば、「膨大な問題パターン群」とそれに一対一で対応する「膨大な解答群」を丸暗記し、できるだけ速いスピードで「問題を見るや否や、解答を想起する」という技術を修練するのが究極の受験勉強だということだ。
確かに昔の東大は、そういうような機械的暗記では対応できないような入試問題を国語などでは意識的に作っていたから、和田氏など自分の二次試験の国語は0点だっただろう、と告白している。しかし、全体的には暗記による受験勉強が有効であったというのは、東大も他の大学も同様なのである。それは受験というものが、常に制限時間を有しているところから来るものだ。暗記式受験勉強の弊害を無くすために小論文式試験を課しても、受験生は小論文のためのマニュアルを暗記して対処するというイタチごっこである。
私などから見れば、この教官から馬鹿にされている東大生に同情したい気持ちにもなる。それまでの勉強のやり方を全否定されては、それまでの苦労は何だったのか、ということだ。そして、受験戦争のヒエラルキーの頂点に立つ東大が、自分たちの責任をそっちのけに、こうした受験勉強のやり方を呑気に批判している姿勢には少々腹も立つのである。
 
(以下引用)
 
この東大生のケースは、7年間で4000人ほど教えたこの授業の中でも最も重症な例の1つで、ほかでも紹介したことがありますが、いままでは「過剰適応」の話をメインで考えてきました。
 今日はそこからもう一つ踏み込んでみたいと思います。それは「成功体験」で味を占めることの当否です。
 この学生・・・東京大学教養学部・理科に入学したての1年生ですが、この子が持っている教師は丁寧に例題を板書すべし、解き方のパターンを教え、それと同じタイプの解答可能な問題を出すべし、という「確信」というか「哲学」というか(笑)、子供っぽい幼稚なものではありますが、でも本人は大真面目で信じている「べき論」は、間違いなくこの学生の過去の経験、とりわけ「成功経験」に裏打ちされていると思うのです。
 まず間違いなく、こういう「お勉強」のパターンで、彼は高校入試をクリアしてきたのでしょう。
 もしかしたら、学校の先生が「ダメ」な教え方をしていたところ、塾の先生が「優れた」教え方をしてくれ、それで点数アップ、偏差値も急上昇したとか、何か味を占める経験をしたのかもしれません。
 そして、そのトドのつまりが大学入試だったはずです。
 問題は解答パターンがある、正解とされるパターンをともかく暗記しろ、そしてそれを時間を無駄にせず短時間でバリバリ解答せよ・・・式の、同様の(我々大学教員の目からは、最もお寒い)「お勉強法」で、何とトーダイまで合格しちゃったンだもんねボク、というあたりでしょうか。
 ここから先が、喜劇というか悲劇というか、本当にこの子がかわいそうなところなのですが、彼は「これで東大だって合格できた」という「成功体験」に基づいて、勉強の仕方、授業のあり方を講釈してしまっている。
 ところが、その相手が悪いわけですね。
こっちは東大教授屋でありまして、彼にとってそれまでの人生最大の成功経験となった入試を作ったり、採点したりする側である、ということを、子供は全く理解できていないわけです。
 「仮想現実感」。悪い意味でこの言葉を思い出さないわけにはいきません。自分にとっての成功・失敗の実感だけがリアルで、いったい自分が誰を相手に何を言っているのか、分かっていないわけです。
 このアンケートが帰ってきた直後も、ティーチングアシスタントたちと「こういう子はこの先どういう人生を送るのだろうか・・・?」ということで、ひとしきり議論になりました。
 つまるところ「正解」とされるマニュアルがなかったら、自分では何一つ考えることができない。というより、考えることそのものが「時間の無駄」くらいに思っている。
 かなりの確率で言えることは、この子は大学に入って最初の学期で、凄まじく低い成績を取るだろうことです。大学は、そういう「教えられたパタ-ン」での処理しかできない学生にとって居心地の良いところではない。
 自ら疑問を持ち、自ら考え、自ら調べて自ら結論を出す。そういうクリエイティビティーのある学生が高く評価される。
 既存のパターンがないと何らかの解答を出すことができない者はほとんど評価の対象にならない・・・彼の場合、大学に入って最初にもらう成績表では、かなり大きなショック療法を経験するだろうことが想像されました。
 さらに具合の悪いことに、東京大学は、2学期の成績で、希望する学科に進学できたりできなかったりするというシステムを持っています(進学振り分け)。
 受験のお勉強に過剰適応し、それに変な成功経験を持ってしまった子供は、一方で塾講師バイトなどで儲けたりもするのですが、他方、たいていの場合、学内の成績は惨憺たるものとなります。
 教養以降に進学する学部学科不本意な専門に進むことになったり、その他いろいろ、あまり望ましくない現象が起きてくるのです。
一口に「受験産業」と言っても、本当に良心的で、ものを考える本質を教えるような塾もあれば、解答パターンの暗記を中心に学生の思考習慣を奪ってしまうようなところまで、本当にピンからキリまであると思います。
 後者に過剰適応し、そこで成功経験など持ってしまうと、大学時代もそうですが、その先の人生に、かなり大きな影響が出てしまうのではないか・・・そんなふうに懸念されてならないのです。
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