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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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あるいは、この「娯楽ブログ」で私が書いた「真面目記事」としてはこれが最後になるかもしれない。と言うのは、ネットとの接続が不調で、かなり異常が続いているからだ。

さて、本題である。

「あらゆるものに縛られたあわれ空しい青春よ
気難しさのために僕はすべてをふいにした」

というのはランボーの詩だが、この「気難しさのためにぼくはすべてをふいにした」というのは、私を含めて多くの人が陥った事態だろう。むしろ、そうでない「陽キャラ」のほうが少数派ではないか。そして、陰キャラ派は彼ら陽キャラを軽蔑することで、自尊心を守るのである。
そのあたりは「弱キャラ友崎くん」で見事に描写されている。
だが、これは「陽キャラ」か「陰キャラ」かというだけの話ではなく、「人生の歩き方」の問題として大きなテーマなのである。つまり、「気難しさ」とは、実は「自己防衛」であり、「自己美化」でしかない、ということだ。いわゆる「孤高」を気取る生き方である。

ここで私が特に言いたいのは、そうした「自己弁護」あるいは「自己欺瞞」は人生をかなり大きく毀損する、ということである。

たとえば、私は「理解できないことを覚える」のが大嫌いだった。自分が理解できないことが知識の中、脳の中にあり、どっしり座っていること自体が不愉快だったのである。
当然、私は「理解できないことは覚えない」道を選び、わずかに理解できることだけで何とか大学まで進んだが、そこでは「理解できないこと」の山で、ギブアップし、退学するしかなかった。
これは私が「頭が悪かった」ためだろうか? もちろん、そうでもあるだろうが、それ以前に「理解できないものは覚えられない」という、長年の習性が祟ったのである。
東大などに進む連中は習ったことをすべて理解しているか? そんなはずはない。彼らは、理解できなくても覚えて、それを使っているうちに理解してくるのである。つまり、彼らの脳には「理解していない知識」が膨大に眠っているわけだ。その部分が空っぽの私とはそこが違うのである。そして、その「眠っている知識」もまた財産なのである。

さて、あなたは「オン・バサラ・アラタンノウ・オン・タラク・ソワカ」という短い呪文(真言)を理解できるだろうか。いや、理解しなくていい。あるいは、これを何回も繰り返して唱える(心の中でもいいが、口で唱えるほうが効果はあると思う。)ことで、「理解できないことを覚える」経験の入り口になり、今後はその種の事態への拒否感を緩和できるかもしれない。
そもそも、新しい知識や体験をすべて拒否していたら、赤ん坊のままではないか。

これが、このブログの読者へのプレゼントだ。

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