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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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概して、グロテスクさへの好みが見られるが、6人目のショークロスの絵は、素人絵画コンテストで優勝するくらいに上手い。そして、アドルフ・ヒトラーは、題材ごとの得手不得手はありそうだが、プロレベルどころか、プロの中でも優れたレベルだと思う。特に、建築物の絵、風景画には独特の感性があり、技術も優れていて、やや荒涼とした趣はあるが、自分で所有し、居間に飾ってもいい絵だ。



6人のシリアルキラーと1人の独裁者が描いた絵

2015年06月19日 ι コメント(66) ι 画像 ι 人類 ι #
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 絵は心の表れと言われており、心理分析などにも使用されている。ここでは6人のシリアルキラー(連続殺人犯)の描いた絵と、アドルフ・ヒトラーが描いた絵を見ていくことにしよう。
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1. ヘンリー・リー・ルーカス
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 奇怪なモンスターなのに、誰もが着ているようなハイネックのセーターを着ているということが、余計に恐怖を感じさせるこの絵を描いたのは、ヘンリー・リー・ルーカス。

 米バージニア州出身のシリアルキラーで、3000人を殺害したと自供しているが、実際の被害者は数100人と推定されている(300人~600人とも言われるが、具体的な数字は不明)。幼い頃、売春婦だった母親から虐待を受けていたことがわかっている。11件の殺人で起訴され死刑を宣告されたが、2001年に心臓発作のため64歳で獄中死した。『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターのモデルのひとりとされている。


2. ジョン・ウェイン・ゲイシー
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 「キラー・クラウン(殺人ピエロ)」と呼ばれた男が描いた、ポゴという名のピエロの絵。事業を営む地元の名士として、自らもピエロのポゴに扮し、パーティなどで子どもたちを楽しませていたジョン・ウェイン・ゲイシーは、1972年から78年にかけて米シカゴ近郊で33人の少年を含む男性に性的な暴行を加えたうえに殺害し、遺体を自宅地下に遺棄していた。1994年、52歳のときに死刑を執行された。

 スティーブン・キングの小説『IT』の殺人ピエロ、ペニーワイズのモデルとされている。『IT』は現在、映画化が企画されているが、1990年に米ABCが制作したミニシリーズでは、ティム・カリーがペニーワイズを演じて強烈な印象を残した。

 ゲイシーのピエロの絵は愛好家のあいだで人気が高いが、所有者に不幸が相次いだという逸話もあるようだ。ジョニー・デップも1点購入したものの、経緯を知ってすっかりピエロ恐怖症になったとも言われている。


3. キース・ハンター・ジェスパーソン
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 「ハッピーフェイス・キラー」こと、カナダのブリティッシュ・コロンビア州出身のキース・ハンター・ジェスパーソン。トラック運転手として全米を移動しながら、1990年から95年にかけて少なくとも8人の女性を暴行したうえで殺害した。立件されたのは8件の殺人のみだが、被害者はもっと多いと考えられている。「ハッピーフェイス・キラー」の名前は、ジェスパーソンが自ら犯行をほのめかす手紙を新聞社ほかのメディアに送った際に、スマイリーフェイス(笑顔のマーク)を署名代わりに描いていたことに由来する。終身刑を宣告され、現在もオレゴン州の刑務所に服役中だ。


4. リチャード・ラミレス
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「ナイト・ストーカー」「峡谷の侵入者」の異名を持つテキサス州出身のリチャード・ラミレスは、悪魔崇拝者であることを公言し、犯行現場に悪魔のシンボルである逆五芒星の絵を残すことがあった。ラミレスは1984年から85年にかけて、米ロサンゼルス近郊の民家に無差別に侵入し、13件の残忍な殺人に加えて強盗暴行などの凶行を重ねた。

 ラミレスは85年8月に逮捕され、89年に死刑判決を受けたが、監房のなかから上訴を繰り返し、刑を執行されないまま、2013年にB細胞リンパ腫の合併症により53歳で獄中死した。長髪の色男だったため、グルーピーのような女性ファンも多く、そうしたファンのひとりと獄中結婚している。

 なお、「ラ・バンバ」のルー・ダイアモンド・フィリップス主演で、ラミレスの伝記映画が企画されていることが先頃報じられた。


5. アルフレッド・ゲイナー
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 米マサチューセッツ州出身のアルフレッド・ゲイナーは、1995年から98年にかけて、同州スプリングフィールドで9人の女性を暴行したうえで殺害した。被害者の多くは絞殺されていた。ゲイナーは終身刑で服役中だが、インターネットオークションや殺人関連アイテムの販売サイトを通して、刑務所のなかから自分の描いた絵を販売しようとしたことがある。


6. アーサー・ショークロス
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 ベトナム戦争に従軍後、米ニューヨーク州に戻ったアーサー・ショークロスは、1972年に10歳の少年と8歳の少女を暴行したうえで殺害。ショークロスは懲役25年の実刑判決を受けて服役したが、12年後には「危険人物ではない」として仮釈放される(精神科医はショークロスが統合失調症を患っており、さらにサイコパスであるとしてこれを阻止しようとしたという)。仮釈放からほどなくして、ショークロスは再び殺人を犯すようになり、最終的に1988年から89年にかけて、12人の女性(被害者のほとんどは売春婦だった)を暴行して殺害した。

 ショークロスはテレビ局のインタビューなどに対して、被害者を殺害したあとにその体の一部を切り取って食べたと供述しているが、真偽のほどは定かではない。1990年に終身刑を宣告され服役していたが、2008年に脚の痛みを訴えて病院に運ばれ、そのまま心不全により63歳で死去した。


7. アドルフ・ヒトラー
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 若き日のアドルフ・ヒトラーが画家を目指し、美大を受験したが落ちたことは有名な話だ。もしヒトラーが画家として成功していたら、独裁者となって大量虐殺を行うこともなかったかもしれない、とは誰もが考えてしまうことだろう。

via:distractify・原文翻訳:mallika

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例の広瀬すずの問題発言だが、これは石橋にうまく引っ掛けられた、ということではないか? おそらく、番組外のお喋りの間に、広瀬のスタッフ蔑視意識を見抜いていて、それをうまく引き出してあの爆弾発言になったのではないか、と見る。
広瀬すずは好きでも嫌いでもないが、「芸能界特別推薦枠」で特別レールの上を歩いてきた無知で馬鹿な女の子が、眼の前の悪意の障害物に気づかずに落とし穴に落ち込んだ、という事件だろう。
だが、これで広瀬すずファンのほとんどはファンをやめたのではないか。彼女の良さは、「一見人の良さそうな、普通に可愛い子」というところにあったのだから。
人がいいか悪いか、ということと、差別に鈍感か敏感かは別問題かもしれず、彼女は人は悪くはないのかもしれないが、あの発言は、「下層階級」の人間全部を敵に回す発言であり、それは大衆人気を生命線とする芸能人にとっては致命的なものだろう。



74: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/06/20(土) 15:32:36.70 ID:jocwYTgu0.net
ちなみにとんねるずで何やらかしたんや?
92: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/06/20(土) 15:35:00.43 ID:cngY5+Z30.net
>>74
 MCのとんねるず・石橋貴明から「テレビ局で働いている照明さんなんか見るとどう思うの?」と
聞かれると、「どうして生まれてから大人になった時に照明さんになろうと思ったんだろう?」と回答。
続けて、音声スタッフについても「なんで自分の人生を女優さんの声を取ることに懸けてるんだろう?」
「きっと大人になって年齢を重ねると共に、本当に…声を録るだけでいいの?」と語った。
(参考「ネットゲリラ」コメント欄より)


かめ | 2015年6月20日 02:10 | 返信

石橋と木梨が煽ってるわけで、
バカを煽って、商いしてる初老のオッサンが見苦しい
佐々木はずっと黙ってるよ。
https://www.youtube.com/watch?v=Fk_7n2o3dEI


 

>かめさま
発言の流れを見せてくださってありがとうございます。確かに、この子はおろかな子だと思うけど、煽ってるのはおっさんの方ですね。しかし、薄ら笑い浮かべて見ている佐々木の方が気になった。京都のいけずってやつか?一言しゃれたこと言って流れを変えることだってできたのに、黙ってバカどもが収拾つかなくなっていくのをヘラヘラ楽しんでる感じ。私、この俳優好きだったんだけど、ちょっと引いた。



「森山高至のブログ」から抜粋転載。
出来の良い推理小説を読むような、「考える楽しみ」、「へえ、そうなのか」と納得する快感がある。竜骨型のメインアーチのスラスト(横圧力)を支える手段が現場の条件とこのデザインからはありえず、それだけでもザハ案は落第だ、ということが「デザイン優先」の名ばかり建築家(安藤ね)には分からず、ザハ案をコンペで優勝させ、収拾がつかなくなったということだ。この、スラストについての考察は、素人が読んでも良く理解できる。
さて、この新国立競技場問題は、「官僚無謬論」や「有識者会議無謬論」がはびこる日本の政治世界でどういう決着がつくか、楽しみである。そもそも、東京オリンピック自体、フクシマ問題がある以上は、実行不可能だと思われるのだが。



(以下引用)



今回の審査委員長の安藤忠雄さんは、ザハの案について
「大丈夫や、やろうや」までは元気よく言いますが、
「わしが責任をもつ!」はまったく言いません。

むしろ
「わしは、、、デザイン(見た目)のことしか、、、わからへんのやし、、、」
と声が小さいです。

超歯切れ悪い感じ。

そして、「構造とかわし、、わからんし、、、和田先生がええ言うたから、、、」

とか、全然、闘ってない感じ。
逃げ腰。

なんやねん!どないなっとるんや!どこが、どうおかしいんか教えてくれよ!
と言っても誰も答えないので、
しょうがないんで、もう一回例のモデル図を見始めたんです。


すると、ヤヤヤ!これは!アカンやろ!というところを発見してしまったんです。

巨大な橋だというのは以前やりましたが、この絵のMain arch(truss)と書いてある主構造に注目してください。
メインアーチとうたってはいますが、、、これアーチになっていない。
アーチ風味。

アーチというのは元々、組積造いわゆる石積建築のときに窓や入口を開けるための手法です。
石は構造素材として押されることには強いが曲げや引っ張りは苦手なのですが、圧縮にはめっぽう強いんです。
これはどういう仕組みかというと、落ちそうな石が隣り合った石を押し合うことで落ちないで地面に垂直に荷重を伝達できるのです。
ローマの時代に大いに発展しているのは皆さんご存じと思います。


アーチで一番大事なことは荷重を垂直に変えるということなんです。
次に大事なことはその垂直荷重が支持地盤(この場合は岩盤でしょう)まで届いているというのが大事です。

と、いいますのもみなさん、とりあえず地面は固いもの、という認識だと思うのですが、建築や土木構造的にはそれほど固くはないのです。

身近にあるもので例えると、筆立てが机に乗っている状態、
これは固い岩盤の上にビルが建っているのと似た状態です。


では、岩盤ではない普通の地盤の場合はどうか?というと、
机じゃなくてもっと柔らかいもの、スポンジよりも固くて多少粘りのあるような、、


「ういろう」くらいじゃないかと思います。
この「ういろうの生板」の上に先ほどのペン立てを置いた状態が、通常の地面と建築の関係に似ています。
なので、重量で微妙に凹む感じ、揺らすとプルンプルンする感じです。


で、ザハ案の構造に戻りますと
アーチと書いてアーチでないのはライズが低いということによりますが、同時に、ライズが低いけどアーチなので、構造的に非常に不利なことが起きています。

それは、巨大なスラストの発生です。
スラストというのは、ちょうど氷の上でスケート靴履いて外向きに股を広げたらどうなっていくかを想像していただくとわかりやすいでしょう。

手近にあったティッシュペーパーの箱の蓋を切って実験してみました。
軽く曲げるだけで自重は支えられるアーチになったようですが


ということになってしまいます。

そこで、ちょっと細工をしてみたのがこれです。


これはタイバーと言われる処理です。

アーチをもたせるには、このスラストという横に滑る力、股裂きにならないように端部に水平変位が起こらないように拘束する必要があるのです。

ザハ案にはビラビラをとった最新形の模型を発表しています。
このメインアーチの部分を赤く塗ってみました。


なんか、メインアーチの周りの縁も大層デカいんですが、主構造に絞って現在どのようになっているかを分析してみましょう。
断面形状をわかりやすく模式化するとこうなっています。

メインアーチの端部よりも競技フィールドは下がっているため、そこにタイバーとかを通すことはできません。

無理に入れようとするとこうなります。


競技観戦どころではないですね。
ただの使えない橋の周りに屋根かけた状態です。


なので、上からのパースを見ても空間です。水平部材はない。
とすると、基礎梁でスラスト抵抗を負担させるのか?ということになり、途中から地中に埋まっていくのですが、実質の橋のスパンが今まで以上に大きくなり600mを超えてきます。


なので、構造モデルの説明では夢みたいなこと書いてあります。
左下のThrust block foundation直訳すると、スラスト止め基礎。

なんだろう、この希望的観測的な部材、本当に建築の構造わかっている人が書いたものなんだろうか、、、超怖いんですけど

しかも垂直方向に向かって、、、


これだけのスパンの横力をもっとも非合理な垂直方向に向かって、引き抜きで対処しようというものですが、
これが、国立競技場周辺の地盤データです。


地下30mまでいっても全然岩盤とか出てこないんだけど、、、

地下50mとかまでアンカーするつもりなんだろうか。

Thrust block foundationというのは下図の赤丸ようなものなのですが、これはエドモントンにあるスパン250mの橋の図面です。
これ見てもお分かりのように、アーチのスラスト(横すべりと跳ね上げ)を押さえようというのが目的なので軸力方向に圧縮と引っ張りに効かすように斜めに打ち込まれているのが分かりますよね。

新国立競技場の今の配置でそれやったら、超ヤバイんですけど。
なぜなら、すぐ近くに地下鉄大江戸線が通っているからなんです。




地下ホームがちょうど地下30mくらいだから、
斜めにアンカーするのはかなり危険だと思いますしそもそも地盤が、データ見る限りシルトから細砂とかだからまだ「ういろう」状態だと思うんですよね。

このアーチのライズとスパンと敷地断面を模式化してみるとこんな感じです。


ドンピシャで駅に当ててんじゃないでしょうか、、

以上、この新国立競技場が根本で抱えているであろう構造的諸問題を私なりにあぶりだしてみました。

こんなんじゃ、どこから手をつけていけばいいのか、本当にわからなくなっているのではないかと、とても心配です。

杞憂であればいいのですが、、、
この件、友人の構造家ともう少し詰めてみたいと思います。

ちなみに、今年おこなわれたロシアのソチ冬期五輪のメインスタジアムが同様に二本の巨大なトラスアーチを掛けたものですが、
大きさは新国立ザハ案の半分くらいですからね。



この工事中の橋のはしっこに見えるスラストブロックの部分、ぱっと見ちょっとした川の土手?コンクリートの護岸?くらいに錯覚しそうですが


とてつもなくデカいです。
5~6階建てのビルくらいあります。


ソチは地盤がいいのか、
杭打たないで、地面に鉄板敷いて直接基礎みたいなのですが、この根本部分で原発工事並みの物凄い鉄筋工事やっています。


現場の周りも空いているし、すぐ海ですしね。


五輪の実行委員に選ばれた方々も今回のコンペ審査員の先生方も、
ソチのドーム計画を調べてみれば、新国立競技場のコンペ案が非常に危ういものであると分かっていただけるんじゃないかと思います。


とくに新国立競技場コンペの建築審査員の方々はもしかしたら、その見識は本当にデザイン(見た目の形)のみで、構造エンジニアリングや技術的知識や施工や実施設計について、今まで人任せでなんにも考えてきてないんじゃないか、、、とすら思えてくる事態なんです。
或るブログ記事のコメントの一つで、その記事内容とは直接の関係は無いが、国旗問題について、思いがけない視点を示していると思う。
リベラル派の大半は、日の丸が日本の戦争犯罪と結びつくから日の丸に反対し、保守派は日本の戦争犯罪を否定するから日の丸を擁護するのが常である。だが、本当は、下の意見のように、日本の過去の悪事を反省するためにこそ、それを忘却させないために日の丸を「血塗られた国旗」として日本の国旗にし続けるべきだろう。


(以下引用)


例えばわたしは日の丸を国旗とするべきだと思っているのですが、なぜかというと、それが忌むべき過去を抱えているからです。それを自分たちの印とすることは、その過去を忘れないということです。反省と後悔を自分事として携えないと、未来などないと思います。
小阪淳
「たけくまメモ」所載の、ある漫画の講評が、ドラマ(漫画、小説、映画、演劇)の作り手を目指す者にとって非常に参考になるかと思う。
つまり、アイデアや粗筋を思いついただけでは「金の取れる作品」あるいは「視聴者や読み手を感動させる作品」にはならない、ということで、そこ(平面的な設計図)からスタートして、「その骨子をどう立体化していくか」という辛苦の作業が必要になる、ということだろう。すなわち、「見せ方」「演出」の問題である。この「演出」が、小説では「プロット」に当たるのではないか。プロットの訳語は粗筋とか筋とされているが、むしろ「演出」が適切かと思う。




 


●期待賞『僕らの時間 ∫17-25(僕x-君x二乗)dx』相澤亮



▼投稿歴


2011年度 講談社月刊アフタヌーン四季賞 秋 落選


▼あらすじ


不死の生物と謳われるクマムシ。もしその生態を人体に応用できるとしたら―?


父親の実験によって、体の時間の狂ってしまった少女と、その少女に恋をした少年の物語。会えない時間と共に、二人の距離も段々と離れていき……。


 


▼選評


うめ これは、彼女が仮死状態になってるから、何年かに1回しか会えなくなっていくんですね。


三河 それで、何年かに1回会うと、彼女は年をとってないから彼ばかりが成長していくという話です。


うめ 新海誠さんの『ほしのこえ』(注1)のような。


三河 これは最終選考作の中では一番いいなと思いましたよ。


竹熊 話とかテーマがちゃんとできてますね。


三河 淡々と描いてるところがまたいいじゃないですか。


竹熊 絵も悪くない。この人、キャラクターから嫌な感じを受けないんです。


三河 ただ、すごくいい話なんですけど、実験シーンから入るじゃないですか。ここに引っ張られるんですよ。クマムシの生態を女の子に当てはめることで人類にどういう影響があるのかなって。SFなのかと思って読んでいると、真ん中あたりで「あ、これは切ないラブストーリーなんだ」とようやくわかるんです。だったら別にこの設定じゃなくてもいいんですよ。


うめ 未知の病気にしてしまう、通称クマムシ病と呼ばれている、でいいんですよね。


三河 それで、お父さんも治しようがないと言って苦悩してる、とか。


うめ これだと、なんで父親が自分の娘を危険な実験に巻き込んだのかっていう説明も何もないんですよ。


竹熊 作者はまずクマムシの生態を知って、この知識が面白いと思って、作品にしようと考えたんじゃないでしょうか。


三河 テーマ的に、この実験は重要じゃないんですよ。数年に1回しか会えないという事の方が重要なんですから。


うめ 最初はもう彼女が寝ていて、お父さんみたいな人が涙ながらに、名前を呼んでるぐらいのところから入っていけばいいんですよね。


竹熊 これけっこうページ数もありますよね。56ページあります。


うめ 16ページとかで描けるはずです。


三河 長いスパンの話ですが、そのくらい短くした方が面白いです。これは長いスパンの話だから、長いページ数がかかるんだという思い込みから入ってるような気がします。


うめ 漫画は1ページで100万年の時間を描けますからね。



三河 筋はいいんですけど、そこに演出がないんですよね。こういう構想があって、じゃあこれを何ページの漫画にしましょうって言った時に、その長いスパンの話を短いページで、どう描けば効果的なのかという事を考えられていないです。青春のやりとりとか、細かいところは結構面白いんですけど…。


竹熊 はじめに全体の構成を考えてないで、1ページ毎に「次は何を描こうかな」って考えながら描いている節すらありますね。


うめ 全体的に演出が単純じゃないですか。コマ割がつまらないのと、カメラワークがなってないんですね。寄りとロングの使い分けが全然なってないので、そこをもっと変化をつけるというのが王道の“直し”です。ただ、「いや、こういう淡々としたのが描きたいんです」って言うんだったら、『7と嘘吐きオンライン』(注2)ってあったじゃないですか。あれみたいに5段切りとか4段切りとかで全部同じコマの構成にしてしまって、その代わりページ数を16にしてって言うと、できるかもしれない。


三河 あと、どうして彼女のことがそんなに好きなのかという理由がイマイチ伝わらないんです。彼女のここが好きとか、どうして彼女じゃないとダメなのかとか、本当にちょっとしたことでもいいんですけど、1つわかっていれば、その筋を通して短くできるんじゃないかと思います。彼女が若いままで、彼がどんどん大人になっていって、たまに会うとスーツが似合う青年になっていて…という、そのへんは結構ツボがあって、いいんです。


うめ 恋愛物の絶対必須条件って二人の間にどう障害をつくるかであって、そういう意味でそこの障害として時間があるという、時空恋愛ものみたいなジャンルがあるんです。それのちょうどいい変化球としてアイディアがすごく良いんですよ。



三河 でも、それが埋もれてるのが、もったいないです。時空恋愛を軸にして、自分はどんどん大人になっていくのに彼女は19のままという、その悲しみと共に、もう次会えるのはいつなのかな、というような感じで終わらせてほしいですね。


うめ 最後、主人公が107歳とかになっていてもいいですよね。次に彼女が目覚める時、もう君は生きてないはずだって言われてたんだけどもそこまで長生きして、そこで初めて告白、でもいいですよね。


●PC用見開きビュワーはこちら →http://mavo.takekuma.jp/pcviewer.php?id=79


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「リベラル」と「リベラリズム」が違うというより、日本のリベラルに見られる特性というものが、アメリカのリベラルとはかなり違う、ということであり、それは「憲法9条下の日本」という特殊性によるものではないか。もちろん、アメリカのリベラルにもまた偽善と欺瞞はあり、それは日本やアメリカの保守派にも偽善や欺瞞があるのと同様だろう。ただ、今の政治状況の大問題点のように「憲法9条を守りつつ、アメリカの世界戦略に協力する」というのは無理な話であって、安倍の戦争法案は最初から破綻している。その意味では安倍は従来の保守派の立ち位置から大きく逸脱し、「欺瞞」ならぬ「非論理の世界」に至っている。例の「後方支援は安全な場所で行うから戦争に巻き込まれることはない」という滅茶苦茶な答弁などはその代表的なものだ。
ところで、「リベラリズム」とは何か、と基本に立ち戻るなら、「コトバンク」に次のように書かれており、必ずしも「自由主義」を訳語としては限定できないようだが、「個々人の自由を認め合い、共生すること」がその基本思想であることは疑いないだろう。そして、政治思想としてのリベラリズムは「政府や支配権力の圧制や抑圧からの自由」(liberateは自由にする、解放する意)を求めるものだと言えるのではないか。
その意味で、リベラリズムに反対するのがしばしば被支配的立場の人間(2ちゃんねる住人に多いネットウヨなどはだいたいそうだろう)であることは奇妙きわまる話なのである。


(引用1)

異質な価値観を持った者同士の共存は個々人の自由を認め合い、共生することでしか解決しないという考えに基づき、ホッブズ、ロック、ルソー、カント、ヘーゲルといった近代哲学者は、「自由」を権利の基本原理とするリベラリズムの立場を深めてきた。ところが現在、リベラリズムに対しては様々な立場からの批判がある。フェミニズムや多文化主義は、その普遍性と公私の区分を批判する。また共同体主義はリベラリズムの想定する人間を、共同体の伝統や慣習から切り離されて具体的な内実を失った抽象的な個人とみなし、批判する。伝統的価値や人種や性別のような具体的な属性なしに、諸個人が「善き生」の構想を持つことはできないとするのである。また現代のリベラリズムは、権利や政治的正当性の基礎となる原理として必ずしも「自由」に依拠するわけではなく、論者によって様々な考え方がある。その意味でリベラリズムの一般的な訳語としての「自由主義」は適切とはいえない。例えば初期のロールズは公正を、ドゥオーキンは平等を基底的理念として提示した。ロールズは初期にはリベラリズムを人類的普遍性を持つものとして基礎付けようとしたが、後に近代市民社会という特殊な社会だけに適応できる政治思想としてその普遍性を否定した。その結果、権利の基礎の哲学的探求を放棄し、ローティやグレイらと同様に「政治的リベラリズム」の立場に立った。このようにリベラリズムの根本原理は何であるのか、またそれは必要なのかを巡っては、現在でも多くの議論がなされている。

(野口勝三 京都精華大学助教授 / 2007年)


(引用2)或る人の、ある本の感想とメモ。


駒場の東大の生協で発売されたばかりのこれを買ってきた。 『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください--井上達夫の法哲学入門』(毎日新聞出版) 「タイトルがね〜」とくさしながら読み始めたが中身がすごく真摯でかつ単刀直入なので引き込まれてしまって、タイトルなど気にならなくなった。


“帯には「偽善と欺瞞とエリート主義の「リベラル」は、どうぞ嫌いになってください!井上達夫」なんて宣言してある。”
「紙屋研究所」から抜粋転載。
「神聖喜劇」は未読だが、議論の多い思弁的小説だと推測している。(議論の多い、とはこの小説への評価のことではなく、小説の中に本当に議論が多いのではないか、ということだ。)そういう小説を漫画化して成功するのかな、と思うのだが、紙屋氏は「傑作だ」と評価しているようだ。


(以下引用)


 3巻では、「農本主義的言論」(前掲書)によって理想を掲げる村上少尉が、「殺して分捕る」ことが戦争の目的だと騒ぐ大前田を叱責する。皇国・日本の戦争の目的はそのようなものではなくアジアの解放である、というむねのことを村上は述べるのであるが、最後に兵士たちに自分の訓示の意義を再確認させようとして「戦争の目的」をたずねると、二等兵・橋本は



日本の戦争は殺して分捕るが目的であります

と答えてしまう。そう答えた瞬間の村上の空虚と絶望を描いたコマの可笑しさはぜひマンガ版を見てほしい。

 橋本は村上に反逆しようとか、左翼的立場からそのように言ったとか、そんなつもりは微塵もなかった。「殺して分捕る」ことこそが橋本の感じられる最も本質的でゆるぎないリアルだったからこそ、そう答えたにすぎない。村上が説教している「アジア解放」という「理想論」も、何を言っているかわからず、そう答えたにちがいない。


 国家が「農民」としてまとめあげ、さらに「兵士」として一色に塗りつぶそうとする意図が、現場・現実の雑多さ・豊かさによっていかに挫折させられるか。あるいは戦争の理想論も、人々の皮膚感覚のリアルさの前にはいかに無力であるかを、『神聖喜劇』は実に様々な角度から教えてくれる。

二つとも、示唆的なツィートである。「昔は結婚がコスパ良かった」が、今はそうではないのだろうか。今でもコスパはいいのだが、その利点が妻の側だけに偏っている、ということか。まあ、家事全般に亘って、大半は「機械がやってくれる」し、「コンビニなどで手に入る」し、セックスは同じ相手とだと必ず飽きるのだから、確かに男にとっての結婚のメリットが少なくなっているとは言える。だが、『家庭があること』は、一人暮らしには無い大きな精神的慰安があるのだが、それを「コスパ」と考えきれないところに問題の根本があるような気もする。もちろん、家庭の慰安をコスパとする「経済脳」自体も問題ではある。







fromdusktildawn @fromdusktildawn 22時間前

  1. はるか昔から「コスパ男子」はうじゃうじゃいたよ。単に昔は結婚がコスパ良かったから、コスパ男子はみんな結婚してただけ。結婚と出産のコスパを良くすれば、少子化なんてすぐに解消する。 / “恋愛や結婚を「コスパ悪い」と避ける男子増加 「…”
  2.  
  1. さんがリツイート

    ここ数年で「嫁に浮気された」知人どもの共通項。 ・酒もギャンブルもしない。 ・嫁には「さん」を付けて呼ぶ。 ・嫁に「ありがとう」を欠かさない。 ・嫁に「お願いします」も欠かさない。 ・家事は折半。 ・結婚後、男友人との付き合い削って嫁と一緒の時間を確保。 考えさせられる……

そもそも私は「うるさいのが苦手」(漫画家の山岸涼子[涼の字は本当はサンズイではなくニスイ]の言葉)な人なので、ロックは大嫌いなのだが、愛読している「それでも町は廻っている」の大好きな登場人物、紺双葉がロック大好き少女で、音楽としてのロックだけでなく、「ロックな生き方」というものを愛しているようなので、「ロック」とは何か、という問題について考えてみる。
「ロック」はもちろん、「ロックンロール」すなわち「ロック&ロール」であり、「揺れて、転がる」ことだろう。要するに、「揺れて転がる」ような音楽のことだ、と簡単に定義していいかと思う。ではなぜ「揺れて転がる」かと言えば、体が陶酔しているからではないか。体の中から沸き起こるリズムの陶酔。それがロックンロールかと思う。つまり、三島由紀夫的に言えば、「アポロン的明晰」ではなく、「ディオニソス的陶酔」の音楽がロックンロールかと思う。私のように「アポロン的明晰」を好む人間は「忘我」の状況自体が自己の本質的否定のように思われるから、ロックという音楽も性に合わないわけだ。
では、「ロックな生き方」とは何か、というと、「常識への反抗、社会の束縛への反抗」がそれか、と思うのだが、この推測は単に私の直感で、何の根拠も無い。世間の「ロックな人々」の風俗を見て、そう判断しただけである。ただ、問題は、この反抗があくまで外面的なものでしかないように見える、ということだ。せいぜいが、性的放縦や麻薬への耽溺程度が、「ロックな人々」のやる「反抗」では、その音楽は、せいぜいがある種の中毒性の強い酒でしかない。音楽としては、まあ、クラシックや古いジャズが紅茶かコーヒー程度の嗜好品で、カフェイン程度の興奮性(もちろん、感動はあるが、ロックなどの「騒音音楽」とは異なる、自我を保ったままの感動だ。)はある、というのに比べて酩酊性が高いというだけだ。
で、私が気持ち悪いと思うのは、彼らの「ポーズだけの反抗」なのである。(念のために言えば、ロック草創期の歌手たちには、音楽上の革命性はあったと思う。ビートルズなどは歌詞の面でも革命性があった。また、実際に文化的風俗的な革命性もあった。その後のロックは、自己模倣的生産を延々と繰り返し、「流派」ごとの細部の相違だけに拘る、「伝統芸術化」していると思う。下記記事のパンクやヘビメタなどの相違がそれだ。)
そもそも、ロックをやる人間が社会に反抗しているわけでもないだろう。社会に反抗するとは、現在の社会体制そのものを否定し、破壊する行動を取ることであり、ロックをやる人間の中にそんな人間がいるとは思えない。彼らは「ファッションとしてのロック」「商売としてのロック」をしているだけであって、そのどこにも社会への本物の反抗(政治行動)など無い。せいぜいが、親や周囲への甘えた反抗をしているだけである。紺双葉の生き方もそんなものだ。可愛いからいいけど。作者自身、そのことは良く分かっていて、紺双葉は、ひどい内弁慶のコミュ障として描かれている。


(以下、参考までに引用)
 

知らない人たちには同じように見えるのかも知れませんが
元来(共に発生は70年代半ば)ヘビメタとパンクは犬猿の仲です。

私は元パンクでしたが、ヘビメタが大嫌いでした。
何故か?
1)ヘビメタはデブやオヤジが多い。
2)ヘビメタはファッショナブルじゃない。
3)ヘビメタは女みたいな高音で雄叫ぶのでウルサイ。
4)ヘビメタは以前、四畳半フォークを聴いていたようなヤツが多い。
5)ヘビメタはギターの「速弾き」しか頭にない馬鹿が多い。
6)ヘビメタは本当は女々しい。
7)ヘビメタには女性ファンがいない。

もう少し、真面目に答えますね。
ヘビーメタルはハードロックをルーツに
思想性を弱くして様式美と演奏力(特にギター)を追及したロックといえると思います。
パンクはニューヨークのアンダーグランドの
シンプル&ストレートなロックをルーツとする思想性が強いロックで
様式化したロックと景気の悪化などの社会不安に対する
若者達の反抗の運動だといえると思います。

私は元パンクでしたが、ヘビメタから馬鹿にされていました。
何故か?
1)パンクは栄養失調児みたいに痩せてて気持ち悪い。
2)パンクはヴィヴィアンなんとかいうファッションマニアが多く、女々しい。
3)パンクは怒鳴って歌うのでウルサイ。
4)パンクは以前、アイドル歌謡曲を聴いていたようなヤツが多い。
5)パンクはギターもロクに弾けない馬鹿が多い。
6)パンクは理屈っぽい。
7)パンクの女性ファンはブスばかり。

※一部女性に対して失礼な表現があることを
 深くお詫び申し上げます。


この回答へのお礼


ちょっと分かってきました。
あとパンク、ヘビメタの定番を教えて下さい。


お礼日時:2001/07/27 14:36

パンクの代表としてはセックスピストルズです。セックスピストルズに限らずパンクの曲の構成は単純なコード進行で出来ています。
一方、へヴィメタ(ヘビメタ)はヨーロッパでパンク・ニューウェイヴ勢が全盛のときにメディアの人がそれに対抗してそのときのハードロック勢をニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・へヴィーメタルと表したのが始まりだったと思います。そのときの代表格はアイアン・メイデン、ジューダス・プリーストです。へヴィメタの曲構成はパンクとは違い、複雑なコード進行が多いです。アイアン・メイデンのようにプログレ(プログレッシヴ・ロック)から影響を受けていたバンドの曲構成は複雑で、展開が多く、パンクの比ではありません。
個人的に現在へヴィメタという用語はアイアン・メイデン、ジューダス・プリーストに代表される王道の(伝統的な)メタルをさしていると思います。今ではメタルの中のジャンルも、ゴシック、デス、ブラック等多岐にわたっています。


この回答へのお礼


今度聞いて見ます。


お礼日時:2001/07/27 14:48

ヘヴィメタルとは直訳で、「重金属」の事です。重金属を思わせる重々しいサウンド、ハードディストーションのかかったギター、クラシックのような進行構成が特徴です。勿論、例外もあります。
昔、ニューシネマと呼ばれた映画「イージー・ライダー」で使われたステッペン・ウルフというバンドの「ボーン・トゥ・ビー・ワイルド」の歌詞で「ヘヴィー・メタル・サンダー」という一節があり、この曲のようなタイプの曲をヘヴィメタルというようになりました。サウンド的にはレッド・ツェッペリンが元祖という説もあります。悪魔とか黒魔術のイメージで売っていたバンドも多かったように思います。

パンク(punk)とは、米俗語で「役に立たないもの、若造、無価値なもの」の意味があります。
元々、若者のカウンターカルチャーであったはずのロックがテクニック重視に走る中で、更なるカウンターカルチャーとしてパンクは生まれてきました。未熟なテクニック、荒々しい洗練されないサウンドなどが特徴です。綴りは違いますが、punc(タイヤのパンク)には「穴を開ける」という意味があるので、体のあちこちにピアスをあける、というようなファッションも特徴です。身分制度が色濃く残る英国、特に20年~30年前の英国には無職の若者が溢れていて閉塞感に包まれていたため、圧倒的な支持を受けました。それに比べると米国のパンクは明るくて、ファッション的なものでした。

違いを実感するには、やはり、実際に聴いてみるのが一番だと思います。



かなり長いですが
参考URL「ロックの歴史」を見てみてください。

これによると、

「黒い革に金属の鋲を打ちつけた衣装を特徴とするためにヘヴィ=メタルと呼ばれる」
(第5章より)

「ロックに攻撃性や不良性・反社会性を与えたのがパンク=ロック(punk)であった
彼らは体に安全ピンを刺したり,
頭髪も脱色やスキン=ヘッドなどの特異なファッションに身を包み,
反社会的で過激な歌詞を,
下手なのかうまいのか分からないような演奏・歌唱で表現する」
(第6章より)

参考URL:http://www.tamano.or.jp/usr/osaka/pages/b-data/t …


この回答へのお礼


参考HPを見ました。
う~ん。やっぱ実際聞いてみないと分かりませんね。


HULUで「坂道のアポロン」を見ている。ストーリーは昭和30年代くらいが舞台かと思う。物語自体も昭和っぽい。日活青春映画の雰囲気だ。「陽の当たる坂道」とか、そういった、石坂洋二郎(洋次郎だったか?)テイスト。ヒロインの委員長は吉永小百合あたり。品のいい青春アニメだ。菅野ようこが音楽を担当していることで有名だが、タイトルアニメは中澤一登、作中の一篇の挿入歌「バードランドの子守歌」を手蔦(?。上は山冠だが、字が出ない。)葵が歌うなど、細部が豪華である。脚本は何名かで分担しているようだが、中には私のごひいきの柿原優子などもいたりする。柿原優子は、「瀬戸の花嫁」の中でも傑作のドタバタナンセンスの回の脚本を書いていて、私はそれで着目した人物である。「境界のRINNE」などにも脚本に名前が出たりする。「坂道のアポロン」や「境界のRINNE」などは原作にある程度忠実に脚本を書くしかないだろうが、「瀬戸の花嫁」などは原作に縛られない脚本だったと思う。そうした時に、彼女の本当の実力が出るのではないか。今後注目している人物の一人である。
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