忍者ブログ
ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
カレンダー
05 2025/06 07
S M T W T F S
7
10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
フリーエリア
最新CM
最新TB
プロフィール
HN:
o-zone
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
P R
カウンター
[6]  [7]  [8]  [9]  [10]  [11]  [12]  [13]  [14]  [15]  [16
SF的な「if」の話になるが、仮に日米が今戦争をしたら、どうなるか、ということを考えてみる。もちろん、たいていの人は、それこそ鎧袖一触で日本は叩き潰される、と考えるだろう。
私はそうは思わない。現在の米国は軍需産業が劣化し、また軍隊も劣悪になっている。だから、初期の局地戦では日本軍、つまり自衛隊(その時ははっきりと軍隊になっている)が多くの場面で勝つ可能性は高いと思う。
しかし、この場合の局地戦はあくまで局地戦であり、それをいくつ重ねても「戦局」全体を決定的にすることは無いのである。それが、ミッドウェーでの敗北が戦局を決定的にした日本と、広大な土地を持ち、人口が分散され、各州に自治的地方政府がある米国との決定的な違いだ。そして、米国人は個人が銃を所持することができ、膨大な銃が全人口にばらまかれている。つまり、いざ米国本土での戦闘になった場合、米国を占領できる国はほとんど存在しないのである。
基本的にはこれと同様の原理がナポレオンのロシア侵攻とヒトラーのロシア侵攻でも起こっている。どちらも、あの大国に侵攻した側が敗北しているのである。
戦争とは、実は「国土の広さ」の問題でもあるのである。
この考えを敷衍すると、あの日中戦争が日本と中国だけの戦争だったら日本は勝てたか、というと、それも本当は危うかった可能性は大だと思われる。つまり、中国側の政権が倒れても、抗日軍が中国に分散してゲリラ戦になった場合、日本軍が勝てたかどうかは分からない、ということだ。ベトナム戦争における米国と同じことである。他国を戦場にして勝利するには原爆か何かですべてを消し去る以外に無いし、そうすると、戦争の目的が何なのか、意味不明になるわけだ。ついでに言うと、ベトナム戦争はベトナムが勝ったわけでもない。アメリカが嫌になって戦争を放棄しただけである。
PR


これからの商売を考える(9)視点の細かい移動のこと 2016/05/20 (Fri)

元手がいらない商売というと、「クズ拾い」というものなどをすぐ想像するのは私が古い人間のせいだろうか。
実際、ゴミ捨て場に行けば、まだ使用可能な品物がごろごろ転がっているのではないか。それを見て、もったいない、と思うような人間は今の消費社会では化石の類いかもしれない。
だが、元手無しで商売をするとすれば、「捨てられているもの」を利用するか、「知恵や知識を売る」くらいだろう。もちろん、「技術を売る」というのもあるが、そこに「苦労や努力なしで」という要素を入れるとなると、「技術を売る」はダメで、「知識を売る」もダメかもしれない。
やはり「クズ拾い」が一番目の候補になる。現代では「いらないものを捨てる」のにも苦労するから、「回収業者」は案外社会に役立ってもいるのである。
だが、回収業者のような「すでにある商売」「競争のある商売」は今は考えない。

「フリーマーケット」というのがあって、「自由(free)市場」ではなく「ノミ(flea)の市」のことだが、要らない品を集めて(持ち寄って)売るという市場だ。
ロンドンでは、これを「店舗」でやっている商売がある。まあ、慈善目的だろうから「商売」ではないかもしれないが、広場や空き地や駐車場ではなく、固定店舗でやる、というところがまだ日本では珍しいのではないか。仕入れ費用はタダだから、店舗家賃と店員の日当が出るだけの売り上げがあればいいわけである。その店員もボランティアという手もあるが、それは売上を慈善に使うという前提の話になるだろう。ここは、そういう「商売」もある、と紹介だけしておく。

さて、「捨てられているもの」から「要らないもの」へと話が変化した。こういうように視点を変えていく(ずらしてみる)のが考察する場合有益だ、というのに今気がついた。。
「捨てられているもの」とだけ考えていては見えないものが、「要らないもの」と言葉を変えることで見えてくるわけだ。
次は、どういうものが「要らない」とされ、「捨てられる」か、あるいはどういう人が捨てるのか、どういう場所で「実際は有益なもの」が「不要」とされて捨てられているか、などと考えを「ずらして」見ていけばいいだろう。


Ⅰ 猫は哺乳類である。
Ⅱ 人間も哺乳類である。
Ⅲ ゆえに猫は人間である。
或る意味、気の毒な娘ではある。一枚の写真を元に「100年に一度の美少女」とか売り出されて、ほぼマスコミ総動員で売ったが、顔以外は売り物がないのに、無理に俳優などとして使った結果、まったく魅力を失ってしまった(飽きられた)のである。
おそらく、ギャラの8割くらいは事務所が取って、手元にはあまり残っていないのではないか。
「天久鷹央」に関しては、アニメの時点で原作のひどさ(推理部分がアホ)がネットで知れ渡ったので、「情弱」層しか見なかったと思う。彼女を起用したのも、「チビである」ことが主な理由だろうが、下手をしたら、人気を復活できる可能性がゼロではない、という皮算用もあっただろう。
なお、「アイドルはすべて人造だ」という御意見もあるだろうが、「無理筋」ということである。つけまつげで強調した大きな眼以外には、特に「美少女オーラ」は無い。

(以下引用)

【悲報】橋本環奈ちゃん主演ドラマ、まーた大爆死wwwwww
2025年4月24日

1: 名無しさん 2025/04/23(水) 10:42:49.21 ID:wyG6vU7f0
 俳優の橋本環奈さん主演の連続ドラマ「天久鷹央の推理カルテ」(テレビ朝日系、火曜午後9時)の第1話が、4月22日に放送され、平均視聴率(ビデオリサーチ調べ、関東地区・以下同)は世帯6.3%、個人3.4%だったことが分かった。

https://news.yahoo.co.jp/articles/63778c12d1ed6e99405d40a9e3b068d1db571443


2: 名無しさん 2025/04/23(水) 10:43:44.90 ID:pEE/wFeX0
まじで人気なくて草
主演映画ドラマ全部爆死


3: 名無しさん 2025/04/23(水) 10:44:32.60 ID:rD4cELYy0
見てないからわからん


5: 名無しさん 2025/04/23(水) 10:45:09.38 ID:R4hhwdVq0
チンチクリンに白衣は似合わんよ


13: 名無しさん 2025/04/23(水) 10:49:01.91 ID:yPRiOH/mr
>>5
アニメもチビッ子だったからああいうキャラなんじゃないの?


25: 名無しさん 2025/04/23(水) 10:59:56.47 ID:3963F/w90
>>13
でもこういう時実写だとチビは違和感あるから変更するとかしていいと思うけどな 実写化する時にアホみたいに見た目だけ拘るのは違うわ


26: 名無しさん 2025/04/23(水) 11:02:06.79 ID:mYmRWC8w0
>>25
元のキャラに合わせた役者がちゃんといて起用したのに文句言われてちょっとかわいそう


6: 名無しさん 2025/04/23(水) 10:45:39.16 ID:IGCfow1f0
アイドル(見た目)で売れたのに女優として需要があるとなぜ思うんだ


7: 名無しさん 2025/04/23(水) 10:45:45.96 ID:bCd6fVJJ0
でも仕事が絶えない謎


8: 名無しさん 2025/04/23(水) 10:46:38.41 ID:mYmRWC8w0
知ってた
ちなみに主人公の設定はアスペルガー症候群でサヴァン症候群の天才
空気読めなくて言動がやばい女
なお病院の副院長で首にはならん模様


12: 名無しさん 2025/04/23(水) 10:47:55.61 ID:R4hhwdVq0
>>8
糞みてえな設定だな

これからの商売を考える(8)「出会いの場」商売 2016/05/19 (Thu)

前回書いたことにつながるが、塾や予備校の「見えない機能」が「男女の出会いの場」である、という視点を広げたら、ほかにもそういうものがたくさんありそうだ。
たとえば、「カルチャースクール」は中高年男女の出会いの場かもしれない。
「海外ツァー」もそうである。
「テニススクール」や「スキースクール」や「ゴルフスクール」は金持ちの奥さんの浮気のための出会いの場。それらのインストラクターは、スポーツのできるホストやジゴロ、というわけだ。
「PTA」すら、ハンサムな教師や美人教師と出会える場であったりする。
「ロックコンサート会場」は同じ嗜好を持つ異性との出会いの場でもある。
場所そのものが出会いの場でもあったりする。夏の浜辺など。

ということは、そういう仕事や職場を少し変えるだけで、「出会いの場」機能を強化し、その企業(は大げさだが)が発展する可能性もあるのではないか。
しかし、そうした「見えない機能」は見えないからこそ有意義だということもある。最初からテニススクールが「浮気便宜所」だと銘打ったなら、旦那が女房を行かせるわけがない。
「養老院」も、それを学校兼寄宿舎だと考えたら、中高生に戻ったような甘酸っぱい気分になるのではないだろうか。実際養老院での色恋沙汰は珍しくないという。アホである。人間は幾つになっても成長などしない。シモの世話の必要な老人の色恋沙汰とは、なかなか不気味だ。だが、それほど性欲は人間を支配する、ということだろう。
で、この発想を養老院経営に生かすなら、老人に「お遊戯」などさせず、「社交ダンス」でもさせるのがいい、という考えになるだろう。性欲の回復は生命の回復につながり、異性にいいところを見せようという意欲が、その生活態度全般を向上させる。
まあ、私自身は養老院経営などする気はないから、これはただのアドバイスだ。
しかし、こういう「出会いの場」機能を考慮すること、「職場にピンク色を増す」ことは大事なポイントだと思う。具体策は、勝手にめいめいが考えればいい。ただし、これは職場の壁にヌードカレンダーを貼る、といったセクハラ親父的行為を推奨しているのではないのはもちろんだ。


「リアル鬼ごっこ」がベストセラーになったのは、もう20年以上も前なので、その最後の一文をここに書いても、さしつかえないだろうと思う。まあ、最初から結末は予告された小説なのである。ここで書くのは、小説の内容ではなく、算数的な問題だ。
その最後の一文は、次の通りである。赤字にしておく。

こうして、人口約一億人、そのうちの五百万人以上が”佐藤”だったこの王国には、王子以外を除く佐藤姓は誰一人としていなくなった……。

算数的問題とは、この「王子以外を除く」である。王子以外を除いたら、王子自身になるではないか。ここは「王子を除く」か「王子以外の」、というのが正しい国語であるのではないか?
つまり元の書き方だと、王子以外を除く「王子」だけが主語(文の主体)になり、「佐藤姓は誰一人としていなくなった」という部分と矛盾するだろう、ということだ。
ついでに言えば「誰一人として」は「誰も」か「一人も」だけのほうがいい。「誰ひとりとして」は「俺は誰ひとりとして死なせない」のように「意志を強調する」文脈で使うものだからだ。
たとえば「そして誰もいなくなった」を「そして誰ひとりとしていなくなった」と書いたら、その不自然さが明白だろう。
私の別ブログの過去記事を転載。なかなか有益な知識だと思う。
「職務とか」というのは、たとえば警察官が職務に熱心なあまり、容疑者を非人道的に扱うような事例である。

(以下自己引用)

サイコパスの多い職業
思想、思想の断片、考えるヒント 2021年07月23日

カネとか法とか職務とか神とか、つまりモラル(他者の人格への敬意と尊重)とは別の何かがその人の第一義になっている人種がサイコパスなのだろう。「聖職者」がサイコパスと聞くと意外に思うだろうが、商売としての新興宗教の教祖はたいていサイコパスだと思う。
シェフにサイコパスが多いというのも意外である。まあ、これも一種の「求道者」が多いからではないか。

(以下引用)

サイコパス度が高いほうはどうかと聞かれたので、
十位が公務員、
九位がシェフ、
八位が聖職者、
七位が警察官、
六位がジャーナリスト、
五位が外科医、
四位がセールスマン、
三位が報道関係(テレビ/ラジオ)、
二位が弁護士、
一位が企業の最高責任者(CEO)となっています。
まあ、野球好きなら既にたいていの人が読んでいる記事だろうが、メモ的に残しておく。日本での「7年連続首位打者」という偉業(むしろキチガイ記録)だけ見ても、彼が王貞治と並ぶ日本野球史上最大の天才であることは分かる。ホームランも30本近く打った年もあったはずで、だが、「フォームを崩す可能性がある」と考えて、ホームラン狙いはやめたのだろう。打撃は癖がつくと、治すのは大変なはずだ。

(以下引用)


片岡篤史氏、フリー打撃が凄かった歴代打者ベスト3 大谷を超える1位はイチロー「全部ホームラン」
2025年04月25日
プロ野球全般

1: ネギうどん ★ 2025/04/24(木) 15:37:52.48 ID:KJdsYWhO9
スクリーンショット 2025-04-24 22.45.13

元中日ヘッドコーチの片岡篤史氏(55)が、自身のYouTube「片岡篤史チャンネル」を更新。「プロが語るプロ・フリーバッティング編」で、片岡氏が見たフリーバッティングが凄い打者ベスト3を発表した。









38: 名無しさん@恐縮です 2025/04/24(木) 16:06:21.34 ID:pVgubYAS0
イチローは重たいマスコットバットを使ってバッティング練習してたから飛ぶと
本人が言ってたな、それにしてもほとんどホームランは事実でメジャーのオールスターでホームラン競争に出てくれと何度も打診があったのも事実

4: 名無しさん@恐縮です 2025/04/24(木) 15:40:50.43 ID:4TW5Ii630
イチロー本人が打率2割でいいなら50本打てるって言ってたからな

5: 名無しさん@恐縮です 2025/04/24(木) 15:41:54.53 ID:3df4sV3p0
実家は檜風呂

42: 名無しさん@恐縮です 2025/04/24(木) 16:21:22.70 ID:orGLf+QR0
>>5
リフォームはしましたけど檜ちゃうんですよ…
あれはほんとやめてほしい

43: 名無しさん@恐縮です 2025/04/24(木) 16:25:18.14 ID:NYaBhTpG0
松坂に三振とられて
そこばかり放送されてしまう
少し気の毒な人。
当人ネタにもしてるけどw

47: 名無しさん@恐縮です 2025/04/24(木) 16:35:35.35 ID:4/nwxrIs0
外人含めてフリー打撃を見たいと思わせるバッターがいなくなったな

72: 名無しさん@恐縮です 2025/04/24(木) 17:29:08.14 ID:oFYdDSpx0
イチローは真芯で捉えるのがめちゃくちゃ上手いんやろな

これからの商売を考える(7)中仕切り2 2016/05/19 (Thu)

いやまあ、のんびりと浮遊思考を書いているだけのシリーズだから、カテゴリーも「生きるヒント」のはずが「雑記」になっていたりする。変えるのも面倒だから、今はそのままで書き進める。

さて、ほかに「これから有望かもしれない商売」は何か無いだろうか。
いわゆる「士業」(国家資格を要する仕事)は考慮のほかである。若者向けの仕事も対象外。無能無芸虚弱な老人でもできるような仕事を探求しているわけだ。
前に書いた「占い師」などというものは、それに当てはまる。「詐欺師」は、頭が良く、度胸が無いと無理である。占い師は詐欺師とは別だ。詐欺師には需要は無いが、占い師にはちゃんと需要もあるのである。
家作のある人なら貸家貸し間業がいいと思うが、それにもさまざまな新しい業態が考えられるだろう。前に書いた、「レンタル勉強室」と名乗りながら、実質的には「中高生向けラブホテル」というのもその一つだ。実際、これは巨大な潜在的需要があるに決まっているのだから、今後は流行るのではないか。予備校や塾の機能の一つも、「異性との出会いの場」である、というような、常識に囚われない視点を持つことが、新商売の発見につながるだろう。
要するに、「欲望はどこの誰にあるのか、その欲望は何か」ということだ。食欲と性欲こそが生きる欲望の大きな柱であることは言うまでもない。虚栄心なども大きな欲望だからこそ服飾業界や化粧品業界の需要もあるのだ。
実際のところ、私は欲望の欠如した人間だから、他人の欲望なども下劣だとついつい思ってしまうのだが、苦手でもここを追及しないと商売の手がかりは得られないだろう。
私は男(それも精神年齢の低い男)だから、はっきり言って、ファッションや化粧など「アホか」と思うわけだ。大の大人がセックスしたさにどたばたするのも「アホか」と思う。しかし、それらが巨大産業の基盤であることは重々承知している。男も女も異性とのセックスよりオナニーがマシと思うようになれば、世間の産業と文化の3分の2は消滅し、ついでに戦争もなくなるだろう。異性獲得という目的が無くなれば、他人を蹴落とす闘争の意味もなくなるのだから。

まあ、こんな「子供哲学」はどうでもいい。今は金儲けの考察をしているのだ。それも、「できるだけ苦労や努力は無しで、誰でもできる」商売は無いか、という考察だ。これは難問だが、答えの無い問題だとは思わない。

たとえば、農業は苦労に満ちた仕事だという先入観があるが、はたしてそうか。大地に種をまいて放っておいたら芽が出て葉が出て花が咲き実が生った、というのがもともとの農業の姿だったのではないか。それを除草したり肥料をまいたり農薬を撒いたりして勝手に自分で自分の苦労を増やしているのではないか。そういう視点でいろいろな仕事を再考察してみるのもいいのではないだろうか。



「シロクマの屑籠」記事の一節だが、このような「アニメやライトノベル青春ものでは常識」のようなことを知る、あるいは理解するために、10年以上も「ブルデューを読みこなしたい」とうろうろしていた精神科医というのがアホに思える。なお、ブルデューは意図的に難解に書いていると自認している大俗物である。(フランスの思想界ではそれが常識らしい。)
なお、手持ちの仏語辞典では「ディスタンクシオン」に該当する言葉は見つからないが、おそらく造語で、「距離(ディスタンス)」や演劇用語(ブレヒトの用語らしい)の「distanciation(異化効果)」に近い言葉かと思われる。おそらく、現実の社会制度とは異なる、半自然発生的階層(距離感)ではないか。我々は互いを現実存在とは別の存在として相手の価値を幻想的に定めている、とか。

(以下引用)赤字はこのブログ筆者(自分の名前を書くことはまずないので、何だったか毎度忘れるww 以後は「老幼児」で統一することにする。)による強調。

これらの本をとおして私が強く意識するようになったのは、「ブルデューが言うような文化資本は常時機能していて逃れることができない」点と、「その文化資本を巡る闘争は世代間継承だけが問題なわけでも、階級間格差だけが問題なわけでもない。もっと全領域で現在進行形で起こっていて、誰も逃れることができない」点だった。たぶんブルデューは、もっと逃れ難く・社会の隅々にまで(文化資本に関連した)闘争が存在していて、その影響下から誰も逃れられない前提で『ディスタンクシオン』を書いているはずだ、という予測が私のなかでムクムクと育っていった。そうしたうえでもう一度『NHK 100分de名著に『ディスタンクシオン』』を再読したら、まさにそのようなことが記されていて、以前はそれほど気にならなかった以下のセンテンスが強く響いた。
 
 教室にあるのは、勉強ができるか否かという評価軸だけではありません。そこには横幅がたくさんあり、「勝ち方」がいろいろあるわけです。たとえば、運動神経が良くて生徒会長もやっているという王道の「勝ち方」をする子もいれば、アニメや漫画などサブカルに詳しいというキャラで勝つ子もいます。もちろん、ひたすら勉強の成績で勝とうとする子もいるでしょう。
 これは少し残酷な言い方になるかもしれませんが、学校の教室も象徴闘争の場にほかなりません。いや、界という社会的な空間のなかで行為する以上、そこでは必ず象徴闘争が繰り広げられるのです。
(『NHK 100分de名著 ブルデュー『ディスタンクシオン』』より抜粋)

 
上掲引用文を、私は過去にも読んでいたはずである。でも、この引用文が本当に肚落ちするためには、『反逆の神話』や『STATUS AND CULTURE』などが私には必要だった。そうしてぐるっと巡ってから再読した『100分de名著』は、私にとって『ディスタンクシオン』を読む最後のフラグになった。そして実際、私は『ディスタンクシオン』が読めるようになっていた。今の私は、この獲得された『ディスタンクシオン』の知識を使って世の中の色々なものを叩いてみて、その音色を確かめてみたくてウズウズしている感じだ。



忍者ブログ [PR]