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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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第十二章 ザイード

計画実行の日、マルスとピエールがマチルダを連れてザイードの宮殿に向かおうとすると、ヤクシーが、自分も連れて行けと言い出したので、二人は目を見交わした。
「あなたはここに残っていていいのよ、ヤクシー」
マチルダが言ったが、ヤクシーは、どうしても自分も行くと言ってきかない。
「まあ、美女が二人の方が、ザイードは喜ぶだろうし、いざという時、二人で助け合えるだろう」
ピエールの言葉で、四人全員でザイードの宮殿に向かう事になり、マルスとピエールは商人の服装をし、マチルダとヤクシーは女奴隷らしい身なりをして出発した。
ザイードの宮殿では思った通り、衛兵に誰何されたが、ザイードへ女奴隷を献上するという事をグリセリード語で喋り、身に武器を有していない事を示すと、しばらく待たされた後、宮殿に入る事を許された。
四人は宮殿の大広間に通された。
ザイードは七十近い老人だが、眉毛の黒々とした矍鑠とした男であった。
「わしに美女を献上しようというのはお前らか。ははは、わしはこの通りの老人じゃのに、わしを余程好色な男と思っておるようじゃな」
「滅相も無い。ザイード様の宮廷には多くの美女がおられ、屋上屋を架すようなものではありますが、この女奴隷は美貌といい、また高貴な血筋といい、卑しい庶民の手に置くよりもザイード様の側室のお一人に加えて貰う方が、ふさわしいかと思いまして、献上いたすのでございます」
慣れぬボワロン語ではなく、グリセリード語で流暢にピエールが言った。若い頃グリセリードを旅したこともあるピエールは、グリセリード語はお手の物である。
「ほう、高貴な血筋とな」
「はい、パーリの王族の者です」
ピエールがヤクシーを指して言った。
ザイードは側近の一人に何かを言った。
 その側近は、マルスたちには分からぬ言葉でヤクシーに話し掛けた。
「この者の申した事は事実です。パーリの皇女、ヤクシーという者だそうです」
「パーリか。ならば、ついこの前わしの軍勢が滅ぼした国ではないか。こんな美女がいたとは聞いてないぞ」
側近は再びヤクシーに聞いた。
「宮殿から逃亡した後、人買いの者の手に捕らえられ、ここに売られてきたそうです」
「なら、もはや生娘ではないな。それは残念じゃ。その、もう一人の方は?」
「こちらは、アスカルファンの生まれだそうですが、詳しい素性はよく分かりません」
ピエールがマチルダに代わって答える。
「どちらも、滅多にいない美女じゃ。お前らへの褒美は、追って渡す事にする。しばらく控えの間で待っておるがよい」
 マチルダとヤクシーはザイードの後宮に連れていかれ、ピエールとマルスは控えの間に案内された。
 マルスとピエールは、この機会に賢者の書を探したかったが、部屋には衛兵がいて、彼らを見張っており、自由に動けない。
 その間にも、マチルダが早くもザイードの毒牙に掛かっているのではないかとマルスは気が気でない。
 やがて、ザイードからの褒美を持った役人が二人の前に現れた。
「お前らはもう下がってよいぞ」
ピエールはその役人に聞いてみた。
「あの二人の女奴隷はどうなりましたでしょうか」
「ああ、殿様はたいそうお気に入りじゃ。まだ昼間なのに、早速味を試してみる気か、先ほど後宮に行かれたぞ、はっはっ」
マルスとピエールは顔を見合わせた。もう一刻の猶予もできない。二人はこの役人や衛兵を倒して、マチルダとヤクシーの救出に向かうことにした。
その時、宮殿の奥でなにやら騒がしい物音が聞こえ、人々が走り回る気配がした。
こちらに走り寄ってきた役人の一人に、先ほどマルスたちに褒美を渡した役人が聞いた。
「何事だ。騒がしいぞ」
「ザイード様が倒れられた! もしかしたら、暗殺かもしれん。その者たちを外に出すな」
 驚いて二人を振り返った役人の首に、マルスは手刀を叩き込んだ。
 ピエールがもう一人の役人を殴り倒し、慌てて剣を抜いて掛かってきた衛兵の一撃をかわしてハイキックでその側頭部を蹴った。
 二人は、衛兵の武器を奪い、後宮のあるらしい方向に向かって走り出した。
「待て、マチルダとヤクシーは俺が救う。お前は賢者の書を探せ」
ピエールの言葉で、マルスは一瞬躊躇したが、すぐにうなずいてザイードの書斎と思われる部屋に飛び込んだ。
ピエールは後宮に向かったが、後宮が目に見えた所で足を止めた。役人や衛兵が、入り口近くに固まって騒いでいる。どうやら、後宮に入れろ、入れないで後宮の女官と役人や衛兵たちが押し問答しているらしい。ピエールはにやりと笑った。領主以外の男は後宮には入れないという規則を守ろうとする女官の官僚主義が、思わぬ助けになりそうだ。
ピエールは後宮に向かう中庭の側面の壁に攀じ登った。
壁の上から外を覗くと、壁は切り立っており、足場は無い。だが、後宮の側まで行けば、窓の近くに僅かに手を掛けられる出っ張りがある。危険だが、やるしかない。
ピエールは壁の外側にぶら下がった。



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私と同じような爺年代の人にしか分からない話だろうが、先ほど、昔のアメリカのヒットソング集の中で、チャック・ベリーの「スィートシックスティーン」を聞いていて、「あれ? ビーチボーイズの『サーフィンUSA』は、これとまったく同じ曲、ほとんど同じ演奏ではないか?」と思ったのでメモしておく。あるいは、これはポップス史の常識かもしれないが、私には大発見だったので、書いておくのである。

(追記)今さっき調べると、ヤフー知恵袋の記事があった。一部では有名だったようだ。

回答(2件)

新しい順
col********さん

2021/10/9 19:21

ブライアンウィルソンの自伝によりますと、意識して作曲したわけではないらしいです。
後にチャックベリーから著作権の要請があったそうですが、どういう訳か、作詞の権利までチャックベリーは貰っていたそうです。
この回答はいかがでしたか? リアクションしてみよう


なるほど



違反報告
ID絶賛大公開さん

2021/10/9 18:09

盗作でなく改作ですね。
こういうスレッドがあったので載せておく。
マニアの間では「幸せになりたい」は常識だったのだろう。内容を知りもしないで馬鹿にしていた私が馬鹿だっただけであった。

(以下引用)

ドラクエ11で「誰と一緒に結婚(同棲)したい?」でアンケート取った結果ww
2024 09 03 Tue 20:00 10
ドラクエ11
dq11_20211022112741331.jpg




1: 名無しさん 2024/09/02(月) 11:14:01.25 ID:VSXqqQwCd
Q.誰と結婚した(住んだ)?

カミュ 11295票
ベロニカ 3920票
セーニャ 5591票
シルビア 1027票
ロウ 879票
マルティナ 10857票
グレイグ 1048票
★エマ 3333票

https://game8.jp/dq11/162143



2: 名無しさん 2024/09/02(月) 11:16:47.20 ID:VSXqqQwCd
なんでこんなにエマは低いんや、、


3: 名無しさん 2024/09/02(月) 11:18:59.61 ID:9WQglmBN0
無印では強制だからみんな見てるからね


4: 名無しさん 2024/09/02(月) 11:20:25.38 ID:yqGZSEQM0
謎な力で結婚する
相手の気持ち考えない歴代最低の主人公だろあいつ


5: 名無しさん 2024/09/02(月) 11:21:02.68 ID:SmqcwiqZ0
普通にカミュ選んだけど?


6: 名無しさん 2024/09/02(月) 11:22:22.25 ID:eET2kZ+L0

エマにしたわ 声優好きだから


7: 名無しさん 2024/09/02(月) 11:23:08.27 ID:OmHt2u1qd
カミュ選んだやつはホ●なんか?


9: 名無しさん 2024/09/02(月) 11:23:20.06 ID:QX5p8Ffj0
ホ●ワラワラやん


10: 名無しさん 2024/09/02(月) 11:24:20.91 ID:1DurW5xs0
私よ!


11: 名無しさん 2024/09/02(月) 11:24:53.78 ID:k7+3HwVj0
ドラクエはホ●受けするんやな


12: 名無しさん 2024/09/02(月) 11:24:56.59 ID:cdkZVum9d
ベロニカ選ぶガチ犯罪者ww


14: 名無しさん 2024/09/02(月) 11:25:33.58 ID:T9ngP9qh0
>>12
実年齢は口リじゃないからセーフ


16: 名無しさん 2024/09/02(月) 11:26:01.56 ID:1lxJ/U1y0
エマや


17: 名無しさん 2024/09/02(月) 11:26:04.23 ID:hXA5v6LF0
ゴリアテ

(再掲載)

「幸せ」の形
「冒険の旅」には意外な出来事が付き物というか、意外な出来事が無いと「冒険の旅」ではないのだが、ドラクエ11は、様々な「隠れたイベント」があって、何周しても意外な出来事に出会うことがある。
昨日も、例によってだらだらと惰性的に決まりきったイベントを退屈しのぎにやっていたが、何の気なしに「ネルソンの迷宮」の第一段階をやり、その成功の褒美として、「幸せになりたい」という、これまで一度も願ったことのないものを選んだところ、「メンバー(「幼馴染」のエマ含む)の中で好きな相手と一緒にしてやる」というのが、その褒美で、かなり焦った。とりあえず、色気ナンバーワンのマルティナにするか、と思ったが、「それで本当にいいのか」とネルソンに聞かれ、「一緒に暮らす」相手として彼女が最善かどうか迷ったので、エロ方面ではなく、「一緒に暮らす」なら、可愛くて性格がいいセーニャがいいか、と考え直してセーニャに決定した。
「イシの村に行けば、家に彼女がいるぞ」と言われて、勇躍、家に帰ったところ、確かに家に彼女が「いた」。
だが、ここでネタバレになるが、「いる」だけなのである。夜になっても相手は「お休みなさい」と言うだけで、操作者(私)はひとりで寝るしかないのであるwww

さて、私は本当にそれで「幸せになった」のだろうか、大いに疑問である。


「感動ポルノ」という言葉は秀逸な言葉だと思うし、私もしばしば使うが、何が「感動ポルノ」に当たるのかという定義は見たことがないので、私が定義する。
それは「視聴者や読者を感動させる狙い」が最初からあざとく見え透いているドラマである。「JIN」の演出、具体的には背景となる風景の使い方や「感動シーン」での音楽の使い方にそれは明白だろう。俳優の大袈裟な表情、演技は言うまでもない。

一方、「感動的な作品」、あるいは「心から感動するドラマ」には、そういう「あざとさ」や「いやらしさ」が無いし、そもそもで言えば、作り手や書き手自身がそのドラマに感動しているからそれを作り、書いた、という作品だ。
「ハンター×ハンター」のキメラアントの王の死と、それを看取るコムギのシーンは、作者の富樫自身が感動して泣きながら描いたと思う。そうでないなら、彼は「芸術の悪魔」だ。

もちろん、その中間の作品も無数にあり、「感動ポルノ」と「感動作」を分類するのは容易ではなく、見る人の感性次第である。

ついでに言えば、私は「芸術の悪魔」を否定しているわけではない。芸術の天才はしばしば芸術の悪魔でもある。悪魔とは科学者的な冷徹さの謂である。人間を「高みから見下ろしている」わけだ。また、天才でなくても、映画やテレビドラマのような総合芸術だと、集まった才能の化合で傑作が生まれることもある。映画「第三の男」などがそれである。
書き手は大学教員らしい。つまり、文科省役人とは付き合いがあるわけだ。
まあ、文科省だけでなく、お役人出世パターンだろう。
で、こうした「安全最優先」思考自体は、役人としてむしろ美徳ではないか。冒険主義の役人など、怖いではないか。政治家には野党がいるが、お役所は縦組織だからトップにキチガイを置いたら最悪だろう。国民のカネを賭けて生きるか死ぬかのギャンブルをされてもなあwww

(以下引用)


@far_westQ
昔文科省の偉い人と飲んでた時になるほど~と思った話。

事務次官になるような人は「2勝0敗8回休み」くらいの人。その心は、
①負けないこと(明確な失敗をしないこと)が大事
②負けると思ったら勝負しない。休場する。
③勝ち数は少なくてもそれがいかに重要な業績であるかアピールする事が大事。

2024-12-08 06:35:18


@far_westQ
間違っても7勝3敗とか6勝4敗とかの人をトップにしないことが重要。打てば遠くまで飛ぶが、三振するリスクもあるような人を官僚組織のトップにしてはならないと。




第十一章 ヤクシー

「ヨゼフの爺さん、また妾を買う気か。もう五人もいるくせに」
マルスの後ろで忍び笑いをする声がした。マルスには、その言葉は分からなかったが、笑い声の感じで、それが老人の好色を笑う声だと見当がついた。
マルスは千ドラクマの値をつけた。
老人は怒ったような声を上げた。
「奴隷一人に千ドラクマなんてべらぼうだ」とでも言っているのだろう。
結局、その女奴隷は千ドラクマでマルスの手に落ちた。

周囲の好奇の目にさらされながら、マルスたちは奴隷の競り市を離れた。
女奴隷は大人しくマルスたちの後を付いて来る。どうせ自分の前には大した運命は待っていないと諦めきった顔である。
マルスたちが女奴隷を連れて帰ると、ロレンゾはさすがに驚いた顔をしたが、女の顔を興味深げに眺めて、言った。
「この女は高貴な生まれじゃな。かなり不幸な目にあったようだが、死なずにいてよかった。この女には他人には無い強い運命があるようだ」
ロレンゾが女に名前を聞くと、女は、ヤクシーと名乗った。
「ヤクシーじゃと?」
ロレンゾは驚いて問い直した。
マルスが、その名がどうしたのか、と聞くと、ロレンゾは答えた。
「ヤクシーは、古代の神の一人じゃ。まあ、偶然にその名をつけたのかもしれんがな」
「どんな神様だい?」
ピエールが聞いた。
「……魔神じゃよ。争闘と復讐の神じゃ。もっとも、母性の神でもあるがな。矛盾した心を持った神じゃな」
「女ってのはみんなそうさ。虫も殺さねえ顔して、結構残酷な事をするもんさ」
「なかなかうがった事を言うの。よほど女にひどい目にあったと見える」
「みんなひどい事言うのね。この人はそんな人じゃないわ。顔を見れば分かるでしょう」
マチルダが怒って言った。
 ヤクシーは、自分が召使にされるわけでも、誰かの妾にされるわけでもない事に戸惑っているようだった。
「ところで、お主らが取ってきた、あの光輝の書だがな、あの中になかなか面白い事が書いてあったぞ。普通の剣を魔法の剣に作り変える秘法じゃ」
「魔法の剣ですって?」
「うむ、別名、大天使ミカエルの剣じゃ。ミカエルは、昔から、悪魔と戦う者の象徴となっている。この剣を以てすれば、あるいはダイモンの指輪無しでも、悪魔と戦うことが出来るかもしれん」
「それは簡単に作れるのですか?」
「簡単ではないよ。剣に呪文を彫り、七日間の清めの儀式をしなければならん。そのためには、太陽の香料も手に入れねばならん」
「太陽の香料とは?」
「それを作るにもまた、秘法があるのさ。まあ、それはわしに任せておけ。お主らは、何とかして宮殿に忍び込んで、賢者の書を探してみるのだ。賢者の書があれば、悪魔と戦うには一番確実だからな」
 ロレンゾは、翌日、魔法の剣を作るために、近くの山の山頂に行ってしまったので、マルスたちはその間に宮殿に忍び込む計画を立てた。
「宮殿に入るのに一番いいのは、正面から行くことだな」
ピエールが言った。
「どんな風にして?」
マルスが尋ねると、ピエールが言いにくそうに言った。
「ヤクシーを領主のザイードに献上する、という名目で宮殿に入るんだ」
「それは駄目よ。ヤクシーが危いわ」
マチルダが言った。
「なんなら、あんたでもいいんだが……」
ピエールがマルスの顔色を窺いながら続けた。
「なんて事をいうんだ。マチルダにそんな事がさせられるもんか」
マルスは大声で言った。マチルダはそれを押し止めて、言う。
「私でいいならやるわ。私だってヤクシーほどじゃないけど、美人でしょう?」
「あんたなら、ザイードは涎を流して欲しがるよ。だが、危険だぜ」
「大丈夫よ。マルスも一緒なんだもん。私が危なくなったら助けてくれるんでしょう?」
マルスは考え込んだ。マチルダを女奴隷として献上するというのは危険すぎるが、しかし自分たちの目の届かない所に女二人だけで残すのも不安である。かえって、近くにいるだけこの案の方がいいのかもしれない。
「よし、それで行くことにしよう。しかし、危なくなったら、僕たちには構わず逃げるんだよ」
「馬鹿ね。女だけで逃げられるわけないじゃない。もしも、貞操を奪われそうになったら、死ぬわ。どう、こんなに思われて嬉しいでしょう、マルス」
マルスは、マチルダの冗談にも何と答えていいか分からなかったが、目頭が熱くなるのを感じるのであった。
 ヤクシーはマチルダに説明されて、事情を理解したようだが、どの程度分かっているのか、にっこり笑ってうなずくだけであった。



私の別ブログから転載。
私はよく自分のブログの過去記事を読むのだが、「実にいいことを言っているなあ」と我ながら感心することがしばしばであるwww

ここに書いていることは、「徒然草」の中で吉田兼好も似たことを言っている。
「人に向かって話す時、我々はそれを相手がどう聞くかを考えて、言葉が自分の思いそのままではない」ということだ。我々が「本当の自分」であるのは孤独な時だけである。


(以下引用)

孤独であることの意義

            思想、思想の断片、考えるヒント 2024年07月04日


市民図書館から借りる本の中で、私は子供向けの本を借りることがよくある。ここで紹介するのは「学研まんがNEW世界の歴史」の「6 ルネサンスと大航海時代」である。特に、この巻のまんがを描いた「城爪草」という人の絵が素晴らしい。かなりリアリズム寄りの漫画で、劇画に近いが、劇画のような「線の乱暴さ」は無い。端正である。中でも、「ルネサンスと三大巨匠」の回は、漫画の中でダビンチ(本の中ではレオナルド。まあ、ダ・ヴィンチとは、「ヴィンチ村の」の意味だろうが、「ダビンチ」としておく)、ミケランジェロ、ラファエロの作品を描いていて、それが素晴らしい画力である。もちろん、漫画の一部としての絵画や彫刻なのだが、実物の印象を見事に表現しているのである。この巻を子供のころに見ることができた人は幸せだ。
なお、この本の中に、ダビンチの言葉が書かれていて、それは

「家は孤独でなければならない。なぜなら、ひとりなら完全に自分自身になることができるからだ。たったひとりの道づれでもいれば、半分しか自分ではなくなる」

というもので、これは芸術家を志す者、芸術的完成を生涯の目標とする者にとっての金言であるだけでなく、ごく普通の「結婚できない人間」への金言でもある。つまり、孤独であることは不幸でも何でもない、むしろ、「常に自分自身でいられる」恵まれた状態だ、ということだ。
念のために言えば、私は結婚していて、それを後悔したことはない。しかし、孤独も愛している。

坂口安吾が小林秀雄との対談で、万葉集を引き合いに出して、「芸術は時代的に(その時代の正道に従うことで)完成することで、他の時代にも通用する価値を持つ」ということを言っていて、卓見だな、と思う。なるほど、それが古典がいつの時代にも高い価値があるという秘密か、という気づきである。その反対の例が「梅原龍三郎」で、坂口は彼の絵を邪道だと言っているが、実際、今ではもはや梅原龍三郎の絵に高い芸術的価値があると思うのは田舎の時代遅れの成金だけだろう。
つまり、「ゴッホの物まねで富士山を描く」というお手軽な話題性を作り、一世を風靡したが、あっと言う間に価値を失ったわけだ。これは梅原龍三郎がもてはやされていた頃の対談だけに、坂口の目は小林秀雄(「梅原は天才だ」と擁護発言をしている)よりはるかに透徹している。小林は文学鑑識眼はあっても、美術の鑑識眼は貧弱だったようだ。彼が骨董に凝って集めた骨董品のほとんどが偽物だったという話がある。

ただし、現代のように「何でもあり」の時代だと、「芸術の正道」は無く、「時代的完成」は存在しない、とも言えそうである。つまり、現代の芸術品は「永遠の古典」にはならないわけだ。



第十章 奴隷市

 マルスたちはダンガルの町の中を歩き回って宮殿と寺院の警備の様子を調べたが、やはり宮殿の警護は厳しく、中に忍び込むのは難しいようである。
「ロレンゾ殿は、姿を消す術をお持ちのはずだが、それで宮殿に忍び込まれてはどうでしょう」
マルスはロレンゾとの最初の出会いの時、彼が目の前で消えたのを思い出して言った。
「あれは催眠術じゃよ。お前を瞬間に眠らせて、その間に立ち去っただけだ。お前を少し驚かせてやろうと思っての。相手が一人なら出来るが、何人もの警備兵を相手には難しい。それに、盗みならピエールの領分じゃ」
ロレンゾはあっさり言った。マルスには、ロレンゾが力の出し惜しみをしているように思えたが、それ以上は言えず、引っ込んだ。
「まあ、物事は簡単な事からやるのがいいものじゃ。寺院は警護はほとんどないし、そこに賢者の書があるならそれに越したことはない」
ロレンゾの言葉で、マルスとピエールは寺院に忍び込むことにした。
「賢者の書の特徴は?」
マルスはロレンゾに聞いた。
「分からんな。だが、お前の瑪瑙のペンダントが教えてくれるのではないかな」
夕暮れを待って、マルスとピエールは寺院に忍び込んだ。人の気力が減退し、集中力のゆるむ時刻である。
 寺院に参詣する人々の数も減り、黄色の僧服を着た僧侶たちは、夕べの祈りのために寺院の大広間に集まっている。
 ピエールが先導して、寺院の奥の部屋に進む。長い間の盗賊生活で、獲物のありそうな場所は直感が働くのである。
「この部屋が怪しいな」
ピエールの言った部屋に入ると、なるほど、そこが図書室であった。 
しかし、膨大な書物の中から、どうやって一冊の本を探せばいいのか。
途方に暮れながら、マルスは本棚の間を歩き回った。やがて日がすっかり暮れて、あたりは闇に包まれ始める。
「おい、こう暗くなっちゃあ、探すどころじゃないぜ」
ピエールはいらいらと言ったが、マルスは、せめて本棚の最後の場所まで歩いてみようと思って、それには答えなかった。
 とうとう最後の本棚に来た時には、マルスもすっかり諦めかけていたが、その時、マルスのペンダントが闇の中で、かすかに白く輝き出したのであった。
 マルスはその本棚の前に立って、並んだ本の前にペンダントをかざしながらゆっくりと動かしていった。
 一冊の本の前で、ペンダントは一際明るくなった。
「これだ!」
マルスはその本を棚から抜き出した。
本にはずいぶん埃が積もっていた。このあたりの本は、ずいぶん長い間、ほとんど見向きもされていなかったのだろう。
マルスとピエールは、探し出した本を持って、寺院を抜け出した。
ロレンゾとマチルダの待つ宿屋に戻ると、ロレンゾは待ち兼ねたように本を手に取ってめくりはじめた。
やがて、その顔に失望の表情が浮かんだ。
「これではない。これも確かに珍しい、貴重な魔法の書物だが、これにはダイモンの指輪の呪文は載っていない。詳しく読んでみないとはっきりしたことは分からんが、これではなさそうだ。だが、これも十分に役には立つ。わしも知らないような魔法の呪文が沢山載っている。少し、研究してみよう」
 ロレンゾがその本「光輝の書」を読んでいる間、マルスたちは御用済みということで、ダンガルの町中をのんびりと見物し歩くことになったのであった。 

 ダンガルの町には、あちこちから商人が集まってきていて、様々な取引が行われている。
 中でも目を引くのは、奴隷の売買である。男は頑健さ、女は美貌によって値段がつけられている。奴隷の多くは黒人だが、白人奴隷や黄色や褐色の肌の奴隷も混じっている。
「この男は体は普通だが、算術ができるし、字が読める。差配人として重宝するぞ。この優秀な奴隷をたった百ドラクマでどうだ」
「この女は戦争で負けたパーリ族の皇女だ。見ろ、この美しさ、今すぐ女房にするのもいいし、召使、妾、なんでもいいぞ。こんな美女がたった五百ドラクマだ。誰か買う者はいないか」
 人間が牛や馬並みに扱われ、売買されていく有様を、マルスたちは痛ましい思いで眺めていた。
「マルス、あの人を買って」
マチルダが言ったのは、奴隷商が、これはパーリ族の皇女だと言った娘である。年の頃は二十くらいだろうか。確かに、毅然とした態度には風格があり、顔も美しい。おそらく、戦に負けた後、さんざんに男たちの慰み者になってきたのだろうが、そんな気配は微塵も無い。
マルスはマチルダの意図を測りかねて、その顔を見た。マチルダは悲しげな目で、奴隷女を見つめている。単に、この薄倖の皇女への同情心から、そう言ったものらしい。
マルスは手を上げて、買う意思を示した。しかし、その後から六十くらいのグリセリード人の老人が手を上げて、六百ドラクマの値をつけた。



つまらない、つまらないと悪口を言いながら、「JIN」を「批判するネタ」つまり「思考ネタ」として見続けているが、だいたい、不愉快で気分が悪くなるので15分かそこらで視聴中止することが多い。
特に不愉快なのが、JINが冒険的医療行為をする時に「決めゼリフ」として使う「神は乗り越えられる試練しか与えない」というモットーである。

これは、その冒険の結果が自分だけに跳ね返るならば、使ってもいいし信じてもいいだろう。
しかし、医療行為では「生と死の境目」にあるのは患者なのであり、試練は医者(医療が失敗しても死なない。ドラマではなく現実では汚名すらほとんど着ることもない)ではなく、患者(脳外科手術が失敗したら死ぬ)に与えられているのである。つまり、非常に無責任なごまかしだ。
ついでに言えば、現代社会で「神」を信じている人間は稀だろう。神がいるなら、なぜ地上にはこれほど多くの悪がはびこっているのか。
で、JINがキリスト教やユダヤ教やマホメット教や神道の信者であるという描写はひとつも無い。その人間が「神」を自分の冒険行為の引き合いに出すのはおかしくないか。

だが、多くの視聴者は、この「決めゼリフ」に感動するのだろうなあwww

ちなみに、今回の話では、JINが吉原の主人の脳血栓の手術をするのだが、その血栓の場所も分からずあてずっぽうでやるのである。しかも、その手術の成否に花魁が嫌な客に身を任せるかどうかもかかっていて、JINがその困難でほとんど成功不可能な手術をする理由は(花魁の頼みを断って花魁に嫌われる可能性以外)ほとんど無いし、この手術が失敗したときの多くの人間のダメージは非常に大きく、ほとんど無意味な手術だとすら言える。まあ、成功可能性が1%でもあれば手術をお願いしたいと患者の妻が言えば別だが、その妻も手術に大反対で、患者は当然意識不明だから意志を示すことはできないのである。
こうした絶対的悪条件の中で「奇跡的に手術が成功する」ことで感動させようというのが、この種のドラマのワンパターンだ。だが、宝くじが当たることに全財産を賭けるのは「感動できる」行為か?

まあ、冒険性とドラマ性は物語の常道だが、話が「医療ドラマ」だと、上に書いたようなおかしなドラマになりがちなのだろう。

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