ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「それ町」で、しばらく飼った海老に情が移って料理するのに反対した弟に、海老は食うためのものだ、と教える歩鳥に対し、「じゃあ、なぜジョセフィーヌ(飼い犬)は食べないんだ」と賢い弟が反論すると、歩鳥が言葉に詰まって「あ、あれは非常食だ」と答える場面がある。それでジョセフィーヌはショックを受けるわけだが、ペットは食えないが牛や豚は食える、というのも変な話ではある。
まあ、美味いか不味いかという問題も関係するか。あるいは肉の量の問題もありそうだ。牛や豚は気の毒に、ちょうどいい味や肉の量があるわけだ。鶏は大量飼育でカバーできる。
犬や猫は育てるコストと肉の味や量が引き合わないのだろう。
(以下引用)
文春オンライン
「バカは殺してもいいということですか」“賢い動物は食べてはいけない”と考える女性を黙らせた鴻上尚史の言葉
鴻上 尚史 2022/09/19 06:10
26 コメント
|
154
台風14号 史上最強クラスで上陸か
“ガーターベルト”装着…王林、あらわな太ももに「色気が半端ない」「攻めてる!」と…
「だって、犬は賢いでしょ!」――海外の犬食文化に明らかな嫌悪感を示した女性。大騒ぎする彼女を黙らせた鴻上尚史氏の言葉とは?
鴻上氏が週刊SPA!で連載した「ドン・キホーテのピアス」から、選りすぐりのエッセーを集めた『 人間ってなんだ 』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/ 後編 を読む)
犬食文化に驚く女性と出会った鴻上尚史氏のエッセーをお届け。 ©文藝春秋© 文春オンライン 犬食文化に驚く女性と出会った鴻上尚史氏のエッセーをお届け。 ©文藝春秋
◆◆◆
牛は食えるか、犬は食えないか?
『もの食う人びと』(共同通信社)がベストセラーになっている作家の辺見庸(へんみ・よう)さんにお会いしました。『もの食う人びと』は、世界中のさまざまな食い物を、まさに、「食う」という視点のみからルポした内容なのです。
この本があんまり面白かったので、いろんな質問をさせていただきました。
今までで、食べた物の中で、一番、美味しかったのはなんですかという質問に、「ピョンヤンで食べた犬料理ですね」と辺見さんは答えられました。
と、横にいた女性が、「ぎゃあー! いぬうううぅぅ!?」
と、絶妙のタイミングで、絶叫しました。
そういう反応に辺見さんは慣れているらしく、「ええ、犬料理です。サイゴンで食った犬料理は、だめでしたね。犬鍋なんですけど、手とか足とか毛がついたまま、そのままの形で、入ってるんですよ。でも、ピョンヤンの犬料理は、丁寧に身をほぐしていて、絶品でした」と、穏やかに答えられました。
僕達は、食事をしながら、この会話をしていたのですが、再び、さっきの女性が、「ぎゃあー! やめてやめてやめてやめてええぇぇぇ!」と、叫びました。
と、同席していた年配の男性が、「日本だって、ついこの間までは、犬を食べてましたもんねえ」と、牛のステーキを口に運びながら、当然のように答えました。
「ぎゃあー! うそうそうそうそ! 信じらんないないないいぃぃぃ!」と、また、間髪入れずに、女性が叫びました。
で、食事の席は、何故、犬を食うことが信じられないのかという話になり、女性が、当然のように、だって、かわいそうじゃないのと答え、じゃあ、牛はかわいそうじゃないのかとなり、だって、犬は牛とは違うでしょうという反応が返り、とんでもない、牧場で子供の頃から育ててきた肉牛が出荷される時、牧場の子供は、泣きながら抵抗して、僕はもう一生、牛を食べないと親に叫んで、1週間、肉断ちをするのだけれど、やっぱり、ステーキの魅力にまけて、泣きながら肉を食って、「ああ、これが、人生なんだ」と悟るのだという話になりました。
「だって、犬は賢いでしょ!」
それでも、叫んでいた女性は、だって、牛は放牧されていて、犬は違うでしょうと言うと、辺見さんが、「ええ、ピョンヤンの犬も料理人が言うには、街を歩いている犬じゃなくて、養殖している犬だということです」と、おっとり答えられ、はたして、犬を養殖というのかと、話はずれ始め、放牧に対抗して放犬はどうだろうとか、養豚に対抗して養犬はどうだろう、しかし養犬というとなんだか犬好きのボランティアが年老いた犬を養っているようなイメージを受けるなあと話がどんどんずれ始めた時に、女性が、「だって、犬は賢いでしょ!」と叫びました。
ここで、話はぴたっと止まりました。
僕がゆっくりと、ということは、バカは殺してもいいということですかと質問しました。
女性は、いえ、そんな意味じゃなくて……と口ごもりました。
鯨を食うことも野蛮人という欧米の発想は、まさに、この一点に集約されるわけで、鯨は賢いとかイルカは知能が高いとかいうのは、逆に言えば、牛や豚や鶏はバカだから殺して食うのは当然ですということになるのです。
僕は、鯨を食って何が悪い、それが日本の文化であると、ずっと思っているのですが、欧米の論法で、だって、牛や豚は食肉用に飼われているのですからというのがあります。だったら、鯨も食肉用に飼えばいいんだなということになるわけで、日本人の技術をなめるんじゃねえ、それでいいのなら日本人は鯨の養殖技術を開発するぞと思っています。
ま、確かに、僕だって、犬を食うと聞くと、うっとなりますが、しかし、それが何故なんだろうと考えるのが知性というやつで、こういうすべてが見えにくい時代になればなるほど、感情判断と知性判断は分けたいと思うわけです。
『愛について、東京』という柳町光男(やなぎまち・みつお)監督の映画では、食肉牛がまさに殺されるシーンが繰り返し出てきますが(その瞬間、何故か牛の目が涙で潤むのです)、このシーンを見ると、犬はかわいそうで牛はかわいそうじゃないというのは、まさに、気分でしかないと分かります。
欧米の倫理観を刷り込まれていないか?
で、考えれば考えるほど、犬料理をうっと思うのは、欧米の倫理観を刷り込まれた結果なんだという結論に達するのです。
ソウルオリンピックの時に、韓国政府が犬料理店を大通りから移転させ、隠しまくったのも、これまた欧米の倫理観の反映となるわけです。
何を言っているんだ、勝てば官軍、負ければ賊軍、あなたがたは、文化的にイギリスやアメリカに負けているんだから、アメリカ、イギリスがこれは野蛮人のやることと決めることに反対する力はないの、牛を食うのは紳士で犬や鯨を食うのは未開人なの、アンダスタン?と言われれば、これはもう分かりやすくていいんですけどね。
じつは、辺見さんと話して、一番、面白かったのは、人肉食のことでした。
人肉食の問題は、いつも、倫理とか飢餓とか極限状態とか愛とかのセットで語られます。
そうではなくて、美味しいかまずいかという「食う」視点で語ることが、なぜタブーなのかを解明する手がかりになるかもしれないということです。世界には、美味しいから人間を食ったとしか考えられない事例がたくさんあるのです。
(1994年11月)
〈画像あり〉「子供を産めない人を傷つけて平気なのか!」Twitterが大バズリした鴻上尚史を襲った「香ばしいリプライ」の数々 へ続く
(鴻上 尚史)
まあ、美味いか不味いかという問題も関係するか。あるいは肉の量の問題もありそうだ。牛や豚は気の毒に、ちょうどいい味や肉の量があるわけだ。鶏は大量飼育でカバーできる。
犬や猫は育てるコストと肉の味や量が引き合わないのだろう。
(以下引用)
文春オンライン
「バカは殺してもいいということですか」“賢い動物は食べてはいけない”と考える女性を黙らせた鴻上尚史の言葉
鴻上 尚史 2022/09/19 06:10
26 コメント
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台風14号 史上最強クラスで上陸か
“ガーターベルト”装着…王林、あらわな太ももに「色気が半端ない」「攻めてる!」と…
「だって、犬は賢いでしょ!」――海外の犬食文化に明らかな嫌悪感を示した女性。大騒ぎする彼女を黙らせた鴻上尚史氏の言葉とは?
鴻上氏が週刊SPA!で連載した「ドン・キホーテのピアス」から、選りすぐりのエッセーを集めた『 人間ってなんだ 』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/ 後編 を読む)
犬食文化に驚く女性と出会った鴻上尚史氏のエッセーをお届け。 ©文藝春秋© 文春オンライン 犬食文化に驚く女性と出会った鴻上尚史氏のエッセーをお届け。 ©文藝春秋
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牛は食えるか、犬は食えないか?
『もの食う人びと』(共同通信社)がベストセラーになっている作家の辺見庸(へんみ・よう)さんにお会いしました。『もの食う人びと』は、世界中のさまざまな食い物を、まさに、「食う」という視点のみからルポした内容なのです。
この本があんまり面白かったので、いろんな質問をさせていただきました。
今までで、食べた物の中で、一番、美味しかったのはなんですかという質問に、「ピョンヤンで食べた犬料理ですね」と辺見さんは答えられました。
と、横にいた女性が、「ぎゃあー! いぬうううぅぅ!?」
と、絶妙のタイミングで、絶叫しました。
そういう反応に辺見さんは慣れているらしく、「ええ、犬料理です。サイゴンで食った犬料理は、だめでしたね。犬鍋なんですけど、手とか足とか毛がついたまま、そのままの形で、入ってるんですよ。でも、ピョンヤンの犬料理は、丁寧に身をほぐしていて、絶品でした」と、穏やかに答えられました。
僕達は、食事をしながら、この会話をしていたのですが、再び、さっきの女性が、「ぎゃあー! やめてやめてやめてやめてええぇぇぇ!」と、叫びました。
と、同席していた年配の男性が、「日本だって、ついこの間までは、犬を食べてましたもんねえ」と、牛のステーキを口に運びながら、当然のように答えました。
「ぎゃあー! うそうそうそうそ! 信じらんないないないいぃぃぃ!」と、また、間髪入れずに、女性が叫びました。
で、食事の席は、何故、犬を食うことが信じられないのかという話になり、女性が、当然のように、だって、かわいそうじゃないのと答え、じゃあ、牛はかわいそうじゃないのかとなり、だって、犬は牛とは違うでしょうという反応が返り、とんでもない、牧場で子供の頃から育ててきた肉牛が出荷される時、牧場の子供は、泣きながら抵抗して、僕はもう一生、牛を食べないと親に叫んで、1週間、肉断ちをするのだけれど、やっぱり、ステーキの魅力にまけて、泣きながら肉を食って、「ああ、これが、人生なんだ」と悟るのだという話になりました。
「だって、犬は賢いでしょ!」
それでも、叫んでいた女性は、だって、牛は放牧されていて、犬は違うでしょうと言うと、辺見さんが、「ええ、ピョンヤンの犬も料理人が言うには、街を歩いている犬じゃなくて、養殖している犬だということです」と、おっとり答えられ、はたして、犬を養殖というのかと、話はずれ始め、放牧に対抗して放犬はどうだろうとか、養豚に対抗して養犬はどうだろう、しかし養犬というとなんだか犬好きのボランティアが年老いた犬を養っているようなイメージを受けるなあと話がどんどんずれ始めた時に、女性が、「だって、犬は賢いでしょ!」と叫びました。
ここで、話はぴたっと止まりました。
僕がゆっくりと、ということは、バカは殺してもいいということですかと質問しました。
女性は、いえ、そんな意味じゃなくて……と口ごもりました。
鯨を食うことも野蛮人という欧米の発想は、まさに、この一点に集約されるわけで、鯨は賢いとかイルカは知能が高いとかいうのは、逆に言えば、牛や豚や鶏はバカだから殺して食うのは当然ですということになるのです。
僕は、鯨を食って何が悪い、それが日本の文化であると、ずっと思っているのですが、欧米の論法で、だって、牛や豚は食肉用に飼われているのですからというのがあります。だったら、鯨も食肉用に飼えばいいんだなということになるわけで、日本人の技術をなめるんじゃねえ、それでいいのなら日本人は鯨の養殖技術を開発するぞと思っています。
ま、確かに、僕だって、犬を食うと聞くと、うっとなりますが、しかし、それが何故なんだろうと考えるのが知性というやつで、こういうすべてが見えにくい時代になればなるほど、感情判断と知性判断は分けたいと思うわけです。
『愛について、東京』という柳町光男(やなぎまち・みつお)監督の映画では、食肉牛がまさに殺されるシーンが繰り返し出てきますが(その瞬間、何故か牛の目が涙で潤むのです)、このシーンを見ると、犬はかわいそうで牛はかわいそうじゃないというのは、まさに、気分でしかないと分かります。
欧米の倫理観を刷り込まれていないか?
で、考えれば考えるほど、犬料理をうっと思うのは、欧米の倫理観を刷り込まれた結果なんだという結論に達するのです。
ソウルオリンピックの時に、韓国政府が犬料理店を大通りから移転させ、隠しまくったのも、これまた欧米の倫理観の反映となるわけです。
何を言っているんだ、勝てば官軍、負ければ賊軍、あなたがたは、文化的にイギリスやアメリカに負けているんだから、アメリカ、イギリスがこれは野蛮人のやることと決めることに反対する力はないの、牛を食うのは紳士で犬や鯨を食うのは未開人なの、アンダスタン?と言われれば、これはもう分かりやすくていいんですけどね。
じつは、辺見さんと話して、一番、面白かったのは、人肉食のことでした。
人肉食の問題は、いつも、倫理とか飢餓とか極限状態とか愛とかのセットで語られます。
そうではなくて、美味しいかまずいかという「食う」視点で語ることが、なぜタブーなのかを解明する手がかりになるかもしれないということです。世界には、美味しいから人間を食ったとしか考えられない事例がたくさんあるのです。
(1994年11月)
〈画像あり〉「子供を産めない人を傷つけて平気なのか!」Twitterが大バズリした鴻上尚史を襲った「香ばしいリプライ」の数々 へ続く
(鴻上 尚史)
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