もちろん、チーム内の不祥事などが発端ではあっただろうが、学校経営陣の中心人物が野球に関心が無かったのではないか。だからこそ、監督不在で夏季予選を戦うという異常な事態も起こったのである。
その夏季予選で、選手たちだけの力で決勝までコマを進めたところに名門校の底力を感じるし、現野球部員の野球への情熱を感じるのだが、このこともPL経営陣の心を全く動かさなかったようだ。
だが、野球部の無いPL学園になど、誰が魅力を感じるだろうか。PL教団という新興宗教がどの程度の信者数を持っているのかは知らないが、私に言わせれば、PL学園が野球部新入部員の募集を停止したことは馬鹿げた判断であり、数年後には学園そのものが経営危機に陥るのではないか、という予感がする。
(以下引用)
一時代築いた名門が…PL廃部危機 新入部員の募集停止
85年、夏の甲子園で優勝し、握手を交わす桑田(左)と清原 Photo By スポニチ |
甲子園大会で春3度、夏4度の優勝を果たしたPL学園(大阪)が来年度に入学する野球部員の受け入れを行わないことが11日、分かった。同校野球部は実質的な監督不在が続いている。再来年度以降に受け入れを再開するかどうかも未定で、高校球界で一時代を築いた名門野球部が存続の危機に立たされることになった。
同校の渉外課によると、学校の理事会で決まり、既に小野久彦・学校法人ピーエル学園理事長、正井一真校長の連名で在校生の保護者へ「硬式野球部の活動について」と題された文書で9日に送付された。
6年ぶりの甲子園出場を目指す選手はこの日、大阪府富田林市内の同校グラウンドで、来春センバツの出場校を決めるための重要な資料となる秋季近畿大会(18日開幕、わかさスタジアム京都)に向けて練習した。正門では警備員が報道陣の出入りを制限し、監督を兼任する正井校長は対応しなかった。
PL学園は寮内で上級生が下級生に暴力を振るったとして昨年2月から6カ月間の対外試合禁止処分を受け、当時の監督が退任。野球指導が可能な後任監督が決まらず、昨秋の近畿大会から未経験の正井校長が監督登録でベンチ入りする状態が続いている。混迷の度を深めていたことで、現在、2年生部員は21人、1年生部員は13人。全盛期からは部員が減少傾向にはあるが、今夏の大阪大会は選手がサインを出して勝ち進み、決勝で全国制覇した大阪桐蔭に敗れていた。
▼PL学園硬式野球部 1956年(昭31)創部。大阪府富田林市。62年春に甲子園初出場し8強。70年代後半からは甲子園の常連校となり、清原和博と桑田真澄の「KKコンビ」を擁した83、85年夏や、立浪和義、片岡篤史、野村弘樹らを中心に87年に史上4校目の春夏連覇を飾るなど春3度、夏4度の全国制覇。甲子園には春夏計37度出場し、通算96勝(30敗)は歴代2位タイ。プロ野球選手を多数、輩出しており、現役では松井稼(楽)、福留(神)、前田健(広)らがいる。