ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「ライブドアニュース」の書評記事がタイムリーなので、転載しておく。なかなか面白いエピソードが入っている。
ただ、私は鳥谷は1番打者向きだと思う。その理由は、何と言っても選球眼が良く、出塁率が高いことだ。四球で塁に出るのはヒットで出るのと同じ価値である、というのがビリー・ビーン(「マネー・ボール」の主人公的人物)の考えで、実際にその考えで彼はアスレチックスを「低給与で勝てるチーム」に変えたのである。
また、鳥谷は「ここぞ」という時の盗塁の成功率が高い。盗塁数は多くないが、試合を決める場面で大胆な盗塁をしたのを私は数回見ている。これはただ盗塁数が多いだけよりも大事なことだと私は考えている。
つまり、彼は「静かなる男」ではあるが、個人成績のためではなく、チームが勝つためにプレーする、という、プロ野球選手においては稀有な性格を持った人間だ、と私は感じている。他の選手の「フォア・ザ・チーム」など口ばかりであり、本音では自分の年俸アップの事しか頭には無い人間がほとんどだろう。
井端も鳥谷に似ている。そういう選手がいるチームはしぶとい強さがあるものだが、昨年の阪神のあの惨状は、いったい何だったのだろうか。
(以下引用)
頼りになる2番打者、井端弘和の強さの秘密
エキサイトレビュー
2013年03月15日11時00分
写真拡大
『2番打者論』(赤坂英一/PHP研究所) ホームランが打てなくても、打率が上がらなくても、チームに貢献する方法はある。井端弘和、田中浩康、本多雄一、栗山巧、豊田泰光、新井宏昌、川相昌弘、田口壮……彼ら2番打者の矜持に迫りながら、2番打者を通じて野球の面白さを再発見するノンフィクション。
「プロに入ってからホームランを打って殴られたのなんて、ぼくぐらいじゃないですか」
赤坂英一著『2番打者論』の冒頭で登場するこの言葉。発言の主はWBC日本代表・井端弘和(中日)だ。
その意味は後ほど改めて記すとして、ここまでのWBCを振り返ると、何度もピンチを迎えながらも決勝ラウンドへと勝ち上がった日本の立役者は、東京ラウンドMVPにも選ばれた井端弘和で間違いないだろう。
1次ラウンド・ブラジル戦での同点タイムリー。そして2次ラウンド・台湾戦での9回2死からの同点タイムリーがなければ……と考えると恐ろしくなる。打率.571、漫画のような成績に、山本浩二監督も「粘ってタイムリーを打ってくれた井端は、さすがですね」と頼りにしっぱなしだ。
井端弘和とはどんな選手か。
堅守、アライバ、ファウル打ち、勝負強さ……様々なキーワードが浮かぶが、「頼りになる2番打者」というのも外せないワードだ。ここまでのWBCでは3番だったり代打だったりと試合毎に役割が変わっているが、台湾戦の様に2番に井端の名前があるとやっぱり据わりがいい。
実際、プロ入り後出場した1611試合のうち、2番で出場した試合は1400を上まわる。現役生活15年のほとんどを2番打者として過ごしてきているのだ。
井端がどのような足跡を経て「頼りになる2番打者」になりえたのか、そして何を考えて打席に立っているのか……それらが端的に記されている『2番打者論』を引きながら、日本優勝へのキーマン・井端弘和の魅力を掘り下げて行きたい。
【井端を育てた2人の師:仁村徹】
「目立つ存在でなくてもいいから、渋い働きでチームに貢献できる選手になりたいです」
1997年、ドラフト5位で入団した際に井端が発したコメントだ。ドラフト順位からもわかる通り、大きな期待をされた選手ではなかった。
そんな井端を「鍛え方次第で優れた2番打者になるかもしれない」と目をかけたのが、当時の中日二軍監督・仁村徹。自身も2番打者として職人技とも言える流し打ちを得意としていた仁村は、その右打ち、そして送りバントなど、自分の持っている2番打者としてのイロハを井端に教え込んでいく。
そしてこの仁村こそ、冒頭でも触れた、井端をぶん殴った張本人である。井端がある試合でホームランを打ち、喜んでベンチに戻ったとき、ベンチ裏に井端を呼んで思いっきり殴ったのだ。
「必死になって身につけている2番打者としての技術をおざなりにするんじゃない。(略)いま好き勝手にバットを振り回していたら、これまでやってきたことがすべて無駄になってしまうんだぞ。そのあげく、せいぜい控えの守備要員で終わってもいいのか」
仁村の拳にはそういう教えがこもっていたと井端は思ったという。
果たして、WBC初戦・ブラジル戦で井端が見せた、ライト前への同点タイムリー。
このヒットを日本中で一番喜んだのは、仁村だったに違いない。
【井端を育てた2人の師:落合博満】
「今日は井端のサードゴロが一番の収穫といえば、収穫だな。意味? ああ、君たちはわからなくて結構」
マスコミ泣かせで有名だった落合博満・前中日監督。記者を煙に巻く様々な発言を残しているが、その最たる例が上記のコメントになる。
2004年の監督就任後、落合は井端に「おれが右打ちしろというサインを出さない限り、右打ちはするな。チャンスのときは4番になったつもりでいけ」という指示を送る。
当時井端はキャリア7年目。既に実績を残していたからこそ右打ちの癖がなかなか抜けなかった。そして右方向へ打球を放つと、それがヒットであってもアウトであってもベンチに戻るたび、「なんであっちに打ったんだ?」と監督から問いつめられたという。
そんな試行錯誤を繰り返す中、サードゴロで凡退した井端に向けられたのが上述したコメント。右打ちを意識するあまりインコースでも右方向へ打っていた井端が、ようやく左方向に打つことができた「サードゴロ」だったからだ。
落合監督の真意について、井端自身が次のように述べている。
「右打ちしなければならない条件のある場面では、そういう2番の仕事をしなければいけない。でも、それ以外の場面だったら、左へ引っ張ったほうがいいこともある。チャンスも膨らむし、点も入る」
「それまでは右へ打たなきゃという意識が強過ぎたあまり、インコースの球でも右方向へ打とうとしていました。そういう癖がまだなかなか抜けないでいた時期に、あの打席ではセカンドゴロではなくサードゴロを打つことができた。(略)落合さんに教えられた打撃ができるようになっていたわけですね。こういうことを続けて行けば、自分もチームも、次の段階へ進んでいける」
こうして2番打者として一皮むけた井端が、台湾戦9回ツーアウトから放った左中間への同点タイムリー。落合氏の不敵な笑みが浮かぶようだ。
【受け継がれる「2番」の系譜】
「いろんなものが若い人に受け継がれて、その時代にふさわし2番打者像をつくっていくということでしょう。ぼくも現役のころにはいろんな選手にいろんな話を聞かされましたから」
バントの名人にして、現在は巨人の一軍ヘッドコーチとして新たな2番打者を育てようとする川相昌弘の言葉だ。
本書では井端の他にも上述した川相、臨機応変に攻撃を組み立てた新井宏昌(元近鉄)、日米で2番を務めた田口壮(元オリックス)、強打の2番として恐れられた豊田泰光(元西鉄)など、歴史に名を馳せた「ザ・2番打者」が次々に登場する。さらには田中浩康(ヤクルト)、本多雄一(ソフトバンク)、栗山巧(西武)など、現代のプロ野球で活躍する多様な「2番打者」たちも、こだわりや極意を明らかにしていく。
読んでいて面白いのが、それぞれに影響を受けた先達(もしくはライバル)の「2番打者」がいて、それが数珠つなぎのように繋がっていくことだ。
井端を育てた仁村。そんな仁村と「2番を打つ者同士の読み合いと攻防」を繰り返し、巨人の2番として一時代を築いた川相は、後に中日に移籍して井端にも影響を与えていく。
同様に、球界屈指の2番打者となった井端の元には、ヤクルトの田中浩康が「どうすれば(井端のように)打てるのか右打ちのコツを教えて欲しい」と、チームの垣根を越えて訪ねてくる。
著者・赤坂英一は本書の最後で、様々な2番打者へのインタビューを通して感じたことを次のように語る。
《2番の仕事は多岐に渡り、応用範囲が広く、思ってもみない作戦を可能にする。取材を重ねるにつれ、野球とはこれほど面白く、奥が深いスポーツなのだという思いを新たにした》
そして、この「2番打者の多様性」こそが、日本野球にしかないストロングポイントであるだろう。
日本代表には井端以外にも本多雄一や松井稼頭央(楽天)など、2番打者の資質を持つバッターが揃っている。そして井端自身は、今のプロ野球界で最も「2番打者」としての優れた素質を持つ者として、同じく日本代表の鳥谷敬(阪神)を挙げる。
「鳥谷くんは左バッターで、アウトコースの難しい球を拾えるテクニックがある。バットに当ててから押し込んで、逆方向に強い打球を飛ばせるでしょう。彼なら最強の2番打者になりますよ」
「2番打者」の活躍、それこそが、日本優勝のキーワードなのだ。
(オグマナオト)
ただ、私は鳥谷は1番打者向きだと思う。その理由は、何と言っても選球眼が良く、出塁率が高いことだ。四球で塁に出るのはヒットで出るのと同じ価値である、というのがビリー・ビーン(「マネー・ボール」の主人公的人物)の考えで、実際にその考えで彼はアスレチックスを「低給与で勝てるチーム」に変えたのである。
また、鳥谷は「ここぞ」という時の盗塁の成功率が高い。盗塁数は多くないが、試合を決める場面で大胆な盗塁をしたのを私は数回見ている。これはただ盗塁数が多いだけよりも大事なことだと私は考えている。
つまり、彼は「静かなる男」ではあるが、個人成績のためではなく、チームが勝つためにプレーする、という、プロ野球選手においては稀有な性格を持った人間だ、と私は感じている。他の選手の「フォア・ザ・チーム」など口ばかりであり、本音では自分の年俸アップの事しか頭には無い人間がほとんどだろう。
井端も鳥谷に似ている。そういう選手がいるチームはしぶとい強さがあるものだが、昨年の阪神のあの惨状は、いったい何だったのだろうか。
(以下引用)
頼りになる2番打者、井端弘和の強さの秘密
エキサイトレビュー
2013年03月15日11時00分
写真拡大
『2番打者論』(赤坂英一/PHP研究所) ホームランが打てなくても、打率が上がらなくても、チームに貢献する方法はある。井端弘和、田中浩康、本多雄一、栗山巧、豊田泰光、新井宏昌、川相昌弘、田口壮……彼ら2番打者の矜持に迫りながら、2番打者を通じて野球の面白さを再発見するノンフィクション。
「プロに入ってからホームランを打って殴られたのなんて、ぼくぐらいじゃないですか」
赤坂英一著『2番打者論』の冒頭で登場するこの言葉。発言の主はWBC日本代表・井端弘和(中日)だ。
その意味は後ほど改めて記すとして、ここまでのWBCを振り返ると、何度もピンチを迎えながらも決勝ラウンドへと勝ち上がった日本の立役者は、東京ラウンドMVPにも選ばれた井端弘和で間違いないだろう。
1次ラウンド・ブラジル戦での同点タイムリー。そして2次ラウンド・台湾戦での9回2死からの同点タイムリーがなければ……と考えると恐ろしくなる。打率.571、漫画のような成績に、山本浩二監督も「粘ってタイムリーを打ってくれた井端は、さすがですね」と頼りにしっぱなしだ。
井端弘和とはどんな選手か。
堅守、アライバ、ファウル打ち、勝負強さ……様々なキーワードが浮かぶが、「頼りになる2番打者」というのも外せないワードだ。ここまでのWBCでは3番だったり代打だったりと試合毎に役割が変わっているが、台湾戦の様に2番に井端の名前があるとやっぱり据わりがいい。
実際、プロ入り後出場した1611試合のうち、2番で出場した試合は1400を上まわる。現役生活15年のほとんどを2番打者として過ごしてきているのだ。
井端がどのような足跡を経て「頼りになる2番打者」になりえたのか、そして何を考えて打席に立っているのか……それらが端的に記されている『2番打者論』を引きながら、日本優勝へのキーマン・井端弘和の魅力を掘り下げて行きたい。
【井端を育てた2人の師:仁村徹】
「目立つ存在でなくてもいいから、渋い働きでチームに貢献できる選手になりたいです」
1997年、ドラフト5位で入団した際に井端が発したコメントだ。ドラフト順位からもわかる通り、大きな期待をされた選手ではなかった。
そんな井端を「鍛え方次第で優れた2番打者になるかもしれない」と目をかけたのが、当時の中日二軍監督・仁村徹。自身も2番打者として職人技とも言える流し打ちを得意としていた仁村は、その右打ち、そして送りバントなど、自分の持っている2番打者としてのイロハを井端に教え込んでいく。
そしてこの仁村こそ、冒頭でも触れた、井端をぶん殴った張本人である。井端がある試合でホームランを打ち、喜んでベンチに戻ったとき、ベンチ裏に井端を呼んで思いっきり殴ったのだ。
「必死になって身につけている2番打者としての技術をおざなりにするんじゃない。(略)いま好き勝手にバットを振り回していたら、これまでやってきたことがすべて無駄になってしまうんだぞ。そのあげく、せいぜい控えの守備要員で終わってもいいのか」
仁村の拳にはそういう教えがこもっていたと井端は思ったという。
果たして、WBC初戦・ブラジル戦で井端が見せた、ライト前への同点タイムリー。
このヒットを日本中で一番喜んだのは、仁村だったに違いない。
【井端を育てた2人の師:落合博満】
「今日は井端のサードゴロが一番の収穫といえば、収穫だな。意味? ああ、君たちはわからなくて結構」
マスコミ泣かせで有名だった落合博満・前中日監督。記者を煙に巻く様々な発言を残しているが、その最たる例が上記のコメントになる。
2004年の監督就任後、落合は井端に「おれが右打ちしろというサインを出さない限り、右打ちはするな。チャンスのときは4番になったつもりでいけ」という指示を送る。
当時井端はキャリア7年目。既に実績を残していたからこそ右打ちの癖がなかなか抜けなかった。そして右方向へ打球を放つと、それがヒットであってもアウトであってもベンチに戻るたび、「なんであっちに打ったんだ?」と監督から問いつめられたという。
そんな試行錯誤を繰り返す中、サードゴロで凡退した井端に向けられたのが上述したコメント。右打ちを意識するあまりインコースでも右方向へ打っていた井端が、ようやく左方向に打つことができた「サードゴロ」だったからだ。
落合監督の真意について、井端自身が次のように述べている。
「右打ちしなければならない条件のある場面では、そういう2番の仕事をしなければいけない。でも、それ以外の場面だったら、左へ引っ張ったほうがいいこともある。チャンスも膨らむし、点も入る」
「それまでは右へ打たなきゃという意識が強過ぎたあまり、インコースの球でも右方向へ打とうとしていました。そういう癖がまだなかなか抜けないでいた時期に、あの打席ではセカンドゴロではなくサードゴロを打つことができた。(略)落合さんに教えられた打撃ができるようになっていたわけですね。こういうことを続けて行けば、自分もチームも、次の段階へ進んでいける」
こうして2番打者として一皮むけた井端が、台湾戦9回ツーアウトから放った左中間への同点タイムリー。落合氏の不敵な笑みが浮かぶようだ。
【受け継がれる「2番」の系譜】
「いろんなものが若い人に受け継がれて、その時代にふさわし2番打者像をつくっていくということでしょう。ぼくも現役のころにはいろんな選手にいろんな話を聞かされましたから」
バントの名人にして、現在は巨人の一軍ヘッドコーチとして新たな2番打者を育てようとする川相昌弘の言葉だ。
本書では井端の他にも上述した川相、臨機応変に攻撃を組み立てた新井宏昌(元近鉄)、日米で2番を務めた田口壮(元オリックス)、強打の2番として恐れられた豊田泰光(元西鉄)など、歴史に名を馳せた「ザ・2番打者」が次々に登場する。さらには田中浩康(ヤクルト)、本多雄一(ソフトバンク)、栗山巧(西武)など、現代のプロ野球で活躍する多様な「2番打者」たちも、こだわりや極意を明らかにしていく。
読んでいて面白いのが、それぞれに影響を受けた先達(もしくはライバル)の「2番打者」がいて、それが数珠つなぎのように繋がっていくことだ。
井端を育てた仁村。そんな仁村と「2番を打つ者同士の読み合いと攻防」を繰り返し、巨人の2番として一時代を築いた川相は、後に中日に移籍して井端にも影響を与えていく。
同様に、球界屈指の2番打者となった井端の元には、ヤクルトの田中浩康が「どうすれば(井端のように)打てるのか右打ちのコツを教えて欲しい」と、チームの垣根を越えて訪ねてくる。
著者・赤坂英一は本書の最後で、様々な2番打者へのインタビューを通して感じたことを次のように語る。
《2番の仕事は多岐に渡り、応用範囲が広く、思ってもみない作戦を可能にする。取材を重ねるにつれ、野球とはこれほど面白く、奥が深いスポーツなのだという思いを新たにした》
そして、この「2番打者の多様性」こそが、日本野球にしかないストロングポイントであるだろう。
日本代表には井端以外にも本多雄一や松井稼頭央(楽天)など、2番打者の資質を持つバッターが揃っている。そして井端自身は、今のプロ野球界で最も「2番打者」としての優れた素質を持つ者として、同じく日本代表の鳥谷敬(阪神)を挙げる。
「鳥谷くんは左バッターで、アウトコースの難しい球を拾えるテクニックがある。バットに当ててから押し込んで、逆方向に強い打球を飛ばせるでしょう。彼なら最強の2番打者になりますよ」
「2番打者」の活躍、それこそが、日本優勝のキーワードなのだ。
(オグマナオト)
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