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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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昨日の続きのようなスレッドがあったので、転載しておく。
昔から投手はできるだけ速い球を投げるために必死で努力し、百四十キロ出ればプロレベルだったのが、今では普通の高校生が甲子園で百五十キロを平気で出す、という事実だけを見ても、スピードガンの表示が昔と大きく違っているのは明白だろう。私の印象では、十キロから十五キロ、下手をしたら二十キロは水増しして計測されている。
なお、球速に関しては時代による差はさほど無く、個人差だけがあったと思う。確かにプロの初期にはアマチュアレベルの選手も多かったから、成績だけ見れば化け物みたいな投手もたくさんいたが、勝ち星や防御率はそうした全体の平均値を割り引くとしても、球の速さの評価は現代と同じだろう。もちろん、「勝てる投手」が一番価値があるのであり、それには投球術というのが大きな要素になる。その中心は制球力である。江川は制球力もよかったのである。だから、大学時代は遊び半分に投げても歴代二位の勝ち星を挙げている。
昨日書いたサッチェル・ペイジは球も速かったが、恐るべきコントロールの持ち主だったと言う。ほとんど毎日のように完投したり救援に出たりして潰れなかったのは。体の使い方が合理的だったためだろう。確か、ウォルター・ジョンソンもサッチェル・ペイジもサイドスローだったと思うが、記憶違いかもしれない。前にも同じ間違いを書いた気もするwww

(以下引用)

May 23, 202022:39


篠塚和典氏が明かす「怪物・江川」の記憶 「山倉さんは“ノーサイン”と言っていた」

カテゴリ読売ジャイアンツOB・レジェンド















. .


転載元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1590239217/
20200523-00779139-fullcount-000-3-view


1: 砂漠のマスカレード ★ 2020/05/23(土) 22:06:57.46 ID:Q6suzthT9

天才打者が元祖「怪物」について語る「江川さんがピッチャーでNO1だと思ってます」

読売巨人軍史上屈指の好打者と言えば、通算1696安打をマークした篠塚和典氏(1992年途中までの登録名は篠塚利夫)。
1975年のドラフト1位で銚子商から入団し、圧倒的な打撃技術の高さ、そして、華麗な守備で現役時代に多くの名シーンを生み出した。

Full-Countでは、天才打者が現役時代を振り返る連載「篠塚和典、あの時」を掲載中。今回は、篠塚氏が語る「江川卓の記憶」前編。剛速球と縦に大きく割れるカーブを武器に活躍した江川氏は、
わずか9年間という現役生活で通算135勝をマーク。高校時代から数々の伝説を作った元祖「怪物」について、篠塚氏は「ピッチャーでNO1だと思っている」と話す。

巨人ではチームメートとして江川氏と共闘した篠塚氏。だが、高校時代には2歳年上の「怪物」と対戦したことがある。その時の印象はあまりにも鮮烈だったという。

「対戦したのは高校の時。一番速い時期だったのではないかと。本人も言ってました。高校の時が一番速かったと。私は江川さんがピッチャーでNO1だと思ってますからね。
2試合しか対戦してないけど、こんなに速いピッチャーいるんだって思いましたよ」

プロに入ってからは、多くの名投手と対戦を重ねた。もちろん、高校生だったときに対戦した投手と、その後にプロで対戦した投手とを単純比較することはできない。
ただ、バックで守っていても、江川氏の凄さに変わりはなかったという。

「プロになれば、自分が速い球でもそういうふうには見えなくなってきているから、高校の時に江川さんを見た感覚とはちょっと違います。
でも、やっぱりいざという時の速さ、ランナーがスコアリングポジションに行ったときは凄かったですね。ランナーがいないときは大体7、8分(の力)で投げている感じ。
体の使い方を見ていると、それほど大きく使わずドローン、ドローンと投げるんだけど、セットに入って足を上げてからの速さは全然違いました。
ランナーがセカンドとかサードにいると、ギアが上がる。それはすごく感じました」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200523-00779139-fullcount-base&p=1
5/23(土) 7:10配信











1000 :なんじぇいスタジアム 2014/11/30(日) 00:00:00

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2: 砂漠のマスカレード ★ 2020/05/23(土) 22:07:33.88 ID:Q6suzthT9

直球とカーブの2球種で活躍「山倉さんはノーサインでいいと言っていました」

江川氏の直球のスピードは、現在のスピードガンで測ればもっと速かったとされる。また、初速と終速の差が少なかったとも言われる。「体感速度」があり、「ホップする」とも……。実際にはどうだったのか。

「ホップっていうよりも、落ちない球ですよね。投げたら普通はボールって(失速して)落ちてくるんだけど、江川さんは投げたらそのまま真っ直ぐ来るイメージ。実際には、絶対に浮くことはないですからね(笑)。
江川さんの球は、打ちにいってボールの下を空振りしてしまう。だから、みんなホップすると感じたんだと思います。

スピードガンでは、当時は145キロとか、150キロ出たときもあったけど、今なら155~7キロくらい出るんじゃないかなと。浮き上がって、ズドーン、ズドーンと吸い込まれていく感覚。そういうボールでした。コントロールもよかったですね」

そして、それだけ直球が速いからこそ、織り交ぜるカーブも効果的だった。江川氏はほぼ2つの球種だけで、高校、大学、プロと結果を残し続けた。

「あれだけの真っ直ぐとカーブだと、やっぱりスピードの差があるから、打ちづらいですよね。なかなかカーブを狙っていくのは難しい。真っ直ぐの割合のほうが多いわけですから。
(捕手の)山倉(和博)さんはノーサインでいいと言っていました。(サイン)盗みが出た時に、山倉さんが『お前2つしかないんだからいいよ、ノーサインで』って。真っ直ぐと思っておけば、全部捕れちゃうんです。
江川さんがマウンド上で首を振ったりとか色々してたんだけど、実際にはサインはなくて、自分が思ったボールを投げていたんですよ」

江川氏以外にも、当時の巨人には「守りやすいピッチャーが多かった」と振り返る篠塚氏。「西本(聖)さんもそうだし、定岡(正二)さんもそうだし。やっぱりリズムですよね。
ピッチャーは打たれると、どうしてもマウンド上で仕草が多くなる。そういうのはあまりなかった。一定で投げていた」。球史に名を残す好打者の脳裏には、同僚だった好投手たちの記憶がしっかりと刻まれている。(続く)
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