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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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教師や偉い人はよく子供に「夢を持て」と言うが、たいていはその「夢」は「立派な、社会の役に立つ夢」に限定されていることがその背後に透けて見える。
私の子供のころの夢は「美味い菓子を無制限に食いたい」「親に叱られず、いつまでも遊んだり怠けたりしていたい」というもので、色気づいてくると「可愛い女の子を自分のものにしたい」「可愛い子や美女だけしかいないハーレムを作りたい」となってきて、社会の役に立つ「夢」など持ったことは一度も無かったことは自信を持って言える。その中でも「遊んで暮らしたい」という夢は今でも続いていて、年金生活者になって、或る意味ではまさに「夢」が実現したわけだ。そのためには四十年以上、五十年近い奴隷労働をしてきたのだから、余生(明日にも死ぬかもしれないが)は遊んで暮らしてもいいのではないかと思っている。
なお、「ハーレム」については、それがいかに馬鹿馬鹿しい夢かと人生の半ばころには気づいたと思う。王侯がハーレムを持つのは「後継者」を残す便宜のためであり、セックスの楽しさのためではなく、「義務」なのである。そもそも、顔や身体が違っていても、性器はどれも似たり寄ったりだろう。男なら男根の大小があるから、ハーレムを性的満足の意味で持つなら女性にとってのほうが意味があるのではないか。もっとも、一晩に数人の男と寝てもどれだけ満足が得られるか分かったものではない。女性にとってのハーレムとは「自分で相手が選べる従軍慰安婦」ではないか。
それはともかく、「夢」を持てと言うが、その夢が独裁者になりたいとか世界征服をしたいとか、自分の嫌いな人間をすべてこの世から消したいとかいう夢である場合もあるのであって、たいていの「夢」はそうした「力」を得たいということである。それを現実化するのが「カネ」であるとたいていの人間は思っているから、ほとんどの人間は拝金主義者になる。カネのためなら命さえ捨てんばかりである。まあ、私にしても、年金で暮らせる年齢になってやっとささやかな「自由」が手に入ったようなもので、それ以前の馬車馬的労働、奴隷労働の年月は、その合間合間の気晴らしが無ければ、「人生」ではなく「家畜生活」だったと思う。
だが、カネがいくらあっても満足しないという人間も世界にはいるわけで、そうした人はまた他人には少しもカネを与えたくない、という人種でもある。
話が「夢」のことから逸れたが、要するに、「夢を持て」と子供に言う、その「夢」がなぜ「社会貢献的な夢」に限定されるのか、ということを私は疑問に思うわけだ。
子供の本性として、遊びたい怠けたい、菓子(体に悪そうな奴)を腹いっぱい食いたい以上の夢はまず持たないわけで、子供への「夢」の強制は、子供に「偽善的思考」を芽生えさせる最初のものではないか、と取り敢えず結論しておく。
ついでに言えば、「いつの段階の夢」を実現するのか、というのがあまり論じられていない。小学生のころの夢、中学生のころの夢、成人してからの夢、いつごろの夢を実現したら、成功した人生だとなるのだろうか。


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