まあ、アメリカに吸い取られるカネを自国民に回すだけでも、国民は救えるのだが。
(以下引用)
大不況克服への処方箋
現在の不況は、輸出企業の戦略ミスによる大赤字と、それに伴う生産調整・雇用調整、さらに政府やマスコミによるアナウンス効果などの相乗効果から来たものだろう。だが、まだ重度の不況という程度で、大恐慌にはなっていない。大恐慌とは、銀行の取り付け騒ぎが起こり、お金が価値を失い、巷には失業者が溢れ、町には暴動が起こるような状態を言うのである。しかし、事態がこのまま進行すれば大不況から大恐慌へと進む可能性は高い。1930年代の大恐慌との相違点は、現在では大恐慌は国際金融業者が意図的に起こすものだということをある程度の人間は知っていることである。したがって、大恐慌を起こせば、国際金融業者への憎しみからテロが生じる可能性も高く、国際金融業者は様子見をしながら、大恐慌突入へのタイミングを測っているところだろう。インターネットの広がりは、世の中の真実を知る人間を飛躍的に増やしてしまったのであり、マスコミと教育の支配だけでは、世界の秘密は保たれなくなってしまったのである。
さて、問題を日本内部に限定して、この大不況克服の方策を考えてみよう。
不況とは、単純化すれば国民全体の購買能力と購買意欲の低下である。経済力悪化と言ってもいい。国民に購買能力があれば不景気にはならない。国民に購買能力はあるが、購買意欲が無い状態が「不景気未満のデフレ状態」と言えるだろう。1990年代のバブル崩壊以来、日本国民全体としての可処分所得は低下の一途をたどり、購買能力も低下しつづけた。だが、国民の一部には高い購買能力を持った層もあり、全体としては不景気気味のデフレというに止まっていたのである。
だが、それから20年の間、日本が米国債購入などでアメリカに貢ぎつづけた結果、日本人全体の経済力は、(貯蓄も含めて)危険水準にまで低下してしまったのである。その原因の一つには、郵便貯金などを原資とした公共事業がどんどん削減されたことなどもある。
そこに、アメリカ発の金融危機による米国経済の悪化と、それに伴う日本の輸出企業の営業不振が重なった。日本人全体としての経済的体力は、これを持ちこたえきれるかどうか、危ういところである。もちろん、経済は輸出だけで決まるものではない。GDPの6割は企業の経済活動ではなく、国民の消費活動である。輸出企業は2割程度にすぎない。さらに、その中で自動車や電機が占める割合はまた限定される。何もトヨタやソニーの赤字を国民全体が悩むことはない。とはいえ、それらの大企業の社員や工員もまた国民消費の一端を担っているのだから、無視はできないのだが、それも程度問題だ。
さて、不況の根本原因は、簡単に言えば、一般国民に金がないということだ。とくに、給与を貯蓄に回す余裕のない経済的下層民に金がない。これも当然で、小泉改革の大半は、福祉の切り捨てと、弱者の懐からさらに金を搾り取る政策だったのだから。銀行の不良債権を救うために銀行に公的資金は投下したが、そこから一般庶民に金は回らず、小泉時代に国民は窮乏の一途をたどった。
不況の根本原因が、国民(一般庶民)に金が無いことなのだから、解決策も簡単だ。国民に金を渡せばいいだけである。では、どんな形で? アメリカのように破綻しかかった大企業に公的資金を投下するか? そうすれば、その金が周り回って一般庶民にもおこぼれがくるはずだから。これを「トリクルダウン」理論と言い、政府が公共事業などをやったり、企業を救済したりする場合の決まり文句だ。だが、言うまでもなく、トリクルダウンの間に、金の大半は、もとから大金持ちである連中のポケットに入り、庶民の手には雀の涙しか入らないのである。銀行に金を回しても同じことだ。金は銀行の上層部の懐に入り、あるいは内部留保となり、貸し出しに回りなどしない。
金のある人間に金を与えても、それは消費に回ることはない。どこか金利の高い外国への投資に向かうか、スイス銀行かどこかへの貯蓄になるだけだ。つまり、金持ちに金を与えても不況は防げない。いや、不況を作り出した原因がその金持ち連中なのだから、これは泥棒や人殺しをした人間を表彰するようなものだ。もっとも、国家が表彰するのはたいてい泥棒か人殺しだが。
話が長くなるから、結論を言おう。不況から脱出するには、一般庶民に金を与えることである。そうすれば、その金はすぐに消費に向かい、景気は回復する。日本の場合は、産業全体の生産力は高いから、景気が回復すれば、産業も好転する。人々の消費能力と消費意欲さえ回復すれば、すべてが好循環に向かうのである。もちろん、これは国内の消費だけの話だ。輸出企業のことなど私の知ったことではない。外国相手にこれまで金儲けをしてきたのなら、その損失も自己責任で受けとめてもらうだけである。たかが、GDPの2割程度の、そのまた一部の企業のことなど、国民全体が問題視することではない。
ただし、そうした企業の社員には罪は無いから、ここで処方箋を一つ書こう。それは、現代では流行やモデルチェンジなどのために工業製品も生鮮食品と同じく短い寿命しか無いというのがポイントだ。つまり、経営者の無能のために作りすぎて、港に山積みになって廃棄を待っている工業製品(自動車やテレビやパソコンなど)を、社員の給与の一部として現物支給するのである。たとえば、30万円の給与なら、そのうち10万円の現金の代わりに、市価50万円分くらいの(つまり原価20万円くらいの)自社製品を支給するのである。その品を社員が自分で使おうが、知り合いやバッタ屋に売り飛ばそうが、それは勝手だ。そもそも、給与をカットしたり社員を首にしたりするのは、その社員のせいではなく、経営者の無能のせいなのだから、本当は経営者や上層部の給与とボーナスの半分を召し上げて、社員の給与に回すべきなのだ。
さて、では一般庶民にどのような形で金を渡すか。また、その金をどういう形で作るか。これは、最近噂の政府発行紙幣にするか、あるいは期限つきのクーポン券(商品券)にしてもいい。日本銀行に金を大量に刷らせてもいいが、この機会に、紙幣発行権を政府に取り戻すために、政府が紙幣を発行するのがいいだろう。期限つきのクーポン券の利点は、流通が速くなることで、それだけ景気の回復速度が速くなる。政府発行紙幣の代わりに、政府振り出しの小切手でも同じである。あくまで紙幣発行を日銀の手に任せたいなら、小切手でもいい。
そのクーポン券、あるいは紙幣、あるいは小切手の金額は、国民一人当たり100万円ではどうだろうか。これくらいでは、この20年間に政府が国民から盗んだ金額(たとえば医療保険の値上げとか、福祉補助切り捨てとか、公共事業削減などの形でだ)には及ばないが、現在の生活に苦しんでいる人々には大きな恩恵となるだろう。それも、一回きりではなく、2,3回はやるほうがいい。これは年齢不問ですべての国民に支給する。まあ、企業の代わりに政府が国民に臨時ボーナスを渡す(本当は税金を還付する)ということだ。
これにかかる金額は、全人口が1億3000万とすれば、一回につき130兆円である。なかなかの金額だが、これに原資はいらない。つまり、これは政府が、新たに紙幣を印刷するだけのことだからだ。紙と印刷インク以外の費用などいらないのである。
では、これによって何が起こるか。当然、現在の紙幣価値の低下である。それは悪いことだろうか。いったい誰にとって? それは、現在、金を貯め込んで、それを社会に放出しない連中にとってだけ不利益なのである。つまり、大金持ちにとっては、紙幣価値の低下というデメリットがある。だが、もともと彼らは金を持っていても使わない連中なのだ。その金の価値が低下したところで、実は現実的な意味などないのである。
さて、紙幣の増刷によって日本円の価値の低下が起こるとする。実は、これはいいことなのである。これによって円安となり、輸出企業は息を吹き返すからだ。輸入企業は割を食うが、これまでマスコミからずっと無視されても何も言わなかった輸入企業が多少損をしても、マスコミも政府も気にしないだろう!
円安によって輸出企業が再び国際競争力を回復すれば、またしても日本の景気に好影響を与えるわけである。つまり、日本全体が大喜び、となって(輸入企業以外は)万々歳である。輸入企業をどうする、という細かい人のために言えば、現在の日本は、工業原料以外は外国から買う必要のあるものなど無いのである。現在の技術水準なら、日本国内で消費する農産物も日本国内ですべて生産できるはずだ。もちろん、食料を自給すれば、国際価格からすれば割高になるが、物価上昇はむしろ、好景気の条件ではないか。しかも、食料を自給できれば、国民の生命を外国に依存しなくてすむ。そのためのコストとすれば、多少の食品の値上げなど、どうということはない。
以上で、大不況脱出の処方箋はひとまず終わる。本当は、この機会にベーシックインカムの制度に踏み切るなどの案もあるが、それはまた別の話である。
(補足) 郵政民営化によってアメリカの、多分ロックフェラーの手に渡ることになった郵便貯金が250兆円か300兆円である。日本政府が130兆円の国民救済金を2回出せば、ちょうど、ロックフェラーに盗まれる分に相当する。その分の補充をしない限り、日本の窮乏はいっそうひどくなるだろう。この政策は、日本から抜き取られる分の金の補充の意味もあるのである。国内に金が無ければ使いようが無いのは当然だろう。
2009年2月17日
後記:2010年現在、郵政民営化には一部ストップがかかった。