ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
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新古書店でジュール・ヴェルヌの「八十日間世界一周」を買って、少し読んだのだが、子供の頃にも思ったことだが、「思ったほど面白くない」のは、再読しても変わらないようだ。
これは彼のすべての作品について言えることで、すべて読む前は、ものすごく期待させるのである。あらかじめ知っている、「作品の大筋」自体が、実にユニークな発想で、「きっと物凄く面白い作品だろう」と考えるから、読んでの印象がそれに追いつかない。
これは、キャラの問題だろうか、とも思ったが、たとえばH・G・ウェルズなど、キャラの魅力はないが、話は素晴らしく面白い。つまり、ヴェルヌは「話作り」が発想ほどのレベルではないわけだ。また、スチーブンソンの「宝島」など、発想はさほどでもないが、キャラ描写が見事で、また話の展開も意外性とスリルに満ちて面白い。
ヴェルヌという作家は、文壇で言われる「眼高手低」の作家だなあ、と思う。
もちろん、彼の作品を読んで面白いと思った子供はたくさんいるだろう。それはしかし、その種の作品を読んだ経験が少ないからではないか。ただし、その発想のすばらしさは、文芸史的に見ても横綱クラスだろう。
キャラ作りに関しては、「八十日間世界一周」は、主人公ふたりの個性といい、名前といい、ヴェルヌとしては頑張った部類だと思う。だが、その個性が笑いにもキャラの魅力にもならないのだ。これは作者の作家的段位の低さによると思う。なんでもない話を書いても、どのエピソードでも面白く、キャラが魅力的なジェーン・オースティンあたりと比べれば、それが明白になるだろう。
私の偏見かもしれないが、イギリスの作家は基本的にユーモアセンスが高く、フランスの作家は低い。それが小説全体の魅力の差の土台ではないか。大作家バルザックですら、ユーモアセンスの面ではイギリスの二流作家以下だと思う。ただし、合理的思考力ではフランスの作家のほうが上という感じもある。「八十日間世界一周」でも旅行の内容(出来事と時間)は緻密に組み立てられている、と解説にはある。
*比較的ユーモアセンスに欠けるアガサ・クリスティですら、ヘイスティングスの描写においては、彼の自己認識と客観的認識の落差をちゃんと描いて、読者をクスリと笑わせている。ただし、ポワロの外貌をこっけいにしている手法は、まあ、映画やドラマなら多少は面白い、という程度だ。クリスティは、かなり真面目な性格の人だったと推定できる。彼女が書いたコメディ的短編は、かなりひどいレベルである。ハリウッドの三流作品並みだ。ホラー小説は上手い。ミステリーとホラー小説は双子のようなもので、真面目な作者ほど上手いのではないか。幽霊の正体が枯れ尾花ではホラーにはならないのである。最初から枯れ尾花を枯れ尾花としか見ない作家にはホラー小説は向かないだろう。偉大なコナン・ドイルも、やはり真面目タイプだ。とすると、イギリス作家だからユーモアセンスがある、という論もダメダメ論か。ただ、フランスの笑いは他者への冷笑であり、イギリスの笑いは人間全体の本質に滑稽なものがある、というものかと思う。それがスイフトのような冷笑や嘲笑になることもあるが、概して温かいユーモアになる。
これは彼のすべての作品について言えることで、すべて読む前は、ものすごく期待させるのである。あらかじめ知っている、「作品の大筋」自体が、実にユニークな発想で、「きっと物凄く面白い作品だろう」と考えるから、読んでの印象がそれに追いつかない。
これは、キャラの問題だろうか、とも思ったが、たとえばH・G・ウェルズなど、キャラの魅力はないが、話は素晴らしく面白い。つまり、ヴェルヌは「話作り」が発想ほどのレベルではないわけだ。また、スチーブンソンの「宝島」など、発想はさほどでもないが、キャラ描写が見事で、また話の展開も意外性とスリルに満ちて面白い。
ヴェルヌという作家は、文壇で言われる「眼高手低」の作家だなあ、と思う。
もちろん、彼の作品を読んで面白いと思った子供はたくさんいるだろう。それはしかし、その種の作品を読んだ経験が少ないからではないか。ただし、その発想のすばらしさは、文芸史的に見ても横綱クラスだろう。
キャラ作りに関しては、「八十日間世界一周」は、主人公ふたりの個性といい、名前といい、ヴェルヌとしては頑張った部類だと思う。だが、その個性が笑いにもキャラの魅力にもならないのだ。これは作者の作家的段位の低さによると思う。なんでもない話を書いても、どのエピソードでも面白く、キャラが魅力的なジェーン・オースティンあたりと比べれば、それが明白になるだろう。
私の偏見かもしれないが、イギリスの作家は基本的にユーモアセンスが高く、フランスの作家は低い。それが小説全体の魅力の差の土台ではないか。大作家バルザックですら、ユーモアセンスの面ではイギリスの二流作家以下だと思う。ただし、合理的思考力ではフランスの作家のほうが上という感じもある。「八十日間世界一周」でも旅行の内容(出来事と時間)は緻密に組み立てられている、と解説にはある。
*比較的ユーモアセンスに欠けるアガサ・クリスティですら、ヘイスティングスの描写においては、彼の自己認識と客観的認識の落差をちゃんと描いて、読者をクスリと笑わせている。ただし、ポワロの外貌をこっけいにしている手法は、まあ、映画やドラマなら多少は面白い、という程度だ。クリスティは、かなり真面目な性格の人だったと推定できる。彼女が書いたコメディ的短編は、かなりひどいレベルである。ハリウッドの三流作品並みだ。ホラー小説は上手い。ミステリーとホラー小説は双子のようなもので、真面目な作者ほど上手いのではないか。幽霊の正体が枯れ尾花ではホラーにはならないのである。最初から枯れ尾花を枯れ尾花としか見ない作家にはホラー小説は向かないだろう。偉大なコナン・ドイルも、やはり真面目タイプだ。とすると、イギリス作家だからユーモアセンスがある、という論もダメダメ論か。ただ、フランスの笑いは他者への冷笑であり、イギリスの笑いは人間全体の本質に滑稽なものがある、というものかと思う。それがスイフトのような冷笑や嘲笑になることもあるが、概して温かいユーモアになる。
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