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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「リズと青い鳥」は、ネットフリックスの「お気に入り」(だったか「マイリスト」だったか、「見る予定の作品」リストだ。)に入れてあるが、なかなか見る元気が出ないのは、何かの予感が働いたのだろう。下の記事で監督が山田尚子だと聞いて、見なくていいかな、と思えたので、流刑囚氏のこのコラムは役に立つ。
たしか「平家物語」も山田尚子監督作品ではなかったか。あれは、おそらく原作や現代語訳の「平家物語」をロクに読んだこともない人間が脚本を書き、監督をした作品である。
山田氏についての私の感想は今回の記事タイトルである。

(以下引用)

流刑囚の映画百物語~第66回『リズと青い鳥』(’18日)

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流刑囚
流刑囚
2023年5月27日 05:38





画像
 私流刑囚がその時々で見た映画を紹介するコーナー。第66回は『リズと青い鳥』。


本作の5点満点評価は…

コンセプト…1点
カメラワーク…2.5点
ビジュアル…1.5点
脚本…1点
総合評価…1.5点


 リズとTwitter、なんちゃって。

 うーん、なんだろう、この終わりの見えない90分間。こと「退屈さ」という一点においてなら本作は筆者がこれまでの人生で見てきた映画の中でもトップ「クラス」という表現ですら生ぬるいかもしれない。

 まず「みぞれ」。なんかリアルな人物の心理描写を売りにしている作品らしいがその割には主人公のキャラからして綾波レイとか長門有希みたいな「マンガ的な無口キャラ」の焼き直しですよね。そこに乖離がある。

 また「吹奏楽部」とは団結力や統制力を要求される集団だ。果たしてそういうところに「みぞれ」のような人間の居場所があるだろうか?おそらく部員はもちろん、顧問からすらいじめ抜かれて退部するのがオチだろう。

 リアリティの欠如は主人公のキャラだけの問題ではない。この舞台となっている高校。男子生徒がちらりとも映らないのだが女子校なのだろうか?自分は女子校に知り合いが結構いたので分かるのだが基本的に女子校というのはいろんな意味で汚らしい、不潔な場所だ。本作に描かれるような清潔な環境ではない。もしそんな環境が実在するとすればそれは相当なお嬢様校だろう。

 しかしこの「お嬢様校」という仮定をした場合、ある意味で色々と合点がつき、見えてくるものもある。まず教員が向こうから音大進学を勧めてくるケースなど普通の高校ではなかなかなく、お嬢様校のように「芸術系」の進路に進むことがそれほど問題視されない場所を舞台とすることはそれなりに整合性が取れている。

 そしてもっと言えばアニメ業界という場所にはこうしたお嬢様校の出身者が少なからずいるのではないか、という見方も成り立つ。アニメ業界は低賃金で知られているが、それでも末端のスタッフが食えていけるのは彼ら彼女らが一人前の職人に成長するまで親が援助をするからだという。その援助を受けられない人間はひっそりと消えていく、そういう世界なのだ。恐らくこの映画を作った人たちはそこで生き残ってこれた人々であり、そんな彼らが学生時代に見てきた景色が本作に投影されている、というのは想像が過ぎるだろうか?

 劇中劇である『リズと青い鳥』の世界観にもそうした浮世離れした感覚はついて回る。おそらく作り手たちはジブリ、とくに『魔女の宅急便』のああいう感じを目指したかったのだろう。しかし東映労組出身の宮崎駿の作風から見て取れる「労働」のリアリズムがこの世界には根本的に欠如している。そしてなおのこと悲惨なのは、この作り手たちはその「欠如」を恐らく自覚すらしておらず、それ故にリアリティを事後的に付与するための「取材」を行うという発想にも至れなかったという点だろう。どこまでも作り手の貧弱な頭の中だけで作られた世界。

 また「進路を決める」ということも言い換えれば「親に学費を出させる」「奨学金=借金を借りる」ということであり、これもまた厳然たる経済社会との兼ね合いの問題となるのだが、本作にはそうした重みも完全に欠如している。だから仲良し同士で進学すればいいという非現実的発想に至るのだろう。いくら女子学生とはいえ、普通はもう少しシリアスに考えるものではないか。こういうことを言うと「(けいおん!とはちがって)最終的に別の進路を選んだだろ!」という反論が来るかもしれないが、それはゴールの問題である。本作は根本的にスタートラインの発想からして間違っている、というか浮世離れしすぎなのだ。

 この進路選択の描写のくだりとも関連するのだが「みぞれを振り回す」のがどうのこうのとかいうのも全く意味不明だ。部活辞めようが進路をどうしようがそれって「お友だちの気持ちを考えて」することなの?なんというか高校というよりも幼稚園が舞台の物語に見える。そもそも曲の題材(?)も幼児が読むような絵本だし。「大好きのハグ」とかもなんか幼稚園児がよくやるやつでしょ。そういうものにしか見えなかった。

 あと気になったのは女子高生の体や制服のパーツを凝視するような細かいカット割りだ。これは少女趣味でもあるんだろうがそれ以前に監督はじめとした作り手のナルシシズムの発露であるかのように見えてならない(現に『たまこまーけっと』の主人公は本作含め両作品で監督を務める山田尚子の自己投影だと言われている)。しかしその割にはプールシーンをまるごとカットして「キモオタの俗情には媚びません!」的なポーズを取っているのだが、いや、それが「オスの性欲」だろうが「メスのナルシシズム」だろうがどちらも所詮はジャパニメーションの必須要件である「少女崇拝」でしょと。単に高尚ぶった美少女動物園でしょと。しかもその「まるごとカット」も単にストーリーの運びをガタつかせて分かりにくくしているだけという。

 さらに言うとこれは同じ監督の『たまこラブストーリー』もそうなんだが一々セリフが気取っている。しかもそこで語られる内容はこれまたアニメでありがちな「ヤンデレ」なモノローグでしかない。これもまた「乖離」でありいくらリアリズムを気取ったところで所詮はアニメ(漫画)であり美少女動物園なのだなと。

 全体として言えば、本作におけるこの「リアリズム演出」とリアルの乖離はあの『シン・ゴジラ』にも匹敵していると言えるかもしれない。もちろん悪い意味でだ。なんか色んな賞を獲った作品らしいが、審査員はよほどの節穴揃いだったのだろうか?ちゃんと最初から最後まで見ましたよね?

 なんというか、「映画」にしろ「社会」にしろ「人生」にしろ、色んなものを舐めた作品だなあ。
 
 なおこれは余談であり完全な好き嫌いの問題なのだが、筆者はこの作品のなんか「するりとした感じ」のキャラデザにも、そこはかとない苛つきを覚えるのだ。

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