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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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この「アンファニズム」は、笑える記事がネット上にあれば転載するというのがポリシー(そんな大層なものでもないが)の一つだが、下記記事は、それだけでは生ぬるいジョークだが、これが「ロイター」に載った記事であること、そしてどうやら事実のようであることを考えれば、なかなか笑える記事である。
しかし、「終身刑」は「賞」ですか。まあ、8回も終身刑を言い渡されたのは、なかなかの根性だから、自分で自分を表彰したくなるのも当然かもしれない。私も交通違反(全部、待ち構えていた「トラップ」に引っかかった「間抜け罪」ね)が3度ほどあるが、小物だなあ。


(以下引用)


服役中のユナボマー、ハーバード大同窓名簿の職業欄は「囚人」

2012年 05月 25日 15:18 JST
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

[ボストン 24日 ロイター] 1978年から約20年にわたって全米を揺るがせた爆弾犯「ユナボマー」ことセオドア・カジンスキー受刑者(70)が、ハーバード大学の同窓名簿に掲載するため、同窓会に自身の最新情報を送っていたことが分かった。

カジンスキー受刑者は1978年から1995年にかけ、全米各地に小包爆弾を郵送。一連の事件では計3人が死亡、29人が負傷した。1996年に逮捕された同受刑者は、現在はコロラド州の刑務所で終身刑に服している。

シカゴ出身のカジンスキー受刑者は神童とうたわれ、1962年にハーバード大学を卒業後、ミシガン大学で数学の博士号を取得。その後、カリフォルニア大学バークレー校の助教授となったが退職し、モンタナ州の山小屋に移り住んだ。

米マサチューセッツ州にあるハーバード大学では24日まで4日間にわたり、卒業50周年を記念して1962年卒業生らが同窓会を開催。カジンスキー受刑者の姿はもちろんなかったが、同窓名簿には同受刑者の職業が「囚人」とあるほか、賞を記載する欄には「終身刑8回」と記されている。

同大学の同窓会は23日、「カジンスキーの刑に関する記載があったことを遺憾に思う。ご迷惑をおかけした方々にはおわび申し上げます」との声明を発表した。

 
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昨日テレビを見ていたら、ソフトバンク・ホークスの福田秀平という選手が目に留ったので、「ウィキペディア」から彼についての記事をコピーしておく。何が目についたのかというと、体つきである。まるで野生動物のような、俊敏そうな体形だ。それに腕が長く、懐が深い。安打にはならなかったが、第一打席(?)での外野へのライナーは見事であり、打者としてのセンスも悪くはなさそうだ。球の捉え方に迷いが無い感じもいい。今は苦手なコースなどもあるだろうが、それはだんだんと克服していくだろう。首脳陣が彼にプレー機会を十分に与えれば、いい外野手になれそうだ。今のソフトバンクは故障者も多いし、彼の出場機会は多いだろう。そういう巡り合わせにある、というのは彼にとってラッキーである。
話は別だが、最近のプロ野球の打者は、2ストライクまでの甘いボールを簡単に見送って、バッター不利なカウントに追い込まれることが多い。これは何なのだろう。統一球で打者不利になったこととは別に、そういう「ストライクに手を出さない打者」が増えたことにも、打率低下、本塁打減少の原因があるのではないだろうか。

(以下引用)

ウィキペディア

ウィキペディアウィキペディア

福田秀平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/05/08 09:33 UTC 版)

福田 秀平
福岡ソフトバンクホークス #37
HAWKS37-FUKUDA.jpg
2012年5月4日、福岡ドームにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横浜市緑区(現:青葉区
生年月日 1989年2月10日(23歳)
身長
体重
181 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 2006年 高校生ドラフト1巡目
初出場 2010年4月30日
年俸 2,500万円(2012年)
経歴(括弧内は在籍年)

神奈川県横浜市緑区(現:青葉区)出身。愛称は「福ちゃん」。

目次

来歴・人物

プロ入り前

多摩大聖ヶ丘高では、遊撃手のレギュラー。3年時の春に本格的にスイッチヒッターに転向して才能が開花した。

2006年の高校生対象のドラフト会議大嶺祐太八重山商工)の交渉権を獲得できなかったソフトバンクから1巡目で指名され、同年10月19日に仮契約を結んだ。なお多摩大聖ヶ丘高は進学校であり、福田は同校初めてのプロスポーツ選手である。契約金で、病気で片足を失った父親のために義足を購入した。当時のドラフト会議時には指名された選手の顔写真がモニターに表示されるが、中央球界では無名であったので、ドラフト1位の選手の中で唯一顔写真が表示されなかった。

2006年の高校生ドラフトで指名された平成生まれの選手は福田の他に、オリックス・バファローズ延江大輔土井健大東京ヤクルトスワローズ山田弘喜の3人がいる。他の選手より早く仮契約を済ませ、福田は平成生まれのプロ野球選手第1号となった。1989年生まれとしては2004年ドラフト阪神タイガース辻本賢人が指名されているが、まだ昭和64年だった1月6日に生まれたため、平成生まれのプロ野球選手には該当しない。

プロ入り後

ビジターユニホーム姿の福田

同じく高校生ドラフトで指名された李秉諺伊奈龍哉に比べると体の線が細く、入団決定後に3人で雁ノ巣球場のチーム練習を見学した際に監督の王貞治から「福田はもっとめしを食え」と言われたほどである。その後は先輩・川﨑宗則を目指し、米飯の量を1合から2.5合に増やす等、体作りに力を入れていたという。

2010年は4月に初めて1軍に昇格し、4月30日千葉ロッテマリーンズ戦で李ボム浩の代走として出場し、プロ初出場を記録した。5月22日広島東洋カープ戦には中堅手で初先発。梅津智弘から初安打となるタイムリーツーベースを放った。しかし、守備で転倒してしまうなどのミスを起こしてしまい、途中交代させられ、その後は主に代走要員として一軍に定着したが、わずか3盗塁に留まった。オフに左打ちに専念した。

2011年は開幕1軍を果たしたが、昨季同様シーズン序盤は代走要員からのスタートだった。4月30日のロッテ戦で初先発。長谷川勇也の打撃不振により、センタースタメンでの出場があり、当初は打撃・守備ともにアピールしていたが、初の経験である連日のスタメン出場による疲労によると思われる守備判断ミス(記録上はヒット)が見られるようになると再び長谷川に先発の座を譲った。しかし多村仁志ホセ・オーティズ松中信彦内川聖一などの相次ぐ離脱もありレフトやライトでのスタメン出場機会を増やした。6月12日には一塁手としても先発出場している。7月10日のロッテ戦でホームスチールを成功させた。順風満帆に見えたシーズンだったが、7月14日東北楽天ゴールデンイーグルス戦でダイビングキャッチをした際右肩を亜脱臼し[1]、登録抹消。復帰後は再び主に指名打者や捕手への代走要員として出場していた。
終盤、9月6日北海道日本ハムファイターズ戦で久々のスタメン出場を果たしダルビッシュ有から長打2本を放ち、以降は再びスタメンで出場し続けるようになる。9月28日の日本ハム戦で初の3安打の猛打賞、9月30日埼玉西武ライオンズ戦で5回に西口文也からプロ初本塁打を放ち、7回には決勝点となる勝ち越し適時打を放つ活躍を見せた。[2]

プレースタイル・人物

高校通算38本塁打。遠投は110メートルを超え、50メートル走のタイムは6秒ジャストと俊足でもある。

2010年のオフから両打から左打に専念しているが、苦手意識のある左腕対策として、普段はベースラインぎりぎりに立っている打席を、左投手が相手の際はベースから少し離れて立つなど対応している[3]

斎藤佑樹とは、高校時代からの友人であり、お互いがプロになってからも遠征先で会食をする仲である[4]


「村野せりなの秘書課広報室」というブログから転載。(「せりな」は漢字だが覚えきれないので平仮名表記で失礼)
「東大話法」に続いて、「橋下話法」の登場である。
世間の人間もこういうのをよく読んでおけば詐欺的弁舌にかからないようになるだろう。もちろん、これが目上の人間からされたら、その論法がインチキだとわかっていても反論は困難だし、弁護士のように議論に慣れた人間、タレントのように口のうまい人間に太刀打ちするのはむずかしい。タレント弁護士など最悪だし、良心の欠如したタレント弁護士が政治家になれば怪物化するのも当然だろう。
まあ、「高原令食」、じゃない、「巧言令色鮮(すく)なし仁」という論語の言葉はまさしく真実であるわけだ。
ついでだが、橋下話法の分析は、これ以外にもある。「暗黒夜考」などにも他の分析が載っていたはずだ。

(以下引用)*記事はもっと長いが、半分ほど引用する。

●Afternoon Cafe
■詭弁術講座(2)
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-980.html

詭弁術講座第二回です。

授業を始める前にお知らせがあります。
前回の講座に受講生(コメンターさんです)のこっぱなお役人さん、mimosaさんから、市長が記者を勉強不足と罵倒していた「誰が誰に命令を出したのか」について情報を頂きました。

それによると、
『通常公文書(命令書はまごうことなく公文書)の発出は、その組織を代表する者の名前で出される。
この場合「教育委員長(教育委員会を代表する者)」もしくは「教育長(教育委員会事務局を代表する者)」のどちらかで文書は発出されているはず。
そして通常は校長宛に出される。1/17の職務命令は全職員宛に出されたがこれは非常に珍しい。なぜなら直接全職員宛に教育長から職務命令が出せるとなると、学校を飛び越えて教育委員会が直接教員を支配できることになるから、それは行わないのが普通、とのこと。
尚、1/17の職務命令は同時に校長にも出されているそうだ。これは法的裏付けのない越権行為とみなされないように念を入れてのことではないかと思われるとのことです(伝聞情報)』

前回の講座でご紹介した書きおこしで、市長が女性記者に「誰が誰に対して命令を出したか言え」と命令口調で迫っていました。そして最後の最後まで「誰が誰に命令を出したのか事実関係も知らない」「勉強不足」「とんちんかん」と猛非難しました。
中西教育長は府の教育長ですが誰が命令を出したかについて「教育長」「教育委員長」と答えた女性記者の認識は正しかったわけで、それを、何も知らずに取材に来てる、勉強不足、とんちんかんと罵倒したおした市長のほうが実は間違っていたと思われます。

ちまたでは、「毎日放送叩き」に反対するキャンペーンなるものが登場してるらしいですね?
「女性記者の市長の質問に対する回答は正解だったのに、市長は女性記者をさいごまで「勉強不足」となじっていた。勉強不足なのは市長のほうだし、悪質な印象操作だ。市長は自身の誤りと侮辱を認めて記者に謝罪すべきだ」
と、このキャンペーンから求められるかもしれません。

フフン、片腹痛いw
素晴らしい詭弁術を教えて下さる市長に対してそのようなキャンペーンが力を持つはずはございません。世間からそう言う声が大きくならない限りひたすらガン無視すれば勝ちです。
勝てば官軍、世の中強い者が正しいのですから心配はいりません。

そのためには一にも二にも「スピードが命」
次々とめまぐるしく新しい話題が提供されていれば、少々の嘘やハッタリ、ごまかしなど、世間は検証する暇もなく忘れ去ってくれます。
市長の詭弁術はこのようは背景があって有効性を発揮できると言えましょう。
(誰ですか?自転車操業とか、泳ぐのをやめると死んでしまうサメみたいとか言ってるのは)

これまでも市長は図らずも失敗したときには即座に別の花火を打ち上げて世間の目をそらして参りました。
今回も、家庭教育支援条例案が激しく叩かれたことに対する目くらましとして成功しそうです。
さすが市長、見事な手腕ですね。


前回の講座でご紹介した解説付き書きおこしの続きは、草稿はあるのですが、全文ともなるとかなり長文になりますので、続けて出すと受講生の皆さんもいささか飽きてしまうかと思いました。
なので、ここで概要を説明してから後ほど資料として掲載いたします。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

では授業を始めます。

前回の講座でご紹介したサブ教材を参考に、今回の詭弁術会見に関連すると思われるテクニックをあげてみました。

1.初っぱなで相手の主張を曲解してアピールする。自分の立場に沿って、都合の良い話を集める。
 ex.「山口さんは現状がいいって言うんですよ」
 ex. 自分に都合の良いことにスタート地点を設定する、という意味では、市長選で早々に争点を「都構想」に設定したこともこのテクニックの応用かも知れません。本来「市」長選で争点にされるべき事柄ではないからです。(参照http://goo.gl/iCwCr

2.論理ではなく、低次元の罵詈雑言で「受け」を狙って攻撃し相手の誇りを奪う。「お前はバカ」と決めつけ、相手を貶めることによって自分を優位に立たせ、自分が正しいと思わせる。印象操作に役立つ。
 ex.「山口さんのようなクチャべっている学者と僕は違うんだ。」
 ex.「勉強不足だ」「とんちんかんだ」
 ex.「違います。全然わかっていない。知らないでしょう。」

3.都合の悪い事例は出た段階で速攻で徹底的にたたいて全否定

4.質問や話を自分に都合の良いようにすり替え、歪曲、矮小化する

5.話の流れ次第では、曲解から虚偽に移行

6.どんなにいいかげんでつじつまが合わないことでも自信満々で断定する。嘘は大きい方がよい

7.前言撤回をするには、自分が言ったことに相手がその時点で満たしていないもの、満たしようがない条件をわざとつける
 ex.「対案を出せ」
 ex.「じゃあこの質問に答えてみろ、そしたらこっちも答えてやる。」と相手が到底答えられない質問を出す

8.自分が不利になってきたり触れられたくない話題になったら、不毛な議論をふっかけて煙に巻く。
 ex.トートロジーを繰り返す
 ex.無限ループに持ち込む
 ex.散々すったもんだして時間がたってから「で、結局何が言いたいの?あなたが何を質問したいか全然わからないから最初から言ってくれる?」とちゃぶ台返しする

9.矛盾を指摘されれば、相手方に無益で感情的な論争をわざとふっかけたり、逆上してみせる。
 激高して挑発的な言葉で煽りましょう。相手を怒らせたらしめたもの。但し激高はあくまで計算尽くの演技であることをお忘れなく

10.次から次へと流れていく発言をテレビでは吟味できないから、よく聞けばおかしな話も強引にスピーディに進めればOK
 ex.大阪市の「社歌」は大阪市歌ではなく僕の感覚で「君が代」である

11.「ありえない比喩」たとえ話で論理をすり替え相手を錯覚させる 
 但しあまりに突拍子もないと失笑買います。残念ながら市長は最後の方でちょっと失敗してしまいました

12.脅しにより相手を動かす。恫喝、命令口調

13.相手が揺らぎ出したら考えるスキを与えず、一気に結論に持っていく


●では今回の記者会見を通じて見られた特徴をざっとまとめてみましょう。

記者が主に聞きたかった事は「校長の過半数が君が代起立斉唱してるかどうか口元チェックするのはやり過ぎだと言っているが、それについて市長はどう考えるか」ということでした。

しかし市長はこの質問とは関係のない「誰が誰に対して命令を出したのか」とか「教育委員会の区部長の権限分配のこと言ってみなさい」という逆質問をします。それに答えるまで自分は記者の質問には答えない、と言います。そうすることで、話の流れの主導権を自分がつかみ、記者が聞きたかった質問からそらしていくのです。(テクニック1、3,7)
逆質問が記者の質問と関係ないことであってもここは堂々と「これは重要なことだ」と断言することが肝心です。(テクニック6)
(それにしても記者の質問の途中で頻繁に遮っておられますね。記者がまともに最後まで質問を言い切ったのは数えるほどしかありません。)

先ほども書きましたが市長は記者に誰が命令主体だったかを逆質問し、女性記者はそれに「教育長」「教育委員長」と回答しています。これで正解なのですが、市長はこれを間違いと決めつけ、勉強不足、何も知らないで取材に来ている、と最後まで何度もなじり続けます。そして記者が何にも知らないから質問に答えられないとも言っています。(テクニック2、9)
この印象操作は今回相当効果があったようで、記者の勉強不足を非難する声がネットでは多くでているようです。
例え事実に反しても繰り返し繰り返し印象操作を行うのは非常に効果があるという証拠です。
これはかの総統閣下が「嘘も百回言えばほんとになる」と仰ったとおり。
市長、大成功ですよ!

また、記者は恫喝口調で記者の萎縮を狙い(テクニック12)
「市長の考えをお聞きしたいのですが」との度重なる質問にも「教育委員会に聞けばいい」という答え方をしています。

これらのテクニックを駆使して市長は記者会見の中頃になるまで、口元チェックの質問には答えませんでした。

(逆に言えば、取材対象がその質問に答えざるを得ないような質問の仕方、思わず本音を言ってしまうような質問の仕方が臨機応変に出来るかが、記者の腕の見せ所、醍醐味ではないでしょうか。)

更に市長は後半にはトートロジー&無限ループを持ち出したり、最後の方になってから「何が質問したかったのかわからない」とちゃぶ台返しをして時間稼ぎをしています(テクニック8)
これについては、詳細は後ほど掲載する書き起こしにありますのでそちらをご覧下さい。

こうして市長は見事20分以上にわたる記者会見を記者の質問をはぐらかし続けました。
なかなか並の人間に出来る業ではありません。
皆さん、なんどか書きお越しを読み直して技の極意を盗みましょうね。

椎名高志先生がこう言う以上は、読まないわけにはいかないだろう、ということで、百年ぶりくらいに「少年マガジン」を買って『さよなら絶望先生』を読んだが、最初は意味が分からなかった。やがて意味が分かって、ぞっとした。しかも、これ、予告編に出てきたあの島ではないか。まさか、最初からこの結末を予定して今まで書いてきたと? なんという深謀遠慮。『Yの悲劇』真っ青である。いや、椎名先生が書いてあるのがこの回のことかどうかは分からないのだが、多分そうだろう。しかし、3年へ組の生徒たち、それとも絶望先生、どちらがどちらの世界の人なのか。いったい、最後の最後、本当の最終回はどうなるのか。これは、『絶望先生』だけのためにでも、残り4回は買うしかないか。他の漫画にはまったく興味ないんだが。

(以下引用)

椎名高志@Takashi_Shiina

マガジン読んだ。『絶望先生』で鳥肌立った・・いやいい意味で。こういうことやれちゃう天才なのだと実感。
 

このニュースの意味を分析するのは後回しにして、とりあえず、備忘的に保存しておく。
あるいは米ドルをユダ金が見捨てるというサインか?
以前なら、こういう、基軸通貨としてのドルの価値低下をもたらす取引は米政府が日本に絶対に許さなかったはずだ。


(以下引用)

円と人民元6月にも直接取引…米ドル介在させず

読売新聞 5月26日(土)3時1分配信

 円と中国の通貨・人民元を直接交換する為替取引が、6月にも始まることが明らかになった。

 日中両政府が東京と上海に市場を整備する方向で最終調整しており、近く正式に合意する見通しだ。現在、円と人民元は米ドルを介在させて交換されており、手数料が割高になっている。直接交換が実現すれば、決済費用の削減につながるほか、手続きが簡単になることから、日中貿易の円滑化や取引拡大が期待できる。

 円と人民元の直接交換を巡っては、昨年12月に北京で行われた日中首脳会談で、直接取引市場の整備を進めることで合意し、2月から両国の関係当局による作業部会で協議を進めていた。

 現在、円と人民元の取引は、制度上は可能だが、取引市場が未整備で、金融機関の体制も整っておらず、ほとんどがドルを介在させている。

最終更新:5月26日(土)3時1分

井口博士の今日のブログの一部を転載。
ナショナル・ジオグラフィックがユダ金の下部組織の一つであることはまず確実である。その本社の様子を昔、ある映像で見たことがあるが、その社員のほとんどは黒いベーグルのような、例のユダヤ帽子をかぶっていた。
赤十字などもそうだが、人道とか学術とかいう大義名分があると、懐の甘い政府は、そうしたスパイを易々と国家機密のある場所に入れてしまうことがある。ユダ金は昔からそれを利用してきたのである。
いや、これはユダ金には限らない。キリシタン宣教師が西欧諸国による未開国家侵略と植民の先鋒として送り込まれてきたことは、学校では教えない歴史の事実である。


(以下引用)


ナショナルジオグラフィックというのは、今ではイルミナティ−シオニストNWOの科学メディアの代表格であるということが判明している。だから、ナショナルジオグラフィックでは戦争兵器の番組がよく垂れ流されるのである。元々、アメリカのジオロジーは、軍産複合体の「地政学」的要請から生まれた組織なのである。アメリカ政府の御用学者たちが、アカデミックな地球物理学の研究者の振りをして、敵国の地政学や資源を調べ、後々それを使って資源乗っ取りを行うためにできた、カモフラージュ組織だったのである。
「ときどき休みます」というブログから転載。誤記らしき部分を少し変えてある。
私は『さよなら絶望先生』という漫画が大好きなのだが、カフカの言葉は、まさに絶望先生こと糸色望(いとしきのぞみ)のセリフとしてもいいくらいだ。そう言えば、『絶望先生』にも「風浦可不可」(字はうろ覚え)という女の子が出てきたな。
「将来に向かってつまずく」なんて、いい言葉だ。「倒れたままでいるのが一番得意だ」というのも笑ってしまう。
ぬQの「努力アレルギー」と並ぶ、私の中の最近のヒットだ。

(以下引用)

カフカの絶望Add Starrinako2010

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『絶望名人カフカの人生論』という本をパラパラ捲ると、あまりにネガティブすぎて却って笑ってしまうような言葉をカフカが日記や手紙やメモに遺していることがわかる。付箋をばんばん貼った。すごくためになる。カフカって神経質で気難しそうなイメージがあったけどそうとうなユーモア家だ。この本は頭木弘樹さんという方が編訳した。よくこんな面白い本を作ったものだ。のっけからこういうのがある。以下引用多数―

将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。将来にむかってつまずくこと、これはできます。いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。(フェリーツェへの手紙より)

フェリーツェというのはカフカの恋人で婚約までしたにもかかわらずカフカの方から解消した。それにしても恋人に宛てた手紙の文面がこれかよとびっくりする。こんなのもある。

ずいぶん遠くまで歩きました。五時間ほど、ひとりで。それでも孤独さが足りない。まったく人通りのない谷間なのですが、それでもさびしさが足りない。(フェリーツェへの手紙より)

カフカは散歩が趣味だったそうだ。恋人への手紙がこの調子ならば日記の記述も情けない、情けないけど真実をついているようでドキリとする。

ぼくは彼女なしで生きることはできない。……しかしぼくは……彼女とともに生きることもできないだろう。(日記より)

誰でも、ありのままの相手を愛することはできる。しかし、ありのままの相手といっしょに生活することはできない。(日記より)

もっと切実なものがある。

ぼくは同級生の間では馬鹿でとおっていた。何人かの教師からは劣等生と決めつけられ、両親とぼくは何度も面と向かって、その判定を下された。極端な判定を下すことで、人を支配したような気になる連中なのだ。馬鹿だという評判は、みんなからそう信じられ、証拠までとりそろえらえていた。これには腹が立ち、泣きもした。自信を失い、将来にも絶望した。そのときのぼくは、舞台の上で立ちすくんでしまった俳優のようだった。(断片より)

ぼくの人生は、自殺したいという願望を払いのけることだけに、費やされてしまった。(断片より)

そしてかの有名な『変身』についてはこんな中学生の言い訳みたいなことをカフカは書き遺している。

『変身』に対するひどい嫌悪。とても読めたものじゃない結末。ほとんど底の底まで不完全だ。当時、出張旅行で邪魔されなかったら、もっとずっとよくなっていただろうに……。(日記より)




「2ちゃんねる」には、時々、最高にセンスのいいジョークが出るが、下記記事は、似た漢字をならべてジョークを作るというスレッドのネタの一つである。一読では意味不明だと思うが、よく眺めていると、意味がわかる。まあ、orzなどと同じく、字形を絵画的に見るパターンだ。しかし、よくこんなのを考えるねえ。


(以下引用)

106 :名無しにかわってVIPが送ります:2012/03/18(日) 00:38:15.42 ID:5IjVitxgO

小「こいつ…ニヤけてやがる!」
少「ふっ…」



小田嶋隆のコラムから転載。
相変わらず上手いね。「首長によるかまってちゃん改革」とはまさに言い得て妙である。これにマスコミが乗って、延々と下らない馬鹿騒ぎをするわけだ。そういう意味では橋下がマスコミの寵児になった理由もよくわかる。
別に橋下の理念や政策に賛同していなくても、「とにかく騒ぎを起こしてくれる、マスコミ的に歓迎すべき人物」であるとマスコミは見なしているからだ。当の橋下もそれをよく承知していて、マスコミを利用している。そういう相乗り作戦で馬鹿騒ぎが続くわけだが、その馬鹿騒ぎは重篤な被害者を無数に作り出している。大阪の公務員や教師たち、そして今度はそれが福岡に飛び火してきたわけだ。
橋下人気を羨んだ阿呆な首長がその猿まねをして「禁酒令」を出し、それで博多だか中洲だかに膨大な金銭的被害と精神的被害を与えても、この首長が咎められることはない。多分、ないだろう。つまり、今や少し地位がある基地外が基地外的行為をしても、その暴走が誰にも止められない、そういう世の中になりつつあるわけだ。
 
 
(以下引用)
 
福岡の市長による、この度の「禁酒令」は、メディアが大々的に報道することを意識した上での、一種の「広報活動」だと思う。どっちにしても、通常の意味で言うマトモな「施策」ではない。
 昨年来頻発している「首長によるかまってちゃん改革」の一つだという言い方は、あまりに酷な決め付けに見えるかもしれない。が、選挙を意識する政治家は、見出しになれば何でも良いと思っていたりするものなのだ。
 賛否両論を招く刺激的な改革案は、改革自体の成否とは別に、それを持ち出した政治家に巨大な知名度をもたらす。
 いくつかの地方選挙を通じて、このことが学習されて以来、首長は、やたらとメディアに露出して、改革を訴えるようになった。で、今回の出来事も、そうした傾向を受けたパフォーマンスの一つであると、私の目にはどうしてもそんなふうに見えるのである。
 
(引用2)同じコラムの前の部分である。
 
 
われわれは良いことだけをして生きているのではない。
 さまざまな良くないことが、人生の時間を作っている。
 これは、中学校を出たすべての人間が、常識としてわきまえておかなければならない事柄だ。
 一万数千人の人間が1カ月間禁酒をしたら、中洲はどうなるだろう。私はそれを心配している。単純に考えて、地域経済は数億円単位の減収に見舞われるはずだ。屋台の灯は消え、繁華街に人通りは絶え、夜の時間帯の地下鉄はため息を運ぶことになるだろう。いつまでも灯らないネオンの下に集まるガたちは、今年の分の繁殖をあきらめるかもしれない。
 無論、それでもかまわないという人たちはいる。
 あるいは、市民の半分ぐらいは、今回の禁酒を歓迎するかもしれない。
 飲食店の売り上げが多少落ちても、タクシー業界や関連産業の経営に悪影響が出ても、結果として、福岡の夜が健全化し、市政が円滑に流れ、当地の勤労者の生産性が高まるのであれば、全体としてはお釣りが来るはずだ、と、そういう考え方をする人たちがきっといる。彼らは、人々が愚かな行為をやめれば、世界はそれだけ住みやすい場所になると信じている。そういう人たちのアタマの中では、悪徳は生産性の対立概念で、善きおこないと悪しきおこないは、水と油みたいに決してまじわらないことになっている。
 
 ところが、世界は単純ではない。
 ひとつの地域の人間に、強引に何らかの変化を押しつけることは、多くの場合厄災をもたらす。古来、神話や寓話の中で、何かを禁じたことによって、破局を招来する話が繰り返されてきたのは偶然ではない。禁忌は厄災をもたらす。厄災が禁忌をもたらす以上に、それは確実ななりゆきなのだ。
 
「ギャラリー酔いどれ」というブログに引用されていた「心に青雲」というブログ(だと思う)からの孫引き引用である。
スカイツリーについては、最初からマスコミのその大騒ぎぶりにうんざりしていたし、スカイツリー自体もみっともない建造物だと思っていたので、この文章は、我が意を得たり、である。
まあ、例によって電通が背後でマスコミを操っているのだろうが、こんな不細工な建造物は、さっさと倒れてほしいものだ。東京タワーといい、京都タワーといい、近代の高層建築はなぜみんなあんなにみっともないのだろう。「ランドスケープ」を台無しにした罪で、それらのデザイナーを死刑にしてほしいところだ。そういえば、スカイツリーのすぐ側には例の「雲古ビル」があるが、あれを作ったデザイナーはまだ平気で生きているのだろうか。


(以下引用)

◆http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/271135588.html
心に青雲  2012年05月23日
東京スカイツリーの悪趣味


昨日、22日に東京スカイツリーが開業したそうだ。
あの電波塔のデザインの悪さは極めつけだと思うのは、私だけだろうか?
それに、電波塔としては世界一なんていう高さ自慢、のっぽ比べが実にくだらない。

テレビのニュースでは、インタビューされた地元の人が「誇りに思う」と喜んでいたけれど、
アホか! であった。お前とは何の関係ないことなのだよ。
自分が建てたわけでもない塔が地元にできたからといって、誇りだというのは、
完全に言葉の遣いかたを間違えているし、人間として情けないかぎりだ。

スカイツリーを建てたのは、そもそも東京タワーでは当時より多くなった放送局が
発信しきれなくなったとか、東京に高層ビルが多くなって電波の届かないところがあって困ったからだ
と説明を受けてきた。しかし新聞記事によると、本当は、
別にテレビが見られないという公共性は皆無だそうだから、呆れる。

事、テレビ電波の問題としては電波塔はなくても良かったのだ。
じゃあなぜ建てたか、世界一の塔にしたかというと、
下町のあの辺りに東京名所を作りたかったかららしい。
NHK、民間放送局と総務省と東武電鉄、それに押上あたりの地元が、物見遊山の客を集めて
儲けたいためにおったてたのだ。
600メートル級の電波塔を建てないと電波事情が悪くなる、は、口実だった。

たしかに墨田区のあたりは、これといった観光名所が乏しい。
東京の中では取り残されている感じではあった。だからなんとか集客を、の願いがあったのだろう。
しょせんはその程度のものである。だからあんなものをわざわざ見に行く気はさらさらない。
高いところから東京の町並みを見、遠くの富士山や筑波山が見えたところで、
何も大喜びするようなことではない。

http://www.ecobeing.net/ecopeople/peo50/peo50p3.html
上記サイトにスカイツリーを設計した人の記事があるが、言っていることが支離滅裂である。
意味不明。あの形状は、美しいフォルムでもなければ、周辺の風景と調和もしていない。
東京の街にまた一つ違和感のある構造物が出現した程度のことだ。
設計者の顔を見ると、なるほどああいう趣味の悪い塔をデザインするわけだなと思える。

スカイツリーの「基本理念」がこれまた馬鹿げている。
「時空を超えたランドスケープ」だと。
もうこれは言葉だけ華やかにしてみせたみっともないコンセプトである。
ランドスケープとは、Wikipedia では
「景観を構成する諸要素。ある土地における、資源、環境、歴史などの要素が構築する政治的、
経済的、社会的シンボルや空間。または、そのシンボル群や空間が作る都市そのもの」とある。

日本語で言ってほしいものだが、
まさに外国語かぶれの底の浅い人間が、思いついた用語でしかしない。
それが「時空を超えた」となればいっそう、わけがわからない。
押上周辺は江戸情緒が残る町並みがあると、事業主体の会社は説明するが、
押上近隣に江戸情緒の残る町並みなんてない。ウソをつくんじゃないよ

あのあたりは、別にバカにするわけではないが、東京のなかでは開発がちょっと遅れた街で、
せいぜい昭和の名残が街にあるか… でしかない。
それはそれでいいじゃないかと思うが、だから地元としては新宿や渋谷、
あるいは東京の西にある私鉄沿線のこぎれいな、しゃれた商店街なんかのにぎわいを、
墨田区にも作りたかっただけのことである。
それを苦し紛れに「時空を超えたランドスケープ」などと、趣味の悪い宣伝文句をこじつけたのだ。

それにつけても、2000円も3000円も払って展望台にあがりたい人の気持ちが理解できない。
東京の薄汚れた街を見下ろしても何の感動もあるまい。 退屈じゃないんだろうか?


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