ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
最新記事
(05/17)
(05/16)
(05/15)
(05/14)
(05/14)
(05/13)
(05/13)
(05/12)
(05/12)
(05/12)
最新TB
プロフィール
HN:
o-zone
性別:
非公開
ブログ内検索
アーカイブ
最古記事
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
P R
カウンター
「電脳マヴォ」の「同人王」の最新版に肉便器先生の漫画講座があるのだが、その言葉に感心した。
1、絵を描く能力は才能ではなく努力の結果である。
2、絵を描く能力を身につけるには模写をすることである。
ここまでは良く言われることだが、その理由説明までやっているのは初めて見た。
なぜ、模写をすれば絵が描けるようになるのか、というと
3、3000枚も模写をすればイメージ力という「自力」が身に付く。
4、それによってどんな複雑なポーズでも書けるようになる。
というわけである。
これを当たり前だ、とか平凡だ、とか言う人間は、「絵の技能とは、実はイメージ力だ」、という決定的な部分が分かっていない。
肉便器先生の教えは、まさにその「なぜ人は絵をかけるのか」、という本質を説明した、おそらくほとんど最初の言葉なのである。
この言葉はある程度までは多分あらゆる技術にも通用するし、なぜ修練が有効なのか、という事を説明している。たいていの人は、何かを修練すればそれだけで技術が身に付くと思っているが、それは「他人の持つ技術が自分に転移される」という部分への意識が無い。そういう修練では、あまり有効なものにはならないだろう。
自分が今やっている修練は、自分に欠如している「この部分」を学んで「自力」にするためのものだ、という意識が高い人ほど、その修練も早く、高度に身に付くのではないだろうか。
特に、漫画や絵画では、「イメージ力」が「自力」なのである、という指摘は素晴らしい。自分の中に具体的なイメージが無いのに、それを絵画化できるはずはない。そのイメージ力を修練で身につけるメカニズムと、その方法を明快に説明した肉便器先生は最高に素晴らしい。名前はひどいけど。
1、絵を描く能力は才能ではなく努力の結果である。
2、絵を描く能力を身につけるには模写をすることである。
ここまでは良く言われることだが、その理由説明までやっているのは初めて見た。
なぜ、模写をすれば絵が描けるようになるのか、というと
3、3000枚も模写をすればイメージ力という「自力」が身に付く。
4、それによってどんな複雑なポーズでも書けるようになる。
というわけである。
これを当たり前だ、とか平凡だ、とか言う人間は、「絵の技能とは、実はイメージ力だ」、という決定的な部分が分かっていない。
肉便器先生の教えは、まさにその「なぜ人は絵をかけるのか」、という本質を説明した、おそらくほとんど最初の言葉なのである。
この言葉はある程度までは多分あらゆる技術にも通用するし、なぜ修練が有効なのか、という事を説明している。たいていの人は、何かを修練すればそれだけで技術が身に付くと思っているが、それは「他人の持つ技術が自分に転移される」という部分への意識が無い。そういう修練では、あまり有効なものにはならないだろう。
自分が今やっている修練は、自分に欠如している「この部分」を学んで「自力」にするためのものだ、という意識が高い人ほど、その修練も早く、高度に身に付くのではないだろうか。
特に、漫画や絵画では、「イメージ力」が「自力」なのである、という指摘は素晴らしい。自分の中に具体的なイメージが無いのに、それを絵画化できるはずはない。そのイメージ力を修練で身につけるメカニズムと、その方法を明快に説明した肉便器先生は最高に素晴らしい。名前はひどいけど。
PR
「4マルクの小部屋」という映画ファンブログから転載。
私はアニメの最高傑作としてりん・たろうの「銀河鉄道の夜」を常に推しているのだが、宮崎アニメももちろんベスト3以内に入れたい。その中では「ルパン三世カリオストロの城」と「天空の城ラピュタ」、それにテレビアニメだが、「未来少年コナン」が大のごひいきなのである。あ、「クレシン、モーレツ大人帝国の野望」もベスト3以内に入れたいなあ、ということで、ベスト3以内に5つ入れることになる。
で、この「未来少年コナン」は、見ていて気持ちがいい、という点、見ていて楽しい、という点では最高の作品ではないだろうか。男なら誰でも、自分がコナンのような少年で、ラナのような子がこの世に存在するなら、人生をやりなおしてもいい、と思うだろう。
下に書いてあるのは、この作品の「悪のヒロイン」モンスリーの話だが、このモンスリーがまた素晴らしいのだ。私はもともとこういう悪者サイドの美女が好きなのだが、その中でもモンスリーの魅力は別格だ。しかも、ネタばれをするが、実は彼女は悪者サイドに属しているために悪事に加担していただけで、最後にはコナンたちの味方になるのである。善人側に回ってからの彼女も魅力的だが、颯爽とした感じは「悪役ヒロイン」の頃がいいなあ。
モンスリーがなぜ悪の側にいるかというのには理由があって、この作品ではそれがきちんと描かれている。もしかしたら、宮崎駿にとっても、モンスリーは特別なキャラだったのではないか。それほど深い書き込みなのである。だからこそ、あれほど魅力的になったのだろう。
(以下引用)
モンスリーとムク
■未来少年コナン■
テレビアニメ史上に輝く傑作「未来少年コナン」については,もうあらゆることが語り尽くされているので今更僕などが付け加えることは何もない。が,たまに引っぱり出して見ているとやはり面白くて夢中になってしまう。見る側の経験値がいくら上がっても全く色褪せないというのは凄い。
最初のオンエア当時,僕はアニメの絵柄というのは劇画調でシャープな,線の多い細かい描き込みのものほどかっこいいと思い込んでいた。ヤマトみたいなのが人気あったしね。だからコナンの製作記事をアニメ誌の片隅に見たときは「なんか子供っぽい絵だな,NHKだもんな」などと思ったものである。で,とりあえず見てみた第1話。
うわあっ,続きは?ねえこの続きは!?
てなもんである。僕はこのとき宮崎監督言うところの漫画映画の楽しさ,面白さを初めて実感したのだと思う。劇画調メカや線の多いキャラクターへのこだわりは無意味なものだと痛感した。本当の面白さはそんなところにはないのだと知ったのである。コペルニクス的転回だったなあ。
これを見てしまうと観客の目が一挙に肥えてしまうのだ。高校野球しか知らない観客にメジャーリーグの試合を見せてしまったようなものである。もう元には戻れない。他のテレビアニメの作り手たちにも衝撃だったろう。
さて,この「未来少年コナン」は名場面の宝庫なのでいろんなシーンにそれぞれの思い入れがある。語り出すと止まらない人も多いだろう。僕も同様だが,今回はファンの多いモンスリー女史のくだりをひとつ。実はコナンやラナのシーンをさしおいてここがとっても好きなのだ。第19話「大津波」の回である。
ハイハーバーに乗り込んで武力で人々を押さえつけながらもコナンの活躍で敗色濃厚なモンスリー。心労にひととき庭で休んでいると目の前を通りすぎる一匹の犬。それを見た彼女の心にふと子供のころの記憶がよみがえる。愛犬ムクと駆けまわっていた彼女が体験した破滅の光景……。
非情な戦闘指揮官としての彼女がしまい込んでいた過去が明かされる瞬間なのだが,この直後のコナンとの静かなやりとりが実に印象的だ。彼女はもう心が疲れてほころびかけている,そんな様子とともに「ああ,この人はこの先救われてほしいな」という思いを抱かせる絶妙の演出がすばらしい。
今はDVDも出ているが僕の手元にあるのは旧LDボックス版。ディスク5のSIDE2,チャプター2の7分15秒あたりから。吉田理保子さんの演技はすばらしいのひと言。
ハイハーバーを襲う大津波と彼女の記憶の中の大津波。津波はかつて幼い彼女の心を打ち砕いたが,時を経て今,冷酷に凝り固まった彼女の心にひびを入れたのだ。この回は物語自体のターニング・ポイントになっているが,それはモンスリーというたいへん魅力的な女性キャラクターにとっても同様だったのである。
それにしても「コナン」の面白さというのは尋常ではない。この文章のために第19話を見ていたら案の定,止められなくなって結局最終回まで見てしまった。最近は突き放したような結末の作品が多いが,こういう大団円というのもいいなーとあらためて思う。シアワセな気分になれるもの。
この作品を体験せずに物語の面白さについて語るなんて自分の未熟を暴露するようなものだ。どのメディアでもいいから必携必見である。
私はアニメの最高傑作としてりん・たろうの「銀河鉄道の夜」を常に推しているのだが、宮崎アニメももちろんベスト3以内に入れたい。その中では「ルパン三世カリオストロの城」と「天空の城ラピュタ」、それにテレビアニメだが、「未来少年コナン」が大のごひいきなのである。あ、「クレシン、モーレツ大人帝国の野望」もベスト3以内に入れたいなあ、ということで、ベスト3以内に5つ入れることになる。
で、この「未来少年コナン」は、見ていて気持ちがいい、という点、見ていて楽しい、という点では最高の作品ではないだろうか。男なら誰でも、自分がコナンのような少年で、ラナのような子がこの世に存在するなら、人生をやりなおしてもいい、と思うだろう。
下に書いてあるのは、この作品の「悪のヒロイン」モンスリーの話だが、このモンスリーがまた素晴らしいのだ。私はもともとこういう悪者サイドの美女が好きなのだが、その中でもモンスリーの魅力は別格だ。しかも、ネタばれをするが、実は彼女は悪者サイドに属しているために悪事に加担していただけで、最後にはコナンたちの味方になるのである。善人側に回ってからの彼女も魅力的だが、颯爽とした感じは「悪役ヒロイン」の頃がいいなあ。
モンスリーがなぜ悪の側にいるかというのには理由があって、この作品ではそれがきちんと描かれている。もしかしたら、宮崎駿にとっても、モンスリーは特別なキャラだったのではないか。それほど深い書き込みなのである。だからこそ、あれほど魅力的になったのだろう。
(以下引用)
モンスリーとムク
■未来少年コナン■
テレビアニメ史上に輝く傑作「未来少年コナン」については,もうあらゆることが語り尽くされているので今更僕などが付け加えることは何もない。が,たまに引っぱり出して見ているとやはり面白くて夢中になってしまう。見る側の経験値がいくら上がっても全く色褪せないというのは凄い。
最初のオンエア当時,僕はアニメの絵柄というのは劇画調でシャープな,線の多い細かい描き込みのものほどかっこいいと思い込んでいた。ヤマトみたいなのが人気あったしね。だからコナンの製作記事をアニメ誌の片隅に見たときは「なんか子供っぽい絵だな,NHKだもんな」などと思ったものである。で,とりあえず見てみた第1話。
うわあっ,続きは?ねえこの続きは!?
てなもんである。僕はこのとき宮崎監督言うところの漫画映画の楽しさ,面白さを初めて実感したのだと思う。劇画調メカや線の多いキャラクターへのこだわりは無意味なものだと痛感した。本当の面白さはそんなところにはないのだと知ったのである。コペルニクス的転回だったなあ。
これを見てしまうと観客の目が一挙に肥えてしまうのだ。高校野球しか知らない観客にメジャーリーグの試合を見せてしまったようなものである。もう元には戻れない。他のテレビアニメの作り手たちにも衝撃だったろう。
さて,この「未来少年コナン」は名場面の宝庫なのでいろんなシーンにそれぞれの思い入れがある。語り出すと止まらない人も多いだろう。僕も同様だが,今回はファンの多いモンスリー女史のくだりをひとつ。実はコナンやラナのシーンをさしおいてここがとっても好きなのだ。第19話「大津波」の回である。
ハイハーバーに乗り込んで武力で人々を押さえつけながらもコナンの活躍で敗色濃厚なモンスリー。心労にひととき庭で休んでいると目の前を通りすぎる一匹の犬。それを見た彼女の心にふと子供のころの記憶がよみがえる。愛犬ムクと駆けまわっていた彼女が体験した破滅の光景……。
非情な戦闘指揮官としての彼女がしまい込んでいた過去が明かされる瞬間なのだが,この直後のコナンとの静かなやりとりが実に印象的だ。彼女はもう心が疲れてほころびかけている,そんな様子とともに「ああ,この人はこの先救われてほしいな」という思いを抱かせる絶妙の演出がすばらしい。
今はDVDも出ているが僕の手元にあるのは旧LDボックス版。ディスク5のSIDE2,チャプター2の7分15秒あたりから。吉田理保子さんの演技はすばらしいのひと言。
ハイハーバーを襲う大津波と彼女の記憶の中の大津波。津波はかつて幼い彼女の心を打ち砕いたが,時を経て今,冷酷に凝り固まった彼女の心にひびを入れたのだ。この回は物語自体のターニング・ポイントになっているが,それはモンスリーというたいへん魅力的な女性キャラクターにとっても同様だったのである。
それにしても「コナン」の面白さというのは尋常ではない。この文章のために第19話を見ていたら案の定,止められなくなって結局最終回まで見てしまった。最近は突き放したような結末の作品が多いが,こういう大団円というのもいいなーとあらためて思う。シアワセな気分になれるもの。
この作品を体験せずに物語の面白さについて語るなんて自分の未熟を暴露するようなものだ。どのメディアでもいいから必携必見である。
「阿修羅」から転載。
私が「AKB48」に対して感じている不快感を明瞭に分析した好文章である。そして、現代社会の深層にある差別や搾取の構造をAKB現象から読み取る社会学的好論文になっている。いや、ほとんど哲学レベルだ。
「AKBの、特に「総選挙」や「じゃんけん大会」を見ていて感じるのは、いやそれは、日本のテレビ番組全体を見ててしばしば感じることだが、人間というもの(ここでは、AKBのメンバーの女性たち個々と言っていい)に対する、社会全体からの徹底的な搾取や侮蔑や愚弄ということ、そのことによって是認され受容されていく、この人間愚弄的な社会の現実ということである。
他人を対象化し(同じことだが)搾取し、愚弄してもよいと考えることは、自分自身が受けている搾取や愚弄を否認しつつ受け入れることとつながっている。
それは、人が生きるという事実への軽視・否認であり、戦争を簡単に選んでしまうような心のあり方でもあると思う。」
まさしくその通りだろう。我々の社会が「新しい奴隷制度社会」であることをこの文章は見事に論じている。
哲学とは、何を論じるかではなく、いかに深く論じるか、という深度の問題である。対象がAKBだろうが芸者の着物の柄だろうが、哲学の対象たりうる。
(以下引用)
AKBじゃんけん大会に見る-我らの競争と戦争・・・体制詐術のうえで踊らされる無邪気さ!
http://www.asyura2.com/10/social8/msg/899.html
投稿者 墨染 日時 2012 年 9 月 23 日 12:32:21: EVQc6rJP..8E.
http://blogos.com/article/47089/?axis=p:0
ちょうど尖閣諸島に中国の大船団が来るというガセネタで日本中が浮き足立ってる頃であったが、テレビで3時間の生中継、田原総一郎氏を解説者に招いてAKBの大じゃんけん大会をやっていた。
ぼくはAKBの番組はよく見てる方だと思うが、さすがにこの企画はちょっと空恐ろしいものを感じた(「総選挙」とかも大嫌いである)ので、ツイッター(@yousaymale)でつぶやいたりもしながら、その空恐ろしさの中味を考えてみた。
以下二つが、呟いたこと。
AKBのじゃんけん大会って、凄いなあ。「努力など無意味で、結果は偶然でしか決まらない」という非人間的な現実を、全身全霊で肯定する姿勢の賛美。その理由は、国家や社会がそれを望んでるからだろう。個人の意志や営為の全否定。「デモの暴徒化」などより、こっちの方がはるかに戦争に近いと思う。
昨日書いたAKBのじゃんけん大会。要は、一生懸命努力(献身)することは絶対に要請されていて、だがその結果(報酬)は一切求めてはならない、という思想ではないか。僕はあれは、怖いもんだと思う。戦場では弾に当たることもあるかも知れないが、それはあなたの運が悪かったというだけである。
AKBは国民的現象ともいわれ、実際の人気どうこうを越えて、メディアでは異常なほどに露出されている。
その過重労働(搾取)ぶりを批判する声も多くあり、その通りだろうと思う。ぼく自身も、彼女たちの番組をよく見てるわけだから、それに加担してることは確かなことである。
だがここで特に強調したいのは、このグループがマスメディアに非常に多く露出するばかりか、いまや政府系の広報にも登場する、掛け値なしの政治的機能を担わされた存在になってるということである。
田原総一郎氏が、「この非常時に」(笑)、生放送の解説にはせ参じたことは氏の怠慢ではないのであって、日中の情勢に関してピントのはずれた解説を繰り返しているよりは、むしろこちらの場においてこそ彼は深く現実の「政治」に関与したのだと言える。もちろん、批判的に言ってるわけだが。
なので、全国ネットのゴールデンタイムに生放送されたあの「じゃんけん大会」に、ぼくが感じた空恐ろしさについて分析することは、やはりそれなりの政治的重要性を持つだろうと思って、ここに書くのである。
自分が「呟いた」内容を、もう一度よく考えてみよう。
ここで重要だと思うのは、結果が偶然で決まるということ、結果に対する偶然性が賛美されてることそれ自体ではない。
そうではなく、偶然によってのみ決せられる結果に対して、全力で取り組むという姿勢が賛美されてるいう点が重要なのである。つまり、「全力で努力(献身)しなさい、ただし結果(報酬)は求めるな」というメッセージが感じられるのだ。
結果が偶然でしか決まらないから、手を抜いたり、その場から実質上「降りる」などという態度は、不道徳であり、また美しくないのである。
努力の結果(報酬)を全く求めない、求めてはならない行為が、全身全霊での奉仕が、こうして称揚され、強要される。
だが、誰がそれを強要するのか?
産業のシステムであり、国の体制が、それを押し付けてくるのだ。
どれほど結果(報酬)の得られることが少なくとも、それに全く結びつかないことさえあっても、競争を、そのための努力を、したがってこの現行のシステムのための献身を、決して怠ってはならない。
「努力の結果」などを求めるのは、エゴイズムであり、この社会のシステムへの、また国家への反逆者である。
とにかく競争せよ、そして奉仕せよ。見返りは何も求めるな。競争と奉仕こそが、お前の幸福であり、存在の意味だ。
僕はそこに、小さな個々人の生というものへの、欲望や夢や感情や生存それ自体を含めた、個々の生そのものへの、圧倒的な暴力と愚弄を感じる。
無論、自分自身もそれに加担しているということを含めて。
もちろん、ここで競われているのは、「センターをとる」ということ、そして人気(ファンによる承認)を獲得するということである。
彼女たちの競争の目的になっているのは、ファンの支持を得て芸能界で成功するということだろう。そこには、個人の切実だったり、小さな夢や、さまざまな感情というものがあるだろう。
だが、資本や社会全体は、それを利用して搾取する。それは、この産業を仕組んだり支配している者は当然そうだが、「ファン」と呼ばれる人たち、とりわけ僕のような「男性ファン」たちは、恐らく自分自身が日常被っている搾取の暴力を、性的な欲望(攻撃性)という形に変換してそこに振り向けることによって、この搾取のシステムに各々が加担するのだ。
そこでは、AKBのメンバーたちは、その「夢」を実現することによって、同時に人格のある部分が搾取され、暴力にさらされ、傷を被ることになる。
そうしたことは、まさに「芸能」というものの、太古からの内実だろう。だが今日「芸能」というこの仕組みは、巨大な産業社会の全体、国家という暴力装置の全体にがっちりと組み込まれている。
今の日本の社会では、それは、性の欲望という形で「男」から「女」たちに差し向けられる暴力というもの、その産業的な仕組みを通して、(男たち自身もそれに曝されている)競争社会の暴力性が肯定され、人々が搾取の対象であると同時に暴力的でもあるというあり方が、当たり前のことだと考えられ、そうやって日常と戦場とがまったく地続きのものとして実感されていく、という仕掛けである。
この意味で、AKB特番(「じゃんけん大会」は、その集約的な企画だが)、領土への熱狂を煽る報道・情報番組に劣らず政治的なのである。
AKBの、特に「総選挙」や「じゃんけん大会」を見ていて感じるのは、いやそれは、日本のテレビ番組全体を見ててしばしば感じることだが、人間というもの(ここでは、AKBのメンバーの女性たち個々と言っていい)に対する、社会全体からの徹底的な搾取や侮蔑や愚弄ということ、そのことによって是認され受容されていく、この人間愚弄的な社会の現実ということである。
他人を対象化し(同じことだが)搾取し、愚弄してもよいと考えることは、自分自身が受けている搾取や愚弄を否認しつつ受け入れることとつながっている。
それは、人が生きるという事実への軽視・否認であり、戦争を簡単に選んでしまうような心のあり方でもあると思う。
たとえば、前田敦子がグループを引退する最後のテレビ番組のステージで、動機の峯岸みなみが、号泣しながら前田に、『中学を卒業してすぐにこの世界に入り、友達もいないし学力もない、こんな私たちが・・』と言いかけたとき、会場の男性ファンから不意に起こった、まるで嘲る様な、少なくとも失笑のような声を、僕は忘れない。
彼女たちのファンのすべてがそうだというわけではもちろんない。本当に彼女達を思いやっている熱心なファンはむしろ別にして、大した思い入れもなく見て馬鹿にしたり楽しんだりしているような僕のような大半のテレビ視聴者こそが、本当に搾取者であり差別者だということが言いたいのだ。
社会全体が、とりわけ大人たちが、なかでも特に異性愛者の男性が、十代を越えたか越えないかの若い女性たちの生や性を、侮蔑や搾取の対象にしているというこのことこそ、まさに日本の社会の現実であり、それは恐らく戦前から何も変わっていない。
変わっていないのだ。
子どもや、女性たちや、アジアの人々は、それをじっと見ているであろう。
見ているが、多くは何も言わないだろう。なぜなら、そこには我々自身と絡み合った、さまざまな現実や生活や、夢や感情があり、生きていくための事情があるからだ。
だが、何も言わないからといって、傷ついていないということでは決してなく、またその人たちが今は「成功」しているように見えたとしても、その心や体にかつて深い傷を負わせたのは我々だということ、そしてそのことに何の反省もしていないという事実の重さは変わらないのだ。
その変わらない態度、暴力性に開き直ったかのような粗暴な態度に対して、人々がついにあげる怒りの声からも耳を閉ざすなら、我々はこの暴力の渦に再び完全に飲み込まれ、個々の小さなかけがえのない生の現実、自分や他人の生きていることの尊さというものに触れる機会を、永久に失うだろう。
私が「AKB48」に対して感じている不快感を明瞭に分析した好文章である。そして、現代社会の深層にある差別や搾取の構造をAKB現象から読み取る社会学的好論文になっている。いや、ほとんど哲学レベルだ。
「AKBの、特に「総選挙」や「じゃんけん大会」を見ていて感じるのは、いやそれは、日本のテレビ番組全体を見ててしばしば感じることだが、人間というもの(ここでは、AKBのメンバーの女性たち個々と言っていい)に対する、社会全体からの徹底的な搾取や侮蔑や愚弄ということ、そのことによって是認され受容されていく、この人間愚弄的な社会の現実ということである。
他人を対象化し(同じことだが)搾取し、愚弄してもよいと考えることは、自分自身が受けている搾取や愚弄を否認しつつ受け入れることとつながっている。
それは、人が生きるという事実への軽視・否認であり、戦争を簡単に選んでしまうような心のあり方でもあると思う。」
まさしくその通りだろう。我々の社会が「新しい奴隷制度社会」であることをこの文章は見事に論じている。
哲学とは、何を論じるかではなく、いかに深く論じるか、という深度の問題である。対象がAKBだろうが芸者の着物の柄だろうが、哲学の対象たりうる。
(以下引用)
AKBじゃんけん大会に見る-我らの競争と戦争・・・体制詐術のうえで踊らされる無邪気さ!
http://www.asyura2.com/10/social8/msg/899.html
投稿者 墨染 日時 2012 年 9 月 23 日 12:32:21: EVQc6rJP..8E.
http://blogos.com/article/47089/?axis=p:0
ちょうど尖閣諸島に中国の大船団が来るというガセネタで日本中が浮き足立ってる頃であったが、テレビで3時間の生中継、田原総一郎氏を解説者に招いてAKBの大じゃんけん大会をやっていた。
ぼくはAKBの番組はよく見てる方だと思うが、さすがにこの企画はちょっと空恐ろしいものを感じた(「総選挙」とかも大嫌いである)ので、ツイッター(@yousaymale)でつぶやいたりもしながら、その空恐ろしさの中味を考えてみた。
以下二つが、呟いたこと。
AKBのじゃんけん大会って、凄いなあ。「努力など無意味で、結果は偶然でしか決まらない」という非人間的な現実を、全身全霊で肯定する姿勢の賛美。その理由は、国家や社会がそれを望んでるからだろう。個人の意志や営為の全否定。「デモの暴徒化」などより、こっちの方がはるかに戦争に近いと思う。
昨日書いたAKBのじゃんけん大会。要は、一生懸命努力(献身)することは絶対に要請されていて、だがその結果(報酬)は一切求めてはならない、という思想ではないか。僕はあれは、怖いもんだと思う。戦場では弾に当たることもあるかも知れないが、それはあなたの運が悪かったというだけである。
AKBは国民的現象ともいわれ、実際の人気どうこうを越えて、メディアでは異常なほどに露出されている。
その過重労働(搾取)ぶりを批判する声も多くあり、その通りだろうと思う。ぼく自身も、彼女たちの番組をよく見てるわけだから、それに加担してることは確かなことである。
だがここで特に強調したいのは、このグループがマスメディアに非常に多く露出するばかりか、いまや政府系の広報にも登場する、掛け値なしの政治的機能を担わされた存在になってるということである。
田原総一郎氏が、「この非常時に」(笑)、生放送の解説にはせ参じたことは氏の怠慢ではないのであって、日中の情勢に関してピントのはずれた解説を繰り返しているよりは、むしろこちらの場においてこそ彼は深く現実の「政治」に関与したのだと言える。もちろん、批判的に言ってるわけだが。
なので、全国ネットのゴールデンタイムに生放送されたあの「じゃんけん大会」に、ぼくが感じた空恐ろしさについて分析することは、やはりそれなりの政治的重要性を持つだろうと思って、ここに書くのである。
自分が「呟いた」内容を、もう一度よく考えてみよう。
ここで重要だと思うのは、結果が偶然で決まるということ、結果に対する偶然性が賛美されてることそれ自体ではない。
そうではなく、偶然によってのみ決せられる結果に対して、全力で取り組むという姿勢が賛美されてるいう点が重要なのである。つまり、「全力で努力(献身)しなさい、ただし結果(報酬)は求めるな」というメッセージが感じられるのだ。
結果が偶然でしか決まらないから、手を抜いたり、その場から実質上「降りる」などという態度は、不道徳であり、また美しくないのである。
努力の結果(報酬)を全く求めない、求めてはならない行為が、全身全霊での奉仕が、こうして称揚され、強要される。
だが、誰がそれを強要するのか?
産業のシステムであり、国の体制が、それを押し付けてくるのだ。
どれほど結果(報酬)の得られることが少なくとも、それに全く結びつかないことさえあっても、競争を、そのための努力を、したがってこの現行のシステムのための献身を、決して怠ってはならない。
「努力の結果」などを求めるのは、エゴイズムであり、この社会のシステムへの、また国家への反逆者である。
とにかく競争せよ、そして奉仕せよ。見返りは何も求めるな。競争と奉仕こそが、お前の幸福であり、存在の意味だ。
僕はそこに、小さな個々人の生というものへの、欲望や夢や感情や生存それ自体を含めた、個々の生そのものへの、圧倒的な暴力と愚弄を感じる。
無論、自分自身もそれに加担しているということを含めて。
もちろん、ここで競われているのは、「センターをとる」ということ、そして人気(ファンによる承認)を獲得するということである。
彼女たちの競争の目的になっているのは、ファンの支持を得て芸能界で成功するということだろう。そこには、個人の切実だったり、小さな夢や、さまざまな感情というものがあるだろう。
だが、資本や社会全体は、それを利用して搾取する。それは、この産業を仕組んだり支配している者は当然そうだが、「ファン」と呼ばれる人たち、とりわけ僕のような「男性ファン」たちは、恐らく自分自身が日常被っている搾取の暴力を、性的な欲望(攻撃性)という形に変換してそこに振り向けることによって、この搾取のシステムに各々が加担するのだ。
そこでは、AKBのメンバーたちは、その「夢」を実現することによって、同時に人格のある部分が搾取され、暴力にさらされ、傷を被ることになる。
そうしたことは、まさに「芸能」というものの、太古からの内実だろう。だが今日「芸能」というこの仕組みは、巨大な産業社会の全体、国家という暴力装置の全体にがっちりと組み込まれている。
今の日本の社会では、それは、性の欲望という形で「男」から「女」たちに差し向けられる暴力というもの、その産業的な仕組みを通して、(男たち自身もそれに曝されている)競争社会の暴力性が肯定され、人々が搾取の対象であると同時に暴力的でもあるというあり方が、当たり前のことだと考えられ、そうやって日常と戦場とがまったく地続きのものとして実感されていく、という仕掛けである。
この意味で、AKB特番(「じゃんけん大会」は、その集約的な企画だが)、領土への熱狂を煽る報道・情報番組に劣らず政治的なのである。
AKBの、特に「総選挙」や「じゃんけん大会」を見ていて感じるのは、いやそれは、日本のテレビ番組全体を見ててしばしば感じることだが、人間というもの(ここでは、AKBのメンバーの女性たち個々と言っていい)に対する、社会全体からの徹底的な搾取や侮蔑や愚弄ということ、そのことによって是認され受容されていく、この人間愚弄的な社会の現実ということである。
他人を対象化し(同じことだが)搾取し、愚弄してもよいと考えることは、自分自身が受けている搾取や愚弄を否認しつつ受け入れることとつながっている。
それは、人が生きるという事実への軽視・否認であり、戦争を簡単に選んでしまうような心のあり方でもあると思う。
たとえば、前田敦子がグループを引退する最後のテレビ番組のステージで、動機の峯岸みなみが、号泣しながら前田に、『中学を卒業してすぐにこの世界に入り、友達もいないし学力もない、こんな私たちが・・』と言いかけたとき、会場の男性ファンから不意に起こった、まるで嘲る様な、少なくとも失笑のような声を、僕は忘れない。
彼女たちのファンのすべてがそうだというわけではもちろんない。本当に彼女達を思いやっている熱心なファンはむしろ別にして、大した思い入れもなく見て馬鹿にしたり楽しんだりしているような僕のような大半のテレビ視聴者こそが、本当に搾取者であり差別者だということが言いたいのだ。
社会全体が、とりわけ大人たちが、なかでも特に異性愛者の男性が、十代を越えたか越えないかの若い女性たちの生や性を、侮蔑や搾取の対象にしているというこのことこそ、まさに日本の社会の現実であり、それは恐らく戦前から何も変わっていない。
変わっていないのだ。
子どもや、女性たちや、アジアの人々は、それをじっと見ているであろう。
見ているが、多くは何も言わないだろう。なぜなら、そこには我々自身と絡み合った、さまざまな現実や生活や、夢や感情があり、生きていくための事情があるからだ。
だが、何も言わないからといって、傷ついていないということでは決してなく、またその人たちが今は「成功」しているように見えたとしても、その心や体にかつて深い傷を負わせたのは我々だということ、そしてそのことに何の反省もしていないという事実の重さは変わらないのだ。
その変わらない態度、暴力性に開き直ったかのような粗暴な態度に対して、人々がついにあげる怒りの声からも耳を閉ざすなら、我々はこの暴力の渦に再び完全に飲み込まれ、個々の小さなかけがえのない生の現実、自分や他人の生きていることの尊さというものに触れる機会を、永久に失うだろう。
「2ちゃんねるDays Plus」から転載。
少し面白い記事だが、私はこの悪意ある記事にけっして賛成ではないし、ダルビッシュ批判のコメントにも不賛成だ。ダルビッシュこそ、「正しい部活」の在り方だし、だからこそ高校で潰れることがなかったのである。黒田の成功例の陰には、そうした「しごき部活」で潰された無数の選手、辞めていった無数の選手がいる。あの落合ですら、大学野球のしごき体質に嫌気がさして、大学を辞めているのである。
ただし、ダルビッシュはプロに入ってからの精進と研究が並はずれていたから、あそこまでの大投手になったのであるが、高校野球の間は遊び半分でもプロ入りできるだけの素材であったわけだ。
(以下引用)
res:169 名無しさん@恐縮ですsage2012/10/12(金) 22:52:33.87 ID:JdC2CqRB0
アマチュア時代の黒田
・早朝から深夜までの練習
・水を飲むのが禁止されていたので川で水を飲んでいた
・軍隊式でミスをすればケツバット(次の日は椅子に座れないほど)
・焼けた歩道に正座をさせられて殴られるのは日常茶飯事
・早く起きて先輩の靴下を手洗い
・洗濯ができていないと、熱くなっている屋根の上に正座(足の感覚がなくなり、はって部屋に帰る)
・罰走は朝6時から午後9時の15時間走×4日連続
東北高校時代のダルビッシュ
・他のチームメイトがやってる午前練習に参加しない
・1人だけ食堂で寝起き姿
・チームメイトいわく「一緒に練習したことがない」
・1年生は寮内で長ズボンと靴下の着用が義務づけられているが、ダルは入学当初から短パンに素足
・監督はダルを怒らず、練習も本人任せ
・高校球児は全力で試合に臨むものだが、ダルは6割くらいの力で試合の中で色々試していた
・キャプテンにつくも誰もついてこないで実質チームを引っ張ってたのは副キャプテン
・神宮大会の数日後にダルが「野球を辞めたい」といって副キャプテンは監督に怒られる
・辞めたい理由は「みんながついてきてくれない」「チームメイトが陰口を言う」
・食堂でチームメイトを集めミーティング。そこでダルはチームメイトから不満の集中砲火を浴びて号泣
・ダルは小声で言い返すが聞こえないので同級生の通訳が大声で翻訳していた
2012年メジャーリーグ成績
黒田
16勝 219イニング 防御率3.32 whip1.17 ポストシーズン進出&大活躍
ダルビッシュ
16勝 191イニング 防御率3.90 whip1.28 ワイルドカード敗退
黒田「子供のときは野球が楽しいと思ったことはないです。もし試合で200球投げろと言われたら、
疲れるでしょうが、やると思います。そうやって教えられて来ましたから」
ダルビッシュ「全然 大丈夫なんですが、大事を取っただけですので、ご心配なく」 ――太もも張りが出てローテ回避のとき
ダルビッシュ「アスレチックス戦は寝違えで登板回避しました。まさかです!寝違えは防ぎようがないからなぁ。
チームに迷惑かけて申し訳ないですね。。切り替えて次、頑張ります!!」 ――試合前に首の張りでローテ回避のとき
res:175 名無しさん@恐縮です2012/10/12(金) 22:55:00.02 ID:Sk0Ie2Nj0
>>169
黒田は高校やきうのとき控えで高校やきう文化から逃れてたんだよ。
バカじゃね。この焼き豚w
res:177 名無しさん@恐縮ですsage2012/10/12(金) 22:55:06.08 ID:bX8qRq7n0
>>169
高校時代のダルビッシュは成長痛で練習ができなかったんだよ
あと基本的に人付き合いは不得意な方
res:182 名無しさん@恐縮です2012/10/12(金) 22:56:56.92 ID:cHmuLoktO
>>169
なんかnumberに載ってた記事かな
res:204 名無しさん@恐縮ですsage2012/10/12(金) 23:05:20.55 ID:acWsaqNe0
>>169
コレを見るとここってときにメンタルが発揮されるのは黒田なんだろうな
粘りの投球をするし大舞台でも活躍してる
ダルビッシュはWBCでもここ一番で最低の投球してたし
ポストシーズンかかった大一番でも惨敗
少しでも打たれたらワイルドピッチ連発するわフリーで盗塁許すわ
厳しい練習から逃げてるからメンタルが弱すぎる
res:209 名無しさん@恐縮ですsage2012/10/12(金) 23:07:30.34 ID:Apfjesuw0
>>169
レーニング環境とか関係なく、幼少期に既に形成されてる性格の違いだな
黒田とダルが同時期にしごきトレーニング始めても黒田は耐えるがダルは半日と経たず辞めるだろ
少し面白い記事だが、私はこの悪意ある記事にけっして賛成ではないし、ダルビッシュ批判のコメントにも不賛成だ。ダルビッシュこそ、「正しい部活」の在り方だし、だからこそ高校で潰れることがなかったのである。黒田の成功例の陰には、そうした「しごき部活」で潰された無数の選手、辞めていった無数の選手がいる。あの落合ですら、大学野球のしごき体質に嫌気がさして、大学を辞めているのである。
ただし、ダルビッシュはプロに入ってからの精進と研究が並はずれていたから、あそこまでの大投手になったのであるが、高校野球の間は遊び半分でもプロ入りできるだけの素材であったわけだ。
(以下引用)
res:169 名無しさん@恐縮ですsage2012/10/12(金) 22:52:33.87 ID:JdC2CqRB0
アマチュア時代の黒田
・早朝から深夜までの練習
・水を飲むのが禁止されていたので川で水を飲んでいた
・軍隊式でミスをすればケツバット(次の日は椅子に座れないほど)
・焼けた歩道に正座をさせられて殴られるのは日常茶飯事
・早く起きて先輩の靴下を手洗い
・洗濯ができていないと、熱くなっている屋根の上に正座(足の感覚がなくなり、はって部屋に帰る)
・罰走は朝6時から午後9時の15時間走×4日連続
東北高校時代のダルビッシュ
・他のチームメイトがやってる午前練習に参加しない
・1人だけ食堂で寝起き姿
・チームメイトいわく「一緒に練習したことがない」
・1年生は寮内で長ズボンと靴下の着用が義務づけられているが、ダルは入学当初から短パンに素足
・監督はダルを怒らず、練習も本人任せ
・高校球児は全力で試合に臨むものだが、ダルは6割くらいの力で試合の中で色々試していた
・キャプテンにつくも誰もついてこないで実質チームを引っ張ってたのは副キャプテン
・神宮大会の数日後にダルが「野球を辞めたい」といって副キャプテンは監督に怒られる
・辞めたい理由は「みんながついてきてくれない」「チームメイトが陰口を言う」
・食堂でチームメイトを集めミーティング。そこでダルはチームメイトから不満の集中砲火を浴びて号泣
・ダルは小声で言い返すが聞こえないので同級生の通訳が大声で翻訳していた
2012年メジャーリーグ成績
黒田
16勝 219イニング 防御率3.32 whip1.17 ポストシーズン進出&大活躍
ダルビッシュ
16勝 191イニング 防御率3.90 whip1.28 ワイルドカード敗退
黒田「子供のときは野球が楽しいと思ったことはないです。もし試合で200球投げろと言われたら、
疲れるでしょうが、やると思います。そうやって教えられて来ましたから」
ダルビッシュ「全然 大丈夫なんですが、大事を取っただけですので、ご心配なく」 ――太もも張りが出てローテ回避のとき
ダルビッシュ「アスレチックス戦は寝違えで登板回避しました。まさかです!寝違えは防ぎようがないからなぁ。
チームに迷惑かけて申し訳ないですね。。切り替えて次、頑張ります!!」 ――試合前に首の張りでローテ回避のとき
res:175 名無しさん@恐縮です2012/10/12(金) 22:55:00.02 ID:Sk0Ie2Nj0
>>169
黒田は高校やきうのとき控えで高校やきう文化から逃れてたんだよ。
バカじゃね。この焼き豚w
res:177 名無しさん@恐縮ですsage2012/10/12(金) 22:55:06.08 ID:bX8qRq7n0
>>169
高校時代のダルビッシュは成長痛で練習ができなかったんだよ
あと基本的に人付き合いは不得意な方
res:182 名無しさん@恐縮です2012/10/12(金) 22:56:56.92 ID:cHmuLoktO
>>169
なんかnumberに載ってた記事かな
res:204 名無しさん@恐縮ですsage2012/10/12(金) 23:05:20.55 ID:acWsaqNe0
>>169
コレを見るとここってときにメンタルが発揮されるのは黒田なんだろうな
粘りの投球をするし大舞台でも活躍してる
ダルビッシュはWBCでもここ一番で最低の投球してたし
ポストシーズンかかった大一番でも惨敗
少しでも打たれたらワイルドピッチ連発するわフリーで盗塁許すわ
厳しい練習から逃げてるからメンタルが弱すぎる
res:209 名無しさん@恐縮ですsage2012/10/12(金) 23:07:30.34 ID:Apfjesuw0
>>169
レーニング環境とか関係なく、幼少期に既に形成されてる性格の違いだな
黒田とダルが同時期にしごきトレーニング始めても黒田は耐えるがダルは半日と経たず辞めるだろ
「ヤフー・ニュース」で拾った記事だが、いい記事なので転載しておく。
鎌田という選手のことはまったく知らなかったが、野球選手としては気が優しすぎるようだ。あるいは謙虚すぎる。勝負の世界では、これは美徳にはならない。
引退した或るプロ野球選手が言っていたのだが、プロ野球の名選手は例外なく「嫌な奴」だったそうである。それはある意味当然であり、他人を蹴落として生き延びるのがプロスポーツの世界なのだから、そこで生き延びた人間がお人好しのはずはない。つまり世間的な意味での「いい人」ではないはずだ。
我々も外部から見ているだけだから「名選手」のプレーに喝采を送り、ファンとして喜ぶのだが、その選手と身近に接したいか、と言えば、私は御免蒙る。私は野球というゲームを愛し、その要素としての選手たちを愛するだけである。
さて、鎌田選手が台湾に渡っていい結果を残したことは喜ばしい。人生は、思いがけないところに思いがけない事が待っているものだ。この幸運は、彼自身の努力や才能の結果でもあるが、彼にそのきっかけを与えたヤクルト時代の先輩の存在が大きい。また、その先輩がそういう親切をするに値するだけの好ましい人間性が鎌田選手にはあったのだろう。そういう意味では「いい人」であることは、どこかで報われるわけだ。
(以下引用)
『まだ、終わりじゃないから……』
木村 公一 | スポーツライター・作家
2012年10月12日 12時14分
コメントを見る(83件)
.
~~明るい未来が欲しくて 僕らは今を飛ばして先を見ようとする。
色あせない過去にしがみついてばかり。それでも 今という時は美しいから。~~
(キマグレン『リメンバー』より。)
『野球はこの1年限りと決めて来た』
9月某日、台湾・台南市立棒球場。統一ライオンズの本拠地。試合開始前の6時半が近づいても、掲示板の気温はまだ34度を表している。ジットリとまとわりつく、南国特有の湿気が身体を包む。
「なんか最近、だるいんですよね」
中継ぎ陣の練習を見遣りながら、ウェート・トレの順番を待つ鎌田祐哉(33歳)は呟いた。
「1年の疲れが出てきた感じ。ストレス解消できたらいいんだろうけど、なかなかできないし……」
そしてどんよりと垂れ込めた雲の浮かぶ空に目を移した。
鎌田はデジモノ好きだ。愛機は2003年頃からHDを交換しながらも使い続けるMacと、ipad。バス移動がほとんどの台湾では、車中、DLした音楽やアニメで時間を過ごしてきた。お気に入りはアニメの『交響詩篇・エウレカセブン』。50話のストーリーをもう3回は観たろうか。スカイプやSNSで、日本の家族や友人と連絡も容易に取れる。とはいえ異国での暮らしは、目に見えぬ、言葉に表しにくいストレスを溜める。
それでなくとも、疲れていても無理はなかった。
今季、初めて海を渡った鎌田の活躍は圧巻だった。開幕から11勝0敗というケタ違いの活躍。当然のごとく統一は、前後期制の台湾で前期ダントツの優勝を勝ち得た。184センチの長身から角度のあるストレートと、鋭く曲がり落ちるスライダーにチェンジアップ。日本時代と投球スタイルに違いはなくとも、それらを丁寧に内外角に配せば、台湾の打者たちを翻弄するに十分だった。7月のオールスターには、ファン投票でトップも飾った。
元楽天で、統一の投手コーチを務める紀藤真琴は言う。「台湾は日本に比べて一段下に見られがちだけれど、11連勝なんて簡単にできるものじゃない。ましてやエース格として先発することは、責任を負って投げるということ。精神的な負担も大きかったはずです」
そして、ローテを1年間通して守ってきたのだ。鎌田は言った。だるさと疲れを振り払うように。
「でもあと少しですから、想いでづくりも」
これまで幾人もの選手が、日本から台湾にやって来た。ある者は1年でも長くユニフォームを着続けたいがために。ある者は成功し、日本球界へ戻るキッカケを求めて。
彼は、そのどちらでもなかった。鎌田は“確かめるため”に、この1年を最後の野球人生と考え、海を渡った。
『やるならば、集大成のつもりで』
昨季オフ、楽天から自由契約の通告を受けた。前年のシーズン途中にトレードで移籍していたが、一度も1軍から声はかからなかった。だから通告にも、大きな驚きはなかった。心の中で覚悟もあった。「これで野球は終わりだ」。鎌田はそう決めた。結婚もしている。第二の人生ってヤツに踏み出す潮時なのだ、と。合同トライアウトも薦める人がいて受けはしたが、どの球団からも連絡はなかった。野球に対する気持ちが、萎えていくのがわかった。
もとより、それはヤクルトにドラフト2位で入団した頃から「クビになったら未練を残さず、野球を辞めよう」と考えていた。解雇されてもどん欲に他チームでの機会を求め、移籍し、渡り歩く者もいる。鎌田には、そうした考えはなかった。「クビということは、通用しないと烙印を押されるようなもの。それでもし他球団から声がかかったとしても、先は知れている」。ポジティブに野球人生を生き抜こうとする猛者たちに、少しだけ羨ましさも感じる。しかし野球をしている時間より、その後の人生の方が長いのだ。ならば、潮時は見誤りたくない。
冷静。堅実。謙虚。どんな言葉が当てはまるかは、わからない。ただ現役時代から、そんな想いを心の隅に置いていた。そのためか、無為な誤解も受けた。「やる気が見えない」。そう一言で断罪されたこともあった。マウンドに行けば燃えるし、いつも、精一杯やっていたつもりだった。なのに。度重なるヒザや肩の故障経験も、鎌田をより慎重な性格にさせただろうか。ただ第二の人生は、必ずしも思ったようには転がらなかった。新たな仕事がすぐに見つかるほど楽観はしていなかったものの、一般社会の現実は、鎌田の想像以上にシビアだった。心を決め、ハローワークにも足を向けた。しかし、仕事はない。解雇通告を受けてから一ヶ月、二ヶ月。「無職」の時間は、33歳の自身を不安にさせるだけだった。
そんな年明けたある日、ヤクルト時代の先輩から連絡が入った。「台湾のチームのテストを受けられるように頼んだ。行ってこい」
ありがたいと思う反面、萎えた野球の心ともう一度向き合えるのか。自信はなかった。テストを受けられるという光明より、戸惑う気持ちが正直だった。それに、もし合格しても1年でまたクビになったら。それだけ一般社会に入っていくのが遅くなりはしないか。いや、かりに何年プレー出来たとしても、いつかは必ず野球を辞めるときが来るのだ。それが、今なんじゃないか……。
1月半ば、台湾の統一ライオンズの練習に参加した。合格。ただし外国人投手は他にも3人合格していた。つまりは4人のうちの1人。出場登録は3人と聞き、同時に自分は4番目の合格なのだとも知った。「だから日本に戻ってきても、素直に入団を喜べなかった」。
しかし一般職を探せなかった鎌田に、“野球の運”は味方をした。2月のキャンプに正式参加して3月を迎えた頃、他の外国人投手がケガで解雇になったのだ。対照的に鎌田はオープン戦で内容ある登板を示し、開幕時には先発の3番手に“昇格”。
鎌田は思った。「どうせやるなら、日本のプロで11年間やって来たことが間違いでなかったと思えるシーズンにしよう」
いわば自身の集大成としてのマウンドに。鎌田の心から、迷いが消えた。
自身の最初の先発は3月18日、対兄弟エレファンツ。鎌田はこの試合で6回3分の2を投げ無失点で初勝利を挙げると、同24日には興農ブルズ戦で7回無失点で2勝目を得る。そして同30日には兄弟相手に1失点の完投勝利。以後、投げれば抑え、白星が並んでいった。
鎌田の今季の活躍で評価されるべきは、表向きの連勝ばかりではない。ほとんどの先発機会で7イニング以上を投げ、勝ち星がつかずとも試合を作っていた点にある。統一の監督、元日本ハムの中島輝士もこう認める。「長いイニングを任せられたことは大きな意味があった。ベンチも試合の計算が出来る。勿論、中継ぎ陣を休ませることにもなった。数字だけでは計れない貢献もしてくれましたよ」
その積み重ねが、前期だけで無傷の11連勝に繋がった。登板11試合目での10勝は、台湾での開幕からの「最短到達記録」を更新。11連勝は1993年に野中尊制(元日本ハム)が作った9連勝という日本人としての記録をも更新した。
鎌田祐哉という漢字名は、中国語で「LiauTian YoZai」と読む。カタカナにすれば、リャンテェン・ヨウザイという感じか。「子供にもカマタじゃなく、リャンテェン!って呼ばれるようにもなったんです。サイン書くときも、1番に僕のところに走ってきて待ってくれる」。嬉しくないはずはなかった。
台湾で抜群の成果を表し、日本にカムバックしたい……。そんなストーリーを他人が勝手に描くことは簡単だ。しかし、現実の鎌田は違った。11連勝しても、今シーズン限りと決めた想いに変わることはなかった。むしろ好投すればするほど、もう1人の自分が言った。「調子に乗るなよ」「勘違いしちゃいけないぞ」。間違っても“オレ、やれるじゃん”なんて思えない。
なぜだろう。投手にとって、いやプロ野球選手にとって成績は、すべてといっていい。その成績が素晴らしいのに、そんな自分に自信を持てない。
鎌田は思う。「もし二十代だったら、ストレートに野球にしがみつきたいって思えたかも知れない。でも33歳になってしまうと、現実に目がいってしまう」。脳裏には、職探しで困惑した時期の不安がこびりついて離れない。最悪のことを想定して生きていかねばならないという意識も強くなった。生来、自分を抑えるような気質もある。
「それに」と、鎌田は続けた。
「僕、内心、野球に向いてないと思ってるんです。それが、自信を持ち難くさせている一番の理由かも知れない」
『僕、野球に向いてないんですよ』
例えばスライダーを投じるとする。アウトコースギリギリのところでボールにしたい。しかし、鎌田はそんなときに限って、ボール一個ぶん、中(なか)に入ってしまうのだという。
「プロで生き残る投手って、制球ミスをするにしても、外(そと)に外れるものなんです。それならボールになるだけで済む。でも中に入るということは、甘く入るということ。それではプロじゃ通用しない」
ボール一個ぶんの甘さ。それが日本のプロ野球で11年、ユニフォームを着てきた鎌田の、プロというものの“定義”だった。その精緻さが自らには欠けている。だから、野球には向いていない。「完璧を求めすぎてるかな、と思うときもありました。でも日本で結果を出せなかったということは……」。
鎌田のほろ苦い記憶の中には、いくつかのマウンドがある。ヤクルト時代、ここで抑えていれば、ここで結果を残していれば、次に繋がり、1軍に定着出来ただろうという光景が。
鎌田は、そうした光景を心に抱え、あるいは言い訳したかったことも呑み込み、台湾にやって来た。同じ過ちを繰り返さないために。時を戻すことは出来ない。けれどあのときのマウンドの代わりに、台湾という異国のマウンドで、もう一度、目一杯に腕を振って……。
一度、野球を辞めた。だから野球のなくなった時間の怖さというものを、知っている。
一度、野球を辞めた。だから一試合の重みも、一球の意味も、鎌田は知っている。その結晶が、今季の一試合、一試合に刻まれている。
「実際には打たれた試合も、悔しい投球もありました。でもこの1年、台湾で野球して良かったと思えた。記録を作れたことも喜ばしいし、誇りだし。もし誰かが“それは台湾のことだろ”と言ったとしても、僕は誇りに思う」。
鎌田には好きな曲がいくつもある。なかでも、キマグレンの『リメンバー』の歌詞がお気に入りだ。楽天時代には、出場時のテーマ曲にもしたほどだった。
~~明るい未来が欲しくて、僕らは今を飛ばして先を見ようとする。
色褪せない過去にしがみついてばかり。それでも今という時は美しいから~~
アップテンポな心地よいリズムに、ともすれば聞き過ごしてしまいそうな歌詞。だが、言葉たちは前向きに、確かなものがなんであるかを、訴えている。そしてこの曲は、こう結んでいる。
~~何度くじけたとしても、僕らは精一杯今を生きてゆきます~~
鎌田はいう。「僕はこう解釈しているんです。人は不安な先のことより、過去を美化してしまいがち。でも、今を大切に生るべきなんだって。二度と戻らない、今を」
まるで今季の鎌田を表しているように思えた。
来季、鎌田が再びユニフォームを着ているかどうか、わからない。それは野球という仕事の宿命でもある。鎌田の選択もある。
「でも、どういう形であれ野球というものには携わっていきたいです。それと中国語を話せるようにもなりたい。日本に戻ったら、語学学校にも通いたいと思ってます。外国語に関心を持つなんて、台湾に来なければ思いもつかなかったこと。それも僕には収穫でした」
異国の地が、少しだけ鎌田を変えた。
鎌田は前後期通算して16勝(7敗)を残し、最多勝のタイトルを獲得した。10月13日からは7戦4勝制の台湾シリーズに臨む。それに勝ち台湾で総合優勝を遂げれば、11月に韓国・釜山でのアジア・シリーズも控えている。そこでは日本一となったチームとも対峙することになる。
だから、まだ終わりじゃない。
まだ、終わりじゃないから……。
それは来年34歳となる彼の人生はもちろん、鎌田祐哉という、投手の人生も。
鎌田という選手のことはまったく知らなかったが、野球選手としては気が優しすぎるようだ。あるいは謙虚すぎる。勝負の世界では、これは美徳にはならない。
引退した或るプロ野球選手が言っていたのだが、プロ野球の名選手は例外なく「嫌な奴」だったそうである。それはある意味当然であり、他人を蹴落として生き延びるのがプロスポーツの世界なのだから、そこで生き延びた人間がお人好しのはずはない。つまり世間的な意味での「いい人」ではないはずだ。
我々も外部から見ているだけだから「名選手」のプレーに喝采を送り、ファンとして喜ぶのだが、その選手と身近に接したいか、と言えば、私は御免蒙る。私は野球というゲームを愛し、その要素としての選手たちを愛するだけである。
さて、鎌田選手が台湾に渡っていい結果を残したことは喜ばしい。人生は、思いがけないところに思いがけない事が待っているものだ。この幸運は、彼自身の努力や才能の結果でもあるが、彼にそのきっかけを与えたヤクルト時代の先輩の存在が大きい。また、その先輩がそういう親切をするに値するだけの好ましい人間性が鎌田選手にはあったのだろう。そういう意味では「いい人」であることは、どこかで報われるわけだ。
(以下引用)
『まだ、終わりじゃないから……』
木村 公一 | スポーツライター・作家
2012年10月12日 12時14分
コメントを見る(83件)
.
~~明るい未来が欲しくて 僕らは今を飛ばして先を見ようとする。
色あせない過去にしがみついてばかり。それでも 今という時は美しいから。~~
(キマグレン『リメンバー』より。)
『野球はこの1年限りと決めて来た』
9月某日、台湾・台南市立棒球場。統一ライオンズの本拠地。試合開始前の6時半が近づいても、掲示板の気温はまだ34度を表している。ジットリとまとわりつく、南国特有の湿気が身体を包む。
「なんか最近、だるいんですよね」
中継ぎ陣の練習を見遣りながら、ウェート・トレの順番を待つ鎌田祐哉(33歳)は呟いた。
「1年の疲れが出てきた感じ。ストレス解消できたらいいんだろうけど、なかなかできないし……」
そしてどんよりと垂れ込めた雲の浮かぶ空に目を移した。
鎌田はデジモノ好きだ。愛機は2003年頃からHDを交換しながらも使い続けるMacと、ipad。バス移動がほとんどの台湾では、車中、DLした音楽やアニメで時間を過ごしてきた。お気に入りはアニメの『交響詩篇・エウレカセブン』。50話のストーリーをもう3回は観たろうか。スカイプやSNSで、日本の家族や友人と連絡も容易に取れる。とはいえ異国での暮らしは、目に見えぬ、言葉に表しにくいストレスを溜める。
それでなくとも、疲れていても無理はなかった。
今季、初めて海を渡った鎌田の活躍は圧巻だった。開幕から11勝0敗というケタ違いの活躍。当然のごとく統一は、前後期制の台湾で前期ダントツの優勝を勝ち得た。184センチの長身から角度のあるストレートと、鋭く曲がり落ちるスライダーにチェンジアップ。日本時代と投球スタイルに違いはなくとも、それらを丁寧に内外角に配せば、台湾の打者たちを翻弄するに十分だった。7月のオールスターには、ファン投票でトップも飾った。
元楽天で、統一の投手コーチを務める紀藤真琴は言う。「台湾は日本に比べて一段下に見られがちだけれど、11連勝なんて簡単にできるものじゃない。ましてやエース格として先発することは、責任を負って投げるということ。精神的な負担も大きかったはずです」
そして、ローテを1年間通して守ってきたのだ。鎌田は言った。だるさと疲れを振り払うように。
「でもあと少しですから、想いでづくりも」
これまで幾人もの選手が、日本から台湾にやって来た。ある者は1年でも長くユニフォームを着続けたいがために。ある者は成功し、日本球界へ戻るキッカケを求めて。
彼は、そのどちらでもなかった。鎌田は“確かめるため”に、この1年を最後の野球人生と考え、海を渡った。
『やるならば、集大成のつもりで』
昨季オフ、楽天から自由契約の通告を受けた。前年のシーズン途中にトレードで移籍していたが、一度も1軍から声はかからなかった。だから通告にも、大きな驚きはなかった。心の中で覚悟もあった。「これで野球は終わりだ」。鎌田はそう決めた。結婚もしている。第二の人生ってヤツに踏み出す潮時なのだ、と。合同トライアウトも薦める人がいて受けはしたが、どの球団からも連絡はなかった。野球に対する気持ちが、萎えていくのがわかった。
もとより、それはヤクルトにドラフト2位で入団した頃から「クビになったら未練を残さず、野球を辞めよう」と考えていた。解雇されてもどん欲に他チームでの機会を求め、移籍し、渡り歩く者もいる。鎌田には、そうした考えはなかった。「クビということは、通用しないと烙印を押されるようなもの。それでもし他球団から声がかかったとしても、先は知れている」。ポジティブに野球人生を生き抜こうとする猛者たちに、少しだけ羨ましさも感じる。しかし野球をしている時間より、その後の人生の方が長いのだ。ならば、潮時は見誤りたくない。
冷静。堅実。謙虚。どんな言葉が当てはまるかは、わからない。ただ現役時代から、そんな想いを心の隅に置いていた。そのためか、無為な誤解も受けた。「やる気が見えない」。そう一言で断罪されたこともあった。マウンドに行けば燃えるし、いつも、精一杯やっていたつもりだった。なのに。度重なるヒザや肩の故障経験も、鎌田をより慎重な性格にさせただろうか。ただ第二の人生は、必ずしも思ったようには転がらなかった。新たな仕事がすぐに見つかるほど楽観はしていなかったものの、一般社会の現実は、鎌田の想像以上にシビアだった。心を決め、ハローワークにも足を向けた。しかし、仕事はない。解雇通告を受けてから一ヶ月、二ヶ月。「無職」の時間は、33歳の自身を不安にさせるだけだった。
そんな年明けたある日、ヤクルト時代の先輩から連絡が入った。「台湾のチームのテストを受けられるように頼んだ。行ってこい」
ありがたいと思う反面、萎えた野球の心ともう一度向き合えるのか。自信はなかった。テストを受けられるという光明より、戸惑う気持ちが正直だった。それに、もし合格しても1年でまたクビになったら。それだけ一般社会に入っていくのが遅くなりはしないか。いや、かりに何年プレー出来たとしても、いつかは必ず野球を辞めるときが来るのだ。それが、今なんじゃないか……。
1月半ば、台湾の統一ライオンズの練習に参加した。合格。ただし外国人投手は他にも3人合格していた。つまりは4人のうちの1人。出場登録は3人と聞き、同時に自分は4番目の合格なのだとも知った。「だから日本に戻ってきても、素直に入団を喜べなかった」。
しかし一般職を探せなかった鎌田に、“野球の運”は味方をした。2月のキャンプに正式参加して3月を迎えた頃、他の外国人投手がケガで解雇になったのだ。対照的に鎌田はオープン戦で内容ある登板を示し、開幕時には先発の3番手に“昇格”。
鎌田は思った。「どうせやるなら、日本のプロで11年間やって来たことが間違いでなかったと思えるシーズンにしよう」
いわば自身の集大成としてのマウンドに。鎌田の心から、迷いが消えた。
自身の最初の先発は3月18日、対兄弟エレファンツ。鎌田はこの試合で6回3分の2を投げ無失点で初勝利を挙げると、同24日には興農ブルズ戦で7回無失点で2勝目を得る。そして同30日には兄弟相手に1失点の完投勝利。以後、投げれば抑え、白星が並んでいった。
鎌田の今季の活躍で評価されるべきは、表向きの連勝ばかりではない。ほとんどの先発機会で7イニング以上を投げ、勝ち星がつかずとも試合を作っていた点にある。統一の監督、元日本ハムの中島輝士もこう認める。「長いイニングを任せられたことは大きな意味があった。ベンチも試合の計算が出来る。勿論、中継ぎ陣を休ませることにもなった。数字だけでは計れない貢献もしてくれましたよ」
その積み重ねが、前期だけで無傷の11連勝に繋がった。登板11試合目での10勝は、台湾での開幕からの「最短到達記録」を更新。11連勝は1993年に野中尊制(元日本ハム)が作った9連勝という日本人としての記録をも更新した。
鎌田祐哉という漢字名は、中国語で「LiauTian YoZai」と読む。カタカナにすれば、リャンテェン・ヨウザイという感じか。「子供にもカマタじゃなく、リャンテェン!って呼ばれるようにもなったんです。サイン書くときも、1番に僕のところに走ってきて待ってくれる」。嬉しくないはずはなかった。
台湾で抜群の成果を表し、日本にカムバックしたい……。そんなストーリーを他人が勝手に描くことは簡単だ。しかし、現実の鎌田は違った。11連勝しても、今シーズン限りと決めた想いに変わることはなかった。むしろ好投すればするほど、もう1人の自分が言った。「調子に乗るなよ」「勘違いしちゃいけないぞ」。間違っても“オレ、やれるじゃん”なんて思えない。
なぜだろう。投手にとって、いやプロ野球選手にとって成績は、すべてといっていい。その成績が素晴らしいのに、そんな自分に自信を持てない。
鎌田は思う。「もし二十代だったら、ストレートに野球にしがみつきたいって思えたかも知れない。でも33歳になってしまうと、現実に目がいってしまう」。脳裏には、職探しで困惑した時期の不安がこびりついて離れない。最悪のことを想定して生きていかねばならないという意識も強くなった。生来、自分を抑えるような気質もある。
「それに」と、鎌田は続けた。
「僕、内心、野球に向いてないと思ってるんです。それが、自信を持ち難くさせている一番の理由かも知れない」
『僕、野球に向いてないんですよ』
例えばスライダーを投じるとする。アウトコースギリギリのところでボールにしたい。しかし、鎌田はそんなときに限って、ボール一個ぶん、中(なか)に入ってしまうのだという。
「プロで生き残る投手って、制球ミスをするにしても、外(そと)に外れるものなんです。それならボールになるだけで済む。でも中に入るということは、甘く入るということ。それではプロじゃ通用しない」
ボール一個ぶんの甘さ。それが日本のプロ野球で11年、ユニフォームを着てきた鎌田の、プロというものの“定義”だった。その精緻さが自らには欠けている。だから、野球には向いていない。「完璧を求めすぎてるかな、と思うときもありました。でも日本で結果を出せなかったということは……」。
鎌田のほろ苦い記憶の中には、いくつかのマウンドがある。ヤクルト時代、ここで抑えていれば、ここで結果を残していれば、次に繋がり、1軍に定着出来ただろうという光景が。
鎌田は、そうした光景を心に抱え、あるいは言い訳したかったことも呑み込み、台湾にやって来た。同じ過ちを繰り返さないために。時を戻すことは出来ない。けれどあのときのマウンドの代わりに、台湾という異国のマウンドで、もう一度、目一杯に腕を振って……。
一度、野球を辞めた。だから野球のなくなった時間の怖さというものを、知っている。
一度、野球を辞めた。だから一試合の重みも、一球の意味も、鎌田は知っている。その結晶が、今季の一試合、一試合に刻まれている。
「実際には打たれた試合も、悔しい投球もありました。でもこの1年、台湾で野球して良かったと思えた。記録を作れたことも喜ばしいし、誇りだし。もし誰かが“それは台湾のことだろ”と言ったとしても、僕は誇りに思う」。
鎌田には好きな曲がいくつもある。なかでも、キマグレンの『リメンバー』の歌詞がお気に入りだ。楽天時代には、出場時のテーマ曲にもしたほどだった。
~~明るい未来が欲しくて、僕らは今を飛ばして先を見ようとする。
色褪せない過去にしがみついてばかり。それでも今という時は美しいから~~
アップテンポな心地よいリズムに、ともすれば聞き過ごしてしまいそうな歌詞。だが、言葉たちは前向きに、確かなものがなんであるかを、訴えている。そしてこの曲は、こう結んでいる。
~~何度くじけたとしても、僕らは精一杯今を生きてゆきます~~
鎌田はいう。「僕はこう解釈しているんです。人は不安な先のことより、過去を美化してしまいがち。でも、今を大切に生るべきなんだって。二度と戻らない、今を」
まるで今季の鎌田を表しているように思えた。
来季、鎌田が再びユニフォームを着ているかどうか、わからない。それは野球という仕事の宿命でもある。鎌田の選択もある。
「でも、どういう形であれ野球というものには携わっていきたいです。それと中国語を話せるようにもなりたい。日本に戻ったら、語学学校にも通いたいと思ってます。外国語に関心を持つなんて、台湾に来なければ思いもつかなかったこと。それも僕には収穫でした」
異国の地が、少しだけ鎌田を変えた。
鎌田は前後期通算して16勝(7敗)を残し、最多勝のタイトルを獲得した。10月13日からは7戦4勝制の台湾シリーズに臨む。それに勝ち台湾で総合優勝を遂げれば、11月に韓国・釜山でのアジア・シリーズも控えている。そこでは日本一となったチームとも対峙することになる。
だから、まだ終わりじゃない。
まだ、終わりじゃないから……。
それは来年34歳となる彼の人生はもちろん、鎌田祐哉という、投手の人生も。
「迷スカウトニュース」から転載。
まったく同感である。と言うより、私は前にもそう言っている。大谷は、「高校でも勝てなかった投手」にすぎない。それがプロで勝てる投手になるには、時間がかかるのは当然の話である。プロ野球は球速を競う競技ではない。
もしも大谷を取るなら、彼を三年くらいは塩漬けにできる余裕のある球団でないと、無駄金を使うことになるだろう。
今の野球界は、野球とは、チームが勝つためにやるものだ、という観点が欠如しすぎている。チームを勝利に導ける選手こそが価値ある選手なのであって、ホームランを何本打とうが、三振を何個取ろうが、まったく勝利とは関係ないことだ。
打者ならば、他の打者が打てない時に、攻略のきっかけとなる1本のヒットを打てる打者こそが価値ある打者なのであって、そういう意味では光星ならば北条よりは田村の方がワンランク上なのである。北条は、自分が好調の時はホームランを量産できる。あるいはプロの本塁打王になれる素材かもしれない。だが、不調時はまったく打てない打者である。つまり、チームの勝利への貢献という点では不安定すぎる。
現役時は、数字さえ残せばいい、というタイプの天才だった落合も、自分が監督になったらチームプレー重視で守備優先のチームを作った。昔の巨人の川上も同様であり、だからこそ彼らは名監督なのである。
今の監督たちやGM、フロントの中で、そういう「チーム構想」を持っている人間がどれほどいるだろうか。
さて、各球団のそういう「チーム構想」の有無を知る上でも、近づくドラフト会議は楽しみである。
(以下引用)
蔵建て男@kuratateo
大谷は、プロへの適応にも時間がかかりそうなのに、メジャーとか選択として絶対間違っているだろ。精神的に不安定な奴が、最初から海外でなんかで野球やるものじゃないよ。誰だ、そそのかしたのは。
まったく同感である。と言うより、私は前にもそう言っている。大谷は、「高校でも勝てなかった投手」にすぎない。それがプロで勝てる投手になるには、時間がかかるのは当然の話である。プロ野球は球速を競う競技ではない。
もしも大谷を取るなら、彼を三年くらいは塩漬けにできる余裕のある球団でないと、無駄金を使うことになるだろう。
今の野球界は、野球とは、チームが勝つためにやるものだ、という観点が欠如しすぎている。チームを勝利に導ける選手こそが価値ある選手なのであって、ホームランを何本打とうが、三振を何個取ろうが、まったく勝利とは関係ないことだ。
打者ならば、他の打者が打てない時に、攻略のきっかけとなる1本のヒットを打てる打者こそが価値ある打者なのであって、そういう意味では光星ならば北条よりは田村の方がワンランク上なのである。北条は、自分が好調の時はホームランを量産できる。あるいはプロの本塁打王になれる素材かもしれない。だが、不調時はまったく打てない打者である。つまり、チームの勝利への貢献という点では不安定すぎる。
現役時は、数字さえ残せばいい、というタイプの天才だった落合も、自分が監督になったらチームプレー重視で守備優先のチームを作った。昔の巨人の川上も同様であり、だからこそ彼らは名監督なのである。
今の監督たちやGM、フロントの中で、そういう「チーム構想」を持っている人間がどれほどいるだろうか。
さて、各球団のそういう「チーム構想」の有無を知る上でも、近づくドラフト会議は楽しみである。
(以下引用)
蔵建て男@kuratateo
大谷は、プロへの適応にも時間がかかりそうなのに、メジャーとか選択として絶対間違っているだろ。精神的に不安定な奴が、最初から海外でなんかで野球やるものじゃないよ。誰だ、そそのかしたのは。
広島の堂林がマイナス査定をくらう予定だ、という東スポ記事に関連して、広島の査定の厳しさが一部で話題になっている。
まあ、野球好きで、しかもマニアックな趣味の人間にしか興味の無い話題だろうが、私は年俸闘争もトレードもドラフトも野球の面白さだと考えているので、記事を転載しておく。と言っても、堂林の記事ではない。
私は堂林のマイナス査定は当然だと思う。もっとも、マイナス査定とは言っても「一軍レベルからすればマイナス査定にしかならない」という話であり、年俸は今季よりは当然上がるはずだ。しかし、今季の700万円から一気に2000万円超えとかいう甘い夢を見ていると馬鹿を見るよ、という話である。
堂林は、ホームラン数だけは立派だが、何しろエラーが多く、好機での三振、凡退も並はずれて多い。まあ、普通ならレギュラーでは使えない。将来性を見越して使うと言っても、それでは「現在のチーム全体を一人の選手の将来性のために犠牲にしていいのか」という話になる。実際、犠牲にしたわけだが。
もちろん、堂林一人の責任ではなく、チーム力そのものが無いのだが、しかし今の野球では上位3チームに入れば逆転日本一の可能性もあるのだから、その可能性を潰した野村監督の「えこひいき」の責任は大きい。
堂林の例から分かるように、今の野球では、あまりに守備力が軽視されすぎである。
ついでながら、堂林は、彼の年度の高校野球では一、二を争う打撃センスだ、と甲子園の頃から私は見ていた選手であり、嫌いではない。だが、彼の三塁守備はひどすぎる。なぜ彼を三塁で使い続けたのか、野村監督の見識を私は疑う。まあ、数年もたてばいっぱしにはなるだろうが、それまでチームを犠牲にし続けるつもりか。
(以下引用)
698 :風吹けば名無し:2012/10/11(木) 17:57:00.82 ID:RxfK9VXm
選手の年俸どう査定? 1000超す項目チェック
年俸算出の基準となるのは査定ポイントだ。これはプレーごとに決められている。
2人の担当者が、千を超える査定項目に照らして全試合をチェックする。
打った、抑えただけでなく、全力疾走をしたかどうか、同じ三振でも見逃しか、空振りかでポイントは変わる。
これを加味して、適時打にはプラス○点、凡打にはマイナス○点—などとパソコンに打ち込む。
「勝ち試合はプラスポイントを増やすようにしている」と鈴木球団本部長。
選手が個人プレーに走らず、勝利を最優先するためだ。
勝った試合は監督、コーチがそれぞれ貢献した選手を選定し、ポイントを加算する。
http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/Cw200912300064.html
まあ、野球好きで、しかもマニアックな趣味の人間にしか興味の無い話題だろうが、私は年俸闘争もトレードもドラフトも野球の面白さだと考えているので、記事を転載しておく。と言っても、堂林の記事ではない。
私は堂林のマイナス査定は当然だと思う。もっとも、マイナス査定とは言っても「一軍レベルからすればマイナス査定にしかならない」という話であり、年俸は今季よりは当然上がるはずだ。しかし、今季の700万円から一気に2000万円超えとかいう甘い夢を見ていると馬鹿を見るよ、という話である。
堂林は、ホームラン数だけは立派だが、何しろエラーが多く、好機での三振、凡退も並はずれて多い。まあ、普通ならレギュラーでは使えない。将来性を見越して使うと言っても、それでは「現在のチーム全体を一人の選手の将来性のために犠牲にしていいのか」という話になる。実際、犠牲にしたわけだが。
もちろん、堂林一人の責任ではなく、チーム力そのものが無いのだが、しかし今の野球では上位3チームに入れば逆転日本一の可能性もあるのだから、その可能性を潰した野村監督の「えこひいき」の責任は大きい。
堂林の例から分かるように、今の野球では、あまりに守備力が軽視されすぎである。
ついでながら、堂林は、彼の年度の高校野球では一、二を争う打撃センスだ、と甲子園の頃から私は見ていた選手であり、嫌いではない。だが、彼の三塁守備はひどすぎる。なぜ彼を三塁で使い続けたのか、野村監督の見識を私は疑う。まあ、数年もたてばいっぱしにはなるだろうが、それまでチームを犠牲にし続けるつもりか。
(以下引用)
698 :風吹けば名無し:2012/10/11(木) 17:57:00.82 ID:RxfK9VXm
選手の年俸どう査定? 1000超す項目チェック
年俸算出の基準となるのは査定ポイントだ。これはプレーごとに決められている。
2人の担当者が、千を超える査定項目に照らして全試合をチェックする。
打った、抑えただけでなく、全力疾走をしたかどうか、同じ三振でも見逃しか、空振りかでポイントは変わる。
これを加味して、適時打にはプラス○点、凡打にはマイナス○点—などとパソコンに打ち込む。
「勝ち試合はプラスポイントを増やすようにしている」と鈴木球団本部長。
選手が個人プレーに走らず、勝利を最優先するためだ。
勝った試合は監督、コーチがそれぞれ貢献した選手を選定し、ポイントを加算する。
http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/Cw200912300064.html
「迷スカウトニュース」から転載。
私もだいぶ前に「神原はプロ向きだ」とか書いた記憶があるが、選手の力や将来性を見抜く眼力では有数の蔵建て男さんも同意見のようである。
よほどの球速があっても、制球力と投球術が無いとプロでは大成できないものである。過去の速球派と言われている名投手もけっして速球だけの存在ではない。
その一方で、球速は平凡でも投球術と精神力で名投手になった選手はゴマンといる。
その意味では、今年のナンバーワンは当然東浜である。一浪した影響が無ければ菅野が上かもしれないが、スポーツ選手の一年のブランクは大きい気がする。
藤浪は、まだ東浜のレベルには遠い。大谷に至っては、仕上がるのに数年はかかるだろう。あるいは、未完成のままで終るかもしれない。現在は、まだ「素材」でしかない。
もっとも、神原がいいとは言っても、完成度という点では、あるいは社会人に彼以上の投手が何人もいるかもしれない。そのあたりは、社会人野球の選手を知らないので、何とも言えない。また、大学野球も同様だ。無名の大学野球選手に思いがけない掘り出し物がいる可能性は高い。というのは、最近は大学野球の地方リーグがけっこう盛んなようなので、そうした場所で鍛えられた選手がたくさんいると思われるからだ。
打者で、独立リーグから角中が出たように、今は好選手が全国に分散している時代だと思っていい。
プロ野球のスカウトは、甲子園や六大学ですでに名の売れた選手よりも、そうした無名選手を発掘する努力をするべきだろう。
(以下引用)
蔵建て男@kuratateo
あっ、神原(東海大甲府)がいるのを忘れてた・・・ 俺は意外にこういタイプがプロ入り後イケると思っている。
私もだいぶ前に「神原はプロ向きだ」とか書いた記憶があるが、選手の力や将来性を見抜く眼力では有数の蔵建て男さんも同意見のようである。
よほどの球速があっても、制球力と投球術が無いとプロでは大成できないものである。過去の速球派と言われている名投手もけっして速球だけの存在ではない。
その一方で、球速は平凡でも投球術と精神力で名投手になった選手はゴマンといる。
その意味では、今年のナンバーワンは当然東浜である。一浪した影響が無ければ菅野が上かもしれないが、スポーツ選手の一年のブランクは大きい気がする。
藤浪は、まだ東浜のレベルには遠い。大谷に至っては、仕上がるのに数年はかかるだろう。あるいは、未完成のままで終るかもしれない。現在は、まだ「素材」でしかない。
もっとも、神原がいいとは言っても、完成度という点では、あるいは社会人に彼以上の投手が何人もいるかもしれない。そのあたりは、社会人野球の選手を知らないので、何とも言えない。また、大学野球も同様だ。無名の大学野球選手に思いがけない掘り出し物がいる可能性は高い。というのは、最近は大学野球の地方リーグがけっこう盛んなようなので、そうした場所で鍛えられた選手がたくさんいると思われるからだ。
打者で、独立リーグから角中が出たように、今は好選手が全国に分散している時代だと思っていい。
プロ野球のスカウトは、甲子園や六大学ですでに名の売れた選手よりも、そうした無名選手を発掘する努力をするべきだろう。
(以下引用)
蔵建て男@kuratateo
あっ、神原(東海大甲府)がいるのを忘れてた・・・ 俺は意外にこういタイプがプロ入り後イケると思っている。
「2ちゃんねるDays Plus」からコメント付きで転載。
コメントがひどすぎる。そういうコメントだけ集めたのだろうが、「2ちゃんねる」住人の異常性格がよく分かる。
加害者は、「日本刀」で相手を殺しているのである。殺人犯であり、しかもおそらくヤクザだろう。普通の人間が日本刀など所持できるはずはない。あるいは右翼か。
だからこそ、2ちゃんねるに多い右翼かぶれが、加害者を擁護しているのかもしれない。
(追記)
犯人の男はヤクザではなく元警官だった。まあ、警官とヤクザは仲間だから、別に上記記事を訂正はしない。犯人のプロフィールを先に引用しておく。完全なキチガイである。
(追加引用)
>徳永重正容疑者(86)
元警察官だそうな
刀の登録証の届け出は教育委員会
届け出なかったら銃刀法違反で警察の管轄
4 名前:名無しさん@13周年[sage] 投稿日:2012/10/10(水) 23:40:00.14 ID:g5ax8SN90 [1/5]
元警視の人格者? トラブルメーカー?
2012.10.10 22:10
徳永重正容疑者は警視庁に38年間勤めた元警察官だった。警視庁によると、新
潟県出身で、昭和23年に入庁し、主に警察署の警ら課(現在の地域課)や交通課
などで勤務。60年に赤坂署防犯課(現在の生活安全課)課長代理を最後に警視へ
昇進し、定年退職した。
徳永容疑者は妻と2人暮らし。近隣住人らによると、退官後も民生委員を務める
など「人格者」とする人物評がある一方で、「俺は警察官だ」と言いながら近所の
人に文句を言うなど、複数の住人とトラブルを抱えていた。最近は足がやや不自由
で、散歩の際にはつえをついていたという。
今年6月ごろからは、自宅近くで、日本刀を素振りする姿が目撃されている。近
所の女性が顔を合わせると、徳永容疑者が「刃が錆(さ)びていたので、ピカピカ
に磨いたんですよ」とうれしそうに語っていたという。
久保さんに向けて日本刀を持ち出したとされるのは、今回が初めてではなかった。
近所の男性によると、5月に久保さんが植木の水やりをしていたところ、水が徳永
容疑者にかかったため、徳永容疑者が日本刀で切りかかろうとしたこともあった。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/121010/crm12101022100030-n1.htm
(以下引用)*こちらが最初の引用。
【東京】猫巡りトラブル…86歳元警視、隣人女性殺害し自殺した事件
res:1 西独逸φ ★sage2012/10/11(木) 06:27:43.22 ID:???0
東京都世田谷区野沢の住宅街で、男が女性を日本刀で切りつけた事件で、意識不明の重体になっていた
女性は10日午後、搬送先の病院で死亡した。
警視庁は、女性が現場の民家に住む久保節子さん(62)とみて身元の確認を進めている。男は向かいに住む
元警視庁警視、徳永重正容疑者(86)で、事件後、女性宅に立てこもって自殺した。
徳永容疑者は久保さんが世話をしていた多数の猫などを巡りトラブルになっていたといい、同庁は近く、
容疑者死亡のまま殺人容疑で書類送検する方針。
同庁幹部らによると、徳永容疑者は10日早朝、玄関先の植木に殺虫剤をかけていた際、久保さんから
「私の猫にかかってしまう」と抗議され、口論になった。2人はいったん自宅に引き返したが、午前11時過ぎ、
再び激しく言い争っているのを近所の住民が目撃している。
久保さんは11時30分頃、「農薬をかけられた」と110番。その直後、徳永容疑者に日本刀で切りつけられたと
みられる。
徳永容疑者は事件後、久保さん宅に立てこもり、午後1時40分頃、玄関で首から血を流して倒れているのを
捜査員に発見された。近くには凶器とみられる日本刀(刃渡り約55センチ)があり、同庁は自ら首を切ったとみている。
ソース
読売新聞 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121010-OYT1T00849.htm?from=blist
res:19 名無しさん@13周年2012/10/11(木) 06:36:33.08 ID:rRsgqjyO0
欧米の都市のように行政が世帯あたりに飼えるペットの数を制限するべきですよ
放っておくなど馬鹿じゃないですか
http://www.wisegeek.com/how-many-household-pets-can-i-keep.htm#
res:34 名無しさん@13周年sage2012/10/11(木) 06:40:12.48 ID:JMupGRqg0
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/10/11/kiji/K20121011004305300.html
>近所の住民によると、久保さんは1人暮らし。2〜3年前に引っ越してきた。
>野良猫へのエサやりや植木、ゴミの放置をめぐり、徳永容疑者や近所とのトラブルになっていた。
res:40 名無しさん@13周年sage2012/10/11(木) 06:41:51.88 ID:xM96ZZfG0
>>27
猫は土にうんこをして埋めて隠すという習性を持っている
野良なら大抵どこかの家の庭にする
道端にわかるようにうんこは普通しない
res:49 名無しさん@13周年sage2012/10/11(木) 06:45:16.13 ID:3/MoYrT70
>>40
うちの地元もやたら野良猫多いけど、確かにフンは見たこと無いわ
res:71 名無しさん@13周年sage2012/10/11(木) 06:53:39.28 ID:PdpnjnPh0
>>40
猫にウンコされまくりのうちの庭。
台風の日には玄関(コンクリート)やアスファルトの上にされてるわ。
猫好きだけど、糞の迷惑を考えずに餌だけやってるやつはいい加減にしろと思う。
>>49
そりゃ、どこかの家が迷惑を引き受けさせられてるんだよ
毎日毎日ウンコ掃除して、玄関前にされたときは、深夜帰宅した家族がウンコ踏んで…
res:81 名無しさん@13周年2012/10/11(木) 06:55:35.40 ID:B6XmyObT0
>>40
俺もそんな話を聞いたことがあるけれどはっきり言ってそれは嘘
実際はそんなこと無くてアスファルトの上にも草の上にもどこにでもする
コメントがひどすぎる。そういうコメントだけ集めたのだろうが、「2ちゃんねる」住人の異常性格がよく分かる。
加害者は、「日本刀」で相手を殺しているのである。殺人犯であり、しかもおそらくヤクザだろう。普通の人間が日本刀など所持できるはずはない。あるいは右翼か。
だからこそ、2ちゃんねるに多い右翼かぶれが、加害者を擁護しているのかもしれない。
(追記)
犯人の男はヤクザではなく元警官だった。まあ、警官とヤクザは仲間だから、別に上記記事を訂正はしない。犯人のプロフィールを先に引用しておく。完全なキチガイである。
(追加引用)
>徳永重正容疑者(86)
元警察官だそうな
刀の登録証の届け出は教育委員会
届け出なかったら銃刀法違反で警察の管轄
4 名前:名無しさん@13周年[sage] 投稿日:2012/10/10(水) 23:40:00.14 ID:g5ax8SN90 [1/5]
元警視の人格者? トラブルメーカー?
2012.10.10 22:10
徳永重正容疑者は警視庁に38年間勤めた元警察官だった。警視庁によると、新
潟県出身で、昭和23年に入庁し、主に警察署の警ら課(現在の地域課)や交通課
などで勤務。60年に赤坂署防犯課(現在の生活安全課)課長代理を最後に警視へ
昇進し、定年退職した。
徳永容疑者は妻と2人暮らし。近隣住人らによると、退官後も民生委員を務める
など「人格者」とする人物評がある一方で、「俺は警察官だ」と言いながら近所の
人に文句を言うなど、複数の住人とトラブルを抱えていた。最近は足がやや不自由
で、散歩の際にはつえをついていたという。
今年6月ごろからは、自宅近くで、日本刀を素振りする姿が目撃されている。近
所の女性が顔を合わせると、徳永容疑者が「刃が錆(さ)びていたので、ピカピカ
に磨いたんですよ」とうれしそうに語っていたという。
久保さんに向けて日本刀を持ち出したとされるのは、今回が初めてではなかった。
近所の男性によると、5月に久保さんが植木の水やりをしていたところ、水が徳永
容疑者にかかったため、徳永容疑者が日本刀で切りかかろうとしたこともあった。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/121010/crm12101022100030-n1.htm
(以下引用)*こちらが最初の引用。
【東京】猫巡りトラブル…86歳元警視、隣人女性殺害し自殺した事件
res:1 西独逸φ ★sage2012/10/11(木) 06:27:43.22 ID:???0
東京都世田谷区野沢の住宅街で、男が女性を日本刀で切りつけた事件で、意識不明の重体になっていた
女性は10日午後、搬送先の病院で死亡した。
警視庁は、女性が現場の民家に住む久保節子さん(62)とみて身元の確認を進めている。男は向かいに住む
元警視庁警視、徳永重正容疑者(86)で、事件後、女性宅に立てこもって自殺した。
徳永容疑者は久保さんが世話をしていた多数の猫などを巡りトラブルになっていたといい、同庁は近く、
容疑者死亡のまま殺人容疑で書類送検する方針。
同庁幹部らによると、徳永容疑者は10日早朝、玄関先の植木に殺虫剤をかけていた際、久保さんから
「私の猫にかかってしまう」と抗議され、口論になった。2人はいったん自宅に引き返したが、午前11時過ぎ、
再び激しく言い争っているのを近所の住民が目撃している。
久保さんは11時30分頃、「農薬をかけられた」と110番。その直後、徳永容疑者に日本刀で切りつけられたと
みられる。
徳永容疑者は事件後、久保さん宅に立てこもり、午後1時40分頃、玄関で首から血を流して倒れているのを
捜査員に発見された。近くには凶器とみられる日本刀(刃渡り約55センチ)があり、同庁は自ら首を切ったとみている。
ソース
読売新聞 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121010-OYT1T00849.htm?from=blist
res:19 名無しさん@13周年2012/10/11(木) 06:36:33.08 ID:rRsgqjyO0
欧米の都市のように行政が世帯あたりに飼えるペットの数を制限するべきですよ
放っておくなど馬鹿じゃないですか
http://www.wisegeek.com/how-many-household-pets-can-i-keep.htm#
res:34 名無しさん@13周年sage2012/10/11(木) 06:40:12.48 ID:JMupGRqg0
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/10/11/kiji/K20121011004305300.html
>近所の住民によると、久保さんは1人暮らし。2〜3年前に引っ越してきた。
>野良猫へのエサやりや植木、ゴミの放置をめぐり、徳永容疑者や近所とのトラブルになっていた。
res:40 名無しさん@13周年sage2012/10/11(木) 06:41:51.88 ID:xM96ZZfG0
>>27
猫は土にうんこをして埋めて隠すという習性を持っている
野良なら大抵どこかの家の庭にする
道端にわかるようにうんこは普通しない
res:49 名無しさん@13周年sage2012/10/11(木) 06:45:16.13 ID:3/MoYrT70
>>40
うちの地元もやたら野良猫多いけど、確かにフンは見たこと無いわ
res:71 名無しさん@13周年sage2012/10/11(木) 06:53:39.28 ID:PdpnjnPh0
>>40
猫にウンコされまくりのうちの庭。
台風の日には玄関(コンクリート)やアスファルトの上にされてるわ。
猫好きだけど、糞の迷惑を考えずに餌だけやってるやつはいい加減にしろと思う。
>>49
そりゃ、どこかの家が迷惑を引き受けさせられてるんだよ
毎日毎日ウンコ掃除して、玄関前にされたときは、深夜帰宅した家族がウンコ踏んで…
res:81 名無しさん@13周年2012/10/11(木) 06:55:35.40 ID:B6XmyObT0
>>40
俺もそんな話を聞いたことがあるけれどはっきり言ってそれは嘘
実際はそんなこと無くてアスファルトの上にも草の上にもどこにでもする
椎名高志のツィッターを忘れないうちに保存しておく。そのうち私もカメラを趣味にして、マイ・ワイフを撮ることもあるかもしれないから、その時には思いだそう。多分忘れていて、ありのままに写して殴られるだろうけど。
(以下引用)
椎名高志@Takashi_Shiina
女子の顔は明るくソフトフォーカス、さらに「ごく自然に光の加減でこうなっちゃった」風に覆い焼きツールとスタンプツールで修整。やりすぎるとそれはそれで殴られる。ちぃおぼえた。
開く
10月8日椎名高志@Takashi_Shiina
まあ試しにやってみたわけだけど、プロモデルでもこれはイヤだろう。ポートレイト撮影にはフォトショップ修整技術が必須だな。
開く
10月8日椎名高志@Takashi_Shiina
嫁の顔をアップで撮影してをA3ノビ用紙に印刷してあげたら殴られた。絞りも露出もフォーカスも完璧なのに。
(以下引用)
椎名高志@Takashi_Shiina
女子の顔は明るくソフトフォーカス、さらに「ごく自然に光の加減でこうなっちゃった」風に覆い焼きツールとスタンプツールで修整。やりすぎるとそれはそれで殴られる。ちぃおぼえた。
開く
10月8日椎名高志@Takashi_Shiina
まあ試しにやってみたわけだけど、プロモデルでもこれはイヤだろう。ポートレイト撮影にはフォトショップ修整技術が必須だな。
開く
10月8日椎名高志@Takashi_Shiina
嫁の顔をアップで撮影してをA3ノビ用紙に印刷してあげたら殴られた。絞りも露出もフォーカスも完璧なのに。