ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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新古書店でジュール・ヴェルヌの「八十日間世界一周」を買って、少し読んだのだが、子供の頃にも思ったことだが、「思ったほど面白くない」のは、再読しても変わらないようだ。
これは彼のすべての作品について言えることで、すべて読む前は、ものすごく期待させるのである。あらかじめ知っている、「作品の大筋」自体が、実にユニークな発想で、「きっと物凄く面白い作品だろう」と考えるから、読んでの印象がそれに追いつかない。
これは、キャラの問題だろうか、とも思ったが、たとえばH・G・ウェルズなど、キャラの魅力はないが、話は素晴らしく面白い。つまり、ヴェルヌは「話作り」が発想ほどのレベルではないわけだ。また、スチーブンソンの「宝島」など、発想はさほどでもないが、キャラ描写が見事で、また話の展開も意外性とスリルに満ちて面白い。
ヴェルヌという作家は、文壇で言われる「眼高手低」の作家だなあ、と思う。
もちろん、彼の作品を読んで面白いと思った子供はたくさんいるだろう。それはしかし、その種の作品を読んだ経験が少ないからではないか。ただし、その発想のすばらしさは、文芸史的に見ても横綱クラスだろう。
キャラ作りに関しては、「八十日間世界一周」は、主人公ふたりの個性といい、名前といい、ヴェルヌとしては頑張った部類だと思う。だが、その個性が笑いにもキャラの魅力にもならないのだ。これは作者の作家的段位の低さによると思う。なんでもない話を書いても、どのエピソードでも面白く、キャラが魅力的なジェーン・オースティンあたりと比べれば、それが明白になるだろう。
私の偏見かもしれないが、イギリスの作家は基本的にユーモアセンスが高く、フランスの作家は低い。それが小説全体の魅力の差の土台ではないか。大作家バルザックですら、ユーモアセンスの面ではイギリスの二流作家以下だと思う。ただし、合理的思考力ではフランスの作家のほうが上という感じもある。「八十日間世界一周」でも旅行の内容(出来事と時間)は緻密に組み立てられている、と解説にはある。
*比較的ユーモアセンスに欠けるアガサ・クリスティですら、ヘイスティングスの描写においては、彼の自己認識と客観的認識の落差をちゃんと描いて、読者をクスリと笑わせている。ただし、ポワロの外貌をこっけいにしている手法は、まあ、映画やドラマなら多少は面白い、という程度だ。クリスティは、かなり真面目な性格の人だったと推定できる。彼女が書いたコメディ的短編は、かなりひどいレベルである。ハリウッドの三流作品並みだ。ホラー小説は上手い。ミステリーとホラー小説は双子のようなもので、真面目な作者ほど上手いのではないか。幽霊の正体が枯れ尾花ではホラーにはならないのである。最初から枯れ尾花を枯れ尾花としか見ない作家にはホラー小説は向かないだろう。偉大なコナン・ドイルも、やはり真面目タイプだ。とすると、イギリス作家だからユーモアセンスがある、という論もダメダメ論か。ただ、フランスの笑いは他者への冷笑であり、イギリスの笑いは人間全体の本質に滑稽なものがある、というものかと思う。それがスイフトのような冷笑や嘲笑になることもあるが、概して温かいユーモアになる。
これは彼のすべての作品について言えることで、すべて読む前は、ものすごく期待させるのである。あらかじめ知っている、「作品の大筋」自体が、実にユニークな発想で、「きっと物凄く面白い作品だろう」と考えるから、読んでの印象がそれに追いつかない。
これは、キャラの問題だろうか、とも思ったが、たとえばH・G・ウェルズなど、キャラの魅力はないが、話は素晴らしく面白い。つまり、ヴェルヌは「話作り」が発想ほどのレベルではないわけだ。また、スチーブンソンの「宝島」など、発想はさほどでもないが、キャラ描写が見事で、また話の展開も意外性とスリルに満ちて面白い。
ヴェルヌという作家は、文壇で言われる「眼高手低」の作家だなあ、と思う。
もちろん、彼の作品を読んで面白いと思った子供はたくさんいるだろう。それはしかし、その種の作品を読んだ経験が少ないからではないか。ただし、その発想のすばらしさは、文芸史的に見ても横綱クラスだろう。
キャラ作りに関しては、「八十日間世界一周」は、主人公ふたりの個性といい、名前といい、ヴェルヌとしては頑張った部類だと思う。だが、その個性が笑いにもキャラの魅力にもならないのだ。これは作者の作家的段位の低さによると思う。なんでもない話を書いても、どのエピソードでも面白く、キャラが魅力的なジェーン・オースティンあたりと比べれば、それが明白になるだろう。
私の偏見かもしれないが、イギリスの作家は基本的にユーモアセンスが高く、フランスの作家は低い。それが小説全体の魅力の差の土台ではないか。大作家バルザックですら、ユーモアセンスの面ではイギリスの二流作家以下だと思う。ただし、合理的思考力ではフランスの作家のほうが上という感じもある。「八十日間世界一周」でも旅行の内容(出来事と時間)は緻密に組み立てられている、と解説にはある。
*比較的ユーモアセンスに欠けるアガサ・クリスティですら、ヘイスティングスの描写においては、彼の自己認識と客観的認識の落差をちゃんと描いて、読者をクスリと笑わせている。ただし、ポワロの外貌をこっけいにしている手法は、まあ、映画やドラマなら多少は面白い、という程度だ。クリスティは、かなり真面目な性格の人だったと推定できる。彼女が書いたコメディ的短編は、かなりひどいレベルである。ハリウッドの三流作品並みだ。ホラー小説は上手い。ミステリーとホラー小説は双子のようなもので、真面目な作者ほど上手いのではないか。幽霊の正体が枯れ尾花ではホラーにはならないのである。最初から枯れ尾花を枯れ尾花としか見ない作家にはホラー小説は向かないだろう。偉大なコナン・ドイルも、やはり真面目タイプだ。とすると、イギリス作家だからユーモアセンスがある、という論もダメダメ論か。ただ、フランスの笑いは他者への冷笑であり、イギリスの笑いは人間全体の本質に滑稽なものがある、というものかと思う。それがスイフトのような冷笑や嘲笑になることもあるが、概して温かいユーモアになる。
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常識かも知れないが、案外知らない人も多いだろうと思うので、載せておく。
なお、空気中の二酸化炭素はまったく無害で、しかも植物の生育には必須である。DSの「CO2削減」は愚論(原発推進のための陰謀)であり、むしろ有害そのものである。温室効果による地球温暖化も一部の科学者が言っている愚説でしかない。地球は長期的には寒冷化するのが必然である。大気は循環するのであり、地球全体が「温室」になることはありえない。
(以下引用)
「酸素だけ」というよりも、人間が呼吸する際に吸引する「空気」の酸素濃度というものが鍵です。
仮に、酸素だけとした場合、その空気は、酸素濃度100%ということになります。
これは、間違いなく、有害です。
吸引すると、活性酸素を生み出し、体のあらゆる部分に障害が出ます。
通常の空気中の酸素濃度は、約21%。人体に影響が出ない限界は、約30%といわれています。
それを越すと、活性酸素のリスクが次第に高くなります。
質問の「空気がなく、酸素だけ」という状態は、「酸素100%という空気の中で生きていけるか」という内容に置き換えることができますので、そういう意味では、人間は生きていけません。
なお、空気中の二酸化炭素はまったく無害で、しかも植物の生育には必須である。DSの「CO2削減」は愚論(原発推進のための陰謀)であり、むしろ有害そのものである。温室効果による地球温暖化も一部の科学者が言っている愚説でしかない。地球は長期的には寒冷化するのが必然である。大気は循環するのであり、地球全体が「温室」になることはありえない。
(以下引用)
「酸素だけ」というよりも、人間が呼吸する際に吸引する「空気」の酸素濃度というものが鍵です。
仮に、酸素だけとした場合、その空気は、酸素濃度100%ということになります。
これは、間違いなく、有害です。
吸引すると、活性酸素を生み出し、体のあらゆる部分に障害が出ます。
通常の空気中の酸素濃度は、約21%。人体に影響が出ない限界は、約30%といわれています。
それを越すと、活性酸素のリスクが次第に高くなります。
質問の「空気がなく、酸素だけ」という状態は、「酸素100%という空気の中で生きていけるか」という内容に置き換えることができますので、そういう意味では、人間は生きていけません。
第二十七章 海峡の戦い
ボワロンの北西海岸にやっと到着したグリセリード陸上軍だったが、疫病のため砂漠に残した一万人と、その後に出た死者や重症患者のため、全体の兵力は僅か十万人程度になっていた。幸い、患者の中には回復に向かう者も少しはいたが、完全な健康体の者も、水と食料の欠乏した過酷な砂漠越えで体力を消耗していた。
「今戦いが始まったら、五百の兵士にも負けそうだな……」
デロスは海岸の木陰でぐったりと休んでいる兵士たちを見て呟いた。
「戦う前からこれほどの兵力を消耗したのは初めてだ。この戦は呪われているのか」
デロスの呟きを聞いて、傍らのマルシアスが笑った。
「デロス殿とも思えない弱気なお言葉ですな。なあに、少し休んだら兵たちも体力を回復しますよ」
「そうだな。……ところで、マルシアス、戦の指揮の事だが、もしもわしが死んだら、お主が全軍の指揮を執ってくれぬか」
「死ぬとはまた不吉な事を。一体どうなされたのです」
「はは、気にするな。別に迷信深くなっているわけではない。いつ不測の事があっても良いように戦の指揮体系を決めておくのも将の仕事の一つだ」
「はあ。しかし、序列から言って、デロス殿の次はエスカミーリオ殿でしょう」
「お主のこれまでの軍歴は、エスカミーリオなど話にならん。他の将官の中で、一万以上の軍を動かす力のあるのはお主以外いない」
「ヴァルミラ殿では?」
「何を馬鹿な事を。あれはまだ一度も戦をしたこともない子供だ」
「デロス殿の娘だというだけでも兵は信服して付いて行きます。それに、彼女の武芸の腕は国中知らぬ者は無い。戦略の面でも、アベロンの兵法書を深く読んでいる様子ですよ」
「戦は書物通りにはいかんさ。二、三度戦場に出た後なら考えんでもないが」
デロスは将官たちを集めて、自分に不測の事があった場合の指揮をマルシアスに任せる事を告げた。将官の中には、それを喜ぶ者もあり、不服そうな顔をする者もあった。
海上のエスカミーリオ軍は、ポラポス海峡に近づきつつあった。マルスたちがアンドレと再会してから五日後であった。
「エスカミーリオ様。レントの船はいっこうに現れませんな」
エスカミーリオの副官のジャンゴが言った。
「うむ。別に不思議ではないが、張り合いがないな。この大船団なら名に負うレント海軍でも一蹴してみせるものを」
空は良く晴れ渡っているが、海上は波がある。航海に出て以来、これほど雲一つ無い天気も珍しい。
やがて、前方にポラポス海峡が見えた。
「あそこがポラポス海峡です。あそこを過ぎれば、アスカルファンもボワロンもすぐです」
船の乗組員がエスカミーリオにそう告げた。
「そうか。海底の岩に船底をこすらぬよう、注意して進めよ」
およそ三百隻の船は、一列になって海峡に入った。先頭からおよそ三分の一が海峡の中に入った時、突然中団の船の一つが轟音を立てた。
「何事だ?」
船団の分隊の指揮をしている副将軍が慌てて、部下に聞いた。その間にも、轟音は続いている。
「はっ。どうやら、海峡の上の崖から投石器で攻撃を受けているようです」
「応戦しろ!」
「はっ。しかし、敵ははるか上方におり、こちらの矢はほとんど届きません」
間もなく、崖の上からは石だけではなく、火矢も降り注いできた。
海峡に入りかかっていた後続の船は、慌てて進路を変えようとしたが、狭い海峡では船がすれ違うことは難しい。後から進んでくる船と、戻ろうとする船の何艘かがぶつかり始めた。
その時、西の海上に大船団が現れた。レント海軍である。
海峡への侵入を諦めたグリセリード軍は、新たな敵を迎えて困惑した。全軍の指揮を執る旗艦はとっくに海峡の中に入っており、海戦を統率する者がいないのである。
仕方なく、グリセリード軍およそ二百隻は、百五十隻のレント海軍にばらばらに立ち向かうことになった。
アンドレの指揮下に、何ヶ月も石弓の訓練を積んでいたレント海軍と、一月近い航海の間、何の訓練もできなかったグリセリード軍との技量の差は明らかだった。
レント海軍の石弓隊は、波に揺れる船を物ともせず、正確に敵船に矢を射掛けた。
グリセリード軍の船は、マルスの放つ火矢によって次々に炎上し始めた。
「思ったよりグリセリードの船が少ないな」
マルスは、矢を射る手を止めて、傍らのアンドレに言った。
「百隻くらい海峡の中に入ったと思うが、それにしても少ないようだ。おそらく、航海の間に先頭から遅れた船が半分くらいあるんだろう。そんな船は気にする必要はない。海上でのんびりと各個撃破すればよい」
アンドレはマルスに答えた。
「半分の船でアスカルファンに兵を輸送するのはできるか」
「一回におよそニ万人くらいずつだ。海岸でなんとか迎え撃つことができる人数だろうな」
「では、だいぶこちらが有利になったわけだな」
「そう言っていいだろう。アスカルファン軍がよほどヘマをしなければな」
ほっと一息ついて、マルスは笑顔になり、アンドレと握手した。
第二十六章 大戦略
レントに着いたマルスとジョーイは、早速アンドレに会った。
「やあ、久し振り。マルスもジョーイも元気そうじゃないか」
アンドレは二人の手を固く握り締めた。
「それにしても、マルスはずいぶんでかく、ごっつくなったなあ。肩幅なんか、私の二倍くらいありそうだ」
ボワロンへの旅の間にまた一回り成長したマルスをアンドレは眩しそうに見た。アンドレの風貌は以前と少しも変わっていない。相変わらず、地上に降りた金髪の天使の風情である。
「オズモンドからの手紙に書いてあったが、マルスたちが見たグリセリード軍がボワロンの海岸に到着するまでに、もうあまり時間は無さそうだな。グリセリードへの間者からの報告では、八百隻の大船団が三週間前にグリセリードを出航しているそうだ。おそらく、マルスの推測通りボワロンの海岸で陸上軍と合流するのだろう。ならば、船には十二万人から二十四万人の兵しか乗っていないはずだ。それだけでも大変な数だが。……もし、それが最初からレントを狙ったら、レントの防衛は難しいだろうな。だが、もしも、船がレントを後回しにして、ボワロンからアスカルファンに向かうのなら、私には秘策がある」
「秘策って?」
ジョーイが聞いた。
「実は今、ジョーイの顔を見て思いついたんだ。その策にはジョーイの力が必要になりそうだ」
アンドレはジョーイに微笑んだ。
グリセリード南岸を出たグリセリードの海軍は、慣れぬ船旅で海岸の浅瀬に乗り上げたり、風に流されて互いに衝突したりして八百隻の船のうちの百五十隻ほどを早くも失っていた。そのため、海岸から離れた所を進み、また互いにぶつからないように離れて進んだため、船団としてまとまっているのは三百隻ほどになっていた。残りはばらばらにはぐれたまま、レント方面に向かっているだけである。
「さすがに八百隻の船を揃えて進めるのは難しいな」
船団の司令官、エスカミーリオ将軍は、船の甲板で風に吹かれながら、副官のジャンゴに言った。
「これでは、デロス大将軍に怒られますかな」
「なあに、あいつが船に乗るのを怖がったから、俺が船のお守りをしてやったんだ。あいつには文句を言う権利など無いさ」
「デロス様の方はどうなっているでしょうな」
「楽な陸上行軍だ。敵がいるわけでもないし、十五万人無事に到着しているさ」
「しかし、八百隻でまだ良かったですよ。これが予定通り千五百隻の船を作っていたら、半分くらい沈没していたでしょう」
「まあな。船の操作がこれほど難しいとは思わなかった。前に船に乗った事がある人間がほとんどいないんだから、当たり前と言えば当たり前かもしれんが、軍を二手に分けたのはいい考えだったようだ」
もちろん、この時点でデロスの陸上軍がマルスたちのために戦力を半分に減らしている事をエスカミーリオたちは知らないのである。
アンドレは、テーブルに地図を広げてマルスとジョーイに自分の「秘策」の説明をした。
「アスカルファンとアスカルファン南の大陸の間にはこのように大きな入り海がある。しかし、この入り海への入り口は、見ての通り小さな海峡になっているんだ。ポラポス海峡と言うんだが、船がバルミアに行くにはこの海峡を通らざるを得ない。つまり、我々は陸上からここを通る船を攻撃することができるんだ」
「なあるほど。そこでこのジョーイの頭が必要になるんだな」
ジョーイが嬉しそうに言った。
「そうだ。お前に、陸上から船を攻撃する機械を作って欲しいんだ」
「だけど、時間がないんだろう?」
「今すぐ工兵や職人たちと船に乗って、ポラポス海峡に向かってくれ。これが攻城用の機械の図だ。これを参考にして投石器などを作ってくれないか」
「敵の船の大きさは?」
「二百人規模の大船だ。それが八百隻」
「八百隻では、難しいな。海峡の陸地はどうなっている? 砂浜か、崖か?」
「崖だ。海からの高さは、そうだな、このレントの宮殿の屋根までの二倍ほどある」
「そいつはいいや。近くに材料になる木は生えているか?」
「崖の後ろはずっと林だ。高木も沢山生えている」
「よし、じゃあ、俺は必要な道具と材料を確認して、すぐにポラポスに行く。クアトロも連れて行っていいかい?」
「もちろんだ」
ジョーイが去った後、アンドレはマルスに、グリセリードとの戦争全体の構想を話した。
「一番困るのは、グリセリードの船団に、直接にレントに来られることだ。レントの南岸なら、上陸できる所は限られているから防衛できるが、北部に上陸されたら対策は難しい。北部までレント軍を集結させるだけでも大変だ。だが、幸い、グリセリードの狙いはレントではなくアスカルファンだ。レント上陸はアスカルファンを征服した後だろう。もちろん、レントに上陸された際の作戦も考えているが、それは後で話す。もう一つの問題は、船団がボワロンに行く前にアスカルファンのどこかに上陸したらどうするか、ということだ。……」
記事中では明言されていないし、ロードムービーだというから、私の予測が間違う可能性もあるが、「誰でも知っている世界的古典」「背筋の伸びた主人公」と、「果てしなきスカーレット」というタイトルから見て、元ネタは「風とともに去りぬ」だろうと私は推理する。
もちろん、「風と共に去りぬ」は現代文学であるが、現代人(あるいは「勘違い男」細田守)にとってはもはや古典の範疇ではないか、ということだ。
まあ、自分では自分をフェミニストだと思っている細田守だから、大いなる勘違いアニメになる可能性もあるが、大きな元ネタ、つまり作品の柱があるから、これまでのような迷走作品よりはまともな作品になるかと期待する。
ただし、「風と共に去りぬ」は、主人公はスカーレット・オハラだが、話を動かしているのは、彼女の愛したふたりの男、アシュレー・ウィルクスとレット・バトラー(高校生のころに読んだ作品の登場人物名を今でも覚えているのだから、それらのキャラの存在感が凄いということだ)であり、そしてスカーレット・オハラは「時代の波に抵抗するヒロイン」であって、「冒険物語のヒロイン」ではない。つまり、細田守の談話の内容だと、話の上面(主要キャラなど)をなぞっても、「風と共に去りぬ」という作品の本質とはズレた内容になる可能性が高い。
話の舞台は異世界で、ヒロインも、スカーレット・オハラではなくナウシカに近くなると予測する。つまり「スカーレット」というタイトルは無意味化するわけだ。
おそらく、ラストシーンだけ映画「風とともに去りぬ」になるのだろうと推理する。つまり、自分の考え間違いから愛する男に去られて一人になり、絶望して丘の上に立った「スカーレット」が、呆然と彼方を見ながら「明日、明日考えよう。明日はまた別の日だ」と呟き、カメラが引いて、夕焼け空を背景にした彼女が大自然の中の点景となって終わり、である。恋愛という他者依存から自分という本来の姿に戻る点では、これこそ本物のフェミニズムである。
まあ、御託はともかく、「面白い」作品になれば、娯楽性が肝心のアニメとしては、それでいいのである。
(以下引用)
細田守監督、最新作『果てしなきスカーレット』は「世界的なとある古典」がモチーフ
細田守監督、最新作『果てしなきスカーレット』は「世界的なとある古典」がモチーフ
© 『果てしなきスカーレット』スーパーティザービジュアル - (c)2025 スタジオ地図
『竜とそばかすの姫』(2021)以来4年ぶりの新作アニメーション映画『果てしなきスカーレット』(2025年冬公開)を発表した細田守監督が23日、都内で行われた製作発表会見に出席し、謎に包まれた作品の概要を自ら説明した。会見には、スタジオ地図プロデューサーの齋藤優一郎も登壇した。
細田監督が脚本・原作も手がける『果てしなきスカーレット』は、東宝が日本配給、それ以外の地域はソニー・ピクチャーズが配給する。主人公は「とある国のプリンセス」で、「誰もが知っている、世界的なとある古典をモチーフにした内容。もう一人、彼女と対照的な登場人物が出てくるロードムービーのような作品」であることが判明している。
© 会見の様子
細田監督は会見冒頭、「『竜とそばかすの姫』はたくさんの人に観てもらえました。また新しい作品を作ることになりました。ぜひみなさんに興味を持って見てもらえば」と笑顔であいさつ。ハリウッド大手のソニー・ピクチャーズによる全世界配給が決まっているとも述べ、齋藤プロデューサーは「『竜とそばかすの姫』以来、世界では歴史の針が逆戻りするような悲しい出来事が起こっている。次の映画をどうするかとなった時に、日本のマーケットを意識した作品というより、最初から世界を視野に入れた作品を作るべきではないかということになった」と細田監督とのやり取りを紹介する。
そこで細田監督が提案したのが『果てしなきスカーレット』という壮大な作品だったといい、齋藤プロデューサーは「大変な話題を呼ぶ作品になるのではないかという予感がした。どうすればこの力強い、大きな作品を世界で配給できるかを考え、これをグローバルに届けるために日本と世界が手を取り合う新しい仕組みを作らないとダメだと思いました。その後、ハリウッドメジャーのソニー・ピクチャーズさんから一緒にこの作品を作りましょうと声をかけてもらえ、共同出資や共同制作というスクラムを作り出すことができました」と経緯を明かす。
© ティザービジュアルを公開した細田守監督
壇上には本作のヒントとなるティザービジュアルが紹介され、細田監督は「今まで作品を作るたびに新しいチャレンジをしてきた。一作ごとに壁を乗り越えようと頑張ってきたんです。今回も壁というか、見た目の感じをアニメーションという技法を使いながらも過去の作品を超えたものにしたいと思っている」とアニメ技法に新趣向を凝らした作品となることを明言。「以前から実験を積み重ね、いわゆるセルアニメでも、ハリウッド的なCGアニメでもない“ルック”を目指した、アニメーションの可能性を広げる作品にしたい」と意気込み、「アニメーションの見方が浸透していく中、今までの型を続けるという考えでなく、もっと先に進んでいかなければならないという時代になってきた」とそこにこだわる理由も紹介した。
ヒロイン像については「今回の映画は今までで一番ハードで困難な作品。これくらい背筋の伸びた主人公像が必要だと思った。そんな彼女と旅をすることで、何か希望を見出すものにしたいと考えています」と述べ、「テーマも(過去の作品と比べ)一番大きなテーマになった。世界の人々の心にある普遍的なテーマをこの映画で表現したい」としみじみとコメント。「生と死みたいなものにも踏み込む大きなテーマになります」と作品の構想、方向性を語っていた。(取材・文:名鹿祥史)
もちろん、「風と共に去りぬ」は現代文学であるが、現代人(あるいは「勘違い男」細田守)にとってはもはや古典の範疇ではないか、ということだ。
まあ、自分では自分をフェミニストだと思っている細田守だから、大いなる勘違いアニメになる可能性もあるが、大きな元ネタ、つまり作品の柱があるから、これまでのような迷走作品よりはまともな作品になるかと期待する。
ただし、「風と共に去りぬ」は、主人公はスカーレット・オハラだが、話を動かしているのは、彼女の愛したふたりの男、アシュレー・ウィルクスとレット・バトラー(高校生のころに読んだ作品の登場人物名を今でも覚えているのだから、それらのキャラの存在感が凄いということだ)であり、そしてスカーレット・オハラは「時代の波に抵抗するヒロイン」であって、「冒険物語のヒロイン」ではない。つまり、細田守の談話の内容だと、話の上面(主要キャラなど)をなぞっても、「風と共に去りぬ」という作品の本質とはズレた内容になる可能性が高い。
話の舞台は異世界で、ヒロインも、スカーレット・オハラではなくナウシカに近くなると予測する。つまり「スカーレット」というタイトルは無意味化するわけだ。
おそらく、ラストシーンだけ映画「風とともに去りぬ」になるのだろうと推理する。つまり、自分の考え間違いから愛する男に去られて一人になり、絶望して丘の上に立った「スカーレット」が、呆然と彼方を見ながら「明日、明日考えよう。明日はまた別の日だ」と呟き、カメラが引いて、夕焼け空を背景にした彼女が大自然の中の点景となって終わり、である。恋愛という他者依存から自分という本来の姿に戻る点では、これこそ本物のフェミニズムである。
まあ、御託はともかく、「面白い」作品になれば、娯楽性が肝心のアニメとしては、それでいいのである。
(以下引用)
細田守監督、最新作『果てしなきスカーレット』は「世界的なとある古典」がモチーフ
細田守監督、最新作『果てしなきスカーレット』は「世界的なとある古典」がモチーフ
© 『果てしなきスカーレット』スーパーティザービジュアル - (c)2025 スタジオ地図
『竜とそばかすの姫』(2021)以来4年ぶりの新作アニメーション映画『果てしなきスカーレット』(2025年冬公開)を発表した細田守監督が23日、都内で行われた製作発表会見に出席し、謎に包まれた作品の概要を自ら説明した。会見には、スタジオ地図プロデューサーの齋藤優一郎も登壇した。
細田監督が脚本・原作も手がける『果てしなきスカーレット』は、東宝が日本配給、それ以外の地域はソニー・ピクチャーズが配給する。主人公は「とある国のプリンセス」で、「誰もが知っている、世界的なとある古典をモチーフにした内容。もう一人、彼女と対照的な登場人物が出てくるロードムービーのような作品」であることが判明している。
© 会見の様子
細田監督は会見冒頭、「『竜とそばかすの姫』はたくさんの人に観てもらえました。また新しい作品を作ることになりました。ぜひみなさんに興味を持って見てもらえば」と笑顔であいさつ。ハリウッド大手のソニー・ピクチャーズによる全世界配給が決まっているとも述べ、齋藤プロデューサーは「『竜とそばかすの姫』以来、世界では歴史の針が逆戻りするような悲しい出来事が起こっている。次の映画をどうするかとなった時に、日本のマーケットを意識した作品というより、最初から世界を視野に入れた作品を作るべきではないかということになった」と細田監督とのやり取りを紹介する。
そこで細田監督が提案したのが『果てしなきスカーレット』という壮大な作品だったといい、齋藤プロデューサーは「大変な話題を呼ぶ作品になるのではないかという予感がした。どうすればこの力強い、大きな作品を世界で配給できるかを考え、これをグローバルに届けるために日本と世界が手を取り合う新しい仕組みを作らないとダメだと思いました。その後、ハリウッドメジャーのソニー・ピクチャーズさんから一緒にこの作品を作りましょうと声をかけてもらえ、共同出資や共同制作というスクラムを作り出すことができました」と経緯を明かす。
© ティザービジュアルを公開した細田守監督
壇上には本作のヒントとなるティザービジュアルが紹介され、細田監督は「今まで作品を作るたびに新しいチャレンジをしてきた。一作ごとに壁を乗り越えようと頑張ってきたんです。今回も壁というか、見た目の感じをアニメーションという技法を使いながらも過去の作品を超えたものにしたいと思っている」とアニメ技法に新趣向を凝らした作品となることを明言。「以前から実験を積み重ね、いわゆるセルアニメでも、ハリウッド的なCGアニメでもない“ルック”を目指した、アニメーションの可能性を広げる作品にしたい」と意気込み、「アニメーションの見方が浸透していく中、今までの型を続けるという考えでなく、もっと先に進んでいかなければならないという時代になってきた」とそこにこだわる理由も紹介した。
ヒロイン像については「今回の映画は今までで一番ハードで困難な作品。これくらい背筋の伸びた主人公像が必要だと思った。そんな彼女と旅をすることで、何か希望を見出すものにしたいと考えています」と述べ、「テーマも(過去の作品と比べ)一番大きなテーマになった。世界の人々の心にある普遍的なテーマをこの映画で表現したい」としみじみとコメント。「生と死みたいなものにも踏み込む大きなテーマになります」と作品の構想、方向性を語っていた。(取材・文:名鹿祥史)
車でドライブしている時、古いカンツォーネをよくかけるが、その中で多くの歌に頻出する言葉に「インナモラータ」という言葉がある。まあ、ポップスで頻出するのは「愛してる」か、「永遠に」だろうが、愛してるなら「アモーレ」があるから、おそらく後者だろう、と推理してグーグルで調べると、前者だった。ラテン系の言葉は語源が分からないから推測が難しい。
ちなみに、イタリアはオペラの本場だっただけに、「歌い上げる」歌い方が多い。シャンソンのささやく(語る)ような歌い方と対比的である。もちろん、イタリアにもささやくような歌もあれば、シャンソンにも歌い上げる歌もある。
(以下引用)
innamorato(イタリア語)の日本語訳
コトバンク
https://kotobank.jp
innamorato ; 1 〈…に〉恋をした, ほれた, 参った;熱中した, 夢中になった《di》. È ~ di quella ragazza.|彼はあの娘に恋している. Sono ~ della pittura.|私は絵画に夢中 ..
ちなみに、イタリアはオペラの本場だっただけに、「歌い上げる」歌い方が多い。シャンソンのささやく(語る)ような歌い方と対比的である。もちろん、イタリアにもささやくような歌もあれば、シャンソンにも歌い上げる歌もある。
(以下引用)
innamorato(イタリア語)の日本語訳
コトバンク
https://kotobank.jp
innamorato ; 1 〈…に〉恋をした, ほれた, 参った;熱中した, 夢中になった《di》. È ~ di quella ragazza.|彼はあの娘に恋している. Sono ~ della pittura.|私は絵画に夢中 ..
第二十五章 大戦前夜
ヤクシーが自分たちを魔物から護っていたという考えを聞いて、ロレンゾはうなずいた。
「そう言えばそうじゃ。ヤクシーという名前を聞いた時から、気には掛かっていたのじゃが、お主の言う通りかもしれん」
「おそらく、その娘には強い守護霊がいるか何かじゃろう」
「しかし、それなら、奴隷に売られるような不幸な運命に遭ったのが解せんな」
「幸不幸はこの世の基準にしか過ぎん。霊界には別の基準があるのじゃろう」
「それも一つの考えじゃな」
ロレンゾはカルーソーに賢者の書を渡そうかと思ったが、イライジャの一件があったので、また今度はカルーソーが妖魔に襲われてはまずいと思って、そのまま宮廷を後にした。
マルスは帰国した翌日オズモンドを訪ねたが、オズモンドはレントへの出発で慌しく、ゆっくり話す事は出来なかった。しかし、オズモンドののんびりとした顔を見ただけでも、マルスは旅の疲れが癒されるような気がしたのであった。
「あのオズモンドという青年は福人じゃな。徳のある男じゃ。いわば、春の気配を持っており、周囲に良い影響を与える男じゃ」
ロレンゾは、そんな風な事を言った。
そう言えば、マルスの運命が大きく変わったのも、考えてみればオズモンドと出会った事からであった。
トリスターナも懐かしそうにマルスを迎えた。
「その後、アンドレとはどうなってます?」
「ええ、手紙は毎月来ますけど、どうなんでしょう。まだ本気で私と結婚したいと思っているのかどうか。私は、あのプロポーズは逆上して口走っただけだと思うんですよ」
「そうは思えませんけどねえ。アンドレは知恵の塊みたいな男ですから、彼が一時の気紛れであんな事を言うとは信じられません」
「でも、お手紙の中味は、なんだか難しいことばかりなんですよ。世界情勢がどうとか、この世の真理がどうとか。女に出す手紙には見えませんわ」
成る程、アンドレの知恵も及ばない事はあるんだな、とマルスは納得した。
「では、オズモンドの方はどうなんです?」
「あら、ジーナさんからお聞きになってませんの? オズモンドさんは、このところずっとジーナさんにお熱なんですのよ。どちらの家族も身分が違いすぎると言って難色を示してますけど、オズモンドさんは本気ですわ」
でもまあ、同じオールドミスで終わるにしても、あの修道院から出て良かったですわ、とトリスターナは美しく微笑んだ。
マルスは、その時、ふと思い出した。
「ところで、やっとこれを取り戻しましたよ」
マルスは、ジルベールの形見のダイヤのペンダントを出して、トリスターナに示した。
「あっ、それはジルベールのペンダント。それではやはりマルスさんは、ジルベールの子供だったのね。いいえ、もちろんそのペンダントが無くても、そうだと思ってましたけど、これで堂々とオルランド家の相続ができますわ」
「相続なんて、そんな事は考えてません。ただ、これで父の行方について、アンリさんに確かめる事ができるのではないかと……」
トリスターナは小首をかしげた。
「さあ、それはどうでしょう。私も何度かアンリに面会を申し込みましたけど、いつも門前払いでしたわ。親類の者たちも皆アンリの味方をして、私の力になってくれそうな人はいないし、私もいつまでもここでご厄介になるわけにもいきませんしねえ。せめて、親の遺産の一部でも貰えたら、一人でなんとか生きていくことはできるんでしょうが」
「大丈夫です。お金の事なら、これから一生、何の心配もありません」
マルスは、ピラミッドから持ち出した首飾りをトリスターナに渡した。これはトリスターナにやろうと最初から考えていた物である。
「まあ、これは何ですの? こんな素晴らしい首飾りは見たことがございませんわ」
マルスはピラミッドの事をトリスターナに話した。
「でも、これは受け取れませんわ。あなたたちが、そんな危険な思いをして命がけで取ってきた物を、ここで遊んでいた私が貰うなんて、出来ません」
その首飾りをトリスターナに受け取らせるのに、マルスは大汗をかき、これなら千人の大軍を相手に戦う方がましだ、と心の底で考えたものであった。
やがて、オズモンドがアンドレからの手紙を携えてレントから戻った。
その手紙は、マルスたちの無事を祝うと共に、マルスたちにレントへ来てアンドレらの軍に加わらないかと勧める内容だった。
「おそらく、アスカルファン軍の中では、マルスの力を自由に振るう事は出来ないだろう。レント国王は、私の思うままに軍を指揮させてくれる。もし、マルスが私の軍に加わってくれるなら、これほど心強いものはない」
アンドレの手紙はそのように書いてあった。マルスとしても、望むところである。アンドレの智謀なら、グリセリードの大軍を相手でも互角に戦いを挑めるだろう。
マルスはピエールとロレンゾに、オズモンド一家とケイン一家の守護を頼み、レントへ向かう船に乗った。
「レントのアンドレの所へ行くのかい。なら、おいらたちも連れて行ってくれよ。また戦争が始まるんだろう? なら、おいらたちも役に立つぜ」
そうマルスに言ったのはジョーイである。彼は繁盛している店を閉めて、マルスと共にレント軍に加わった。もちろん、巨人クアトロも一緒である。
「妻、小学生になる」のアニメを最終回まで見たが、何と言うか……。
私が、この作品が嫌いであることは何度か書いたが、この設定で話をどう転がすか、という研究心で見続けていたわけだ。単純に「感動ポルノ」と言ってはいけないのだろうし、原作者自身がこうした話に感動する人なのだろう。そして、話の展開自体は、設定の異常さ以外はほとんど破綻は無いのだが、見ていて気色が悪いのは、最後まで続いた。
特に話の中心である「ケイスケ」の気持ち悪さは、このアニメを見続ける上での大きな障害だった。「いい人」ぶっているが、精神的に自立していない赤ん坊なのである。だからこそ、この話が成立するわけだが、私が男だからか、こういう人物を主人公とした話は不快そのものだ。それは、この話と反対に、無軌道無道徳の悪漢を主人公とした話でも同じである。
なお、小学生になった妻と、元の大人の妻は、たぶん両方とも声は悠木碧で、その演技はさすがである。何しろ、天使のようなまどかと、変態サディストのクレマンティーヌのどちらも見事に演じる「声の天才」である。
なお、「スパイ&ファミリー」映画版をネットフリックスでやっていたので、見始めたが、脚本が私の嫌いなO河内一楼でがっかりした。原作のキャラをよく研究して書いたように見える脚本だが、うわべだけの似せ方で、本質的に「変態でサディスト」だと私が考えている人間らしく、「子供受けを狙うなら下ネタ」という内容、しかも「うんこネタ」である。
「スパイ&ファミリー」の急激な失速は、二期が始まる前から、この映画で始まったのではないか。少なくとも、一期で興味を持ち始めていた「子供層」は、この映画でがっかりして、大人も含めてかなりの層が離れたと思う。大衆の大半の趣味は愚劣だというのは確かだが、「スパイ&ファミリー」は趣味のいい人間(私などww)を惹きつける高度なレベルの作品だと読めなかった制作陣や制作委員会の大失敗である。原作者は損害賠償を求めてもいいくらいだ。
私が、この作品が嫌いであることは何度か書いたが、この設定で話をどう転がすか、という研究心で見続けていたわけだ。単純に「感動ポルノ」と言ってはいけないのだろうし、原作者自身がこうした話に感動する人なのだろう。そして、話の展開自体は、設定の異常さ以外はほとんど破綻は無いのだが、見ていて気色が悪いのは、最後まで続いた。
特に話の中心である「ケイスケ」の気持ち悪さは、このアニメを見続ける上での大きな障害だった。「いい人」ぶっているが、精神的に自立していない赤ん坊なのである。だからこそ、この話が成立するわけだが、私が男だからか、こういう人物を主人公とした話は不快そのものだ。それは、この話と反対に、無軌道無道徳の悪漢を主人公とした話でも同じである。
なお、小学生になった妻と、元の大人の妻は、たぶん両方とも声は悠木碧で、その演技はさすがである。何しろ、天使のようなまどかと、変態サディストのクレマンティーヌのどちらも見事に演じる「声の天才」である。
なお、「スパイ&ファミリー」映画版をネットフリックスでやっていたので、見始めたが、脚本が私の嫌いなO河内一楼でがっかりした。原作のキャラをよく研究して書いたように見える脚本だが、うわべだけの似せ方で、本質的に「変態でサディスト」だと私が考えている人間らしく、「子供受けを狙うなら下ネタ」という内容、しかも「うんこネタ」である。
「スパイ&ファミリー」の急激な失速は、二期が始まる前から、この映画で始まったのではないか。少なくとも、一期で興味を持ち始めていた「子供層」は、この映画でがっかりして、大人も含めてかなりの層が離れたと思う。大衆の大半の趣味は愚劣だというのは確かだが、「スパイ&ファミリー」は趣味のいい人間(私などww)を惹きつける高度なレベルの作品だと読めなかった制作陣や制作委員会の大失敗である。原作者は損害賠償を求めてもいいくらいだ。
北野武(ビートたけし)のインタビュー記事の一部である。インタビュアーは渋谷陽一。
ーーそれはやっぱり、たけしさん的な恋愛観というか、人生観が色濃く反映されてますよね。
「うん。なまじね、過去を悔いてね、いい人になろうなんて思った奴はたいてい癌かなんかになって死ぬんだよ」
ーーははははは!
「大体、『仏心』なんだから、仏になっちゃうんだから(笑)。それは駄目だろうっていうかさ、だからもう、いいことあると警戒する。イヤなことは意外にサウナ入ってるようなもんでさ」
ーーははははは。
「耐え忍んだら気持ちいいっていう。要するに、酷い目に遭って解放されたときがいいわけじゃん? すっと人間が生きてて解放されるって、くたばるときなんだから」
ーーそれはやっぱり、たけしさん的な恋愛観というか、人生観が色濃く反映されてますよね。
「うん。なまじね、過去を悔いてね、いい人になろうなんて思った奴はたいてい癌かなんかになって死ぬんだよ」
ーーははははは!
「大体、『仏心』なんだから、仏になっちゃうんだから(笑)。それは駄目だろうっていうかさ、だからもう、いいことあると警戒する。イヤなことは意外にサウナ入ってるようなもんでさ」
ーーははははは。
「耐え忍んだら気持ちいいっていう。要するに、酷い目に遭って解放されたときがいいわけじゃん? すっと人間が生きてて解放されるって、くたばるときなんだから」
第二十四章 アスカルファンへの帰還
自軍の飲料水の大半が、夜の間に何者かに捨てられた事を知ったデロスは激怒した。
見張りの兵士はそれぞれ鞭打ち二十回ずつの処罰をしたが、失われた水は取り戻せない。
それよりもさらにデロスを怒らせたのは、自軍兵士の中に数日後、疫病が発生し、それが同じ夜に食料に何かを入れられたからだと知った事だった。
「なぜ、食料に異常がないか調べぬ。糧秣隊の班長は何と言っておるのだ」
「はっ、食料が水浸しになり、厭な臭いがしている事は分かってましたが、あまりにも大量の被害なので、捨てたらお叱りがあるかと思い、兵たちに食わせたそうです」
「わしたちの物も同じか」
「いえ、高級将校のお食事は、被害の無かった馬車の食料から作ったそうです」
「愚か者め。同じ物を出していたら、もっと早く異常に気付いて、被害を少なくできたものを」
デロスが調べさせると、疫病にかかった兵士の数は一万人以上で、まだ増えそうだという事であった。そして、水の残りは、あと十日の行程に対して、七日分しか無かった。
「疫病にかかった者は、皆、この近くで休養させるがよい。但し、異常の無い者は、全員このまま行軍する。看護は残った者同士でするがよい。水と食料は半分に分けて一つは病人どもに残す。先に行く連中は、三日ほどは飲まず食わずになるが、なあに、砂漠にも多少は水もあるし、草もある。草の根でも噛んで水分を補給すればよい。病気の者は、歩けるようになったらダンガルに向かい、そこでゆっくり休養しておけ。戦が長期戦になったら、その者たちにも出番はあるだろう」
一万人の病人を背後に残し、デロスたちはさらに西海岸に向かった。しかし、その後も患者の数は増え続け、ボワロン北西部の海岸に到着した時には、疫病による死者が三千人、重態の患者が二万人に上っており、軽い患者も五万人近くいた。
マルスたちは、自分たちのした事がこれほどの効果をもたらしたことは知らなかった。
グリセリード軍の水と食料を台無しにした後、夜警に発見されそうになった二人はロレンゾたちの所に逃げ戻り、そのまま大急ぎで出発したのであった。
病人などのせいで行軍の速度の落ちたグリセリード軍よりはるかに早い速度で進んだマルスたちは、それから四日後にはボワロンの北西海岸に着き、そこから小船でアスカルファンに向かっていた。
アスカルファンに着いた一行は、マルスはまずケインの家に、マチルダはロレンゾと共に自分の屋敷に行って、無事な顔を見せたが、ピエールとヤクシーはそのまま宿に残って、長旅の疲れを癒し、風呂の後は、思い切り贅沢な食事と高価な酒を楽しんだのであった。
「いやあ、とにかく無事でよかった。だが、お前、ずいぶん真っ黒になっちまったなあ」
オズモンドに言われたマチルダは、笑って言った。
「あら、これは変装よ。グリセリード人に化けてたの。ねえ」
マチルダは同意を求めて、自分の保護者然と構えているロレンゾを振り返ったが、ロレンゾは首を横に振って言った。
「あの塗料の効き目は数日間だけじゃよ。それは本物の日焼けじゃ」
マチルダは気を失った。
ロレンゾからグリセリード軍の侵攻の話を聞いたオズモンドは、翌日、国王にその報告をした。
オズモンドの報告で、宮廷は上を下への大騒ぎになったが、例によって、重臣たちは、自分こそが総大将になってグリセリード軍に立ち向かいましょう、王様は大船に乗った気持ちでいてください、と大言壮語したりしている。こうした口先の英雄が戦場でまともに働いた例は無いのだが、それでシャルル国王はすっかり安心したようである。
「レントへの救援の依頼は必要ありませんか?」
「まあ、その必要は無いと思うが、わが国への脅威はレントへの脅威でもあるから、レントも一緒に戦いたいであろう。唇滅べば歯が寒い、と言うでな」
対グリセリード軍の総大将に決まったジルベルト公爵が偉そうに言った。
すぐさま、国王からの親書を持って、オズモンドはレントに向かった。
ロレンゾは宮廷に旧友のカルーソーを訪ねていた。賢者の書の解読を依頼するためである。
懐かしげにロレンゾを迎えたカルーソーだが、賢者の書を見て眉をひそめた。
「古代パーリ語か。これはまた難しい物を持ってきたな」
「お主でも無理か」
「まあな。やはり、パーリの人間でないとな。その、ヤクシーという娘はパーリの人間なら、少しは読めるのではないか?」
「それが、その娘は学問嫌いで武術しかしなかったというのでな。パーリの文字もろくろく読めんのじゃよ」
「王家の娘といってもそんなものかの」
「女には教育などしないのが、やはり普通じゃろう」
「しかし、その娘は、自分でも気付かない力を持っているかもしれんぞ」
「なぜそう思う?」
「お主らが魔物の襲撃を受けなくなったのは、その娘が仲間に加わってからじゃろう?」
あっとロレンゾは思った。灯台下暗しとはこの事か。