ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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シンクに溜まった食器類を洗いながらthinkしていると、なぜか「風吹ジュンって、アイドルとして完璧な名前だな」、という思念が頭に浮かんだのだが、もちろん、これは昭和生まれの人間にしか理解できない話だろう。ネットで画像検索しても、「え、この程度の顔か」という感想を持つ人もいるかもしれない。ただ、美少女というだけなら、彼女以上の美少女はたくさんいるのだが、ここでは「アイドル」を論じているのである。
アイドルとは何か。「偶像」である。つまり、「人間ではない」存在だ。それが近年のようにファンと握手をしたり、「当然枕商売してるんだろ」という話ではアイドルたりえないのである。もちろん、それは現実がどうであるかとは無関係な話で、「アイドルに憧れる世代の青少年や子供にとってのアイドル像」の話だ。つまり一種の「神」であり、女性なら女神であり、さらに言えば「妖精」である。
さらに言えば、本当はアイドルは歌うべきではないし、俳優として活動してもいけないのである。せいぜい、テレビCMで何やらやっている姿を見せるか、雑誌のグラビア写真で姿を見せるだけでいい。それも水着やヌード写真は禁物だ。つまり、性的欲望の対象ではなく、純粋な「夢の存在」であるべきなのである。
そういう意味では歌も歌うし俳優活動もした吉永小百合はアイドルではない。その声を聴き、演技を見れば、彼女が「人間でしかない」ことが可視化されるからだ。
では、「偶像としてのアイドル」として誰がいるかと言えば、まさに最初に名前を挙げた風吹ジュンが代表的例になる。念のために言えば、私は彼女の熱烈なファンだったわけではない。単に「アイドル」の代表例として挙げているのである。
そこで、名前の件に戻れば、まず「吹雪」ではなく「風吹」であるのがいい。「ふぶき」という音の良さと、「風が吹く」爽やかなイメージがある。そして「ジュン」という性別不明の名前が、その妖精性を感じさせる。カタカナの爽やかさもある。姓と名が連続して発音される際のコンビネーション、音調も良い。ほとんど姓と名が一体化したリズムである。
そして、美少女なのだが、うっかりしたらすぐ傍にいたのに気づかなかった、という感じの美少女であるのもいい。そこが妖精的である。
なお、美しさという点での美少女は、私は某龍角散CMに出ていた和風美少女のM・H嬢が一番好みだった。ああいう美少女がひっそりと中学校や高校の教室の隅にでもいたら、登校する毎日が天国だっただろうな、と思う。神がいる場所がすなわち天国だ、という論理だ。
アイドルとは何か。「偶像」である。つまり、「人間ではない」存在だ。それが近年のようにファンと握手をしたり、「当然枕商売してるんだろ」という話ではアイドルたりえないのである。もちろん、それは現実がどうであるかとは無関係な話で、「アイドルに憧れる世代の青少年や子供にとってのアイドル像」の話だ。つまり一種の「神」であり、女性なら女神であり、さらに言えば「妖精」である。
さらに言えば、本当はアイドルは歌うべきではないし、俳優として活動してもいけないのである。せいぜい、テレビCMで何やらやっている姿を見せるか、雑誌のグラビア写真で姿を見せるだけでいい。それも水着やヌード写真は禁物だ。つまり、性的欲望の対象ではなく、純粋な「夢の存在」であるべきなのである。
そういう意味では歌も歌うし俳優活動もした吉永小百合はアイドルではない。その声を聴き、演技を見れば、彼女が「人間でしかない」ことが可視化されるからだ。
では、「偶像としてのアイドル」として誰がいるかと言えば、まさに最初に名前を挙げた風吹ジュンが代表的例になる。念のために言えば、私は彼女の熱烈なファンだったわけではない。単に「アイドル」の代表例として挙げているのである。
そこで、名前の件に戻れば、まず「吹雪」ではなく「風吹」であるのがいい。「ふぶき」という音の良さと、「風が吹く」爽やかなイメージがある。そして「ジュン」という性別不明の名前が、その妖精性を感じさせる。カタカナの爽やかさもある。姓と名が連続して発音される際のコンビネーション、音調も良い。ほとんど姓と名が一体化したリズムである。
そして、美少女なのだが、うっかりしたらすぐ傍にいたのに気づかなかった、という感じの美少女であるのもいい。そこが妖精的である。
なお、美しさという点での美少女は、私は某龍角散CMに出ていた和風美少女のM・H嬢が一番好みだった。ああいう美少女がひっそりと中学校や高校の教室の隅にでもいたら、登校する毎日が天国だっただろうな、と思う。神がいる場所がすなわち天国だ、という論理だ。
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