二軍では山下は14盗塁で盗塁失敗わずかに2である。関根は山下より盗塁数は多いが失敗率も高い。
山下幸輝
横浜DeNAベイスターズ #38 | |
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2015年3月22日、西武プリンスドームにて | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 千葉県君津市 |
生年月日 | 1993年1月31日(24歳) |
身長 体重 | 173 cm 72 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 2014年 ドラフト5位 |
初出場 | 2015年3月27日 |
年俸 | 1,200万円(2017年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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山下 幸輝(やました こうき、1993年1月31日 - )は、千葉県君津市出身のプロ野球選手(内野手)。横浜DeNAベイスターズ所属。
年度別打撃成績[編集]
年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
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2015 | DeNA | 23 | 43 | 42 | 2 | 10 | 2 | 0 | 0 | 12 | 2 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 12 | 0 | .238 | .238 | .286 | .524 |
2016 | 62 | 100 | 98 | 11 | 22 | 2 | 1 | 0 | 26 | 7 | 3 | 1 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 18 | 1 | .224 | .230 | .265 | .495 | |
通算:2年 | 85 | 143 | 140 | 13 | 32 | 4 | 1 | 0 | 38 | 9 | 3 | 2 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 30 | 1 | .229 | .232 | .271 | .504 |
- 2016年度シーズン終了時
年度別守備成績[編集]
年 度 | 球 団 | 一塁 | 二塁 | 三塁 | 遊撃 | ||||||||||||||||||||
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試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | 試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | 試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | 試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | ||
2015 | DeNA | - | 17 | 28 | 33 | 1 | 4 | .984 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | |||||
2016 | 4 | 9 | 0 | 0 | 1 | 1.000 | 10 | 3 | 10 | 0 | 1 | 1.000 | 35 | 6 | 26 | 1 | 5 | .970 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | |
通算:2年 | 4 | 9 | 0 | 0 | 1 | 1.000 | 27 | 31 | 43 | 1 | 5 | .987 | 37 | 6 | 26 | 2 | 5 | .941 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1.000 |
- 2016年度シーズン終了時
関根 大気(せきね たいき、1995年6月28日 - )は、愛知県海部郡蟹江町出身のプロ野球選手(外野手)。横浜DeNAベイスターズ所属。
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
小学校1年生から野球を始めると[2]、愛知県春日井市立石尾台中学校時代には、軟式クラブチームの「守山クラブ」で投手兼中堅手としてプレー[2]。東邦高等学校への進学後には、2年生から「1番・中堅手」としてレギュラーに定着したものの[2]、春夏を通じて全国大会への出場経験がなかった。ちなみに最後の夏季大会はベスト16であった。高校時代の通算本塁打は33本[3][2]で、俊足強肩の持ち主であることに加えて、厳しいトレーニングの成果で2年生の秋から28本塁打を放ったこと[4]を複数のNPB球団関係者に注目された。
2013年、プロ野球ドラフト会議で横浜DeNAベイスターズから5巡目で指名され、契約金3,000万円、年俸550万円(金額は推定)で契約[5]。担当スカウトは大久保弘司[3]。入団当初は背番号「52」の着用を予定していたが、同年12月にオリックス・バファローズから移籍してきたアーロム・バルディリスが、阪神・オリックス時代に着けていた同番号を希望。結局この希望を受けて、関根の背番号を「63」に変更した[6]。
プロ入り後[編集]
春季キャンプ前の新人合同自主トレーニングで動きの良さを首脳陣に評価されたことから、同期の高卒新人選手からただ1人、春季キャンプの一軍メンバーに抜擢された。DeNAで高卒の新人選手が春季キャンプの最初から一軍メンバーに入ったのは、横浜ベイスターズ時代の2000年に、当時の一軍監督・権藤博の方針で(高卒を含む)新人8選手を全員一軍のキャンプへ参加させて以来14年振りである[7]。春季キャンプ中には、2月19日に実施された韓国プロ野球・起亜タイガースとの練習試合で、9回裏1死満塁から「対外試合初安打・初打点」となるサヨナラ安打を放った[8]。なお、キャンプ後には一軍のオープン戦にも帯同。東邦高校卒業式の翌日(3月2日)に地元のナゴヤドームで開かれた中日ドラゴンズ戦には、家族が見守る前で、「1番・中堅手」としてスタメン出場を果たした。しかし、4打数1安打3三振に終わったことから、試合後に二軍での調整を命じられた[9]。レギュラーシーズンでは、イースタン・リーグ公式戦101試合に出場。打率.271、99安打、6本塁打という好成績を残した[10]。10月4日には、東京ドームの対読売ジャイアンツ戦に、「1番・右翼手」としてスタメン起用され一軍デビュー。1回表の第1打席で小山雄輝から一軍初安打を放ったことを皮切りに、2安打を記録した[11]。オフの11月25日には、推定年俸600万円(50万円増)で契約を更改。12月には、自身と同じ左打ちの外野手であるメジャーリーガーの青木宣親と共に、東京都内で自主トレーニングに励んだ[12]。
前年に続いて、春季キャンプを一軍で迎えた。オープン戦の中盤に打撃不振で二軍降格の危機に見舞われた[13]が、開幕一軍入りを果たすと、巨人との開幕戦(3月27日・東京ドーム)の9回表に代打で出場。澤村拓一から一軍での初本塁打を放った[14]。開幕戦での代打本塁打はセントラル・リーグ史上8人目だが、一軍での初本塁打にもなったのはリーグ史上初の快挙[15]。また、この時点で19歳だったことから、リーグ最年少の開幕戦本塁打にもなった[14]。5月22日の対阪神戦(横浜スタジアム)9回裏の走塁ミスで左足かかとを負傷したため、2日後の24日に出場選手登録を抹消[16][17]。6月28日に再登録を果たした[18]が、バッティングの調子を著しく崩したことから、以降は一軍と二軍の往復に終始した[19]。一軍公式戦には58試合の出場で打率.222、1本塁打、10打点という成績にとどまったものの、11月24日には、推定年俸1,050万円(450万円増)で契約を更改。翌25日から台湾でのウィンターリーグへ派遣された[17]が、現地で右足を捻挫したため、期間中の12月8日に日本へ帰国した[20]。
開幕一軍を逃したものの、4月30日にシーズン初の出場選手登録。関根自身には「使ってもらっている立場」との自覚があったとのことだが、登録を抹消されることなくレギュラーシーズンを乗り切った。一軍公式戦では、主に代走や、レギュラー左翼手・筒香嘉智に代わるゲーム終盤の守備要員として出場。前年に比べて打席数が少なく、本塁打を1本も放てなかったが、ユーティリティプレイヤーとして随所で勝負強さを発揮した。7月5日の対東京ヤクルトスワローズ戦(横浜)では、筒香の代走から左翼の守備に就くと、8回裏に迎えた打席で2ランスクイズを成功。「2番・右翼手」としてスタメンに起用された9月15日の対阪神戦(甲子園)では、7回表1死1塁の打席で三塁打を放つことによって、チームを勝利に導いた。チームがレギュラーシーズン3位で臨んだポストシーズンでは、巨人とのクライマックスシリーズ ファーストステージ第1戦(10月8日)と第3戦(10日、いずれも東京ドーム)に途中出場。レギュラー右翼手・梶谷隆幸が1回表の打席で左手首に死球を受けた第3戦では、梶谷の代走を経て1回裏から右翼の守備に就くと、同点の2回表1死1・2塁で迎えた打席で勝ち越しの犠飛を放った。チームは後に同点へ追い付かれたものの、延長11回の末に勝利を収めたことによって、ファイナルステージへの進出を決めている。
選手としての特徴[編集]
50メートル走5秒台の脚力と遠投115メートルの強肩[10]、さらに高い野球センスを併せ持つ[3][21]。小柄な体格ながら、高校2生の秋以降は、「掛布雅之の再来」と称されるまでに長打力を急速に開花させた[4]。
DeNAへの入団後は、「愛知県出身」「走攻守揃った左打ちの外野手」「高校からのドラフト下位指名でプロ野球選手としてのキャリアをスタート」といった点でイチローと共通していることなどを理由に、当時の一軍監督・中畑清からイチローを超える選手になることを期待されていた[7]。ただし、本人によれば、守備の面ではプロのレベルに達していないとのことである[11]。
年度別打撃成績[編集]
年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
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2014 | DeNA | 3 | 13 | 12 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | .250 | .308 | .250 | .558 |
2015 | 55 | 159 | 144 | 14 | 32 | 2 | 5 | 1 | 47 | 10 | 8 | 3 | 6 | 1 | 8 | 0 | 0 | 22 | 1 | .222 | .261 | .326 | .588 | |
2016 | 70 | 106 | 98 | 15 | 20 | 1 | 1 | 0 | 23 | 7 | 4 | 4 | 4 | 0 | 2 | 0 | 2 | 18 | 0 | .204 | .235 | .235 | .470 | |
NPB:3年 | 128 | 278 | 254 | 30 | 55 | 3 | 6 | 1 | 73 | 17 | 13 | 7 | 10 | 1 | 10 | 0 | 3 | 43 | 1 | .217 | .254 | .287 | .541 |
- 2016年度シーズン終了時
年度別守備成績[編集]
年 度 | 外野 | |||||
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試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | |
2014 | 3 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
2015 | 45 | 63 | 2 | 1 | 1 | .985 |
2016 | 59 | 58 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
通算 | 107 | 128 | 2 | 1 | 1 | .992 |
- 2016年度シーズン終了時