ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「野球の記録で話したい」から転載。
はっきり言って愚論だと思う。スポーツとか言えば美しく聞こえるが、要は勝ち負けを争うゲームにすぎないのであり、ルールに反したり身体に危害を加えたりしなければどういう作戦を取ってもいいことは明白である。むしろ、他人の思いもつかない作戦や、やることをためらうような大胆な作戦を取ることは勇気を称えられてしかるべきだろう。
松井の5打席敬遠に怒っていた連中は、単に松井が打つシーンを見る機会を奪われたことを怒っている「快楽乞食」(筒井康隆の用語)にすぎないと私は思っている。
なお、コメント9のひろし氏の発言に私も同意するが、事実誤認がある。松井は「三冠王」は取っていない。タイトルは、本塁打王と打点王を各1回くらいしか取っていないのではないか。つまり、数字だけで言えば日本野球の歴史でも無数にいるレベルの選手であり、王や長嶋や金田や張本やイチローなどの真のレジェンドと比較するのもおこがましいと思う。
もちろん、昔の野球界全体のレベルが低かったからだという意見もあるだろうが、逆に、今とは比較にならないくらい、「運動のできる子はほとんどが野球選手を目指していた」時代なのだから、昔のほうが勝負に真剣だったとも言えるのだ。その中で群を抜いていたからレジェンドなのである。
今は、適当にやっていれば高額年俸を貰える中で適当にやっている選手も多いのではないか。その中でタイトルを2つか3つ取ってもレジェンドであるはずがない。大リーグでの働きにしても、一度ワールドシリーズMVPになっただけのことだ。そんな瞬間風速的活躍なら、平凡無名の選手でもやった事例は無数にある。
甲子園の5打席敬遠も松井を商売ネタにしたくてたまらなかったスポーツマスコミには大喜びの事件だっただろうし、松井もあの事件で商品価値がだいぶ上がったはずである。むしろ馬淵監督の方に足を向けて寝られないのではないか。
(以下引用)
スポーツナビ
「相手の嫌がることをするのが作戦だ」明徳義塾・馬淵史郎
これ、無料アプリをDLして全文読んだが、中身はそれほど非常識なことを言っているわけではない。
作戦ていうのはそんなもん。スポーツで汚いだなんだ言うて、ルールの中でやることを論じちゃいかんのよ。そんなこといったらスポーツにならん。(そうしないなら)データ取ることもない
しかしながら馬淵監督のこの考えから決定的に欠けているのは「スポーツマンシップ」だ。
何度も言っているが、スポーツマンシップとは
「スポーツをすること自体を楽しみとし、公正なプレーを尊重し、相手の選手に対する尊敬や賞賛、同じスポーツを競技する仲間としての意識をもって行われる活動であるという姿勢となって表される」
馬淵監督の考えは「ルールの許す範囲で」相手の弱点を調べ上げ、そこを徹底的に突く、ということだ。
その代表的な戦術が、松井秀喜の5敬遠だろう。敬遠そのものは野球のルールの内だ。当時の星稜高校は、松井秀喜の打棒で勝ち抜いてきた。これを骨抜きにすることで、戦力を大幅にそぐことができる。馬淵監督は、事実そうすることで星稜の武器を封じたわけだ。まさに「相手の嫌がること」であろう。
そういう野球をする馬淵監督は「勝負師」として名声を博したが、高校野球という「学校の部活」でここまでやることが、正しいのかどうか。そして「スポーツマンシップ」に則っているのかどうか。
スポーツマンシップの中には「ルールを守る」という項目もある。それに照らして馬淵監督の作戦は間違ってはいない。しかしさらに踏み込めば、「相手の選手に対する尊敬や賞賛」はどうなのか。ネーミングこそ「敬遠」だが、松井を歩かせたことはその選手をリスペクトしていたといえるのか。
「相手をリスペクトする」とは、相手にも存分に力を発揮させたうえで、戦うことではないのか。
松井秀喜、星稜ナインは、馬淵監督や明徳義塾を「同じスポーツを競技する仲間」だと思っただろうか?「勝つためには何でもする連中」だと思ったのではないか。
こういう「名将の言葉、名言」が、何の批判もされずに垂れ流されることに危惧を抱く。
こういうものを読んで「偉い人だ」という日本人は多いが、こうした意識を変えないと、日本はいつまでたっても「スポーツ三流国」のままだと思う。
コメント一覧 (9)
1. 野球未経験者 2019年04月12日 12:47
広尾さんの仰ることはよくわかりますし、私も馬渕監督の作戦は好きではありません。ただ程度問題じゃないのかと聞かれた場合、私の頭では上手く納得させられる回答が思い浮かびません。
例えば投手がチェンジアップを投げたり、バッターが苦手なコースに意図的に投げ込むことと、松井さんの5敬遠と何が違うのでしょうか?
前者は投手としての能力を発揮した結果なのですが、それが対戦相手の弱点をついていることになりませんでしょうか?後者はとても褒められたものではありませんが、5敬遠できる状況を作り上げたのは、チームとしての努力の結果のような気もします。
変化球が発明された頃は、それこそ「卑怯だ!」と言われてそうですね。結局、今の時代に5敬遠は許されない、ということなのでしょうか?時代や環境、打者と投手との力関係などで許される範囲も違うような気がします。
2. へいブルース 2019年04月12日 12:48
勝利至上主義の権化ともいえる監督が名将としてまだまだもてはやされる現状。
高齢の監督だけでなく、30~40代でも存在するところに、受け継がれる文化の問題を感じずにはいられませんね。
私は、罰則を含んだ規則がやはり必要だと考えます。
文化が根付くのを待つのではなく、文化を育てるために。
3. 広尾 晃 2019年04月12日 12:55
野球未経験者さん
端的に言えば、その競技に属する技術や能力を磨くことで克服できる「難題」を相手に投げかけるのはスポーツのうちですが、トライアルの機会さえ奪う「手段」は、スポーツとは言えないということだと思います。
変化球への対応は、野球の技術のうちですが、敬遠は、どうすることもできません。その間の線引きは依然として微妙ですが。
4. 関西人(似非) 2019年04月12日 13:19
松井の5打席連続敬遠に関してはやりすぎたと思うが、私が違和感を感じたのは、明徳のナインに罵声を浴びせメガホンを投げ込んで試合を中断させた輩に対して、当時の高野連会長が注意しなかったことです。メガホンを投げつけた中には、星稜高校の生徒だけでなく、大人もいたはずです。これを非難することなく『明徳は正々堂々と戦ってほしかった』はないだろうと、当時の私は思いました。
5. 広尾 晃 2019年04月12日 13:31
関西人(似非)さん
どちらも勝負ごとに拘泥したという点では、残念でした。
6. fujibo 2019年04月12日 13:45
ナンバーで「サイン盗み」についてプロ野球、甲子園経験者のコメントが載っていましたが、衝撃だったのは20代の人がやたら「勝つために(相手や自らがやった)」という言葉を使うこと。そのためなら許されるというニュアンスで語っていること
野球では、まだこんなに若い世代にも勝利至上主義はあるんだなと
古いですが、自分はJが開幕した頃、サッカーではピッチ上で傷んだ選手がいるのに試合が止まらないときは相手選手もボールを外に蹴りだすなどしてあげることを知りませんでした。まあ、これも守るかどうかは選手やチームしだいでしょうけど、当時は少なくとも野球とは違うなという感想でした
7. 野球未経験者 2019年04月12日 18:16
広尾さん、ありがとうございます。「難題」とトライアルの機会を奪う「手段」とのご回答は非常にしっくりきました。
MLB投手のすさまじい投球に対して「卑怯だ」とか「ノーチャンスだ」との褒め言葉がありますが、裏を返せばそれだけ米国はトライアルの機会を奪う行為に敏感なんでしょうね。
いい勉強になりました。
8. のぶ。 2019年04月13日 00:44
ファールで粘る待球戦術とかは、投手側の技術を磨いて克服可能とはいえ、スポーツマンシップに反する作戦になるんでしょうね。
この線引きは難しいし人により時代によるのでしょうが、こういう意識を関わる人達が持つところから始めなければ。
9. ひろし 2019年04月14日 07:56
はじめてコメントします。広尾さんの最近の著作やご活動に賛意をもっているものです。
ただ明徳の松井に対する5敬遠が「スポーツマンシップに反する」と「リスペクト」の定義に疑問があります。
馬渕監督も明徳の選手も松井選手に「これはモノが違う」と感じたからこその敬遠でしょう。特にあの時の明徳の投手は「背番号8」の本職が外野の選手でした。「勝負したら打たれる」と思うのは当然ですし、そこには「松井選手に対する尊敬や賞賛」しか無いように感じます。
広尾さんもそう感じられたのではないでしょうか。だから「相手をリスペクトする」とは、相手にも存分に力を発揮させたうえで、戦うことではないのか。と「リスペクト」の定義を通常使われる意味とは変えられています。
しかしその定義においても「星稜」は5,6番打者が打てばビッグイニングにできたし、1塁走者松井にしても5番打者の苦手な変化球を投げさせないために盗塁やリードの走塁技術でバッテリーに圧力をかけることもできたのではないでしょうか。
それは広尾さんのいうところの「難題」であって、トライアルの機会さえ奪う「手段」とは思えません。野球は「チームスポーツ」ですから一人の強打者を全打席敬遠したからといって勝つチャンス、そのための「手段」はたくさん残っているはずではありませんか?
もし、松井敬遠の際に死球にしたり、三塁手松井に足を上げてスライディングしたりすれば「スポーツマンシップに反する」といえるでしょうが、明徳はそんなことはしていません。明徳がやったのは「背番号8」の投手で、「後にプロで三冠王をとり、ヤンキースの中軸打者になった」松井を5打席敬遠し1塁走者として出して、「事前のスカウティングで変化球が苦手とわかっていた」5番打者で勝負して、2失点で切り抜けただけです。勝負にこだわってるのは確かですがスポーツマンシップに反するとは思えません。
はっきり言って愚論だと思う。スポーツとか言えば美しく聞こえるが、要は勝ち負けを争うゲームにすぎないのであり、ルールに反したり身体に危害を加えたりしなければどういう作戦を取ってもいいことは明白である。むしろ、他人の思いもつかない作戦や、やることをためらうような大胆な作戦を取ることは勇気を称えられてしかるべきだろう。
松井の5打席敬遠に怒っていた連中は、単に松井が打つシーンを見る機会を奪われたことを怒っている「快楽乞食」(筒井康隆の用語)にすぎないと私は思っている。
なお、コメント9のひろし氏の発言に私も同意するが、事実誤認がある。松井は「三冠王」は取っていない。タイトルは、本塁打王と打点王を各1回くらいしか取っていないのではないか。つまり、数字だけで言えば日本野球の歴史でも無数にいるレベルの選手であり、王や長嶋や金田や張本やイチローなどの真のレジェンドと比較するのもおこがましいと思う。
もちろん、昔の野球界全体のレベルが低かったからだという意見もあるだろうが、逆に、今とは比較にならないくらい、「運動のできる子はほとんどが野球選手を目指していた」時代なのだから、昔のほうが勝負に真剣だったとも言えるのだ。その中で群を抜いていたからレジェンドなのである。
今は、適当にやっていれば高額年俸を貰える中で適当にやっている選手も多いのではないか。その中でタイトルを2つか3つ取ってもレジェンドであるはずがない。大リーグでの働きにしても、一度ワールドシリーズMVPになっただけのことだ。そんな瞬間風速的活躍なら、平凡無名の選手でもやった事例は無数にある。
甲子園の5打席敬遠も松井を商売ネタにしたくてたまらなかったスポーツマスコミには大喜びの事件だっただろうし、松井もあの事件で商品価値がだいぶ上がったはずである。むしろ馬淵監督の方に足を向けて寝られないのではないか。
(以下引用)
スポーツナビ
「相手の嫌がることをするのが作戦だ」明徳義塾・馬淵史郎
これ、無料アプリをDLして全文読んだが、中身はそれほど非常識なことを言っているわけではない。
作戦ていうのはそんなもん。スポーツで汚いだなんだ言うて、ルールの中でやることを論じちゃいかんのよ。そんなこといったらスポーツにならん。(そうしないなら)データ取ることもない
しかしながら馬淵監督のこの考えから決定的に欠けているのは「スポーツマンシップ」だ。
何度も言っているが、スポーツマンシップとは
「スポーツをすること自体を楽しみとし、公正なプレーを尊重し、相手の選手に対する尊敬や賞賛、同じスポーツを競技する仲間としての意識をもって行われる活動であるという姿勢となって表される」
馬淵監督の考えは「ルールの許す範囲で」相手の弱点を調べ上げ、そこを徹底的に突く、ということだ。
その代表的な戦術が、松井秀喜の5敬遠だろう。敬遠そのものは野球のルールの内だ。当時の星稜高校は、松井秀喜の打棒で勝ち抜いてきた。これを骨抜きにすることで、戦力を大幅にそぐことができる。馬淵監督は、事実そうすることで星稜の武器を封じたわけだ。まさに「相手の嫌がること」であろう。
そういう野球をする馬淵監督は「勝負師」として名声を博したが、高校野球という「学校の部活」でここまでやることが、正しいのかどうか。そして「スポーツマンシップ」に則っているのかどうか。
スポーツマンシップの中には「ルールを守る」という項目もある。それに照らして馬淵監督の作戦は間違ってはいない。しかしさらに踏み込めば、「相手の選手に対する尊敬や賞賛」はどうなのか。ネーミングこそ「敬遠」だが、松井を歩かせたことはその選手をリスペクトしていたといえるのか。
「相手をリスペクトする」とは、相手にも存分に力を発揮させたうえで、戦うことではないのか。
松井秀喜、星稜ナインは、馬淵監督や明徳義塾を「同じスポーツを競技する仲間」だと思っただろうか?「勝つためには何でもする連中」だと思ったのではないか。
こういう「名将の言葉、名言」が、何の批判もされずに垂れ流されることに危惧を抱く。
こういうものを読んで「偉い人だ」という日本人は多いが、こうした意識を変えないと、日本はいつまでたっても「スポーツ三流国」のままだと思う。
コメント一覧 (9)
1. 野球未経験者 2019年04月12日 12:47
広尾さんの仰ることはよくわかりますし、私も馬渕監督の作戦は好きではありません。ただ程度問題じゃないのかと聞かれた場合、私の頭では上手く納得させられる回答が思い浮かびません。
例えば投手がチェンジアップを投げたり、バッターが苦手なコースに意図的に投げ込むことと、松井さんの5敬遠と何が違うのでしょうか?
前者は投手としての能力を発揮した結果なのですが、それが対戦相手の弱点をついていることになりませんでしょうか?後者はとても褒められたものではありませんが、5敬遠できる状況を作り上げたのは、チームとしての努力の結果のような気もします。
変化球が発明された頃は、それこそ「卑怯だ!」と言われてそうですね。結局、今の時代に5敬遠は許されない、ということなのでしょうか?時代や環境、打者と投手との力関係などで許される範囲も違うような気がします。
2. へいブルース 2019年04月12日 12:48
勝利至上主義の権化ともいえる監督が名将としてまだまだもてはやされる現状。
高齢の監督だけでなく、30~40代でも存在するところに、受け継がれる文化の問題を感じずにはいられませんね。
私は、罰則を含んだ規則がやはり必要だと考えます。
文化が根付くのを待つのではなく、文化を育てるために。
3. 広尾 晃 2019年04月12日 12:55
野球未経験者さん
端的に言えば、その競技に属する技術や能力を磨くことで克服できる「難題」を相手に投げかけるのはスポーツのうちですが、トライアルの機会さえ奪う「手段」は、スポーツとは言えないということだと思います。
変化球への対応は、野球の技術のうちですが、敬遠は、どうすることもできません。その間の線引きは依然として微妙ですが。
4. 関西人(似非) 2019年04月12日 13:19
松井の5打席連続敬遠に関してはやりすぎたと思うが、私が違和感を感じたのは、明徳のナインに罵声を浴びせメガホンを投げ込んで試合を中断させた輩に対して、当時の高野連会長が注意しなかったことです。メガホンを投げつけた中には、星稜高校の生徒だけでなく、大人もいたはずです。これを非難することなく『明徳は正々堂々と戦ってほしかった』はないだろうと、当時の私は思いました。
5. 広尾 晃 2019年04月12日 13:31
関西人(似非)さん
どちらも勝負ごとに拘泥したという点では、残念でした。
6. fujibo 2019年04月12日 13:45
ナンバーで「サイン盗み」についてプロ野球、甲子園経験者のコメントが載っていましたが、衝撃だったのは20代の人がやたら「勝つために(相手や自らがやった)」という言葉を使うこと。そのためなら許されるというニュアンスで語っていること
野球では、まだこんなに若い世代にも勝利至上主義はあるんだなと
古いですが、自分はJが開幕した頃、サッカーではピッチ上で傷んだ選手がいるのに試合が止まらないときは相手選手もボールを外に蹴りだすなどしてあげることを知りませんでした。まあ、これも守るかどうかは選手やチームしだいでしょうけど、当時は少なくとも野球とは違うなという感想でした
7. 野球未経験者 2019年04月12日 18:16
広尾さん、ありがとうございます。「難題」とトライアルの機会を奪う「手段」とのご回答は非常にしっくりきました。
MLB投手のすさまじい投球に対して「卑怯だ」とか「ノーチャンスだ」との褒め言葉がありますが、裏を返せばそれだけ米国はトライアルの機会を奪う行為に敏感なんでしょうね。
いい勉強になりました。
8. のぶ。 2019年04月13日 00:44
ファールで粘る待球戦術とかは、投手側の技術を磨いて克服可能とはいえ、スポーツマンシップに反する作戦になるんでしょうね。
この線引きは難しいし人により時代によるのでしょうが、こういう意識を関わる人達が持つところから始めなければ。
9. ひろし 2019年04月14日 07:56
はじめてコメントします。広尾さんの最近の著作やご活動に賛意をもっているものです。
ただ明徳の松井に対する5敬遠が「スポーツマンシップに反する」と「リスペクト」の定義に疑問があります。
馬渕監督も明徳の選手も松井選手に「これはモノが違う」と感じたからこその敬遠でしょう。特にあの時の明徳の投手は「背番号8」の本職が外野の選手でした。「勝負したら打たれる」と思うのは当然ですし、そこには「松井選手に対する尊敬や賞賛」しか無いように感じます。
広尾さんもそう感じられたのではないでしょうか。だから「相手をリスペクトする」とは、相手にも存分に力を発揮させたうえで、戦うことではないのか。と「リスペクト」の定義を通常使われる意味とは変えられています。
しかしその定義においても「星稜」は5,6番打者が打てばビッグイニングにできたし、1塁走者松井にしても5番打者の苦手な変化球を投げさせないために盗塁やリードの走塁技術でバッテリーに圧力をかけることもできたのではないでしょうか。
それは広尾さんのいうところの「難題」であって、トライアルの機会さえ奪う「手段」とは思えません。野球は「チームスポーツ」ですから一人の強打者を全打席敬遠したからといって勝つチャンス、そのための「手段」はたくさん残っているはずではありませんか?
もし、松井敬遠の際に死球にしたり、三塁手松井に足を上げてスライディングしたりすれば「スポーツマンシップに反する」といえるでしょうが、明徳はそんなことはしていません。明徳がやったのは「背番号8」の投手で、「後にプロで三冠王をとり、ヤンキースの中軸打者になった」松井を5打席敬遠し1塁走者として出して、「事前のスカウティングで変化球が苦手とわかっていた」5番打者で勝負して、2失点で切り抜けただけです。勝負にこだわってるのは確かですがスポーツマンシップに反するとは思えません。
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