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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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横浜を首になった高森勇旗の手記だが、もともと勉強のほうが野球より好きだったらしく、立派な文章である。
引退後の生活もそれなりに充実しているようで、脳筋でない人間なら、仕事を首になっても何かの再起の道はあるもののようだ。
なお、最後のページだけ引用したが、前の方にも面白い情報がいろいろある。
特に、プロ入団時の「アマとプロのレベルの差に絶望した」という心理は、その世界を知らない人には想像できないものだろう。






24歳でプロ野球をクビになった男が見た真実

初めて挫折を味わい、勝負の世界で財産を得た


プロ野球選手の引退後というと、悲壮感が漂い大変だというイメージもあるだろうが、私の場合、今のところそれとは無縁である。幸い年俸が低いまま引退したこともあり、金銭感覚にも異常がない。そのせいか、むしろ引退後の生活の方がゆとりはある。それは、プロ野球選手時代ほど体のメンテナンスにお金をかけなくてよくなった事や、月10万円の交通費を払う必要がなくなったこともあるだろう。

2012年のトライアウトで最後のスイング

引退後の生活が非常に充実しているのは、もしかすると珍しいパターンかもしれない。その要因は、「野球に一切の未練がない」ことだろう。梶谷に「オマエほど練習したヤツは見た事がない」と言わしめるほど、私はよく練習をした。他の人がやっていない事をやって成果を出すため、自分の全打席の配球や心境を記録したエクセルのページは、400ページを超える。


その甲斐あって、一瞬、プロ野球で夢を見る事も出来た。その後、人生で初と言っていい挫折も経験できた。それを受け入れ、立ち直る事も出来た。あれだけやってダメなら、仕方ない。本心でそう思えた。だから私は、野球をやめた。

大学院卒と同じスタートラインで勝負

24歳。ストレートに進めば、大学から大学院に進んだ学生が卒業する年齢である。私もそういった人たちと同じ年齢で社会に出る事になった。一般的な大学や大学院生が6年間でどんな勉強をするか、どんな経験をするかは知らないが(非常に興味がある)、私がプロ野球界で過ごした6年間は最高に刺激的な時間だった。異空間で勝負の世界の住人となり、ライバルたちとの戦いの中で磨かれ、不条理を受け入れ、集団の中で個を主張する本質を体験した。これは財産となって私の中に確かに残っている。


プロ野球をクビになるという経験は、プロ野球に入らないとできない。私の場合はクビになったお陰で、人生のさまざまなことが実現したい方向に向かって加速している。プロ野球。最高の場所だった。私を最大限に育ててくれた場所だった。感謝の気持ちしかない。いつか、何かの機会で恩を返す事ができるなら、それは素敵な事だと、私は思う。


(文=高森 勇旗)


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